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マンドリン悠々(2003年7月18日-2)
指揮者兼アレンジャーの呟き




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2003年7月30日(水) くもり晴れ
仙台紀行
先週の金曜日から2泊3日で仙台に行ってきました。仙台マンドリンクラブの定期演奏会に出演のためです。そうしたら金曜の深夜と土曜の朝に地震がありました!震度6強というのは初めての体験です。ぼくは田原さんのお宅の和室に泊まっていましたが、ちょうどノートパソコンのスイッチを切ろうとしたときでしたから、最初は自分がなにかやってしまたのではないかという感じでした。いきなりというよりは、遠くのほうからガタガタと唸りだしてそれで、肩を抑えられて「おいおい」ってな具合に揺さぶられるような感じで、いったい何をしたんだよう?みたいに、ただ慄くだけでおろろしていました。次の行動はといえば、まずは寝巻きを着ていなかったので、これは服を着ないと大変なことになるかもしれないって思ったんですね。それで靴下を探したり、結構さまよっていたのでした。そうこうするうちに、たんすの上のものがごとごとと踊りだして落ちてくるのではないかと心配になっていました。いろいろなことをいっぺんに考えなければならないので、結構パニックになっていました。その割には次はパンツはどこだ、みたいなことになっていて、このような無様な格好でいよいよ外に飛び出さなければならなくなったら、それこそえらいことになるぞ、一生の汚点になるかも!と、よけいなことを考えていました。そんな最中に、どこかで、ひょっとしたらこれは凄いことになるのかもしれないと密かに思ったりもしていたのです。しばらくすると揺れが収まったので、もう寝てしまおうということで、靴下を脱いで、布団に入ったのでした。「明日は演奏会だ、がんばらなくっちゃ!おやすみなさい」ってな感じです。それで、意外に熟睡できて、確か起きて時計を見たら7時くらいだったんです。「よく寝たな!」というのも最近は早寝早起きの習慣になっていて5時6時はあたりまえ、4時に目が覚めることも頻繁でしたので、ちょっとうれしいかったんですね。寝不足だと音楽に集中できないから...それで、時間があるからまたパソコンのスイッチを入れたんです。というのも昨日の終了の作業がなんだか中途半端になっていましたから...それでボタンを押したら、またゴゴゴゴゴってくるんですね。おや?また地震のスイッチを入れちゃった!どうなってんだろう?結構大きいぞ!なんだよ、またパンツはかなくちゃならないじゃない!(ぼくパンツ2枚はいているので、念のため...)靴下はどこだっけ?みたいなことで、いきなり大変な目にあってしまいました。

仙台は寒かったですね。まさに梅雨寒というんでしょうか雨がザーザー降っていてセーターがいるくらいでした。凄い地震でしたね。テレビを見たら家がさかさまになっているようなところが写しだされていました。それでも演奏会は決行されたのでした。青年文化会館。リハーサルは昨日の練習に比べたら雲泥の差です。どうしてこんなに変わるのだろう?でもこれは仙マンの七不思議のひとつです。それであいかわらず音が柔らかい。音楽が息づいていて優しいんですね。リハーサルの真っ最中に、たしか「黒い瞳」という曲で中低音がおろどおどろしく唸るようなところでまた来ました!ぐらぐら!それで、もし本番中に来たら、その瞬間に指揮者が判断して演奏会を休憩にするか中止にするか決めるっていうことになりました。演奏会は3部構成で1部と3部がマンドリン全体合奏。2部はアンサンブルのステージになっています。ぼくはこの2部の後半で田原さんのマンドリン独奏のピアノ伴奏をしました。

田原靖彦さんに会ったのは、ぼくが高校2年生のころでした。落合の手工マンドリン(S1)ができあがってくる日にルンルンな気分で池袋楽器店に行ったら、そこでマンドリンを弾いているひとがいたんですね。今でもはっきり覚えていますが「シチリアの想い出」というレオナルディというひとが書いた曲でした。それをすらすら弾いていて、「うまい人がいるなぁ」と思ったんです。それで、なんとかこの人とお近づきになれないかなぁ、と思った瞬間話しかけていたように思います。その方が田原さんだったのです。それから田原さんの家に通うようになりました。田原さんの家は当時西武線の柳沢というところで、ぼくの家からはかなり遠かったんですが、よく通いました。田原さんは音響工学の専門家でホールを作ったり、スタジオを作ったりする人で、家中機械だらけで、たとえば多重録音のでかいリールのレコーダーがあったりして、行くたびにあたらしい発見に出会うという感じでしたから、いつもわくわくしながらお邪魔していました。

やがて、ぼくが下手なピアノが弾けるということがわかって、仙台マンドリンクラブで弾いてくれないかっていうのがそもそものきっかけでした。だから、はっきり覚えていませんが、高校3年か大学1年のころだったと思います。それ以来、毎年、年に1回仙台に行ってピアノの伴奏を繰り返してきました。1回の演奏会で4,5曲やりますから、ずいぶんいろいろな曲の伴奏を弾いてきたことになりますね。最近はどうにもミスタッチが多くて恥ずかしいかぎりですが、仙台マンドリンクラブのみなさんにも励まされて、なんとかここまで来たという感じです。田原さんは勤めが東京だったので、ぼくたちは東京で練習して、それで本番に臨むという体制でしたが、2年前に田原さんは仙台に移られてからはそうもいかなくなり、とくに今回は前日までほとんど併せる機会がないという状況でしたが、長年これをやってくるとだいたい相手がどう出るかというのは不思議とわかってしまうようなところがあります。

今回の最大の事故はベートーベンのソナチネという曲の出だしがわからなくて、入れなかったことくらいでしたので、まぁ良かったほうではないかと思います。もっともこの曲は一旦すぐに中止してやり直しました。もちろん、これはぼくの100%責任ですから、みなさんにはすぐペコっとお詫びしましたが、これはボディーランゲージでとっさに行ったので、お客さんのなかには、いったいなにが起こったのか意味不明だった可能性もあります。やれやれ。ところで、仙台マンドリンクラブは来年80周年を迎えるんだそうです!これって凄いことですね。ぼくたちのアメデオは、今回ようやく20年目を迎えるところですから、凄いですよね。実は、仙台マンドリンクラブに参加したおかげで、フルートの田端さん、木村さんにお会いすることができました。田端さんは仙台に転勤していたときに、仙台マンドリンクラブに参加されていました。木村さんは地元女川在住の方で、田端さんの直弟子だそうです。それでいまお二人ともアメデオのレギュラーメンバーとして活躍していただいています!来年は80周年。どんな企画になるのか楽しみにしています。田原さんとは打ち上げのときに密かに話しをして、最近はいつもそうなんですが、「難しくないものを楽しくやりましょう。」という方針で、それにはぼくも全面的に合意し(でも今年はピアノは難しかった....)どうやら、ここだけの話しですが、宮崎駿をやろう、という方向になりました...。夢といえば、アメデオのみんなで駆けつけてお祝いできればと思ったりもしましたが、まぁ夢は夢ということで...じつは慶應の演奏旅行ということを持ちかけていましたが、学生は試験の真っ只中ということで実現できなくなってしまいました。残念。どうでしょう?アメデオで演奏旅行みたいなことを企画してみましょうか?
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