サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経 |
一 身体のサティパッターナ
3. していることを はっきりと把握する [ENGLISH] 修行者は、出ていく時も戻る時も、はっきりと把握して行動します。前を見ていても、 どこを見ていても、はっきりと把握して見ます。手足を曲げる時も、伸ばす時も、 はっきりと把握してそうします。托鉢の鉢を持つ時も、僧衣を身に着ける時も、 はっきりと把握してそうします。食べる時も、飲む時も、噛む時も、味わう時も、 はっきりと把握してそうします。小便をする時も、大便をする時も、はっきりと把握 してそうします。歩く時も、立つ時も、座る時も、寝入る時も、目覚める時も、 話す時も、黙っている時も、はっきりと把握してそうします。 このように、自分にとって 身体 は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。 他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 身体が存在する原因と、身体が実際に存在しているのを、いつも感じて生きるのです。身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。 身体が実際に存在し、実際に消滅する のを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。 つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、 世の中 の何ものにも執着しないで生きるのです。 * (注 ) これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(きちんと把握する 了)
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