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恋が成就する七夕伝説/七夕のルーツは滋賀県湖北の天野川だ!!

 岐阜県垂井町に接する滋賀県山東町柏原を走る国道21号線沿いに「天の川源流菖蒲池跡」と記された石碑が建っている。ここを源流とする天野川は近江町世継(よつぎ)と米原町朝妻の境界で琵琶湖に注いでいる。天野川は今も地元では息長川とも呼ばれ、近江町を中心に湖北一帯を古代豪族息長氏が支配していた。天野川の河口に架かる世継橋からすぐに朝妻公園があり、入口に「史跡朝妻港跡」の石碑が建っている。朝妻港は奈良時代から江戸時代初期まで琵琶湖の要港として栄えた。源頼朝、織田信長や豊臣秀吉などが戦のために朝妻港を利用した。朝妻という名は、かつては船客相手の遊女が多く、朝まで妻というところからその名がつけられたという。天野川の南岸にある集落を筑摩といい、毎年53日の筑摩神社祭礼「鍋冠祭り」は日本三大奇祭としてよく知られている。この祭りは『伊勢物語』(百二十段)の中に
     近江なる筑摩の祭とくせなんつれなき人の鍋の数を見ん
という歌が見え、ここ一帯が古くから栄えていたことを裏付ける。

 天野川といえば七夕祭りを連想するが、この天野川には牽牛織女の伝説が語り継がれている。天野川の河口を挟んで、米原町朝妻と近江町世継が相対しているが、朝妻神社の境内には彦星塚が、また世継の蛭子神社境内には七夕塚がある。十年程前、蛭子神社で発見された古文書を読むと、日本の七夕伝説のルーツは近江町の天野川付近だった、といえる。その「世継縁起」によると、七夕伝説の天河の二星、彦星は雄略天皇の第四皇子、星河稚宮皇子。織姫星は仁賢天皇の第二皇女、朝嬬皇女とある。天野川を隔てて仏道の修行を積んでいた二人はいつしか恋に落ちたが、その間柄は叔父と姪。会うこともままならぬ悲しい恋だったようだ。その二人の墓が天野川をはさんである。蛭子神社の七夕石と呼ばれている自然石が朝嬬皇女の墓。往時は円墳だったが洪水で流出した、という。一方、川の南側、米原町、朝妻神社の石塔が星河皇子の墓。古くは男性が七夕塚に参り、女性は彦星塚を拝むと、恋が成就するといわれた。今もその効能あり、恋に悩む方にご利益あり。

 昨年よりこの伝説にちなんで地元の人たちが天野川両岸に星のイルミネーションを作った。イルミネーションは高さ七b、星は一辺が一b。幅六十bが天野川をはさみ、向かい合うように立てられ、千個の電球が夏の夜空に輝く。天野川に接する近江町世継地区と米原町朝妻地区で組織された実行委員会が、両地区の交流と新しい町作りの推進を目的に設けた。8月5日から8月25日(旧暦7月7日)まで毎日午後七時半から同九時半まで点灯されている。今年は点灯の場所が広場に変更され、イルミネーションも増える。

近江町蛭子神社の七夕石と呼ばれている自然石が朝嬬皇女の墓 米原町、朝妻神社の石塔が星河皇子の墓