トップページ > ページシアター > ニライカナイ > 赤の時代:その1 【公演データ】
赤い布に『AD1945・03・03』と投影される。
暗闇の中から、ラジオの音が聞こえる。
昭和20年3月3日。
溶暗。大きな青磁の壷の前に女が一人。桃の枝をいけている。
女、つ、と立って、空を見上げる。
女 「…よく、降るわね…」
若い男一人現れる。
鈍いノックの音。
女 「どちらさま?」
若い男 「久保田です」
女の顔がぱっと華やぐ。女、扉を開ける。
若い男、よろめくように入ってくる。
久保田 「こんにちは…(言いかけて咳き込む)」
女 「大丈夫ですか?まあまあ、こんな大雪の中を…」
久保田 「ええ。すみません突然。先生は?」
女 「生憎出掛けてますの。お待ちになる?それとも…」
久保田 「待たせていただけますか。面白い雑誌が手に入ったんです、すぐにでも先生に見せ
女 「(悪戯っぽく笑って)また『御禁制の品』?」
久保田 「ええ!(はっとして)先生に迷惑はかけませんよ」
女 「わかってますよ。さ、どうぞ、中で暖まって。…鼻の先まで真っ赤よ、あなた」
久保田 「失礼します。ひゃ〜暖っけえ」
久保田、中へ。女も一緒に入る。
久保田、桃の枝に眼をとめる。
久保田 「いい枝振りだ…よく手に入りましたね、この御時世に」
女 「お弟子さんが持ってきてくださったんです、今日は、ほら、お節句だから」
久保田 「それで…。…すみません」
女 「気にしないで」
女、茶の用意を始める。
久保田 「いかがですか、お体の具合は」
女 「もう、すっかり…御心配をおかけして申し訳ありません」
久保田 「いえ、僕なんて何も…。…残念でしたね」
女 「(薄く笑って)罰が当たったんですよ」
久保田 「罰?なんの?」
女 「なんでもありません。どうぞ、何もないですけど」
女、茶を久保田にすすめる。久保田、礼を言って受け取る。
女 「で、今日はどんな雑誌?」
久保田 「今日のは凄いですよ。画学校時代の友人が、独逸から苦労して送ってくれたものですが…」
久保田、手にした風呂敷の包みを解いて、女に1冊の雑誌を手渡す。
女、手に取る。
女 「シャガール!」
久保田 「シャガールだけじゃあありませんよ」
久保田、頁を捲ってみせる。
女の口から吐息が漏れる。
女 「…スーティン、キッスリング…ピカソまで!」
女、夢中で頁を繰る。
久保田 「どうです。ちょっとしたもんでしょう」
女 「よくこんな雑誌を独逸から…『堕落芸術』ばかりじゃないの」
久保田 「ナチの高官につてがあったらしいんです。そんなことより…すごいでしょう」
女 「…凄いわ。…息がつけない…気押されてしまう…」
久保田 「本物は、きっとずっと素晴らしい…見てみたい」
女 「でも、追放されたでしょう、シャガールもピカソも…」
久保田 「(吐き捨てるように)人殺しに芸術がわかるはずがない!」
女 「総統は、画家志望だったって…」
久保田 「画家!? ハ! ヒットラーが画家なら僕は筆を折りますよ!」
女 「お止めなさい、誰が聞いているかわからないのよ」
久保田 「すみません」
間。
久保田、青磁の壷に眼を止め。
久保田 「面白い壷ですね…伊万里?」
女 「私が、焼いたんです」
久保田 「奥さんが!?」
女 「(頷いて)ずっと昔…まだ、松浦と結婚する前の話です」
久保田 「知らなかったな、奥さんが陶芸をやられるとは」
女 「すこし齧っただけで…とても人様にお見せできるようなものではないの」
久保田 「そんな。いい色をしてますよ、それに形も、手触りも…」
久保田、壷の肌を熱心に撫でさする。
女 「(口籠りつつ)ずっと忘れてたんです、けれどとても綺麗な桃の枝をいただいて、それがあんまり見事だったから何かにいけたくて、でも松浦の持っていた鉢や壷はみんな山梨に疎開させてしまったし、このご時世でしょう、何処にいっても気に入るような壷はおいてないし…考えあぐねていたらふと、長いあいだ納戸の奥にしまってあったその壷のことを思い出して…。………恥ずかしいから、あんまり見ないで下さい」
久保田 「素敵です。優しくて、温かい…奥さんみたいだ」
女と久保田の眼があう。久保田、真っ赤になり土下座。
久保田 「すすすみません、失礼なことを…」
女 「いえ。お世辞でも嬉しいわ」
久保田 「お世辞じゃないですよ!参ったな、僕が赤くなってどうする。先生、まだですかね」
女 「(笑いながら)駒込へちょいとお届けものに行っただけだから、もうすぐ戻ります
久保田 「参ったな、まだ赤いよ…。でもこの壷が素敵だと思ったのは本当ですからね」
女 「ありがとう」
久保田 「今はやってらっしゃらないんですか」
女、頷く。
久保田 「何故?」
女 「止めたんです。いえ、止めろと言われたんです松浦に。結婚したら、お弟子さんの
久保田 「時局柄、か。いかにも先生のおっしゃりそうな言葉ですね」
女 「でしょう」
久保田 「でも、勿体無いですよ。これだけのものをお作りになれるのに…」
久保田、再び壷に手を伸ばす。
女、その久保田の手にじっと見入りながら呟く。
女 「…この戦争が終わったら…」
久保田 「え?」
女 「(少し慌てて)勿論御国が勝って、そして戦争が無事に終わったら…。…また始め
久保田 「焼き物を?」
女、頷く。
久保田 「それがいい!ぜひそうすべきですよ!ああ、そうしたら僕、一緒に習おうかな」
女 「本当に?」
久保田 「御迷惑でなければ。前から興味はあったんです。特に焼き物の、色」
女 「どういうこと?」
久保田 「僕らの使う油絵の具は、初めから色が決まっているでしょう。もちろん他の色を混ぜたり、乾燥のぐあいによって多少の変化はあるけれど、概ね絵描きは、その色のイメージを的確に把握したうえで、カンバスに色を重ねていくんです」
女、頷く。
久保田 「でも焼き物は違う。ほら、なんていいましたっけ、窯に入れて色の変わる…」
女 「窯変?」
久保田 「そう!自分の思っても見ない色に変わる不思議…絵画が完璧に計算され尽くした表現手段だとするなら、焼き物は、神の意志が介在する唯一の芸術じゃないか、なんて」
女 「大袈裟ね。…でも、久保田さんのおっしゃること、わかる気がするわ。…軸薬をかけて、窯に入れるその刹那の祈るような気持ち…。どうぞ望む色に変わって、私の思い描く、私だけの色になってって…」
久保田 「自分だけの、色…」
女 「(頷いて)心に浮かぶ、幻の色…あるでしょう?」
久保田 「あります。どうしても手に入れたい僕だけの、色」
女 「どんな色?」
久保田、口を開きかける。
(作:中澤日菜子/写真:広安正敬)