日日雑記 September 2001

01 更新メモ(鎌倉夏休みピクニック)
04 神保町ショッピング、演劇書専門店ゴルドーニ、さらに収穫
06 東京都近代文学博物館、十二月文庫とブローティガン
07 池ノ上散歩、獅子文六の『海軍』
08 平河町の可否道、国立劇場文楽初日『本朝廿四孝』通し
09 更新メモ(リンク)、チェーホフとその映画のこと
16 幕見席の『紅葉狩』と大岡昇平の小説、自由で澄明な美の世界
18 岩波文庫の新訳:チェーホフの『ワーニャおじさん』
19 かっこいい大岡昇平、初期獅子文六にクラクラ
24 色ガラスの街:三連休お出かけメモ

←PREVNEXT→

INDEX | HOME


9月1日土曜日/更新メモ(鎌倉夏休みピクニック)

かれこれ一週間以上前のことになってしまうのですが……。
先週の金曜日(24日)、ひとりでふらりと鎌倉へ行った。美術館と古本屋と喫茶店。
相変わらずの行動パターンでも、場所が鎌倉だと一気に閑雅な休日。
行き帰りの電車のなかで本がたくさん読めたのもよかった。
というわけで、大変な至福だったので、えいっと気合いを入れて、
日日雑記に書き損ねた由なし事を、別ファイルにまとめました。むやみに長い。>>> click

本当はもっと早くアップする予定が、諸般の事情で(←単なるおさぼり)更新が遅れてしまいました。

最近買った戸板康二の書誌を作成。夏の日の戸板康二。

7月の終わりの五反田の古書市で買った、『芸能めがねふき』[*]
8月の中旬の浅草で買った、『目の前の彼女』[*]
8月の終わりに鎌倉の芸林荘で買った、『芝居国・風土記』[*]




  

9月4日火曜日/神保町ショッピング、演劇書専門店ゴルドーニ、さらに収穫

今日は吉祥寺の映画館で、小津安二郎のサイレント『生まれてはみたけれど』の上映があって、
3年前に並木座で観たとき、すっかりメロメロになってしまった大好きな映画、
スクリーンで観られる機会を逃したくない、ぜひとも足を運びましょう、
と、映画祭のチラシを手にして、ストーブのようにメラメラ燃えていたのだったけど、
当日になってみると、だらだらと時間は過ぎて行き、結局映画の時間には間に合いそうもなかった。
でもまあ、それも縁、これも縁というわけで、今日はふらりと神保町に寄り道。

地下鉄の階段を上がって外に出てみると、神保町は雨上がりの夕暮れ空。
さる事務資料を取りおいてあったので、まずは三省堂に直進して、それから、東京堂へ行った。

実は、今日の神保町来訪には、三省堂で事務書籍のあとは、うるわしの東京堂で
この何ヶ月の間ずっと読みたいと思っていた高い本を買ってしまおうという目論みがあったのだ。

その本は、小沼丹著『福寿草』(みすず書房、1998年)。
4500円もするので、何度も何度も棚から取り出しては戻し、を繰り返して早数カ月。

でも高い高いと思ってばかりいないで、発想を転換してみてはどうだろう、
1冊の値段と思うから高いのであって、この価格で2冊本を買うと思えばわりと標準、
3冊買うとしたら安いと言ってもいいくらい、
さて、小沼丹の『福寿草』には何冊分の歓びが詰まっているか、
……という、いつもお値段高めのお洋服や靴を買うときに頭のなかで瞬時に言い訳をこねる、
その論理を神保町に至る地下鉄車内で発展させ、今日の東京堂にたどりついたのだった。

なので、もう大丈夫、二階の小沼丹の書棚にたどり着いたその瞬間、
ためらいなくパッと『福寿草』を取り出して、いよいよこの本を読めると思うととても嬉しい、
この美しい書物に対峙することで、来るべき秋の日々に向けての心構えも違ってくるというもの。

それから、みすず書房つながりで、発売当初にそのあまりの魅惑に目眩をおこし、
読むのがもったいないどころか、簡単に手に入れてしまうのがもったいないとまで思っていた書物、
すなわち、ジャック・レダ著『パリの廃墟』(堀江敏幸・訳)も一緒に購うことに決めて、
無事お会計を済ませて、しばらく一階の売場をふらふらしてから、東京堂をあとにした。

東京堂の新刊コーナーの、積木のように、それでいて控えめに
それぞれの本が積み上げられている光景はとても美しい。未来のお買い物計画を立てつつ、うっとり。



さて、そのあとは、コーヒーを飲みながら、小沼丹の本のページを繰ろうかと思ったのだが、
その前に、ふと思い立って、前々から気になっていた古本屋に行ってみることにした。

そのお店は、演劇書専門のゴルドーニ

雑誌「フィガロ」の古本屋特集でその存在を知って、ぜひ行ってみようと思って早数カ月。
実はようやく最近になって行ったのだけど、そのときはあいにく本日休業だっのだ。
ゴルドーニのあるあたりは裏道のよき風景、さて今日は開いているかしらと、
ゴルドーニのある路地にやって来たときはすでに日没後となっていた。
夜の神保町、裏道に溶け込むようにして、煌々と明かりが灯っているゴルドーニ。

こじんまりした店内に入って様子を伺うと、右半分が売り物の棚で、
左半分が図書館みたいな閲覧のみの構成で、
左側にはテーブルと椅子が置いてあって、まるでサロンのよう。
閲覧のみの方をチラリと見てみると、吉田健一の本があって、
その間に「岩田豊雄演劇論集成」という感じのタイトルが見えた。
ほかには、どんな並びになっているのだろう。
ちらっと垣間みただけでも、綺羅の空間であろうことが容易に想像できる。

などと思いながら、右半分の売り物の棚の方へ行ってみると、
その棚の並びのなんと素晴らしいこと! 木造の本棚と添えられている梯子は、
たとえば日仏学院の図書室のような、大好きな図書館に足を踏み入れた感覚で、
そして、演劇書専門店の看板のとおりに、演劇書で埋められた書棚は眺めるだけでも、大変な至福。

演劇というと、歌舞伎と文楽だけを観ている日常なのだけれど、
演劇そのものの漂わす空気にはとてもあこがれていて、
戸板康二の本で知った新劇史の世界や、
獅子文六こと岩田豊雄や、小山内薫、三島由紀夫、福田恆存など
新劇のあれこれには日頃から興味津々だったので、
そのあこがれの空気をゴルドーニの棚を眺めることで体感できる歓びと、
それから、チェーホフやブレヒトをはじめとする欧州の戯曲を愛読しているので、
ゴルドーニの店頭でひさびさに愛が再燃したりとか、どこまでも素晴らしい空間だった。

さらに! ゴルドーニに行ってみたいなと思っていたのは、
上記のような感じの広い意味での演劇のよろこびを求めてのことだったのだけど、
歌舞伎のコーナーもきちんと用意されていて、特に渡辺保の本が充実していた。
演劇書専門店としてのゴルドーニの対象は、歌舞伎にもきちんと向かっている、
そのことが、歌舞伎ファンとしてこのうえなく嬉しい。
新たに素晴らしい本屋を得ることができたわけで、なんて幸福なことだろう。

それから、さらに! と、しつこく「さらに!」が続いてしまうのだけども、
戸板康二の本も並んでいて、『浪子のハンカチ』[*] の単行本が上の方の棚に1冊あるのを見つけて、
この本を古本屋で見たのは初めてだったので、ニンマリしてしまったそのあとで、
さらに! 戸板康二コーナーと呼んでも差し支えないような一角もあるではありませんか!

戸板康二の著書数冊と矢野誠一さんの『戸板康二の歳月』が並んでいて、
ゴルドーニにあった戸板康二の書物のうち、今まで読んだことがないのは4冊くらいで、
そのなかに、『団蔵入水』(講談社、昭和55年)[*] という小説集があった。
試みに値段をチェックすると、なんと1000円。この本、今までどのお店で見ても
2000円か2500円か3000円と、「戸板康二の古書は1500円まで」がわたしの大原則なので、
諦めざるを得なかったのだが、そんなわたしにとっては高嶺の花の戸板さんの小説集は、
カバーも帯もきちんとかかっていて、中もとってもきれいで、そのうえ、
ゴルドーニの書棚の全ての本はパラフィンで丁寧にカバーがかかっている。

ああ、もうなんていうことなのだろう。これはもう迷うことなく『団蔵入水』を買うことに決めて、
他の未所有の戸板康二も買い占めてしまおうかいう考えが一瞬よぎったのだったが、
今後、神保町に来る度にゴルドーニに寄ってしまうのは確実なので、
これから少しずつ買って行くことにしよう、未来のたのしみをとっておきたい。理性を取り戻した。

立ち去るのが名残惜しい気もしたけど、えいっと『団蔵入水』の会計をする。
古本屋らしからぬ紺色の紙袋にさっと入れてくれて、なんだかかっこいい。
それに、おつりの1000円札はすべてピン札で、まるで日本橋三越のよう。
(って、ピン札なのはほんの偶然だったという気もするけど)。
それから、お会計をしてくれた店主の方、ただものではないというか、
いかにも「うっ、できる……」という雰囲気を漂わせていて、
ゴルドーニの空間ともども、なんだか凄いものを見てしまったという畏怖。



それから、お気に入りの喫茶店を頭のなかでリストアップさせて、
スキップ気分で、さあ、これからどこへ参りましょうッ、とウキウキしながら
靖国通り方面へ向かうその前に、ゴルドーニのすぐ近くに別の古本屋さんがあって、
今日はもう充分すぎるくらいのお買い物をしている、
よせばいいのに、思わず足を踏み入れてしまった。

とりあえず、文庫本コーナーを眺めると、なんと!
『折口信夫坐談』[*] の中公文庫版が売っていて、
この本の文庫本はずっと探していたので、狂喜乱舞、
値段を見ると絶版文庫なのにわりと良心的、さらに視線を転じると、
今度は、金井美恵子の『岸辺のない海』の中公文庫版もあるではないか!
金井美恵子の『岸辺のない海』は昔図書館で借りて読んだ、大大大大好きな小説。
文庫本が出ていたのを今日まで知らなかったわッ! と、狂喜乱舞。

いずれも同じ値段の中公文庫、2冊のお会計をさっさと済ませて、とある喫茶店に向かった。

それにしても、今日という日は、収穫がありすぎた。
こんな展開が予想できていれば、東京堂の小沼丹を延期して、
本買いの興奮を分散させたかったなあ、とも思うけど、
まあ、これも縁、それも縁というわけで、素直によろこぶことにしよう。

薄暗いコーヒー店で、小沼丹の『福寿草』を読みふけった。
書評がたくさん載っていて、去年に須賀敦子さんをきっかけにして、
読みふけった庄野潤三の至福、あの感覚が鮮やかに胸に甦って、
それに、以前『珈琲挽き』を図書館で借りて読んだときも思ったことだけど、
旧字体で、この活字で、この大判で、小沼丹を読むのは、いかにも似つかわしい。
何度も迷ったけれども、『福寿草』、思いきって買って本当によかった。さて、秋。




  

9月6日木曜日/東京都近代文学博物館、十二月文庫とブローティガン

最近、やたらと出歩いているせいか、日曜日の午後がさりげなく幸福だ。
ので、ここから先は、先日書き損ねた、9月最初の日曜日の出来事を。



日曜日の午後、井の頭線に乗って神泉で下車して、
まずは松濤美術館へ、東南アジアの布の展覧会の見物に行った。

いつもながら美術館の独特な空間を縫うようにして、展示品を眺める時間は格別。
今回はとりわけ、二階の展示コーナーがわたしのお気に入りとなった。
一枚の布をタペストリーのように何枚も展示してあって、
格子や縞のような布全体のかたちや、多種多様なモティーフなどなど、
色々な色が混じりつつも確固とした落ち着きがあって、
それぞれの文様、微妙な風合い、色そのもののニュアンス、とにかく眺めて幸せだった。
遠近で見え方が変化したりもして、一堂に何枚もの布が集まっている展示室は、
空間の形状ともども、目に見える布それぞれの角度が変化する、その変化がとてもよかった。

……というような感想とともに、美術館をあとにして、山手通りを横断して、
富ヶ谷でコーヒーを飲んで、それから、駒場公園の東京都近代文学博物館へ行った。



駒場の東京都近代文学博物館は、女学生の頃、井の頭線を途中下車してよく寄り道した。
博物館の建物は昭和初期のヨーロピアン建築、旧加賀百万石の前田家の邸宅。
初めて見学を試みたときはとてもドキドキ、中に入ってもよいのかしらと、
ギイとドアを開けて辺りを伺うと、係のご婦人が奥の方からいらして、
「どうぞどうぞ」という感じで中を見物することになった。

平日の午後は、見学者が誰一人としていないことの方が多くて、
そんな独り占め状態で、文学書にうっとりしながらモダン建築をめぐる至福といったら!

というわけで、当時夢中になっていた書物とともに、
東京都近代文学博物館のことは、胸の奥底に甘酸っぱい思い出として
いつまでも残っていたのだけれども、女学生以後は、
なぜか機会を逸していて、一度も来訪することなく現在に至っていた。

それが、先日、東京国立近代美術館の工芸館に行った折、
昔の東京の洋館建築に胸は高まり、にわかに東京都近代文学博物館への気運が高まり、
このたび、松濤美術館→富ヶ谷→駒場公園というコースを練り上げた次第。

東大駒場キャンパスの脇の東門から駒場公園の敷地に入って、
風流な砂利道を踏みしめしばらく行くと、左手に前田家の別邸があって、
木造家屋を取り囲む塀の格子越しに見える日本家屋の佇まいにうっとり。

それから、同じく駒場公園内の日本近代文学館では、
詩歌に関する展覧会が開催中とのことなので、
入口まで行ってみたのだけど、あいにく日曜日は休館日とのこと。
ここでよく、初版本の図版や文士の原稿や芥川の落書きなどをあしらった
おみやげ売場のポストカードを嬉々として買っていたものだった。

日本近代文学館を去って、前田邸の洋館の建物が横から見えてきて、
わたしにとっては、実に数年ぶりとなる東京都近代文学博物館見物の時間となった。



実は何の下調べもなく来てしまったのだけれど、東京都近代文学博物館では現在、
《東京の文学 人と作品―明治―》という展覧会が催されているのを知って、大喜びだった。

文学と東京を絡めた展示ということで、木場の東京都現代美術館で
7月に見学した《水辺のモダン》展、あの日の至福が胸に甦ったりも。
と言いつつ、建物に入場してしばらくは、入口付近のロビーでしばし休憩。
近代文学博物館、うるわしのあまりにうるわしの洋館建築を
目の当たりにした興奮や、《東京の文学 人と作品―明治―》への心構え、
それらの諸々の感情が胸にうずまき、しばし心を落ち着けようという名目。

東京都近代文学博物館の内部は「旧応接室」というふうに随所にプレートがあって、
見学者が、昭和初期の前田邸の様子をあれこれ想像できるようにという配慮がある。
グレーの皮張りの直線の椅子と丸いガラステーブルという、
幾何学的配置が実にモダーンで、隅にはピアノがあって、
それからフレーム越しに見える窓の外は駒場公園のうつくしき緑。

そんなこんなで、モダン建築のディテールとともに堪能することになった、
《東京の文学 人と作品―明治―》の展示構成は以下の通り。

  1. 東京誕生と文明開化―築地・銀座―
  2. 文学の改良―逍遥・二葉亭・円朝―
  3. 紅葉と露伴―神楽坂・谷中―
  4. 「文学界」と一葉
  5. 漱石と子規―本郷・上野―
  6. 鴎外と東京
  7. 郊外の文学―花袋・独歩・盧花―
それぞれの部屋の展示数はそんなに多くはないのだけど、
ガラスケースの中をじっくり眺めては至福の繰り返しで、
ところどころ、それぞれゆかりの地の詳細地図や写真が展示してあって、
文学散歩に誘うかのような構成となっていて、その心遣いが嬉しい。

ひとつひとつ挙げていこうとすると、あちらこちらで
ハートに直撃なものがたくさんあって、とたんに収集がつかなくなってしまう。
今回の一番のよろこびは、第4室の樋口一葉の部屋だった。
日頃から激しく大好きな一葉、その愛が激しく燃えがった時間だった。

一葉の日記から「文学界」の同人を評した文章を抜き書きしていたり、
それから「たけくらべ関係地図」のコーナーでは、それぞれの地点を指し示しつつ、
そこにちなんだ、『たけくらべ』の文章が引用されているので、
ひさびさに『たけくらべ』の一節一節を目の当たりして、胸がジンとなって、
それから、鏑木清方による『にごりえ』の挿絵! その浴衣地の美しさにうっとり。
鏑木清方の名前、今回の展示で何度か散見できたのも嬉しかったこと。

一葉の日記の引用というと、一葉関係地図のお茶の水橋のところが「おっ」という感じだった。

わたしは、お茶の水駅沿いの神田川に架かるお茶の水橋と聖橋が大好きで、
たまに近くに行くとそれだけで喜んでいたというのに、
明治24年10月17日、お茶の水橋の開橋の日にさっそく足を運んでいる、
一葉の日記の文章、今まで、不覚にも見逃してしまっていた。

手持ちの『樋口一葉全集第3巻 日記編』(小学館)から抜き書きしてみると、

《あぶみ坂登りはつる頃、月さしのぼりぬ。
軒ばもつちも、ただ霜のふりたる様にて、
空はいまださむからず、袖にともなふぞおもしろし。
行々て橋のほとりに出ぬ。するが台のいとひきくみゆるもをかし。
月遠しろく水を照して、行かふ舟の火かげもをかしく、
金波銀波こもごもよせて、くだけてはまどかなるかげ、いとをかし。
森はさかさまにかげをうかべて、水の上に計一村の雲かかれるもよし。
薄霧立まよひて遠方はいとほのかなるに、電気のともし火かすかにみゆるもをかし。》

橋が架かるまでは、神田川をはさむ神田と湯島の間には渡し舟があったという。
水道橋方面の森のこととか、水面に映る月光とか、水辺の情景が目に浮かんでくるかのよう。

樋口一葉のいる第4室のあと、第5室から二階の展示室へと、
階段を登っていくことになるのだけれど、その階段のなめらかな曲線が実に美しい。

最後の展示室に、東京都近代文学博物館のこれまでの展覧会のポスターが貼ってあって、
そのなかの、20世紀東京の文学のポスターは恩地孝四郎の絵で、しばし見とれてしまった。
それから、かつて《東京の劇場 猿若町から築地小劇場まで》という展覧会があったとのことで、
「ああ、行きたかったッ!」と、しばしもだえる。今まで、いろいろ見逃していることが多い。

二階のバルコニーにも出られるので、しばらくそこでのんびり。
向こう側には公園の芝生があって、そこでくつろぐ人々の姿が見えて、
いかにも日曜日の午後の平和なひとときだなあと、眺めているこっちもまどろみ気分。
今日は、松濤美術館から散歩というコースだったけれども、
今度来るときは、はじめから駒場公園直進で、芝生にゴザを敷いて
お弁当を食べてピクニック気分! といういうのもいいねえ、などと話し合う。



日曜日の午後の追憶はとめどなく続いてしまう。
ここから先は、日曜日の夕方に行った素敵な本屋さんとそこで買った書物のことを。



東京都近代文学博物館をあとにして、駒場公園の敷地を出て、
そのまましばらく歩きたい気分で、そうだ、池ノ上方面へ行こうということになった。

池ノ上には、前々から行きたかったお店があったのだ。そのお店の名は十二月文庫。

十二月文庫の名前を知ったのは、雑誌「東京人」の喫茶店記事がきっかけで、
わたしは「東京人」は本の特集のときしかチェックしていないという、ていたらく。
嬉々としてページを繰った、今年5月号の「古本道」特集の場合はさらに、
特集記事以外にも、十二月文庫のことを知ることができたという望外の収穫があったのだった。

何気なくページをめくっていたところ、沼田元気による喫茶店紹介記事に載っている、
世田谷区北沢にあるという、十二月文庫というお店の紹介文はあまりにも魅惑的だった。

《カフェと古本屋の合体だけでも危険な関係なのに、
さらにクラシックレコード店まで兼ね備えたお店なのです》ですって!

カフェと古本屋というだけでは、わざわざ住所を調べて行こうとまでは思わなかったに違いない。
しかし、クラシックレコードまで並んでというのだから、んまあ、どうしましょう。
クラシック音楽に一人こっそりと酔いしれるという日常を送っている身からすると、
さらに古本屋とコーヒーが好物という、しょうもない性癖を持つ身からすると、
その三者の合体は果たしていかにして成されているのか、ぜひとも自分の目で確認したかった。

というわけで、東京人5月号でその存在を知ってすぐに、
十二月文庫の住所を確認して、最寄り駅は井の頭線池ノ上駅だということを確認して、
さっそく足を運んだのだったが、あいにくその日は「本日休業」だった。
わたしはこういう展開がとても多い……。
しかーし、休業日の十二月文庫のたたずまい、窓にはカーテンがかかっていて、
そこには外から見えるように、クラシックの古いレコードが、
しかもうるわしのウェストミンスターのレコードが立てかけてあって、
その下には、美しき昔の児童書が展示してある、その窓辺の光景。
十二月文庫は後日再訪する価値は十分にあるに違いない、ということを深く胸に刻んだ。

……と言いつつ、あれから早5ヶ月、今までつい足を運び損ねていたのだけど、
駒場と池ノ上は隣駅なので、駒場公園に来た今日は絶好の十二月文庫日和といえる。
でも、前に行ったときもたしか日曜日だったなあ、今日は大丈夫かなあ、
さあどうだろうと、同行の友人と賭けをしつつ、池ノ上まで歩いたのだった。

駒場公園を出てあちらに行くと東北沢駅、こっちを曲がると池ノ上駅という道を直進、
深い考えもなく池ノ上の駅へと向かっていたのだが、われわれの歩いていた道は、
偶然、十二月文庫沿いの道だったのだ。唐突に「あそこに本屋らしきものが」とう感じで、
十二月文庫に対面することになった。今日は無事、営業中だった。嬉しい。悲願達成。



池ノ上の十二月文庫は、雑誌の記事を見て足を運ぶという、
おのぼりさんな行動をあえてするに値する、なんとも素晴らしいお店で、
店内はかなり狭そうなので、わたし一人でギイと扉を開けて、中に入った。
すると、なかではレコードが再生されていて、その音楽に耳をすませてみると、
果たして、それはわたしの大好きな曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第一楽章なのだ。
なんていうことなのだろう、よりによって、ブラームスだなんて、胸がジンとなる。

狭い店内にある本棚は、わたしの部屋の本棚とそう変わらない量なのだけど、
書棚の並び、うつらうつらと視界に入ってくる本の背表紙の固有名詞がとてもいい感じ。
文庫本コーナーでさっそく、川端康成の『女であること』200円也を手にとった。

こちらの棚もどうぞご覧になって、と、お店のご婦人はとてもにこやかで、
ええぜひ、とそちらの棚も眺めてみると、さらに本の背表紙の文字が素晴らしい。
主な構成は、文学書や美術という感じで、一冊一冊眺めていくと、
『久生十蘭全集第二巻』が一冊だけ紛れていたりもして、
それから植草甚一のスクラップブックとか、昭和日本文学諸々とか、
それから昔読んだモーリス・ブランショも! という感じで、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けつつ、書棚を眺めて、
うーん、文庫本一冊だけでなく、あともう一冊何か買うことにしよう、
さあどうしようと思ったそのときに、目に入ったのが、
ブローティガンの『東京モンタナ急行』、900円也。

どうぞまたいらしてくださいね、と、店員さんは終始親切で、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲はあいかわらず第一楽章のままだ。
外に並んでいる本を立ち読みしていた友だちに、
「え、もう出てきたの? あ、なにか買ってる」と驚かれるくらいの、
短い滞在時間だったのだが、妙に凝縮した時間だった。

いいお店だったなあ……。池ノ上に住んで、昼下がりにきまぐれに散歩して、
十二月文庫の窓辺のただ一脚のテーブルを独り占めして、コーヒー片手に読書の時間、
そんなことをつい妄想してしまう。でも、電車を降りてきっとふらりとまた来てしまうと思う。
あるいは、今日みたいな、東京都近代文学博物館→十二月文庫、という順路をたどるのもいいかも。
とかなんとか、未来の計画がいろいろ思い浮かんでしまうような、
素敵な本屋さんとの新たな出会い、なんて素晴らしいことなのだろう。

【十二月文庫・お買い物メモ】
● 川端康成『女であること』(新潮文庫)
● リチャード・ブローティガン『東京モンタナ急行』(藤本和子訳/晶文社)



日記がまたもやむやみに長くなってしまうのだけども、
ここから先は、ブローティガンの『東京モンタナ急行』について。

ブローティガンというと、大昔の女学生時代に『愛のゆくえ』を読んだきりなのだが、
『愛のゆくえ』を読もうと思ったきっかけはなんだったのだろう、
たぶん雑誌の紹介記事を見て、気まぐれに手にとったのだったのだけど、
いまでも『愛のゆくえ』のことを思い出すと、気分が心地よくなってくると同時に、
甘酸っぱい気持ちにもなる。あのときのことを少し思い出してしまう。

それから、たまにの海外旅行のおりに、飛行機に乗る度に、
外国に向かうときならではの、じんわりと胸にしみわたるような
ワクワクした感覚とともに、なぜかいつも『愛のゆくえ』のことを思い出したりもしていた。

そうそう、『愛のゆくえ』を読んだのは、フォークナーの『野生の棕櫚』の直後で、
あら、堕胎つながりと、しょうもないことを思っていたものだった。

で、当時から小林信彦の主に小説や映画や東京に関する文章を愛読していて、
『小説世界のロビンソン』の以下のような一節を読んだとき、

《1970年代後半のある日、ぼくは京王プラザホテル地下の
コーヒー・ショップで友人を待っていた。
コーヒーをお代わりし、退屈のあまり、周囲を眺めていると、
斜め左にいる外人の顔が気になり始めた。
どうみても、リチャード・ブローティガンなのである。
〈その後のヒッピー〉といった、口ひげのある風貌・服装、ともに、
「アメリカの鱒釣り」のカバー写真で見た人物にそっくりである。
やがて、外人は紀伊国屋の包装紙のかかった本を出して、読み始めた。
まあ、インテリに違いないだろう。友人は、二十分、遅れてきた。
そして、なんと、バッグからブローティガンの邦訳をとり出したのである。
「ブローティガンなら、向い側にいるよ」と、ぼくは言った。
「まさか」友人は外人の様子をうかがって、
「似ているな」と言った。「賭けようか」と、ぼく。
しかし、そんな必要はなかった。外人は包装紙を外し、
日本語版の「アメリカの鱒釣り」を取り出したのである。
ぼくたちが立ち上り、握手を求めたのはいうまでもない。》

この短編小説のような一節にクラクラッとして、学校の図書室で借りたのが『東京モンタナ急行』

と言っても、当時から怠惰なわたくしのこと、図書館で張り切って借りた本を、
ほとんど読むことなく返却期限が来てしまうというのはしょっちゅうで、
『東京モンタナ急行』も家に持ち帰ったままの状態で、再び図書室の棚へ、
ということになってしまって、そんなわけで、池ノ上の十二月文庫で、
晶文社の『東京モンタナ急行』を手にとったのは、学校の図書室以来。
今でも、貸出カードにわたしの名前は残っているのだろうか。

というわけで、9月最初の日曜日という日は、
東京都近代文学博物館とブローティガンという、「高校生のとき以来」が続いた日だった。
女学生時代と今との間の長い長い時間を経ての再会、なかなか味のある瞬間だった。

そんなこんなで、今週のベッドサイドの一冊は『東京モンタナ急行』で、
眠る直前、電気スタンドを消す直前に、気まぐれにペラペラ読むということをしている。

最後に、一節だけ抜き書きを。

『東京モンタナ急行』(藤本和子訳/晶文社)より「兎」
  兎を蒐集している友人を持つ知人が日本にいる。ヨーロッパでもアメリカでも、
旅行するときは欠かさず彼女は彼に兎を持ち帰る。おそらく二百羽の兎を彼のために
持ち帰った。そりゃ本物でないにしても、日本の税関を通過した兎の数としては大し
たものだ。彼女の友人は、ガラスであれ、金属であれ、絵であれ、ともかく兎と関係
のある物なら、いかなる方法で表現されていようとも、好きなのだ。
  彼が兎を好きだということを除いては、わたしは彼については何も知らない。年
齢も容貌についても知らない。わかっているのは、ある一人の日本人の男が兎が好き
である、ということだけ。
  知人とわたしが東京の町を歩きまわっているときなど、彼女は彼のコレクション
に加えるための兎を、それとなく探していることが多い。おもしろい置物の類をどっ
さり売っている小さな店など、もしかしたらある種の兎が住んでいるのではないかと
思われる場合には、わたしたちは足を止め、店に入る。
  いまでは、東京をたった一人で歩きまわっているときでも、わたしまでそれとな
く兎を探しているようなことがある。きょうも兎がいそうな気がする所があって、寄
ってしまった。
  一体この男は何者なのだ?
  なぜ兎を集めるのだ?

兎を集める男は何者なのだ? と聞いて、まっ先に頭に浮かぶのは戸板康二だ。

1963年1月に芸術座の帰り道に銀座の泰明小学校の前で、兎の土鈴を買ったのを機に、
自分の干支にちなんだ兎のコレクションがなんとなく始まってしまい、
海外旅行の際に買ったり、誕生日などには方々からの贈り物もあって、
いつのまにか、ずいぶんなコレクションとなってしまったという。

戸板さんのこのエピソードはわたしはとても好きで、兎と聞くと、つい戸板さんのことを思い出す。
戸板さんに兎を贈った人々も、兎グッズ発見のとき「あっ」という感じに、
戸板さんの喜ぶ顔を頭に思い描きつつ買い求めたに違いない。
そんな戸板康二のまわりの友人たちとの交友ぶりに目に浮かんでくるかのようだ。

戸板さんのお友だちの「彼女」の知人はブローティガン?
と、そんな妄想がたのしい、ベッドサイドの読書のひととき。

★ 追記:後日、戸板さんのお友だちの「彼女」の知人は、
本当にブローティガンだったことが判明した。『思い出す顔』[*] に書いてあるのを12月に発見。>> click





  

9月7日金曜日/池ノ上散歩、獅子文六の『海軍』

明日に備えて、今日は寄り道せずにさっさと家に帰るつもりだったのだが、
ふと思い立って、渋谷の本屋に寄り道して、新潮文庫コーナーへ行った。
急にブローティガンの『愛のゆくえ』を買おうと思い立ったのだ。
が、『愛のゆくえ』はすでに目録から消えていたのだった。
たしか3年くらい前には本屋にいつも平積みされていたような気がしたのだけど、
新潮文庫の海外文学の定番として常備されているものと思っていたのだけど、
本当にもう、ままならぬこそ浮世なりけりだなあ、としみじみ。

そして、思い出したことには、日曜日に行った池ノ上の十二月文庫に、
新潮文庫の『愛のゆくえ』が並んでいたということ。
こうしてはいられない、『愛のゆくえ』を買いに行こうと、
早くも十二月文庫を再訪することに。こんなに早く
再訪する機会がやって来るなんて、なんて嬉しいことなのでしょう!

もう、秋、すっかり日没が早くなってしまって、ほんの少し憂愁気分の昨今。

そして、十二月文庫の前にたどりついて、
窓辺のかわいらしい書物に「キャッ」となりつつ、扉をゆっくりと押して、
店内には入ってみると、本日の音楽はドビュッシーのヴァイオリンソナタ!
またもやわたしの大好きな曲が流れているではありませんか。胸がジンとなった。

演奏者名は確認していないのだけど、いかにも LP 越しから流れている、
という感じの古き良き時代の音がとても素敵で、じんわりと胸にしみいる
じつに素晴らしい演奏だった。ヴァイオリニストは誰だったのかしら? と、
こんな名曲喫茶気分を、素敵な本棚を眺めながら満喫できる
十二月文庫は本当にもう、なんて素晴らしい空間なのだろう。

さらに、十二月文庫の棚は、頭の中の探書目録を猟銃のようにして
眺めるというのでは全くなくて、棚から教えられるというか、
こんな書物があるのですが如何でしょう? と、語りかけられているような感覚で、
好きな人の部屋の本棚をこっそり眺める時間に似ている。
謙虚な気持ちで、いろいろな本を読んでみようという気持ちがフツフツと湧いてくる。

本日の来店目的の『愛のゆくえ』200円也を手にとってから、
しばらく静かな気持ちで書棚を眺めて、それから、
LP レコードが何枚か立てかけてある箇所は、先日見逃していたところ。
往年の名盤の演奏を、レコード針で聴いてみたいなと、
レコードプレーヤー購入の野望まで湧いてきてしまうのだった。
モーリス・ブランショをはじめとして、迷った本は何冊かあったのだけれど、
今日は『愛のゆくえ』1冊のみのお買い物。またいずれ、十二月文庫を訪れて、
こんな本はどう? んまあ、読んでみるわッ、という感じに、
1冊ずつぐらいのお買い物をしたいなと思う。

ドビュッシーのヴァイオリンソナタが第3楽章に突入したところで、
十二月文庫から外に出て、来た道を戻るのも味気ないしと、
今度は向かいの道を歩いて、池ノ上駅に向かってみることにした。
ここの小さな路地が歩いていて実に楽しくて、目にうつる軒先とか木々の風景が
なんだかよい雰囲気で、十二月文庫の文庫の余韻とともにほろ酔い気分。

部屋のソファで、『愛のゆくえ』の解説文の文字をつれづれに追っていると、
アメリカ文学の堕胎の系譜として、フォークナーの『野生の棕櫚』とともに、
ヘミングウェイの短篇『白い象のような山並み』が挙がっていて、
急になんだかとても懐かしくなって、かつての愛読書だった、
『ヘミングウェイ全短篇1』(高見浩訳/新潮文庫)を本棚の奥から取り出して、
しばし読みふけってしまった。会話文がとりわけ素敵なヘミングウェイ、
そんなヘミングウェイの『白い象のような山並み』は、
まさに会話小説とでも言うべき10ページの短篇小説、素敵な絶品。
ああ、やっぱりいつ読んでもいいなあ、と、前から大好きだった諸短篇の文字を追い、
しばし夢中になってしまった。新しい本を読むのもよいけど、
昔読んだ本に向かい合う時間も大切にしたいなあ、とそんなことを思う。
好きな音楽を何度も聴くようにして、本を読む時間が好きだ。



先月の中公文庫の新刊として、獅子文六の『海軍』が発売になった。
中公文庫としては、『食味歳時記』『私の食べ歩き』に続く3冊目の獅子文六。

『海軍』は昭和17年に朝日新聞に連載されたもので、
獅子文六ではなく本名の岩田豊雄名義で執筆されたということもあって、
獅子文六の諸々のユーモア小説や風俗小説とは趣が異なる異色作だ。
『海軍』のような戦争小説を執筆していたあおりで、
戦後 GHQ の公職追放を受けそうになったりもしたくだりは、
講談社文芸文庫の『但馬太郎治伝』にもチラリと登場していたので、
獅子文六読みの一貫として、いわくつきの『海軍』を読める日が来たことは嬉しいことだ。

……と思いつつも、獅子文六の一番の魅力の、カラッと乾いていて
それでいて品のある上質のユーモアあふれる諸作品ではなくて、
なぜ思いっきり異色作の『海軍』が復刊なのか、という思いがないではなかった。

と、そんなこんなで、さあ読んでみようと、手にとった『海軍』。
獅子文六の他の小説と同じように、その筆致に引き込まれて結局一気読みということに。

『海軍』は、大岡昇平曰く《別に戦争謳歌の小説ではなく、
平凡な海軍士官の生い立ちをさらさら書いたもの》。
ストーリーは一言で説明できる、鹿児島に生まれた谷真人が、
夢を叶えて海軍に入隊して、軍人として立派な最期を遂げるまでを描いた一代記。

文体は淡々としていて、スパッとした短文の積み重ねで、
やはり獅子文六名義の他の諸々の諸作品とかなり雰囲気が異なるのだけど、
それでも、たまにどうしてもこぼれてしまう、ユーモラスな描写があって、
時折ニンマリしてしまって、全体的には、子供の頃に目にした読み物を連想したりも。

そうそう、『海軍』は、「少年小説」の典型という感じで、
大正期から昭和初期に書かれた時代小説、たとえば、
大佛次郎の『鞍馬天狗』といった少年シリーズの系譜にある小説だと思った。

なので、『海軍』の主人公、谷真人のまっすぐな人ととなりとか、
まわりの少年たちや先生や、海軍での生活など、物語そのものに、
子供の頃に「少年小説」を読んだ感覚で、引き込まれていった。
わたしは幼年時代から「少女趣味」的なものがおそろしく欠如していて、
男の子が出てくる物語の方がずっとずっと好きだった。
そんな自分自身の少女時代の読書体験に立ち返った感覚。

谷真人のように夢を叶えてまっすぐに海軍へと向かっている者がいれば、
谷真人の一番の友だちだった少年は夢やぶれて、一時は自暴自棄になる。
その少年が、ふたたび『海軍』のなかに登場した瞬間は読みながらワクワクで、
彼が新たに志した道を突き進んで行くところ、谷真人に再会するところ、
このあたりから、もう止まらないッ、という感じで、
まさしく「少年小説」の物語から目が離せないという感覚で一気読み。

獅子文六は、東京の都市描写がとても冴え渡っていていて
都市小説的な楽しみを味わうことができると同時に、
『てんやわんや』が代表的なのだが、地方色の描写もいつも非常に素晴らしい。
『海軍』では、その獅子文六の典型の地方色、鹿児島の描写もとてもよかった。
南国の空気が、薩摩の気風が直に伝わってくるかのような臨場感だった。

というわけで、ひさびさに味わった「少年小説」の楽しさ。
『海軍』だなんて、軍記ものはまったくの未知の世界なので、
獅子文六の著作でなければ、絶対に読んでいなかったと思うので、
獅子文六を通して、いつもとは違う感覚の読書ができたというわけで、
こういうのもたまにはいいなあと思った。

それから、『海軍』に出てくる人々で戦争に生き残った人は
敗戦後、どのようになったのか、そんなことも考えた。

獅子文六が自ら「敗戦三部作」と読んだシリーズ、
『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』がある。
このなかで唯一未読だった『やっさもっさ』は、
7月の平野書店における獅子文六まとめ買いのなかの一冊だ。
あのとき買った獅子文六を読み始める時間がいよいよやって来たようだ。




  

9月8日土曜日/平河町の可否道、国立劇場文楽初日『本朝廿四孝』通し

獅子文六好きであれば誰だって、「あら、まあ」ときっと嬉しくなってしまう、
可否道という名の喫茶店がある、しかも場所は国立劇場のすぐ近く!
……ということを、先日、お友だちから教えてもらって。「あら、まあ」とびっくり。

ので、国立劇場小劇場で、『忠臣蔵』以来の一年ぶりとなる通し上演、
『本朝廿四孝』昼夜連続見物の前は、可否道でコーヒーを一杯飲もうと心に決めていた。

いまいち好きになれなかった国立劇場の近くに、こんなに素敵な喫茶店があったなんて!
そして、ブレンドコーヒーは、まさに可否道という名前がぴったりに美味。
音楽はジャズがかかっていて、器は有田焼で、お客の方で選ぶという仕組み。
お店の本棚にはジャズ本に混じって獅子文六があるのを見逃さないわたしであった。

ちょっぴり緊張の、『本朝廿四孝』昼夜連続見物の直前に、
まさに可否道に浄められた感じに、清々としたした心持ちで、国立劇場の椅子に座った。

そして、浄瑠璃の世界に埋没するようにして、一日中劇場にこもる時間の至福。

あとできちんと文章にまとめないといけないくらい、
『本朝廿四孝』の舞台は、第一部、第二部ともに実に素晴らしいものだった。

特に、蓑助の八重垣姫は、まさしく至芸で、全身鳥肌が立った。
昼夜連続見物の夜の部の切りなのだったが、身体の疲れなど一気に吹っ飛ぶ。

いつも心の底から満喫している人形浄瑠璃、
歌舞伎よりも実は好きかもとまで思っている文楽だけど、
ここまでゾクゾクしたのは、今日が初めてのような気がする。
とにかくもう、凄いものを観てしまった。

十種香の段の、玉男さんの勝頼、文雀の濡衣に蓑助の八重垣姫はなんとも贅沢な瞬間。

そして、浄瑠璃全体を通して聴いたことで、今まで歌舞伎を通して思っていた、
八重垣姫や濡衣に対するイメージ、たとえばスパイとしての濡衣とか、
グロテスクな感じの八重垣姫といった構図は、はっきりと間違いだったと悟った。
もちろん、演じる人いろいろで、見物の感触いろいろで、解釈は千差万別だ。
ただ、今日の廿四孝通しを通じて、演目に対する新しい視点を得ることができたことは確か。

五段構成の浄瑠璃で、一番の山場となる三段目は、昼の部の切り。
ここのダイナミックな演出と、あとの四段目の奥庭は、文楽のよろこび全開。
ただ、せっかくの通し上演なのに、二段目の後半が、
三段目のあとに、すなわち四段目の前に移動になっていたのが少し残念だった。
四段目へのつながりを明確にするという眼目はよくわかるのだけども。

全体的には、昼の部はどの場をとってもそれぞれ非常に面白くて、
その積み重ねとしての大序から三段目までの流れは、
近松半二ならではの対立構図、数々のシンメトリー構図の中心部分に立って
ピンと劇全体を見通すのが、実に楽しい。半二が趣向に趣向をこらして、
どこまでも人工的に練り上げた劇世界を解剖していく、衒学的たのしさ。

夜の部の、二段目の後半と四段目は、少しだれるところもあって、
十種香の段の書割りを目の当たりにした瞬間の胸の高まりと、
そのあとの、蓑助の人形遣いにひたすらゾクゾクと、緩急が激しい感じ。

やはり、昼・夜全体を見通すことで、いろいろな角度から、
バランスよく浄瑠璃のたのしみを味わるのだ、ということを痛感した。

わたしの場合は、次回の通し狂言の見物は、来年5月の『菅原伝授手習鑑』となる。
来年は天神さま記念の年ということで、歌舞伎でもぜひとも
『手習鑑』の通し上演があったらいいなあと思っている。

今年12月上演の『妹背山婦女庭訓』は、1999年5月に、初めて文楽の通しを、
昼夜連続で見物した記念すべき演目。あの日は、出かけるまでは不安の方が大きかったのだが、
いったん劇場に入ると、ひたすら浄瑠璃の世界に酔いしれていた。

それにしても、今回の八重垣姫を見るにつけ、かえすがえすも
5月に『曾根崎心中』を見逃したこと、蓑助さんのお初を見逃したのが残念でならない。
あのときの悔恨をバネに、今回の『廿四孝』通しはチケット発売初日に電話した。
ので、今日は大変よい席で、大感激だった。過去の体験からきちんと学習しているわたしだ。

昼の部と夜の部の間のわずかの時間で、演芸場で開催中の
《六代目三遊亭圓生 回顧展》を見学できたのも嬉しかったこと。
ロビーで展覧会のことを知って、よろこびいさんで演芸場へ走ってしまった。
好きになってしまった圓生のありし日をいろいろ想像できて実によかった。
圓生の几帳面な性格が方々で伺えて、あと、鏑木清方からの年賀状に「まあ!」と感激。




  

9月9日日曜日/更新メモ(リンク)、チェーホフとその映画のこと

Links を更新しました。実に半年ぶりになってしまいました。



今月の岩波文庫の新刊に、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』がある。
1998年の『桜の園』に引き続いて、今回も小野理子さんの新訳による発行だ。

3年前、その岩波の新訳『桜の園』発売のときは、
大好きチェーホフの再読の機会を持てたのがずいぶんな至福で、
あのときのよろこびは今でも鮮烈、そして、次は『ワーニャ伯父さん』だ。
今から発売が楽しみで楽しみでしょうがなくて、ちょっとムズムズしている。

今日は鬱陶しいお天気なので、終日在宅で、部屋でだらしない一日を過ごす。
本棚の奥からいろいろな本を取り出して、ソファに寝転んでページを繰ったリ、
音楽をいろいろ聴いてみたり、お茶を飲んでみたり。

なにしろムズムズしているので、本棚の奥から取り出したのはすべてチェーホフ文献。
チェーホフの諸々の文庫本のページをつれづれに繰ったりして、
これまでのいろいろな読後感のことを思い出しているうちに胸がいっぱいで、
それから、ゴーリキイの『追憶』(岩波文庫)所収のチェーホフに関する文章も
あまりに素晴らしいので、チェーホフへの恋慕と相まって、つい目がウルウルしてくる。

チェーホフに関する本と言うと、わたしは、ロジェ・グルニエによる
『チェーホフの感じ』(みずす書房、1993年)が大のお気に入りで、
山田稔による訳もとても素敵、今まで何度読み返したことだろう。

というわけで、今日もソファで『チェーホフの感じ』のページをペラペラ繰った。

で、そのなかの一節を抜き書き。

《……乾いた文体は、スタンダールが好んだ民法の文体とは異なる。
ここには音楽がある。チェーホフの散文はこれまでプーシキンの詩にたとえられてきた。
多くの場合、文章は三つの語句を連ねたきわめて音楽的なリズムとともに終わる。
「私たちの生活は平和な、やさしい、なごやかなものになるんだわ……」(『ワーニャ伯父さん』)
「夜になると、彼女が書斎の奥から、暖炉のなかから、寝室の片隅から
じっと見つめているような気がした」(『犬を連れた奥さん』)
「彼女はすでに彼の眼を、手を、笑い声を知っていた」(『わが人生』)
「よそのベッドで、苦しみながら、まったき孤独のうち死ぬ……」(『退屈な話』)
「あのともしび、夜のしじま、電線のわびしい歌……」(『ともしび』)》

そして、グルニエによると、チェーホフの文章の美しさを知るには、
フランス語より英語の方が適しているとのこと。
うーむなるほど、近いうちに英訳をいろいろ取り寄せてみるとしよう。



……というようなことをしているうちに音楽が聴きたくなったので、
ふと思い立って、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を再生し、うっとりと聴き惚れた。

モーツァルトのピアノ協奏曲を思い立ったのは、
ソクーロフの映画『ストーン』のことを思い出したから。
チェーホフの姿をスクリーンに甦らせたソクーロフの映画は墨絵のような静寂さで、
映画の最後に流れた、ピアノ協奏曲第23番がまさに天上の響きだった。
『ストーン』を観た当時は、特に気に入ったわけでもなかったのだが、
ヤルタの雪景色とともに妙に糸を引き、とても印象に残った映画で、
以来、チェーホフのことを思うたびに、いつもモーツァルトを思う。

三百人劇場におけるロシア映画の特集上映で、
チェーホフ原作の映画だけはぜひとも観に行こうと思っていたのだが、
結局、行き損ねてしまった。どんな感じになっていたのだろう。

チェーホフに関する映画で思い出すのは、
なんといっても、ルイ・マル監督の遺作『42丁目のワーニャ』。

マンハッタンの42丁目のスタジオで劇団員が、
『ワーニャ伯父さん』の通し稽古をやっているという映像で、
『ワーニャ伯父さん』の劇が、私服の役者によって演じられるという
ただそれだけの映画で、美しいセリフの数々や緊迫した交錯を移すカメラは
終始淡々としていて、そして、淡々としていたからこそ、
そのカメラアングルとセリフの混じり具合にクラクラしっぱなしだった。

冬の始まったばかりの肌寒い日に六本木のシネヴィヴァンへ
『42丁目のワーニャ』を観に行った日のことは今でも鮮明に覚えている。
そういえば、今はなきシネヴィヴァンではずいぶんいろいろな映画を観たものだった。

ルイ・マルはその最後の映画で、なぜ『ワーニャ伯父さん』という素材を選んだのか、
詳しいことはまったくわからぬのだけれども、チェーホフ好きにはたまらない映画だった。

彼の映画作品の全てが好きというわけではないのだけれども、
ルイ・マルは最後にとびっきり素敵なプレゼントをしてくれたなあと思った。
そうそう、『42丁目のワーニャ』の音楽はジャズ、
ジョシュア・レッドマンの演奏が使われいたりして、
デビュウ作の『死刑台のエレベーター』はマイルス・ディヴィスで、
次の『恋人たち』はブラームスの弦楽六重奏曲で、『鬼火』ではサティ、
『さよなら子供たち』ではシューベルトの《楽興の時》で、
ルイ・マルは最後の最後まで、音楽づかいが冴え渡っていたなあとつくづく思う。

……とかなんとか、そんなことは実はどうでもよくて、
かえすがえすも、岩波文庫の『ワーニャ伯父さん』が待ち遠しい!




  

9月16日日曜日/幕見席の『紅葉狩』と大岡昇平の小説、自由で澄明な美の世界

11日火曜日、歌舞伎座夜の部の一幕見席で、『紅葉狩』を観た。

折からの台風上陸で、日中は、窓からの暴風雨を眺めつつ、
果たして今日は無事に家に帰れるのかしらと憂鬱になっていたのだけれど、
夕刻間際になってみると、台風はすっかり通過。
暴風雨などまったくなく、外の道を普通に歩ける通常の生活、
ああ、なんと素晴らしいことでしょう! と、当たり前のことが嬉しくてしょうがなくて、
このまま家に帰るのはもったいないなと、前々からうっすらと計画していた、
歌舞伎座の夜の部の『紅葉狩』一幕見を実行に移すことにしたのだった。

当日になって、ほんの思いつきで、歌舞伎座に寄り道というのは、
ずいぶん久しぶりで、こんな感じの気まぐれ観劇っていいないいなと、
『紅葉狩』の舞台の一足先の秋の季節感に見とれつつ、終始上機嫌だった。

『紅葉狩』は黙阿弥作の舞踊劇で、初演は九代目團十郎。
わたしが『紅葉狩』の舞台を観たのは3年前の顔見世興行、
あの日の舞台は、芝翫の更科姫と富十郎の維茂という配役、
その二人の風格ある踊りと、常磐津・長唄・義太夫の三方掛合いの
音楽的楽しさで、一気に大好きになってしまった演目だ。

それから、20世紀は映画の世紀、ということを象徴するような、
現存する日本映画最古のフィルムは1899年撮影の、
九代目團十郎の更科姫を撮影した『紅葉狩』だったという映画史なことが
『紅葉狩』を思うといつも頭に浮かんで、それだけで胸が躍ったりもする。

今月の歌舞伎座の『紅葉狩』は雀右衛門と梅玉で、山神に吉右衛門。
雀右衛門の更科姫は、赤姫という品格とかわいらしさがある一方で、
ところどころで鬼女の正体がうっすらと漂ってくるような妖艶なところもあって、
その両者の混じり具合が、とてもよかった。
『紅葉狩』は、更科姫の侍女に維茂の従者などなど、
脇の人物にも次々と見せ場になるような踊りがあって、それぞれの対照とか、
ディテールがとても楽しくて、目にうつる踊りの変化、耳で聴く音楽変化、
耳で目で五感で舞台に接して、じんわりと酔ってくる感じなのだ。

天井桟敷という観覧席は、谷底を見るようにして遠くから眺める角度が、
さらに舞台を夢心地にさせる効果を生むところがあって、
『紅葉狩』の約一時間、舞台一面の紅葉山の秋の季節感と相まって、実によかった。

劇場を出て、日没後の銀座、やっぱり台風通過の穏やかな町並みが嬉しくて、
三越に寄って化粧品を買って、教文館に寄って本を買って、
それから、地下鉄一駅分だけゆっくりと歩いて、電車に乗って、
あともう少しで読み終わる本を家に帰る前に読み終えてしまおうと、
駅前の喫茶店に寄り道して、コーヒー片手に大岡昇平の『花影』読了。

獅子文六の『箱根山』や川端康成の『女であること』など、
このところ、川島雄三の映画の原作本を立続けに手に入れていたので、
これを機に、川島雄三映画化作品をちょいと追いかけてみようと、その2冊の前に、
前から気になっていた『花影』を読むことにしたという成行きだったのだが、
『花影』、一分の隙もないくらい小説として巧妙にまとまっていて見事だった。
アンニュイなヒロインの心情や生を、詩として情感として、
じんわりと淡く言葉やその行間にしみいらせていると同時に、
ヒロインやまわりの人間の愚かさや狡さや悲しさも容赦なく文章にしていて、
その融合の結果生まれる小説世界は、読んでいる瞬間もあとで見通したときも
これぞ小説だ! という確かな実感があって、爽快だった。

《自分の生活が空虚であるという自覚は、たとえばいまのように、
真昼に家へ帰る時、葉子を襲うことがあるのだが、そんな時は、必ず周囲の男女も、
それぞれに虚無を持っていると見えて来る。みんな自分と同じように、
死んだようになって生きているという考えが、彼女の生活の支えなのだ。》

《眠りが唯一の快い時である。ことに昼間、カーテンを引いたアパートの部屋で、
誰にもわずらわされず、思い切り手足を延して、
近くの小学校の校庭からあがる子供たちの声を、潮騒のように聞きながら、
昏々として眠り続ける時である。男たちはよく葉子の寝顔が美しいという。》



歌舞伎座のあとの教文館では『武蔵野夫人』を買っていて、
冷めたコーヒーを前に、『武蔵野夫人』を途中まで読んだあと、
部屋に帰ると、時刻はちょうど10時になるところだった。

いつもは、部屋に帰るととりあえず、なにかのレコードを流すのだけれども、
暴風雨の一日を振り返ろうとでも思ったのか、
その日の夜にかぎって例外的に、NHK ニュースをつけた。

なので、突然、あのニュース映像を目の当たり、ということになってしまった。

それからずっと、気が滅入って滅入って、なんだかもう、どうにもならない感じだった。



雑誌「ギンザ」の豊崎由美の書評を読んで急激にそそられてしまい、
堀江敏幸の長篇小説、『いつか王子駅で』を買いに行った。

長谷川利行の《荒川風景》という名の絵が表紙に使われているのを見て、
本を開く前に、はやくもうっとり。

そんなわけで、『いつか王子駅で』を開く前に、
長谷川利行の名前を知るきっかけになった、
洲之内徹をパラパラと読み返す時間を持つこととなった。

長谷川利行の《自由で澄明な、きらきらするような美の世界》、
洲之内徹は、美に憑かれた画家の姿に勇気づけられると書いている。

ここで少しだけ、海老原喜之助の「ポアソニエール」という名の作品に対する、
洲之内徹の文章を抜き書き。(『絵のなかの散歩』より)

《こういう絵をひとりの人間の生きた手が創り出したのだと思うと、不思議に力が湧いてくる。
人間の眼、人間の手というものは、やはり素晴らしいものだと思わずにはいられない。
他のことは何でも疑ってみることもできるが、美しいものが美しいという事実だけは疑いようがない。》

《知的で、平明で、なんの躊いもなく日常的なものへの信仰を歌っている「ポアソニエール」は、
いつも私を、失われた時、もう返ってはこないかもしれない古き良き時代への回想に誘い、
私の裡に郷愁をつのらせもしたが、同時に、そのような本然的な日々への確信をとり戻させてもくれた。
頭に魚を載せた美しい女が、あわてることはない、こんな偽りの時代はいつかは終る、
そう囁きかけて、私を安心させてくれるのであった。》

そういった洲之内徹の美を見る視線に、わたしはとても勇気づけられ、
そして、だいぶ、心の安静をとり戻すことができたような気がするのだった。

明日は、『ワーニャおじさん』を読もうと思う。




  

9月18日火曜日/岩波文庫の新訳:チェーホフの『ワーニャおじさん』

というわけで、昨夜、岩波文庫の新刊の『ワーニャおじさん』を読んだ。

車中では、行きは大岡昇平の『成城だより』、帰りは獅子文六。
両方とも面白すぎて、眠気が一気に吹っ飛び、ページをめくる指が止まらない。

『ワーニャおじさん』は、帰りにお気に入りの喫茶店に寄り道して、
満を持してという感じで、ページを開いて、ごく薄い文庫本なので、
まるで映画を観るようにして、その世界に一気に埋没という感じで、読みふけった。

チェーホフの戯曲は、数年来、好きな映画を何度も見るみたいに、
もしくは好きな音楽を何度も聴くみたいにして、繰り返し読み返している。

そして、今回は、小野理子さんの新訳による岩波文庫の『ワーニャおじさん』。

発売前から待ち遠しいあまりムズムズしていた小野さんの新訳は、
チェーホフ再読そのもののよろこびを体験させてくれるのは言うまでもなく、
新しい訳で読むことで得ることができる新たな地平が大いにあって、
たとえば、同ページに参照できるように配置してある解説を見ることで
チェーホフの戯曲にちりばめられた過去のロシアの戯曲の引用を知ったり
それからちょっとした言葉遣いにひそむ劇的効果に大きく頷いたり、
実際の舞台を見ているような臨場感を味わうことができたり、などなど、
期待を大きく上回る、有意義で幸福なチェーホフ読みの時間を持つことができた。

『ワーニャおじさん』のセリフをひさしぶりに追うことで、
チェーホフを読むことができる現在に対する幸福感を味わうと同時に、
プーシキンやゴーゴリなど、チェーホフ前史の19世紀ロシア文学の系譜を追いかけてみようと、
明日の本読みの夢がふくらんでくるというところが大収穫だった。
いつもはチェーホフだけで満足という感じだったのだけれども、
19世紀ロシア文学のなかのチェーホフといった感じに、少しだけ相対化を試みようと思っている。



『ワーニャおじさん』は「四幕の田園生活劇」。

ダイナミックでドラマチックな展開があるというわけでもなく、
ある田舎の邸宅の日常生活を切り取ったという感じで、
退官教授夫妻が屋敷にやって来ていてちょっとした波瀾を引き起こし、
最後は彼らが去って行くところで終わるという、幾分の起承転結があるに過ぎない。
傑出した主人公があるわけではなく、数人の人物がそれぞれの欠点や鬱屈を抱えて、
いろいろすれ違ったりチグハグした関係を築いたりしている。戯曲はその交錯を描いている。

それにしても、チェーホフがいかに素晴らしいか、なかなか言葉にできず、もどかしいばかり。

なので、いつも抜き書きばかりなのだが、たとえば、小沼丹は「チエホフの本」という文章で
以下のように書いている。(講談社文芸文庫『小さな手袋』所収)

《ゴリキイは、チエホフを読むと空気が澄切って、裸の樹立や狭い家や
灰色の人物の輪郭が鋭く彫られている晩秋の物悲しい日のなかにいる感じがすると書いている。
確かにそんな感じがあるが、チエホフは読む人に依って、いろいろな姿を示すように思う。
難しいチエホフ、やさしいチエホフ、滑稽なチエホフ、憂鬱なチエホフ
――しかし、当のチエホフはそれらの読者を微笑を浮かべながらじっと見ている。そんな気がする。》

まさしくこんな感じに、チェーホフを読んでいる時間は、
すぐ近くにチェーホフが立っていて、わたしの横で、微苦笑している感じがする。
チェーホフは誰が読んでも、その人のそばにそれぞれの表情でもって立っている。

この点で、チェーホフはモーツァルトにとてもよく似ている。
ピアニストの内田光子さんが、モーツァルトのソナタを演奏会のアンコールで弾くと、
自分一人のために弾いてくれたようにお思いになる方が多い、
というふうに語っていたのをどうしても思い出してしまうのだ。
そして、積極的にモーツァルトが嫌いだという人はあまりいないのではないか、
(もちろん特に関心がない人や何の感想も湧かない人はごまんといるにしても)
これと同じように、チェーホフが積極的に嫌いという人もあんまりいないような気がする。
(もちろん、これといった感想は湧かないという人はごまんといるにしても。)

そして、チェーホフの物語は、「おわりなければ初めもない」という感じの、
絶えずうつろいゆく日常のひとこまをパッと切り抜いており、
そこにあらわれる、常に一瞬にして永遠の現在、それがたまらなく愛おしい。
チェーホフの短篇小説、『犬を連れた奥さん』の最後の有名な文句は、
たぶん古今の短篇小説のなかでも白眉の結びの文章だと思うけれども、
ここの文章は、そのままチェーホフの戯曲全体にあてはまるモチーフとなっている。

そして、またもや抜き書きしてしまうと、『犬を連れた奥さん』の途中の、
以下の一節がわたしは大好きで、折に触れ、頭に浮かべてはよい気分になっている。

《木々の葉はそよともせず、蝉が啼き、下の方から聞こえてくる単調で鈍い海のざわめきは、
人を待ち受けている安らぎを、永遠の眠りを語っていた。
海はまだヤルタやオレアンダがなかった頃も同じ場所でざわめき、現在もざわめき、
私たちがいなくなったあとも同じように無関心にざわめきつづけるだろう。
その恒久不変性のなかに、私たち一人一人の生や死にたいするこの全き無関心のなかに、
恐らくは私たちの永遠の救いや、地上の生活の絶え間ない移り行きや、
絶え間ない向上を保証するものが隠されているに相違ない。》

そう、まさしく、この恒久不変性こそがチェーホフを読んでいるときの幸福感そのものなのだ。

……と一人納得してしまうのだったが、好きで好きでたまらないのだけれども、
なかなか言葉で説明できずもどかしいチェーホフの素晴らしさ。
チェーホフ自身の他の文章を読むと、その説明が随所にひそんでいるような気がする。

もう一度、『犬を連れた奥さん』より。

《明け方の光にひときわ美しく見える若い女と並んで坐り、
このお伽話のような舞台装置――海や山や雲や大空を眺めて、
次第に気分が安らぎ、うっとりとなったグーロフは、
煎じつめればこの世のことは何もかもが美しいのであり、
美しくないのは生きることの気高い目的や自分の人間的価値を忘れたときの
私たちの考えや行為だけなのだ、と思うのだった。》





  

9月19日水曜日/かっこいい大岡昇平、初期獅子文六にクラクラ

大岡昇平の『成城だより』、今日で最後のページになってしまった。
それにしても、かっこいいじいさんだなあと、変な言い方をしてしまうと、
読んでいるうちに、生きる希望がモクモクと湧いてくて、嬉しくてしょうがなかった。

印象に残ったところはたくさんありすぎて、これから先、何度も読み返してしまいそう。

驚いたところのひとつが、映画『アマデウス』を3回も見に行ってしまっているところ。
3回目はアカデミー賞受賞直後、映画館の前にヤマハでスコアを買ったり、
コムデギャルソンに寄り道したりと、それにしても、3回も見に行ってしまうとは!

傍らに登場する吉田秀和さんは「映画は見に行かないのだそうだ」とのことで、
わたしも今まで特にこの映画に関心がなかったのだけれど、
大岡昇平がそこまでハマっているのを目の当たりにすると、急激に見たくなってしまった。

一回目に丸の内で見たときは《かあいそうなモーツァルト》と、
《二時間、バックに流れるモーツァルトの音楽を延々聞くうちに、
涙が出て来たのである》というふうに書いていて、
《十八歳の時、三大シンフォニーをレコードで聞いてより、
五十年わが音楽生活はモーツァルトとともにあった。
私には音楽はモーツァルトさえあればいいので、あとはみんな「勉強」だったのだ。》
という箇所を見るにつけ、その大岡昇平のモーツァルトへの愛が伝染してしまって、
今日は部屋に帰ってからはずっとモーツァルトのレコードばかりを聴いていた。
大岡昇平の偏愛曲 K. 503 はわたしの偏愛曲でもあるのだ、と、そんな些細なことまでもが嬉しい。

そんな感じに、モーツァルトを次々に流しつつ、
武田百合子さんの『日日雑記』(中公文庫)をペラペラ読み返したりもして、
なんだかもう、『成城だより』の余韻はどこまでも尽きない。
巻末の刊行目録を眺めて、大岡昇平の特に芸術論的な文章をもっと読んでみたいなあと、
将来の古本屋行きのたのしみもどんどん増えていく。

『成城だより』の加藤典洋の文庫解説では、《都市的な精神の上澄みの生動》という言葉ともに、
『成城だより』を町ッ子の系譜、すなわち荷風から坪内祐三、植草甚一や川本三郎などの路線でもって、
捉えているところにも、これらの書き手を日頃からこよなく愛読していた身からすると、
ワクワクしっぱなしで、これからもより掘り下げつつ町ッ子の系譜を追いかけてみようッ、
と、やはりひたすら嬉しくなってしまう、『成城だより』読後のひとときで、
ちょうど今、岩波書店から荷風の『断腸亭日乗』新版が目下刊行中というのも、嬉しいタイミング。
川本三郎の『荷風と東京』を再読しつつ、江戸東京博物館の《永井荷風と東京》展を追憶しつつ、
これから数カ月にわたって、荷風と遊ぶひとときになりそうな気配なのだ。



それから、今日は、獅子文六の初期短篇集、角川の『獅子文六作品集 第一巻』を読み終えた。
7月に平野書店で衝動買いした5冊の獅子文六、そのうち3冊目の読書。

今回、念願の『金色青春譜』以下、昭和10年代の初期の獅子文六をまとめて読めたのだったが、
初めて小津安二郎の『淑女は何を忘れたか』を観たときとまったく同じような感動、
なんだかもう、クラクラしっぱなしだった。ひたすらかっこよくて、
ひたすらモダーンで、そして獅子文六の一番の魅力の渇いたユーモアがギュッと詰まっている。

先週読んだ「敗戦三部作」の『やっさもっさ』もなかなか面白かった。
獅子文六に関しては、追々、書き足していこうと思っている。




  

9月24日月曜日/色ガラスの街:三連休お出かけメモ

金曜日の夜は、ご飯を食べたあと、雨のなかをしばし歩いた。
いつも通るときは月の形を確かめようと空を仰ぐことが多いこの道、
雨降りでもそれなりに嬉しい気分で歩いていて、
信号がもうすぐ赤、傘を傾けてちょいと小走りのその瞬間、
忠臣蔵五段目の花道が思い浮かんで、なんだか楽しかった。

そんな感じで、部屋に帰って夜ふけのひととき、『新版 断腸亭日乗』を繰った。
『断腸亭日乗』の記入開始は大正6年9月、ちょうど今とまったく同じ季節感で、
《秋雨連日さながら梅雨の如し》という言葉で始まっていて、しばし雨の日が続く。
と、雨降りのなか家路についた直後の『断腸亭日乗』のひとときは格別の時間なのだった。

で、一夜明けたあとの三連休は連日とてもよいお天気、まさしく秋日和。

《円い山の上に旗が立ってゐる
空はよく晴れわたって
子供等の歌が聞えてくる
紅葉を折って帰る人は
乾いた路を歩いてくる
秋は 綺麗にみがいたガラスの中です》

これは、尾形亀之助の『色がラスの街』という詩集のなかの「秋」という詩なのだけれども、
そうまさしく! 「色ガラスの街」という言葉がぴったりの三連休だった。

さて、ここから先は、三連休お出かけメモを。色ガラスの街とか言っているわりには、すべて屋内。


【三連休お出かけメモ】

● 九月大歌舞伎・昼の部(於:歌舞伎座)

土曜日は歌舞伎座へ。『明君行状記』と『一谷嫩軍記』の陣門・組打、
その間に『俄獅子』『三社祭』と舞踊があり、最後に芝翫の『藤娘』という組み合わせ。

やはり、期待通りに素晴らしいのは吉右衛門の熊谷の『一谷嫩軍記』。
今回上演された「陣門・組打」は『一谷嫩軍記』全五段のうちの二段目。
五段の浄瑠璃の一番の山場は三段目で、『一谷嫩軍記』の場合は、
「熊谷陣屋」がそこにあたり、歌舞伎でも最も頻繁に上演される場だ。
なので、今回の「陣門・組打」は三段目にいたる道筋という感じで、
のちの大きなドラマの伏線を内に秘めつつ、そこはかとなく観客に暗示もするという、
パッと派手な展開があるわけではないけれども、とてもとても深く、じんわりとしている。
4月の歌舞伎座では『義経千本桜』の二段目「渡海屋」を吉右衛門で観ている。
今月の「陣門・組打」も、時代物では現在考えられる最も贅沢な配役の吉右衛門で、
五段形式の浄瑠璃の二段目を観られるというわけで、
浄瑠璃全体をひとつの宇宙として頭のなかに思い描いて、
そういう観点でもって、二段目の舞台を観るのは4月と同様で、
そういう視点で見る舞台は吉右衛門の芝居を見る上でも、
歌舞伎の型を見る上でも、目が醒めるくらいに楽しい。
先日、文楽の『本朝廿四孝』通し上演で浄瑠璃全体に張り巡らされた糸を
ときほぐす楽しみを味わったばかりで、浄瑠璃にますますゾクゾクの昨今。
やはりわたしのとっての歌舞伎の快楽は丸本ものにあるなあと痛感した時間だった。

「陣門・組打」は二場とも、背景がとてもシンプルというか殺風景。
そして、そのことが、人間と馬の、姿そのものや動きを際立たさていて、とてもよかった。
「人馬一体。敦盛の白馬もそうですが、馬の演出がすばらしいですね」という、
吉右衛門の言葉を筋書のインタヴュウで目にして、なるほどなあと深く納得。
最後の熊谷直実の姿、替え玉にするために息子を殺した直後の熊谷、
下手から黒馬がやってきて、息子の首を馬にくくりつけて、
馬と一緒に泣いているような動きになったり、見得をきったり、
馬と熊谷の立ち位置が何度かゆっくりと変化するという静かな演出、
その何でもないような動きの中に、言い知れぬ風格とか劇の余情がにじみ出ていて、
そこの吉右衛門の役者ぶりが実に素晴らしかった。
そして、白馬に乗っている敦盛(本当は熊谷の息子)の梅玉の、
気品と哀愁、その役者ぶりも素晴らしいものだった。
吉右衛門と梅玉ががっぷりと四つを組む「陣門・組打」だった。
浄瑠璃そのものの楽しさと役者の芸の双方を堪能できたわけで、最も理想的な芝居見物となった。

そうそう、今月の歌舞伎座は梅玉が素敵だった。
真山青果の新歌舞伎『明君行状記』は、前半はちょっと退屈というか、
橋之助のガンガンとがなりたてるようなセリフの言い回しにイライラしてしまって、
イライラしているうちに、橋之助のセリフ回しは役の人物そのものの
焦躁をうまく伝えているという見方もできる、という気もしてくるうちに、梅玉が登場する。
梅玉が登場すると、その口跡がとてもよくて、人物の大きさとかちょっとした陰陽とかおかしみ、
様々なニュアンスを絶妙に織りまぜた感じの口跡が、ガンガンとした橋之助と対照的で、
前半との対比が見事。初演は二代目左團次だったという事実に、深く納得。
二代目左團次の姿がなんとなく想像できるような感じの役でもあった。
4月の歌舞伎座でも真山青果の新歌舞伎『頼朝の死』に出演していた梅玉、
青果劇に力を入れているのだろうか、何はともあれ、今後も注目したいと思う。

それから、芝翫の『藤娘』がなんともまあ、幸福な時間だった。
『藤娘』は3月の歌舞伎座で愛嬌たっぷりの愛らしい勘九郎の踊りを堪能したばかりで、
その記憶がとても鮮明なのだけれども、芝翫の藤娘は勘九郎とは違った意味でとても素敵で、
そして、わたしは芝翫の藤娘の方が好きだなあと思った。
勘九郎のピチピチはじけるような可愛らしい藤娘も素晴らしいのだけど、
芝翫の方は、とてもノーブル。その気品はツンとおすましのお姉さんっぽい感じで、
後半の藤色のきものになってからは、まさしく藤の精そのものの神々しさ。
長唄の人がチーンと風鈴のような楽器(名前わからぬ)を何度か鳴らしていて、
その音がちょっと神秘的な空気を醸し出していて、その音と芝翫の神々しさがよく調和していた。

とまあ、一言でまとめてみると、今月の歌舞伎座は、吉右衛門、梅玉、芝翫の姿がとても印象に残った。
歌舞伎のたのしさは、なんといっても役者を見るたのしみ、そのことを痛感した。
今月のブロマイドは、紅葉狩の雀右衛門と、芝翫の藤娘と吉右衛門の熊谷を購入。


● 1930年代日本の印刷デザイン(於:東京国立近代美術館フィルムセンター

歌舞伎座のあと、京橋まで歩いて、フィルムセンターへ。
7月に《写真再発見》という展覧会を堪能したフィルムセンター展示室なのだが、
今回も《大衆社会における伝達 1930年代日本の印刷デザイン》という、
聞いただけでワクワクの展覧会が催されているのだ。
ちょっとだけ時間が空いていたので、これはよい機会と足をのばした次第。

1930年の都市文化に対するわたしの関心は、戸板康二が青年時代を送った時代、
日中戦争前の小春日和のような東京に対する関心というのがまずあって、
それから、日頃からバカのひとつ覚えのようにこよなく慕うモダン都市東京、これに尽きる。
というわけで、当時のポスターを通して、リアルに時代の空気を体感できるわけで、
それだけでもとてもたのしい展覧会だった。

展覧会の構成は、まず《文字の装飾化》と題して、主にプロレタリア運動に関するポスター。
柳瀬正夢によるデザインの労働運動のポスターを見て、洲之内徹の文章が胸によみがえったりも。

それから次は《社会生活の標語化》。労働運動や内務省による生活道徳の提唱に関するポスター。
「明るい出勤明るい家庭」や「化粧するよりまず洗濯」など、紋切型文句に何度もクスクス、
その簡略化した絵とそれをとりまく全体の構図、全体のデザインがほんわかといい感じだった。
1937年の「人も組織も総動員」という標語のついたポスターは杉浦非水によるデザイン。
背景の牧場の図案、牛や羊などの田園風景の構図がいかにも非水でとても嬉しかった。
三越と地下鉄のポスター以外の非水を見たのは今回が初めてで大収穫だった。

が、今回の展覧会のわたしにとっての最高潮は、後半部分にあった。
《グラフィズムの新感覚》と題されたコーナーでは1930年代のカメラ雑誌の表紙デザイン、
そして、最後の《商品化される市民生活》では、日頃から激しく愛を注いでいる
戦前の日本映画とモダニズム空気をヴィヴィッドに伝える映画広告ポスターに大感激だった。

1930年代のカメラ雑誌の表紙は、バウハウス流のグラフィックデザインということで、
幾何学構成の図案と軽快で洗練された文字の構図がとても洒落ていて、
ここのコーナーで一番最初に目にしたのは、恩地孝四郎による「写真サロン」という1935年の雑誌。
色の感じといい全体のバランスといい、実に素敵で、
日頃から好きな恩地孝四郎を思いがけなく見られたわけでとても嬉しい。
最近、石神井書林の古書目録でさらに気になる昭和初期の人々のひとりの村山知義とか、
それから、河野鷹思による「NIPPON」という雑誌の表紙がハートに直撃だった。
日本家屋の美しいフォルムときもの姿の女のひとを配置したデザイン。

最後のコーナーの映画ポスターでも河野鷹思のデザインを見ることができて、
戦前の彼が活躍していたのは小津安二郎たちが仕事をしていた都会派松竹の映画広告、
その幸福な時代を彷佛させる展示で、戦前日本映画のモダニズム空気っていいないいなとしみじみ思った。
映画ポスターはこの時代の消費文化を象徴するアールデコを取り入れているとのことで、
島津保次郎の『浅草の灯』や山中貞雄の『人情紙風船』など
もともと大好きな映画のポスターを見るのも楽しいし、
わたしのまだ知らぬ他の戦前日本映画モダニズムにも思いを馳せるのも楽しい。
とりわけ、清水宏監督の『彼と彼女と少年達』のポスターは縦長で水色と赤の色遣いがとても素敵、
上原謙と桑野通子というキャスティングにも非常にそそられてしまう。
島津保次郎の『兄とその妹』という、大好きな映画のことを思い出してうっとりだった。
映画ポスターコーナーでは、その島津保次郎の名前を何度も見ることができて、
『光と影』とか『隣の八重ちゃん』のポスターを見るにつけ、この監督の映画をもっと観たいなと、
将来の映画への意欲がフツフツと胸に湧いてきて、幸福なひとときだった。
それから、《商品化される市民生活》の展示物では観光旅行を扱った展示も何枚かあって、
そのデザインの多くは杉浦非水によるもの、非水っていいないいなと、またもや眺めて嬉しい。

というわけで、一言でまとめてみると、今回の小さな展覧会は当初の期待通り、
大好きモダン都市東京の時代を、違った角度からヴィヴィッドに体感する実に幸福なひとときとなった。


● デュフィ展(於:安田火災東郷青児美術館

次の日曜日は秋分の日。

朝から眠くてたまらず今日は家でのんびりしようかと思ったのだけど、
せっかくのよい天気に家にいるなんて! 前から行こうと言ってた
《デュフィ展》へ今日こそと、無理矢理誘われて、
重い腰をあげて、新宿西口に行ったのだったけど、今日来て本当によかった。
わたしにとっては長らく鬼門だった安田火災東郷青児美術館で、
こんなに堪能したのは今回が初めてだったような気がする。

デュフィの絵はいままでいろいろな場所で何度も目にしていて、
いつかまとめて観てみたいものだとつねづね思っていたのだけど、
今まで何度もデュフィ展の類には行き損ねていたので、やっと悲願達成。
今回の展覧会では、彼の生涯をたどりつつ画風の変遷とか同時代のこととかをたどれて、
展示も質量ともにちょうどいい感じで、会場の混み具合もちょうどよくて、
なにもかもが、ほどよくて、絵を見る時間を純粋に楽しんだ。

デュフィ展は「印象派の影響からフォーヴィスムの時代へ」というところからスタートで、
1905年にマティスの「豪奢・静寂・逸楽」に感激してフォーヴィスムへと向かい、
色彩そのもののたゆまぬ研究をするデュフィの絵を見ることとなって、
そのあと、セザンヌ再発見からキュビズムへと入り、形態そのものへの関心、
それからデザインの影響による装飾の時代を経て、形態の単純化および記号化へと至る。
と、そんな感じに、周囲のいろいろなことを貪欲に取り入れて織りまぜて、
やがて独自の画風を確立していく画家の姿、その過程とそこに至る多数の佳品を眺める時間。

デュフィの絵は見ているうちに、なんだかしみじみと幸せな気持ちになってくる。
デュフィの絵そのものを眺める時間がじんわりと胸にしみいるような幸福感であると同時に、
彼に影響を与えたいろいろなことを通して、絵を見ることをとりまくいろいろなことに
思いを馳せることになって、いろいろなことを類推するのがとても楽しかった。
たとえば、画面構成や事物の形態のこととか、色彩そのもののこととか、
現実と非現実の配置のことなどなど、デュフィの絵を見ながら、いろいろなことを考えた。

とりわけ面白かったのが、《田園の風景と装飾画のコンポジション》と題されたコーナーで、
色彩の巧みな配置と装飾的な線描という、デュフィの典型を見ることができて、
色彩のヴァリエーションの多彩さと、具象と抽象の混じり具合にゾクゾクだった。

デュフィは軽やかだけど深みがあって、リズミカルでもあってメロディアスでもある。
そんな重層的雰囲気にほのかに酔った展覧会だった。

とまあ、一言でまとめてみると、デュフィはすごく素敵ですごく面白い。
そのデュフィの絵画が一堂に会した展覧会の時間はとても幸福なのだった。





  

←PREVNEXT→

INDEX | HOME