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花奪い行事一覧

甲賀郡の祇園花行事
 滋賀県の東南部に位置する甲賀郡は、琵琶湖の接しない郡である。この地域に花奪い(ハナバイ)、花取り(ハナトリ)、団扇取り(ウチワトリ)と称され、祭礼を、「祗園祭り」「祗園さん」「天王さん」と呼ぶ行事がある。いずれも造花または団扇を作り(または注文して購入)、神社に奉納するやいなや争ってこれを奪い合うというもので、破壊の民俗とでも称すべき行事である。伊賀地方北部から甲賀郡内の伊賀よりの地域−水口町、土山町、甲賀町、甲南町にみられる行事である。「花奪い」の行事は夏にふさわしく色鮮やかで激しいもので、特に毎年724に行われる大鳥神社(甲賀町鳥居野)の祇園祭「大原祗園」はよく知られる(県選択無形民俗文化財)。花蓋(はながさ)は赤く染めた紙で花弁を重ねて花を作り、竹ヒゴの枝につけて台に差したもので、頭上に芯花が挿され、続いて並花で構成され、これを花蓋と呼び、鉾また傘状の形をしている。この花は必ず奪い取られなければならず、激しい争奪戦の途中で潰れたり踏みつけられたりした花はそのまま捨てておかれ、完形を保つ花のみを持ち帰り、家の軒先や門口に差しておく。これでその家は一年間の息災を約束される。造花の代わりに団扇をつける地域もある。伊賀地方には団扇が多いが、甲賀郡では少数である。団扇も造花と同様の意味で疫病を打ち払うものとみなされよう。鉾や傘状のものは古来より「神の依り代」とされ、この花蓋も夏期に蔓延した流行病の原因となる疫神を依りつかせ、村境へ放棄しあるいは破壊することで、疫神を鎮め送る意図を持ったものであった。赤い花の色は疱瘡送りの猩々と同じく疫神を象徴する色である。つまり「花奪い」は疫神を依りつかせた花蓋の「破壊」が本旨であった。花の他に、小さな酒樽や金一封などが挿されることもあって、かつてはその攻防で争いや怪我人が絶えなかった、という。大原祗園では二十三日の宵宮に出る燈篭が出、境内で激しくぶつかり合って燈篭を壊すが、これも花奪いと同様の意味であろう。疫神を追放した後は、奪い取った「花」自体が厄除けになる。
 「花奪い」は、その多くが津島神社か、八坂神社の祭礼の一つである(大鳥神社も維新前は大原牛頭天王社と称した)。京都の祗園社も尾張津島の祗園社も疫神の鎮送を司るが、特にこの一帯では津島祗園社が多いことから、津島の や信仰を唱導した在地の宗教者によって興されたのであろう。花奪いも御霊信仰にもとづく疫神の祟りを避ける祭礼と一つといえる。

 疫神は村境に送られるにすぎず、次の村に疫神が残ることになる。すなわち「花」には各村の疫神が託されていることになる。従って疫神は村から村へ送られていくことになる。上馬杉の油日神社の花奪いが終わると隣の阿山町陽夫多(やぶた)神社へ使者が立ち花奪いが終了したことを知らせが来て、陽夫多 神社の花奪いが始まり、自らも花奪いに参加したったと、古老から聞いた。甲賀から伊賀にかけて西南方向に、村から村へ一本の「花送り」の道があったという。

宵宮で激しくぶつかりあう燈篭
(甲賀町鳥居野、大原神社)
「花蓋」の入場(大鳥神社)
花バイ、芯花を奪う
(大鳥神社)
花作り名人山田寿美さん
(甲南町池田)
「花バイ」(甲南町池田)
収穫の金一封
(甲南町稗谷)
金一封を手にすることができるのは小学生と中学生、振りかざされる割竹の中を金一封めがけて子供たちは突進する
(甲南町稗谷)
宵宮の透かし灯篭(甲南町稗谷)
お祓いを受ける「花蓋」(甲南町杉谷) 目指すは「花」より金一封 (甲南町杉谷)
「花蓋」の台を作る光景 (甲南町森尻)

団扇や景品がたくさんついた花蓋
(甲南町新治)

一瞬のうちに「花バイ」は終わる
(甲南町竜法師)
境内に立てられた「花蓋」 (甲南町竜法師)
花蓋と鉾(甲南町上馬杉) 一斉に群がる(信楽町里宮)
飾られた「花蓋」品定め (水口町和野) 花蓋(信楽町柞原)