日日雑記 December 2001

16 戸板康二とブローティガンと大村彦次郎
17 熊谷守一美術館のこと
18 銀座と浅草:年の瀬お買い物日記
19 戸板康二お買い物メモ:『演劇走馬燈』と『忘れじの美女』
21 戸板康二お買い物メモ補遺(10月より)
23 不忍池の鴨、戸板康二の『小説・江戸歌舞伎秘話』が復刻

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12月16日日曜日/戸板康二とブローティガンと大村彦次郎

サントリーホールの内田光子さんの公演で、
シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を聴いたのは10日程前のこと。
その日は、演奏会の余韻にひたりつつ、つい夜更かししてしまって、
演奏会の会場で配付していた歌詞の対訳は柴田南雄によるもので、
これがすばらしく流麗でみごとな文章で一気にお気に入りになってしまったのだけども、
その柴田南雄の対訳を見ながら、イヤホンで何度も《月に憑かれたピエロ》を聴いていた。

そんなこんなしたあと、そろそろ眠ろうと思いつつも、本棚の戸板コーナーから、
『思い出す顔』[*] を取り出して、うつらうつらと読んでいくと、
まだまだ夜更かしは続く、戸板康二の本をいったん読みはじめると、
つい夢中になってしまって、つい次から次へとページを繰ってしまうのだ。

この本は、『回想の戦中戦後』[*] 、『わが交遊記』[*] に続く、メモワール的な一冊。
戸板康二を読むたのしみは戸板康二の交友を垣間見ることにもある。
戸板康二のいろいろな本の随所で目にしたことのある交友を、
あらためて違った角度から見ることができる感じで、
いろいろと発見が多いのが常だったのだが、今回もびっくりなことがあって、
つい興奮、ますます夜更かしが続くことになってしまった。

話は、今年9月に池ノ上の十二月文庫という、素敵な本屋さんに初めて行った日にさかのぼる。

当時の日日雑記 (>> click) に、ブローティガンの『東京モンタナ急行』を買って読んだことを書いている。
『東京モンタナ急行』の「兎」という兎を集めている男のことを綴った文章を目にして、
戸板康二がウサギコレクションをしていたというエピソードを思い出してニヤニヤと嬉しかった。
いったいこの男は何者なのだ? って、わたしのなかだけで、
戸板さんということにしてしまおうじゃないかと、ひとりで大喜びしていたのだったが、
なんということなのだろう、ブローティガンの「兎」は本当に戸板康二だったのだ。

『思い出す顔』の《酒席の紳士淑女》によると、
戸板さんが常連にしていた「ザ・クレードル」というお店をやっていた椎名たか子さんが、
戸板さんの集めているウサギのコレクションに多くの珍品を寄与していて、
外国旅行のたびにかならず新しいウサギを届けていてくれていたのとのこと。
その椎名さんがブローティガンと親しくて、その結果、
『東京モンタナ急行』の「兎」という文章が生まれることになったようだ。
初めてこの文章を目にしたとき、ブローティガンの女ともだちは戸板さんの女ともだち? 
と勝手に妄想して楽しんでいたのだけれども、それは妄想でもなんでもなかったのだ。
以前、『思い出す顔』を読んだときはうっかり見逃してしまっていたわけだけど、
それにしても、なんて素敵なことだろうかとも思う。

池ノ上の十二月文庫という素晴らしいお店で『東京モンタナ急行』を買って、
ずいぶんひさしぶりにブローティガンの書物を手にして、そして勝手に妄想して、
それからしばらくして戸板康二の文章で、その妄想の種明かしがあって……。

『東京モンタナ急行』を読んだあとに、「兎」の真相を知ることができたという経緯になったわけで、
『思い出す顔』を初めて読んだときは斜め読みだったのかしら、ともかくも斜め読みでよかったと思った。

それから、『思い出す顔』のあとがきに、《講談社の大村彦次郎君が、
交友を中心にしたメモワールを書きませんかといってくれた。》
という執筆の経緯が記されていて、わたしが大村彦次郎の名前を知ったのは、
4月に初めて殿山泰司の文章を読んで一気にメロメロとなった、
ちくま文庫の『バカな役者め!!』の解説を目にしたときだった。
大村彦次郎による解説の文章はとにかくとびっきり素敵だった。

『思い出す顔』を初めて手にした当時は大村彦次郎の名前を知らなかった。
ちくま文庫の『バカな役者め!!』の解説を目にしたあとに、
『思い出す顔』のあとがきに大村彦次郎の名前が! という、
さる方からのメイルを目にして、えー! あの大村彦次郎が! ととても嬉しかった。
その大村彦次郎は今年『文壇挽歌物語』を刊行して、その文壇三部作が完結した。

まず、戦後10年間の文壇を描いた『文壇栄華物語』(筑摩書房、1998年)を古書店で入手して、
一度読み始めたらつい一気読みしてしまう面白さで、
そのあと、8月に鎌倉の四季書林で『文壇うたかた物語』(筑摩書房、1995年)を買って、
またもや一気読みして、そして満を持してという感じで、『文壇挽歌物語』を読むことになった。

ついこのページには書きそびれてしまったのだけれども、
大村彦次郎の文壇三部作は、今年の本読みの白眉のひとつだった。
大村彦次郎の文壇三部作はとにかくとても面白い。

たとえば、『文壇栄華物語』の第四章で、「モダン日本」に二十歳の澁澤龍彦が
アルバイトにやってきて、編集室におそるおそる入って行くと、
髪の毛を額の上に垂らした老成した吉行淳之介がいて……、
なんていうくだりがあったあとに、

《吉行の勤務する新太陽社から歩いてすぐの、
晴海通りと市場通りの交叉する四ツ角の右向うに、
共立ビルと称する木造総二階の建物があった。
この建物にはいろいろの演劇関係の団体が入っていたので、
高名な劇作家や演出家や俳優が始終出入りしていた。
その二階に戦時中、演劇雑誌が統合されてできた日本演劇社があった。
岡鬼太郎が初代の社長に就任したが、まもなく亡くなったので、
そのあとを久保田万太郎が継いだ。
同社の刊行する「日本演劇」という雑誌の編集長は久保田の慶応の後輩で、
折口信夫門下の英才戸板康二がつとめていた。
戸板は酒好きの久保田に付き合って、目蒲線の洗足の自宅へ帰らずに、
深夜、鎌倉の材木座の久保田の家まで送っていくことがあった。
そしてしばしば泊まる破目になったが、翌朝、社長の久保田は
出社する戸板のために遅刻証明を書いて渡すのも常のことだった。》

なんていうくだりが待っていて、こんな感じのドキドキがいたるところにあるのだ。
思いおこせば、大岡昇平の『花影』を読んだのは『文壇挽歌物語』の余韻がきっかけだった。

そんなこんなで、戸板康二の『思い出す顔』をめぐるあれこれというわけで、
『東京モンタナ急行』の「兎」を全文、もう一度貼り付けておこう。

『東京モンタナ急行』(藤本和子訳/晶文社)より「兎」
  兎を蒐集している友人を持つ知人が日本にいる。ヨーロッパでもアメリカでも、
旅行するときは欠かさず彼女は彼に兎を持ち帰る。おそらく二百羽の兎を彼のために
持ち帰った。そりゃ本物でないにしても、日本の税関を通過した兎の数としては大し
たものだ。彼女の友人は、ガラスであれ、金属であれ、絵であれ、ともかく兎と関係
のある物なら、いかなる方法で表現されていようとも、好きなのだ。
  彼が兎を好きだということを除いては、わたしは彼については何も知らない。年
齢も容貌についても知らない。わかっているのは、ある一人の日本人の男が兎が好き
である、ということだけ。
  知人とわたしが東京の町を歩きまわっているときなど、彼女は彼のコレクション
に加えるための兎を、それとなく探していることが多い。おもしろい置物の類をどっ
さり売っている小さな店など、もしかしたらある種の兎が住んでいるのではないかと
思われる場合には、わたしたちは足を止め、店に入る。
  いまでは、東京をたった一人で歩きまわっているときでも、わたしまでそれとな
く兎を探しているようなことがある。きょうも兎がいそうな気がする所があって、寄
ってしまった。
  一体この男は何者なのだ?
  なぜ兎を集めるのだ?


『東京モンタナ急行』に登場する東京の人びと、そのひとりに戸板康二がいる。

そして「兎」を文面通りにそのまま受け取ると、
一人で東京を歩いてるときでもつい兎を探してしまうブローティガン、
というふうに、ブローティガンの行動にもそこはかとなく影響を与えている、
戸板さんのウサギコレクションというわけで、やっぱり何度読んでもニヤニヤしてしまう。




  

12月17日月曜日/熊谷守一美術館のこと

先週の土曜日、熊谷守一美術館に行った。

数カ月前に、池内紀の『とっておき美術館』という本を
ペラペラとめくっていた折に、初めてその名前を知った美術館だ。

それ以来、そこはかとなく気になっていた熊谷守一美術館に
初めて行ったのは、二ヶ月程前の10月のある土曜日の午後のこと。
実は、それから一ヶ月にも満たない11月のある土曜日の午後にも再訪している。
なので、先週の土曜日の熊谷守一美術館は3度目の来訪ということになる。
なんといったらいいのか、ハマっているとしか他に言いようがない感じだ。

一度目と二度目はひとりでふらふらと出かけていって、
池袋駅から立教大学の前を通って直進、たらたらと歩いて美術館に向かった。
このあたりの道を通るのもそのときが初めてで、
古いアパートに庭先の木々の揺れ具合とか塀の感じとか、
このあたりのなんでもないような光景が実によかった。
昼下がりの青い青い空の下を涼しい空気の中を歩いていくのが気持ちよかった。

先週の土曜日は友だちと一緒に行った。今度は西武線の椎名町駅から歩いた。
椎名町に降りたのも今回が初めてだったのだけれども、
昔からあるような私鉄沿線ならではの風景がとてもいい感じで、
駅前の商店街の通りがかりのソバ屋で昼食を食べたあと歩いて行ったのだった。

熊谷守一美術館は、熊谷守一が40年住んだ豊島区千早の地に、
娘の榧さんが創立した美術館で、コンクリートうちっばなしの素敵な建物。
美術館の扉には、晩年に自画像だと言っていたという同心円の太陽を描いたものがあしらってある。
この扉をよいしょと押して中に入ると、右手には喫茶コーナー、左手に展示室。

受付で、入館料500円を払って、またまた同心円をあしらったノブを押して、
展示室に入ると、壁はなだらかな曲線のコンクリート、床もなだらかに曲線をえがいていて、
ちょっと薄暗い照明の下で、熊谷守一の絵をじっくりと眺める時間が待っている。
部屋の角に愛用だったというチェロが置いてあるのが、また、たまらない。
それにしても、熊谷守一の絵をじっくりと眺める時間、この至福をどう言葉で表現すればよいのか、
洲之内徹の文章に出てきた言葉を借りて、「心がスーッとするような」と言ってしまおう。

そう広くない画廊のような展示室で、熊谷守一の様々な画風の絵、
熊谷守一特有の切り絵のような絵とか、初期の暗い色調の絵とかを見ることできる。
小鳥や《白猫》の絵とか、同心円の《夕暮れ》という絵、
縁側の蝙蝠傘の絵、長女の死を悼んだ《仏前》という卵を描いた絵、
これらの一連の切り絵のような絵を初めて見たときの、まばゆいばかりの清々さとか無限さ、
とにかくもう「スーッとするような」としか他に言い様がない感じだった。
初期の暗い色調の、たとえば《ハルシャ菊と百合》という絵なども、
筆を押しあてて重ねていった感じの暗い色調なのに不思議とスーッとするような明晰さ。
《桃のある風景》という、やはり絵筆をおしあてた単純な色の線の組み合わせのような絵も大好きだ。

ドアの近くにある墨絵とか書や陶芸の曲線とか色とかもいかにも熊谷守一の筆にぴったりな感じで、
展示室全体の熊谷守一のすべてに心を奪われてしまう。美術館の二階は貸し画廊になっていて、
その階段の途中にあるチェロを弾く熊谷守一の写真がむちゃくちゃかっこいい。
展示室の片隅のチェロや絵の中の猫や小鳥など、登場するモティーフが実にいい感じでもある。



そして、熊谷守一の絵そのものを見ることももちろんだけど、
熊谷守一美術館の至福は、カフェテリアでのんびりすることにもあって、
3度目の来訪となった先週の土曜日にも、つい長居をしてしまった。

帰りは、池袋のジュンク堂をのんびりとめぐった。
前から欲しかった『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』(求龍堂)を買った。

初めて熊谷守一の絵を見た日、熊谷守一の自伝の『へたも絵のうち』(平凡社ライブラリー)を買った。

この本は、日経新聞の「私の履歴書」に載ったもので、
熊谷守一が話したことを記者が文章にまとめたものだそうで、
それゆえに、熊谷守一の語り口を直に味わえる幸福な書物となっている。
美術館から帰った日に一気読みしてしまったのだったが、
一言で言ってしまうと「無欲恬淡」、ますます熊谷守一が大好きになってしまう本だった。

特に、多摩川でおぼれて死にかけたところのくだり、

《おぼれているとき、ひどく忙しかったことを覚えています。
「こんなに忙しいのは生まれて初めてだ」と、おぼれながら思ったものでした。
結局、まだ死にたくないから忙しかったのですが、助けてくれた人は、
私のおぼれ方は上手で、助けやすかったそうです。》

というところがいいなあ……。

解説の赤瀬川原平の文章が、うまく言葉にできない熊谷守一の至福を言い当ててくれている。

ここ最近、バッハのイ短調のヴァイオリンソナタのフーガが好きで、
今日もそれを聴きながら、土曜日に買ったばかりの『熊谷守一画文集』を眺めていた。

とりわけハッとなったのが、次男の陽が4歳で死んだときのくだり、
《陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描き始めましたが、
描いているうちに "絵" を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました。》
というところだった。

この文章を受けて、『へたも絵のうち』の解説で赤瀬川原平は、

《これがこの人の絵画論だ。あるいは観察学だ。その気持ちが手に取るように伝わってくる。
この人から発するものは、絵も言葉も、ほとんど同じ性質を持っている。
この言葉の感触に、内田百間の文章を知ったときの嬉しさを想い出した。
そのときも一目見て、つまり二ページほど読んで、
世の中にこんなものがあったのかと嬉しくなった。
そのことでいうならば、ぼくとしては深沢七郎、内田百間と知ってきた三人目の嬉しさである。
何かしら味わいの質が似ている。そうだ、その間に小林秀雄のカセットテープがあったから、
順としては四番目か。》

というふうに書いている。

わたしは、初めて熊谷守一美術館で彼の絵をみたとき、
武田百合子さんの文章に感じる愛おしさと似たような気持ちになって、
むやみやたらに胸がいっぱいになってしまっていたのだけれども、
それもまさしく、そういうことだったのかもしれないなと思った。





  

12月18日火曜日/銀座と浅草:年の瀬お買い物日記

夕方、ふらりと銀座に立ち寄って、ふと思い立って伊東屋に行った。
来年の手帳のリフィルを買っておこうと手帳売場に行ってみると、大混雑。
これぞ年の瀬の風物だなあと、なんだか急にはしゃいでしまった。
行列の末に手帳を買ったあとは階段を下って、伊東屋特製の小さなアルバムを買いに。
これは歌舞伎座で購入している舞台写真用、7月から先は未整理のままだった。
買いもの済ませて満足満足、意気揚々と外に出て、今度は歌舞伎座に向かって歩いた。

10日ほど前に夜の部を見物した今月の歌舞伎座なのだけども、
『吃又』に『妹背山』、それぞれに印象深い舞台だった。
そのときはまだ舞台写真が出ていなかったのだが、
アルバムを買ってしまったことだし、ふつふつと今月の舞台写真が欲しくなってしまった。
友だちの話だと、上演中なら頼めばロビーに入れて舞台写真を買うことができる、
というようなお知らせがどこかに出ていたとのこと。
「でも、そんなにまでして買わなくてもねえ」「ねえ」
というような会話を、10日前に歌舞伎見物に行った折にしていたというのに、
その舌の根もかわかぬうちに一人でこっそりと買いに行ってしまうわたしだった。

夜の部上演中の歌舞伎座のまわりは、当然のごとく、
いつも知っている開演間近および終演直後の劇場とは雰囲気が全然違う。
これがなかなか新鮮な気分、思いがけなく楽しい時間だった。
受付のお姉さんに舞台写真を買いに来たことを申し出ると(さすがに少し恥ずかしい)、
こころよく中に入れてくれて、舞台は『妹背山』が始まろうとしているところで、
「道行」は人形振りなので、文楽みたいに上演前に黒子が演奏者と役者の紹介をしている、
その声が遠くに聞こえてきくるのが、耳に心地いい。舞台は遠い。
ロビーにはまだ結構人が残っていて、そのサワサワした空気も心地いい。

そんななか、舞台写真を4枚ほど選んだ。『吃又』『妹背山』、それぞれ二枚ずつ。
今月は望んでいたとおりのよいアングルの写真があって、満足満足。
いつもは人ごみにまみれるようにして通るロビー、上演中はがらんとしている。
戸板康二の本で、劇場のロビーを昔は「大間」と言っていたというがあったのだけど、
なんだか今日は不思議とその「大間」という言葉が鮮やかに頭に浮かんだ。
吹き抜けの天井をほんのちょっと仰ぎ見て、受付のお姉さんにお礼を言って、外に出た。
歌舞伎座のドアを閉めると、外はヒューッと師走の風が吹いている。

というわけで、今月の舞台写真に満足すると同時に、
いつもとは違った劇場の光景を味わうこともできたわけで、ちょっとよい気分だった。
そんなちょっとよい心持ちのまま、都営浅草線に乗って、今度は浅草へ。

こんな感じの、銀座から浅草、というコースをたどるのもひさしぶりだ。夏以来だ。

きずな書房へ、戸板康二の本を買いに行く。
ここで戸板康二を買って、浅草のコーヒーを飲みながら繰るのが至上の快楽。
きずな書房はいつ来ても、読んだことのない戸板康二がわんさと売っているので、
まだまだ楽しみが尽きなさそうなのが嬉しい。

どうしようかしらッとしばし迷って、一冊に決めるつもりだったのに、
誘惑に負けて今日は二冊、いずれも三月書房発行のエッセイ集、
『演劇走馬燈』[*] と『忘れじの美女』[*] を買った。
それと、中村真一郎の『俳句のたのしみ』(新潮文庫)を買った。
今日初めて知った本なのだが、なかに久保田万太郎のコーナーがあったので。
ここ数カ月、久保田万太郎の俳句が心の奥底にベタリと貼り付いて離れない。

浅草の道をぶらぶら歩いて、アンヂェラスの前を通った。
ウィンドウの古風なクリスマスケーキを眺めつつ中を覗いてみると、
絵が何枚か飾ってあるのが見える。洲之内徹の本に出てきた絵はどれだろう。
アンヂェラスは外からのぞいただけ、今日は伝法院近くの喫茶店に行った。コーヒーがおいしい。

戸板康二の本を読みふけったあと、中村真一郎の本を読む。
中村真一郎の解説の効果もあって、万太郎俳句がしみじみ胸にしみいる。

思いがけなく、浅草で久保田万太郎の俳句にひたることにもなってしまった年の瀬の夜。

先月、平成中村座に行った折の浅草散歩がとても楽しかった。
そのとき前から気になっていた、浅草神社内の久保田万太郎の碑を初めて見た。

その碑には、

竹 馬 や い ろ は に ほ へ と ち り ぢ り に

という句が刻んであった。

この句に関して、中村真一郎は、《その下町の小学校の校庭に立って、
昔の遊び仲間の四散した様を思い、愉しかった幼時を追想した名句。
「いろはにほへと」が、小学校の教室の思い出を響かせている。
機智と抒情味とにあふれた、「江戸っ子」の面目を示す。》というふうに書いている。





  

12月19日水曜日/戸板康二お買い物メモ:『演劇走馬燈』と『忘れじの美女』

● 『演劇走馬燈』(三月書房、昭和59年)[*]

わたしは三月書房の小型本の大ファン、書店で見かけるたびに頬を緩ませてしまう。
戸板康二の本だと『わが交遊記』[*] を持つのみだったので、
あらたに三月書房の小型本を手にしたよろこびと、
戸板康二の新しい本を読むよろこびの同居がまずは嬉しかった。
ちなみに、三月書房の小型本、次回は大岡昇平の『スコットランドの鴎』と心に決めている。

さてさて、『演劇走馬燈』は、芝居に関するエッセイを収録していて、
歌舞伎だけでなく新劇にも造詣の深かった戸板さんの姿がしのばれる構成となっているのだが、
特に面白かったのは、やっぱり歌舞伎についての文章、
とりわけ第二章の《脇役の名舞台》がまさしく目が醒めるくらいに面白い。

戸板康二の半世紀以上の長きにわたる観劇歴で、印象的だったあの役者のあの脇役、
という感じの内容で、戸板さんのなめらかな筆致の効果で、
役柄の特徴と同時にその役者の特質が鮮やかに伝わってきて、
こういうふうに複眼的に脚本、役者、役柄に接するのが目標だなあと、
少しずつ自らの芝居見物も深めていきたいなと、明日の歌舞伎見物の意欲がモクモクと湧いてくる。

『四谷怪談』の宅悦は能のワキと同じ役割で、シテの暴れを見る客席の代表だ、
という言葉が示しているような感じの、脇役ともに舞台を見る視野を教えてもらった。

《脇役の名舞台》で印象的だった箇所を二、三挙げてみると、
たとえば、『髪結新三』の勝奴、わたしは、菊五郎の新三のときに八十助、
勘九郎のときは染五郎、という配役で見たことのある役だったけれども、
新三の方につい目が行ってしまって、勝奴の方は新三の子分という印象しかなかった。
六代目菊五郎の新三のときの五代目松助の勝奴を綴った戸板康二の文章は、
なかなか一筋縄ではいかない男、いろいろな要素が混在する勝奴の姿を教えてくれる。
さらに、その勝奴を「たくみに実在させる」五世松助のこと、
六代目と五世松助の「師弟の気持ちいい間柄」を思わせる、
「新三の内の源七の出の時に、植木鉢の棚を六代目と五世松助が眺める姿」のこと、
戸板さんの文章は、遠い昭和初期の劇場の椅子に座ったような気分なのだ。
今度見るときの『髪結新三』の勝奴はどんなふうだろうと、突然たのしみにもなる。

それから『伊勢音頭』、十五代目羽左衛門の貢のときの八世沢村訥子のお鹿は、
戸板康二のお鹿に対するイメージを開眼させてくれたのだそうで、
「お鹿という女のリアリティのようなものをハッキリ表現して、
しかも歌舞伎を逸脱しない傑作だった」というくだりにうーむなるほどッと唸った。
八世沢村訥子はかつて貢を演じた役者で、
貢を演じた役者だからこその名演というのもなるほどなあという感じだった。

あと『一本刀土俵入』、三代目左團次の掘下げ根吉、
わたしは一度だけこの演目を見ているがこの脇役の記憶はまったくない。
「いわば並みの人物でなく、一種の人生観を持つ、深みのある男」、
「作者の長谷川伸が尊重したワイズマン」というくだりが、
戯曲への視点が広がる感じで、じつに鮮やか、三代目左團次の姿も目に浮かぶよう。

『修禅寺物語』の修禅寺の僧を演じる市川左升、
「さとりすました名僧智僧でもないののだが、源氏と北条氏のいがいあう姿を
浅ましいものとしているアウトサイダーで、それが一種の達観であり、洒脱な人柄となっている」。
このあたりも、明日の綺堂読みの意欲が湧いて来るような感じで、
役者への視点と同時に演目そのものへの視点といった戸板さんの文章は魔法のよう。

黙阿弥の『直侍』の千代春という花魁、ここのくだりもとてもよかった。
この演目は仁左衛門と玉三郎のを一度観たっきりなのだが、
わたしが見た千代春は誰かしらと当時の筋書を繰ってみたら、芝雀だった。
按摩丈賀は又五郎さんだった。この演目を観た日は、初めて戸板康二の本を買った日でもある。
それにしても、思えば遠く来たものだなあと思う。

……とかなんとか、油断すると、つい長々と書き連ねてしまうのだけれども、
戸板康二の文章はいつだって芝居のたのしみの無限さを垣間見せてくれる。
戸板康二の文章とともに芝居を見るよろこび! と、いつも思っていることを今回も痛感した。

山口瞳の追悼文に、戸板康二と「チョイ役賞」について話し合ったというくだりがあったけれども、
山口瞳の言う通り、戸板康二は「観る達人」だ。そして「書く達人」だ。


● 『忘れじの美女』(三月書房、昭和63年)[*]

『演劇走馬燈』は「愉しい上に役に立つ」と戸板康二とともに芝居の勉強、
という肌合いなのだが、『忘れじの美女』の方は「楽しいエッセイ集」という感じで、
ページをめくる指を止めることができない、つい読みふけって頬を緩ませ、
おしまいに近づいてくるとちょっと寂しい、でもやっぱりページをめくる指は止まらない。

俳句に関する章があって、この頃、俳句に関する文章が多くなってきたということが伺える。
戸板康二の俳句本というと、『万太郎俳句評釈』を読む日を心待ちにしている。

それから、ウサギを集める男・戸板康二の詳しい事情を初めてまとめて読むことができて、
第三章のウサギに関する章が楽しくて楽しくて、初出が「銀座百点」なのがいかにもだった。
掲載誌の特徴がよく出ているし、戸板康二にいかにも似つかわしい。

「食べ物との出会い」という、文字通り食べ物との出会いを綴った文章もニンマリしっぱなし。

《最後に、学生のころから、一度食べたかったのが、
銀座の吉田のコロッケそばであったが、気おくれして、いつも注文せず、
半世紀すぎた二年前、博品館劇場の楽屋に、金子信雄君がとってくれたので、
はじめて長年の宿願をとげた。》

というくだりに、大笑いしてしまった。まさしく「Me too ! 」だった。
そうなのよ、吉田、そんなにしょっちゅう行っているわけでもないにもかかわらず、
いつもつい照れてしまう、でもちょっと気になる。コロッケそば、せめて一度だけでも……。
なんて、わたしの長年の宿願はいつ果たせることやら。

ほかにも、お能や京都に関することをあらためて目にして、
戸板康二とともにこれからぜひお能や京都、俳句に触れていこうッ、と今後の生活の設計も。
それにしても、この種の戸板康二のエッセイ集が大好きなあまりに、
つい買い漁ってしまい、未読本が残り少なくなってきているのがちょっと寂しい。




  

12月21日金曜日/戸板康二お買い物メモ補遺(10月より)

● 『街の背番号』(青蛙房、昭和33年)[*]

10月、歌舞伎座の昼の部の帰りにふらりと物見遊山気分で綾瀬に行った。
金子さんのページで話題になっているのを拝見して、
わたしもフツフツと綾瀬のデカダン文庫という古本屋さんに行ってみたくなった。
とりあえず、デカダン文庫という古本屋さんはスゴイのだそうだ……。
このあたりに来るのは初めてだったので、ついキョロキョロ。
北千住から綾瀬に至るところで電車が荒川をわたる瞬間がとてもよかった。
後日、川端康成の『女であること』を読んでいたら、
拘置所の父を訪ねる少女が車窓から小菅方面をアンニュイに眺めるくだりがあって、
そこを読んで、この日のデカダン文庫行きのことを懐かしく思い出した。

それにしてもデカダン文庫は壮絶だった。理性が吹っ飛んで(いつも吹っ飛んでいるが)、
大散財してしまい、ふたつ行くつもりだった平成中村座をひとつ諦めることで帳尻を合わせた。

さてさて、その大散財のうちの一冊が、この『街の背番号』[*]
あっと驚く洒落たつくりの一冊。矢野誠一著『戸板康二の歳月』(文藝春秋)によると、
装幀を担当した岡村夫二は、日本芸能学会の機関誌「芸能」の表紙を描いていた挿絵画家で、
「芸能」に常時寄稿していた戸板康二直接の依頼で実現した装幀だったとのこと。
戸板康二のエッセイを読んでいると初出誌として「芸能」の名前をよく目にする。
岡村夫二による「芸能」の表紙はどんな感じになっているのだろう。戸板康二好みだったに違いない。

デカダン文庫の帰り道、綾瀬の駅前のコーヒー店でさっそく
『街の背番号』を読みふけって、とっぷりと日が暮れてしまった。
400字以内の短いエッセイが項目別にわんさと並んでいて、実にたのしい。
戸板さんのこういうエッセイ集が大好きなのだ。

戸板康二全著書リスト(>> click) を見てみると、この『街の背番号』は、
演劇から離れた随筆集のみの書物としてはごくごく初期のものということがわかる。
のちの何冊も出版されることになるエッセイ集、随筆の名手としての戸板康二の
面目躍如たるものがあって、『ちょっといい話』の系譜にもある一冊ともいえる。

わたしは戸板康二に夢中になったきっかけは昭和20年代の歌舞伎本だったのだが、
さらに夢中になるきっかけになったのが、旺文社文庫の三冊をはじめとする随筆、
それから文春文庫の『ちょっといい話』や人物誌シリーズで、
戸板康二道はもうどうにも止まらなくなって、現在に至っている。

というわけで、『街の背番号』を読む時間は、
ページをめくる指が止まらないッ、といういつもの状態になりつつも、
戸板康二に夢中になったまなしの頃の新鮮な気持ちに立ち返る時間となって、
胸がジンとなった。洒落た装幀と相まって本全体にうっとり。いわゆる頬擦り本。


● 『うつくしい木乃伊』(河出書房新社、平成2年)[*]

10月のある週末、新しい帯があるからコイコイと祖母が言うので、ホイホイと祖母宅へ行った。
さて、祖母宅の帰りは、自由が丘をふらふらと散歩するのが毎回のパターンである。
自由が丘というと、文生堂という古本屋がある。特に探偵小説専門の三号店が魅惑的だ。
しかし、文生堂三号店に行くといつもお金がなくなって困ったことになるので、
ここ数カ月はわざわざ自粛していて、すっかり足が遠のいていた。
それがちょっと気が向いて、文生堂の一号店をふらりと覗いた。
その少し先に二号店があって、ふと見ると、その二階に三号店があるではないか。
以前はもっと先の方にあったのだが、いつのまにか二号店の二階に移転していたようなのだ。
というわけで、実にひさしぶりに文生堂三号店に足を踏み入れたのだったが、
前よりも売場が広くなっていて、しかも品揃えはなかなかいい感じで、眺めて楽しい。

中村雅楽シリーズはどれくらい売っているのだろうかとそのあたりの売場を見に行ってみると、
戸板康二の推理小説はあまり在庫していなかった。在庫していたとしても高価なので、
ああよかったと思わず安心してしまった。と、そのとき目に入ったのがこの『うつくしい木乃伊』[*]

この本は、戸板康二の短編小説集である。いままで手に触れたことがなかった本なので、
ふと手にとって目次を眺めてみた。そして目次を眺めて、驚愕。
こ、こ、これはいったい……。んまあ、なんということなのでしょう!
その理由はあまりにくだらないのだけれども、
目次に並んでいるあるタイトルを見て、あら大変と大興奮。
あら大変とソワソワしつつも、値段がちと高かったので店頭では購入せず、
こうしてはいられないと、大急ぎで帰宅。そんなこんなで、
文生堂の半額以下で売っていたのをネットで見つけて注文することとなった。

届いてすぐに読み通した。戸板康二の小説を読んでいると、
他のエッセイで目にしたエピソードが使われていることが多くて、
あの素材がこういうふうに小説にいかされているのかと、
そんな戸板康二のパロディ精神とでも言おうか、書き替えぶりが楽しい。
というふうに、小説そのものを味わうというよりも、
戸板康二の筆のあとさきに思いをめぐらすことが多い。

事件と呼ぶには大げさな、日常のちょっとした謎のようなものを
扱っている戸板康二の小説は、ああ、こういう推理小説があったのかッ、
と初めて読んだとき目から鱗が落ちる思いだった。
それから、戸板康二の小説では、最初は不快に思ったある人なり
物事なりの裏には事情があって……、という展開をよく見るように思う。
結末は、その事情が解決することで、ほんわかとよい気分というわけなのだ。

そういうところに、戸板康二の人間を観るまなざしを垣間見ることができる。
世の中にはいい人ばかりではないし、いやなことだってたくさんあるけれども、
そこをいかに渡っていくか、ちょっと視点を変えて、
他の人への想像力をちょっと働かせてみるだけで
世の中の見え方が変わってくるのではないか、という感じの、
うまく言えないのだけれども、世間と折り合う技術のようなものが
戸板康二の小説を読むとおぼろげに見えてくる。


● 『おととしの恋人』(三月書房、昭和60年)[*]

もうすぐ師走になるいうある水曜日、銀座で待ち合わせて映画館に向かった。
水曜日は1000円デーなので、『オー・ブラザー!』を観に行きましょうということになったのだ。

その待ち合わせの前に、少し時間があったので、
東銀座の駅を出て歌舞伎座をぐるっと廻って、
マガジンハウスの前を通って、次の角を曲がって、
というふうにして、銀座通りの方面へと向かった。
こんな感じの無目的な銀座ふらふら歩きが好きだ。
その途中に、奥村書店の新しい店鋪の前を通りかかったので、ふらりと中へ。

演劇書専門の4丁目の奥村書店もよいのだけれども、一般書を扱っている二つの店鋪、
この日に買い物した新しいお店と松屋の裏の方にある3丁目店も、
棚に並んでいる本のタイトルがそこはかとなくいい感じで、通りがかる度につい眺めてしまう。

新しい奥村書店は、以前松屋の裏にあった一番小さな店鋪が移転して開店したもの。
じっくりと棚を眺めて、戸板康二の本が並んでいる一角を眺めて、
青蛙房の『対談日本新劇史』(昭和36年)を眺めて「おっ」となった。
村山知義との対談も載っていて、とっても面白そう。

でも、その日は、ほかの本を買った。
わたしの大好きな三月書房発行の戸板康二のエッセイ集、
刊行順に少しずつ買い揃えて、8月に買った『目の前の彼女』[*] の次の
『おととしの恋人』[*] が棚に並んでいるのを見つけて、値段も数百円なので、
んまあ、ひさしぶりに三月書房の楽しいエッセイ集を読む快楽がやってくるなんて、
こんなに嬉しいことはない。というわけで、『おととしの恋人』一冊のみのお買い物。

そして、乱歩の言葉を借りると、おいしいものを噛みしめるようにして、
次の日に、さっそく『おととしの恋人』を読みふけったのだった。

日常をとりまくあれこれ、昔の東京に関する雑感、交友記的な文章や書評に追悼文、
どこを読んでも至福のひとときで、と同時に、「おっ」と付箋を挟んだりもしてしまう。
「物見遊山」という言葉についての文章に、「Me too !」と嬉しかった。
わたしも「物見遊山」という言葉が大好きなのだ。美しい日本語だと思う。

《久保田(万太郎)氏はロシアの作家、チェホフが好きだった。
チェホフの芝居に、モスクワから大分遠い町に住む人々が、
湖畔で休日を過したり、欠伸をしながら新聞を読んだりする人物が描かれているが、
帝政ロシアの中流階級の遊山の気分が、舞台に示されていて、おもしろい。》

という一節もあった。

それから、古書のよろこびを綴った文章も同感することしきりで嬉しい気分、
なのだが、《ぼくは若い女子学生が開門と同時になだれこんで、
八方に散ったりする古書展には、いささか恐怖すらあって、足が向かない。》
というところに「ありゃりゃ」と反省をうながされたりもするのだった。


● 『みごとな幕切れ』(三月書房、平成2年)[*]

師走に入って気の張った毎日に、深いため息をついているある日、
家にかえる前にちょいと夜の町を散歩。月が白く輝いている。
少し歩いて、とある古本屋に行ってみると、昔の「暮しの手帖」が計7冊売っていて、
しかもあまり見たことのない、一世紀前半の号(昭和30年代)ばかりだったので、
その花森安治の表紙デザインと相まって、とにかくうっとり。疲れが一気に吹っ飛ぶ。
値段は1冊300円、こうなったら買い占めろ! と、全七冊を衝動買いした。嬉しい。

店員さんは「暮しの手帖」衝動買いのわたしの姿に異様な気配を察したらしく、
ちょくちょく入れておこうと思いますので、またいらして下さいね、と親切なことを言ってくれる。
この頃の「暮しの手帖」は今読んでも面白いですよねえ、とも言ってくれて、
「そうですよねえ」とかなんとか話していて、「でも、今の暮しの手帖は全然面白くないですよねえ」
とも言っていた。うーむ、たしかにその通りかもしれないなあ、と軽いため息。
でも、毎年10月に出る「御馳走の手帖」は文句なしに面白いと思う。
それに今の暮しの手帖だって、料理ページと「すてきなあなたに」は素晴らしい。

そんなこんなで、後日、「暮しの手帖」最新号を眺めていたら、
編集後記のところに、別館が閉館したというお知らせが載っていた。
ああ、あの空間はもうなくなってしまったのか、と遠い目になってしまった。
わたしが戸板康二の文章を初めて読んだのは、六本木の暮しの手等別館での出来事。
それにしても、なんてみごとな出会いだったことだろう! と今にしては思う。

さてさて、この『みごとな幕切れ』[*] は、むかしの暮しの手帖を買って、
よいしょと歩いている帰り道、通りがかりの他の古本屋で見つけたもの。
暮しの手帖衝動買いで気が大きくなっていて、その勢いで戸板康二を買った。
このあたりは夜遅くまでやっている古本屋が何軒もあるのだ。
そして、帰り道に入ったこのお店はいつもクラシック音楽が流れていて、
その日は、モーツァルトのディヴェルティメント K.563 が流れていて、
大好きな音楽を思いがけなく耳にして、生命がのびるような心持ちになった。

三月書房発行のエッセイ集で、この本はわりあい芝居に関する文章の比重が多く、
表題の「みごとな幕切れ」は、歌舞伎の演目で印象的な幕切れは数多くて、
じっと見ていた舞台が終結に向かって最高潮に盛り上がって、
その終結を眺めることで自らの観劇をよい気分でめでたく打ち切る、
そこに際しての役者の芸について、したためたもの。
幕切れに焦点を当てるという戸板さんの芸にもうなる。
いつもながら、戸板康二の長い観劇とたしかな批評眼に裏打ちされていて、
役者の芸とともに歌舞伎の本質みたいなものが見えてくるような感じ、
しかもとてもなめらかな筆致で、すいすいとよい気分で読んでしまう。
戸板康二の文章に酔いつつ、遠くの名優に思いを馳せて、
役者の芸に酔って、そして歌舞伎がさらに好きになる。

他のエッセイも実にたのしい。それにしても古本は安い道楽だなあ、と坪内祐三の言葉を思い出す。

「都あるき」という京都に関する文章を読んで、京都に造詣の深い戸板康二の文章をもとに
今後の京都歩きのよき手引きにしようと思った。


● 『戸板康二劇評集』(演劇出版社、平成3年)[*]

この本はずっと欲しかった本、実は今まで何度も図書館で借りたりもしていた。
定価が高いので、なかなか踏ん切りがつかず、古書店で見かける度に値段をチェックして、
「うーん、もう一声ッ」と心の中でつぶやいて、棚に戻していた。
今までの最安値は3000円だった。でも3000円でもなかなか踏ん切りがつかなった。
それが、師走も下旬に入ろうというある日曜日、初めて足を踏み入れたとあるお店で、
2500円で売っているのを発見、「最安値更新!」というわけで、わたしの心は決まった。
長らくの念願の本だったので、とても嬉しい。
折に触れてじっくりと何度も読みほぐしていこうと思っている。嬉しい。

戸板康二の劇評集としては、『歌舞伎の周囲』[*] 、『今日の歌舞伎』[*] に続いて、
三冊目がこの『戸板康二劇評集』[*] ということになる。

戸板康二の劇評に関しては、『最後のちょっといい話』[*] 所収の渡辺保の文章がとても心に残っている。

《あるとき、戸板先生は、私にこう言われた。
「あまり人の悪口はいいたくない。そういう批判ではない批評を書く方法を、
最近見つけたと思っている」
それが雑誌「演劇界」の巻頭に毎月連載された劇評であった。
それはたしかに一読批判めいた所が全く無い穏やかな散文であるが、
よく読むとその底に先生の真意が、水底の珠玉のようにソッと隠れている。
悪いものは決して許していないのである。
これが劇評家戸板康二の、晩年の抵抗であり、心境でもあった。
それは戸板康二の人生からいえば、「ちょっといい話」と並行しているのであり、
「ちょっといい話」と同様に社交のなかから生まれた人生の知恵であったことが分かる。》





  

12月23日日曜日/不忍池の鴨、戸板康二の『小説・江戸歌舞伎秘話』が復刻

昨日、上野へ MoMA 展の見物に行ったあと、蓮玉庵で天ぷらソバを食べた。

上野の美術館のあとは、いつも酒悦で佃煮と漬け物を買って、
それから、蓮玉庵でお蕎麦を食べる。蓮玉庵のまわりは猥雑な町並みで、
エアポケットみたいに蓮玉庵だけが素敵なたたずまいを見せている。
入口の引き戸の隣に、久保田万太郎の筆による石版があって、
そこには「蓮枯れたりかくててんぷら蕎麦の味」という句が刻んである。

と、そんなわけで、昨日はちょっとぜいたくして天ぷら蕎麦を食べたのだ。
と、そんなわけで、昼食のあとは、不忍池を見に行った。

枯れた蓮のまわりには、鴨が何羽も泳いでいて、よくよく見てみると実にかわいらしい。
くちばしの色がグレーがかった水色だったり、ある者はまっ黄色だったり、
どの鴨も何か作り物みたいで、スイスイと水面を移動している。
と思ったら、急にスーッと超高速で直進しているので、
何があったかと思って、目を転じてみると、そっちには餌を蒔いているおじさんがいるのだ。
スーッとなったりスイスイとなったりパタパタとなったり、何かと目を楽しませてくれる。
それにしても、みんな生きているだなあと、眺めて飽きない。

などと、思いがけなく、不忍池の鴨を見ておおはしゃぎしてしまった。

しばし鴨と遊んだあとは、湯島を通って、聖橋を渡って、
丸善で戸板康二の新刊、『小説・江戸歌舞伎秘話』(扶桑社文庫)を買って、
神保町でコーヒーを飲んで、九段を歩いて、神楽坂へ行った。

こんなに思う存分、歩いたのはずいぶん久しぶりだった。

と、そんなわけで、今日は一日、室内でのんびりと過ごした。
午後は紅茶を入れて、昨日近江屋で買ったドライケーキを食べた。

こんな感じの、のんびりとティータイム、というのもずいぶん久しぶりだ。



さて、ここから先は、年末の嬉しい復刻、戸板康二の歌舞伎ミステリのことを。

● 『小説・江戸歌舞伎秘話』(扶桑社文庫・昭和ミステリ秘宝)[*]

扶桑社文庫の《昭和ミステリ秘宝》というシリーズといえば、
3月に発売になった、福永武彦の『加田伶太郎全集』が大感激だった。

それまで、福永武彦のミステリは「完全犯罪」を読んだだけだったのだけど、
この「完全犯罪」がなんだか好きで、ぜひとも他のミステリもッ、
と長らく思っていたので、悲願達成だったのだ。

福永武彦のミステリはいわゆる本格もので、大学教授の探偵が登場する。
そこにただようスノッブな空気がいい感じの香気を放っていて、品格たっぷりなのだ。

だけども、『加田伶太郎全集』の一番の魅力は、いわゆる「純文学」の作家がミステリを書くという、
余技としての探偵小説執筆だったというところ。そんな「遊び」ならではの、
品格と軽やかさが同居しているミステリで、文中に垣間見える福永武彦の姿がとても魅力的だった。

ところで、東都書房のアンソロジー、『日本推理小説大系 第10巻』[*] という本があって、
この本を初めて古本屋で見たときは大感激だった。四人が四人とも大好きな書き手!
アンソロジーの快楽、ここにきわまれり、という感じだった。それにしても、なんて見事な並び!

その後日、福永武彦の『加田伶太郎全集』の余韻とともに、
福永武彦と丸谷才一と中村真一郎の共著『深夜の散歩』(ハヤカワ文庫)を手にした。
三人が三人ともなんて魅力的な書き手! 彼らの海外ミステリに関する蘊蓄は、
かつて読んだ(数少ない)海外ミステリの記憶を呼び覚ませてくれて、
これも実に楽しい時間だった。たとえば、マーロウを語る福永武彦に、
ロス・マクドナルドについて書く中村真一郎に、
丸谷才一によるケインに関する文章などなど、ディテールに楽しみが尽きない。

わたしは日頃はそう頻繁にミステリを読んでいるというわけではないのだけれども、
たまに、ふと気が向いたときに、ワインを飲みに行くみたいにして、
海外ミステリを何冊かひもとく時期のようなものがあって、人生の愉しみみたいになっている。

『深夜の散歩』は、そんな愉しみの根幹を味あわせてくれる、なんとも洗練された文章集だった。

ところで、『深夜の散歩』のなかで、中村真一郎が戸板康二の名前を少しだけ出してくれている。

《……半七捕物帳はたしかにホームズの方法を継いだものだろう。
そうして、我が友、戸板康二氏の芸界推理短篇シリーズは、
綺堂の方法を更に意識的にしたものだろう。
もし、ホームズの方法が諸々の短篇のなかに英国生活の諸情景を
生けどりにしているところにあるとすれば、
綺堂のものは安定のある旧幕時代の背景をとり、
戸板氏はさらに限定された歌舞伎の世界を中心にして、舞台を設定している。
現代の――維新以後の変転の激しい日本の社会では、
舞台は綺堂のように、動かない過去へ持って行くか、
戸板氏のように、特殊な世界へ限定するかということが、第一の必要条件となる。》

わたしが戸板康二に夢中になったきっかけは、
くどいようだが、昭和20年代の歌舞伎本がきっかけだった。

そのあと、矢野誠一の『戸板康二の歳月』(文藝春秋)を読んで、
初めて戸板康二が推理小説を書いていたことを知って、しかも直木賞まで受賞していて、
さらにきっかけは江戸川乱歩にすすめられたからだったんなんて! と、びっくりしていた。
そして、ウェブで「戸板康二」で検索すると、本業の歌舞伎の専門家としてよりも
ミステリ作家としての方がずっとたくさんヒットするので、二度びっくりだった。

さてさて、前置きが異常に長くなってしまったのだが、
今月の扶桑社文庫の《昭和ミステリ秘宝》の新刊として、
『小説・江戸歌舞伎秘話』[*] が発売になった。講談社文庫版の復刻である。

戸板康二の新刊文庫本としては『すばらしいセリフ』[*] 以来二年ぶり、
戸板康二のミステリ文庫本は今までは古書店でしか見られず、
ひさしぶりに日の目に出ることになったわけで、ファンとしては嬉しいことだ。

『小説・江戸歌舞伎秘話』は講談社文庫版で一度読んだことがあるのだけど、
ちょいと読みはじめると、つい夢中になって、一気読みしてしまった。
今回の扶桑社文庫発売は、ひさしぶりの再読のチャンス。

先の中村真一郎の文章でいえば、舞台を動かない江戸という過去へ持っていくと同時に、
特殊な歌舞伎の世界に舞台を限定しているのが、この『小説・江戸歌舞伎秘話』。
歌舞伎そのものを、ミステリの対象にしてしまっているという、あっと驚く仕掛けが待っている。

こんなミステリがあったのかッ、と、目から鱗が落ちる感じで、
そんな能書きを抜きにしても、戸板康二の筆致で、しっとりと江戸情緒を味わうことが
ただ単純に気持ちよくて、そして歌舞伎をミステリの対象にするという、
歌舞伎の専門家・戸板康二の余技を、戸板康二の筆のあとさきに思いを馳せるのも楽しい。
特に飾り立ているわけではないのに、その文章がじんわりとしみいってくる。
そして、戸板康二が仰ぎ見ていたに違いない岡本綺堂の『半七捕物帳』の世界にも心が向かう。

『小説・江戸歌舞伎秘話』には全14篇の短編小説が収録されていて、
おそらく、担当編集者は大村彦次郎だったに違いない。(たぶん)

14篇の短編小説に出てくる歌舞伎の演目をここにリスト化してみると……、
おっと、いけない、ネタバレになってしまうので、消去消去。

とりあえず、歌舞伎の演目はいくつも登場する。
なので、何度読んでも、面白い。前読んだときは知らなかった演目を、
歌舞伎座で知ったあとに目にすれば、前読んだときとは違った感覚で読むことができるからだ。

それに、歌舞伎の型なり扮装なり、江戸の役者なり、ちょっとしたお勉強をすることもできて、
とりあえず、来年2月の歌舞伎座では、松王丸の白襦袢に注目してみよう。
松王丸は誰がやるのかな?





  

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