日日雑記 December 2002

10 更新メモ(走れ!映画)
30 目白、矢野誠一著『東都芝居風土記』、古本お買い物帖#01/

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12月10日火曜日/更新メモ(走れ!映画)

走れ!映画に映画タイトル追加。

新文芸坐の東宝特集は観たい映画目白押しだった。
結局いろいろ見逃してしまったけれども、
岡本喜八は3本とも観ることができたのでよかった。
今年1月に阿佐ヶ谷の映画館で『結婚のすべて』を観たのが最初だったから、
思えば、岡本喜八は今年初めて知った監督のひとりということになる。

後日、山口瞳の男性自身シリーズ『少年達よ、未来は』を読んでいたら、
以下のようなくだりがあって、あらためて今回の東宝特集を思ってしみじみだった。

《岡本さんが影響をうけたのは、すこし意外な感じがするが、成瀬巳喜男であり、
岡本さんの方向を決定したのは成瀬さんの『浮雲』であったという。
また、映画の『浮雲』は、成瀬さんの最高傑作であるそうだ。
つまり、岡本さんにおいては『浮雲』と『江分利満氏』と『肉弾』はつながっているのである。》

この文章によると、岡本喜八が自分の作品のなかで一番好きなのが、
『江分利満氏』なのだそうで、その『江分利満氏』を観られたのも嬉しかったけれども、
『ああ爆弾』と『独立愚連隊西へ』もなんとまあ面白かったこと!
その濃さに疲れてしまうところもあったけれども、一度は観ておかねばならぬ。

それから、その山口瞳の文章の締めくくりがとても素敵だった。

《昭和二十一、二年ごろ、助監督の岡本さんと女優の原節子が、
新宿西口の闇市へ衣裳と小道具を買いに行った。そこで林檎も売っていた。
キハッちゃん、食べましょうよと原節子が言って、
二人で林檎を立ち喰いしたそうである。》

映画はほとんど映画館でしか観ないので、
映画を観るということは、どこかへ出かけるということでもあって、
今回たのしかったのが、黄金町のシネマジャックで、
溝口健二の二本立て、『赤線地帯』『祇園囃子』を観たときのこと。

休日にわざわざ早起きして、黄金町へと向かうというのも、
年に何度かあるかないかだけれども、毎回ちょっとした旅行気分を満喫している。

今回は、いつものコース、関内駅にいたる道筋の古本屋のぞきはせず、
映画のあとすぐに電車に乗って、町田市立国際版画美術館へ
《描かれた明治ニッポン―石版画リトグラフの時代》という展覧会を見に行った。
横浜線に乗ったのも町田に行ったのも今回が初めてだった。
美術館のある公園の紅葉がとてもキレイだったのが思いがけない収穫だった。

その展覧会の三日後くらいに、銀座の奥村書店で、
永井龍男の『石版東京図絵』(中公文庫)を買った。
坪内祐三が「極私的東京名所案内」という文章の
「丸の内 帝劇」で紹介しているのを見て以来、気になっていた本なのだ。
さっそく読みふけって、さっそく大好きになってしまう東京小説。
この幸福感をいったい何にたとえよう、などと思いを巡らせてみると、
まさしく、桑原甲子雄の写真を眺めている時間のような、という感じ。

永井龍男は、今年初めて読んだ書き手のひとりで、
『文壇句会今昔』という本を、戸板康二の『句会で会った人』で知って読んだのが最初。

そのまた後日、川本三郎著『東京おもひで草』(ちくま文庫)を読んでいたら、
桑原甲子雄が登場していて、川本さんは、

《そこに写っている銀座や浅草の様子を見るたびに、
成瀬巳喜男のヒロインが立っていても少しもおかしくないと思えてくる、
同じ時代の東京を生きた人間の、都市を見る視線に共通の柔らかさを見るからである。》

だなんて、まあ! 成瀬巳喜男と絡めて桑原甲子雄を論じてくれていて、
なんて素敵なことを書いてくれるのだろうと心がスウィングだった。

と、愉悦はこれだけにとどまらず、晶文社の『東京昭和十一年』に続く写真集、
『夢の町』にはなんと! 戸板康二と桑原甲子雄の対談が収録されているという。

わたしがいつも眺めていた桑原甲子雄の写真集は、新潮社のフォトミュゼだった。
晶文社の桑原甲子雄の写真集は二冊とも高嶺の花だったのだけれども、
これを機に購入する運びとなって、そんなこんなで桑原甲子雄にさらに夢中だった。

……と、そんなこんなで、もう師走。

今年の映画はあと4本にとどめておきたい。見る映画はもう決定済み。





  

12月30日月曜日/目白、矢野誠一著『東都芝居風土記』、古本お買い物帖#01

「待ちかねたわやい」という感じでお正月休みが始まった土曜日、
お呼ばれで目白へ行った。目白の地に降り立ったのは今回が初めて。
その行き帰りの目白通りの並木道がとても素敵で、行き帰りとも大はしゃぎ。
ふとしたときにふらふらっと行きたくなってしまいそうなところが国立と似ている。
お土産の 99 ROUTE DU CHOCOLAT というお店の
チョコレートがとても美味しかった。今度はこれ目当てで目白へ行ってしまいそう。

と、室内でのんびり、コーヒーとチョコレートひとつまみの休日の昼下がり、
届いていた「銀座百点」1月号をペラペラと眺めていたら、
矢野誠一さんの新刊、『東都芝居風土記』(向陽書房)なる本が紹介されていた。
「……芝居の舞台となったところ都内八十三カ所を尋ね歩く。
銀座近辺だと、歌舞伎座がある木挽町、新富座があった新富町、
新橋四丁目には浅野内匠頭終焉之地の石碑があるという。
まったく様変わりしまったところ、建物や記念碑で往時を偲ぶのが可能なところ……」
と、その紹介文をみてびっくり! こ、これはまさしく、
戸板康二の『芝居名所一幕見 舞台の上の東京』[*] の現代版ではないか!

見逃していたのはとんだドジだった、とさっそく買いに行った。
本屋さんの店頭にて、まずはあとがきから先に読んでしまったのだけれども、
わたくしの目論見通り、戸板さんの『芝居名所一幕見』への言及があり、さっそく嬉しかった。

《戸板康二が歩いた「昭和二十八年六月から八月」というのは、
著者自身言うとおり一九二三年の関東大震災、
一九四五年の大空襲の洗礼を受けた東京の町が、
大きく変貌した姿を露呈した時代になる。
だが、一九六四年の東京オリンピック開催が
拍車をかけた経済の高度急成長を体験したことで、
変貌というより生まれ変わった感のあるいまの東京に馴らされきった目には、
この『芝居名所一幕見 東京篇』の伝える東京の風景は、なんともノスタルジックで、
そえられた写真も気のせいかセピア色に見えてくる。
まさに失われた東京にふれている思いがするし、
歴史的仮名づかいと旧字体による達意の文章が、その光景と見事な調和をみせるのだ。》

というわけで、わーいわーいとお会計して、コーヒー屋に寄り道して、ページを順番に繰っていった。
たぶん、この本が2002年最後に買った本、ということになりそう。
2002年見事な幕切れ、という感じで、ほんわかとよい気分の休日の昼下がり。



『東都芝居風土記』のなかで、「おっ」となったのが、目黒の五百羅漢寺のところ。

戦時下に「桜隊」という移動演劇の組織があって、丸山定夫ら九名が広島の原爆の犠牲になった。
丸山定夫の名前を心にくっきりと刻むきっかけになったのが、
戸板康二の『新劇史の人々』[*] で、この本も大好きな本。
去年の夏に阿佐ヶ谷の映画館で見た、成瀬巳喜男の『妻よ薔薇のように』は、
一気に大好きになってしまった「モダーン!」な映画で、丸の内を闊歩する千葉早智子がかっこよかった。
その『妻よ薔薇のように』には丸山定夫が出演していて、
昔の日本映画を見るたのしみは、戸板康二の書物で知った人を見るたのしみでもある、
『妻よ薔薇のように』は、その最たるもののひとつであった。
ちなみに、桑原甲子雄の『東京昭和十一年』のなかの映画館で上映中なのが『妻よ薔薇のように』。

さてさて、目黒の羅漢寺。

《桜隊の殉難碑は、都新聞の花柳演芸記者としてならした
粋人平山蘆江の歌碑とむきあったかたちで境内の「碑のこみち」に鎮座している。
伊藤熹朔のデザインによる碑面に徳川夢声が文字を残し、
合座に丸山定夫、高山象三、……と九人の犠牲者の名前が刻まれている。》

とのことで、丸山定夫だけではなく、ここのほんのわずかの文章に、
平山蘆江、伊藤熹朔、徳川夢声と、気になる人が続々と登場しているのだった。

というわけで、初詣は目黒不動尊に決定。

10月に鎌倉の近代美術館で見た《チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド》は、
ヨゼフの装幀本を次々に眺めてゆくという書物を見るたのしみはもちろんだけれども、
実のところは、カレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』が築地小劇場で上演されて、
その演出はニューヨークで初演のものを踏襲していて、その後の舞台装置の変遷、
云々といった、1920年代モダニズムと日本の新劇史のつながりを
間近に体感できたことが一番の収穫だった。

と、舞台装置のことが気になった直後に、新宿の紀伊国屋画廊で、
伊藤熹朔の舞台装置原画の展覧会があって、その端正な原画がとても美しくて、
久保田万太郎の芝居の装置図を次々に見つけては喜んでいた。
伊藤熹朔の名前は、戸板康二の本でもちょくちょく目にしていて、
久保田万太郎の本の装幀をしていたりもする。
原画の展覧会があまりに美しかったので、ちょっと気になる伊藤熹朔であった。

ところで、舞台装置図というと、演博の帝劇展で見た、
田中良による、小山内薫『息子』の装置図も忘れられない。
矢野誠一さんが、落語の『二番煎じ』を聴くといつもあの装置図を思い出す、
と書いているのを見て、なんだかとても嬉しくて、
今月もっとも頻繁に聴いた落語ディスクは志ん朝の『二番煎じ』だった。

平山蘆江は今年知った書き手のひとりで、
あとで、『演芸画報・人物誌』[*] を繰ってみると、きちんとその名が載っている。
都新聞の記者生活中、もっとも親しかったのが松崎天民、長谷川伸だったのだそうで、
松崎天民の本はちくま学芸文庫『銀座』を読んだばかり。これも面白かった。
都新聞の系譜をたどってみるのもおもしろそうである。

『演芸画報・人物誌』によると、

《蘆江の号のいわれであるが、渥美清太郎によれば、
「顔がむかしの瀬川菊之丞の絵に似ているので、路考をもじって、
蘆江としたのだと自分でいっていた」そうである。
もしそれが実話であったとしたら、これはちょっと類のない筆名だ。
ちなみに、蘆江は文士劇では、女形として出演。『対面』の虎などに扮している。》

なのだそうで、平山蘆江の名前は、役者の俳名が由来なのだ。
まあ、なんてかっこいいこと! と、ますます平山蘆江が気になるのだった。
目黒の羅漢寺に行けば、お墓参りができるかな。

ところで、振り返ってみると、平山蘆江も10月の鎌倉散歩のおみやげだった。
平山蘆江の本は、まだ二冊しか読んでいないけれども、今後の読書が楽しみな書き手の一人。

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