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春祭り(四月二十二日、坂本神社・マキノ町上開田)

 マキノ町上開田と下開田は滋賀県北西部、高島郡の北端に位置するマキノ町の山間にある。四月二十二日は両地区の氏神である坂本神社の「春祭り」だ。この祭りの供物にウグイ鮓(ずし)がある。滋賀県を代表する鮓といえば鮒鮓だが、ウグイをこれと同じやり方でウグイを漬ける。ただ、ウグイは背開きにして飯を詰める。一ヶ月ほど漬けたウグイ鮓を社参のときは笹竹に麻縄で吊り下げて運ぶ。大麦もやし・大豆もやし・うど・蕨・大根の漬物、みょうが、川エビ、ふきの神饌物を藁で作ったツトに入れる。このツトと、竹で作られた輪、御幣などを桶に入れて神饌が出来上がる。竹の輪は、稚児が桶に入った神饌を頭上に載せて運ぶときに使った。今は、御供持ちが担いでいく。稚児は小学一年、二年生の女児で、人身御供が神饌にとって替わった名残である。神社に着くとこの竹の輪は本殿の屋根へ投げられる。そして稚児は祭典が終わるまでの約一時間を無言で本殿の高欄に立つ。人身御供という慣わしを留めるものだ。祭典のあと、社務所にてウグイ鮓の直会となる。

神饌を藁で作ったツトへ入れる
ウグイ鮓 ウグイは春の魚、背開きにしてご飯をつめる(拡大
本来は紅い着物の女の子が神饌を運んだ
このように一尾ずつ縄で吊って運ばれる
(拡大
つとで包まれた神饌
約一時間をこのように無言で立ったままだった。本当に御苦労さまでした(拡大
供える
直会で食すウグイ鮓

湯立て神事 (四月二十三日、神明神社・湖東町南清水)

 神事のひとつである「お湯を上げる」いわゆる湯立ちは、一つの釜で上げるが、南北清水の氏神である神名神社の湯立ちには
各戸で湯米をあげ、各戸の釜約百個を集めて各戸のお湯を上げる。
境内にずらりと並ぶ約100個の、今は懐かしい釜。この釜一つずつのお祓いを巫女一人がする。

春祭(四月二十六日、大皇器地祖神社・永源寺町君ヶ畑)

 木地師がその祖と崇める惟喬親王を祭る大皇器地祖神社。ここ永源寺町君ヶ畑は隣接する蛭谷とともに木地師発祥の地といわれる。大皇器地祖神社の春祭りの頃に八重桜が満開となる。この八重桜は惟喬親王の墳墓と伝えられる入り口にあり、訪れる木地師を華やかに迎えてくれる。この日は今年小学一年生になった小椋康弘君が拝殿で皆から祝福されていた。過疎となった君ヶ畑には小学校はなく、ここから約5キロメートル離れた政所小学校へ通う。

鏡の餅搗き歌 (四月二十九日、鏡神社・竜王町鏡)

  国道八号線沿いにある竜王町鏡は、かつては中山道の宿場町で、古く万葉集にも詠まれ、また源義経元服の地としても知られる歴史ある土地である。国道八号線の山手側、鏡山の北麓に鎮座する鏡神社は天日槍を祭神とする。毎年四月二十九日は春の例祭が執り行われる。餅と梔子(くちなし)、梅の実、海鼠(なまこ)野老(ところ)の材料(旧穀)を細工した神饌と野菜、果物(新穀)の神饌を供える。鏡神社の氏子は左右二座あり、それぞれの座の当家で餅つきがされる。餅をつくときに鏡で古くより伝えられる歌詞が歌われ、餅つき歌といわれる。餅をついていく順序で節回しも替わり、餅がつき上がってゆくに従って次第に歌のテンポを速まり、それにあわせて餅がつかれていき、リズミカルなところにスリルもあり、楽しい餅つきである。つき終わった餅は、集落センターへ持ち込まれ、先の材料とともに長老衆十人によって、神饌へと加工されていく。旧穀は、梅の実を桜の花に、梔子の実をつぶして丸い団子に塗りダイダイに、と他の旧穀も伝えられた加工法でそれぞれ神饌へとしあげられる。
 
午後、榊の枝を持つ最年長の長老(おとな)を先頭に、新穀や旧穀の供物を持つ当家や関係者、巫女の行列が、国道八号線沿いを鏡神社へと向かう。

餅つきを待つ当家 玉本勇さん宅(平成十二年)
餅つき歌で始まる餅つき。餅つき場には歌詞が壁に貼られている(拡大
いよいよ餅つき
加工される旧穀 三時間余りを使って完成した旧穀
 旧穀は長老衆が本殿に供える
新穀は巫女さんが供える

 国道八号線(旧中山道)沿いに鏡神社へと向かう

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