さて、むろん、こうした「場所の変化」だけではなく、今、「作品の変化」にも実に大きなものがあります。次にそれをお話したいと思います。お手元に2枚のテキストが配布されていますでしょうか。そちらをご覧になりながら話を聞いていただきたいと思います。

2枚のテキストに、合計12首の作品を引用してあります。ABCにわけてありますが、少しコメントも入れてありますように、Aの作品は、前衛短歌時代のもの、大雑把に言って1960年代のものだとお考え下さい。有名な作品が多いのでご存じの方も多くいらっしゃると思います。Bの作品は1980年代にあらわれた作者たちのもの、俵万智さんと同世代の作者たちです。ぼくの作品もここに入っています。それからCの作品は1990年代にあらわれた作者たちのものです。Cの作者たちは、全員さきほど紹介させていただいた「ラエティティア」のメンバーでもあります。

それでまず、Aの作品から順を追って見ていきたいと思います。註を入れましたが、Aの作品、この前衛短歌時代の作品は、「世界観」と「定型感覚」の相乗効果によって面白さが追求された作品です。一首目、塚本邦雄さんの、

 日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

という歌がありますが、これは1958年に刊行された『日本人霊歌』という歌集におさめられたものです。天皇、昭和天皇のことを戯画的に作品化したものだということで随分話題になった作品です。「皇帝ペンギン」が天皇、「飼育係り」たちを日本国民に見立てているということです。「日本脱出したし」というのは、いろいろな意味をこめて書かれた言葉だと思われます。上っ面だけを見ると、暑い日本から抜け出したいペンギンのことが書かれているわけですが、作品で表現していることはもっと全然別のことに読めますね。たとえば、海外でのバカンスにあこがれる日本人の気持ちを示唆していると受け取ることもできます。毎日汗を流して働いて、海外でのバカンスにあこがれを感じたりするわけです。そろそろ経済成長へ向かうという時代の歌ですから、こうした感覚は当時多くの人が共有できたのではないかと思われます。そして、天皇が「人間」であることを宣言したからには、天皇も国民も同じように国外脱出願望を持っているのではないか、というのが、作者のちょっと皮肉な寓意としてあるわけですね。

次に二首目の岡井隆さんの作品を見てみます。

 飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ

これは1968年に書かれた作品です。のちに、1970年代の後半になってから刊行された『天河庭園集』という歌集におさめられています。碓氷というのは、碓氷峠のことで、群馬県と長野県の境にあります。ぼくはそちらに行ったことはありませんが、よく知ってらっしゃる方もいるでしょうね。設定としては旅の歌なわけですが、もちろんこれも単なる旅ではない。1960年代の後半、全共闘が終焉をむかえる直前に書かれた作品ですから、当然そうした政治の季節の心情がここに詠いこまれていると考えるのがいいと思います。「飛ぶ雪の碓氷」というのはまさに政治の季節そのもの、そこを「すぎて昏みゆく」というのは、その季節が終わろうとしていることを暗示しているのだと思います。しかし、下句では一転して「紛れなき男のこころ」と歌いあげています。時代が一つの区切りをむかえようとしている予感がある。そこをいかに超えてゆくことかで、一人の男、一人の人間としての価値が問われる。自分にはたしかにいまこの時代を生きたという手ごたえがある。たとえ他人から何と言われようとも「紛れなき男のこころ」としてたしかな手ごたえがある。というような気持ちを読みとることができるのではないかと思われます。

次に三首目の馬場あき子さんの作品を見てみます。

 しずめかねし瞋りを祀る斎庭あらばゆきて撫でんか獅子のたてがみ

1972年に刊行された『飛花抄』という歌集におさめられたものです。馬場あき子さんは中世を中心とした日本の古典の研究でも有名で、『鬼の研究』という日本の精神史に大きく影響を与えた著書などもありますが、この歌集もそうした古典に題材をとった作品集です。「鬼とは何かまたその消滅への挽歌」というのが歌集のサブタイトルにもなっています。それで、この作品、「斎庭」というのは、神などをまつるために浄められた場所のことです。ここでは「しずめかねしいかり」がまつられているのですが、みずから赴いて、いかりしずまらぬ獅子のたてがみを撫でようか、と詠われています。歴史の中で、しずまりきらなかったものを、みずからしずめようというのですね。きわめて女性的、また母性的な発想かと思います。ただ、この作品は、歴史の中への視点だけで読まれたわけではないと感じます。しずめかねしいかりは、古典の時代だけではなく、現代にもある。一つには太平洋戦争であり、また政治の季節の若者たちの闘争でもありましょうか。古典に題材をとりつつ、同時代の心情ともたしかに結びつくからこそ、ゆきて撫でんか、というフレーズに、より深い実感が生まれているのだと思われます。

次に四首目の佐佐木幸綱さんの作品を見てみます。

 たちまち朝たちまちの晴れ一閃の雄心としてとべつばくらめ

これも1972年に刊行された『直立せよ一行の詩』という歌集におさめられたものです。たちまち朝、たちまちの晴れ、というフレーズは、実に気持ちのいい朝の情景をうつしとったことばだと感じますが、そのような朝に出会った、と言うよりは、そのような朝に出会いたいという強い意志をこめて詠われたものでしょう。朝をさわやかにまたかろやかにとぶつばめ=つばくらめに、一閃の雄心としてとべ、とうたいかけるわけですから、心象風景として読むのがいちばんいいと思われます。さきほど見た岡井隆さんの「碓氷峠」の作品とよく似た時代背景をかかえて成り立っている作品です。暗澹たる気持ちにならざるを得ない時代の中で、雄心というものに救いを見出していると言ったらいいでしょうか。まるでつばめそのものが朝をまねき、曇りをうちはらい、そして雄心をどこかから呼び出すかのようにうたわれています。暗い暗い時代だったからこそ、この明るい朝への意志が、うつくしいひびきとして作品の中に活きたのだと思われます。

以上、Aの作品を四首、簡単に読んでみましたが、いずれの作品にもはりつめたような、ある種の心地よい調べがあります。言いたいことはむろん言葉で書かれた以上にあるわけなのに、それを、定型におさめることによって、より定型が活きるようなスタイルに仕上げていると思われます。理屈を説明するのはなかなか難しいのですが、これらAの作品というのは、「定型感覚」を活かした作品だと言えるでしょう。同時に、いずれの作品も、時代背景、同時代の感性にしっかりと共鳴しています。コメントにも書きましたが、これらの作品は、こうした定型感覚と世界観との相乗的な効果によってきわめてすぐれた作品として成り立っていると思います。1970年あたりまでは、こうした作品が書かれていた。言い方を変えると1970年あたりまではこうした作品を書けた、ということです。BやCにある現在の短歌というのは、この時期の作品と比較すると随分違うところへ来てしまったと感じます。いちばん大きな原因は、作品の背景をささえていた世界観がとても不安定になったということでしょうか。定型の感覚と相俟って作品を力強く成り立たせていた、時代背景がよく見えなくなっているのです。そうしたことを頭のかたすみにおきながら、次にBの作品を見ていきたいと思います。

Bの作品は、コメントにあるように1980年代のもの、特に1985年以降に書かれたものです。いずれの作者も昭和30年代の後半に生まれています。加藤治郎さんが昭和34年、他の三人は昭和37年生まれですね。

まず、一首目、俵万智さんの作品です。

 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね

これはみなさんよくご存じの作品かと思います。1987年に刊行された『サラダ記念日』におさめられたものです。突然に冬の海が見たくなって、恋人と二人で海べに来たというシチュエーションで書かれています。こわれてしまった模型飛行機でしょうか。砂浜にそれを「埋葬」しているのでしょうね。その一瞬を切実に生きたというあかしとして、「折れた翼を忘れないでね」とうたわれています。たわいもない恋愛の一場面だということもできると思いますが、ここでいちばん気をつけて読みたいのは、それまで短歌の中ではあまり見たことがなかったような会話体、忘れないでね、というような会話体、によって自己の心情を深めて感じていること。それからもう一つ、Aの作品にあったのと同じ、定型の感覚がここでも活かされているということです。あなたとわたし、しかいない世界ですから、先にAで述べたような、時代背景と相俟って作品が力強く成立するということはありませんが、ある意味で、1980年代の後半以降というのは、あなたとわたししか見えない、というのが時代の状況の一つでもあったわけですね。

次に、二首目、加藤治郎さんの作品です。

 もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに

1987年に刊行された『サニー・サイド・アップ』という歌集におさめられた作品です。とても思わせぶりな書き方をしていますが、恋人同士の性愛ののちの雰囲気みたいなものをうまくうつしとった作品だと思います。「もうゆりの花びんをもとにもどしてる」、自分は性愛の余韻にひたっているのに、恋人の方は日常へそそくさと帰って行ってしまったという感じでしょうか。そして「あんな表情を見せたくせに」というこころの中のことばが、マンガのふきだしみたいにしてつかわれています。これもまた会話体ですね。ここにもやはり「あなたとわたし」しかいない。しかし、それが一方では時代の状況でもあるというのは、俵万智さんの作品と同じような事情です。

次に、三首目、穂村弘さんの作品です。

 体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

1990年に刊行された『シンジケート』という歌集におさめられた作品です。初出は1986年で、俵万智さんが角川短歌賞を受賞されたとき、最後まで優劣をあらそって次席になった一連の中にありました。「ゆひら」というのは、おわかりかと思いますが、体温計を口にくわえたまましゃべっているので、「雪だ」というのが「ゆひら」と聞こえるというわけです。これもやはり「あなたとわたし」の世界で、相手はたぶん恋人なんでしょうね。体温計をくわえるというのは、冬のはじめに、少し風邪気味だったというような場面でしょう。たわいもないと言えばこれ以上にたわいもない内容もないだろうと思われますが、会話体をかなり生に近い状態でうつしとって、とてもリアルにしあげている。世界には「あなたとわたし」しかいないような、他には何も見えないような状況をうつしとっている。こうしたところが、大袈裟に言えば1980年代のリアリティということにつながっていると思います。

次に、四首目、これはぼくの作品です。

 まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す

1988年に刊行した『青年霊歌』という歌集におさめています。他人の作品のように語ってみますが、先のAの作品などでは、何かをして、時代という大きな流れに押し流されていくという感じがあったわけですが、この作品は、何もしていないのに時代に殺されてしまう、というわけです。1980年代を20代として生きていた実感のようなものをうつしとった作品です。さきほどからBの作品の口語というか会話体ということに注目していましたが、自分の作品にも同じことが言えるのではないかというのを、書いたずっとあとになってから気づきました。たとえば初句と二句目が、まだ何もしてをらざれど、というような文語的な表現になっていたとしたら、これはもうぜんぜん作品にならないんですね。とても些細なことであるのに、まだ何もしていないのに、という口語風の文体だからこそ1980年代の実感として成り立ったのではないかと自己分析しています。「あなたとわたし」しかいないような世界が普通になってしまっていた1980年代への訴えという感じで読んでいただけたようです。どこか1960年代頃と80年代の違いを見ようとするのに便利という感じがあるのかも知れません。

PREV  NEXT