日日雑記 October 2001

04 アフリカの地図、プーシキンとの散歩、群像社のこと
07 国立劇場の『天下茶屋』を見物、国立劇場の資料集に感動
09 更新メモ(劇場の椅子)
22 暮しの手帖社発行の清水一の建築エッセイ
23 ゴーゴリの戯曲をめぐる諸々の散財
24 川端康成の『女であること』読み始め、『夢声日記抄』にムラムラ
29 葵太夫のページに感激、池波正太郎と戸板康二の対談を発見

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10月4日木曜日/アフリカの地図、プーシキンとの散歩、群像社のこと

チェーホフの『ワーニャおじさん』を先月、小野理子さんの新訳で再読したとき、
とても印象に残ったことのひとつに、アフリカの地図のことがある。

劇が終わろうとしているところ、第四幕の最後の方で、
ワーニャおじさんことヴォイニーツキイと出発間近のアーストロフとが語り合っているところで、
「ところでこのアフリカじゃ、今ごろは猛烈な暑さだろう、えらいことだ」と、
アフリカの地図をじっと見つめながら、アーストロフがつぶやく。

そこに脚注が添えられていて、
《この頃ロシアのインテリの間に「別天地アフリカ」への憧れがあった。
ヴォイニーツキイとアーストロフも、かつて一緒にアフリカへ行こうと語りあったのではないか。
今、夢は潰えて地図だけが残っている……(チェーホフ自身も1893年からアフリカ旅行を希望し、
97年暮れにはかなり具体的に計画を立てたが実現しなかった)》
とのこと。

ブラームスやトーマス・マンなどドイツ人にとってイタリアが憧れだったのと同じように、
この頃のロシア人にはアフリカへの憧れがあったということを初めて知って、
チェーホフ自身の姿が多分に重なるアーストロフの、叶えられなかったアフリカへの思い、
その諦念のようなものとそれでも一筋の光が射すようにして終わる劇全体のこと、
虚無的ではあるけれども希望というか前へ進もうとする意志にあふれているという、
チェーホフの戯曲に漂うこういった感覚が好きだなあとあらためて胸がジンとなった。

アーストロフへの恋が叶えられなかったソーニャが、
《ワーニャおじさん、生きて行きましょう。長いながい日々の連なりを、
果てしない夜ごと夜ごとを、あたしたちは生きのび、運命が与える試練に耐えて、
今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働きつづけましょう……》
と言い、その背後ではギターの音が静かに鳴り響ているという
美しいラストシーンにつながっていく、その直前に登場する、
アフリカの地図のことがとても心に残った。

それから、『ワーニャおじさん』を読んで思うことに、
アーストロフのエレーナに対する気持ちの本当のところは?
というのがあるけれども、その答えは、チェーホフ自身が語っていたそうで、
ロジェ・グルニエの『チェーホフの感じ』(山田稔訳/みすず書房)によると、
チェーホフは、女優で奥さんのオリガ・クニッペルに対して、
「じつはアーストロフはエレーナに夢中ではないのです。
なるほどアーストロフはエレーナが好きだし、その美しさに思わず息をのむ。
しかしそれは大したことではなく、エレーナがまもなく姿を消すことが
アーストロフにはすでにわかっている」と語って、二人の別離の場面については、
《だからこの場面では、アーストロフがエレーナにしゃべる口調は、
アフリカの暑さを話題にしているような口調でなければいけません》
というふうに説明していたのだそうで、ここにもアフリカが登場しているのだ。
アーストロフのエレーナに対する口調は、最後のワーニャおじさんに対するそれと同様なのだ。

そこに対するグルニエの文章がまたいい。

《なるほどこの別離の場面を読み返してみると、たしかにここは控えめに、
ハーフトーンで演じなければならぬことがわかる。
がしかし、この場面の魅力の源は、生まれる可能性がありながら
生まれることのなかった恋のあいまいさ、手遅れだったという意識、
危うい瞬間が去って今はもう安全なものとなった恋の告白、などである。》



と、先月の日日雑記に書き損ねた『ワーニャおじさん』に関する由なし事を少し書いてしまった。

アフリカの地図の余韻はしばらく続き、「アフリカの地図」と聞いてまっさきに思い出すのは、
大江健三郎の『個人的な体験』だ。本棚の奥から文庫本を取り出して、しばし読みふけってしまった。
この本は10年近く前に古本屋で購入したもので、前の持ち主さんの新聞の切り抜きが挟んであった。

その切り抜きは、朝日新聞の書評欄の「自作再見」というコーナーで、
大江健三郎がこの小説について書いていたもの。そこに三島由紀夫との論争のことが登場する。

そこに対する大江健三郎の文章は、
《三島由紀夫の批判は、僕が長い間、実際に小説を書くことで乗りこえる方法を
てさぐりするほかにない、したたかな否定をふくんでいるものであった。
時をかけてつくり出した僕としての答えは、次のように示すことができる。
人間が、まずは生きのびるべくつとめねばならぬこと、
死の側に立ち、時には自己の死をバネにして個の意味を相対化してはならぬこと。
いかなる政治、美といえども、この具体的な原理をくつがえしえぬこと。》
というふうになっていて、わたしは女学生の頃にとりつかれたように大江健三郎の
とりわけ初期作品に夢中で、そしてこの大江健三郎の言葉もひどく胸にしみていた。

と、つい追憶にひたってしまっていたのだったが、
このところ、増村保造の映画を何本か映画館へ観に行っているところで、
大江健三郎の『偽証の時』という短篇を原作にした『偽大学生』という映画を観て、
「んまあ!」と再び大江健三郎再読の気運が高まり、
昔むかし、国立の古本屋で買い求めてなんとまだ持っていた、
新潮社の『大江健三郎全作品』の端本をペラペラとめくっていたのだった。
『個人的な体験』もよいけれども『空の怪物アグイー』も好きなのだ。

が、チェーホフの『ワーニャおじさん』新訳の余波は大江健三郎だけではなかった。

ふと思いついて、東京堂で岩波文庫のプーシキンを3冊、
『オネーギン』と『ボリス・ゴドゥノフ』『スペードの女王/ベールキン物語』を買った。

試みに、『オネーギン』から読み始めたのだけれども、
目が醒めるくらいに面白くて。これを機に一気にプーシキンに夢中になった。
この小説は韻文小説の形態で、何本もの叙事詩をつなげていって、
ひとつの物語を形成しているのだけど、岩波文庫の池田健太郎は、
この韻文形態を巧みにふつうの散文小説に変換している。
初めて読んだのがこの韻文を散文にした『オネーギン』だったのが幸福な出会いだったと思う。
詩特有のリズミカルなところとか香気ただよう独特の典雅気分を満喫できて、
プーシキンの世界へのよき導き手となった。普通の小説形態なところが馴染みやすかった。
それから、講談社文芸文庫の『エヴゲーニイ・オネーギン』の方は、
原文の韻文小説の形態をそのまま踏襲した木村彰一による翻訳、
こちらもまた素晴らしいもので、岩波文庫の感動をまた別の訳で捉え直すのがとにかく至福だった。

それにしても、『エヴゲーニイ・オネーギン』のなんと素晴らしいこと!
主要な人物は、オネーギンと彼に恋するタチヤーナ、
オネーギンの友人レンスキイはタチヤーナの妹のオリガと恋仲、
オネーギンはレンスキイと決闘して彼を死なせて、
やがて人妻になったタチヤーナと再会したオネーギンは?
という感じに、シンプルな人物設定なのだが、
彼らの物語を語りつつ、何度も顔を出すプーシキンの姿がとてもよい。
詩の進行とともに、タチヤーナの人物造型が魅力を増していって、
それに、タチヤーナの恋を拒絶するオネーギンの心理にも共感してしまうところもあって、
オネーギンとタチヤーナ、それぞれの人物造型をうたうプーシキンの韻文にひたすらうっとりした。

試みに、木村彰一訳の韻文をひとつ抜き書きしてみると、

《マズルカがとどろいた。いったい昔は
マズルカの轟音がひびき渡ると
大広間ではあらゆるものが震動し
嵌め木細工のゆかが踵の下で割れ
窓枠ががらがたゆれたものだった。
ご婦人たちとおんなじに ワニスを塗ったゆか板を
滑るだけ。とはいえ田舎の町や村では
マズルカは今もって
原初の魅力を保っている。
跳び上がる 踵を鳴らす 口鬚を振る
すべて昔とそっくりだ。われらの暴君
現代のロシア人らの病弊たる
かの恐るべき「流行」もこれだけは変え得なかった》

という感じで、ここを抜き書きしたのはマズルカの旋律が頭のなかに鳴り響いて気持ちよかったから。
プーシキンの文章世界をおおう、この軽やかさはマズルカそのものだ、とこじつけてしまう。

『スペードの女王/ベールキン物語』は素敵な短編小説集、
神西清の訳が絶品で、かつてこの人の訳でチェーホフを読み始めたわけだったので、
素敵な翻訳を道先案内人のようにして海外文学に入っていく至福。

チェーホフを機に知ったプーシキンの世界、今後はぜひともオペラへとつなげていこうと思っている。



そういうわけで、今、19世紀ロシア文学が熱い。
こうしてはいられないと、またもや東京堂へ走って、今度は、
アンドレイ・シニャーフスキイ著『プーシキンとの散歩』(島田陽訳/群像社)と
岩波文庫の『新版ロシア文学案内』を買った。

『プーシキンとの散歩』はうっとりしてしまうような美しい書物。
結構、読みでがあって、今ゆっくりと文章を追っているところ。

今回嬉しかったのが、群像社の本を買う機会がひさしぶりにめぐってきたことだ。

群像社はロシア文学専門の出版社で、この出版社を知った経緯は以下のような感じ。

何年か前に、ヨシフ・ブロツキイの『ヴェネツィア』という書物を読んで、
一気にメロメロになってしまって、ブロツキイの名前が深く心に刻まれた、
が、ブロツキイはその直後に他界してしまい、数カ月立って、
沼野充義さんの訳で、ブロツキイのノーベル文学賞受賞の講演録の
『私人』という小さな書物が、群像社から発売になって、
すぐに購入して、その帰り道に読みふけって非常な感銘を受けた。

そのあと、なにかの広告で、版元の群像社の PR 誌に
『私人』に関する記事があることを知って、すぐに取り寄せた。
それからずっと定期的に群像社の PR 誌「群」が郵送してもらっていて、
まったくの門外漢に対して文学の香気のようなものを提供してくれる、
群像社の PR 誌 のファンとなったわたしだった。

と言いつつ、群像社の本をほとんど買う機会がなかったので、
今回の、チェーホフからプーシキンという流れはとても嬉しい。

岩波文庫の『新版ロシア文学案内』。

プーシキンに始まりチェーホフに終わる、
魅惑の19世紀の章が小野理子さんの執筆によるもの。
今回、急に19世紀ロシア文学の系譜などと思い立ったのは、
先月の小野理子さんの訳による『ワーニャおじさん』だったので、
またもや、小野理子さんを導き手にして、
19世紀ロシア文学に入っていく機会を持てたわけで、とても嬉しい。
こんな感じのテキストブック片手の「お勉強」気分の本読みも楽しいものだなあと思う。

そして、プーシキンの次はゴーゴリかなあと思っていると、折も折り、
群像社から《ロシア演劇セレクション》として、
ゴーゴリの戯曲が発売になっているではありませんか!

それにしても、なんとまあ、幸福な展開なのでしょう。




  

10月7日日曜日/国立劇場の『天下茶屋』を見物、国立劇場の資料集に感動

国立劇場で『天下茶屋』を観た。わたしのもっとも好きな配役は、
なんといっても吉右衛門と富十郎の組み合わせなので、前々からとても楽しみだった。
おそろしく出無精で歌舞伎座以外にはなかなか足を運ぶ機会がなかったのだが、
今回はえいっと張り切って、チケットを購入した次第。
そして、期待通り、吉右衛門と富十郎ががっぷりと四つを組んで横綱の風格。
芝居全体としては脚本的にちょっと薄味かなあという気もして、
各場のまとまりが散漫な気もしたのだけれども、
ディテール的にはなかなか楽しく、細部をあちこち堪能という感じの芝居見物となった。

序幕の四天王寺の場がさっそく面白い。
登場人物が次々とテンポよく舞台に登場するその流れが、
下座音楽のたのしさと相まって、とてもリズミカル。
あとで振り返ってみると、ここでこの芝居の主要な人物が全て登場していて、
劇全体の提示部的な箇所となっている。

面白かったのは、ここの登場人物がほとんど「対」になっているところ。
あらわれるコンビは四組、まずは松江と玉太郎演じる姉妹が登場して、
彼女たちは敵討ちを目指す伊織と源次郎の嫁でもある。
伊織と源次郎の兄弟は梅玉と信二郎が演じていて、
その部下、元右衛門と弥助も兄弟、
仇討ちの相手、富十郎演じる東間と彼にそっくりの庄三郎、
それぞれコンビの衣裳が色違いだったりお揃いだったりして、
目にうつる彼らの姿を対角線のようにピンと張って、
多角形のようにして舞台全体を見通すのがとても楽しかった。
伊織と源次郎の兄弟は衣裳ともども貴公子然としていて、
その女房たちは武家の女の凛々しさ、家来の元右衛門と弥助の衣裳、
謎めく庄三郎と東間の絵姿など、目に映る一対一対が視覚的効果抜群。
二度に渡って、東蔵演じる庄三郎は富十郎に間違われる、
幕切れのところでその二人がパッとすれ違って互いを牽制する瞬間がとてもかっこよい。
吉右衛門の元右衛門、酒をふるまわれて泥酔するところが、
磐石の構えという言葉がぴったりに芝居が素晴らしくうまくて、
見ていて実に気分爽快で、気持ちよすぎだった。

序幕では愛すべき小市民という感じのキャラクター元右衛門は、
次の幕から一転して主人を裏切り悪の道へと突き進んでいく、
悪の道へ突き進みながらも愛嬌たっぷりで、それでいてゾクゾクするような悪の形相、
そんな様々なニュアンスが織物のようになって形成されている元右衛門。
吉右衛門の元右衛門はその複雑なひとつひとつのニュアンスが絶妙に溶け合っている。
弟を殺す直前に、パッと片袖を切り取って頭巾にする瞬間の表情、
刀を振り下ろすまでの一連の動きなどなど、どこまでも素晴らしい。

続く福島天神の森の場で、殺されていく伊織の梅玉、
前幕で元右衛門に斬り付けられて足が不自由になっているので、
あまり動きがない、派手な動きがあるわけではないのに、
言い知れぬ風格を漂わす梅玉、そのはかない身の上が胸に染み入る。
彼らを殺す、吉右衛門と富十郎の絵姿がまさしく「悪の華」という感じ、
彼らここにきわまれり、という感じの、絶頂の瞬間だった。

ここの元右衛門の縞のきものがとてもかっこよく、
火縄をあやつる手つきといい、刀を抜く見得といい、
丸本ものの赤面のようなふてぶてしい、と同時にどこか愛嬌もあるセリフまわし、
最後に、伊織とともに割り台詞になるところ、などなど、
悪の形相の吉右衛門、散々な目にあう梅玉の漂わす悲愴美のようなもの、
それから殺したあと、東間と元右衛門との割り台詞から、
富十郎が花道を歩くとき、いきなり下座では胡弓の響きで、
いきなり剣士のような風格となる、ここの富十郎が思いっきりかっこよい。
そして最後の、元右衛門の引っ込み、という感じの一連の流れは、
富十郎&吉右衛門コンビのファンとしてはもっともよろこび全開の瞬間だった。

ここから先はいきなり芝居の展開がおおざっぱになっている印象なのだが、
人形屋幸右衛門を演じる梅玉の口跡がとてもよかった。
元武士の品格がにじみ出ていると同時にしがない空気もただよわしている、
その人物造型がとてもよかった。先月の歌舞伎座に引き続いて、
やっぱり、梅玉、いいなと思った。

最後に、仇討ちされるところの元右衛門、
おかしいやら情けないやらのところが実に素晴らしく、客席が湧いていた。
富十郎は東間とはまったく正反対の立場の二役を演じており、
東間が殺されたと思った直後にまたもや富十郎が、というところも
いかにも歌舞伎という感じでよかった。ここも客席が湧いていた。

最後に、国立劇場35周年に際しての口上が付く。
富十郎と吉右衛門と梅玉の言葉があって、まさしく今日は、
この三人のよい芝居を見せてもらった時間となった。
そして、他の俳優もそれぞれよい味を出していて、
これから気をつけて見ていこうと思わせるところ多々ありだった。



先月、文楽の『本朝廿四孝』通し上演を見物に行った折に、
初めて「国立劇場上演資料集」(1000円也)というものを購入した。
今まで特に気にも止めていなかったのだけれども、こんなに素晴らしい冊子だったなんて!
今までこの資料集を購入していなかったのはとんだドジだったと地団駄を踏む思い。
内容がとても充実していて、演芸画報の記事など過去の文献や
芸談の数々、研究者による論文などなど、この資料集とともに芝居見物をするのは、
ブッキッシュ(←本人自称)なわたくしとしては、これ以上ない楽しい時間である。

文楽見物のため、何度も足を運んでいる国立劇場だけれども、
歌舞伎見物のために国立劇場に来たのは、なんと女学校のときの「歌舞伎教室」以来だ。
これを機に、これからは積極的に国立劇場に足を運ぼうと思っている。
ふだんの歌舞伎座とは違った研究機関的な芝居見物もよいなあと張り切っている。

今回の『天下茶屋』の上演資料集もすばらしい一冊。
過去の劇場、大正時代の演芸画報の「芝居見たまま」の抜粋、
数々の芸談に数々の解説の類、これだけの資料が一冊の本になっている。
そして! 戸板康二の文章も二編収録されている。

というわけで、この上演資料集と喫茶店の可否道のおかげで、
今までいちまち好きになれなかった国立劇場が、
わたしにとって、このところそこはかとなくいい感じなのだ。




  

10月9日火曜日/更新メモ(劇場の椅子)

劇場の椅子を全面リニューアル。

まずは、2001年1月よりの観劇記録コーナーを設置。
観劇データとともに感想も一言二言添付しました。
日日雑記に記録があった場合はリンクでお茶を濁してしまいましたが、
追々何とかしていこうかと。

それから、芝居見物の折のお食事記録を思いつきで設置。
早くも企画倒れの予感がひしひし、なのですが、とりあえずこのまま様子を。





  

10月22日月曜日/暮しの手帖社発行の清水一の建築エッセイ

またもや、更新が止まってしまって、何から書き始めたらよいのやら、
という感じなのだけれども、とりあえず今日は暮しの手帖のことを。



二週間前、国立劇場で『天下茶屋』を観た日、
夜ご飯を食べに行ったあと、しばらく夜道を散歩していた折のこと、
その町には、夜遅くまで開いている古本屋さんが何軒もあるので、
おしゃべりしながらなんとはなしに、いろいろ足を踏み入れた。

そのなかの一軒で、古い「暮しの手帖」コーナーを見つけて、狂喜乱舞だった。
一世紀の後半と二世紀の前半、数十冊売っていて、値段は一冊200円。
わたしはこれまでこれほどの数の「暮しの手帖」を店頭で見たことは一度もなかった。
一気に買い占めてしまいたいところだったのだが、
そうも言ってられないので、吟味に吟味を重ねて、その日のお買い物は計2冊、
一世紀の後半は第73号、二世紀の前半は第3号を買った。

「暮しの手帖」のバックナンバーを買ったのは、7月の五反田遊古会以来。
7月に買ったのは第97号と第100号で、あとでじっくり見てみると、
この頃の暮しの手帖には「雑記帳」というコーナーがあって、
各界著名人および読者の800字エッセイが数ページにわたって載っていて、
このコーナーが実におもしろい。その人選はとても贅沢で、
第97号には獅子文六のエッセイも載っていたりもする。
というわけで、まずはこの雑記帳から読み始めた。

それから、「暮しの手帖」のバックナンバーというと、
わたしは今まで、創刊号から1969年の第100号までの一世紀、
つまり B5 サイズばかりに心がいっていたのだけれども、
二世紀が始まったまなしの号も実に素敵で、
今回購入した第3号(1969年冬号)、とても素晴らしかった。
冒頭は花森安治による《不揃いの美学》という名の文章、
いろいろな不揃い(座ぶとんやカップなど)の配列の写真は実に美しく、
そこに添えられている文章も写真とよく調和していて素敵で、
具体的な実用性について言及するのではなく、
単に「不揃い」についてのいくつかの事柄を語ることで変わる日常へのまなざし、
というおもむきで、あくまで淡々としていて、
これぞ「暮しの手帖」の持ち味と、うっとりしてしまう。
他にも、小出楢重の展覧会特集《大阪弁で描いた絵》というのも
ここ数カ月、この画家に興味を抱いている身からすると「嬉しいッ」の一言、
岸恵子がスーツ一着をいろいろ着まわしているファッションページも楽しい。

「暮しの手帖」のバックナンバーは次から次へと収集というのではなくて、
今回のように偶然のようにして古本屋で安価に売っているのを見つけて、
ひょいと購入して、ひょいと読みふける、こんなスタンスがぴったりで、
こんな感じの、ひょいと「暮しの手帖」は、古書店めぐりの大きなたのしみのひとつ。
こんなふうに、ひょいと「暮しの手帖」に出会ったら、
そこに載っているお料理を作ってみるのも一興で、
おたのしみはまだまだこれからだと、いろいろと盛り沢山。

と、そんなわけで、これから先、創刊号から100号までの一世紀、
101号目からの二世紀の前半、すなわち創刊から
70年代後半までの「暮しの手帖」を少しずつ買っていきたいなと思っている。



国立劇場帰りの日から今日まで二週間の間に幾度となく、
その古本屋さんに寄り道しては「暮しの手帖」を二冊ずつ買っては、
夜寝る前に、ソファで音楽を聴きながらページを繰っていた。

戸板康二が「暮しの手帖」のバックナンバーに関して、

《この雑誌の特色は、昭和二十三年の創刊以来、
何月号としないで第何号と称していることだ。
そのため、古くなっても月おくれという感じがしない。
それぞれ一種の単行本という印象である。》

というふうに書いているのだけれども(『街の背番号』[*] )、
そう、まさにその通り、一冊の本みたいだ。

一世紀後半と二世紀前半の「暮しの手帖」のバックナンバーで、
とりわけ目を引いたのが、建築に関する記事、
日常の住まいのことやヨーロッパの町並みに関することを綴った、
清水一(しみず・はじめ)という建築家の文章がなんだかしみじみいい感じなのだ。

清水一の名前を初めて気にとめたのは、7月の五反田で買った「暮しの手帖」。
《すきな家きらいな家》という名の建築エッセイがほんわかと面白くて、
そして「暮しの手帖」という舞台にもいかにも似つかわしい感じで、
暮しの手帖のバックナンバーを手にしたよろこびを増進させてくれた。

今回、集中的に、暮しの手帖のバックナンバーを読みふけったことで、
清水一の文章をたくさん読むことになったわけで、
そんなこんなで、清水一への思いが煮えたぎってしまった。
清水一の「暮しの手帖」の連載は単行本にはなっているに違いない。
いてもたってもいられず、調べてみたところによると、

● 『すまいの四季』(暮しの手帖社、昭和31年)
● 『家のある風景』(暮しの手帖社、昭和35年)

建築に関する本では、これらの2冊が出版されていたのだった。
(あともう1冊、暮しの手帖社からは句集が出版されている)。
んまあ、暮しの手帖社発行の単行本ならば、
花森安治の装幀を手にすることができるということでもあるので、嬉しさ二倍。
さっそく、スーパー源氏で検索をかけてみると、何冊もヒット。
もっとも状態がよさそうでもっとも安価なものを選択して、
さくさくッとものすごい早業でもって、注文してしまった。罪作りなスーパー源氏……。

と、そんなわけで、あっという間に、上記の2冊を手中に収め、
そして、期待通りに、花森安治の装幀が素晴らしい。
『すまいの四季』は函は木目をあしらっていて、
そのまん中に花森安治ならではのレイアウトで本のタイトル、
本体は紺絣、実に洒落ていて、色合いも美しい。
『家のある風景』の方はなんと説明すればよいのかな、
一目で花森安治の装幀と判別できると、ただ一言。
もちろん、建築や住まいや暮らしに関する随筆という内容も、
さながらドビュッシーのピアノ曲を聴いている瞬間のような幸福感。
清水一は、さりげないながらも実に品のある文章を書いていて、
2冊とも巻頭の何枚かの、筆者撮影の白黒写真も素敵。

さっそく、暮しの手帖社発行の清水一の建築エッセイが大のお気に入りになってしまって、
それによくよく思いをめぐらせてみると、

  1. 昔の「暮しの手帖」の誌面にうっとり
  2. そこの連載の文章が素敵、この書き手は誰だろう?
  3. その人の本を手にして、花森安治の装幀に感動
  4. そして、中身の文章を読んで、さらにその書き手が大好きに
という経緯は、わたしが戸板康二に夢中になったのとまったく同じパターン。
戸板康二に出会ったときのことを思い出して、ちょっとドキドキのひとときだった。

幼い日に見た、コンドル博士のニコライ堂の建物のことなど
古き東京シーンが印象的だったりと、うっすらと全面にただよう都市の空気、
文章に品があって、しみじみと胸にしみいるところとか、
戸板康二とそこはかとなく共通している気もする。

あとで調べて知ったところによると、
清水一(しみず・はじめ)は1902年(明治35)生まれ、
神田生れ本郷育ちのチャキチャキの江戸っ子。
1972年(昭和47)に心臓マヒで急逝。
「西片町の家」に住み、俳句に親しみ、日大で教えていた。
日本で初めての17階建て高層建築(ホテルニューオータニ)の指揮をとったとのこと。
わたしが初めて目にした「暮しの手帖」掲載の随筆が晩年の筆だったとは意外な感じがした。




  

10月23日火曜日/ゴーゴリの戯曲をめぐる諸々の散財

先月、岩波文庫の新刊の、小野理子の新訳『ワーニャおじさん』の脚注を機に、
なんとなく19世紀ロシア文学の系譜を追いかけてみようと思いついて、
手始めに、プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』を読んでみたところ
あまりに面白いので、一気にプーシキンに夢中、
それから、グッドタイミングなことに、群像社から
「ロシア名作ライブラリー」として、ゴーゴリの戯曲、
『検察官』と『結婚』の新訳で発売になったというではないか、
と、そんなわけで、東京堂へ『検察官』と『結婚』を買いに行ったのは先週のことだ。

まず『結婚』を読んで、つづいて『検察官』を読んだ。
両方ともとても読みやすい翻訳となっていて、舞台に身をまかせるようにして一気に読んだ。

『結婚』は、訳者あとがきの言葉を借りると
《登場人物や固有名詞の「音」にさえ演劇的な「遊び」の空間を作りだすゴーゴリの戯曲》を
あっと驚く巧妙な仕掛けでもって、日本語に変換している。
落語を聴いているような感覚もあって、登場人物のセリフの交錯がひとつの大きな流れとなっていて、
そこに身をまかせて、ポンポンとジャンプしているような感じでページを繰った。
『結婚』の日本初演は1952年に新協劇団で、装置は村山知義が担当したとのこと。
どんな装置なのだろう、とても気になる。

そして、『検察官』も、なんとまあ、一言では言い尽くせない面白さ。
フレスタコーフは、はじめの方は歌舞伎の和事のような感じもして、
そうかと思うと『フィガロの結婚』のケルビーノみたいだなあという気もする。
軽やかに無責任に、この戯曲を横切っていくフレスタコーフ。
登場人物のセリフの応酬は、モーツァルトのオペラ、
『フィガロの結婚』の第二幕を聴いている感覚もして、クラクラッと幻惑、
フレスタコーフと従僕の姿はドン・ジョヴァンニとレポレッロの姿にも重なる。

こららのゴーゴリ戯曲のカバーの紹介文には、

《プーシキンとともに、その後のロシア文学に与えた影響ははかりしれず、
現在にいたっても多くの作家がゴーゴリを意識した作品を生み出している。
日本文学においても二葉亭四迷、芥川龍之介、宇野浩二、
井伏鱒二から後藤明生へとその影響は脈々と流れている。》

というふうに書いてあって、チェーホフの新訳を機に、ほんの思いつきで、
ちょいと19世紀ロシア文学の系譜の真似事をしてみたのだけれども、
あらまあ、ゴーゴリの次は、日本文学の方へと進むのもよいかも、などと思ったりも。
それから、『結婚』の訳者あとがきで言及されていた、ナボコフのことも気になる。

なにはともあれ、このたびの19世紀ロシアブームに関するなにかよい文献はないかしらと、
胸にうずまくパッションを押さえることができず、今日は神保町へ寄り道。
本読みに興奮すると、とりあえず東京堂に寄り道するのが、わたしの癖なのだ。

二階の文学書コーナーに突進して、あれこれ見て回った。
ナボコフの『ロシア文学講義』に非常にそそられていたのだけれども、
店員さんに尋ねてみたところ、あいにくもう版切れなのだそうだ。

そんなこんなで、いろいろ立ち読みしてみると、パッと手にとった
後藤明生の『小説は何処から来たか』という本が実に面白そうで、
ゴーゴリに関する文章も収められてあったので、購入を決意。
後藤明生というと、武田泰淳の『目まいのする散歩』の文庫解説がとても面白かったという
つきあいしか今までなかったのだけれどもゴーゴリを機に、新たな書き手へ接近。

それから、平凡社ライブラリーに、ナボコフ著『ニコライ・ゴーゴリ』を発見、
ワオ! と、大喜びで購入を決意。本日の東京堂は、以上二冊のお買い物。



東京堂のあとも、古書店に何軒か寄り道して、ワオ! と何冊かお買い物。(詳細は後日)

帰りに、よく行く喫茶店に寄り道して、買ったばかりの本をいろいろ眺めた。

後藤明生の『小説は何処から来たか』(白地社)がさっそく面白い。
『雨月物語』とゴーゴリを絡めた文章に、うーむと唸ったり、
19世紀ロシア文学と「ヨーロッパよりヨーロッパ的な都市」ペテルブルクとの関連、
などなど、江戸文学やら都市小説やら、むやみやたらにいろいろと刺激を受ける。

ナボコフの『ニコライ・ゴーゴリ』の「検察官」を扱った章にさっそくゾクゾク。
ナボコフを導き手に、しばらくゴーゴリを追いかけてみよう、
などと思っているうちに、ナボコフの『ロシア文学講義』が読みたくてムズムズ。

平凡社ライブラリー所収の解説によると、ナボコフは、
プーシキンの『オネーギン』を英訳して、膨大な注釈を付していたという。
この一節を目にして、猛烈に、ナボコフ訳の『オネーギン』を読んでみたくなり、
いてもたってもいられず、大急ぎで帰宅し、ウェブ接続。
Amazon.co.jp で調べてみると、ナボコフ訳の『オネーギン』は
ペーパーバックで入手可能なのだそうで狂喜乱舞、さっそく注文、
『ロシア文学講義』の方も原書なら入手可能だ、こちらももちろん注文。

……と、今日はやたらと散財を重ねた一日となってしまった。




  

10月24日水曜日/川端康成の『女であること』読み始め、『夢声日記抄』にムラムラ

夜更かしして、後藤明生の『小説は何処から来たか』を繰っていて、
一夜明けて、本日の車中の読書は『雨月物語』にしようと心に決めた。

今年のお正月、すなわち21世紀初の購入本は、
歌舞伎座行きの待ち合わせ場所の教文館にて文庫本を2冊、
ちくま文庫の注釈付きの『雨月物語』と三島由紀夫の『近代能楽集』だった。
去年の年末に和歌山県の道成寺に行ったのが嬉しくて、
その余韻を胸に、道成寺のことが登場する本を買ってみたのだ。
いずれも未読だったので、これはよい機会。

……と言いつつ、置きっぱなしのまま、春が来て夏が過ぎ去っていたのだけども、
しかーし、本というものはとりあえず買っておくのもあながち悪いことではない、
なぜならば、今日のように突然思いつくことが多々あるから。(と、前も書いた気が)
というわけで、モーツァルトの《フィガロの結婚》を聴きながら、
外出前の身支度をして、ちくま文庫の『雨月物語』目当てで本棚を探索。

あらためて聴いてみてやっぱり、《フィガロの結婚》第二幕の至福は、
ゴーゴリの『検察官』を読んでいる瞬間ととてもよく似ている。
とりわけ、庭師が登場してからの管弦楽の心がとろけるようなうねり具合などなど、
人物がどんどん増えてストーリーもどんどん進行していく、そのうつろいが
目映いばかりにキラキラと輝きを増し、切なくなるくらいなところがそっくり。
それにしても、《フィガロの結婚》のなんと素晴らしいこと!

などと、さわやかにモーツァルトを聴いていたのはほんのわずかだった。
本棚をいくら探しても『雨月物語』が見つからないのだ。しだいにイライラ、
しまいには「んもー、時間がないのよッ!」とカオスと化している本棚を前に怒りがメラメラ。
しょうがないので、今日は『雨月物語』はあきらめることにした、
けれども、それでは今日読む本はどうしようかしらッと焦躁は増すばかり、
と、そのとき、ふと川端康成の『女であること』(新潮文庫)が目に止まる。
先月、うるわしの十二月文庫で購入した文庫本だ。今日からこれを読むとしよう。

というわけで、本日の行きの電車のなかでは、『女であること』を読んだ。
川島雄三が映画化していて、原節子と森雅之、久我美子に香川京子と、
好きな俳優がそろっていることと、全体のリズムがなんとなくいい感じで、
そこはかとなく好きな映画なのだ。川端康成の原作は朝日新聞の新聞小説で、
新聞小説ならではの場面の途切れ具合がなんだか好きだ。
獅子文六の『青春怪談』みたいな、少女マンガのような感覚も味わう。かわいい。
冒頭で大阪弁の母娘が登場して、その会話文が心地よくて、
舞台はすぐに東京へ、デパアトやステーションホテルがさっそく登場、
という感じの、舞台装置と都市小説的描写にウキウキ。
それになんといっても、川端康成の筆による女性描写がじんわりと鋭い。

と、さっそく『女であること』を読む時間がとても楽しくて、眠気が一気に吹っ飛んだ。
これからしばらく『女であること』のストーリーを追う時間が続く、そのことが単純に嬉しい。



通い先の最寄り駅に着いて、通りがかりの本屋に足を踏み入れる。
発売が待ち遠しくてムズムズしていた、中公文庫の今月の新刊、
徳川夢声の『夢声戦争日記 抄』の発売はまだだったかしらと見に行ってみると、
ちょうど入荷したばかりだったので、いてもたってもいられず、すぐに購入。

さっそくペラペラと読み始めたのだけれども、いいなあ……。
なんだかうっすらと幸せになってくる文章で、品性とおかしみの混合がたまらなく愛おしい。
何かを思いついて、突如論理的になりいろいろ筋道をたてて検討していたり、
怒りまくっていたかと思うと、ふいに冷静になってひとり納得していたり、
ちょっとしたことにハッピーになっていたり厭世的になっていたり、
もう、ディテールに面白いところ盛り沢山。もちろん、当時の情勢へのまなざしも。

ちょっと抜き書きしてみると、

《修行が足りないせいか、栄養が足りないせいか、腹の立つことが近来益々多い。
心の底に敗戦感が淀んでいるのが、何よりの原因かとも思う。
列車に苦しむ毎に、もう斬んな旅をするものかと憤り、
地下鉄が殺人的なる度毎に、もう浅草なんかに出演しまいと概する。
このくらいの苦痛に堪えられないようでは、
東京が硝煙弾雨の戦場になった時、到底、勇ましき日本人たることは出来まい。
だから、大いに殺人地下鉄で練成すべし。などとも考える。
苦痛を苦痛と感じない修行が大切である。これが今の世に処する、最賢明の途である。
だが待てよ、苦痛を苦痛と感じなくなった時は、
喜悦を喜悦と感じなくなる時かもしれない。それは一寸困る。
一喜一憂とは、小人の常であるが、一喜一憂こそ人間らしさがあるのである。
地下鉄で腹をたてるのは、私のガラ相当のことで、敢て改めるにも及ばんかもしれぬ。
(昭和20年7月21日)》

《今日は睡蓮が五輪咲いた。黄一輪、白二輪、淡紅一輪、淡々紅一輪。
小型機が京浜上空を乱舞している末の刻、淡紅は最先に睡り完全に扉を閉した。
一番寝坊をした黄はまだ眼が冴え冴えとしている。白一輪は八分の睡り、
もう一輪はまだ眼をパチパチとしていて、淡々紅も、どうやら睡る気がさした態だ。
吾家の睡蓮は、全然手がかからず、毎年毎年私の眼を楽しませてくれる。
世話が焼けずにこれだけの美しさ!》

と、庭先を観察する夢声、次は南瓜の実へと視線を転じて、

《受精した翌日の雌花は、花びらがぐったりとなり、
球のところが俄かに、溌溂たる色を発し、まことに美しく艶かしくなる。
植物でありながら、多分に動物的な感覚である。》

などと書き連ねたあと、

《所で、昨年は矢鱈に南瓜の俳句をつくったが、今年はまるで出来ない。
連日の空襲で、それだけの余裕がなくなったか?》

で締める日記は、7月30日付け。

日本の無条件降伏の情勢がひしひしとしている8月11日には、

《……頭山では、イザという時、家内中死ねるだけの青酸カリが用意してあるという。
左様、わたしはイザという時、一本の皮帯があれば宜しい。
そのイザが、如何なる型で来るかだ。或はこのイザは来ないかもしれない。
だが、来ても来なくても、絶えず一脈の冷静さを失わずにいることが肝要である。
坊やをほんとに可哀そうだと思ったのは、今度である。
坊やが田舎の人になろうと、蚤に食われようと、与えられる菓子があるまいと、
今迄は大して可哀そうに思わなかった。
今度こそ、まったく可哀そうである。
よりによって、何たる時に生れ合わせたのであろうか!
そう言えば、娘たちもあわれだ。夫たり妻たる吾々もあわれだ。
あわれあわれ吾等日本人よだ。
よろしい、あわれである。あわれであることはもう分った。
これ以上自分からあわれになることはない。
  畏くも聴きおはすらん夏の雨
  思ひきや今年南瓜の当たり年》

と、南瓜の句が登場。

……といった感じに、放っておかれると、
止めどなく抜き書きしてみたくなる文章が盛り沢山。
発売前は待ち遠しくてムズムズしていた『夢声戦争日記 抄』は、
いったんページを繰ると今度はムラムラ。
この日記は「抄」だ、「抄」などと言わずに全巻読みたいのよッ! 
と、欲望のかたまりと化してしまうのだった。

思えば、現在目下読書中の、永井荷風の『断腸亭日乗』、これを読んだのは、
ちくま日本文学全集の荷風の巻に抜粋の戦時下のくだりを目にしたのがきっかけだった。
それから、山田風太郎に胸がしめつけられるきっかけになったのも『戦中派虫けら日記』。
あと、中井英夫の『彼方より』『黒鳥館戦後日記』もすごかったっけ。

日記ではないけれども、戸板康二の『折口信夫坐談』[*] も、
戦時下と戦後の東京の空気が全体を覆っていて、
戦時下の日記にはいつだって、独特の魔力がある。
いつの日か、夢声日記を読み通す日が来ますよう。

わたしが徳川夢声のことに関心を持ち始めたのは、
もちろん戸板康二の『あの人この人』[*] がきっかけ。
戸板康二は大学卒業後の1939年、明治製菓に入社、
菓子宣伝係に配属され、PR 誌の「スヰート」の編集にたずさわる。
そこの上司の内田誠と府立一中で同級生だったのが徳川夢声で、
「いとう句会」は内田誠が幹事、徳川夢声や久保田万太郎も同人だった。
「スヰート」にまつわる人物誌は実に豪華で、戸板康二と内田百間との交流もそこで生じた。

先日、東京人のバックナンバーを立ち読みしていたら、
沼田元気の喫茶店ページで、明治製菓のPR 誌の「スヰート」のことが紹介されていた、
古書価格は高いそうだけど、いつの日か「スヰート」の誌面を見てみたいなあと思う。
内田誠の本は、鎌倉の木犀堂で見たことがあって、
これも高価だったけれども、あっと驚くくらい、洒落た本だった。

とかなんとか、戸板康二をとりまく人物をめぐっていろいろな本を読むこと、
戸板康二道のたのしみは尽きないなあと、夢声日記にムラムラしたあと、穏やかな気持ちになった。




  

10月29日月曜日/葵太夫のページに感激、池波正太郎と戸板康二の対談を発見

歌舞伎座に通っている人だったらきっと、
みんな大好きに違いない、義太夫語りの竹本葵太夫。

この週末は、葵太夫のウェブサイトを初めて発見して浮かれまくっていた。

ウェブサイトを隅から隅まで目を通して、
さらに好きになってしまう葵太夫。語り口が絶妙で、何度もにんまり。
とりわけ《歌舞伎義太夫の世界》コーナーは勉強になることがたくさん書かれてあって、
思わずプリントアウトしてファイルに綴じて、何度も読みふけってしまうのだった。



いつも楽しみにしている、金子さんの読前読後で初めて、
池波正太郎の『又五郎の春秋』という書物のことを知って、
んまあ! いつか読みたいものだ、とひとりで興奮していた。

が、後日、戸板康二の『見た芝居読んだ本』[*] をめくっていると、
池波正太郎著『又五郎の春秋』の書評がチラリと載っていて、
うーむ、これを見逃していたとは、とんだドジだったと反省したりもして、
それから、『六段の子守唄』[*] 所収の池波正太郎への追悼の文を読みふけったりして、
あいもかわらぬ戸板康二道で、秋の夜更けが過ぎ行くのだった。

と、そんなことがあったばかりの先日、軽い用事で図書館に行った合間、
全集コーナーを練り歩いていた折に、ズラッと並んでいる『池波正太郎大成』を目にして、
ふと『又五郎の春秋』のことを思い出し、めぼしい巻を引っこ抜いて探してみると、
目当てのページはすぐに見つかって、しばしペラペラと読みふけった。
ああ、いつの日かじっくりと『又五郎の春秋』を読みたいものだ!
と、本を棚に戻し、それにしても『池波正太郎大成』の造本は美しいなあと思った。
菊地信義の装幀で本体は藍色で中をあけると絣模様になっていて、どこまでも素敵。

こんな感じの装幀で『戸板康二大成』なんていうものがあったらいいなあと妄想しつつ、
最後の「別巻」を棚から出して、書誌コーナーを眺めて、『戸板康二大成』はなくとも
こんな感じに戸板康二の書誌を作っていこうと急に張り切った。

それから、「別巻」は池波正太郎と各界の著名人との対談記事を収めてあって
わたしは池波正太郎の本はほとんど読んだことがないのだけれども、
池波正太郎の圏内というか、都会の紳士の系譜というかなんというか、
池波正太郎と対談している人々の並びがとてもいい感じで、たとえば、
山口瞳とか植草甚一とか常盤新平、池田弥三郎といった人々が登場していて、
こんな感じの「おじさん」文化が好きだなあと、対談の目次を眺めただけでほのかによい気分に。

……と、ほとんど他人事のように目次を眺めていたのだったが、
なんと、対談リストの一角に戸板康二の名前も並んでいるではありませんか!
こんな感じの「おじさん」文化が好きだなあとよい気分になっていたのは、
まさしく戸板康二の文化圏のようなものと共通する空気を感じてからだったのだが、
ほかでもない当人の戸板さんも登場していたとは!

というわけで、『又五郎の春秋』のおかげで、思いがけなく戸板康二の対談を読むことが出来た。
もちろん大急ぎでコピーして、何度も読みふけってはふつふつと嬉しい。

初出は昭和50年、「小説推理」という雑誌の8月号だそうで、
新国劇の台本を書くことで作家生活をスタートさせた池波正太郎との対談は、
もちろんまずは芝居の話、芝居の原体験に関すること、
それから、芝居の世界に入ったきっかけについて、
それぞれの師の、折口信夫と長谷川伸に関すること、
芝居と同じくふたりの共通点である、小説執筆に関すること、
旅に関すること、というふうに巡っていて、なかなか面白い対談だった。

戸板康二はさかんに池波正太郎の小説に出てくる食べ物の描写が面白いというふうに言っていて、
いつか池波正太郎の小説を読む日が来たら、注目してみようと思った。
《ぼくが歌舞伎や芝居に魅かれるのは、
それを見ている間は、全然別の世界に身を置き生きているような、
別宇宙を遊泳しているような気分になれるからですよね。》
と、戸板さん、芝居の専門家らしからぬことを語っていたりするのもよい感じ。
旅に関するお話しも、同感することしきり、という感じで、ほのかによい気分になった。

そんなこんなで、図書館でチラリと眺めた『池波正太郎大成』の書誌を眺めて、
ちょっと張り切って、長らく懸案だった、戸板康二全著書リストのページを少し改訂。
戸板康二の膨大な著書をとりあえずジャンル別に並びかえる。




  

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