サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経 |
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
a. 苦の真理
[ENGLISH]
苦の真理
とは何でしょう。
生まれることは苦です
。老いることも苦です。死ぬことも苦です。悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩、これらも苦です。嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならないことも苦です。愛する人々や好ましい物事と離れなければならないことも苦です。得られないことを望むことも苦です。つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです。
誕生とは何でしょう。ある種の中のある生き物として、誕生すること、生まれること、発生、受胎、存在の誕生、集合体の出現、感覚器官と認識領域を持つこと、これが誕生と呼ばれていることです。
老いとは何でしょう。ある種の中のある生き物として、歳をとること、身体が衰えること、歯がなくなること、髪の毛が白くなること、皮膚がしわだらけになること、気力が失われ、感覚器官と認識領域が消耗していくこと、これが老いと呼ばれていることです。
死とは何でしょう。ある種の中のある生き物として、旅立ち消えること、破壊、消滅、死亡、寿命の終了、集合体の崩壊、肉体の破壊、肉体的生命力が破壊すること、これが死と呼ばれていることです。
悲しみとは何でしょう。悲しむこと、悲しむ行為、心が悲しんでいる状態、内面的悲しみ、肉親や所有物の喪失による悲痛な内面的悲しみ、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが悲しみと呼ばれていることです。
嘆きとは何でしょう。泣き叫び嘆くこと、泣き叫び嘆く行為、肉親の死や所有物の喪失により泣き叫び嘆いている状態、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが嘆きと呼ばれていることです。
肉体的苦痛とは何でしょう。肉体的に苦痛であり肉体的に不快なこと、身体的接触による痛みと不快の感覚、これが肉体的苦痛と呼ばれていることです。
精神的苦痛とは何でしょう。心が苦痛であり心が不快なこと、精神的接触による痛みと不快の感覚、これが精神的苦痛と呼ばれていることです。
苦悩とは何でしょう。悩み苦しむこと、肉親の死や所有物の喪失により悩み苦しんでいる状態、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが苦悩と呼ばれていることです。
嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならない苦とは何でしょう。この世で、望んでいない、不快で楽しくない光景、音、匂い、味、感触を生むもの、心の中味に遭遇し、その状態にとどまり、密接にかかわっていなければならないことです。人の不幸、損失、不安、危険を望む人たちと知り合い、付き合い、密接にかかわらなければならないことです。これが嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならない苦と呼ばれていることです。
愛する人や好ましいことと離れなければならない苦とは何でしょう。この世で、望んでいる、愉快で楽しい光景、音、匂い、味、感触を生むもの、心の中味に遭遇し、その状態とどまり、密接にかかわり、ひとつになることができないことです。幸福、快適さ、恩恵、安全を望む母、父、兄弟、姉妹、友人、仲間、父方母方の親戚と遭遇し、その状態にとどまり、密接にかかわり、ひとつになることができないことです。これが愛する人や好ましいことと離れなければならない苦と呼ばれていることです。
得られないことを望む苦とは何でしょう。誕生と転生にさらされている生き物には、望みが生まれます。「ああ、誕生と転生にさらされていなければ良いのに。誕生と転生が起きなければいいのに」 しかし、このことはただ望むだけでは実現しません。これが得られないことを望む苦です。
老いにさらされている生き物には、望みが生まれます。「ああ、老いにさらされていなければ良いのに。老いなければいいのに」 しかし、このことはただ望むだけでは実現しません。これも得られないことを望む苦です。
病にさらされている生き物には、望みが生まれます。「ああ、病にさらされていなければ良いのに、病にならなければ良いのに」 しかし、このことはただ望むだけでは実現しません。これも得られないことを望む苦です。
死にさらされている生き物には、望みが生まれます。「ああ、死にさらされていなければ良いのに、死ななければ良いのに」 しかし、このことはただ望むだけでは実現しません。これも得られないことを望む苦です。
悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩にさらされている生き物には、望みが生まれます。「ああ、悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩にさらされていなければ良いのに、悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩がなければ良いのに」 しかし、このことはただ望むだけでは実現しません。これも得られないことを望む苦です。
「つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです」 というのはどういう意味でしょう。五つの集合体は、肉体の集まりであり、感覚の集まりであり、知覚の集まりであり、反応の集まりであり、意識の集まりです。これらのことが 「つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです」 という意味です。
これが苦の真理と呼ばれていることです。
(苦の真理 了) |