豊穣のレバノン〜ベイルート
 
Beirut
 
 
ベイルート
 

  1975年、政権内部の主導権争いに端を発したレバノン内戦は、近隣諸国や欧米の大国など様々な勢力の介入を招き、15年も続きました。首都ベイルートの争奪戦は特に激しく、かつて「中東のパリ」と呼ばれた美しい街並は壊滅し、大勢の市民が死傷しました。しかし、今では政情も安定し、復興と平和への力強い努力がいたるところで進められています。  

 
伝説のカフェ「エリサール」
 


   
復活
内戦前、中東の知識人や文化人で賑わっていた「伝説のカフェ」が、2000年夏、15年ぶりに再オープンしました。古代カルタゴの女王の名を冠したこの店の壁は、ミロの抽象画や、水墨画、年代ものの写真などで所狭しと埋め尽くされ、「レバノンで最も高価な壁」と呼ばれているとか。再開を祝うパーティーには、当時学生だった政財界の大御所たちが多数集まったそうです。それもそのはず、店の向かいはレバノンの最高学府、ベイルート・アメリカン大学。きっと学校帰りに入り浸っては、哲学を語り、政治を憂い、そして時には恋に明け暮れたのでしょう。醸し出される独特の雰囲気に、カフェオレもどこか知的な香りがする気がしました。
 

       
 
取材攻勢
店の外側から写真を撮っていたら、オーナーと思しき恰幅の良い背広姿の老人に手招きされました。再オープン時には世界中のメディアが取材に訪れたそうです。
 
すべて!
店内の壁という壁には現代絵画や古い写真をはじめとする芸術品の数々が所狭しと飾られています。どれが一番価値があるのかと訊いたら、オーナーいわく「Everything !」。
 
最上級の部屋
東洋からの客が気に入られたのか、ウエイターさんに二階に連れて行かれました。閉じていた扉を開け灯かりのスイッチを入れた彼が一言「ここが最上級の部屋です」。
 

 
旧市街
 


   
ただいま建設中
内戦時、旧市街はパレスチナ難民キャンプと並んで最大の激戦地となりました。容赦のない空爆と艦砲射撃にさらされ、建物はそのほとんどが瓦礫と化しました。内戦後も政情が安定せず、再建工事が始まったのはしばらく経ってからのことでしたが、ようやく軌道に乗ってきたようです。
   

   
グレートモスク
見た瞬間、思わず「原爆ドーム?」と呟いてしまいました。旧市街に住んでいたのは主にイスラム教徒だったため、モスクはキリスト教勢力などから格好の標的となったのです。不謹慎かもしれませんが、ぜひ世界遺産に登録してもらいたい。戦争の悲惨さと愚かさを後世に伝えるために。
   

   
内戦の傷跡
多くの建物はその後再建・修復されつつありますが、かつてベイルートきっての高級ホテルだったホリデイ・インは内戦から10年あまり経った今なお、無残な姿をそのままとどめています。壁に開いた無数の穴は空爆によるもの。この建物を目の前で見て初めて、空爆がどのような被害を生むのかを知りました。
     
掘れば出てくる
壊れた建物を再建する途中で、新たに遺跡が見つかることがあります。何千年にもわたって都市が築かれ続けたベイルートでは、「掘れば何かが出てくる」のです。写真はローマ時代のものだそうで、大浴場や列柱跡などを見ることができます。近代的なビルと遺跡が同じレベルで存在する光景は、なかなかにシュールです。
   

       
 
列柱
ローマ時代の列柱がビルの二、三階と同じ高さに並んでいました。以前はどんな建物だったのでしょう。昔からこんな眺めだったら、それも凄いな。
 
大統領官邸
激しい空爆を受けた大統領官邸もこの通り。ただし、現在のところ大統領自身はハムラ通りにある雑居ビルの二階に住んでおり、毎日ここに「通勤」しているそうです。
 
マリーナ
旧市街の北端は地中海。防波堤に囲まれたヨットハーバーは波もなく、係留されている船もまばら。本物のハードロックカフェがあるのもこのあたりです。
 

   
復興の槌音
旧市街の建物はすべて内戦前と同じ状態に復元するという強い方針のもと、いたるところで建設工事が行われています。しかし、これがとてもイタリアっぽいデザインなのは驚き。旧市街ってイスラム系の居住区じゃなかったっけ? さすが「中東のパリ」ですね。洗練された街並が甦る日もそう遠くないでしょう。
   

   
こちらも建設中
再建というよりニュータウン建設と言った方が実態に近いような気がします。白紙の上に設計図を書くところから街全体を造り始めたような、そんな工事のされ方に感じましたね。新しい建物は建築資材からして以前とは違うようで、崩壊を免れた建物が遺跡のように見えてきます。
   

 
ハムラ通り
 


   
ビジネスセンター
西ベイルートを東西に貫くハムラ通りは、内戦で破壊された旧市街に代わり今では街の中心として機能しています。金融やマスコミをはじめとして、世界各国の企業の支店が入居するガラス張りの近代的なオフィスビルが建ち並び、東京で言えば日比谷から銀座といった界隈です。
   

   
ニセモノ
ベイルートには2軒のハードロックカフェがありますが、ハムラ通りの東端に位置する1軒はニセモノです。そのわりには繁華街のど真ん中にあり、堂々と営業しています。「Hard Rock」の字体やロゴが微妙に違う気もしますが。訴えられないのかなあ? Tシャツ買っちゃったんだけどね。写真はどちらもニセモノ店です。念のため。
       
      正規店はマリーナに面した旧市街の海岸沿いにあります。ただ、その周辺はまだ再建が始まったばかりで、営業している店も少なく人通りも閑散としています。      

       
 
貸し出し中
壁一面ガラス張りのモダンなビル。大きな垂れ幕がかかってるなと思ったら「For Rent」。一棟丸ごと貸し出してくれるってこと? でも誰が借りれるんだろう……。
 
最新モード
ブティックが多いのも、この通りの特徴です。ヨーロッパからの輸入品が多く、有名なブランドはひと通り出店しています。バーゲンもやっていて割と安く買えるみたいでした。
 
中東のパリ
交差点に面してオープンカフェが向かい合うこのあたりはまさに「中東のパリ」といった雰囲気。カフェオレでも注文すれば気分はもうサン・ジェルマン・デ・プレです。
 

 
海岸通り
 


       
 
地中海
ハムラ通りをさらに西に下っていくと、やがて地中海が見えてきます。きらめく波が眩しいですね。このあたりは中東というよりヨーロッパといった雰囲気です。
 
鳩の岩
全然鳩の形じゃない、ということでガイドさんに質問したところ、ここはヨーロッパとアフリカを行き来する渡り鳩の中継地なのだそう。なるほど、それで「鳩の岩」なわけね。
 
シリアの影
鉄条網で囲まれた空き地はシリア軍により立入禁止。この国の本当の主人は誰なのかを物語っています。あ、日本にもアメリカ軍による立入禁止区域がたくさんあるな。
 

   
最高学府
レバノンの最高学府ベイルート・アメリカン大学。日本の大学と違ってセキュリティーチェックが厳しく、パスポートなしでは入れてくれませんでした。うーん、残念。石造りの建物がどこか遺跡みたいなので、訪れるならライトアップされる夜がオススメ。なかなかに風情がありました。
   

 
街角の風景から
 


       
 
青空書店
そういえば、中東では日本のような本屋さんを見かけたことがありません。いつもキオスク型の街頭販売です。みんな本はあまり読まないのかな?
 
猫の足跡
高級車のボンネットに容赦なく印された足跡(笑)。つい嬉しくなって思わず撮っちゃいました。でも、ある意味、とてもベイルートっぽい一枚かも。
 
花屋
花屋さんがあると、それだけで街に潤いが出ますね。がんばって営業を続けて欲しいものです。向かいの区画は瓦礫の山が放置されたままだとしても。
 

   
ベイルート国際空港
近くにパレスチナ難民キャンプがあるとの理由で、空港も内戦時は激しい空爆の対象になりました。ターミナルビルが新しくて立派なのはそのためです。何も好きで建て替えたわけではないのです。そして2006年。再建された空港は、再びイスラエル軍によって破壊されました。
   


   

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