2020年11月のミステリ 戻る
現代人の日本史2 大化の改新 
海音寺潮五郎著(『天と地と』) 河出書房新社 365頁 1959年
感想
読みのわからへん漢字やら人物がいっぱいでてきて、臣(おみ)やら連(むらじ)やら首(おびと)やらで頭の中がいっぱい。
お話は第21代雄略ゆうりゃく天皇が崩御(西暦479年)したところから始まる。
この大王(おおきみ)はたいへんな人やったらしく池澤夏樹さんの新聞小説『ワカタケル』ではライバルをたたき切るとたぎる血(アドレナリンでまくり)のまま女とまぐあうという話が朝刊に載っていた。朝からそれは濃かったわ。この人の御代みよでは皇室の人が激減したとか。
それから仏教が伝来し(西暦538年頃)、朝鮮の任那日本府が滅亡して(西暦554年頃)、蘇我氏と激突の末、物部氏が滅んで(西暦587年7月)、聖徳太子がたつねん。
聖徳太子が亡くなった(西暦621年2月)後、息子の山背ノ大兄王やましろのおおえのおうと一族が蘇我入鹿そがのいるかに滅ぼされる(西暦643年)。蘇我氏の天下ね。蘇我は天皇になったのではないかとまでゆーてはる。
そこでちょーしこいてんじゃねえよと大化の改新が起こる(西暦645年)。
大極殿において第35代皇極天皇の目の前で中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足が蘇我入鹿を切る。そして追われた入鹿の父の蝦夷と蘇我の一族が滅亡する。
大王(天皇)がダイナミックに動くというか骨肉の争い。
中大兄皇子が第38代天智天皇となり中央集権が強まる。天智天皇が亡くなるとまたしても起る後継者争い。
それは壬申の乱じんしんのらん(西暦672年)。
天智天皇の弟大海人皇子おおあまのおうじと息子の大友皇子おおとものおうじの争い。
大友皇子(第39代弘文天皇)の生母の出自はひくかったらしい。
「一夫多妻の社会では生母の尊卑によって子の地位や社会の待遇に差がつくのはしかたない」ことらしい。
そして大海人皇子が勝ち第40代天武天皇となる。お話は天武天皇が亡くなるところで終わる(西暦686年)。
 
日本史はもともとこの時代が好きやねんけど、いやあ面白かった。
様々な歴史書から「こうちゃうかな」と歴史をなぞるお話も面白いけど、海音寺潮五郎先生の「ぼくはこう思う」とちょっと言いはんのがめちゃ面白い。
 
ぼくは本心を言うと、中ノ大兄を英雄と見ることができないのだ。わずかに大極殿クーデターにおける行動、百済の嘆願に応じての韓土出兵の決断の迅速さだけに、英雄的素質の発現といえばいえるものを見るのであるが、それよりはるかに強烈に陰険、刻薄、臆病、虚飾といったものが感ぜられるのだ。中ノ大兄は単なる才子ではなかったかとまで思っている。
 
返す刀で天武天皇のことも
祥瑞(しょうずい・吉兆)にたいするこの度はずれた喜悦も、ぼくにはただごととは思われない。中国では祥瑞を最も喜ぶのは簒奪者だ。王莽(おうもう)などその代表的人物だ。簒奪者は常にコンプレックスがあるので、祥瑞を誇示することによって、天命がおのれにあることを民にも納得させ、みずからも納得しなければならない必要があるわけだが、天武の場合には、それ以外に彼の迷信的性向があったと思わざるを得ない。人間は必要だけでばかげたことができるものではない。まずみずから信ずることがかんじんだ。王莽が死に至るまでばかげた迷信のとりことなっていたように、天武も信じていたのだ。もちろん喧伝して政治上多くの利益を得もしたろうが。
祥瑞などというものは、列挙して来たものを見ればわかるように(三本足の烏とか)、生物学上普通にあり得るものばかりだ。権力者が珍重するとわかれば、国全体が鵜の目鷹の目でさがすから、いくらでも見つかるのである。昔の人はこのわかり易い道理がわからないから、無暗にめでたがったのである。 とばっさり。
 
うーん。すごい。
 
なにゆえこの本を読むにいたったかと言うと、中之島の香雪こうせつ美術館というところで開催中の「時空をつなぐものがたり 聖徳太子」を見に行くことになって。
同性愛あり近親相姦ありで法隆寺さんがかんかんになったという山岸涼子さんの「日出処の天子」は楽しく読んだんやけど「聖徳太子ってどんな人なん」とあらためて思って。
知らないことはないねんな。生まれ育ちが大阪の八尾ってとこでかの地は聖徳太子と縁が深い。蘇我氏と物部氏が激突した地で前の八尾市民病院の国道25号線をはさんだ向かいには聖徳太子に討たれたという「物部守屋もののべのもりやのお墓」があったし、首洗い池もあったと昔ハハから聞いた。16才やった聖徳太子が戦いに勝って大聖勝軍寺たいせいしょうぐんじも建てられた。(お寺さんが多いということで近鉄八尾駅近くは仏壇屋さんが多かった。少なくとも私が高校生の頃は) 聖徳太子創建の四天王寺さん境内にある学校にちびさぼは通ってたし。
でも知っているような知らないようなという事で、本をさがそと思ったとこまでは憶えているんやけど、どないしてこの本にたどり着いたかは記憶が定かではない。。。
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人間たちの話 
柞刈湯葉(いすかりゆば)著 早川書房 273頁 2020年
あらすじ
冬の時代、たのしい超監視社会、人間たちの話、宇宙ラーメン重油味、記念日、No Reaction
の6篇の初短編集
感想
おもしろい。
 
”もちろん、岩石自体には増殖する能力は存在しない。あくまで、ある小部屋に生まれた有機分子の触媒機構が、大気中の二酸化炭素を同化して有機物を生み出し、その分子組成を隣の小部屋に伝播させるだけだった。”
 
”有機溶媒の体液を珪素質の細胞膜で覆うトリパーチ星人にとってシリコーンは必須栄養素”
 
非科学脳の私には「何が書かれているのかまったくわからない」けどおもしろい。
作者は研究者の方らしいです。生命物質科学域系なのかも。
(ちびさぼが出た学科なので使ってみました。高3の時に大学は生物に行きたいと聞いた時、理科が得意なのは知ってたけど「子供の頃に虫博士でもなければ草花を育てることもなかったのに。なんで?」と驚いたところ「ウチがやりたいのはそういうことやないねん」と返されたのがこの本を読んでちょっとだけわかったような気がする。)
 
どの作品もはずれがないけど、”消化管があるやつは全員客”の「小惑星ヤタイ」にある<ラーメン青星>の「宇宙ラーメン重油味」と
”ひとは恐怖や苦痛と闘うことはできても、楽しさと闘うことはできない。楽しさは阿片だ”の「たのしい超監視社会」に笑った。
(後者は笑いごとやないのかもしれん)
 
人間たちの話」は修羅万象は本人の意思とは関係のない偶然の産物として存在し、遥か前方を見ていた主人公が目の前と向き合う、あるいは自分の横をみやる展開があざやか。一体化できない異質を求めていた男が他人と共感することができた時なのか。この作品が一番好きかな
 
記念日」はマグリットの「記念日」のような岩がワンルームに出現するシュールな話やけど、水漏れの修理に来た職人さんが岩を気にする様子もないのが楽しい。
家のリビングに一時期GLAYのポスターとカレンダーを所せましと貼りまくりやってんけど、水道を直しにきた人も排水管清掃の人も火災報知機の点検の人も一顧だにしはれへんかったのを思い出す。
 
「災い転じて福となる」ごとくこの作者なら渦中にある「コロナウイルス禍」を題材にどんな小説を書かれるのか。ちょっと楽しみ。
”構造が簡単で結晶化が可能であり、代謝を起こさず、宿主の増殖機構を間借りしないと増殖できない”ウイルスは将来「生命体」と呼ばれるようになるのか。
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紙鑑定士の事件ファイル−模型の家の殺人 
第18回『このミステリがすごい!』大賞
歌田年著 宝島社 307頁 2019年
感想
新宿に事務所を持つ紙の代理販売業(紙商/紙鑑定士)の渡辺圭と世捨て人のようなプラモデルのプロ(プロモデラー)の土生井昇(はぶいのぼる)のコンビが解決する事件ふたつ。 この世には様々な深〜い技術や知識を持つ人々がいてはるんですね。
紙の専門家というと「舟を編む」で薄くてぬめる様な手触りの紙に腐心してはる姿しか知らない。
 
営業マンの渡辺圭はネットワークと機動力で、引きこもりの土生井昇は安楽椅子探偵として活躍する。
アメリカのTVドラマ「CSI」や「エレメンタリー」でミニチュアが使われていた作品があったけど、本作はプラモデルが事件を解く鍵となる。
ただ、紙商の知識(薀蓄)は面白いねんけど事件の解決にはなんら結びつかず、最初の依頼人が「紙鑑定士」を「なんでも解決してくれる神探偵さん」と間違えたところにしか使われていない! それでも常に紙に触っていたいサガがありカードマジックと占いで人の懐に入るところにはうまく使われている。
 
「紙商、知り合いすごいな」とご都合主義なところもあるけれど、「生物学探偵セオ・クレイ -森の捕食者-」の様なところもあって一気読みしました。
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氷姫 
カミラ・レックバリ著 原邦史郎訳 集英社文庫 572頁 2003年
あらすじ
人口千人の漁村フィエルバッカで女性の死体が見つかる。発見したのは元魚師のエイラートと伝記作家のエリカだ。フィエルバッカは近年、夏に観光客をひきつけるリゾートとなっている。最初は自殺と思われたが殺人事件だった。
感想
スウェーデンのミステリ。シリーズ物の1作目。真相は「まあそうかな」と驚きは少な目やったけど人物描写がなかなか読ませる。
日本のドラマや小説では殺人事件が起こると、所轄に捜査本部が立ち上がり捜査員が大量投入され眠る間も惜しんで調べはるみたいやけど、スウェーデンでは5、6人のグループが捜査にあたるみたい。捜査中に私用も忙しい。