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アンサンブル・アメデオ 第12回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 12th Regular Concert
1996年1月20日(土)
於:かつしかシンフォニーヒルズ
  "モーツアルトホール"
 


曲目解説

児童合唱とマンドリンアンサンブルのための<マザーグース・ファンタジー>

 正確なタイトルは、「イギリスで古くから歌い嗣がれているナースリーライムと民謡による、児童合唱とマンドリンアンサンブルのための幻想曲<マザーグース・ファンダジー>」ということになります。
 ちよっと長いですね。マザーグースのうたは、イギリスで昔々のそのまた昔から、ずっとずっと、うたいつがれてきた童謡で、その数は800曲を上回るとも言われています。格言あり、なぞなぞあり、ナンセンスあり、早口言葉あり、遊びうたあり、数えうたあり、なんでもありです。どれも風刺と機知に富み、ちょっと理屈っぽくて、宇宙的感覚に満ち溢れています。イギリス人独特のユーモアは、幼年時代以来親しんでいる、これらの歌に培われているところが大きいのかも知れません。  さて、「マザーグース」という愛称はいったいどこからきたのでしょう?いろいろ説があるようですが、出版屋のニューベリーが、当時流行っていたベローの童話<がちようおばさんのおはなし(Contes de ma mere I'Oye)>から借用したというのが最も有力なようです。この童話は、かの有名な「白雪姫」や「親指小僧」など、まさにおとぎ話の宝庫です。ところで、考えてみればチャーチルだって、ワットだって、コナンドイルだって、ターナーだって、ビートルズだって、みんなみんなマザーグースを歌って育ったのですね。だから、エルガー、ホルスト、ヴォーンウィリアムズ、ディーリアズ、ブリテンなども、みんな子供のころは幼椎園あたりでお遊戯しながら、きっとマザーグースごっこなんかしていたにきまっています。そう考えると、なんだかわくわくしてきます。やはりマザーグースはイギリス人の根っこみたいなものです。というわげで、この際いろいろごちゃまぜにして、特製ミックスジュースみたいにしてメドレーに仕立てました。
そこでクイズです。

第1問。ジャンルは改治。「ABC」のうたや「きらきら星」の旋律で知られる<黒羊ちゃんのうた>は、当時の圧政に耐え兼ねて歌われたそうです。さて、その政策とはいったいなんだったのでしょうか。ずばりこたえましょう!
第2問。ロンドンブリッジは本当に流されたのでしょうか?「木と土で造ったら流されてしまいました」とありますがいったい次には何で架け直したでしょうか?
 マザーグースは常にどこか表面的にはとらえられないものを秘めています。生活のなかでもいろいろありましょうから、そんなものが意味深に編みこまれているのでしょう。ルーイス・キャロルの<鏡の国のアリス>ではあのハムティダムティ君が登場していましたし、アガサクリ・クリスティ<そして講もいなくなった>バン・ダイン<僧正殺人事件>など椎理小説でも事件の謎解きに一役買っていました。やっぱりマザーグースは、いろいろ空想をめぐらしながら鑑賞するのが正しい楽しみ方なのかも知れません。
今宵は素晴らしい合唱団を避えることができました。練馬区立光和小学校合唱団のみなさんです。総勢68人。このとっても複雑で奇々怪々な曲を小学校3年生から6年生まで、みんな暗譜でうたってくれます。合唱をおまとめいただいたのは音楽の日尾先生。合奏のときは、そのあまりにも情熱的で献身的なご指導に部員一同圧倒されてしまい、すっかりみんな先生のとりこになってしまいました。こどもたちの歌声を聴けば、たちまちマザーグースはやっばり子供の特権だということがおわかりいただけることと思います。

今回とりあげた主な曲を順にご紹介しましょう。

はじめはちょっと厳かに。霧に咽ぶ、どんより垂れ込めるロンドンの街に、ウエストミンスター寺院の「ビッグベン」の鐘の音が轟きます。この調べは懐かしい学校のチャイムの響き。

プロローグは創作曲<ようこそ、マザーグースのくにヘ>
     マザーグースのくにヘ、ゆこうよ
     ほら、ゆかいな、なかまたちが、ほほえみかげてくるよ
     ハムディダムティのおじさん、グーシーガンダーおばさん
     ようこそ、ふしぎのくにへ、メルヘンファンタジー

短い序奏の後は<ヘイ・ディドゥル、ディドゥル>。これば代表的な、意味なしうた。
     ヘイ・ディドゥル・ディドゥル、ヘイ・ディドゥル・ディドゥル
     こねこひくヴィオローン、
     めうしはほら、おつきさまをとびこえました
     そんなこときいたことないさ
     へイ・ディドゥル・ディドゥル、ヘイ・ディドゥル・ディドゥル
     こいぬはおおわらい、
     おさらとスプーンはふたりなかよく、にげてゆきました

次は<いたずら笛吹きトム>の歌。ほんとうばトムが笛吹きなんじやなくて、笛吹きはトムの親父。ちょっと失敬!
     トム、 トムのふえふき!とってもいたずらだいすきで
     あるひ こぶたを、ちょいとしっけい、にげてった
     トム、 トムのふえふき!こぶたはまるごとたいらげた
     それが、みつかって、おおめだまをくらった
     トム、 トムのふえふき!もう、いたずらはこりごりだ
     あしたのことは、あしたになってかんがえよう

そして、お待たせしました。ハムティダムティ君のおでましおでまし!でも、ハムティ君ちょっと元気なさそうだね。
     ハムティダムティ、へいのうえ
     ハムティダムティ、おっこちた
     おうさまの うまを あつめても
     ハムティは もとにもどらない
     ハムティダムティ、へいのうえ
     ハムティダムティ、おっこちた
     くにじゅうの へいたいさん あつめても
     ハムティは もとにもどらない
ハムティ君はこわれたあと天国にいきました。この歌詞は本番までないしょですよ一っと!

なぞなぞの謎は、ますます謎に包まれて、もやもやと森の彼方に消えていきます。そこで、いきなり<くわのきのまわりで>。これは典型的な輪舞曲。みんなで手をつないで輪になって踊り回ります。
     くわのきのまわりで わになって おどろうよ
     それは しんしん さむい しものあさ
     これが てのあらいかた さむいあさににゃぁ てあらって
     ほら、めをさませ
     ふゆのあさは しもおりて いてついた さむいよ
     ほんとにぶるぶるぞくぞく さむいあさよ
     これが はのみがきかた さむいあさにゃぁ はみがいて
     ほら、ぴかぴかに

勢いのついたところで、一気に<スリー・ブラインド・マイス>(3匹の目のみえないねずみさん)これはマザーグース超人気ナンバー。結構、動物をモチーフにした歌、多いですね。
     さんびきの ねずみさん かみさんのあと おいかけ
     かみさんは でばぼうちょうで ちょんときりおとした
     その、しっぽ
     こんなふしぎなこと きいたことないでしょ
     また、かけてくるよ スリー・プラインド・マイス

もうひとつねずみに因んだ歌。<ヒコリーディコリードック>これも超人気ナンバーです。
     いっちく、たっちく、ぼ一ん、ぼ一ん
     はしらのとけいが ぼ一ん
     ねずみがとけいを かげあがる
     ねずみがすたこら かげおりる

ふたたびハムティダムティのパラフレーズが遠くから蘇ってくる。これはひょっとしてハムティの亡霊かしら?そういえば童謡って、むかしから恐れのような一種の不気味さが同居していますよね、いきはよいよい、かえりはこわいみたいな。というわけで、しぱし幽玄の境地へ誘います。不安な響のなかで子守歌を2曲
     ねんねしよ おやすみ かぜがふく きのうえ
     ゆりかごば かぜにゆれ えだがおれ おっこちる
     ねんねこ ぼうや ねんねこ ぼうや

だれですか、すっかりその気になって催眠術にかけられたみたいに眠っているのは!静かに寝てください。いびきは禁物ですよ。ここで曲はしぱらくインストゥルメンタルになります。合唱はしばらくお休みです。インテルメッツオはおなじみグリーンスリーブス。ここからは夢のなかと思ってください。だから、分散和音もちょっと変です。でも心配いりません。夢のおはなしは、いつだってきまって結論がないんですもの。いつもいいところに限って消えうせてしまう。そうこうしているうちに、北国スコットランド地方にやってきました。数あるマザーグースのなかでもその旋律の美しさで一番といえぱなんといっても<コールの王様>でしょう。
     オールド・キング・コールのおうさまは とても、ゆかいなかた
     パイプ、さけ、もたせ、3にんの ヴァイオリンひき よびよせた
     3にんのヴァイオリンひきは とてもすばらしい
     ヴィゴリン ヴィゴロン ヴィゴ、ヴィゴ、ヴィゴリン
     それは すてきなねいろ

もうお気付きのことと思いますがメドレーのつなぎ、そう、いってみれぱとんかつの衣みたいなものですねこのつなぎは鼓笛隊をイメージしています。ほんとうは20人くらいで太鼓を鳴らすと雰囲気がでるのですけど、マンドリンのトレモロもうまく使って工夫してみました。<故郷の空><スコットランドの行進曲><シンプルサイモン>と続きます。早口ことぱば直訳できませんでしたので、いっそのこと日本のものをいれちゃいました。
      ウリウリガウリウリニキテウリウリカエルウリウリノコエ!

いよいよクライマックスが迫ってきました。<メリーさんの羊><ロンドンぱしおちる><黒羊のうた>この3つはどうにもごちゃごちゃにからまって、投げ出したくなるような「知恵の輪」、それとも、もつれてどうにもならない「あやとり」みたいに、収拾つかなくなっていきます。この3つのうたの歌詞はみなさんよくご存じのものばかりでしようから割愛しましょう。ところでクイズの答えは、子供の声にご注目ください。エビローグはふたたび冒頭のテーマがもどってきます。いかにもありがちなエンディングですよね。でも、不思議の国のアリスの最後も、トランプの兵隊さんにおわれるんでしたよね。あのような感じです。では、心ゆくまでじっくりとお楽しみください。

参考文献:)  平野敬一「マザーグースの唄」 (中公新書)
        平野敬一「マザーグース竜謡集」 (エレック選書)
        藤野紀男「マザーグースの英国」 (朝日イブニングニュース社)


行進曲<威風堂々>第1番 作品39 (工ドワード・工ルガー)

 エルガーは1857年6月2日、ウスター郊外のブロードヒースに生まれ、1934年2月23日同地に没したイギリス近代の作曲家です。しがない楽器店の家に生まれ、ほとんど独学で作曲を修得したそうです。へンリー・パーセル以来200年もの間眠っていた英国作曲界を覚醒させ、イギリス音楽を世界の第一線に送り込んだ功労者です。さまざまな名誉ある称号をつぎつぎに叙され、まさしく立志伝中のひとといえましょう。作品は交響曲、管弦楽曲、室内楽、声楽曲など多岐におよんでいます。エルガーの作品は聞き手に気高さと深い精神的な感動を与えてくれるものばかりです。そして最も感動的で栄光に輝く音楽においてすら、しぱしば私的で内面的な世界へ引き込もうとする傾向があるようです。エルガーは陽気で冗談好き、かつ空想好きだったようです。そのルーツはやばり幼年時代にさかのぽります。エルガーが生まれたブロードヒースのあたりは美しい田園地帯で、2歳のときウスターの街に移っても夏休みはきまって、この田舎のコッテージで楽しく過ごしたのだそうです。エルガーの作品にしぱしぱ現れる、牧歌的なイメージはこの田園によって培われたものです。エルガーが64歳のときに親友にあてた手紙のなかで次のように述べています。「私は、今でも心のなかでは夢見る子供です。私はセヴァーン河畔の葦の茂みの中でなにかとてつもなく偉大なものに対する憧れを音にしたいと思って五線紙と睨めっこしていました。」
 行進曲く威風堂々〉は、1901年、44歳のときの作品で、初演ばリヴァプールで行われました。後のロンドン初演時では聴衆の熱狂が収まらなかったために、3回演奏されたそうです。時の英国国王エドワード7世はこの曲を絶賛し、中間部の旋律に歌詞を付けるよう勧めました。もちろんエルガーはこれに応えて、エドワード7世の載冠式を祝う載冠式頒歌の終曲に、この旋律を用いました。歌詞はアーサー・クリストファー・ベンソン、曲ば<希望と栄光の国>と題されました。この曲は、さらに独立した歌曲として親しまれ、国歌につぐ国民的な愛唱歌になっています。威風堂々のタイトルは、イギリス人がしばしば引用するシェークスピアに由来しており、オセロの第3幕第3場のオセロの台詞からとられています。この行進曲は5曲からなる連作で、当初の精想では6曲つくる予定だったそうです。なかでも第1番はもっとも有名で、エドワード7世が賛辞を呈した際に、エルガーは、「この旋律は、20年ちかく暖め続けてきたものです」と述べたそうです。


組曲<惑星> (グスターヴ・ホルスト)

 ホルストは1874年9月21日にロンドンの北西コッツヴォルズのチェルトナムに生まれ、1934年ロンドンに没した作曲家です。幼少のころからスウェーデン人のピアノ・オルガン奏者だった父親にピアノを学び、中学のころから作曲をはじめました。1893年にはロイヤル音楽カレッジに入学し、本格的に作曲とトロンボーンを勉強しました。このころ同級のヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。その後2人は生涯のよき友となりました。ホルストは好奇心旺盛だったとみえて、ヒンドゥー文学や哲学、またはサンスクリットなども熱心に勉強したそうです。卒業後は、オーケストラでトロンボーンを吹きながら生活していましたが、1905年にはセントポール女学校の音楽の先生に就任しました。初期の作品には文学的な影響が強く、特にホィットマンやウィリアム・モリスを賛美し、故郷コッツヴォルズに取材した作品も手がけています。また、ヴォーン・ウィリアムズの影響でイギリス民謡にも興味をもち、民謡をモチーフにした作品も発表しました。1915年ころから独自な世界を描くようになり、この<惑星>もそのころ開花した代表作といえましょう。初演は1918年9月29日。原曲ば、全部で7曲から成り、それぞれ惑星の名前がつけられています。惑星を太陽に近い方から辿っていくと、水星、金星、地球、火星、木星、土星の順で、ここまではかなり古くから知られており、いろいろ神話や占星術なども生まれました。続いて1781年に天王星、1846年に海王星が発見されています。現在、惑星は9つとされていますが、最後の瞑王星は1930年に見つかりましたので、ホルストが作曲したときには、まだ知られていなかったことになります。各曲には副題が添えられていますが、ホルストはつぎのように述べています。「私の<組曲>は、それぞれの惑星にまつわる占星術的な意味によって晴示を受けていますが、決して表題音楽ではありません。また、同じ名前を帯びている神話の神ともなんのかかわりもありません。しかし、この組曲に対して何らかの手がかりが必要だとすれぱ、それは曲の副題で充分でしょう。それも広い意味で受けとめていただけれぱ幸いです。たとえぱ木星はふつうの意味で喜びをもたらしますが、それと同時に宗教的な、あるいは国民的なお祭りとも関連する式典的な喜びをも表現しています。」
 原曲は巨大な管弦楽で構成されていて、色彩感に富み、とてつもなくスケールの大きい作品です。一昨年だったか、読売交響楽団の定期演奏会で、生で聴く機会に恵まれましたが、音が怒涛のように寄せては引いていきました。音量だげではなく宇宙空間を感じさせるような、はてしない広がりを呈して、さながら巨大な壁画を見上げるかのように感動的な体験でした。ありとあらゆる音と音の組み合わせが次から次へと降り注いできました。やっぱりこういう音楽は狭い家で聴いたのでは意味がないなぁとつくづく感じました。音の波はやがて全身を震わせて、ほんとうにすっかり音の清け物みたいになってしまいました。そのときの感動といったらまさに筆舌につくしがたいものがあります。はたしてマンドリン合奏でできるのでしょうか、効果は充分得られるのでしょうか、あまりに無謀ではないか、といった不安が終始つきまとっていました。著作権のことがありましたから版権元に問い合わせると、偶然にも昨年の5月で切れることがわかり、これは絶妙のタイミングということになりました。それになんといっても魅力的な作品ですから、おもいきってやってみようということになったのです。曲をいろいろひもといていくと、とかく迫力の面がクローズアップされがちですが、内面的なシーンも少なくなく、まさに旋律の宝庫そのもので飽きさせません。今宵は、特に人気のある4曲を抜粋して演奏します。

<火星> 「戦いをもたらす者」
これは凄まじい曲です。終始一貫して刻まれる5拍子の割り切れない不安なリズムにのって、整然と隊列を組んだなにか戦団のようなものが連なって、遠くの方からじりっじりっと押し寄せてきます。そのうめき声のような旋律はこの世のものとは思えないくらいに不気味で圧倒的です。とてつもないエネルギーの塊、そのオブジェはアメーバのように増殖して膨張し、ついには爆発してすべてのものを破壊してしまいます。マンドリンのトレモロでどろどろ演奏しますと妖々しさ満点でお化け屋敷のようです。

<金星> 「平和をもたらす者」
国破れて山河あり。兵どもの夢のあと。戦いのあとは虚しさと荒涼とした焼け野が広がるだけ。静寂の間の彼方から差し入る一筋の光。やがて光は大地を温め、しだいにあたり一面緑色に染めてしまう。生命が宿り、おだやかな時間がただよう。

<天王星> 「魔術師」
さあさあお立ちあい!はじまりはじまり!世にも不思議な魔法だよ。種も仕掛もとんとござらぬ!魔法の杖をひとふりすれば、なんでもかんでもおちゃのこさいさい!この滑稽で無邪気でしゃくるような旋律は、フランス人の作曲家ポール・デュカの交響詩<魔法使いの弟子>に類似していますが、ホルストがこの曲を書いたとき、デュカの曲を聞いたことも、スコアを見たこともないと娘のイモージュン・ホルストは証言しています。2つめの旋律はちよっと勇壮でけたたましく、ティンパニがここぞと大暴れします。なにかいきなり古代か中世にでもタィムトリップでもして、突然帆船にまたがる海賊クック船長の目の前に現れちゃったみたいな感じです。「なんじゃ、おまえは?」「あら、ごめんなさ一い」こうなるとほとんどヴィジョンリーのノリですよね。海の王者キャプテンクックの勇仕なお姿も、魔法が溶けたらたちまち消えうせてしまいます。

<木星> 「快楽をもたらす者」
お待ちどうさまでした。惑星といえばやはりこの曲ですよね。苦あれば楽あり。終わりよければすべて良し。世の中丸くおさめなくっちゃ!というわけで原曲では4曲目、ちょうどシンメトリーの真ん中に位置していて、ここがクラィマックスになっています。富田勲さんのあの一世を風靡したシンセサイザーの編曲では、だれもいなくなった宇宙船にこだまするオルゴールがなんともシュールで印象的でした。(なんでここで富田勲さんがでてくるのかな?ここはちょっとした伏線のつもりです。アメデオの選曲はこうみえてもなかなか有機的にできているんですよ。)とこの曲は文句なく楽しめます。隅から隅までいたるところ飛び回って跳ね回って無邪気そのものですね。中間部は美しい。ほんとうに音楽していてつくづくこういうのは幸せだなあって感じるんですよ。遠慮はいりません、どうぞ一緒に歌ってください。おっとそれから最後のクライマックスの直前でちらっとまたワープしています。ぽくにはあのクック船長の率いる帆船が大海原を進むシーンに思えてなりません。原曲では天王星より前だから予告編という感じかな。今回はあとで演奏しますので回顧シーンということで。最後は一気に駆け抜けて終わります。

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