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聖誕快楽、新年進歩!(注)…新歴1月1日の香港

OZ.


●12月31日の香港へ

[写真]天星碼頭から香港島を望む

 広州からの列車で深[土川]に着いた私とAさん・S君の3人は、羅湖のイミグレーションへ向かった。これから香港へ入るのだ。
 1997年に香港が中国に返還された後も、羅湖のイミグレーションはまったく変わっていない。香港に入る際には、中国の出境手続きと香港の入境手続きが必要だ。

 我々は、欧米人や香港マカオ通行証を持った中国人に混じって、中国の出国手続きの列に並んだ。待つこと約20分、問題なく出国手続きがおわると、羅湖橋を歩いて渡り、香港側のイミグレーションである。こちら側でも、やはり待たされる。我々はこれぐらいで済んだが、「香港居民」の中国出境手続きには、もっとたくさんの人達がならんでいた。深[土川]まで気軽に買い物に来る香港人も多いと聞くが、毎回こんな手続きをしなければいけないかと思うと、たいへんだなと思う。
 香港の入境手続きが終わると、そこは九廣鉄路の羅湖駅である。ここから香港の九龍・ホンハム駅まで10分以下の間隔で電車が走っている。所要時間は約40分。
 私たちは、とりあえず終着のホンハム駅まで行き、そこでホテルを探すことにした。


●重慶マンション前のゲスト争奪戦

 ホンハム駅のインフォメーションカウンタで教えてもらったホテルはHK$1,200と高すぎた。
 そこで、安宿が集まっている重慶マンションの前まで行った。すると、さっそくインド人のお兄さんから、「ホテル!」と声をかけられた。そして、間髪を入れず、今度は、中国人のお姉さんから「ジャパニーズ?」。どちらも安宿の勧誘だ。
 私は、それぞれに「いくら?」「シャワーはあるか?」「何階?」と条件を聞いた。どちらかが答えると、他方が「あっちはとてもとても汚い。うちはきれいだ。」「そんなことはない。シャワーもついてる。」「こっちはエレベーターが8基。重慶マンションには2基しかないよ。」…と相手のホテルをこきおろすのである。私はこのやりとりをしばらく楽しんでしまった。
 結局泊まることにしたのは、同行のAさんの意向と、お姉さんが北京語をしゃべっていたことから、中国人のお姉さんのほうの宿だ。重慶マンションから100mほど離れた美麗都(ミロード)マンションの14階にある「九龍大旅館」。シャワー・トイレつきの部屋で1泊1人HK$120(約1800円)である。

 ホテルの部屋で落ち着いた頃には8時近くになっていた。我々は、食事をするために尖沙咀(チムシャツイ)の街へ出かけた。夕食はスペイン料理にする。さずがに1週間中華料理を食べ続けて飽きてきたところだったのだ。久々に口にしたワインがうまかった。でも、「お勘定」はHK$910。前日は広州でかなり豪華な海鮮料理を食べて、3人で人民幣250元だった。メニューが異なるので正確な比較ではないが、価格差3倍以上(おおよそのレートは、人民幣1元=HK$1.05)。香港の物価の高さを実感する。あそうそう、ここは香港。チップを忘れずに。


●天星碼頭のカウントダウン

 午前0時が近付いた天星碼頭(九龍半島の先端、スターフェリーの乗り場がある。)には、人々が集まってきている。若い人々の多くは、黄色やピンク、水色などに光るプラスチックの蛍光チューブをネックレスや腕輪みたいに身につけている。なかには、それを「うさぎの耳」のようにして、頭に飾っている女の子もいた。この蛍光チューブ、映画「君さえいれば/金枝玉葉」で、主演のアニタ・ユンが男装するために股間につけたヤツよりかなり細い。
 彼らはどうやってそれを手に入れたのか、気になった。そこで、少し碼頭を歩いてみると、蛍光チューブ売りのお兄さんがそこら中にいる。僕も一人のお兄さんからチューブを買う。あとで考えてみると、北京語で「1本4ドル」と言われたのを「10ドル」と聞きまちがえたらしく、4本買って40ドル(=約600円)とやけに高い買い物になってしまった。

 旧九龍駅の時計塔の裏のちょっとした屋外ステージでは、ロックバンドがコンサートをやっている。演奏しているミュージシャンはぼくが知らない人だった。観客は200人ぐらいだっただろうか。フェイ・ウォンとか、ジャッキー・チョンといった有名人が、こんな小さい場所でやるわけないよね。

 コンサート会場ではカウントダウンが始まった。まもなく年明けだ。「…3、2、1、0!!」。
 ゼロの声と同時に、「ぽぉーっ」という貧弱な汽笛が聞こえた。香港といえば新年の一斉汽笛、と期待してきただけに拍子抜けした。天星・・付近や対岸の中環には大きな船が停泊していない。場所の選択を誤ったということだ!!

 でもまあ、対岸の香港島は、クリスマス&新年をイメージしたライトアップをしているビルがあって華やかだし、無事に新年を迎えたということで、Happy New Year! 缶ビールで乾杯。


●非中国系の人々

 新歴1999年1月1日を迎えた僕達は、まわりの人々の流れに合わせて、天星碼頭から引きあげる。途中、便利店(コンビニエンスストア)でビールを買って、ホテルへ帰った。けれども缶の半分以上を残して眠ってしまった。

 そして翌朝、1月1日の香港の街へ出かける。新年最初の朝食は、天星碼頭近くの麦当労(マクドナルド)で、日本でいうところの「朝マック」のセット。何も香港まで来てマクドナルドで、と思われるかも知れないが、これも1週間中華料理を食べ続けた反動だ。
 マックのトレーの中敷きの紙では、ディズニーのCG映画「A Bug's Life」の宣伝をしている。セットを頼むとキャラクターのおもちゃを1個くれるらしい。ちなみに「A Bug's Life」の広東語タイトルは「蟲蟲特工隊」である。

 ご存知の方も多いと思うが、中国文化圏では、正月を陰暦(旧暦)で祝う。今年は、太陽歴2月16日が陰暦の元旦(春節)だ。だから、太陽歴の1月1日には、目立った行事はない。街はごく普通の休日の雰囲気だ。

 その後、スターフェリーで、対岸の香港島・中環(セントラル)へ。セントラルのスターフェリー乗り場近くの広場には、たくさんのフィリピーナが集まり、おしゃべりをしている。なかには、お弁当を広げている人たちもいた。言葉はタガログ語のようだ。きょうは1月1日ということで、メイドなどの仕事が休みなのだろう。

 僕達は、上環(ションワン)〜北角(ノース・ポイント)の間を、路面電車に乗ったり、歩いたりして散策する。
 上環には乾物屋が多い。変わったところでは、牡蛎を干したものが売られていた。これでオイスターソースを作ったりするのだろうか?
 セントラルの裏通りは、市場のようになっていて、野菜や肉、魚等の店が並んでいる。香港(だけでなく、広州でも)目立つ野菜は「油菜」。菜の花の「とう」が立った、というより、花が咲きかけているものを束にして売っている。中華料理屋では、これを炒めたり、ゆでたりししたものを山盛りにして出してくれる。でも、茎が太く硬いので、あまりおいしいものではない(もっともこれは私の印象)。日本でも最近は「かき菜」「おいしい菜」という名前で油菜が売られているが、それはもっと若いものやわらかい。

 午後、尖沙咀へ戻る。尖沙咀のネイザンロード沿い、九龍公園のかたわらにモスクがある。その前に、たくさんのインド・パキスタン系(正確に何国人かは分からなかった。)の人々が集まっていた。お祈りでもあるのだろうが、そこにいるのはすべて男性ばかりだ。

 こうして街を歩いて感じるのは、中国返還後でも様々な民族の人々が生活していて、「ごちゃまぜ」な雰囲気はなくなっていない、ということだ。


●1万ドル!の夜景

[写真]bビクトリア・ピークからの夜景

 さて、香港といえば100万ドルの夜景、ということで、夜はビクトリア・ピークへ登ることにした。ケーブルカーに乗るために、山麓駅で20分ほど行列する。そこら中から日本語が聞こえてくる。

 山頂駅に到着。そこはピークタワーという建物になっていて、外へ出るのに苦労した。展望台へ出て、いよいよ…と思いきや、暗い! 前に来たときに見た光景とはまるでちがう。これでは、100万ドルなんてものではなく、1万ドルではないか!!
 まあ、考えてみれば、きょうは1月1日で企業は休み。明りが少ないのは当然だ。

 ビクトリアピークからの帰りは、ケーブルカーではなく、バスに乗る。2階建てのバスが山道のカーブをスピードを出して下るのを、2階のいちばん前の席で体験するのは迫力モノだ。途中道の上に伸びている木の枝を、ガシガシッと音を立てて、屋根でこすっていく。下っていくにしたがって、街の明りがはっきりとしてくる。山頂からの夜景が暗かったのは、霧がかかっているせいでもあるようだ。
 セントラルのバスターミナルについた僕達は、スターフェリーで九龍に渡り、セブンイレブンでビールとつまみ(点心)を仕入れ、ホテルへ。
 こうして、香港での新歴1月1日は終わった。

 翌日、午前中、旺角(モンコック)でパソコンショップをのぞいたりした後、空港へ。バックパックを背負って重慶マンションの前を通りかかると、またインド人のお兄さんにホテルの勧誘を受けた。「きょう日本へ帰るから。」と断ったら、「(日本語で)サヨナラ!」と手を振ってくれた。(おわり)


注)「聖誕快楽、新年進歩!」というコピーは、香港でよく見かけた「Merry Christmas & Happy New Year!」の広東語表現。


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