37歳で夭逝した在日韓国人作家:李良枝

僕は、知人(彼女)の誕生日に本を贈った

by.康


 知人(女性)の誕生日に本を贈った。昨年の9月に講談社文芸文庫の一冊として刊行された李良枝(イ・ヤンジ:Lee Yangji)の「由熙/ナビ・タリョン」である。李良枝は、1992年、37歳で夭逝した在日韓国人二世。「由熙(ユヒ)」は、第100回芥川賞受賞作品。


日本人の彼女、在日韓国人の彼氏

 2週間後のある日の夕方、本を贈った彼女(ちなみに年齢は30歳くらい)と話をする機会があった。食事をしながらのこと。女性と面と向かって話をするのはあまり得意ではないのだけれど。いろいろと話しをしていると、突然、彼女は本を取り出して話し始めた。以前、彼女が在日韓国人の彼とつき合っていたことを。当時を思い出しながら。
 「康さんから本を渡されて、普段はすぐには読まないのに、この本はすぐに読んで、昔のことを思い出したの・・・私はそのころ、どうして韓国人や朝鮮人がたくさん日本にいるのか、よく理解していなかった・・・あるとき、(国政)選挙があって『選挙行った?』って、彼に聞いたのことがあったの。在日韓国人に選挙権がないなんて知らなかった。彼は、何が差別で、何が問題なのかわからない私に、ゆっくりと教えてくれたの。・・・彼は本当に心の広い人だった。結婚を考えたこともあったけど、両親に彼のことを話すことはできなかった。在日だからっていう理由で別れた訳じゃないけど、でも両親のことを思うと結婚はできなかったと思う・・・」
 本を贈ったときには予想もしなかった反応だったので、僕は驚いた。これまでも、いろんな人に本を贈ったことがあったけど、こんな反応はなかったから。タブー視されがちな話題が彼女の口から出たとき、本を贈って良かったという思いと、その一方で、在日韓国人の結婚・就職の差別に関する問題解決の困難さを強く感じたのである。
 ここでは、彼女が僕に話した会話の内容はこれ以上詳しく紹介しない。今回、彼女が話し始める動機となった、李良枝とその作品について、微力ながら紹介したいと思う(紹介にあたっては、いろんな文芸批評を参考にした)。


李良枝のプロフィール

 1955年、在日韓国人二世として生まれる。
 1964年両親が日本に帰化。田中淑枝(たなかよしえ)が本名となるが、良枝の字を使う。未成年のため、自動的に日本国籍を取得(当時、16歳の長兄は日本帰化に反対していた)。両親の不仲は、別居から離婚裁判へと進む。何度か家出を繰り返し、京都へ。観光旅館にフロント兼小間使いとして住み込む。旅館の主人のはからいで、京都の高校に編入、日本史の教師との出会いを通じて自分の血である民族のことを考え始める。
 上京後、韓国の伽椰琴、巫俗伝統舞踊に魅了され、本格的に習い始める。
 そのころ、「冤罪事件」として知られる丸正事件の主犯とされた李得賢氏の釈放要求運動へ参加し、ハンガーストライキを行う。
 27歳のとき、ソウル大学に入学、このころから小説を書き始める。
 1988年に発表した「由熙」で芥川賞を受賞。
 ソウル大学卒業後、梨花女子大学舞踊学科大学院へ入学。
 出雲、富士吉田、ソウル等での踊りの公演を行う。
 大学院単位取得後、日本で小説執筆等に専念。1992年5月22日、急性心筋炎のため、逝去。享年37歳。


10年振りの再会「李良枝」

 李良枝のことは、芥川賞を受賞したころから知っていた。でも、知っていたといっても名前だけで、10年近く前に購入した単行本「由熙」は、読まないままアパートの片隅で眠っていた(最近、買っても読まないままの本が意外と多い)。若くして亡くなったことも新聞記事で知ってはいた。でもそれだけだった。
 彼女との再会は、去年の9月のことである。北海道の旅行に文庫本でも持っていこうと思って、近くの書店で見つけたのが、刊行されたばかりの文庫本「由熙/ナビ・タリョン」だった。他の文庫といっしょに平積みされていたが、10年振りの再会に思わず感動して、すぐに購入した。
 文庫には、四つの作品が掲載されており、旅先で一つの作品を読む度に、どうして今までほおっておいたのだろうかという悔しさが心の中で広がっていった。うまく説明はできないけれど、切なくて胸が締め付けられる、そんな思いでいっぱいになる本だった。そして、機会があったら人に贈ろうと思っていたのである(知人に贈った後、全作品が読みたくなって、後日「全集」を書店に取り寄せ購入した)。


処女作「ナビ・タリョン」から「由熙」へ

 ここでは、文庫本に掲載されている四作品について紹介したい。
 処女作「ナビ・タリョン(嘆きの蝶)」(1982)では、作者自身の体験をもとに描いている。両親の長い不和と離婚訴訟、京都への家出、「在日韓国人」であることへの怯えと苛立ち、日本へ帰化した父親への反発、妻子ある年上の男性との恋と破局、2人の兄の相次ぐ急死、歌舞踊を通じての母国への回帰願望など。
 「かずきめ」「あにごぜ」(1983)でも、同様のテーマを主題に描いている(掲載外の他の作品も同様である)。
 そして、代表作「由熙」(1988)へとたどり着く。これまでの作品(作品の主人公が作者と重なる一人称形式)と違って、作家と作中の主人公の間に距離を置いて描いている。日本と韓国、二つの国と二つの言葉に引き裂かれている作者の感情や苦しみを、韓国人である「私」とその「叔母」、そしてその下宿人である主人公「由熙」(日本からの留学生で、在日韓国人)の3者に分解しているのである。「母国」韓国になかなか馴染めない主人公の「由熙」、由熙を応援しながらも、馴染めないことに苛立ち由熙を突き放す「私」、そして二人に愛情を注ぐ「叔母」。
 文学作品上の技巧的な変化は別にしても、どの作品からも、言葉を通してアイデンティティを探し求めて生きた李良枝の生き様が伝わってくるのである。


在日第三世代の作家

 以前、けんま誌上で紹介した作家、「李恢成」は、『時代と人間の運命−エッセー編』(同時代社、1996)の中で、在日同胞文学者の若い世代の作家たち(第三世代の作家)の一人として、李良枝を紹介している。
 「第三世代の作家たちが何よりも切実さを感じて書く作品世界とは、おまえとわたしの次元、家庭、父子間の葛藤、職場、帰化、等々の疎外された心理や人間的な悩みなど、主に個人的な精神世界を反映したもの」「こうした潮流は何よりも在日同胞生活の変化からくる構造的矛盾の反映」「何年か前に夭折した李良枝がそうです」と。


著書目録

【単行本】
かずきめ 1983年講談社
1985年講談社
由熙 1989年講談社
石の聲 1992年講談社
【全集】
李良枝全集 1993年講談社
【文庫】
ナビ・タリョン 1989年講談社文庫
由熙/ナビ・タリョン 1997年講談社文芸文庫

[22号もくじ] [前の記事] [次の記事]
[康さんの前回の投稿] [康さんの次の投稿]

けんまホームページへ
けんまホームページへ