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◆◆◆◆ 大 正 橋 ◆◆◆◆ | ||||
(たいしょうばし) 架橋河川:大和川 《 主要地方道 府道旧2号・旧中央環状線 》 大阪府藤井寺市津堂2丁目 (橋の中央部から北は八尾市太田9丁目) 近鉄南大阪線・藤井寺駅より北へ約1.9km 徒歩約28分(大正橋南詰まで) 近鉄藤井寺駅び近鉄八尾駅発の近鉄バス・太田バス停より南へ約190m 徒歩約3分(大正橋北詰まで) 長さ《 193m 》 幅員《 10.2m(含歩道) 》 橋脚《 6基 》 径間数《 7 》 竣工 1952(昭和27)年 架橋 1916(大正5)年 管理 大阪府富田林土木事務所 |
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@ 藤井寺市と八尾市の境に架かる大正橋(南東より) 歩道を両側に設置するために橋脚の梁部が外側に拡張された様子がよくわかる。 〔GoogleMapストリートビュー 2019(令和元)年9月〕より |
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A 藤井寺市側から見た大正橋(西より) 橋は府道 旧2号が、南側堤防は府道186号が通る。後方は生駒山地。 2016(平成28)年12月 |
B 大正橋の南側入口(南西より) 2016(平成28)年12月 藤井寺駅−近鉄八尾駅間には近鉄バスの路線がある。 2車線の車道の両側に歩道が増設されている。 |
八尾市・大阪市方面とつなぐ大切な橋 大正橋は、写真Cのように藤井寺市と八尾市の境にある橋です。橋の中央が市域境界ですが、この付近の境界は少々複雑な形をしていま す。橋が架かっている大和川は、江戸時代の18世紀初めに人工的に造られた川です。もともと村が在った所に、川が後で造られたため、 川の中に元の村界が残ることになったのです。基本的には元の村の境界を引き継いでいますが、後の時代になって自治体どうしの協議によ って変えられた部分もあります。川の中央部で直線的になっている境界などがそうです。藤井寺市と八尾市の境界でも何ヵ所かそういう部 分があります。 ![]() 大正橋を通る道路は「主要地方道・府道旧2号(旧中央環状線)」に認定されています。番号や路線名からもわかるように、この地域では 重要な位置付けにある道路の一つです。写真Aの標識でわかるように手前の左岸(南岸)堤防の道路も府道で、「一般府道186号大阪羽曳野 線」に認定されています。旧2号(旧中央環状線)は八尾市・東大阪市を通って北河内地域に至る道路で、バイパスの現道中央環状線ができ るまでは重要な幹線ルートでした。186号大阪羽曳野線は左岸堤防を西へ進み、西隣りの松原市内で松原ジャンクション西方の明治橋を渡 って大阪市内へ入り、平野区に至ります。この路線も、国道309号バイパス線や現道中央環状線ができるまでは、藤井寺市・羽曳野市方面 から平野方面に通じる重要かつ便利な道路でした。 府道旧2号では、写真Bに見られるように近鉄バスの路線バスが走っています。近鉄南大阪線の藤井寺駅と近鉄大阪線の近鉄八尾駅とを つなぐ路線です。どちらのエリアも同じ近畿日本鉄道の沿線ですが、相互の方面を直接に結ぶ鉄道路線が無いので、藤井寺−八尾間のバス 路線は昔から重要なバスルートでした。 現在の大正橋は両側に専用歩道がありますが、この歩道は後から増設されたものです。最下段の写真Iが竣工当初の大正橋ですが、元の 橋脚の形状がわかります。写真@で見える橋脚の白く塗装された部分が外側に拡張された梁部で、増設された歩道の鋼製橋桁を支えていま す。写真Aでも橋脚の反対側の様子が見えています。同様の歩道増設は、河内橋(大和川)や石川橋(石川)でも行われました。 |
大正時代に誕生−新しい交通ルート 大正橋は文字通り大正時代に新たに架けられた橋です。「明治橋」もそう ですが、「大正橋」は全国各地に在ります。年数の割に意外と少ないのが「昭 和橋」です。明治・大正時代の方が、新たに架橋された所が多かったのかも 知れません。富国強兵で国づくりを目指した日本では、明治・大正以降に工 業拡大を中心とした産業振興が進められました。増加する人と物の動きに対 応した交通網の整備が急務となったのです。鉄道建設は勿論のこと、道路整 備の柱として主要な旧街道の拡幅整備や新しい幹線道路の建設に取り組むと ともに、架橋事業も進められました。 大正橋の完成は1916(大正5)年でしたが、この時に造られた橋は木橋でし た。交通ルートとしては、現在の羽曳野市古市辺りから大阪市内に至る「古 市街道」に代わる、藤井寺−大正村・八尾町− 奈良街道(現国道25号)− 平 野郷町(現大阪市平野区)という新たなルートでした。古市街道は、藤井寺村 の津堂地区を通り抜けて西へ向かい、松原村(現松原市)の北部で明治橋を渡 って北方の平野へと至るルートでした。上記にあるように、大正橋の所から は現在の府道186号がほぼ同じルートをたどっていると言えるでしょう。 大正橋ができたことで、当時の藤井寺村・道明寺村・古市町などと大和川 北側の大正村・竜華(りゅうげ)村・八尾町などとの行き来が大変便利になりまし た。現藤井寺市域から大和川を越えてそのまま北へ向かって進み、奈良街道 経由で平野・天王寺方面に行きやすくなりました。 |
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C 大正橋周辺の様子 〔GoogEarth 2017(平成29)年5月〕より 橋の中央が市の境界となっている。この辺りの市域境界は複雑である。 記号・文字入れ等一部加工 |
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大正橋は、当時の藤井寺村と大正村という大和川の南北両岸の村によって建設されました。この架橋事業のために、両村による組合が設 立されています。『藤井寺市史 第9巻 史料編七』(藤井寺市 1987年)掲載の史料「南河内郡藤井寺村 中河内郡大正村 架橋組合規約」に は、次のような条文があります。『第一条 南河内郡藤井寺村及中河内郡大正村ハ 古市街道及柏原街道ノ連絡ノ為メ 大正橋架橋ニ関ス ル事務ヲ共同処理スル為メ村組合ヲ設ク』。大正5年6月6日付で藤井寺村議会に提出されたものですが、この後、規約が議決されて組合が 設立され、架橋建設工事が開始されたと思われます。「柏原街道」というのは、後に奈良街道と呼ばれる現国道25号だと思われます。 奈良街道への接続 ![]() D図は、大正橋ができてから12,3年後の周辺地図です。この頃はまだ、大正橋を渡ってからは大正村の太田地区(旧太田村)内の道を通 り抜けて北に向かうルートでした。集落内の昔からの細い道でした。それでも、西の明治橋や東の大井橋(道明寺村)まで行って渡ることを 思えば、ずっと近道で奈良街道の方へ行くことができました。E図はD図から3年後に発行された地図ですが、その間に新しい道路のでき ていることがわかります。太田地区の集落の西側に沿って北へ真っ直ぐ進む広い道路ができています。この道が奈良街道までほぼ直進して 接続します。このルートが、戦後になって府道2号の基となっていくのですが、それまでには、もう一度新しいルートに道路が造り替えら れます(後述)。地域を通る道路の変遷には、その地域全体の様子の変化が反映されているのです。 |
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D 架橋から10年後頃の地図 着色・文字入れ等一部加工 藤井寺地域−大阪市・中河内地域間の新しいルートができている。 〔陸地測量部1/5万地形図 1929(昭和4)年発行〕より |
E 架橋から15年後頃の地図 着色・文字入れ等一部加工 大正村(現八尾市)太田地区の集落外に新しい道路ができている。 〔陸地測量部1/5万地形図 1932(昭和7)年発行〕より |
土橋だった大正橋−昭和10年 右の写真Fには昭和10年当時の大正橋が写っています。掲載された 本の写真説明には、『昭和10年11月9日 第4師団秋季演習旅団対抗(第 2日目) 約6200人の学生が参加 八尾から大正橋を渡って南下中の 北軍の中等学生軍』とあります。写真の中等学校(現在の高校)の生徒隊 は南下中なので、手前側が南側(藤井寺側)ということになります。 6,200人もの人数なので、何校もの学校から生徒が動員されたのでしょ う。2個連隊分にも相当する人数です。2年後の昭和12年には日中戦 争が始まります。大阪の第4師団も中支那方面に派遣されました。さら にその4年後には太平洋戦争も始まります。この写真の中の生徒でも、 戦地に送られ若い命を散らした者は少なくなかったことでしょう。少々 複雑な気持ちになる1枚です。 写真の大正橋が、大正時代に架けられた橋だと思われます。橋の完成 から19年後の様子です。橋自体は木橋の構造ですが、道路面を見ると、 |
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F 演習で大正橋を渡る中等学生(現高校生)(南西より) 藤井寺側から見ている。構造は木橋だが、写真では土橋であった 様子がわかる。 1935(昭和10)年11月9日 『カメラが撮らえた 大阪の昭和』(株式会社KADOKAWA 2013年)より |
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土橋になっていることが見て取れます。「大正橋」の標柱が印象的ですが、その右側に3本の木杭が立っています。この演習のために打ち 込まれたものか、以前から常時存在したものなのかはよくわかりません。常時在ったとすれば、自動車や荷馬車は通れなかったことになり ます。架橋の目的から考えると、おそらくは前者の方ではないかと思われます。 |
戦後の大正橋周辺の様子 続いた戦争もやっと終わり、敗戦から3年後に撮影された空中写真が写真G です。当時の駐留米軍が各地を何年間か撮影してきた中の1枚です。今となっ ては、「よくぞ撮っておいてくれた」と思える貴重な写真です。E図と比べて 見ると、変わっている点のあることに気づきます。そう、道路です。 南から津堂城山古墳をかするように大正橋に至る道路ができています。現在 の府道旧2号・旧中央環状線ですが、1938(昭和13)年に府道八尾藤井寺線とし て開通しました。大正橋を渡るとこの道路は西側へ旧カーブして堤防に沿って 進み、また北へ向かってカーブして行きます。E図で登場していた太田地区西 側の新しい道路が、途中で曲げられていたのです。直進して奈良街道に接続し ていたルートが、なぜこんなことになったのでしょうか。 飛行場の下を通る府道 写真に一部が入るようにトリミングしましたが、右上に「旧陸軍大正飛行場」 が見えます。この飛行場は後に現在の「八尾空港」となりますが、この写真の |
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G 戦後間もなくの頃の様子 文字入れ加工 〔米軍撮影 1948(昭和23)年9月1日〕より 大正飛行場が拡大されたことで、府道は迂回路に変えられた。 |
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当時は占領連合国軍の米軍に接収されていました。集落や道路の様子は戦時中とほとんど変わっていません。 1934(昭和9)年(33年,38年説もあり)、大正村に700mの滑走路が造られ、民間飛行機パイロット養成の「阪神飛行学校」が開校しました。 1940(昭和15)年には陸軍へ移譲され、「陸軍大正飛行場」となりました。翌昭和16年に敷地が約6倍に拡張され、飛行場は北・西側へと拡 張されました。北へほぼ直進していた府道八尾藤井寺線は、この拡張によって分断され西へ迂回させられましたが、道路の一部が誘導路と 交差するため、この部分の府道は地下道に変えられました。写真Gで見える旧カーブの道筋は、延長された滑走路を迂回するために西側へ 曲げられたルートだったのです。ちなみに、写真左上に見える大正小学校も飛行場拡張によってこの場所に移転してます。元は太田地区の 北方、旧大正村の中心部で元の府道沿いにありました。 ![]() 府道の地下道部分は戦後になってからもそのまま使用されましたが、平成時代に変わる頃に空港西側部分の駐機場が廃止されたことによ り、新たに地上道路が造られました。私は乗せてもらった車で一度だけこの地下道を通ったことがありました。鉄道線をくぐるアンダーパ スよりは明らかに長く、「何でこんな所に地下トンネルが?」と驚きましたが、この時初めて空港施設の地下であることを知りました。現 在の地図や空中写真でも、府道旧2号が迂回ルートになっていた様子はわかります。 飛行場は、1954(昭和29)年の米軍撤収により日本政府に返還され、1956(昭和31)年3月31日に国管理の「八尾飛行場」となりました。その 後、1961年に空港整備法上の第2種空港に指定され、1967(昭和42)年に「八尾空港」と改称されました。現在は小型飛行機やヘリコプター の空港として利用されています。陸上自衛隊八尾駐屯地・大阪府警察・大阪市消防局などの公的機関のほか、宣伝広告・写真測量・遊覧飛 行・報道などの民間事業者も拠点として利用しています。 ![]() |
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H 架け替え工事中の大正橋(上流側 東より) 旧大正橋の様子もよくわかる。 1951(昭和26)年と思われる |
I 完成した新しい大正橋(下流側 西より) 竣工当初の橋脚や橋桁の形状がわかる。 1952(昭和27)年頃 |
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国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所公式サイト −「大和川について」−「大和川の懐かしい写真展示館」より (提供者:山田 康博氏 撮影:弓場氏) |
架け替えられた大正橋−コンクリート橋へ 大正橋は写真Gから4年後の1952(昭和27)年に、新しいコンクリート橋に架け替えられました。木橋の大正橋が貢献したのは36年間と いうことになります。写真Hがその建設工事の様子を伝える1枚です。木橋であった初代大正橋の様子もわかります。写真は鉄筋コンクリ ート橋脚を造る工事の様子ですが、木橋の上流側に造られていることがわかります。大和川河川事務所サイトの写真説明では「年代不明」 となっていますが、竣工が1952年なので、おそらくは前年の1951(昭和26)年ではないかと思われます。説明によれば、写真撮影者の弓場氏 は工事の現場監督であったそうです。 写真Iは、新しい大正橋が完成して間もない頃に撮られたものと思われます。今の姿とは異なる、完成当初の大正橋の様子です。木橋に 代わって鉄筋コンクリート製の立派な恒久橋が誕生しました。この橋の完成によって、藤井寺地域−八尾地域間の自動車交通は大きく前進 することとなりました。10年余り後には、急速な自動車社会化が始まります。それを見越したかのような橋の架け替え事業でした。 その後、写真で見える立派な欄干は、現在は鋼板ガードレールに替えられていますが、軽量化のためと思われます。その外側に専用歩道 が増設されて、金属柵の欄干が設置されています(写真AB)。 ![]() |