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1971年公開 カラー135分 仲之寺隆監督
私の年代で言えば、この仲之寺という監督はスターである。若い人達にはマニアックなB級監督の一人であろう。今でもたまにオールナイト上映などで見られる。大抵はバカ映画特集とかの括りにされている。そんなオールナイト上映で久しぶりに見た「なけなしの墓」。朝の4時、この映画が始まった頃には客の半分以上が寝ていた。伝説を目撃しようと足を運んだ若い人には退屈な一晩だろう。彼の映画は決して、時代、世代を超えて愛される程のものではないのだから。それでも一瞬、光った時があって。そういう映画が腐るようにあって。そういう人達が腐るようにいて、それで今はいない。今はない。今は光ってない。腐臭。
物語はチンギス・ハーンの墓を探しにモンゴルへ渡る男達の物語!…と書くと雄大な映画に思えるが、男達は準備の段階で挫折して、関東すら脱出せずに映画は終わる。所沢から赤羽までのロードムービー。あらら、と思わせて、しかしこの赤羽までの道のりで銃撃戦あり、お色気あり、サスペンスあり、学園ものでもあり、政府の転覆あり、無茶苦茶である。
噂によると企画の段階では5週間のモンゴルロケが組まれていたらしい。しかし二転三転の結果、映画は埼玉ロケへ。ストーリーの右往左往ぶりは、そのまま脚本も書いた仲之寺の右往左往ではないか。モンゴルロケを諦め切れず、自分の空想の大きさへの必死の追いつきぶり。現場で言ったんだろう、俺は埼玉でモンゴルを撮る、と。犬と飼い主、同時に自分。自分で思いっきり投げたフリスビーを自分で必死で拾いに行くノルマ。
ラスト。赤羽駅東口関東最大のキャバレー「ハリウッド」のネオンの前で、「これを天竺ということにして引き返そう」との台詞。モチーフはいつのまにか西遊記にすりかわっている。古いプリントではわかりづらいが、この台詞だけアフレコでなく同期で録音されている。映画の挫折だ。で、それこそがこの映画の魅力である。
晩年、市ヶ谷のアパートから蒸発した仲之寺隆は、2年後にモンゴル高原北部にて凍死体で発見された。
スコップ、干し肉、ビスケット。凍死体。馬、カメラを傍らに。 監督、そこでなにを。
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