2005年のクラシック音楽鑑賞日記

12月25日
"Island"を観た。何か、妹が持ってた漫画に似たような話があったような。最先端風味な割には何だか原始的なところもあって、まあ、映画でそういうところに突っ込んでも始まらないか。主人公の名前が"Lincoln"というのが何だか象徴的で、そういう意味でアメリカ的であるし、住人が殆ど白人だったり、敵役の黒人の役割とか微妙なバランス感覚が働いているように思えなくもない。それが逆に当たり障りの無い感じを抱かせているようでもあって、全体的には適当にまとめた以上の感銘を受けない。日本から見ればやりたい放題に見えて、そう見せるために案外気遣いが必要だったりするアメリカの日常の拡張と見ることが出来なくもないけど、それ故に興醒めしてしまうのかも。

12月24日
"Robots"を観た。全体的な話の基本的な筋はロボットをヒトに置き換えてしまえば割とどこにでも、それこそ日常にすらありそうで、そういう意味では話の展開に捻りは無いに等しい。ただ、ロボットという設定の活かし方が巧妙で、かつ細部まで徹底しているため、筋の単純さも相俟って世界観は受け入れやすいものに感じられるし、中途半端なヒト臭さが残っていない。アメリカ的道徳観に好き嫌いはありそうだけど、余計なことを考えるより笑って観たもん勝ちか。

12月23日
自分への誕生日プレゼントは自分へのお年玉、それもやや遅めと一緒になりそうな雰囲気なのだけど、その経緯の続きの続き。Spectralという名前を意識しだしたのはいつ頃からだったろうか。ダークさん宅に伺った際に道すがらその名前を出していたように記憶しているので、少なくとも今年の前半から何となく気になってはいたはず。潔癖症に近いような思想の徹底っぷりはある種の息苦しさを感じさせないこともないのだけど、何か気になる、そんなメーカだった。聴いたことがあるといえばLinearさんのところでかなり前に聴かせてもらったり、埼玉県のカマニに行ったときにちょろりと聴いたかなというくらい。いずれにしても比較したわけでもなく、音の印象としてはゼロに近い。そこへ、Linearさんが「じゃあ、聴いてみる?」とDMC-20S1をびっくりするほどあっさりと貸し出してくれた。で、このような感想を抱くに至り、Spectralで真剣に考えてみることになった。現在、同社にはDMC-15とDMC-30SLの2種類のプリアンプがあるが、基本的な構成は一緒でDMC-30SLのみバランス入出力を備え、リモコンが使用可能でお値段が約2倍。そりゃもう、圧倒的にDMC-15の方がC/P高いんじゃないのかと突っ込んで止まないところだが、昨日も書いた通り、我が家にあってはバランス入出力でないと困りそうな構成の機器が前と後ろに繋がるので、この際、DMC-15のことは一切考えないことに。

12月22日
プリアンプの続き。とりあえず、現状よりは遥かに良かったのだし、そのまま勢いでVK-51SEに決定してもよかったのかも知れないけど、当時書いたように何を聴いても楽しいところが逆にどっか引っ掛かったりもして、もっと剛毅なプリアンプは無いもんだろうかと思いを巡らせてみたり。パワー・アンプと同じPass LabsのX0.2あたりはどちかと言えばそういう系統だろうけど、3筐体はいささかどころでなく邪魔だし、プリアンプはモノラルなのにパワーがステレオでは竜頭蛇尾っぽい雰囲気濃厚だし、とにかく食指がいまいち動かなかった。定評のあるプリアンプにAyreのK-1xがあるが、私にはどうにも色彩が淡白に感じられるようなところがあったり、ViolaのCadenzaはB.A.T.の下位機種VK-31SEとの比較においてすら音の勢いで負けるように感じられるところがあった。予算に適合して近場で聴けるものは大体聴いていたものの、どうにもピンとくるものがない。現状の機器やケーブルのラインナップを鑑みて、例えばGoldmundのようにアンバランス前提だったりすると問答無用で不可。同様の理由により、市販されているフェーダやパッシヴ・アッテネータも適合せず。プリアンプとか世の中にいっぱいあるようで、気が付けばどんどん選択肢が消去されていってしまった。

12月19日
定電圧駆動において出力インピーダンスを下げることの意味を考えた日。理由はこちら

12月16日
そんなわけでプリアンプはDMC-30SLになることになったのだけど、そもそもプリアンプの買い替えを迫られることになったのは某店から唐突にB.A.T.のVK-51SEが送られてきたことに端を発し、D/Aコンバータとパワー・アンプの間で音量調節を司るだけ(入力選択という機能もあるけど、うちではD/Aコンバータしか繋がってないし)のプリアンプという存在が音に与える影響の強大さに愕然とするほどの衝撃を覚えると共に、「自宅において」これまでよりも遥かに素晴らしい音が出たという動かし難い事実が大きな壁となって立ち塞がった。例えば店頭での試聴やオフ会で人様の音を聴いて、それがどれほど素晴らしかったとしても、所詮は他人事と割り切ってしまうことが出来る。余所は余所、うちはうち。が、その「うち」での事実はいくら目を背けても逃れることが出来ない。時間軸で見るなら、店頭や余所様の音は過去に分類され、時折リフレッシュされることがあるとしても基本的には時間と共に(勿論、自分に対する影響という知識レベルでは残存するとしても現象レベルでは)押し流されていくのに対し、自宅での過去はそのまま現在に直結していて、その現在から未来が生まれる。その生まれ出るであろう未来に全く違う形を想起させるのに十分過ぎる衝撃に私は直感した。「やばい、これは何か買ってしまう」と。問題は、何を買うか、だ。

12月14日
プリアンプを発注。何を頼んだのかは来てのお楽しみ…にして引っ張ってもしょうがないので、素直に開示すると、SpectralのDMC-30SL。何でこういう選択になったのかはまた後ほど。って、結局引っ張るのか。

12月13日
In Flamesの"Used & Abused...in Live We Trust"が届いた。CD2枚、DVD2枚の計4枚組み。少々立派な箱に入って豪華っぽい雰囲気なのはいいのだけど、中途半端にでかくてうちのCD棚に入りやしない。困ったもんだ。

12月12日
CDが届いた。RUSHの"Feedback"。紙ジャケだ(泣)。

12月11日
XANさん宅にてOFF会。XANさんといえば、Audio PhysicのスピーカにGlass Master、Connoisseur 3.0などなどスキャンテック純正組合せにして超弩級アンプ群を従えておきながら夏にはGlass Masterに代えてAudio Physic Stradaを使用するという贅沢システムである。が、待ち合わせの最寄り駅でお会いしたXANさんの表情は暗い。何と、今日になってConnoisseur 3.0からのノイズが復活してしまったとのこと。以前、3.0をライン入力にするとTBSラジオがスピーカから聴こえてくるという怪現象に悩まされ、様々な対策およびスキャンテックでの長期間の修理を経てようやく解決したはずだったのが、どうしたことか今日になってまたTBSラジオが…。私が怪電波を連れて来たとか言ってるのは誰ですか?加えて、すぐそばのグラウンドで少年野球の試合が大盛り上がりだったりして環境S/Nもやや低下気味だったりしたのだけど、フィルさんとYUさんが到着された頃には試合も終わったようで、あとは怪現象が解決していればばっちり。しかし、怪現象の現場へと向かってみると、やっぱりスピーカからラジオの音声が、それも微かにとは言い難い音量で流れていた。試しにCDを聴いてみると、盛り上がるところでは掻き消されて気にならないものの、少し静かなところでは結構耳についてしまう悲しい事態に。そんなわけで急遽アナログ中心に方針転換。スピーカがパッシヴ・ラジエータ付きでポートが無いせいか、密閉型に近いぱきぱきと立った音が軽快で、高域も何のとっかかりもなく伸びていくよう。パワー・アンプが真空管ということでかなり色っぽい音を想像したりしないでもなかったのだけど、表面的にはむしろ少し素っ気無いような雰囲気すらあって、でも人肌的な温もりは失っていない。それ故か、聴き手が音楽に対して身構えるようなことが少なくて、気が付いたらすうっと入り込んできていていい気持ちになってしまう、人の細胞の浸透圧にマッチしたかのような適度な浸透力があるように感じた。音場感についてはXANさん自身、左右の拡がりと繋がりのバランスに腐心されたとの言葉通り、眼前一杯とまではいかないまでも妙な偏りは無く、ややニア・フィールドであることがむしろ明晰さに貢献しているようだった。Synergistic Researchのケーブルを多用されている辺りも親和性を感じる理由になっているのかも知れないけれど、とにかくあれだけの素晴らしい装置群に囲まれている状態というのは何だか妙に気分がよかったりもした。惜しむらくはやはり再発してしまったラジオ病でデジタル・メディアがあまり聴けなかったこと。とはいえ、YUさんが聴いてみたいということで下のHoughとKocsisのRachmaninov 3番をかけていただいたところ、Kocsisが大変お気に召した模様。実際に持っていったのは2、3番の入ったディスクなのだけど、既に廃盤の模様。というわけで、2番はこちらになる模様。フィルさんはMravinskyの1972年Moscow LiveからBeethovenの5番で「キてますね〜」とのこと。フィルさんはRozhdestvenskyのShostakovich 5で反撃して、これが太鼓叩き過ぎで大受け。ラジオ病の最中ではあったものの何だかんだでかなり楽しませてもらいました。早期の解決をお祈りしております。

12月10日
本日より数日間、我が家のオーディオ的に重要かつ重大な局面を迎えることになりそう。いよいよ腹をくくるしか。

12月8日
HoughのRachmaninov。何故かオケがDallas SO。振ってるLittonは来年以降、Belgen POに行くとかなんとか。まあ、滅法優秀なオケというわけではなく、あんま考えていないような盛り上がり方とかいかにもアメリカのオケらしく、そういう意味では期待を裏切らないが超えもしない。そんなわけでHoughの少し線が細めなピアノとの相性は微妙なところというか水と油っぽい気もしないでもないが、それ故ピアノが浮き出るように感じられないでもないこともなく、つまりオケはあんまり気にしないということで。速いところはかなりの快速だけど、粘るところはやたらと遅かったり、2番の第1楽章とか3番の終楽章でしっかりずんどこしてみせたり。テンポやリズムのコントラストは高め。反面、この盤に限らずこの人のピアノは私には色数が少なめに感じられたりもする。総じて速いところは爽快なのだけど、起伏にややついていきかねるように思えたりもして、全体の印象としてはなんかすっきりしない。そもそもRachmaninovってそういうもんでしょ、という話もあるけど。

12月5日
思わぬ提案に戸惑ってみたり。どうやら背後で某氏が暗躍してるっぽい。危険だ…。

12月4日
昨日、届いたMravinskyのライヴのうち、Mozartの33番は既にRussian Discで持っている音源であることが発覚。まあ、Russian Discよりましな音にはなっているだろうことを期待しつつ。それはさておき、映画を観たり。TAXi NY。暴走タクシー・シリーズのNew York篇。でも、映画が自転車から始まるのでちょっと驚くが、辛気臭いところを時折挟みながらも基本的にさくさく進んであちらこちらで笑わせるポイントが散りばめられていて、あんまり考えないで観て楽しめる。変形するタクシーも健在。ただ、タクシーの走りっぷりより駄目警官の果てしない駄目っぷりとその結果としての大惨事の数々に印象を引っ張られてしまうのでちょっと勿体無い気も。最後の最後はちょっと余計な気がしないこともないけど、その辺は勢いで。

12月3日
CDが3枚。Mravinsky Complete Live Apr. 6, 1961、同Feb. 12, 1961、HamelinのSchumann: Carnaval他。Mravinskyの4月の方は"Eroica"とWagner、2月はMozartのSym. No.33、ShostakovichのSym. No.8と"Ruslan & Ludmila"。"Eroica"やShostakovichも面白そうだけど、"Ruslan"も楽しみ。65年のぶっちぎり演奏を超えるか?HamelinはCarnavalのみ1999年録音(他は2002年)で録ってるのがFaulkner。ところで、某氏宅にPS AudioのPower Portがそろそろ届いているはず。うちや某Yさんのところでは除け者にされてしまったPower Port、某氏には気に入ってもらえるだろうか?

11月29日
というわけで、演奏会。庄司紗矢香を聴きにDejavuのフィルさんやでぇ2さん、ダークさんとSuntory Hallへ。前半はSchumannのVn. Son. No.1とShostakovich: Vn. Son.。ステージに現れた庄司紗矢香は思いの外小柄で、衣装もあいまって子供の発表会でも見に来たかのような気分になったりならなかったり(失礼)。しかし、楽器を構えた途端に鬼の形相に。ぱきぱき弾ける腕っぷしのあるヴァイオリニストだと思うのだけど、それよりも全体的に演歌風味な力こぶしな節回しが印象に残る。Shostakovichではテレビ用の演出か、照明を落として演奏者にだけスポットを当てた中で弾くというのが小賢しく感じられないでもなかったし、第1楽章とか暗さがどこか他人事っぽく思えたりもした。がしかし、第2楽章で猛然と爆走。弾きまくり。とんでもない勢いで弾き倒した挙げ句、弾き終わると殆ど放心状態になってた。さすがに疲れたのか右手を何度か振ったりしてたし。まだ曲終わってないんだけど。というか、まだ演奏会の前半なんだけど…。第3楽章が始まってほどなくして突如会場中にいびきが響き渡るという事態が発生したり。…つまみ出せよ。周りの客も小突くとか蹴飛ばすとか殴り倒すとか、何とかしろってば。季節柄、咳き込む人もちらほらいて、来るなとは言わないが、のど飴なりの対処手段を用意するくらいしてほしい。というか、ホールにのど飴の自販機とか置けばいいんじゃないのか。ロビーのバーとかのメニューにのど飴を入れるとか。Shostakovichの印象が割と強烈だったので、後半のR. StraussのVn. Son.はあんまり印象に残っていなかったり。アンコールはBartok: Romanian Folk Dance、Schumann: 3 Romances No.2、Dvorak: Slavonic Dance Op.72-2。Bartokの時点で結構お疲れな様子だったので3曲もやるとは思わなかった。総じて音程は安定してたし、指も回っていてよかったのだけど、Suntoryの大ホールでヴァイオリンはやはり辛い。というか、ピアノですら辛いのに弦楽器ではかなり厳しい。実際問題、かなり席は埋まっていたので興行的には正しい選択なんだろうけど。

11月28日
今更ながらMintzを聴いてから演奏会というのもどんなものかと思わないでもない。というわけで、明日は久し振りに演奏会。

11月27日
計画が次のフェーズに移行。

11月23日
東芝からRD-H2が出た。うちにあるRD-H1の400GB版。それに伴ってRD-H1も値下げになったりしているらしく、ちょっと待っていれば…と思わないこともないけど、相変わらずばしばし売れているらしくて悠長なことを言っているといつになっても買えてないに違いない。そして、この4ヶ月ほどでそれなりに活用されているし。DVDに焼けないという制約はあるものの、大体において1回観れば十分であるため、録って観て消すという流れは極めて自然であってその間に焼くという行為を差し挟もうとは特に思わない。欲を言えば焼けなくていいのでDVD再生が出来ればPS2よりはましな画が観られそうだし、地上波デジタルのチューナとかもついていると嬉しい。まあ、そこまで言うなら焼かなくていいからDVD/HDDレコーダにしろということになるが、熱心に欲しいほど映像に対する意欲が無かったりするわけで。撮って見て消すというサイクルを回している限りにおいては250GBでも不足感は無い。元々そんなにテレビを観る方じゃないからかも知れないけど。

11月22日
そんなわけで100kも5Nも踏まれたのが某mさんだったわけだけど、実はプレゼントとして考えていたのは長らく使っていなくて某氏に貸したものの某氏も結局使っていなくて某氏宅で絶賛放置プレイ中のPS Audio Power Portだったりしないでもなかったのだけど、多分いらないだろうから(苦笑)何か違うものを考えるとするか。何はともあれ当分まだまだこんな調子でやっていく所存なので、お付き合い下さる方は今後ともよろしくお願い致します。

11月21日
一言更新で触れた通り、トップページのカウンターの100kまたは5Nを踏まれた方にはプレゼントを検討中。まあ、大したものにはならないけれど、踏まれた方はご報告いただければ幸いです。

11月20日
目下、プリをどうするかで頭が一杯。ぬはー。関係ないが玄茶さんが活動を再開されている。玄茶さんはプリを止めて電源に逝かれたが、私もいっそのことプリ止めてスピーカ・ケーブルとか電源ケーブルとかその他諸々に方向転換してしまおうかと思ったりしないでもないけど、でもそれは何だか問題を先送りにしているだけのような気がして納得がいかない。プリに逝かなくていいことが分かった玄茶さんがある意味で羨ましいかも。

11月19日
CDが届いた。KremerとArgerichのSchumann: Vn. Son. Nos.1 & 2、MintzとPostnikovaのShostakovich: Vn. Son. & Va. Son.、HamelinのRubinsteinとScharwenka、Southern All Starsの"Killer Street"。SchumannとShostakovichは演奏会の予習用。HamelinはHamelinなので。サザンは奥さんのリクエスト。それはさておき、プリアンプ購入計画がちょっと座礁。計画の見直しが必要な情勢に。

11月17日
というわけで、1972年ライヴ。1965年のシリーズに比べて好きな曲が多いのが高ポイント。であるのに、すっかり忘れていたのはどうしたことか。何だか知らないレーベルだったので眉唾っぽく思っていたりしたのだけど、今や結構な数のCDを出しまくっている模様。オンラインで済ませてしまいがちなので、そういう動向に疎くなってしまう。かつての輸入BMG盤はろくでもない音質だったし、K2リマスターの国内BMG盤もなかなかにかすかすな音でそこがまたロシア的寒々しさをもたらしているとか思わないでもなかったのだけど、このリマスターは大変よろしい。情報量を増大させながら厚みのあり、ダイナミック・レンジ的にも素直に感じられて音質上の窮屈さが、メジャー・レーベルの同時期録音には及ばないまでも、かなり解消されている。Brahmsの3番とか聴きながら書いているが、久し振りに聴くと恐ろしい演奏をしていたのだなぁと再認識。

11月16日
Mravinskyの72年MoscowライヴのScribidumリマスター盤は実は持っていたことが判明。慌てて注文をキャンセル。聴いてないから持ってないと思い込むのは危険。未開封で放置プレイ中のCDが常時30枚以上あるということを念頭に置いておかないと。

11月15日
注文したCDも見積もりも来ない…むぅ。

11月12日
Scribendumから出ているMravinskyの1965年Moscowライヴ、最初のRuslan & Ludmillaだけしか聴いてなかったけど、下の本で触れられていたのを契機に残りも聴いてみる気に。Ruslanはそんなにいいリマスターとも思わなかったけど、後のは結構いい。ShostakovichのSym. No.6あたりとかかなり楽しく聴ける。というわけで、Scribendumのシリーズの片割れであるところの1972年のシリーズも買ってみることに。検索したら1961年のEroicaとか引っ掛かったりして、しばらく放っておいているうちに色々出てるんだな。昔、Arkadiaから出ていたのとは別の音源なんだろうか?

11月11日
出張へ向かう電車の中や滞在先のホテルで許光俊の「オレのクラシック」を読んだ。最近というよりここのところずっと、この人は同じことしか書いていないような気がしないでもなく、新たに書かれる文章はその補強や修飾であるように思えたりする。そのため、読んでいて新たな発見があるというよりは「この人ならそう思うだろうな」と確認する作業が主になったりする。この本はその辺が更に細かく展開されていて、この人の信念がいかに確固たるものかを示しているように感じたり。でも、個人的に面白かったのはブラックバスのくだりだったりする。(一応)音楽関係の本でブラックバスの話を面白がっているのもどうかと思うが、書いてる方もどうなのかと。

11月9日
細々と対策してはみてみるものの、本質的な変化に乏しい気がして考え込む。いや、プリアンプを換えるとかが本質的なのは重々承知の上で。大概の場合、あんまりいい考えも浮かばず、「また明日考えてみよう」と先送りされるのだけど、今日はたまたま思い付いた。D/Aコンバータ用に200V→117Vのトランスを介しているのだけど、トランス→j1青丸→NAOK式インシュレータ(台形ベース)→スピーカ・スタンドという置き方だったことを思い出し、今まで試してみなかったのが不思議と言えば不思議なのだけど、j1を撤去してみた。撤去する過程でトランスがこけたりはしたものの、何とか設置完了。肝心の音は…何で今まで忘れてたんだろう?まあ、あんまり目に入らないというか入れないようにしてるところにあるものだしな。そういや、タップの下にもj1青四角が、そして電源関係を支えているSR Compositesのボードの下にもj1のコーン&スパイクが。少々制約があるので簡単には換えられなかったりもするのだけど。

11月7日
とある対策後、いざ試聴と聴き始めた矢先に寝室で大きな音が。寝室の突っ張り棒が落下した模様。そんな超絶低音が(違)?

11月4日
秋葉原へ行ったついでにまたアクセサリー店へ。ここのところ割と頻繁に行ってる気がするが、毎回違うものがあって楽しい。今日はShanlingのCDプレーヤCD-T300とWilson BeneschのChimeraがあった。このCDプレーヤ、妙なギミックが満載で見て触って面白い。これで音も面白ければ、というところだけれど何しろ入って2日目とのことなので、まだこれからか。SさんはこれでSACDがかかればいいんだけどな〜とこぼしてたけど、同メーカのSACDプレーヤはアンバランス出力だけみたいですな。Chimeraはショウくらいでしか見たことがなかったけど、アクセサリー店の比較的現実的な空間の中に他のスピーカと並べて置かれると背が高いなぁとしみじみ実感。アイソバリックのウーファは口径自体は18cmと小さめなので、ぱつぱつした低音が出てくるのかと思っていたけど、実際はむしろ逆でふわーっと漂うような感じで意外だった。それにしても、いつ秋葉原に行くことになってもいいように、リファレンス・ディスクを1枚くらい常備しといた方が便利かもと思ったり。それはさておき、MTT/COのCarmina Burana。この曲をかつてこれほど楽しく聴けたことがあっただろうか。いつ聴いてもこんな馬鹿馬鹿しい曲もないと思い、長らく聴いてなかったし、おかげで久し振りに聴いてみようと思ったピアノ2台+打楽器版は見付からないしでとにかく私にはどうでもいい曲だったのだけど、これをここまでしゃきしゃき演奏されてはもう降参。駄曲の名演は名曲の駄演を超える、改めてそう思った次第。

11月3日
そんなわけでようやく観ることのできたSolti/LSOのDVD。壊れたロボットのようにがくがくと動く指揮は相変わらずで、恐らく普段とは大分違う吹き方を要求されていると思しき金管が大変そうだったりするのも例に漏れず。P. Con. No.1でのPerahiaの弾きっぷりに感心しつつ、曲としては最後のSym. No.7が一番好きなわけで、CDではVPOと奇怪な演奏を繰り広げ、CSOとの最初の録音では精密の限りを尽くし、2度目の録音では手綱を緩めてみたりしている中、LSO相手にどう勝負に出るのかが気になるところ。全体的にフルートを妙に前に出してくるところがあって、微妙なアクセントに。終楽章は滅法速いというほどではないけど、低弦の下支え感と金管の勢いで力感満点な雰囲気でお届け。時期的にはCSOとの2回目の録音に近いと思うが、個人的にはこのLSOとの録音の方が無理矢理感が強めで好きかも。

10月31日
目下、プリアンプと車の板挟み状態でお届け中の昨今にあって、Lavry EngineeringのForumでこんなものが紹介されていた。要するに業務用セレクタ+ヴォリュームであって、世間においてパッシヴ・プリなどと言われたりもしている類のものであるが、パッシヴにアンプっておかしいだろと思わないでもなかったり。ともかく、バランス接続前提だとこういうフェーダの類は選択肢があんまりなかったりするのだけれど、業務用で探せば意外とあるのかも知れない。Lavryにそのことを問い合わせたことがあって、その際にフェーダを使うならインピーダンスが1〜2kΩのものにするといいとのことだった。DA924の出力インピーダンスが60Ωと低いので、D/Aコンバータ=フェーダ間は問題ないが、フェーダ=パワー・アンプ間はノイズが乗りやすいから結線をごく短くすべきといった実際的な助言ももらった。同社のサイトのWhite Papersにサンプリングの話を細かく例を挙げて説明してあって、英語が苦にならなければ非常に平易に書かれていたり、見た目の派手さ(苦笑)とは裏腹に割と親切丁寧なメーカである。Forumの電源環境のやり取りにもあるように、頭ごなしでない柔軟な姿勢もいい感じ。

10月29日
足回りの調整の困ったところ、それは変更してから落ち着くまでに時間のかかること。先日、△の向きに変更した機器の足回りだが、パワー・アンプ以外は結局元に戻してしまった。パワー・アンプがそのままなのは重くて熱くて面倒だからという理由で、音が理由でないところがポイントだったりするのだけど。変更当初は中高域に芯が出て良かったのだが、日数が経つにつれて変更前よりぬるい音に。インシュレータの性質や機器のシャシー強度や重量の影響等あるのだろうけど、とにかくどうにも我慢出来なくなって戻した次第。ついでに牢屋(苦笑)の格子の位置も若干変更。一応、スピーカ後ろの壁(というか窓か)の一次反射点に相当する点を中心に展開していたのだけど、横の壁はともかく後ろの壁の場合、何を基点として一次反射点を計算するかという問題がある。要するに、ユニットを基点とした場合と、エンクロージャの端を基点とした場合では、我が家においては10cm近く差が出ることになる。冷静に考えてみてユニットから出た音がエンクロージャを透過して後ろの壁に達するという状況は特に拡散の対象となるような帯域において考えにくいことに今更ながら気が付いたので、エンクロージャの内側の端を基準として再配置してみた。少しはバランスの改善が見られたけど、今、本当に必要としているのはそういう微妙な効果ではなくて、もっと根本からの改善であって、つまりはプリアンプだ。むむぅ。関係ないが、先日届いたSolti/LSOのDVDがまたRegion 1だった。というわけで私的利用を目的とした複製によりRegion Code解除。1層DVDなので楽でいいが、コピーしてたら観る時間が無くなった。

10月27日
出張帰りに秋葉原へ。アクセサリー店へ寄ってみたらAurum Cantus有限公司のVollaが置いてあった。所謂一つのMade in China。昨今の小型スピーカの高性能化&高価格化の波の中にあって、これもその類かと思いきや定価は805S(Sigとは違う)と同じ。見た目からするとSig805クラスかと思える。ユニットはリボン+コーン・ウーファの2 Way。これをdCS P8i、B.A.T. VK-51SE、Classe CA2200とちょっと大人気ないラインナップで鳴らす企画。ブレーク・インが進んだらプリメインで鳴らしたいとのことだったけど。とにかく、そんな構成で鳴らしたVollaはなかなかの鳴りっぷりで、特にリボンの威力か高域の緻密でありながらスムースなところは素晴らしい。勿論、低域など少し無理した感じを受けるところもあるのだけど、そこを欲張る方向のスピーカではないだろうし。ふと思い立ってパワー・アンプの下にfinite-elementeのCerabaseを入れてもらったところ、Classeがゴム足だったせいもあってか、一気に低域がばちばち鳴るようになって驚嘆。うーん、これはいいかも。しかし、今の最優先事項はプリアンプなので今回は見送り。ついでにプリアンプの電源ケーブルをMIT Oracle AC2に変更。重心が下がり、高域に厚みも出てきてかなりいい感じに。しかし、電源ケーブルとスピーカが同じ値段ってのはどうなのか。

10月26日
CDとDVDが到着。CDはMTT/SFSのMahler 3、DVDはSolti/LSOのBeethovenで曲目がCoriolan Ov.、P. Con. No.1、Sym. No.7なのだけどピアノを弾いてるのがPerahiaであることが判明。こんなところに動くPerahiaがいるとは。

10月22日
某所へ遊びに行く途中、ちょろりとYUさん宅にお邪魔させていただく。前回のオフ会から更なる変化があったとのことで、どきどき。向かう途中に検索結果より早い電車に間に合ったり何故か電車を乗り間違えたりといった割と人為的な(=私のせい)アクシデントを交えつつ最寄り駅に到着。YUさんの車に乗せていただいてYUさん宅へ。後の予定があったため、雑談もそこそこにリスニング・ルームへ。入った私は少々呆気に取られた。音響ボードの類の配置が殆ど模様替えといっていいほどに変わっていたからだ。スピーカの位置も前回より更に後方に下がり、壁紙か絨毯の色が変わっていたら違う部屋に来たと思ってしまうかも知れない。一次反射点からはボードが撤去され、スピーカ後方は拡散を基調としながら中央を吸音と、ずっとスピーカ後方中央を吸音してきた身には何だか親近感を覚えたりする配置ではある。何しろ時間に余裕がありそうでやっぱり無かったので、かなり急ぎ足で聴かせていただいた。オケを聴かせていただいてまず感じたのが、弦楽器にフォーカスが合っていること。それは音場の拡がりもだし、音のバランスとしても。その精緻な弦楽器の描写は明らかにこれまでのYUさんの音が目指してきた路線とは異なる方向に舵が取られたように思われ、これまでもクォリティの向上に毎回のように驚かされてきたけれど、今回はまず意表をつかれたという驚きがあった。ロック系のソースではやや中高域に硬さを感じるところがあって、前回の訪問時に感じた低域の不足感が全体としては補われているものの、中高域が先行するがためにそちらの印象が中心となり、曲想によっては低域まで意識が届かないようになる場面も。勿論、低域で勝負となればがつんと出るわけで、最後にかけさせていただいたChildren of Bodomの"Living Dead Beat"ではこれほどの低音が入っていたとは、と底力を見せ付けられた。とはいえ、総じてクラシックにおけるホール・トーンの描き方が印象的で、クラシックにはまり中のYUさんと意向をシステムが確実に吸収しつつある模様。今回の変化の大きさは私が知るYUさんの音の中では間違いなく一番で、それが全く同じシステムにおいて成されたということに、改めて使い手の果たす役割の大きさを確認した。買って置いて繋いでそれでおしまいであればこれほど楽なことは無いが、そうならないところがオーディオの難しさであり、苦しさであり、だからいい音が出たとき嬉しいし楽しい。そういう意味で、好みで言うなら実は前回の音の方が好きなところがあったりもしたのだけど、とても楽しい音を聴かせていただけたと思う。大きな舵取りの後、ファイン・チューニングで絞り込んでいくのか、はたまた新たな大波で進路が再び変更になるのか、前回をスタートラインの音とするならば今回はとてつもない大きな第1歩であり、第2歩、第3歩はもはや予想もつかない。何より、YUさんにはその原動力たる意欲が非常に充実していたのだから。

10月20日
もうちょっと何とかならないものかとスピーカの打ち振りをわずかに(0.5°)弱め、1cmだけ下げたりしてみたり。あんまり何とかならなかったので、リスニング・ポジションを下げたり前に出したりしてもみたけど、やはり何とかならず。どうしたものかと思っていたらパワー・アンプに使っているNAOKさん作インシュレータはまだボールを下向きにしていたことを思い出した。ボールを上向きにしている最中にパワー・アンプとインシュレータの間に指を挟みそうになる恐怖と戦いながら何とか5個全て置き換え完了。これで何とか…うーん。低域の奔放っぷりにしばし呆然。良いか悪いかはともかく、何かはなった。足回りは落ち着くまで多少時間がかかるだろうけど。Dolonさんが導入されたセラベースとか気になる…。

10月18日
更にCDと本が到着。CDはHoughのRachmaninov、本は許光俊の「オレのクラシック」と「絶対!クラシックのキモ」。Houghは某所でちょろりと聴かせてもらっているので、いい演奏であることが確定済み。本は読まなくてもある程度内容が分かりそうな気がしないでもないけど、何となく。それはさておき、Warmenの"Unknown Soldier"を聴いてみた。速弾きしまくりのJanne Warmanのキーボードはなかなか楽しいし、ギターやドラムも悪くなく、ゲストにKimberly Gossが出ていたりするのもご愛嬌。Sibeliusとかからの刷り込みで北欧に抱いている適当な寒々しい雰囲気がCOBの初期の曲にもあったのだけど、それが消えつつある中にあってこういう派生プロジェクト的バンドで辛うじて残っているのは多少嬉しかったり。しかし、どうも似たような曲が多く、それぞれもどうも彫りの浅いチープな印象があったりもして少々残念感も。どっかで読んだインタビューではJanne Warmanは練習嫌いで殆ど練習しないとか。それが本当なら大したものだけど、なら練習したらもっと凄いのかしらとも思う。

10月17日
CDがばらばら届く。MTT/COのOrff: "Carmina Burana"、Matsuevの"Tribute to Horowitz"、Rushの"Rush in Rio"、Warmenの"Unknown Soldier"、Metallicaの"Master of Puppets"、Orange Rangeの"Natural"。曲の好き嫌いはともかく、MTTとCOという組み合わせはやっぱり聴いてみたい。というか、昔、電話口で聴かせてもらっていていいのは分かっているのだけど。Matsuevは以前、演奏会で聴いたあのCadenzaが聴けるのかも知れない。ちょっと楽しみ。Rushはライヴ。WarmenはChildren of Bodomでキーボードを弾いてるJanne Warmanが立ち上げたバンド。本家が微妙な風向きなので、どんなものか。Metallicaは確かDream Theaterがカヴァーしてるのを聴いたような。いつまでも守備範囲が広がらないのはどうしたものか。Orange Rangeは奥さんのリクエスト。名前だけは知ってるけどどういう人たちなのかまるで知らなかったり。

10月14日
庄司紗矢香のデビュー盤。Paganiniはあんまりなオケ・パートにどうしても曲として納得がいかなかったりしているのに、そこへMehtaの指揮も加わってあんまりな馬鹿馬鹿しさで庄司が出てくる前に止めたくなってしまう。ヴァイオリンに対して比類無い愛情がないと聴けない曲なのかも知れない。ChaussonのPoemeは良くも悪くも思い入れの無い曲だったけど、とろとろした曲の割に高音の揺れ方にどきどきしてみたり。良い方向の思い入れのあるWaxmanのCarmen Fantasy。何だか必要以上にオケがはしゃいだりふさぎ込んだり、ソロより振幅が上下に一回り以上ずつ無駄に大きい気がするのはともかく、というかそのせいかも知れないけど少々悠長気味に感じられるところがあって、多少突っ込み足りない気がしないでもないけど、最後は頑張って引き倒してるし、まあよく弾けてるのではないかと。Koganみたいに何が何でも薙刀で乗り込んでいくんだみたいな弾き方すりゃいいってもんでもないか。

10月13日
計画その1があえなく撃墜。計画を練り直しか。それはさておき、Children of Bodomの"Are You Dead Yet?"。もはや初期の頃の面影は本当に面影という程度にしか残っていない気が。勢いだけは増強されているけど、うーん。感覚的な刺激に重心が移ってしまっていてメロディの求心力に欠けるのが残念。そういう方向だけになってしまうとこのバンドでなくてはいけない理由が薄れてしまうような。この先、どうなるんだろうか。

10月10日
Spectral DMC-20S1はオーナーの元へと戻っていった…。次々試聴して実に1ヶ月近くぶりにPass Labs X2の電源を入れた。人はクォリティ・アップよりもダウンにより敏感なのかも知れないということを思い知らされてみたり。改めて聴くとX2の方がやはりウォーム基調で、Spectralはクール・ビューティー的であったと思う。少なくとも2ヶ月は何とか誤魔化していかなくては…。

10月1日 その7
よく考えたら全体的な印象を何も書いてなかった。SONYペアでしかもアンプはデジタル・アンプということで想起されるような無機的な音とは無縁で、ややふくよかさのあるウォーム基調の音は私が何度か体験させていただいたYUさんの音の中では一番最初、まだプレーヤがSONYでアンプがMark Levinson No.383だった頃、の音に雰囲気が一番近いように思えたりした。当時、私がAvalonというスピーカに対して持っていた、少し冷めたように客観的に見渡すという印象を良い意味で裏切られたことを今でも憶えているが、別に同じSONYのプレーヤになったからというわけでなく、恐らくはこの一ヶ月間のオフ会続きでYUさんが求める音を追求した結果、コアとなる部分が強く現れたのかも知れない。勿論、何度も述べているように広大な音場や溢れんばかりの情報量など、クォリティという点について初めて伺ったときとは比べるべくもない。思えば、お知り合いになった当初は部屋の制約に悩まれ、部屋の制約から解放されてからは機器の限界に悩まれ、そのどちらからも解放された今、制約に邪魔されることのない真のYUサウンドが目覚めようとしているのかも知れない。

10月1日 その6
ご本人も当日がこれまでで一番音が良かったとのことで、どんどん聴かせていただいていたら持ち込みディスクの試聴時間が一人20分制限(笑)となってしまったり。というわけで、皆で大急ぎで聴き倒す。私はMTT/SFSのMahler 9、Solti/LSOのBartok: Con. for O.、RUSHの"Lock and Key"、Dream Theaterの"Panic Attack"で勝負。Mahlerは出だしの決めのティンパニが勝負。ずっど〜んと音がホールに浸透する様子がこれほどまで克明に捉えられている録音はそう無いはず。SACD層の威力もあってか、殊に管楽器の丁寧な描写に感激。Bartokは私よりYUさんの方が聴いていて驚いていたご様子。先のデス・ヴァイオリンに続いて今度はデス・オケか?先にかけていただいたソースで感じた空間の広さを改めて確認。RUSHは音の上下の定位感の確認に。うちでは天井近くまで上がって聴こえたりするのだけど、YUさん宅では極めて真っ当な位置に。…うちがおかしいのか?Dream Theaterは低域から中低域のどうにもならないもこもこっぷりをどうできるかに期待。が、分解して〜と言う以前に低域がすっぱり無いというのが正直な印象。これは某氏にも指摘されたとのことで、YUさんも思案中とのこと。とは言ってみても導入してたったの1ヶ月。鳴らしこむことで更に深みを増すであろうそのサウンドの出発点として既に予想以上の位置にあることは間違いない。これまでにない広大で情報量豊富な音場空間を手中に収められ、まさに新たな次元への第一歩というサウンドが今後、どのように展開していくのか非常に楽しみ。どうやら近いうちに第二歩のサウンドを聴かせていただけるようなので、これまた楽しみ。

10月1日 その5
というわけで、いよいよ音について。TA-DR1のヴォリュームの回してから音量が変わるまでに若干のタイム・ラグがあるという癖なんかを説明していただいてからいざ試聴。前半はSACDのクラシックのソースを中心に聴かせていただき、これまでのYUさん宅の音より格段に広い音場に驚きながら楽器の質感に注目。一枚だけCD層と切り換えて聴かせてもらったが、確かに違うのは違うのだけど、質的な違いよりもミックスの違いによるところがあるように思えたりもした。弦楽器の描き方など、CDとは異なるように感じられもしたし、ダイナミック・レンジの広さは既存の録音設備が追いついていないくらい。SACDというメディアが継続すれば、いずれはそれに相応しい録音・ミキシング・再生の系が熟成されてくるのかも知れないけど、現状では再生側がちょっと突出してしまっている辺りも現在のSACDが置かれている立場の難しさかも知れない。色々聴かせていただいたが、とりあえず当日の衝撃度No.1はMutterのTchaikovsky…素晴らしいデス・ヴァイオリン(笑)に参りました。

10月1日 その4
すっかり話が横道にそれまくってしまったけど、SACDの話なんかをしているうちに友人が換装したCDケースと共に到着したので、いざリスニング・ルームへ。以前まで使用されていたQuadraspireは撤去し、SACD/CDプレーヤ、アンプ共にボードを介して床に置かれていた。これには実は音的な理由だけでなく、試聴環境的な理由があって、SACDはCDよりも高回転で再生されるためにその駆動音が以前のセッティングでは耳障りであったとのこと。フロントエンドを手元に置きたがる人も結構いることを考えると、どのメーカもその辺まで手が回っていない辺りもSACDのハード面における訴求力を下げている一因か。ラック撤去に加えてハード構成が実に半分になったことで、頭では理解していたつもりでも目の前にするとそのシンプルっぷりに少々驚いてしまう。スピーカ位置は以前のCardas Settingより大分下がった位置になり、圧迫感は大幅に減退。スピーカ下には以前使用されていたj1 Projectのスパイクは外され、スパイク受けのみで3点支持になっていた。そんなわけで、機器もセッティングもまるで変わってしまったYUさんのオーディオ、音はどう変わったのか…その4でまだ音すら出てこない訪問記。

10月1日 その3
下でぼろくそに言ってしまったSACDであるが、とは言っても現状でもっとも音の情報量があるメディアであるわけで、ベータの二の舞となってしまうのはそのまま高音質追求の流れを潰えさせてしまいそうでもあり、というわけでSACDが普及するための対策も考えてみたり。1. 新譜はSACDでしか出さない。CDとのハイブリッドだからいつまでもSACD再生可能機が普及しないわけで、ここはすっぱりCDへの未練を断ち切る。当然、世間一般でSACDが聴ける環境を構築するためにラジカセなんかもSACD再生可能に。2. SACDあるいはハイブリッド盤のSACD層に特典を設ける。1.では少々過激だし、賛同しないレーベルがあったりすると大人の事情で実行不可能に陥るので、もうちょっとソフト路線。CDのみでも購入可能だけど、SACDにボーナス・トラックとかあったりすれば、真のファンならば再生してみたいと思うはず。そもそも、世間一般においてSACDなるフォーマットが存在していることがどれほど知られているのか?少なくともiPodよりは知られていないだろうし、MP3よりも知られていないだろうし、ATRAC3とかよりも知名度が低かったりするかも知れない。普及するとかしないとかいう以前のレベルで、人知れず消えていってしまうかどうかの瀬戸際なのが現状なわけで、全世界的にSACDを本気で売る気が無いのが結局のところ一番の問題で、やる気になれば売るための手法やアイデアなんていくらでもきっと出てくるはず。

10月1日 その2
YUさん宅へ出発すべく店を出ようかというところで友人がYUさんがSACDをかけられる環境になったということに気が付き、急遽ソフトを入れ替えに帰宅するというハプニングを交えつつ、いざYUさん宅へ。お腹の膨れた身体を落ち着かせるため、リヴィングで談笑。SACDの未来について真面目に語り合ってもみたり。SACDというマニアしか喜ばないようなメディアがマニアにおいてさえも浸透しないのは何故か。1. 必ずしもマニアが喜ぶソフトが出ているわけでないから。いくら増えてきたといってもCDの年間販売量に比べたら誤差範囲みたいなもんだろうし、ましてや累積販売量で言ったらそれこそ吹けば飛ぶくらいの数しか出ていない。こだわるマニアであるが故にこだわるジャンルでリリースが無ければそんなメディアに用は無い。ましてや多くの場合において販売価格が通常のCDよりも高いときている。よほど聴きたくなければ手を出すはずが無い。2. ハードの規格に統一感ゼロ。一応、iLinkが主要規格と言われているが、特に最高額方面においてはまるで採用されていないという事態。SACD対応機が増えてきたとは言え、既存メディア再生機を駆逐するには程遠い中にあって、そのような限られた機種数の間ですら互換性が無いとはいかなる事態か。自分好みの組み合わせの探求に余念が無いのがマニアであるならば、SACDを取り巻く状況はマニアを拒絶しているようにすら見える。アナログに置き換えてみるならば、ターンテーブルもカートリッジもフォノイコライザもメーカ指定の組み合わせだけ、と言っているようなもの。背景にはライセンスその他の大人の事情があるにせよ、SACDというフォーマットを本気で普及させる気がハードウェア・メーカには殆ど無いんじゃなかろうか。3. DSDというフォーマットの難しさ。おおよそ世の殆どのデジタル編集機材はPCMを対象としているわけで、スタジオ側にしてみれば扱いの面倒な信号。その上、大して売れる見込みが無いとなれば、そう積極的に導入したい道理が無い。で、1.に戻るわけだ。加えて言うなら、ハード・メーカ側からすれば妙なDSD信仰に対するやりづらさもある。DSD=高音質フォーマットという刷り込みゆえ(この点においてフォーマット提唱者は成功したと言えるのだけど)、DSD→PCM変換を行うD/Aコンバータ搭載機に対する偏見が散見される。というか、殆どPCM=悪みたいな見方すらある。ワン・ポイント録音信仰にも通じるところがありそうでもあるけど。詰まるところ、SACDとは(編集以外にマイクのレンジの問題もあって)録りにくく、作りにくく、売れにくいフォーマットと言える。

10月1日
Avalon友の会仲間のYUさん宅を訪問させていただいた。既にいくつかのサイトで訪問記がアップされているように、9月の頭にスピーカ以外の機器を一新し、SonyのSACD/CDプレーヤとデジタル・アンプというシンプルで近未来的な構成となっており、そしてわずか一ヶ月で複数の訪問記がアップされているように、殆ど毎週のようにオフ会を開催されてきている。それだけ、この構成に対する周囲の関心も高いということを示していると言えるだろう。勿論、それは私とて例外ではないのだけど。例によってお昼ご飯を食べながらそれまでのオフ会の様子などを伺ったりしつつ、YUさん宅へ。今回のメンバーはXANさんと友人S氏。買い替え後、クラシックにはまっているというYUさんがクラヲタの洗礼を浴びんとしての人選だとかそうでないとか…。

9月28日
引き続きDMC-20S1。A/C Master Couplerに変更したところ、空気感満点からもう少しぐりっとした表現にシフトした模様。そういう意味ではいわゆる「Spectralらしさ」はMITのケーブルとも多少絡んでいるのだろうな。プリだけならともかく、パワーもSpectralとなるとMITのケーブルが必須なわけで、ケーブル込みでの評価にならざるを得ないし、実際に私が数度聴いたケースでもMITが使用されていた。調子に乗って、現有のX2で使用中のNAOK氏作インシュレータを本体の下に挿入してみたが、これがどうにも思わしくない。高音が落ち着いたと言えば聞こえがいいが、鈍くなったと言った方が印象に近い。うーん、こんなはずでは…ということでインシュレータの向きをボールが下(▽の向き)から上(△の向き)に変えてみることに。途端にシンバルとかばすばす芯が出てきた。X2ではここのところずっと▽の向きに使っていたわけで、DMC-20S1を返却したらX2でも試さねば。D/Aコンバータも△の向きにしてみようかしらん。

9月25日
というわけで、いざDMC-20S1を真剣試聴。まずはオケで空間感をチェック。広い広いと聞き及ぶSpectralで、実際にオーナー宅でも一度体感させていただいているけれど、プリアンプだけでもなおそのエッセンスがしっかり残っている。広いのもだが、その中における前後左右の位置関係がピンポイントに明確なのには驚かされる。パワーもSpectralになったら…という方向に思いが行ってしまうのがこのメーカの困ったところではあるけれど。ロック系でも音がぱしぱし決まるし、無闇に音が多いところもさくさく捌く。一音一音に力を込めて、という風情ではなくてひょいひょい快速に処理していきながら全体像を明確に浮き上がらせるようなちょっぴり冷めた視点で冴えた音を繰り出してくる辺りが結構ツボにはまる。ぱっと聴きのインパクトは決して強くないけれど、どこからでも掘りに行ける深さを常に保持しているようにも感じられる。先に試聴させていただいたB.A.T.のVK-51SEとの比較で言えば、躊躇無く人に薦められてまず失敗しないのがB.A.T.、失敗するかも知れないけど何か自分で試してみたい気になるのがSpectralかも知れない。以上、オーナーの推奨するMITのZ Cord IIを電源ケーブルとして使用した状態にての感想。というわけで、寝る前にA/C Master Couplerに差し替えて明日から変化を検証。そもそも、周りがMITやSpectralじゃないのだし。

9月24日 その2
"Swing Gilrs"を観た。ジャズは分からないけど、竹中直人が演じる先生の部屋にあったのがJBL 4348にMark Levinson No.380SLとNo.434L(←436とか431、432かも)なのは分かったというか、そこしか気にしていなかったかも。ターンテーブルとかは守備範囲外なので分からないけど同じHarman Intl.のSME辺りなんだろうか。話は何だか調子良すぎで映画というより殆ど漫画だが、どうしょうもない笑いの種がそこらじゅうにばらまいてあって、特に何も考えなくても面白おかしく観られる。ジャスの分かる人にはまた違う見方があるのかも知れないけど。そういや、少し前に"Constantine"も観た。タイトルは主人公のラスト・ネームなのだけど、この名前も含め、宗教的関心無しに観てもあんまり意味のある映画とは思えなかった。恐らく、キリスト教的世界観の中で生きる人が観れば話の筋に強烈な必然性や切実感を覚えるんじゃなかろうか。そうでない人が観る限りにおいてはただのファンタジーでしかない。

9月24日
"Gun Sword"は思いの外太鼓の録音レベルが低くてちっとも面白くないという結果に。出だしのフレーズが「マクロス」で使われてたような気がするが、遥か昔の記憶なので勘違いかも知れない。かと言って検証する気があるわけでもなく。DMC-20S1はいよいよ明日で丸3日間。実際問題、ここまでで結構音が変わってきている。バランス接続+他社製パワー・アンプにMIT以外のケーブルばかりというSpectralの理念から程遠い環境下にあって、その真価を問えるのかという話もあるけれど。ましてや電源部の置き方に至ってはとても理想的とは言い難い。それでもとにかく聴いてみないと始まらない。とりあえず、今日のところは音以外の点を。電源部と本体を接続するDCケーブルは1mくらいで、ラックの上下に置く分には丁度いい長さか。しかしながら、今回のようにラックと床、みたいな話した置き方をする際には端子が電源部・本体ともに右側についているため、設置の自由度がかなり限られてしまう。つまみ類の感触は大変良好。GoldmundやPass、Celloの辺りともまた違う風格があっていい感じ。ヴォリューム1ステップ辺りの変化は少々大き目で、1dB/Stepかそれより少し大きいくらい?調整しにくいというほどでもないし、常用ヴォリューム位置が11時くらいというのが楽でいい。Spectralってバランス入力の方が6dBゲイン低い模様。X2はその逆でバランスにすると6dB上がって常用位置がPOPS系だとMUTEから1クリックという事態。今のD/Aコンバータを使っている限りはアンバランス入力にする予定は無いし、今のD/Aコンバータ以外でそうそうこんなに出力の大きいフロントエンドも無いので、ヴォリュームが絞れないという心配は無さそう。…こんな心配をさせるX2がおかしいのか?D/Aコンバータと同じく耳付きで見た目の統一感がはかれそうな気がしたが、金ぴかと薄いグレーではむしろPassの銀よりちぐはぐ感倍増というのが何とも。しかし、考えてみれば見た目なんてあんまり重要視していないのはD/Aコンバータの選択から明らかなわけで、使用感とてヴォリュームさえ使いやすければうるさいことを言う気も無いのだから、そもそも私が使用感を云々するのがおかいしのかも知れない。第一、仮に買うことになったとしても買うのはDMC-30SLだろうし…。

9月23日
DMC-20は3日間はそのままにしておくようにというお達しなので、うずうずしながら本調子になるのを待ち中。それはさておきCDとDVDが到着。CDはMTT/SFSのMahler 9とGun Sword O.S.T.、DVDはSzell/CSO。MTTのMahlerは例によってSACD/CDのハイブリッド。すんごくくどい演奏になっている予感。Gun Swordは夜中にやってるアニメ。何故か鬼太鼓座が叩いているので面白そうだと思って買ってみた。Szellは本来ならClevelandとの映像が観たいところだけど。動くSzellは楽しみ。

9月22日
そんなわけで昨日までうちに居たVK-51SE。その魔力の犠牲者を増やすべく、新たな標的の元に送り込まれたのであった。その音はというと、一言で言うと非常に次元の高いまとまりを聴かせる。真空管というデバイスから想起させられる回顧的な表情はそこには無い。S/Nは高く、残留ノイズは極小。半導体のX2の方がうるさいってどういうこと?音の立ち上がりもばしっと速いし高解像度。全体的に低域に力があって躍動感があるので、何を聴いても楽しく聴けるし、空間も特に奥行き方向に広い。それでいてふっととろけそうなくらい強烈に甘美な高音をさりげなく繰り出してきたりするから、もう大変。非常に取りこぼしの少ない、隙の無い音でありながら突き放すようなところが無いので、人を選ばず薦められる珍しいアンプかも知れない。うーん、やばいものを聴いてしまった…。それはさておき、CDがちらほら到着。Children of Bodomの"Are You Dead Yet?"、Rammsteinの"Sehnsucht"、オフコースの"LIVE"、See Sawの「君は僕に似ている」。COBは新譜なのでとりあえず、Rammsteinはぼちぼち買い集めるということで、オフコースは以前、lmstさんに聴かせてもらって良かったので、See Sawは奥さんのリクエストで今、やってるガンダムのエンディング。そして、今度はこんなものが…。

9月19日
ぴかぴかの新品なので音の判断は今夜にでもするとして、とりあえず訂正から。真空管とのハイブリッドではなく、純粋な真空管プリアンプだそうな。…ハイブリッドでも凄いと思ってたのに、これが球オンリーのアンプかね?さしあたって操作感だけ。0.5dB/Stepのステップ式ヴォリュームはX2の2dB/Stepに比べると圧倒的に使いやすい。1クリックで2dBって何かおかしいよ。VK-51SEのノブはクリック感無くくるくる回るので、見た目も相俟って少々チープな雰囲気は否めない。位相反転、ミュート、モノと一通りの必要になりそうな機能は揃っているし、各入力ごとに見た目のヴォリューム数値を合わせたりでき、表示の明度も調節可能と申し分無い。真空管アンプだけあって相応に発熱するため、ただでさえ発熱する機器の多い我が家においてはますます室温上昇に拍車がかかり、エアコンの効きが著しく悪くなるという欠点も。ラックの天板も結構熱くなっていて、本来ならもうちょっと空間を取ってセッティングすべきかも。うちでちゃんと設置するなら、デジタル系とプリアンプで左右にラックを分離して、プリアンプの周囲を開放するとか。端子が全てXLRで右Chと左Chが上下に並んでいるため、超極硬ケーブルを使用の場合は引き回しに若干工夫が必要になったりするかも知れないけど、我が家みたいにD/Aコンバータが普通と左右逆(背面から見たときに右側に右Ch、左側に左Ch)に出力端子があって、パワー・アンプは普通という特殊なケースではこういう配置の方がいいかも。真空管アンプなので、当然のように球交換や球の振動対策など遊べる要素多し。ただ、X2のように電源入れっ放しというのは…。プリだけ電源落とすというわけにもいかないので、パワー・アンプも落とさないといけないのは…。って、Nelson Passもパワー・アンプの電源入れっ放しを推奨しちゃいないんだが。そうそう、ヒューズも重要な遊びポイントだけど、背面パネルからの簡単アクセス。要するに見た目と発熱以外は特に難点らしい難点も無い。で、音は…?

9月17日
というわけで、届いたのはBalanced Audio TechnologyのVK-51SE。真空管とハイブリッドらしい。繋いだ直後は甘々でどうしようかと思ったが、暖まってきて徐々に真価を発揮中。ちなみに買ったわけでは当然なく、借りたというのもちょっと違うような、要するに突然「送りましたから」という連絡があったわけで…。いやはや。

9月16日
こんなものが届いた…。

9月15日
少し前に届いたCD。HamelinのAlbeniz: Iberia、Solti/LSOのBartok、L'arc en CielのSmile。Iberiaは演奏会前に聴いておこうということで。BartokはSACD/CDのハイブリッド盤でDSDリマスター。もっとも、うちではCD層しか聴けないのだけど。しかもCDは複数のリマスターで既に持っているし。L'arcは夜中に再放送してる「鋼の錬金術師」のオープニングで何かよさそうだったので。元々好きな方のバンドでもあったし。

9月12日
Hamelin演奏会2日目。前半がBeethoven: P. Son. 30 & 31、後半がIves: P. Son. No.2というプログラム。30番はともかく、31番は私が最も好きな曲の一つ。それはもう楽しみして臨んだ…のだが。目の前にいるのはHamelinで弾いているのも確かにHamelinで、Hamelinならではの弾きっぷりもところどころで聴かれたような気がするが、それ以上にHamelinらしからぬミスや妙な間が目立ってしまった感がある。少々呼吸も荒いようにも見えたし、これは体調が悪いんじゃなかろうか、Ivesは大丈夫なのか、と心配になったり。いつになく微妙な空気で終わった前半。微妙な気分を引きずりながら臨んだ後半。…心配なんて無用だった。聴いていて苦い味が舌に広がるような気がした前半と打って変わってそこにはそれはもう嬉々として弾きまくる、記憶にあるHamelinの姿があった。アンコールはブルガリアではそれなりに名が通っているらしいVladigerovのSonatina Concertanteの第1楽章、前日にも弾いたAnteilのJazz Sonata、Chopin=LisztのMeine Freude。Jazz Sonataは2回目なので腰が抜けそうにはならなかったが、やっぱり驚愕。

9月11日
Hamelinの演奏会。何だか見たことある人で一杯だった…。曲はAlbeniz: Iberia。適当に流して聴いてると綺麗な曲、というだけの印象に終わってしまったりしないでもないが、きちんと聴けば押されてる鍵盤の位置関係とかかなり滅茶苦茶でどうなってるのかと思ったりして、実際に見てみるとその異常っぷりに唖然呆然。Hamelinをもってして至難と感じられる。曲順が変更されていたりして戸惑ったりもしたが、潔癖なまでの弱音への美的執着にゆったりとした部分の歌い込みと神業の指捌きの下で繰り広げられるIberiaの世界に時折目を剥きながら身を委ねた。これだけの大曲を弾き倒した後のアンコールではGeorge AnteilのJazz Sonataというとんでもな作品を更にとんでもに弾き倒しまくり。腰が抜けるかと思った。

9月3日 その8
というわけで当初の構想より若干送れて到着のlmstさん宅。ますます完全なるオーディオ専用ルーム化が進行しており、実に素晴らしい。大量の法律関係書籍はきっと低音がブーミーになるのを抑えるために入れてあるに違いない。lmstさん宅を初訪問のNAGRAさんUltralinearさんに先に聴いていただき、私はリヴィングでのんびりさせてもらってからいざ試聴。lmstさんが普段聴かれているソフトを聴かせてもらってからオケ、クラヴィコード、ロックと持ち込みソフトを聴かせてもらう。前回訪問時にあった借り物R-DACが引き取られたため、本来のDAC64を使用しての音は久し振りに聴かせていただいたが、正直なところR-DACの抜けた穴はでかかった。絶対的な情報量の低下に寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、その制約ゆえか音の個性の表出はこれまでになく積極的で、例えば音場の形成の仕方にしても優先事項が明確で、極端に言えば以前がR-DACに鳴らしてもらっている音だったのがDAC64を鳴らしまくる音に変貌して、使い手の存在を強く感じさせた。勿論、その背後には日々の努力があることは例えば異形の分電盤なんかを見ても疑いの余地が無い。既に次なる対策も検討中のようで、更なる飛躍はR-DACの影を振り払うことができるのか、次に訪問させていただくのが楽しみ。またよろしくお願い致します。

9月3日 その7
そんなこんなで聴いてきたけれど、この後にlmstさん宅を訪問するダブル・ヘッダーを予定していたため、最後の締めに入ることに。まずはRUSHの"Lock and Key"で音像がやたらと高い位置に定位することをlmstさんに確認していただいた。事前に私が感じた位置は言わず、どの辺に定位するかに気をつけて聴いて欲しい、とだけ伝えた結果、やっぱりエアコンの辺りの高さに定位したりする模様。大なり小なり以前と上下位置が異なってきているソフトはあるが、ここまで極端なのは珍しい。上下位置ってのがどういう理屈になってるんだかよく分からないので本当にただの偶然でしかないのだけど。詰まるところ、今後ちょっとでもセッティングを変えたら再現されない可能性もあるというかかなり高い。とりあえず、独りよがりな感触でないという結論に一安心してみたり。次いで最近は私のせいでデス声中毒になったというlmstさんのためにChildren of Bodomの"Follow the Reaper"をかけ、最後はTokarevのRosenblatt: Astro Boy Fantasyで綺麗に終わりにしてみた。…終盤もやっぱり滅茶苦茶な選曲でお届けしまくり。というわけで、我が家を後にし、いざlmstさん宅へ。

9月3日 その6
持ち込みグッズ試聴第2弾。謎電磁波対策をD/Aコンバータ=プリアンプ間のケーブルの端子部に施す。Resonance Chipショックの後であったせいか、やや背景がすっきりしたかなぁとは思ったものの、劇的な変化というには至らず。そこで今度はケーブルを吉田苑製ケーブルであったと過去形で記したくなる程に原型をとどめないまでに謎対策の施されたlmstさん持参のケーブルに。音楽の楽しさを素直にストレートに伝える、という点については非常に良好な性質のケーブルで、C/Pは相当に高い。しかし、All Synergistic Research化された我が家では分が悪かったというのもあるのだろうけど、空間の広さや立ち上がりの速さではDesigner's Referenceが一歩リード。ひとまずは今のケーブル構成で安心して聴き続けることができそう。

9月3日 その5
一通り聴き終わったところでlmstさん持ち込みグッズのお試しタイム。まずは怪しげなグッズの代表的存在であるところのResonance Chip ブロウ@陶器製。某氏の強力な推薦によりRE-9の極性切り替えつまみに貼り付けるべく持参されたとのこと。RE-9は右スピーカの右後方に置いてあるため、少々手が届きにくかったりするので、はっきり言って面倒臭いとか思わないでもなかったのだけど、折角持ってきてもらったのだし、まあ一応やるだけは、と思ってよっこらしょと貼り付け。RE-9の出べそ化が完了したところで試聴。…何か躍動感ありまくりなんですけど。先の一時停止再生といい、今日は何か人ならぬものにはめられているとしか思えない。

9月3日 その4
そんなわけで私の攻撃ターンが終わったところで訪問者の方々の怒涛の反撃。馴染みのあるジャンルなら、その時鳴っている状態がどの程度のものか何となく分かるものだけど、今回のいらしたお三方は私にとってあまり馴染みのないジャンルが主体だったりするものだから、「うーん、これはこれでいいのだろうか?」とかどきどきしながら聴かなきゃならないし、どういう方向から突っ込まれるか分からないので事前の理論武装もままならない。例えばUltralinearさんからは「エモーショナルなところでもう一つ来ない」と指摘を受けたりして、そういやそんなこと考えもしなかったとか思ったり。もっと言えば、鳴らしてる本人にそういう要素がそもそも欠けてるかも知れん。lmstさんはさかんに「ふっと出るんですよね〜」と言われていた。ふっと 、か〜。10%おふっふっふっ(違)。

9月3日 その3
"Simple Gifts"を聴き終わって、Ultralinearさんから「一時停止してから再生してみましょうか」との提案を受ける。何でも、P-0sは一時停止してから再生した方が音がいいという、P-0sオーナーの常識があるらしい…初耳なんですが。というわけで、一時停止してから"Simple Gifts"を再生…おやぁ?脇で聴いていても高音の伸びとか違うのはどうしたものか。というわけで、ただでさえ再生前に騒がしいP-0sに新たなお作法が加わることに。理由は不明だが、一時停止で同じところをシークさせることでサーボが安定するとかなのかしらん?P-0sに特有の現象なのか、ディスク再生機全てに共通する現象なのか知りたい気もするが、うちにはP-0sしかないので他のでどうなろうと知ったことではなかったりもするかも。

9月3日 その2
部屋のあらゆる要素に突っ込みを入れられまくった後、外を歩いた身体も少しは落ち着いてきたところで試聴開始。Ultralinearさんが当日の朝、腰を痛めてしまったとのことでPC用チェアに座ってソファの後ろをメイン試聴位置とされ、その前のソファにもう一人座るというタンデム試聴に。…後ろ側の席の音は保証できないけど。まずは適当に選んだ我が家のソフトを聴いていただく。LortieのStravinsky: Petrushkaから入って、Bob Jamesの"Taxi"、HamelinのKapustin: Toccatina、LeonhardtのBach: Prelude & Fugue BWV904のFugue、Ormandy/Philadelphia OのSaint-Saens: Sym. 3とちょっと起伏を持たせつつ収束していきそうな雰囲気にさせておきながら次にRammsteinの"Hallelujah"ってのはどうなのか。そこからSolti/LSOのMahler: Sym. 3の第5楽章、Yo-Yo MaとAlison Kraussの"Simple Gifts"で一段落。…我ながらひどい構成だ。

9月3日
というわけで、本日は我が家にてオフ会。いらしたのは、NAGRAさんUltralinearさんlmstさん。全員サイト持ちでAvalon友の会会員でAvalonの2 Wayスピーカのオーナーという、特に狙ったわけではないのに妙に共通項の多い面子となった。駅前で軽くお昼ごはんを食べてからうちへご案内。部屋に入るなり、「これは独身者の部屋でしょう」と多重突っ込みを受けたり。写真からはリヴィングとしてももっと余裕のあるように見えるそうな。余裕なんてまるで無いんですが。残暑に加えてパワー・アンプを始めとする機器の発熱で室温上がりっぱなし。エアコンの設定温度を大分下げたのだけど、それでも序盤はかなり暑苦しい思いをさせてしまったかも知れず、申し訳ない限り。

9月2日
いよいよ明日に備えて…いじくると多分悪化するだけなので、あんまりいじらない。でも、Tower Slimとか回してるけど。どんなソフトで迎撃したものか。

9月1日
Welser-Moest/LPOのStravinsky: The Firebirdを聴いてみた。そういえば、この曲、Szell/COでしかここしばらく聴いていない気がする。聴くときの心構えが悪いのか、私にはこの曲、魔王の踊り以外聴くところが無いように思えてしまうし、実際に聴いていても「踊りはまだ?」とか思ってしまっていたりする。というわけで、感想も踊りのところ限定だったりするわけだけれど、テンポをぐいぐい動かしたり、打楽器を炸裂させまくってたり、なかなか激しく、そしてオケには厳しい演奏になってた。金管とか相当しんどそう。まあ、それ以上にオケに無茶苦茶な要求していながらそれにオケが全力で応えちゃうSzell/COみたいな演奏もあるわけだけれど。途中で真っ暗になったように鳴らしてみたり、どこかしら普通じゃないのがWelser-Moestらしいといえばらしいけど、こんなやり方で来るとは思わなかった。そういえばMTT/SFSの演奏も持ってたっけと思って聴いてみたら、こちらはSzellとは想像している火の鳥の姿が大分違う感じがした。画的に一番綺麗な火の鳥をイメージできそう。抑えるところはがっちり抑えておきながらこういう輝きを放てるのは素晴らしい。

8月31日
今週末、現在絶好調の某氏や悟りを開いて宙に浮いているという某氏や電源対策の鬼と化した某氏がやって来るというので、そろそろ迎撃準備に入らねば。というわけで、線をひねひねしたり。調子に乗ってあっちもこっちもやっていたら結構時間が掛かった。音は…作業で疲れて不明。

8月30日
小物周りが一段落したので、再びDCケーブル。DC IN/OUT 2間のケーブルを以前より使用中の銀線から新仕様の銅線に変更。少なくとも一日は聴いてみないと…と思っていたのに、結局一日持たず。まるで落ち着けませんな、この人は。重心が下がったり、しゃりっとした感じが減少したりと利点が無いわけではないのだけど、解像度の明らかなる低下はそんな綺麗事のようなことを言っている場合でないと訴えてきてやまない。湖の妖精さん、私が落としたのは銅の線でなくて銀の線です、ええ、間違いなく。というわけで、1日は、と思っていたのにその1/12ももたずに試合終了。そんなわけで、評価としては銀線>新仕様銅線>旧仕様銅線という具合。銀線も新仕様だったらどうなるんだろうとか、更にそれを2本使ったらどうなるんだろうとか、うーん。湖の妖精さん、銀の線をもう一つ…。

8月29日
引き続き、ショート・ピンSIP-8。こちらはlmst氏から既に2つお借りしてその効果を一応確認していたので、こちらはまあ大丈夫。ただ、増やすと副作用も増える可能性があるという指摘を某m氏にいただいたりもしていて、その辺どうなのかしらんとか思いつつ、いざ試聴。結論から言うと、これは正解。びしっとしたところが出てくるようになっていい感じ。一方、初めて2つ装着した際には音像の立体感への寄与もあったが、今回はそういう方向での変化は少なめ。当時とセッティングやケーブル環境が違うせいかも。それはさておき、先日コピーして観られるようになったSolti/BRSOのDVDを観た。とりあえず、前半のMendelssohnだけ。CSOとの関係から主な活躍場所がアメリカみたいに見られがちなSoltiだがキャリアから言えばヨーロッパ、それもドイツとの繋がりが深い。そういう意味ではヨーロッパとのオケとの相性も決して悪いわけではなく…といきそうでいかないところがSoltiらしいところか。VPOとの相性なんて血を吐きそうなくらい最悪だし、BPOとも曲によってはぎこちなさが目立つ…そういう指揮であり演奏であってそれをそのまんまやってしまえるオケなのでそういう結果になってるのかも知れないけど。BRSOもそういう意味ではSoltiに割と正面から応えてしまうのか、でもって無理な注文をされるのか、たまたまそのときの調子なのか、やたらとホルンがびびっていてちょくちょく外してしまうのがちょっと痛い。終楽章で気合入りまくり&(Soltiに)入れられまくりの木管とか低弦がしっかりぶいぶい言ってるあたりはいかにもな雰囲気。あんまり意味とか内容とか考えず、リズムぴしっとして鳴らせば割と様になるという点でSoltiに向いているといえば向いているのかも知れない。

8月28日
というわけで、まずはコンセント・スタビライザーCS-2から試してみる。ノイズフィルタとかいうわけではなく、純粋な蓋で強気な値段設定というのが同社らしいが、買う方も同罪か。効果は…うーん、あるような無いような。気持ちすっきりしたかもという程度。考えてみればうちの場合、タップはj1 Projectを介してスピーカ台に結束タイで縛り付けた上に台自体もj1 Projectを介してSR Compositesのボードの上に乗っていて、そのボードもj1 Projectのコーン+スパイクを介して床に置かれているわけで、まああんまり効果が出なさそうな環境ではある。悪くなったわけではないし、カバーとしての役割は果たすのでまあいいとしよう。

8月27日
そんなわけでRammsteinのReise Reise。まずはおまけDVDから。ライヴ映像やプロモーション・ビデオの映像がダイジェストで入っていて、もう少し長く見せて欲しいところではある。が、映像が激しく過激(汗)。文字通り火吹いてるし、靴から花火出したりしてるし、マイクに火がついてたりするし、客席にガソリン撒いちゃうし。先日、ヴォーカルが膝を怪我したとかいう話だけど、これじゃあねぇ…。それはさておき、本編のCDだけどMutterと比べて全体的に構成感があって、私にはこちらの方が馴染み易いかも。歌詞は相変わらず無茶苦茶でしかもドイツ語。総じて禍々しい響きだけど、結構色彩感があってそれが構成と上手い具合に絡んでいるのがいい感じ。それはさておき、アクセサリー店へAcoustic Reviveのショート・ピンSIP-8を買いに行こうと思って在庫確認の電話を入れたら、電話口に某氏が。その後、更にもう一人来られたらしくニアミスになってしまった模様。もうちょっと早く起きて家を早く出ていればプチ・オフ会状態だったのに、残念。ショートピンだけのつもりが何だか勢いでコンセント・スタビライザーCS-2も一緒に買ってしまう。タップでも効果があるんだろうか?

8月26日
どうにも面白みが…ということで、元に戻してしまう。そうすると、今度は輪郭の甘さが気になってしまう事態に。総合的な情報量も新仕様の方が多い模様。というわけで、再度新仕様を接続。…ちょっとは落ち着け>自分。それはさておき、CDが届いた。RammsteinのReise Reise。おまけDVDがついてたりして、そちらも楽しみ。

8月25日
というわけで、P-0sのDCケーブルを早速交換。現在、銅を使っている1番を今回送られてきたケーブルにしてみる。ぱっと聴いて気が付くのは高域の伸びと解像度の向上。全体的な立ち上がりも速い。一方で音場は少し狭くなった印象で、その分音像をきりっと描く。全体的に少し整理されたようになる、大人の音と言ってもいいかも知れない。その一方で交換前の広い音場に奔放に音像が沸き立ち、えぐるような低音の陶酔感みたいなところは無くなってしまったのがちょっと寂しかったり。とは言え、繋いだ直後=P-0sの電源を入れ直してすぐの印象なので、しばらくは様子見か。それはさておき、Studio K'sのDolonさんのページに私の感想を載せていただいた。ありがとうございます>山本さん、Dolonさん。普段、ばらばら書いてる癖に、余所様のところに自分の文章が載るのは何だか恥ずかしい。

8月24日
そんなわけでNAOKさんからP-0s用DCケーブルが届いた。あんまりよく分からないで繋いでいたのだが、実は現在は銀と銅を1本ずつ使っている状態だったらしく、どちらかに統一した状態で聴いてみたいと申し出たところ、まずは銅から送られてきた。しかし、現状の銅線とは仕様が違うとのことなので、まずは仕様による音の違いの確認からすべきか。それはさておき、牢獄近況。ついでにDesigner's Reference A/C Master CouplerQuattroの画像も。

8月22日 その2
焼き終わり。無事に再生できることを確認。やれやれ。

8月22日
頭の上方で定位したりするのは慣れないせいで大変気持ち悪い。導入してこれだけ困惑させられるアクセサリというのも久し振りかも。それはさておき、早ければ明日にも某氏から新たな刺客が送り込まれてくる模様。当分、遊ぶネタには困ることが無いだろう。それはさておき、昨日のDVDをDVD Decrypterでコピー中。私的複製目的なら著作権も問題無いはず…というか買ったのに見られてないし。Region Codeとか明らかにアジア圏を海賊王国として蔑視した仕様にしか見えないが、事実でもあるので仕方が無いけれど、結局こうして回避できてしまうわけだし、無駄な足掻きという気も。回避されるまでの間の時間稼ぎで利益が上がる計算になってるんだろうか。

8月21日
先日届いたSolti/BRSOのDVD、観ようと思ったら実はRegion 1になっていて観られないという落ちが。どうしたもんか。

8月20日
保留とか言っておきながら割と真面目に聴いてみたり。左右方向の音場が1割増しくらいでまあありがちな変化の度合いなのだけど、前後方向は1.5倍くらいになってるんじゃなかろうか。普段、聴いたことないようなところで音が鳴ってたりするので面食らったり。音像もきりっとシャープ。それでいてイリュージョン風味な空気感で、目下完全に音がケーブルに振り回されてる状態。どういう落ち着き方をするのやら。

8月19日
室温30℃で電源部温度52℃前後で安定している模様。ほぼ無音と昨日は書いたが、周囲の音が全く無い状態ではケース・ファン兼CPUファンの音が多少する。この際、ケースファンも交換して更に静音性を向上…と思ってちょびっと調べてみるも、現在使用中のXinRuiLian RDL8025Sが意外と評判がよく、換装の意欲が減退。静かになっても風量が落ちて内部で熱がこもるようじゃ困るし。一方、電源ケーブル+Quattroの効果だが、通電150時間ほどになるのでぼちぼちこなれてきた気がするも、まだ変化しそうなので評価は保留。

8月18日
13日に届いたうちのもう一つであるところのPC用電源。ものはScytheのセミファンレス電源Stealth Power SCY-SP450A。ファンレスで350Wまでなので、今まで240Wの電源でも使えてたことを考えれば十分。ATX電源なので当然のようにキューブのケースに入るはずがなく、漢の夢である電源部外付け仕様に。ATX12V 4pinと20pinの延長ケーブルを用意して準備万端だったのだけど、実際に配線してみたら延長ケーブル無しでも届くことが判明したり。それはともかく、やっとこさ接続完了して起動。無事に動くことを確認したが、その恐るべき静音性に驚きまくり。元々静音仕様にしてもらってあるのだが、電源ファンの音が消えたことでほぼ無音に。これでPC使いながらオーディオでより快適に聴けるかも。現在SpeedFanで温度モニタ中。

8月17日
帰宅したらDVDが届いてた。Solti/BRSOのMendelssohn: Sym. No.4とShostakovich: Sym. No.10。Mendelssohnの4番は把握してたし、Shostakovichが入っていることも記憶してたが、10番だったか…。SoltiのShostakovichの10番と言えば非常に嫌な思い出があったりする。手に入れようと思った頃にはどういうわけか(売れなかったんだろな)廃盤になって久しく、入手を半ば諦めていたCSOとの同曲のCDを友人が偶然(とは言ってもかなりの必然性をもって)見付け、譲ってもらったのだが、その際に「まあ、聴いてみ」と言っていたのを訝しげに思いつつ、聴いたときの衝撃たるや。あまりのヘ○(←自主規制)演に目から火を吹いて倒れるかと思ったことが鮮明に蘇る。この人でShostakovichの7番を聴いてみたかったなぁとか亡くなった直後に無邪気に思っていたものだが、今となっては聴けなくて正解だったと言うしかない。向き不向きとか通り越して、オケの状態ともども私にとって殆ど忘れたいほどの演奏だった。オケを変えてのこの演奏、再びトラウマとならなければよいのだが…。

8月13日
荷物が矢継ぎ早に届く。一つはパソコン用の電源で、これについてはまた後ほど。どの道、現状ではまだ使えないし。もう一つは某店からのケーブルその他。諸事情により巨大な箱でやってきたり。とりあえず、出すべきブツを出す。ものはやっぱりSynergistic Researchで電源ケーブルのDesigner's Reference A/C Master Couplerとアクティヴ・シールド用電源のQuattro Active Power Supply。前者はD/Aコンバータ用に。後者はMini Powr Coupler (MPC)の大量繁殖状態から脱却するためのSynergistic Researchの究極ウェポン(大袈裟)。MPCを使ってのActive Shieldingは仮の姿であって、Master Control Centerの後継であるところのQuattroを使用して初めてその真価を発揮するという噂。…つまり、今までのうちの音は「とりあえず」の音でしかなかったというわけか。というわけで、早速接続し、その効果を確認…したいところだが、今日から帰省する予定だったりして接続するだけで手一杯。その上、電源ケーブルも一緒に繋いでしまったから、単体での効果が判然としないという事態。まあ、トータルでよくなってれば問題無い訳で。しかし、幸いにしてQuattroの検証を某氏が行ってくれるという話なので、うちでもたもたしているよりそちらを待つ方が吉かも知れん。

8月12日 その2
結局、10°に戻した。まともになった。

8月12日
ちょっとでも状況を改善すべく、スピーカの角度を変えてみることに。足りないのは中高域だから、もっと内側に向ければいいに違いない。ということで、内側に振ること実に変更前比20°であるところの28°。某氏に怒られそうなセッティングだし、Avalonも内振りは5〜10°くらいまでを推奨してる(というか、10°以上は非推奨とどこかに書いてあったような)。とは言え、そもそもAvalonが想定しているようなリスニング・ルームはもっとずっと広いであろうことを考えれば、推奨を守っているだけで上手く行く保証も無いわけで。まあ、やって駄目なら戻せばいいのだ。で、やってみた。…ごめんなさい、Mr. Patel。私が悪うございました。狙っていた中高域よりもずっと上の帯域が集中的に強化されてしまい、シンバルばっかり聴こえたりする。こらあかんわ。

8月11日
Tube Trapをぽっちが内側方向真横に向いた状態にしてみた。なんか風呂場っぽくなってきた。…どんどん悪くなってるんじゃなかろうか。

8月10日
Tube Trap回してみるの巻。あちこちいじり過ぎて訳が分からなくなってきたので、少し休憩。

8月9日
そんなこんなで気分はプチ石井式風な吸音+部分拡散セッティングなのだけど、狙いは中高域の拡散による上の帯域の抜け向上…が、何か低音出まくってるんだけど(汗)。落ち着いて聴けば中高域から上にも効いてることは効いてるんだが、とにかく真っ先に低音に耳が行ってしまう。おっかしいなぁ。Tower Slimの向きとかスピーカの角度とか見直すか。勿論、拡散柱の位置を再検討というオプションもある。頭で「プチ石井式風」と書いたが、石井式リスニング・ルーム設計を知る以前から、今回のような構想があったりした。拡散を取り入れるようになったのはここ2、3年くらいの話で、それまではひたすら吸音一直線だったりして、Mini Sonexやら技研興業やら東京防音やらが大活躍だった。今ではMini Sonex以外は処分してしまったし、残っているMini SonexにしてもCDに隠れるように仕込んであるので、一般的な吸音材としての役割を全うしているとは言いがたい状況だが、その代わりに防音カーテン+防音レースカーテンという強力かつ大面積の吸音材が現役だったりする。話を吸音しまくり時代に戻すと、当時は吸音にせよ拡散にせよバランスが取れていればよく、あとは残響時間とかとの兼ね合いでお好みでやればよく、でもって自分は吸音を中心で考える、というスタンスでこれは今も変わっていない。常に拡散>吸音みたいに考える人もいるみたいだけど、拡散にしたってメリットもあればデメリットもあるわけで、要は使いどころということでしかない。勿論、吸音にもデメリットがあるわけで、一時期相当な量の吸音材を入れ、それはそれで納得した結果ではあったものの効き具合を微調整したかったり、ちょっと違うスパイスを入れたくなったりして、吸音材の面積を少し減らすような板をぶら下げたら面白いかも、とは思っていた。ただ、普通の板をぶらさげるのはよからぬ共振や反射を招きそうという悪い先入観が働き、実際に導入に至らなかった。で、話は戻って吸音カーテン+吸音レースカーテンだが、これだけの大面積になると側壁の一次反射点の拡散やスピーカの角度だけではどうにもなりそうにないことがようやっと分かってきたことと、GBさんという腕利きの職人の存在もあって今回の拡散柱導入の運びとなった。見た目はちょっとスマートじゃないが、効果と遊べる度は極上。本当はもう少し簡単に位置を変えられるように設置する予定だったのだけど、私の不手際で目下のところある程度以上位置をずらすには結束タイを切らないといけなかったりするのがちょっと勿体無い気になったり。

8月8日
というわけで、昨日の写真とは既に拡散柱の位置が変わっていたりする。とりあえずは、一時反射点付近を重点対策してみることに。

8月7日 その2
というわけで、今回のブツは拡散柱とでも言ったらいいのか、それが計6本。下のリンク先の通り、ばらばらに設置できるので可能性は無限大。くっつけたり離したり、回したり、思いつくがままにあれこれやってるうちにケーブルも届くことでしょう…多分。我が家での設置が完了したところで、YUさん宅へ。一仕事してから聴かせていただいた。カーペット導入が効いているのか、以前より高域がスムースな感触でご本人は抜けを気にされていたみたいだけれど、これはこれでいいんじゃないかと。George Cardas式セッティングを採用されたとのことで、スピーカがかなり前に出て、尚且つ間隔が狭められているのにはいささか違和感がありまくりではあったのだけど、音場の特に前後方向の展開の鮮やかさは見事で、YUさんが「見た目の違和感を上回る効果があった」と言われるだけのことはある。壁から離れたせいもあってか、低音の分解能も上がっているように感じられたし、活き活きとしたノリのよさはとても仮セッティングの状態とは思えない。これで細部を詰めていけば…きっと大ブレークでしょう!

8月7日
昨日のおまけ。SinergyのKimberly Gossは思いの外ごっつくて驚いたり。Alexi Laihoの彼女らしいのだけど…まあ、好みは人それぞれってことで。それはさておき、本日は待ちに待った納品。GBさんと軽トラに乗ってきたブツをてきぱきと玄関の中まで運び込み、軽トラを駐車してきてから設置開始。当初の思惑より厚みが増えたりしたのだけど、電源関係の乗ったSR Compositesのボードをちょっと動かしたくらいで難なく設置完了。ボードを動かす際にボードの下に入れているj-1 Projectのスパイク+受けが外れてどきっとしたりしないでもなかったけど、ブツ自体は特に寸法直しをする必要も無く収まった。というわけで、こんな感じになった。うちの奥さん曰く、「材質が木じゃなかったら牢屋みたい」だとか。カーテンレールを使って軽く支えている(吊っているわけではない)ので、勿論、カーテンなんて開けられるわけもなく。まあ、元々ケーブルが邪魔になったりして殆ど開けられない状態ではあったのだけど、これで物理的に開けられなくなった。え、ベランダ?…うちにはそんなもの無いですよ。

8月6日
というわけで、"Death ...is just the Beginning Vol. VI"を観た。元々、In Flames、Children of Bodom、Sinergyを目当てに買ったのだけど、実際に他にはこれといったバンドが無かったりした。ヴォーカルとその他大勢になってたり、びっくりするほど単調だったり、とってつけたようなギター・ソロだったり。割と不作なジャンルなのかも。

8月4日
DVDが届いた。"Death ...is just the Beginning Vol. VI"…禍々しいタイトルでしかもシリーズ6作目。In FlamesとChildren of Bodom、Sinergyが一曲ずつ入ってたりするので買ってみた。S.O.D.とかも入ってる。関係ないが、Rammsteinのヴォーカルが公演中に右ひざを怪我したらしい。…公演中ってとこがポイントか。

8月3日
少々バランスが低音よりになってきたので、Tower Slimを少し回す。正面を向いていた縫い目が10°くらい外側に向く格好に。多少バランスが改善したが、日曜日でまた変わってしまうので、それを少し見越した格好に。

8月2日
日曜日にいよいよブツが来ると喜んでいると、掲示板にはNAOKさんから予告文が。これはのんびりしていると何が何だか分からないうちに押し流されてしまいそう。謎対策の効果は全域における解像度向上に不思議な立体感の音像表現。うちでこんな形で出るとは思わんだ。

8月1日
隠しても多分顔に出てたりすると思うので正直に言ってしまうと、自分で施工しておきながら言うのも何だが、まあ眉唾だろうくらいにしか考えていなかったりした。ただ、ブツがあんまりにもお安い上、オーディオへの改善効果が得られなくともそのままにしても実使用上問題が無いことから、物は試しとやってみたまで。…が、効きますねぇ。何でもやってみるもんだ。疑ってすいませぬ>某氏。まあ、本人が疑われ慣れてるとか言ってたくらいだし(苦笑)。

7月31日
元来家にいるときは携帯電話をうっちゃらかしてしまう性分な上に、今の部屋はリヴィングだろうが寝室だろうが(確認してないけど多分トイレや風呂場も)アンテナが2本以上立つことが稀という電波ノイズレベルの低い(違)立地条件であるがため、某氏にご迷惑をおかけしてしまった。でも、無事に完成する模様なので日曜日が楽しみ。それに合わせて、必要な金具類を調達。これで準備ばっちり。…と意気揚々と帰ろうとして別な某氏の言葉を思い出し、HANDSへとんぼ返りしてみたり。そして、帰ってきてから謎工事。

7月30日
"Kung Fu Hustle"を観た。CMで散々「ありえねー」とか叫んでたのでどないなものかと思ったが、今時な映画としてはそんなにありえなくも無いような気がしないでもない。話の筋もはっきり言ってどうしょうもなく、真面目に観ると絶対に損をする。笑いどころは沢山用意されているので、その辺がツボにはまるかどうかが勝負。最後は上手いことまとめたな、という気がして、全体のどうしょうもなさも観終わるとそんなに気にならない。そういう意味では先の"War of the Worlds"とは真逆と言えるかも。

7月29日
思いの外早く、来週末には納品との連絡が。仕事が早いですな>某氏。それはさておき、CDが2枚届いた。MTT/SFSのMahler 2と庄司紗矢香のPaganiniなど。MTTはこないだ聴いてきたし、庄司紗矢香は今度聴きにいくし、ということで。

7月27日
少し前から考えていたことがあって、考えていながら実行に移していなかったのだけど、重い腰を上げて実行のための一歩を踏み出してみる。と言っても、それを実行するに当たって自分自身の労力は実はごく僅かだったりするのだけど。それはさておき、Princetonではこんな研究をしたりしてるらしい。力一杯くそ真面目にやっているところがそこいらのオカルト商法と一線を画すところなんだが、そうとは言ってもにわかに信じ難いし、データ処理上のトリックのように思えなくもない。「いい音になれ」と想いながら聴いていると本当にいい音で鳴ったりする日が来るのかも知れないということか。

7月24日
週末、怪鳥宅に訪問して地震に見舞われたりしたのだけど、その感想はいずれ書くとして(ここじゃないかも知れないし)、地震の影響で少しずれたかも知れないスピーカの位置を合わせ直したりしてみたり。RD-H1の初仕事で土曜日にテレビでやっていたルパンを観てみたりしたが、ちょっと話の筋がチープな雰囲気で少しがっかり。ルパンをという器にルパンという器でなくてもいいような話を適当にはめ込んだような印象。安直すぎやしないか。

7月20日
というわけで、Cardasの端子カバーを装着。まず、P-0sのAES/EBU出力にメスキャップを取り付け。続いて、D/AコンバータのAES/EBU入力×2にオスキャップを1番にキャップのピンが入るように取り付け、RCA出力端子にもRCAキャップを取り付け。最後はプリアンプでバランス入力と共用になっている1番入力のRCA端子とRCA出力端子に取り付け。ここでテープ出力端子があることに今更気が付いたりしたのだけど、手持ちのRCAキャップは6個しかないので、ここは仕方が無い。そんなわけで少々画竜点睛を欠いた気分がないでもないのだけれど、それでもこれだけ付けるとそれなりの効果があるらしく、総じて解放感が出ると共に全体的な情報抽出能力が上がったような気がする。仮に音が気のせいだとしても、カバーとしての役割は十分に果たすので完全に損することが無いのがポイントか。

7月19日
3点ほど到着。Cardasの端子カバーで、RCA用が6個、XLR用がオスとメスが2個ずつ。入力端子は先日、試して好感触だったAcoustic Reviveのショートピンをいずれ導入するとして、出力端子はショートさせるとちょっと大変なことになるので、今回のカバー購入に至った次第。とは言え、何も対策していないわけではなく、端子の保護を主目的にaudio-technicaの樹脂製端子カバーをつけてあったりはする。Cardasのカバーはニッケル・メッキした真鍮製らしい。電気的には無害そうな樹脂製と電気的効用を謳っている金属製の対決の行方は?一種類ずつ試していくとしますか。

7月17日 その2
"Batman Begins"を観てきた。花火の後に映画は少々目に辛いものがないでもない。今回も109Cinemas。相変わらずがら空き。10人もいなかったんじゃなかろうか。花火の後なんて駅とか病気みたいに混むから、真っ直ぐ帰るのは損だと思う。それはさておき、映画の中身はタイトルが示す通り、Batmanが出来るまで。Spidermanとか、リメイクものが最近の流行りなのか知らないが、安直にヒーローが出来てしまうところをしっかり描くのは意外と新鮮味があるようにも思う。特に、装備品の由来とかをいちいち示してくれるので、本来ならば超人であって縁遠い存在であるはずのヒーローに妙な親近感を覚えたりする。例えて言うなら、ウルトラマンや仮面ライダーの顔がどんな素材とパーツから成っているかなんていちいち見せないでしょう(最近のはどうなのか知らないけど)。そうは言っても、BatmanはBatmanであり、アメコミのあんまり考えなくても観ていられる雰囲気に変わりは無い。そういう意味では極めて単純な話ではあるのだけど、アクションにしても伏線にしてもサービス精神が実に旺盛且つ徹底した価値観の下にあって、飽きさせない。そういう意味では期待に対して実にストレートで模範的な回答という観点からは先日観た"The Incredibles"に通じるところがある。細かいところで大変楽しめる台詞が随所にあるのだが、惜しむらくは字幕がそれを全くもって適切に表現できていないこと。勿論、字幕という伝達手段の制限もあってのことだろうけど、観ていて実に勿体無いと思う。吹き替えだとその辺がうまく処理されているんだろうか。

7月17日
というわけで、レコーダを割と真剣に検討したり地上波デジタル導入を考えてみたりもしていたのだけれど、とある方から未開封のRD-H1があるので譲ってもいいという驚きなお申し出があった。そんなわけで、本日、受け取って設置。PS2でD端子を使っているので、PS2をコンポーネント・ケーブルにするか、RD-H1にD→コンポーネント変換ケーブルで繋ぐか、と考えていたらうちのテレビ、D端子が2つついてた。配線のときに購入以来久し振りに背面を見たが、最近のテレビは入力端子が山ほどついてる。素直にD→D端子ケーブルで接続。音声出力はデジタルとアナログの両方あるという辺り、アナログのみのVTRとは雰囲気が違うと思ったり。というか、チューナの出力を出すときデジタルは一度A/Dコンバータを通しているんだろうけど、アナログはスルーなのか、それともA/DしたのをD/Aして出しているのかちょっぴり気になったりして。常にA/Dしてるっていうのも何だか無駄な気がするけど。何はともあれ、この度はどうもありがとうございました>某氏。

7月15日
ブツによる対策は全体的な骨格感への寄与が特に顕著で、音像の立ち方とか先日お邪魔させていただいたlmstさん宅に似てきた気がする。ただ、Tower Slim回しとの複合効果によってシンバルとかの鳴り方に違和感を覚えたので、セッティングを若干変更。スピーカの内振りを少し弱め、13°から10°に。これで様子を見て、次を考えるとしよう。

7月14日
というわけで、ブツを設置条件に合わせたサイズに切り分け、折り曲げたりしてから設置。途中で誤って漏電ブレーカを落としてしまったりするアクシデントがあったものの、無事に設置完了。足りないかと思ったが、用途を絞ると丁度いいサイズだったのかも。音への影響は、とりあえず悪くない模様。でも、D/Aコンバータの電源落ちちゃったし、どこまでが対策の効果なのかがもう一つ分かりにくいところ。

7月13日
7月11日付けの日記でlmstさん宅でショートピンをV-1xで試したと記載してしまったが、正しくはK-1xであるとご本人からご指摘いただいた。というわけで、謹んで訂正させていただきました。まあ、どうせV-1xも買うんだろうけど(煽)。うちはぼちぼち謎なブツを試しますか…。

7月12日
某氏があんなものを導入するとは!…守秘義務により詳細は本人が開示するまで内緒。うちは細々とケーブルの見積もり待ち。

7月11日
返せ(爆)。…嘘です。Eclipseの身代わりとして、我が家ではlmstさんからAcoustic Reviveのショートピンをお預かりしていたりするし。ただし、2本だけ。lmstさん宅のAyre K-1xで有り無しを検証したところ、有りに軍配が上がったりしたので我が家でもその効果の恩恵に借り物ながら与ろうという算段。ちなみに、当日はまだlmstさん宅にあったR-DACではあんまり恩恵が感じられなかったことを付け加えておく。というわけで、というかD/AコンバータのRCA入力は現在絶賛使用中であるため、我が家においてもプリアンプで使用する運びとなった。白状してしまうと、実際にこのショートピンを取り付けたのは結構前だったりして、その間にTower Slim回しに追われたりしていた関係ですっかり書くのを忘れていたりする。そんなわけでうろ覚えな印象で、且つ音の状態も変わってしまっているので信頼性低めではあるのだけど、一応印象を書いておくと、若干の低域方向への伸びが感じられるものの、それよりも音の彫りが深くなったような質感の変化の方が強く感じられた。木質感とか金属感とかそんな感じの雰囲気がよりそれらしく出るような方向。自作の安物RCAケーブルぶった切りショートピンからの交換で、しかも2本だけでこの効果はなかなかC/P高し。思い出したときに買い足しに行くとしよう。

7月10日 その2
"The Incredibles"を観た。邦題は「Mr. インクレディブル」…映画の内容からいっても、この邦題は致命的欠陥を有していると言って然るべきではないのか。配給会社の担当が能無しなのか、担当が想定しているのが能無しな視聴者だからなのか、両方なのか知らないが、誰か何とかすべきだろう。映画の内容は大人からお子様まで万遍無く楽しく見られる配慮の中にアメリカ的価値観が色濃く出ていて、文化的背景の異なる純正日本人にとってもそれがステレオタイプ化されたアメリカ観・アメリカ人観から大きく乖離することが無いため、違和感無く馴染めるものと思われる。話の流れとしては通り一遍だし、言わんとするところも割とありがちであるけれど、伏線の張り方が適度で、大概の人が「自分が気付いた」ように感じさせる辺りが上手いと感じられる。期待に一通り応えた上で「+α」をそろりと忍ばせてあって、全体的な印象として期待以上という感触を与えることに成功しているように思う。キャラクターのデザインとか、総じて安易ではあるけれど、それが綺麗に捌けているところも好感触。目くじら立てて観るようなものではないが、変に肩肘張ったようなものよりよほど完成度は高いように思う。敵の設定がDisney的綺麗事の世界から一歩踏み出したようなところも個人的には高く評価している。Disneyらしさに徹していないところが勝因か。

7月10日
結局のところ、Tower Slimの配置は左右の壁から2.5cm、背面の壁から4.0cm離したところに落ち着くことに。もっと色んな位置を試すべきなのかも知れないが、試聴して条件を変更&左右合わせしてからまた試聴という作業は、我が家のスピーカ後方、特に右側のごちゃごちゃっぷりから著しく疲れる上に時間も要し、作業が終わって試聴に移る頃には作業前の音なんて記憶がかなり怪しい上に自分自身の状態も変わっている可能性が高いため、とりあえず満足できたところで試合終了。5mm動かしただけで尋常ならないほど変化するツボなんてのがあるなら探してみようとも思うけれど、適当に動かした範囲においてそこまでひどいことにはならず、ある一定の上限の下、ある傾向をもって変化するような印象。加えて、Tower Slimは向きというパラメータもあるので、位置と組み合わせればそれこそ無限通りの試行錯誤が可能なわけだけれど、いつまでもTower Slimと遊んでいるのもどうなのか。こういう組み合わせの存在下では、私はまず一方のパラメータを固定して他方を最適化後、最適化されたパラメータをその状態で固定して固定していた方を最適化することで対応するようにしているけれど、パラメータ同士が相互作用するような場合はあんまり有効じゃないんだろうなぁとも思う。そんな場合において、一体何回の試行を行うべきなのか、統計学的に導き出せないもんだろうかと思ってみたりもするけど、自分でやろうと思わないところが問題か。

7月9日
「宇宙戦争」を観に行った。原題は"War of the Worlds"なのだけど、何だか適当な邦題に胡散臭さを感じてみたり。実際に観てみたところの印象からその感触はより一層強化されたりして、誤訳というか、勘違いに近いんじゃないかとすら思うくらい、原題が保有する意味合いからは遠いと思えてならない。この映画に限らず、邦題の多くがびっくりするくらいチープで、邦題の存在意義に疑問を感じずにいられない。嘘でも日本人の殆どが中高6年間以上の英語教育を受けているわけだし、それでも理解が追い付かないなら、その辺は宣伝の仕方で何とかならんのかね。ここで言うところのチープとは、内容の代表性もさることながら、発想の豊かさも含めて、とにかく貧相だということである。話をこの映画に戻すと、とりあえずさすがはSpielbergというべきか、まあお金が掛かっているんだろうと思わせるシーンが目白押し。話の内容としては最後の落ちがあんまり過ぎて、それまでの映像の豪勢さが白々しくすら感じてしまう。個人的な見解では、あれだけのことが出来るんならそのくらい何とか出来るんじゃないの、という気もするし。"War of〜"と大袈裟なタイトルの割に、視点は至ってローカルで、殆どホームドラマと言ってしまっていい。そういう観点から見ると、全体的には割とどこにでもある家庭問題の描写の一つ以上のものではなくて、宇宙人襲来というイベントの大袈裟さとのスケールの乖離が何だか妙におかしかったり。詰まるところ、これは極めて生真面目に作られた映画であるということなのかも知れない。今、正攻法できちんと映画を作るとこうなる、という見本みたいなもので変な面白みとか味を求めるのが間違いか。それでも、最後の落ちは納得行かないけど。ちなみに、空いていることで評判の109Cinemasで観たのだけど、人気と前評判に加えて週末ということもあってか、この映画館としては割と人が入っていた。と言っても、半分くらいだけど

7月7日
ちょい変とは言え、それなりに影響があることを確認したため、一度決めたセッティングをなかなか崩せない私としては珍しく、Tower Slimをかなり大胆に回してみてみたり。手始めに今までと正反対、即ち拡散側をリスニング・ポジションに向けてみたりしたけど、しゃわしゃわするばっかりでさっぱりだったので徐々に元に戻していく。中高域から上の感触は縫い目を部屋の正面に向けるのがどうやら良さそう。もう一寸効果が上がらないものだろうかと思い、ふと某m氏が以前、Tower Slimの類はコーナーべったりより少し離した方がいいらしい、と述べておられたことを思い出す。というわけで、早速実践。あんまり考えないで壁との間に手が入るくらいに空けて設置したところ、これがなかなかにツボ。中低域の低い辺りから低域全般までぐいっと解像度アップ。沢山音が聴けて大変楽しい状態になったので、この辺でしばらく落ち着けそう。lmstさんからお裾分けしてもらった謎材料も試さねば。

7月3日
lmstさん宅にてあんまり過ぎる程に効果絶大であったTower Slimの向き、勿論我が家で試さない道は無い。そんなわけで、くるくる回してみる。…あれ?lmstさん宅で感じた目が飛び出る程の変化には至らず、変わってることは変わってるけど、lmstさん宅の超激変に比べれば、うちはちょい変くらいか。部屋の容積に占める割合とか、吸音体の量とか条件が大分違うので仕方が無いんだろうけど、何だか悔しい。

7月2日 その2
というわけで、怒涛の第2部。行く先を告げられぬまま、お昼ご飯を済ませ、電車に乗り込む。何となく、「水槽のあるお宅?」と訊いてみたら、ずばり的中。…何で当たったのか自分でもよく分からない。というわけで、行き先はBeagleさん宅。jeyさんにも以前お誘いいただいたけれど、都合が合わなかったりしたのだけど、思わぬところでもう一度チャンスが巡ってきた格好。lmstさんと共にお伺いすると、既にq2さんとjeyさんがいらしていて、怪しげな密談中といった雰囲気だったり。jeyさんからも凄いと伺っていたし、いくつかのサイトでの紹介からもその情熱は感じていたけれど、実際に伺ってみるとそこはもう究極へ志向するエネルギーに満ち溢れていて、恐らくは元々からして普通じゃないこだわりをもって建てられたであろうお宅のリヴィングは、その後の改造によって更にとんでもない空間となっていて、しかもどうやらそれが現在進行形であって、尚且つその多くを自らの手でやられているということに更に驚く。お仕事後に徹夜で謎グッズの作製に勤しんでしまったりするらしく、いやもう、何がそこまでBeagleさんを駆り立てるのか。少し聴かせていただいてから謎対策を手伝わせていただいたりしたが、これだけストレス無く聴けるWilson Audioは初めてかもしれない。物理的な空間の広さがあってか、特にMTT/SFSのMahler 1なんか唖然とする立体感で参った。最近、このシリーズはSACD層じゃないと駄目なんじゃないかという気もする。ピアノも極めて真っ当なバランスで立体的。でも、今回の主役は謎対策(をい)。lmstさん分の対策を手伝ってみたり。lmstさんはすっかり謎対策の宣教師と化していて、我が家へも布教に来るとか。とりあえず、その基本材料をお裾分けしていただいたので、どんなものか試してみるとしましょう。何はともあれ、皆様、お疲れ様でした&ありがとうございました。

7月2日
本日はlmstさん宅にてオフ会。何やら謎対策を施工されたとか。前回訪問時に金Bさんと共にセッティングを縦置きから横置きへと変更するのを手伝わせてもらったので、それがその後どのようにまとまったのか楽しみだったり。伺ってみると、ご本人は「勉強部屋」とかとぼけていたけど、どう見てもオーディオ専用部屋で、法律関係の本が申し訳程度に置いてあるというのが正解じゃなかろうか(笑)。机とか金B氏ボードの裏に隠れてるし。床には新たな音響ボードがセットされていたり、オーディオ専用部屋として着実な進化を感じさせる。机が追い出される日はそう遠くないに違いない。まずはlmstさんにヴォーカルものとかを何枚か聴かせていただき、欲さんとするところの世界の一端を見せていただく。オフコースだけやたら録音がよくて、他のが少々気の毒に思えた程。軽く休憩してから、持ち込みCDを一気に6枚聴かせていただいた。内訳はピアノ×1、オケ×2、ロック×2、デス声×1。印象として、少し古めのオケやロックと相性がいい一方、音数、特に音色のパレットが多いものになると色の描き分けに苦しんでいるように聴こえるところがあった。…と、その場で伝えたところ、「それなら」とセッティングいじり開始。素晴らしい機動力である。ラックのスパイク受けの有無、床ボードの有無や位置、端子カバーやショート・ピンの有無、Tower Slimの向きなどを変えては聴いて、聴いては変えて。そんなこんなして、私の満足の行く(笑)ピアノになったところで、lmstさんも状態を確認。ところが、最初はエッジが効いていい感じの鳴りっぷりだったオフコースのギターがものの見事に丸くなってしまっていて二人とも唖然呆然。こりゃあいかん、と検証したところ、Tower Slimの向きが死ぬ程影響していることが判明。自分でも所有しているものなので、こんなに影響が大きいとは驚き。これはうちでも回してみなくては。その他の感想として、ものによって中低域から下が少し寂しく感じられたことがあって、それでも大太鼓とかばっつんと出ているので、ちょっとした調整で案外解消できるんじゃないかと思わないでもない。音場の拡がりと繋がりは殆ど文句無しで、左右の条件がかなり異なることを考慮に入れればこれは素晴らしいとしか言いようが無い。前後についてはやや前方向に立体的な音像が浮かぶ感じで、欲を言えばもう少し奥への展開が欲しいのと、個人的にはヴォーカル音像を締めたい気もするが、好き好きなところでもあるし、それを解消することで今の音像が損なわれてしまうとしたら、その方が勿体無い気がする。そんなわけで午前中から昼過ぎにかけて散々遊ばせていただいて第1部は終了。場所を移しての第2部へ突入することになった。…何となく、察しはついていたけれど。

7月1日
最近、リスニング・ポジションよりも食事のときの席の方がよく聴こえたりする。笑い話で終わらせてしまえばそれまでだけど、そこに調整のヒントが無いだろうかとか考えてみている。そこから実行に移すまでが長いのが困ったところ。

6月30日
円安、止まらないかな〜。

6月28日
最近、携帯電話の「高音質」化が顕著だ。ステレオだ、3Dだ、と世のオーディオ・マニアの大半にしてみれば「はあ?」な状態だし、謳い文句は50年くらい前のものをそのまま拝借してきただけのようにも思える。作るほどに赤字になるとかいう話があったりしなかったりしながらも、とにかく半年に一回モデルチェンジするからいい加減謳いどころが無くなってきて、何となく音にも出番が回ってきたというところだったりするのかも知れない。とは言え、所詮は携帯が前提の電話機、サイズ上の制限はありまくりであって、且つデザイン上や消費電力上の制約もあるであろう、手枷足枷の状況下において「高音質」を謳うにあたっては相応の技術的改良や、あるいはそれ以上にセンスが問われる。そういう中から、でかいオーディオに展開できるような全く別な視点からのアプローチが生まれたりしないだろうかとちょっぴり期待してみたりする。スピーカが5つも6つも必要とか言われても困るし、大体現在の室温が32℃って一体どういうこと?

6月27日
ビデオ・デッキがどうやら本格的に壊れた模様。前から録画が殆ど出来ないとか多少というか、割と本質的な問題は発生していたものの、遂に再生すら出来なくなって、もはや出来の悪いチューナーとしての役割しか果たさなくなってしまった。もっとも、出来が悪かろうとテレビ番組の音声をアンプに出力するというのは割と重要な役割ではあったのだけど。というわけで、我が家で唯一録画機能を有する機材が機能不全に陥ってしまったため、遂に臓器移植、ではなくて録画機の買い替えを急に検討する羽目になった。目下、映像関係について驚くべき無関心ぶりでお届けしてきてしまっているので、いきなり検討するったって世にどういうフォーマットがはびこっているのかすら把握しきれていなかったりする。ぱっと思い付いたのは以前、フィルさんが話題に出していた東芝のRD-H1というHDDのみのレコーダなのだが、どうやら予約終了の様子。早急な解決を求められているため、次の予約募集を待つという案は却下の方向。安く済ませるならPCにキャプチャー・ボックスを付けるという案も考えたのだけど、先に述べたようにテレビ番組の音声をアンプに出力できるチューナーとしての役割も一応必須なことから、却下。…チューナー用にビデオ・デッキを残すということはあまり考えない。HDDのみという割り切ったレコーダは意外と選択肢が無いことから、DVD+HDDみたいな構成を検討。となると、VHSは付けるのかどうかというところで一つの分岐点があって、そんなに多くないながらも多少VHSのライブラリがあるのでそれをデジタルに、という考えに囚われないこともない。しかしながら、そもそもからしてここ数年VHSをまともに観た記憶が無いわけで、必要だったらデッキをどっかから一時的に借りて移せばいいんじゃないかという結論に。そんなわけで構成がDVD+HDDにほぼ確定。DVDのみという選択肢も無いでは無いが、CD-Rの出始めの頃に「ドライヴからドライヴにダイレクトで焼いたら駄目よん」と教わった身にはなんか違和感があるのと、2チューナー・モデルにせよという要望が出たために却下。D-VHSとかもあるけど、もう殆ど見なくなったし。この辺で大体候補は絞れてきたのだけど、最後に地上波デジタルというものが引っ掛かる。…うちで映るんだろうか?テレビを買うときにはレコーダを買うときにチューナー内蔵のにすれば、とか思っていたら思いの外早くレコーダを買うことになってしまったので、いきなり決断を迫られることに。とりあえず、映るかどうか調査してからでいいか。…たかだか録画するだけのための機材のために何でこんな膨大な選択肢があるのか。そういえば、ハイビジョンにフル対応機とかBlu-Rayとかもあったっけ。…高いから無視。

6月25日
「今、あいにゆきます」を観た。私がこういうのを観るのが間違っているという話もあるが、総じて何だかなあ、という半端な脱力感が残る。話の筋を少し離れて見ればどこかで聞いたような話の継ぎ接ぎみたいなもんだし、個々の場面の持って行き方も涙の押し売りに近い。それが猿でも泣けるように力一杯簡単でくどい辺り、ジャパ○ットのTV販売の方がより近いかも知れない。殊にHollywood系の映画の制作費が肥大の一途を辿っている中で勝負するにあたっては、こういう一点突破しか無いのかも知れないけれど。それはさておき、主演の二人はその後できちゃった結婚という落ちがあるわけで、そういう意味で生々しさを通り越して生臭く感じる場面もあったりもした。全体を眺めれば馬鹿みたいに簡単な話ではあるのだけど、それが場面ごとで観たときに敢えて破綻していそうに見せかける辺りに上手さを感じないでもないが、やはりそれ以前に押し付けがましい割にありきたり以上の展開も内容も示せていない点がどうにも安っぽく思えてならなかった。

6月20日
そういえば、FurtwaenglerのGrosse Fugaもそうだが、KoganのBachとかのLPが出てくるダークさん宅の収納はちょっとした魔窟の様相。綺麗に整理されていると油断していると、どっきりさせられそう。それはさておき、RammsteinのMutterだが、ドイツのバンドなので当たり前以外の何物でも無いのだが、歌詞がドイツ語だ。…と思ったら、ドイツのバンドでも売れ出すと英語で歌っちゃったりするらしいので、そう当たり前でもないのかも。とにかく、ドイツ語だ。「ディー」・「デア」・「ダス」とか「アイン」とか「ッハ」とか「ッヒ」とかウムラウトとか超絶巻き舌なRとか、学生のときの授業を思い出してしまったり。英語だと習って憶えたという感覚が無いからというのもあるのだろうけど、例えば第9とかいくつも聴いてもここまで耳を持って行かれることも無いので、勿論、歌詞とかヴォーカルのバランスとかもあってのことだろうけど、でも随分と強烈で極端な発音に感じる。そんなわけで、曲を聴く以前の問題でこのドイツ語に慣れるのに時間を要したりしたのだけど、曲としては私の聴き方が悪いのかも知れないが、やや微妙な感じ。全体的にフレーズの息が短く、展開が浅いような印象を受けてしまうのだけど、そもそもそういうところを聴くバンドではないような気もする。ステージで相当過激なパフォーマンスをやったりするらしいので、画付きだとまた面白いのかも知れない。音自体は硬質感があって、明快な鳴り方で良いと思う。

6月19日
本日はダークさん宅へお呼ばれしてきた。ダークさん宅の部屋の様子はUltralinearさん訪問記をご参照いただければ分かる通り、実にゆとりのある空間。翻って我が家は(一応)リヴィング兼用とは言え、オーディオの方を向いただけでもどうしてこんなにごちゃごちゃしているのだろうか?と疑問に思ってしまったり。しかも、再生可能ソフトの種類はダークさんのシステムの方がうちの3倍だというのに(我が家:CDのみ、ダーク邸:SACD、CD、LP)。そんな素敵空間なダークさんのシステムへ私が持ち込んだのは、MTT/SFSのMahler 1、PerahiaのBeethoven、GekicのGrand Gallop Chromatique、Horowitz, Ormandy/NYPのRachmaninov 3、横山幸雄のHammerklavier、StanhopeのBach=Busoni BWV552。…くどくてすいません。先ずは合唱曲などを聴かせていただいたのだけど、すぅーっと吸い込まれるというか、最近の清涼飲料水のように浸透してくるかのように瑞々しい高音が印象的だった。MahlerのCD層ではそれが少しぴりぴりとした刺激成分として感じられる場面もあったのだけど、ダークさん曰く「SACDとCDがあんまり変わらない」というSCD-1において、SACD層ではそのぴりぴりが綺麗に払拭された音抜けの良さに驚嘆。サランネットを外して見せていただいた「唸りを上げる13cmウーファー(笑)」とは思えない大太鼓の響きにも感心。このシリーズはSACD層を聴かないと聴いたことにはならないかも知れない。残りのピアノ曲は全てCDであったのだけど、高音のアクセントになっている周波数帯が割と高めなのか、すっと伸びるけれども当たりが柔らかいというか、丸い感じがした。Hammerklavierの終楽章をかけさせていただいた後、ダークさんが「では、フーガ返しということで」とFurtwaenglerのGrosse Fugaを取り出してきたり、その後に私がBach=BusoniのPrelude & Fugueでフーガ縛りにしてみたりといった応酬があったりしたり。YUさんと共に新しいOFF会の形を模索する私としては、今回もHammerklavierとBach=Busoniではダークさんにセンターに座っていただいたてみたり、新たなお宅訪問の形を実践。音の確認用に持っていったのはMTTとPerahiaだけで、あとはお聴かせするのが目的で選んでいたりするし。…お気に召したかどうかは置いておいて(苦笑)。今日のダークさんの音で気になった点を挙げるとすれば、チェロ〜コントラバス辺りの持続系の低音がやや弱いように感じたのと、若干ではあるけれど左右の繋がりが完全にはシームレスではないように感じたこと。前者はダークさんの嗜好も関係してくるのかも知れないけれど、大太鼓のような打撃系の低音が比較的量感よく出ていた分、少し寂しいように思ったり。後者はミックスにも依存するし、ポジションの取り方もあるし、そもそも私とダークさんでは身長が大分違うので頭の位置も違うし、自信を持って言えないところではあるのだけど、右スピーカの少し内側の辺りで少し隙間が空くように感じるときがあった。とはいえ、そもそも引っ越されてからまだ半年ほどとのことで、音が出るようになってからはもっと期間が短いはずなわけで、そんな状況にあって全体的に高いレベルでまとめた上でダークさんの主張がしっかり乗った音になっているのだから恐れ入る。そもそもからして、先に述べたように音楽の浸透力が高いことから、細かな点を気にする以前に音楽に没入できてしまえるので、調整という野暮な作業を意識的に行うのが困難なのではないかと思ったりもするし。アナログは本調子ではないと仰っていたけれど、恐らくはアナログに対する適性も非常に高いのではないだろうか。私はどちらかと言えば構えて聴く方だけれど、そんな構えが無効になるような、聴き手を音楽に対して無力にするような、癒し系というのではなく、入り込み系とでも言えるような親和性の高い音だった。引越しされてスピーカも替えて、丁度エンジンが温まってきたというところではないだろうか。となると、エンジン全開で突っ走られたらどれ程の世界が待ち受けていることか。またくどいソフト(笑)を持ってお邪魔させて下さいませ。

6月18日
そんなわけでDream TheaterのOctavarium…発音しにくい。前作が時期的なものもあってか少々どんよりと重苦しい雰囲気だったに比べると、今回はちょっと空々しいんじゃないかとすら思ってしまうようなくらい妙に清々しくて、前作の延長線上にあるんだろうかと微妙な緊張をしていた身には軽く肩透かしを食らった気分かも。さくさく聴けて、私好みな勢いのある曲もあり、全体的には好印象。ヴォーカルが出過ぎないバランスも私好みだが、音に殆ど隙間が無いようなところがあったりして、どうやるとこんあに詰め込めるんだか、と半ば呆れてみたり。

6月13日
CDが届いた。Dream TheaterのOctavarium、RushのRoll the Bones、RammsteinのMutter、Abbado/BPOのMahler 6。Dream Theaterのは新譜。HMVは出荷が遅れるから対応しろとかメールしてくるくせに勝手に出荷準備に入っていたりするから困る。Rushはとりあえず買ってみた。Rammsteinはモアの巣箱のUENOさんのお薦め。きっといいに違いない。当人が「気に入らなかったら引き取る」とまで言っていたし(笑)。Abbadoの振ったMahlerはどうにも嫌々やっているように聴こえてならなかったりしないでもないのだけど、6番だしSACDハイブリッドだし、ということで買ってみる。

6月12日
PerahiaのBeethoven: P. Son. No.28。YUさん宅を訪問した際に友人が終楽章をかけていてよい演奏であることは確定済みであったのだけど、改めて聴いてみるとその素晴らしい出来に感心する。節度のあるテンポの中で右手と左手のバランスを自在にコントロールし、これほど立体的に聴かせる28番はまず無いと思う。雑味の無い音色にぴしっとしたリズムが精緻で、弱音の比類ない美しさと歌い込みには殆ど陶然としてしまう。ここのところ出すCD全て、クラシックという使い古され疲弊しきった楽曲に新鮮な息吹を吹き込み続け、恐らくは今、最も新譜に期待できるピアニストの一人であろうと思われるPerahiaだが、今回も参りました。

6月9日
「おー、すげー、うちの音ってば最強〜」とかほざいていると、「ぶちっぶちっぶちっ」、「しゅこしゅこしゅこ」…サーボをぎりぎりまで緩くしているので、ちょこっと埃がついてるだけでもLP顔負けのノイズが出るというわけで、そのために埃をブロワーで吹き飛ばすという作業がたまに必要になる。場合によっては盤質のためか、それでも駄目なときがあって、そうなるとサーボの設定をReferenceにして、まだ駄目ならNormalにして、まだまだ駄目ならProtectを入れて…といくつか段階的な対処手段があるにはあるのだけど、大体途中で聴く気が半減してしまう。長いトラックのある程度進んだところでノイズが出てきてしまった場合など、サーボを切り替えて聴き直すというのは、同じ曲・演奏を繰り返し聴くことの退屈さもだが、サーボをきつくすることによってノイズ発生箇所までは切り替え前よりも僅かながら劣るかも知れないと思えてしまう音で聴かないといけないということにちょっと萎えてしまう。そういう意味ではReference辺りを常用設定にして調整すべきなのかも知れないと思ったりしないでもない。

6月8日
Hamelinの演奏会のチケットを取ったり。まだ、どちらも席が空いている模様なので、興味のある方はどうぞ。一時期の熱狂ぶりを知る身には少し寂しい気もするが、いい席で聴ける方がいいに越したことは無い。他にも庄司沙矢香の演奏会も行く予定だったり、ちょろちょろ演奏会へ行ってみるつもり。

6月6日
襲撃予定者が一名増加。線材の魔術師も温度上昇に伴う特性変化攻撃で迎撃しようかしらん。それはさておき、Solti/CSOの春祭XRCD盤だが、なるほど音質は大変よろしい。さっと通して聴いてみたが、管楽器の質感や音の出方、低弦の立体的な存在感など、さすが34分で30ドルだけのことはある。これはリファレンスとして十分に使えると思ったが、しかし、だ。トラックが2つにしかなっていないのはどういう了見か?あまりの使えなさっぷりに呆然。34分で30ドルは半端じゃなかった。この曲の半分を試聴で使いたいとはちょっと思えないなぁ。

6月5日
Synergistic Researchのサイトがリニューアルされてますな。MPCが4つも転がっている身としてはQuattroとか大変気になるというか欲しいところ。それはさておき、海のそばのオケの続き。
5月22日 その2
そんなこんなであまりにも完璧なDon Juanに打ちのめされた直後ということもあって、2曲目の歌曲はあんまり記憶に無かったり。割と若い歌手がそれなりに頑張って歌っていたような気がする。Laura Claycombという歌手、どうやらSACD/CDになっているMahlerの4番でも歌っているらしく、SFSとは割と密な関係にある模様。
後半はZarathustraだったのだけれど、Don Juanを聴く前であれば最後まで聴いていられるか心配であったりしたものの、あのDon Juanの後であれば安心して聴けるというもの。その一方でDon Juanほどの衝撃はさすがに無かったりもしたのだけど。例によって少し大袈裟な芝居じみた雰囲気であるものの、そういう全体の流れの大雑把さとは対照的に細部が詰められて明晰であって、その明晰さが全体の大雑把さをよりクリアに提示するという不思議な循環が聴いていて何だか楽しくもあり、おかしくもあった。
先のSeverance Hallにおいても感じたことだが、このLouise M. Davies Symphony Hallも残響時間はさほど長いわけではないように思えたが、その残響の質という点において国内のホールと異質なように感じた。突き詰めれば音の受容のされ方の違いに行き着くのかも知れないし、そもそもの音の嗜好なのかも知れないし、気候の違いかも知れないし、単なるサイズ的あるいは設計上の制約なのかも知れないけど、国内の比較的よく響くとされるホールは何だか音がぼてっとしている気がする。以前、偶然通りかかったKrannert Centerもそういえば清澄な響きであったっけ。
関係ないが、ClevelandにしてもSan Franciscoにしても、聴衆は実に嬉しそうに聴いていた。友人が初めてClevelandへ聴きに行ったときに「私たちのオーケストラ」みたいなことを言っていたと思うけど、全くもってそんな雰囲気。例えて言うなら、我が子の発表会でも見ているかのように。東京でどこのオケを聴いても不遜なお客様ばかりなのとは対照的で、先のDVDにもあったけれど、オケも含めて文化を育てる環境と姿勢が、アメリカ風味であったとしても、備わっていることがよく分かるし、それは例えば人にぶつかったときに"Excuse me"と言える人がどれだけいるかとかいうこととも関わってくるのかも知れない。まあ、私自身、国内のオーケストラに殆ど愛着なんて無いのだけれど。
更に関係無いが、SFSを聴きに行く前に時間を潰しに入ったVirgin MegastoreでSolti/CSOのLe Sacre du PrintempsのXRCD盤を入手した。34分しか入っていないのに30ドルというC/Pの低さにたじろいでみたりもしたが、それに送料かけて買うのは更に馬鹿馬鹿しいので素直に買うことに。でも、何でDECCAのソースがXRCDになっているのかが今一不明。
2週間後に現在絶好調の某氏が苦闘中の某氏と共に来襲予定。灼熱地獄でへろへろになっていただくとしますか(苦笑)。

6月4日
そんなわけで湖のそばのオケの次は海のそばのオケ。
5月22日
というわけで、本日はSan Francisco Symphonyの演奏会。指揮は勿論、Michael Tilson Thomas、曲目は全部R. StraussでDon Juan、Brentano Lieder、Also sprach Zarathustra。正直なところ、R. Straussは好きな方の作曲家ではないのだけど、日程的にやむを得ず。好き嫌いは置いておいて、オケの状態が非常に分かり易い曲ではあることだし。Severance Hallの悪く言えば古臭い作りに比較すると、Davies Symphony Hallは近代アメリカな都会的な作りで、ホール自体は天井高などかなり余裕を持っている感じがする。同じ高いでもOpera Cityのあんまり意味なさそうな高さや芸術劇場の座席数をあらん限り稼いでみましたといった高さとはちょっと違う。
そんなわけで席に向かったわけだが、1階の前から6列目の真ん中やや右寄りという位置だった。Premier Orchestraの中ではほぼ最前列かも。オケを聴くにはちょっと近すぎるかなぁという気がしないでもないが、致し方が無い。SFSは国外にチケットを郵送してくれないので、当日になって初めて席が分かったりした。電話すれば席の指定が出来たのかも知れないけど。
そうそう、Cleveland Oのコンサート・マスターはPreucilでなかったのがちょいと残念。SFSはDVDにも出てきたBarantschikだった。で、Tilson Thomasが颯爽と現れるわけだが、生で見ても画になる人である。振りはじめる前に団員とアイ・コンタクトを交わす様子はBernsteinを彷彿とさせたりするが、アメリカ人とはそもそもからしてそういうものかも知れない。好きでもないと繰り返し言っていても仕方が無いR. Straussだが、編成はご立派なのでやっぱり始まる前から意味も無くわくわくしてしまう。で、Don Juanの勝負とも言える出だしの一音…本気で鳥肌立った。上手い、上手すぎ。アンサンブルの精度は言うに及ばず、その音の輝かしいこと。間違いなく世界最高の状態にあるし、その自覚と自信を持って弾いているであろうことは間違いない。やや明るめな、解釈としては分かり易い、起伏は大きいけど前向きなところが曲が要求するところを何も考えないで出してみたような印象で、そういうところでケチをつけたい向きもあるだろうけど、そんな細かいことというか、好き嫌いの範疇でどうにもならないくらい音が素晴らしい。時間にして15分ちょっと。その時間が過ぎるのが本当に惜しいと思えた。金管は十分な迫力を持たせながら制御が行き届いた安心感をもたらし、ティンパニはばすっと決まり、とにかく、オーケストラにおいて音楽を奏でる機能の全てが満たされていた。R. Straussをこんなに真剣に聴いたことは無いし、この先もそうそう無いであろうと思われるが、曲の内容とか関係無しにとにかく凄かった。
2曲目以降はまた次回ということで。

5月30日 その2
それはさておき、Cleveland日記の続き。
5月19日
そんなわけで、本日はThe Cleveland Oの演奏会。指揮は何を置いてもまずは音楽監督の指揮で聴かねば、ということで年間スケジュールを眺めて、決めたのがBotti: Transluence、Rachmaninov: P. Con. No.1、Bartok: Con. for Oというプログラム。しかもピアノは最近絶好調と評判のAndsnes。聴くならこれしかあるまいよ。頭に世界初演という謎な曲が入っていたりするのはご愛嬌だが、しかし、何と言ってもThe Cleveland Oでオケコンである。それだけでやたらと期待してしまう。
というわけで喜び勇んでSeverance Hallへ向かったのはいいのだが、如何せん渡米2日目で時差ぼけ真っ只中。昼間、張り切って博物館やら美術館やら見て回ったのも祟って、夕方はかなりねむねむな状態に。夕飯前に軽く寝てはみたものの、正直なところ、完全に頭が覚醒しきっていなかったのはちょっとどころでなく勿体無い。
しかし、だ。出だしのSusan Bottiとかいう女性の煮ても焼いてもどうにもならないような曲においてすら、各パートがあまりに上手く、あまりに明晰で唖然としてみたりした。指揮者はいざ知らず、楽団員がどれほどの思い入れをもって弾いているのか定かではないが、とにかく何でそんなに頑張って弾くかね、と問い質したいほど。演奏後、ステージに現れた作曲家は感無量といった表情であったが、何であれこんなオケで自分の作品が演奏されるなんてそら素晴らしい体験であろうことは疑いの余地が無い。例え、その後一生演奏されることが無かったとしても、だ。
前振り(こら)から尋常ならざる上手さを見せ付けるオケだが、いよいよ本番。なお、座席はDress Circleの前方ほぼ中央。Severance Hallは全体的に半球形に近いような比較的古めのスタイルのホールで、派手だけど歴史を感じさせる内装ともども何だか浮世じみた雰囲気を漂わせる。残響はそれほど長いと感じなかったが、デッドというわけではなく、全体的に音にすっきりとした潤いをもたらしてはいるようであった。
話が逸れたが、Rachmaninovの1番である。この曲に限らず、この人の曲は弾きようによってはあっと言う間に甘々のべたべたになりかねないというか、そういう方向へ逃げちゃう演奏がごろごろしていたりするように思うが、その辺を出だしから決然と弾いてくれるAndsnesは聴いていて安心できる。終楽章の出だしのオケもそらもう素晴らしく、時差ぼけの目も一発で覚める勢い。最後とかそらもう目を剥くスピードで猛然と弾き倒しまくり。観客総立ちで大絶賛。私の周りじゃ「あの子、なかなかやるわねぇ」とか言ってたりしてた。
休憩を挟んで、いよいよオケコン。第1楽章でトランペットがちょっと躓いたり、終楽章でオーボエが外してしまったりして、ちょっと腑に落ちない部分があったにせよ、それ以外ではただただ上手いとしか表現のしようのない、クリスタルガラスのような響きをひたすらに聴いていた。The Cleveland Oらしからぬミスがあったとは言え、元を質せばあの音量で精密にコントロールできている方がむしろ異常であることは認識せねばならない。伝え聞いてはいたものの、実際に耳にしたこのオーケストラの音量は、特にロシアの一部の轟音オケを聴いたりしたことのある身には殆どショッキングですらあるかも知れない。本当に音の質も量も室内楽に限りなく近いと言える。そういう観点から、ダイナミック・レンジの絶対値は決して大きくはないのだけれど、表現の幅がそれに応じて狭いのかと言うと、それは違った。先にクリスタルガラスのような、と述べたけれど、そのクリスタルガラスに反射する光の如く、その音色の多彩さ、自在さには惚れ惚れとした。時にシャープに、時に柔らかに、そのいかなる音色においてもアンサンブルの緻密さが保たれていることは、ずらせばソフトになるとか思っているらしい節のある海の無い国のオーケストラの眼前につきつけたいほど、オーケストラ演奏の達成しうる最高の姿の一つを示していた。
話は戻ってオケコンだが、Welser-Moestの解釈はそれほど奇抜ではなく、Dohnanyiの残り香もあってか、総じてエレガントな知性を漂わせたもので、不意にリズムがにょきっと顔を出してきたりする辺りで曲者なスパイスを効かせていた。とにかく上手いオケであるため、Welser-Moestの乗り出すような指揮にもさくさく応える反面、細かい節回しでふっとDohnanyiのような表情を出すところがあり、先の残り香とは別の意味で、まだ完全にWelser-Moest風味になりきっていないように感じた。考えてみればまだWelser-Moestが監督となってから3年目でしかないわけで、もう2、3年すればWelser-Moest色になってくるものと思われるし、例えばDohnanyiにしたところで最初から最後期の音が出せていたわけではないのだし。聞くところによるとメンバーの世代交代の谷間にあたるようで、そういう点からもどう転ぶのやら、というところで、今となっては期待は勿論のこと、不安になるようなオケが未だに存在していることを喜ぶべきなのかも知れない。
次回は「海と蟹とオケ」をお届け予定。

5月30日
スピーカの内振り角度を見直す際に新セッティング兵器を開発・運用を試みてみた。割とお手軽でありながらそれなりに有用そうな雰囲気だったので、ここにばばんと公開して後悔することに。材料はある程度重量のある突起物×2、今回は外したまま放り出してあったP-0s純正の足を利用したけど、例えばレンガとかでもいいし、重量級でなくとも、積み木の上に適当な重しを乗せるなどすれば恐らく無問題。それから、テグス等の紐または糸の類。軽くて適度に強い素材が好ましいと思われる。あとは輪ゴム×2。弱すぎるのも考えものだが、一般的なごく普通の輪ゴムで大概は十分であろうと思われるし、もっと弱いものでも可。あまり強いと伸びなくてかえって使いにくいかも。で、使用法だが、テグスの一端を輪ゴムに結び、左右スピーカの外側を結んだラインより少し長めに、でも部屋の左右の長さよりは短めに切って、切った端も輪ゴムに結ぶ。で、それぞれの輪ゴムを突起物であるところのP-0sの足にひっかけ、スピーカ前の適当な位置で左右に展開し、左右のスピーカの外側より少し外にそれぞれ置いて、テグスが輪ゴムで引っ張られるように設置する。で、引っ張られたテグスを基準ラインとし、スピーカの右端からテグスまでの最短距離とスピーカの左端からテグスまでの最短距離を計測し、左右で合わせれば基準ラインについて完全に左右均等な配置が完成するという運び。元々、金属製の巻尺を使って同じようにして合わせていたのだけど、最近、左右のスピーカ位置が側壁に近付いている関係で、巻尺の先端の金具による浮き上がりの分と、巻尺本体に起因する本体側の浮き上がり分なんかの影響で微妙な雰囲気になってきたので、新たにこんなことを考えてみた次第。よろしければお試しあれ。

5月29日
こちらでは音楽的側面から旅行記をお届け。
5月18日
ホテルへ向かうタクシーの中で外をぼんやり眺めていたら、不意にある看板が目に飛び込んできた。"Masonic Auditorium"…Severance Hall建設前のThe Cleveland Oのホームグランドであって、Hall完成後もしばしば録音場所として用いられている会館であって、かつて友人が「Masonicが〜」と騒いでいたら先輩に「君、Masonic、Masonicと言うけれども、何でMasonicと言うか知っているのかね?」と問い質されたりした色んな意味で妙に印象に残っている建物の名前であったりする。通り過ぎるタクシーの中から眺め見ただけではあるものの、歴史というよりは古さを感じさせる建物で、看板も錆びついていたりして、ちょっぴり時間から取り残されている雰囲気ではあったものの、何だか不思議と嬉しかったり。以前、アメリカへ遊びに行ったときもKrannert Centerに偶然立ち寄ることが出来たり、縁とかあんまり信じる方ではないけれど、割と幸運な部類に属している気がする。そして、明日はいよいよ演奏会。
次回、「時差ぼけとアンサンブル」をご期待下さい。

5月17日
Alexander Vaulinというピアニストは寡聞にして知らなかったのだが、DukasのSonataを入れていたので何となく買ってしまった。結論から言うと、知らないままでも特に困るピアニストではなかった。頑張って弾いてはいるけれど、その努力のもう少し先がこの曲にはどうやらというか、多分間違いなく必要で、そこへ到達しうる気配を感じさせる内容には至っていなかった。しかるべき人が弾けば素晴らしい演奏効果を生み出しうる曲であろうことはDuchableの演奏あたりから明らかであるが、この演奏ではその辺りも曇り気味。一番の問題はディスクの印刷面にあまりにもセンスが無さ過ぎることだったりするかも知れなかったり。

5月16日
Tilson Thomas/SFSのDVDには音楽の組み立て方以外にも地域との関わりみたいなところも触れられていて、こういうことをやるのはアメリカ人は得意だ。すれた日本人の感覚では偽善っぽく感じられる雰囲気でないこともないのだが、次代を担う子供にオーケストラというものに触れる機会を積極的に提供していく国のオーケストラはきっと今後も上手いに違いない。翻って国内を見渡せば、中途半端な敷居の高さに安っぽい自意識に遠く及ばない技術とまあ散々に思えて仕方が無い。日本の伝統文化は大概世襲制というか、そもそも日本の文明自体が世襲制が長かったわけで、伝承という意識はあっても伝播という意識は馴染まなかったりするのかも知れない。

5月15日
Tilson Thomas/SFSのTchaikovsky: Sym. No.4のDVDを観た。何だかやたらと凝った映像で驚いてみたり。見た目がいい指揮者だと映像も見応えが倍増する気がする。演奏は相変わらずの濃さで、表情の振幅の大きさと瞬間最大風速的加速力もさすがだが、何より驚嘆するのはオーケストラの各パートの反応の素晴らしさ。どんな表情の変化にも瞬時に応答するため、濃厚な表現でありながらコントラストが高く、どろどろしているところでも間延びしない。故に長大な第1楽章にやや過剰にも思えるドラマ性を持たせているにも関わらず、さほど胃もたれしない。勿論、決めるところはしっかり決めてくるわけで、終楽章の最後など快速で飛ばしながらも乱れずにお見事。DVDにはTilson Thomasのオーケストラとの関わり方も収められていて、通常のリハーサルの前にTilson Thomasのコメント入りパート譜を作っていたり、コンサート・マスターや首席奏者と事前に打ち合わせしてフレージングを作り上げ、理解を求めたりしていて、そこには演奏で見られるようなロマン的な部分と、効率化を追求する現代的とも言えるような部分が見て取れた。ときに、Tilson Thomasと言えばEggleston WorksのAndraを使用していることでごく一部で有名だが、DVDに収められていた彼のピアノの後ろに紛れも無いAndraの姿が映っていた。

5月14日
頭の中にある音と実際の音は短時間では比較的よく一致するものの、時間の経過とともに怪しくなってくる。"Phantasy Star 2"のボス戦の音楽はかれこれ10年以上前に数回聴いたときに割と好きで何となく憶えていたりしたのだけど、PS2での復刻版でその音楽と再開し、メロディーラインは記憶通りだったのに自分で驚いたりした。しかしながら、その一方で全体的な雰囲気は、好ましかったという印象が先行して記憶に入力されているせいか、記憶の中に滞留している間に少々華美に装飾を受けたのか、10年以上ぶりに聴いた実物は驚くほどしょぼい、骨と皮みたいな雰囲気に感じられたりしてしまった。PS2版になって多少のアレンジがされていることを差し引けば、当時聴いたオリジナルの音楽がいかほどのものであったのかと、美化された記憶が崩れる音を聴いた気分だったり。

5月13日 その3
勢いでもう一枚。Fricsay/RIAS SO BerlinのMussorgsky: A Night at the Bare Mountain。凄く久し振りに聴く曲で、それでも聴き飽きた気分のする曲なのだが、演奏はぶいぶい言っていて大変に禍々しい。ざくざくずんずん進んであっと言う間に終わってくれるのが嬉しい。絶えず管楽器から弦楽器を浮き上がらせるように響かせるので、元々禍々しい曲なのに禍々しさが更に倍。高音域と低音域のコントラストが全体の雰囲気にメリハリを与えて、実際の演奏スピード以上に速く感じられるし、それ以前に実際に速いのだけど。テンポの煽り方も絶妙で、速い=軽いにならず、凄みを感じさせるあたりがこの指揮者の凄いところ。この次に入ってるのがSmetanaのMy Fatherlandからの一曲だったりするんだが、こればかりは曲が悪いとしかいいようがないというか、Moldauも含め、どれもこれも聴いていて身体が痒くなりそうな恥ずかしさに駆られる。一日中Moldauばかり聴かされたりしたら憤死するかも知れん。Margrit WeberとのRachmaninov: Paganini Rhapsody(オケがRSO Berlin)はピアノがやたらと膨らみのある美音系だが、オケがやたらとご立派なので少々印象が薄く感じられる場面もあるものの、ピアノを消してしまうような節操の無い指揮者ではないが、全体的な印象はオケによるところが大きいように思う。

5月13日 その2
Welser-MoestのBruckner 8。オケがGustav Mahler Jugendorchesterってのが微妙そうな雰囲気を漂わせているというか、古今東西、Mahlerで名を上げた指揮者とBrucknerで名を上げた指揮者ってどうにも相容れない歴史がこの50年近く続いているように思えるわけで、そういう意味では何だか皮肉っぽい組み合わせと言えたりするかも。とりあえず、全部を通してまともに聴こうとしたりするととてつもなく疲れる曲なので、終楽章だけ少しだけ真面目に聴いてみたり。出だしこそざっさか進むものの、全体的に無理していないような少し力の抜けたところがあるのはライヴでオケが破綻しないための配慮か。終盤、妙にリズムを強調してみせたりする辺りでようやくWelser-Moestの演奏を聴いたという気分になれたりするが、最後も特別びっくりするほどのことはしておらず、ちょっと期待を裏切られた気分。

5月13日
5月5日の日記その4についてさる方よりご指摘があって、「謹製」とは本来作った本人が謙って言うものなので、用法としては正しくないとのこと。言われて初めて気が付いておいて何だが、字を見りゃそれ以外に無いだろうに。そんなわけで、謹んで訂正させていただきました。ご指摘多謝>某氏。間違いを間違いと指摘してくれる知人は貴重だ。

5月11日
最近考えたりしていること。先日お越しいただいたフィルさんやGBさんの意見によると、どうやら我が家の音像は小さい部類に属するらしい。GBさんと言えば、ヴォーカルの「音像の形」に殆ど執念と言っていいほどの情熱をもって理想を求め続けておられる。今まであまりそういうところを考えていなかった私にとって、それは新鮮な発想であったりしたり。しかし、改めて考えてみると、殊にヴォーカルにおける「音像の形」とは一体いかようなものであるのか、というところからよく分からなくなってきたりする。通常の収録方法において、ヴォーカルはマイク一本で録られているはず。となると、音源情報としては点となるはずであり、「像」を形作ることはないんじゃないだろうか。…と、ここで終わってみてもいいのだが、話を逆の視点から考えてみる。「像」を形作ることがあると仮定して、どのような要因によってそれが形成されるのか。まず、収録時から追っていくと、マイクは一本として、マイクとヴォーカルとの距離は歌っている間に変動している可能性がある。ノリノリで歌っちゃう人とかだと前後左右上下に口の位置が動いていることだろう。それが一本のマイクにどう捉えられるのか。単純に考えれば方向に関係なく距離の情報としてのみ記録されるはずだが、それはマイクの指向性が理想的に均一な場合で、実際には上下左右で捉えられ方が変わる…はず。次に、収録時にはリバーブその他のエフェクトを大なり小なり入ることになり、これが音像形成に一役買っている可能性も無いではない。ついで出力側を見てみると、センター音像はステレオ再生においては当然、仮想音源であることから、左右のスピーカの特性の偏差や左右の音響条件の差異等による左右の耳へ到達するまでに多かれ少なかれ左右のスピーカからの音は変化を受け、その結果、「点」がぶれて「像」となるかも知れない。また、GBさんによるともっとも好ましい音像が得られたのはコンデンサ型の平面スピーカでのことだったとそうで、コンデンサ型の場合は背面より放射される逆位相の音との重ね合わせとなったり、放射される音波の指向性が強かったりするため、より一層複雑である。さしあたって、スピーカを片方のみで鳴らしたときに現れる音像に形はあるのかが気になってみたり。

5月6日
DVDとCDが届いた。DVDはTilson Thomas/SFSのTchaikovsky: Sym. No.4。CDはVaulinのDebussyとDukas、YESのThe Ladder。MTTは今度、聴きに行くので予行演習ということで(?)。Vaulinはどんなピアニストなのか微塵も知らない。DukasのSonataが入っているというだけで買ってみたが、外す可能性大。YESは何となく。

5月5日 その4
本日はlmstさん宅の工事の日。事前情報によるとGBさんが朝8時に襲撃して着工開始するという話だったので、適当に昼過ぎに覗きに行ってみることに。最寄り駅でお昼ご飯を食べ終わったlmstさん&GBさんと合流し、lmstさん宅へ向かう。道中の話では相当大変なことになっているようだったが、実際のところは…想像を絶するくらい大変なことになってたりして(汗)。とりあえず、私とGBさんは部屋に入ることすらできなかったりしたし。ある程度落ち着いたところでお部屋に乗り込み、次々に物品を移動。模様替えというより、プチ引越しといった具合。どうにかこうにか最終的な形が決まったところでGBさんがはるばる運搬してきた資材を搬入するために再びプチ引越し状態になったりしながらどうにかこうにか作業完了。いや、完了したのはlmstさんの部屋が辛うじてといったところで、廊下や隣の部屋とかとんでもない状態で、ご家族から大不評となることは必至かと。作業終了後はJeyさんも合流して我が家でプチオフ会。lmstさんも用事を済ませてからいらっしゃる予定だったのだが、到達できなかった模様。お二人の我が家の感想をまとめると、地味な音色だけど高解像度、低音は2Wayとしてはいいが、もっと伸ばしたいから3Wayを買うべし、といったところ。う〜ん、スピーカはまだまだ変えずに頑張らなくては。面白かったのが視聴位置についての意見で、GBさんは私が普段聴いている位置よりも30cmくらい前に出た方がいいとしきりに言われていた。私自身、前や後ろで聴いた結果、今の位置が一番素直な音だと思っているのだけど、GBさん曰く、前の方が楽しいとのこと。どうも詳しく聞いてみるとヴォーカルの出方に起因するようで、ヴォーカルをメインに聴かれるGBさんと、ヴォーカルにあんまりでしゃばってもらいたくない私とではむしろ意見が分かれる方が自然かも知れない。特に最近は空間の拡張に主眼を置いた調整をしてきているので、ヴォーカルが立つ中央の密度は決して高くはないだろう。というわけで、今度からヴォーカル重視の方には前に出て聴いてもらうとしよう…普段、自分が聴く位置じゃないから何一つ保証できないけど(苦笑)。ちなみに、前に出た方が中央が厚くなるのは逆説的なようであるが、最近の調整の過程からすると割と妥当な結果であったりする。それにはGBさん入魂の作であるところの音響調整板の関与が大きかったりして、最近になってようやく自分なりの方法論が出来てきたところ。

5月5日 その3
「海猿」も観た。(「タッチ」+"Top Gun")÷2+海上保安官…以上。趣向を変えたスポ根ものといった雰囲気が主体だけど、その趣向以外、何一つ目新しい要素は無いと断言してしまっていいように思う。どこを切ってもどっかで観たり聞いたりしたような話ばかり。猿以下の内容とすら言ってしまいたいほど。

5月5日 その2
"Collateral"を観た。展開がのっそりしていてやや間延び感が強い。何もしていないわけではなく、細かい心理描写があって、その積み重ねが最後まで続いているのではあるが、結論が割と大雑把なので積み重ねたありがたみがあまり感じられない。何より、話の展開がかなり早い段階で見えてしまうので、より一層展開の遅さにもどかしさを感じる。奇抜なようで通り一遍な形に収束してしまっているのはちょっと勿体無い気がする。

5月5日
これから某氏宅へお邪魔した後に返り討ちに遭う企画が待ち受けていたりするのだけれど、とりあえずさくっと1日の曲目解説を。その前に、今回の進行要領を説明。各人、1ターンの持ち時間30分でメイン視聴者を指定して曲をかける…これを計3ターンという流れ。そんなわけで私の1ターン目はフィルさんをご指名させていただいて、Dvorak、Berlioz、Tchaikovsky、Brahmsで畳み掛けてみた。Dvorakでは若かりし頃のBernsteinのいけいけどんどんな暴れぶりを堪能していただき、BerliozでMaazelのいけいけどんどんな変態ぶりを味わっていただき、FricsayのTchaikovskyで中盤をがっちりと固め、晩年のStokowskiの90歳を越えているとは信じがたいエネルギーで締めてみた。2ターン目はダークさんをご指名。ダークさんの1ターン目はまだ変化球が控え目だったので(笑)、ここも直球勝負で。若かりし頃のMaazelがBPO相手に奮闘するMendelssohnで勢いに乗り、Fricsayの脅威の立体感でお届けされるMozartで切り込み、Lortieの色彩感豊かなStravinskyで一息ついたところでSzellの海賊盤Eroicaで勝負に出る。最後のターンは前半にフィルさんをご指名させていただき、いきなりKuzminで悶絶していただいたところへWeissenbergの怒りの鉄拳のようなBachを突っ込み、とどめはMordkovitchの途中まで必死な様子が痛々しいくせに最後になってぶち切れてしまう脅威のShostakovich。最後のターン後半はダークさんを相手にPassacaglia一本で勝負に出てみた。…こうして改めて見直すと、聴いてた方は大変だったでしょうな(苦笑)。懲りずに第2回もアウェーで開催される模様なので、更に強烈なソフトを今から選定しておかなくては。

5月1日
本日はDejavuのフィルさんとダークさんをお迎えして、我が家でオフ会。ただし、今回の主役は我が家のシステムではなくて、各人の持ち込みソフト。フィルさんの決め台詞であるところの「クる」音楽を聴こうというのが本日の主旨。そんなわけで、いきなりだけど本日の私のメニュウ:
  1. Dvorak: Sym. No.9 - 3rd Mov.
    Bernstein / NYP (1962 / Sony Classical SMK 47547)
  2. Berlioz: Sym. Fantastique - 4th Mov.
    Maazel / The Cleveland O (1977 / Sony Classical SRCR 8502)
  3. Tchaikovsky: Sym. No.6 - 3rd Mov.
    Fricsay / RSO Berlin (1959 / Deutche Grammophon POCG-1957)
  4. Brahms: Sym. No.4 - 4th Mov.
    Stokowski / New Philharmonia O (1974 / BMG Classics 09026 62606 2)
  5. Mendelssohn: Sym. No.4 - 4th Mov.
    Maazel / BPO (1958? / Deutche Grammophon 413 150-2)
  6. Mozart: Sym. No.41 - 4th Mov.
    Fricsay / VSO (1961 / Deutche Grammophon UCCG-3427)
  7. Stravinsky: Petrushka - 1st Mov.
    Lortie (1988 / Chandos CHAN 8733)
  8. Beethoven: Sym. No.3 - 4th Mov.
    Szell / The Cleveland O (1967 / 'Fachmann fuer Klassicher Musik' Society FKMCDR-89)
  9. Rachmaninov=Horowitz: P. Son. No.2 - 1st Mov.
    Kuzmin (1993 / Russian Disc RD CD 10 025)
  10. J.S. Bach: Chromatic Fantasy & Fugue - Fugue
    Weissenberg (1966-67 / EMI Classics 7243 5 74144 2 5)
  11. Shostakovich: Vn. Con. No.1
    Mordkovitch, N. Jaervi / Scottish National O (1989 / Chandos CHAN 8820)
  12. Godowsky: Passacaglia
    De Waal (1991 / Hyperion CDA66496)
…ヘヴィだねぇ。60〜70年代が多いのは今回に限った話ではないのだけど、今日の主旨がそれに拍車をかけていることは疑いの余地無し。そして、偏ってるねぇ。…うちのCD棚の中身がそもそも偏ってるしな。そんなわけで私はある意味で直球一本勝負だったのだけど、ダークさんはかなりの変化球というか、殆ど魔球?みたいなソフトを繰り出していた。そんな二人に挟まれて一番大変だったのはフィルさんかも?そんなこんなで実に濃密な会となったわけで、個々のソフトの解説とかはまた明日以降。とりあえずはお二方とも、お疲れ様でございました〜。

4月29日
自転車で遊びに行ったついでに109 Cinemasで"Mask 2"を観てきた。lmstさんが述べているように映画館の音響環境は良好に感じた。lmstさんのときはどうだったのかは知らないが、私と奥さんが行ったときは観客が10人ちょっとしかいないような状況で、吸音人柱が極端に少なかったことによって中域以上の残響成分の落ち込みが抑えられていたことが好結果の一助となっていたように思う。肝心の映画だが、1作目よりは破天荒さが控え目で、家族愛の描写を主体とした結果、ちょっと薄っぺらな印象しか残らない。マスクの役割も何だか半端で、シンボル的な要素が弱い。別な形でそこかしこにその断片が仕込まれてはいるのだけど、その分インパクトは弱くならざるをえない。1作目は2流の道を全力で突っ走った、潔さみたいなものがあったように思うが、こちらは1流を目指してみようかなと思ったけど、やっぱ2流にしとこうか、みたいなどっちつかずな空気が観る方にもどう観ていいものかと思わせてしまっているようだ。

4月28日
というわけで、Fricsay 3連発。今日はRIAS SO BerlinとのVerdi: Requiem。正直なところ、あんまりこの曲に馴染みが無いというか、馴染みたい気分になれないというか、イタリアの葬式ってこんな雰囲気なのか?とか疑問に思ったりしないでもなかったりと、内容と表情の乖離にはいささかどころでなく違和感を覚えずにいられない。まあ、そんなことは割とどうでもよくて、内容以前に私にはやたらと声の主張が強いところがどうにも受け入れ難い。オケとか殆どおまけじゃないのか。そんなわけでオケが頑張ってるとこ以外はかなりどうでもいい気分なのだが、Dies Iraeは勿論だが、Tuba mirumまできりきり舞いしてみせる辺りには少々瞠目。しかし、その後はやっぱり歌が多くて、というかそういう曲だからしょうがないのだが、ぐったりしてしまう。CDなら最初の10分ちょっとで止めればいいが、演奏会だったりしたら大変だな。そりゃ、堂々と途中退場という手が無いでもないが。

4月27日
今日もFricsayでお届け。VSOとのMozart: Sym. No.29 & 41。VSOは大概もっさりした演奏で、ちょっと心配してみたりしてたのだが、蓋を開ければこの海も無い国のオケをよくぞここまで絞り込んだものだと感心。普段、ずれっぱなしで平気な顔をしているオケにありがちだが、揃ったときの音色のすかすかぶりはまあ仕方が無いか。それでも、その音色の骸骨ぶりを補って余りある音の驚異的な立体的構築感は実に素晴らしく、例えばJupiterの終楽章はそれほど速くは無いものの、立体感から来る聴感上の音数の多さが耳を少しも休ませてくれない。29番は私にとってあまり強い印象のある曲ではないのだけれど、というかそれ故というか、この曲を聴いて面白かったと思ったのは初めてかも知れない。

4月26日
Fricsay/RSO BerlinのTchaikovsky: Sym. No.6。学生の時分、先輩に「悲愴」を色々聴かせてもらった中にこの演奏もあって、その時は第3楽章だけ聴かせてもらったりしたのだが、第1楽章出だしから尋常ならざる雰囲気濃厚。沈痛とも言えるような異常な暗さで、優しげな部分に入ってもなお悲痛な薫りが漂う。合奏の異様な集中力が空気を一層厳しいものにしている。第2楽章も優しそうなふりして後ろのベースが何だか邪悪なオーラを放っていれば、振る人が振ればお調子者行進曲の様相を呈する第3楽章は決めるところは決め、若干金管が怪しい部分はあるものの、驚異的なテンポのうねりを終盤に用意してそのままの勢いで押し切ってしまう。濃い演奏だったなぁとぼんやり憶えていたが、なかなかどうして入魂の演奏で、ここまで真剣に弾かれたTchaikovskyって6番以外を入れてもちょっと思い付かない。Beethovenなんかもいい演奏ではあるけど、これほどの執念のような気迫にまでは至っていないように思う。当時聴かせてくれた先輩はFricsayなら何でも買うと豪語する猛者で、しかもCleveland Oも何でも買っていたはずだが、それはともかく、確かに素晴らしい指揮者であると思ったりした。

4月25日 その2
そんなわけで、引き続き足回り強化月間。プリアンプ篇をお届け。まずはBlack Metalをプリアンプに使用しているボールインシュレータ(D/Aコンバータに使用しているものと同じもの)のボールがBlack Metalの凹みにはまるように設置。ボールだけだとつるつるボード上で滑りがちなのが、受けをつけることによって滑りにくくなって、設置状態としてはより好ましい。問題は音なのであるが、これがどうにもよろしくない。プリアンプの方が筐体もしっかりしているし、D/Aコンバータよりは影響が少ないかと思いきや、全体的な音の寸止め感がかなり強く、ラックで使用していたときの副作用が最も特徴的に現れているようだ。続いて、j1 Projectのコーティング版。コーティングによって一般的なj1 Projectほど抑制的にならないという話だが、純然たるスパイクを受けているわけではないところが不利に働いているのか、それでもやっぱり開放感を大きく損なう印象が強い。そんなこんなでフロントエンドへの直接使用はほぼ全滅の様相。貧乏性な私としては、所有しているBlack Metalについてはせめてどこかで活用したいのだが、なかなか厳しそうだ。残る適用先は、トランスポートの電源部くらいか。

4月25日
少し前に観た、Dream TheaterのLive at BudokanのDVD 2枚目について。個人的に楽しかったのはPetrucciとRudessの「舞台裏」で、Petrucciの足元にはプリセット切り替え器が置いてあったり、足を乗せてる台は本当にそのためだけに作ったものだとか、素人気分丸出しで「へぇ〜」とか観てた。Rudessは回るキーボードの謎が解明。確かにペダルは2セットあるが、全く同じもので、どちらの方向に向いても踏めるように、ということらしい。回るのは「お客さんに顔を向けられるように」というだけの理由だけらしく、そのための台は特注なのだとか。弾きながら回すのも造作無くできるようになったと笑って言ってたが、そんなに頑張って回らなくても、という気も。さしあたって疑問が解消して、とりあえずすっきり。

4月24日
Monitor Check Discで画面の調整をし直してから観たのがSoltiのDVD…白黒だし。66年のSuedfunk-Sinfonieorchesterへの客演で、Wagner: Tannhaeuser Ov.とBerlioz: Marhce Hongroiseのリハーサルと本番が収録されている。リハーサルはまず流暢なドイツ語に驚いてみたりするが、考えてみたら彼のキャリアの前半は殆どドイツだったんだっけ。口調は非常に丁寧だが、要求はなかなか厳しく、決して一流とは言い難いオケを相手に3連符の処理をしつこく訂正したりしていた。とにかくリズムの処理についてうるさいのは、やはりという感じだが、弦楽器への注文が意外と細かかったりもした。その一方で指揮姿はどう見ても壊れた機械仕掛けの玩具のようで、一緒に観ていた奥さんが「生で見てたら笑っちゃうかも」とか言ってた。最初、漫然と弾いていたのがあっという間に(良し悪しは別に)Solti風味になっていくのはちょっと楽しい。リハーサルと本番でフレージングやテンポが微塵も変わらないだけでなく、振り方も殆ど一緒なのには少々驚いた。ただ壊れているわけではないようだ。

4月23日 その2
ラックのスパイク受けはひとまず確定したので、3つだけ送られてきたj1 Projectのコーティング版と外されたBlack MetalをD/Aコンバータに試してみることに。まずはBlack Metalから。なお、どちらもNAOK氏作のM8ボールインシュレータのボール部を受ける格好で使用している。ラックに使っていたときもその閉塞感が気になって仕方が無かったBlack Metalであるが、D/Aコンバータに使用した場合にはその傾向が一層顕著で、さくっと音の伸びが消失する。中高域の辺りが強くなって全体的なバランスも崩れ、もっと落ち着いて聴けば長所も見えてくるのかも知れないが、問答無用で不採用。続いて、j1。j1も過剰ダンプの傾向が出ることがあって、我が家では最終的に機器には全部使っていた状態から今では一つも使っていないという状況になっている。コーティング版はその傾向が抑えられているという話だったが、ボールインシュレータとの相性もあるのか、一聴してやはり音が伸びず、詰まったような印象を受けてしまい、結局不採用に。次回はプリアンプで試してみるとしよう。

4月23日
CDとDVDがぱらぱらと届く。CDはFricsay/VSOのMozart: Sym. Nos.29 & 41、Welser-Moest/Gustav Mahler JugendorchesterのBruckner: Sym. No.8、Welser-Moest/LPOのStravinsky: The Firebird。DVDはSolti/Suedfunk-SinfonieorchesterのWagner: Tannhaeuser Ov.とBerlioz: Marhce Hongroise、それにDVD Monitor Check Disc。Fricsayはとりあえず買ってみている。Jupiterは好きだし。VSOというのがちょっとひっかからないでもないが。Welser-MoestのBrucknerは5番が面白かったので期待だが、オケがどうなのか。火の鳥はどこまでやりたいように出来ているのか。Soltiの映像はオペラ以外だと、意外と選択肢が少なかったりする。CSOとのもの、それも出来れば70年代の映像を観てみたい。Check Discは調整用。映像はどうもどうあるべきなのかよく分からないところがあるので、物差し頼りに。

4月20日 その2
ゲームは既にクリアした「半熟英雄 対 3D」のサウンドトラック。で書いているように、作曲は植松伸夫なのだが、剣と魔法な世界のFinal Fantasyに比べたら無法地帯に等しいためか、結構やりたいように楽しんでやってるようなところがあって、Final Fantasy IXあたりでちょろりと出ていた要素がこちらではフル回転してたりする。そういう意味でFFの延長で考えてしまうとかなり的を外してしまうけど、個人的には納得な内容。どうしようもないゲームだが、音楽はよく作り込んである。

4月20日
というわけで、足回り強化月間継続中。届いたのはAETのスパイク受けTI3515とJ1 ProjectのBA35HBDLCなのだが、後者は3つなのでラックには使用できず。そんなわけで、半自動的に次に試用するのはAETに決定。よっこらしょとlin linのものから交換してみた。さくっと聴いた感触では、俄然解像度上昇で、高域がきんきんする寸前のぎりぎりなバランスが絶妙で、それでいて音が痩せないのには感心。低域もずばんと出て、予想外にはまった。ラックのスパイク受けはこれでほぼ確定。J1やBlack Metalを機器の下に試してみるとしよう。

4月19日
そんなこんなでlin linのスパイク受けを試用してきてみたが、とりあえずの結論として、Black Metal以外のものに変更することだけは確定した。Black Metalの導入当初に感じられたシャープで締まりのよい利点が、今となっては当時ほどのご利益をもたらしていないようであった。端的に言うなら、骨と皮のみで肉が殆ど無いガリー痩せな音。色彩感に乏しく、ダイナミック・レンジが狭く、散々使ってきておいて言うのもどうかと思うが、小賢しさ満点。Black Metalを機器に直接使用すると効き過ぎるとはよく言われるところだが、我が家の場合はラックでも副作用が強く出てしまうようだ。その理由一つには、ラックと言っても3段重ねたその一番下ということで、全フロントエンドに影響を及ぼす位置にあることが挙げられ、もう一つには導入時から機器の構成も大分変わってしまったため、当時とは影響の出方が変化したということが挙げられる。では、lin linで確定かというと、これはこれでそれなりに癖があり、中域から上はエネルギー感を持たせながらもうるさ過ぎず、たまに少しのぺっとしたところが気に入らない以外は概ね良好。低域も量感もりもりだが、いささかもりもりの度合いが過ぎるように感じられ、一言で言うなら脹らんで聴こえる。このもっちりとした低音が有効に働く場合も無いでは無いのだが、それ以外のケースにおいては詰まるところ少々だらしない低音になってしまっており、この辺はちょっと受け入れがたい。SR Compositesとの見た目のマッチングは殆ど最高と言っていいほどなだけに、ちょっと残念。しかし、これによって何らかの対策が必要であることが判明したのは何よりの収穫か。…などとやっているところへ、某m氏からお荷物が。

4月18日
CDが届いた。「半熟英雄 対 3D オリジナル・サウンドトラック」、Fricsay/RSOBのTchaikovsky: Sym. No.6、Fricsay/RIAS SO BerlinのMussorgsky: A Night on the Bare Mountain他とVerdi: Requiem。「半熟英雄」は作曲がFFでおなじみの植松伸夫で、内容の脱力感とは裏腹に割としっかり作ってあったりして、何となく買ってしまった。それ以外の3枚がFricsayという組み合わせもどうなのかという気がしないでもないが。Fricsayはとりあえず、普通に手に入るものは全部聴いてみようかという気分。

4月17日
"Cat Woman"を観た。Batmanは出てこなかった。大体、Batman自体をよく憶えていないので、どういう関わり方をしたのかも知らなかったりするので、その辺はまあ、どうでもよかったり。アクションは何だかSpidermanっぽいなぁとか思うところもあり、早回しの多用はあまりいい方向に働いていないようにも思える。最近の流行りなのか、やっぱり悩めるヒーローというか、ヒロインで、自分が抱える矛盾を解消していく過程が軸になっているのだけど、そういう意味ではアクションが多い分だけそういった部分の掘り下げが不足しがちになっているようでもあり、その分が話しの筋書きにしわ寄せとなっているのか、話の展開は単純明快で誰が観ても迷子になることはなさそう。総じて、Cat Womanという素材じゃなければいけなかった説得力に満ちた部分が少なく、何となくアクション映画にしてみたという中途半端な雰囲気がもう一つ充足感をもたらしてくれない。

4月16日
思うところがあって、自転車を買いに行ったついでにオーディオ屋さんに立ち寄る。ラックのスパイク受けに使用しているBlack Metalに替わるものを物色しに行ったのだが、「試してみて」ということでlin linのステンレス製スパイク受けをお借りしてきた。そこそこの厚みと重量があって、SR Compositesのラックとの見た目の相性もよさそう。そんなわけで、ラックのスパイク受けを交換したわけだが、気をつけないと指とか床とかが致命傷を負ってしまう。ラック上のブツの総重量は60kg以上あるし。スピーカ間が広がったことにより、ラックの配置ももう少しヴァリエーションを持たせられないこともなく、その辺りは折を見て検討してみたい。

4月15日
Welser-Moest/LPOのMendelsshon: Sym. 3 & 4。先日のBrucknerがなかなか挑戦的で楽しかったので、少々期待してしまうところ。が、こちらはいたって普通。比較的ゆったりとしたテンポで端正な印象をたま〜に崩すところがあるものの、総じて意欲的とは言い難い。Mendelssohn相手ではやる気が起きないのか?4番ならMaazel/BPO辺りがやる気になりすぎちゃってる感じがなかなか面白い。端正という点ならDohnanyi/COがある。

4月12日
NAOKさん作のDCケーブルは未だにP-0sのInput1と2にどちらを使うか彷徨い中。Input 2に太い方を挿すと中低域を軸にそこから上の帯域全体の表現が極端に濃厚で、ここしばらく何とかその濃さを生かそうと尽力してきたものの、軸となっている中低域にどう頑張っても引っ張られてしまい、ひいては音の抜けに影響する格好で、印象として高音が伸びないように感じられてしまう。そんなわけで、昨日からInput 1に太い方を挿してみているが、こちらは軸になる帯域が二段くらい下がった印象で、そこまで下がると高域への影響はむしろ減少するのか、全体的にすきっとするが、これはこれで少々細身過ぎるきらいが無くもない。この辺のバランスが決まると、一つ突き抜けるような気がするのだが…。

4月11日
少し前にスピーカのセッティングを変更した。具体的にはこんな感じなのだが、一番の変更点はスピーカ間の距離で、これまで2.0m前後でいじってきたのを思い切って約2.4mとしたこと。我が家のEclipse Classicでは最も離れたセッティングになった。奥の壁からも1.1mと、以前より10cm程前に出る格好になっていて、実際の変更の手順としては後者が先になっている。ここのところ、YUさんとフィルさんという猛者のお宅を訪問する機会に恵まれ、私なりに感じ入るところがあって、我が家における空間表現を何とかしたいというのが事の発端。で、とりあえずは壁から離してみようということになったのだが、ところがどっこい、空間表現は微塵も改善されず、低域がすかすかになった貧相サウンドに転落。安易なセッティング変更が予想外にひどい結果に終わったため、意を決して左右の壁からも離してみよう…と思う前に、一度壁にむしろ近付けてみようと思い立った。勿論、すかすかになってしまった低域の復活という目論見があってのことであるが、その一方では頭の中で、上記2人の猛者のセッティングと空間表現の在り方がプレイバックされていた。壁に近い=空間表現×、ではないし、壁から離すことが即広大無限な空間を約束するわけでもないことは自分で以前から試して理解しているつもりだ。壁に近付けることによる弊害も同時に理解しているつもりだが、以前よりもその対策のための選択肢が備わっていて、その最右翼が某氏入魂の作であるところの音響調整板であるのは(一部の人には)言うまでも無い。実際問題、殆どそのまんまの状態でスピーカだけ壁に近づけた音はとても空間がどうのと言えたものではなく、呆れるくらい見事に鳴き分かれし、すぐにスピーカを移動しようかとも思ったが、少し内振りを強め、音響調整板を壁に対して平行にし、前後位置を微調整することで、左右がようやく繋がり、それとともに左右もさっと拡がるように。やっとこさ、眼前一杯のもう一歩先の足元が見えてきた雰囲気。少し頭の中で現状の情報を整理しながら、次の方針を考えるつもり。一度思いつくと割とてきぱき動くのだが、思いつかないうちは微塵も動かない。私も、スピーカも。

4月10日 その2
Welser-Moest/LPOのBruckner: Sym. No.5を聴いてみる。この曲をCD一枚に収めてしまえている時点で妙な期待をしてしまう。まず始めに断っておくと、私は熱心なBrucknerの聴き手ではないし、世間一般で名盤と呼ばれている多くのBruckner演奏はかなり受け付けがたいものを感じる。極端な言い方をすれば、大して意味の無いところから強引に意味を後付したような、やたらと押し付けがましい講釈じみた演奏や評に割とぐったりしてしまう。そもそも、そんな意味づけがどうこうとかいった聴き方をあまりしたい性分ではないので、そういう演奏に共感しろというのが無理難題であるという話もある。ともかく、そういう私にとってはこの演奏はなかなか楽しいものだった。先に述べたようなBruckner信仰的な解釈に絡めとられていない演奏として、例えばDohnanyi/COのような演奏が挙げられるが、この人の演奏はある意味で曲を感じさせない。どれを聴いても実にエレガントの極みで、限りなく純粋な美しさの追求がそこにあり、言ってしまえば作曲家がどうしたのどうしたいのといったことは無粋であって、介在する余地を与えられない。それを好むかどうかは別の問題であるとしても。曲の背景やら思想やらを突っ込まないという点においてはSolti/CSOも挙げられ、楽譜そのまんまを「どうだ、凄いだろう」とひけらかす辺り、これまた好き嫌いの分かれるところだろう。Welser-Moestの演奏はこれらの演奏に近いところにあると言えるが、私には更に別な一歩を踏み込んでいるように思える。当然のように全体的に早足であり、緩徐楽章におけるBrucknerが森を思索〜云々といったイメージを微塵も想起させない、世間におけるBruckner像がこの演奏において無視されていることを公然と示す男気溢れる解釈に私なんかはちょっとした感動を禁じえない。終楽章においてそのような雰囲気は一層毒気を増し、最後の盛り上がりに至っては「これが、ありがたいBrucknerだ、文句あっか?!」みたいに挑発的で、しかも実はライヴだったというおまけ付き。今日、微妙な神格化をされてしまっているBrucknerにおいて、野蛮という言葉に極めて近い演奏であり、しかもそれをそこいらの弱小オケではなく、一応の名門であるLPOでやってしまうこの指揮者はなかなか素晴らしい。今、Clevelandがどうなっているのか、非常に楽しみだ。

4月10日
プロジェクタの続き。そんなこんなで導入するにあたって、なかなかどうして様々な障壁があったりするのであるが、それでもなお導入できたと強引に仮定してみたところで、システムとしての位置付けという点において疑問が残る。リヴィングのメイン・システムは2ch、寝室は一応の4chであり、画面はでかいが音はステレオ、画面は小さいが音はサラウンドという2つの環境の微妙な関係が出来上がる。要するにどちらに転んでも何だか半端であり、かといってリヴィングでサラウンドをやろうものなら、ただでさえぎりぎりな状態のリヴィング・ルームとしての機能が完全無欠に破綻するし、一方で寝室にプロジェクタというのも大仰過ぎるというか、もはやそんな状態では眠れない。そんなわけで、一瞬燃え上がりかけたプロジェクタ熱は現実という分厚い壁によって鎮火傾向に。もっとも、映像に足を突っ込んでいる暇があったら、オーディオをもっと何とかせねばならないという時点でそんな余裕なんてそもそもからっきし無かったりするし。二兎を追うもの…とか何とか。

4月9日
"Devil Man"を観た。先に結論から言うと、力一杯駄作。まず、主役の男二人があらん限りに下手くそで、昨今ではむしろ貴重なくらいの棒読み状態。話の筋も、映画という枠に原作の雰囲気を強引に収めた上で妙なメッセージ性を盛り込もうとした結果、ものの見事に破綻しまくり、先の殆どでたらめと言っていい配役も相俟って、ことごとく茶番に見えてならない。そういえば、「きいちご賞」取ってたんだっけ。観た後に思い出した。制作の段階で、疑問を持つ人間はいなかったのか?こんなもの、公開したらあかんだろ。先日の"Casshern"といい、日本の映画界に何やら重大な問題が発生しているんじゃないかとすら思ってしまう。

4月8日 その2
百歩譲って、設置は何とかなったとしてみよう。プロジェクタだけでは映像ソフトは映せない。映すためには映像ソフトを再生するための装置が必要であり、その装置をプロジェクタに接続する手段が必要である。更には、画だけ観られても仕方が無いわけで、オーディオとの接続手段も併せて考慮することで初めてシステムとしての形を成す。上記の順で考えていくとする。まずは装置。現在の映像ソフトの基本フォーマットであるDVDを再生可能な我が家に現存する装置としてはPS2が挙げられるが、既に寝室において稼動中であるシステムの必要要素であることから、これは却下。他には…と我が家を見回してみれば、今、まさに私がこの更新を行っているPCがある。勿論、新規にDVDプレーヤを導入するという道もある。が、しかし、たまに引っ張り出して観る程度のもののためのプレーヤを常設するというの珍妙な話であり、現状ではCDに全力投球中の我が家メイン・システムにおいてDVDに注ぐ余力のあるわけがない。そもそも、ラックは一杯だし、計画中のシステム拡張の方向によっては更に設置空間の余裕が欠如する可能性が示唆されている。そんなこんなで、現実的な解を求めるなら、ここはやはり、PCからの出力というのが順当な選択ではないかと思われる。接続はまあ、何とかするとして…実際にはディスプレイ用にDVI端子が占拠されているので、ちと考えないといけないところがないではないのだが、最大のハードルはオーディオとの接続である。PCからアナログで出力するなんて当然の如く論外であり、ましてや出力端子がステレオのミニ・プラグである時点でとてもじゃないけど勘弁して欲しい。となると、やはりデジタルで出力するわけで、そうなるとDACとの接続方法を検討しなくてはならない。DA924には光入力が無く、RCA同軸が1系列、AES/EBUが2系列ある。PCからのデジタル出力を直接同軸で出すのか、光を同軸に変換するのかといった選択肢はあるものの、基本的にDACへの入力は同軸が前提となろう。CDを聴く場合においてDACにPCが繋がっているのはあまりよろしい気分になれないことから、着脱が容易であることが望ましいという点も同軸を後押しし、特にコレット・チャックであることが個人的に好ましい。AES/EBU出力できちゃうようなサウンド・ボードの取り付けという選択肢も無いではないが、そこまで頑張ろうという気になればそもそもDVDプレーヤを買ってるんじゃないかという説もあり。そんなわけでRCA同軸での接続が有望視されるわけだが、現状ではDA924のRCA同軸端子にはP-0sからのデジタル・ケーブルが接続されていて、RCA同軸入力には空きが無い状態である。元を質せばP-0s導入以前にCDトランスポートとして使用していたVRDS-25xのデジタル出力にRCA同軸と光しか無かったことに起因するものであり、いずれはAES/EBUの上位ケーブルへの買い替えも計画しているものの、とりあえず今は空いていない。従って、現時点においてはオーディオとの接続手段が閉ざされた状態であり、計画中のデジタル・ケーブルの買い替えが実行に移されない限り、その状況は不変であるのだが、計画には色々と順番があり、さしあたって今すぐデジタル・ケーブルまで計画が進捗するということが考えにくいという背景があったりする。そんなわけで、接続という段階においてこれまた大きな障壁にぶち当たる羽目になるのであった。

4月8日
いきなり私信。発注かけました>某氏(謎)。本日は少々趣向を変えて映像の話なぞ。小学校・中学の時分にお絵描きにはまったり、視覚的刺激に対する感受性と完全に無縁であったわけでもなく、絵画史みたいなのもほんの表面だけ撫でたことがあるような気がしないでもないが、高校あたりからテニス一筋人生に突入してしまったり、大学で超絶音楽マニアな先輩の薫陶を受けたり、勝手にオーディオにのめり込んだりしているうちに、かつて耕された視覚的センスという畑は今や荒れ放題の雑草生えまくりとなり、今後、顧みられることのない閉ざされた荒地と化してしまっていた。そんなわけで、力の限り映像に興味の湧かない輩に成り下がっているわけであるが、それをもってしても先日のフィルさん宅で観た映像は「ほほほぅ」と唸らせるものがあり、にわかにプロジェクタを導入してみたい衝動がうずき出した。しかしながら、現実を改めて直視すると、さくっと導入というわけにもいきそうにない。プロジェクタには当然、投影するためのスクリーンが必要だし、投影するにあたってはある程度の距離が必要にもなる。従って、物理的な空間の広さを考慮すると、プロジェクタを設置する部屋としてはリヴィングが妥当となる。まあ、スクリーンは何とか取り付けるとして、プロジェクタをどう設置するか。もとより映像に滅法興味があるという性分からはかなり遠いため、日常茶飯事的にプロジェクタを常用する状態は想定しづらい。従って、使うときだけ引っ張り出すスタイルが基本となろう。となると、引っ張り出さないときはどこへ収納するのか、そして引っ張り出すとして、どこへ引っ張り出すのかという、BeforeにもAfterにも問題が噴出する。収納はまあ、何とかなるとして、だ。設置場所を考える前にまず視聴状態を想定したい。スクリーンをスピーカの間に設置するとして、視聴位置は通常のリスニング・ポイントに通常と同様にソファに座って、という格好になるだろう。となると、ソファより前にプロジェクタを設置することは投影距離が稼げない問題に加え、単刀直入に言って邪魔である。となれば、ソファ前方以外となると、真っ先に挙がるのがソファの後方。ソファやその上に座るHomo sapiensの頭部を越えた位置より投影することが不可欠であることから、相応な高さの置き台を用意しなければならない。そのような置き台の存在はプロジェクタ自体の収納ですら、「まあ、何とか」などと述べているような環境下において追い討ちをかけるかの如く邪魔でしかない。最近はレンズ・シフト搭載モデルの登場により必ずしもスクリーン正面の設置が義務付けられるわけではないことから、例えばソファの3時方向に位置する食卓の上の設置というオプションもあるにはある。そうなると、プロジェクタの選定に著しく制約が加わるわけで、それはそれで何だか妙に息苦しい。そんなこんなで、設置することを考えた段階でなかなかどうして前途多難っぷり満天である。

4月7日
現在、某オーディオ・メーカーとメールでやり取りしてたりする。守秘義務(?)があるため、内容の開示はもう少し先になりそうだけど。それはともかく、今、最もエキサイティングなピアニストと言った人がいるとかいないとかいう噂のArnold Cohen。BISから出ているLisztのCDは例えばRhapsodie espagnoleにおける思い詰めたような弾き出しから軽くがつんとやってくる辺り、エキサイティングな展開を期待させるし、ゆっくり暗ーく弾いてたかと思うとくるっと表情を変えて明るいリズムでお届けしたり、前半だけでなかなか忙しい。しかし、聴き所はやはり後半。じゃんじゃか盛り上がって、さあ来るぞ、という期待に胸を膨らませる…が、その後がどうも芳しくない。すっごい頑張っている雰囲気は伝わるのだが、リズムとかなかなかばらんばらんになってるし、指がついていけてないところも。ぎりぎり一杯よりも一歩先に行ってしまって自爆か?こうなると途中でちょろりと遅くなるのも何だかひよってるみたいに聴こえてしまうし、最後、堂々と締めてみせられても、う〜ん。そんなわけで、期待を割と大きく裏切られてしまった後ではSonataも何だか空しく響く。録音はよいと思うが、だからどうしたというところか。

4月3日
"Hell Boy"を観た。主人公が赤い顔の悩めるヒーローで原作がアメコミという辺りはSpidermanと共通するものがあるが、性格は悪者風で、コンプレックスありという複雑そうで割とよくありそうな組み合わせ。それ故、一応もっともらしい終わり方をしてみせるものの、その辺は何だかどうでもいい気分。観るべきはぽいぽいと繰り出される絶妙な笑いどころで、アクションにしてもCGにしても今日においてはべらぼうに凄いと驚くという感じにはならない。Hell Boyはそれなりに怪力だったりするのだが、基本的に銃火器の類の使用が前提となっている辺りはアメリカっぽい雰囲気であるかも。お手軽に楽しむという観点からはまあいいんじゃないだろうか。

4月2日
本日はAvalon友の会の新メンバー加入歓迎飲み会。基本的にAvalon友の会はメンバーの紹介により新規会員の受け入れを行う、SNS的な友達の輪風な展開で発展中。本日の参加者は15人だったので、全部で20人くらい?今回の参加者のうち、Avalon所有者が半数程度という辺り、純潔を重んじる集団ではないことが示されているというか、毎回の飲み会の様相を知る者にすれば純潔も何も…という気がするのは気のせいか。私は6時から参加させていただいたが、既にその時点でかなりいい感じに盛り上がっていて、しかも料理が次々と運び込まれていたり。早速、片っ端から料理を片付けつつ、lmstさんからプレゼントをいただいたり。…持ってくる方も持ってくる方だが、被る方も被る方だ。8時に本日の主賓登場で更にヒートアップ。散財情報が飛び交う中、飲みまくり食べまくりで何だかんだで終電間際までトップスピードで盛り上がりまくり。Avalonてか、ヴァカロン?…とうちの奥さんが言ってました(苦笑)。また次回もよろしくです>皆様。

4月1日
突然ですが、スピーカを買い替えました。…このくらいじゃばればれか。April Fool's Dayにちなんでもっと洒落たことの一つも書ければいいのだけど、まあ、慣れないことはするもんじゃあない。そんなわけで、フィルさん宅の訪問記だが、今回はオーディオ篇に続いて映像篇。以前、かくれさん宅をmuimuiさんらと訪問させていただいたときに超弩級の映像を拝見したのだが、いかんせん当時は映像のえの字ほども映像に関心が無かったりしたので、今、思えば少々勿体無いくらいにぽけーっと見ていた。当時は映画も殆ど観てなかったし、ゲームもやってなかったし。今回はそれほど熱心に画を観ている視聴者では無いながら、画を観る機会がそれなりに増え、かつ画の出るソフトであるDVDもちょろちょろと買い始めたところで、少なくとも画をある程度の積極性をもって観ようという意識があった、という条件下においては初の映像付きOFF会であった。3管プロジェクタというのを改めて目の前にすると、やはりそのサイズに圧倒される。画を出すだけの機械のくせに、何でこんなにでかいのか。更に、電源投入後はそのファン音にも圧倒されてみたり。画を観させていただきつつ、調整の様子も見せてもらった。ソフトの状態に応じてちょいちょいっと調整されてたりしたのだが、漫然と観ているせいか、何を気にされてどこを調整されたんだかさっぱり…視覚的感度低すぎ>自分。それでも、初めてまじまじと観る3管の画はやっぱりというかさすがというか、普通に綺麗で、手触り感というか、滑らかさというか、漂っている品格が違う。奥行き感の説明とかもしていただいて、なるほどなるほどと納得してみたり。このシステムで観る映像はどんなものかしらん、と持ってきたDream TheaterのLive at BudokanのDVDだが、はっきり言って細かいとことかもうどうでもよくって、とにかく楽しく観てた。でかくて綺麗でじゃんじゃんばりばり楽しそうに弾いてりゃ、そら観てる方だって楽しくなるわな。もう一枚、DVDを持っていったのだが、こちらは秘密。持っていった本人が一番大受けしてりゃ世話無い。人様の家で、この素晴らしい映像で、こんなものを…というシチュエーションも含めてもうツボを刺激しまくられた。馬鹿で申し訳ない>フィルさん。そんなこんなで盛り沢山のOFF会も最後は中華屋さんでのお食事で締め。フィルさんの秘めたる想いを聞かせてもらったり、lmstさんの更なる爆走っぷりに感激しつつ、ぱくぱく食べる料理も旨く、大満足の一日だった。また遊んで下さいまし>お二方。

3月31日
某氏からブツが届いた。でも、使い方が分からない(汗)。ひょっとしたら我が家では使えなかったりするのかもしれない(泣)。ブツの性格的には大リーグ要請ギプス風な使い方をするもののようだと思うのだけど…。というわけで、本日もカタルシス感満天でフィルさん宅の訪問記の続きをお届け。カタルシスっていうか、文章がカタストロフィというか。そんなこんなで聴かせていただいた印象を全体的かつ総合的に要約すると、まず適度な温度感と響きの溶け合いが印象に残る。Bow TechnologiesのZZ-EightというCDプレーヤは現在にあっては必ずしも情報量に長けたプレーヤとは言い難い面があるはずで、そういう意味では絶対的な情報量としてはびっくりする程覆多いというわけではない。だが、そこで不足感を生じさせず、むしろうまく音を選んで聴かせ所をフルサービスで運んでくれる、そんな痒いところに手が届くような描き分けの上手さがあって、勿論、それはフィルさんの常日頃からの調整の成果であるのだろうけど、その結果、解像度ばりばりな前段機器の必要性を感じない、ある種の完成された世界が結実しているように思えた。確かに、お部屋はお世辞にも広いとは言えない。当然、音場の絶対的な拡がりもそれに準じたものになるし、無論、準じている中で最高水準ではある。しかし、聴き手が感じる相対的、あるいは視覚的拡がりは絶対的拡がりとはあまり相関が無いように最近、感じている。私の感覚としては前方視野一杯に拡がることが第一であって、例え左右10mに渡って展開されようと、それが20m先で起こった場合には「拡がっている」という認識はされないと思う。逆に、極端な話、自分の50cm先で1m拡がれば、感覚的に目一杯と捉えるだろう。左右の絶対的広さに限度がある場合、自分が近付くことによって達成可能という観点から、昨今流行しているかも知れない部屋の長辺側にスピーカを置く配置に対しては私は一定の共感を覚える。現実には短辺側に置いていて、それには付随する事情があるのだけれども。そんなわけですっかり話が脱線し放題になってしまったが、つまるところフィルさん宅において音場の拡がりは私にとって十分な拡がりを感じうるものであったということで、付け加えるならその拡がり以上に音像間を繋ぐ空気の一体感こそがフィルさんの音の真骨頂であるようにも思った。サブウーファもさりげなく、でもしっかりと威力を発揮させており、帯域間の繋がりも違和感無いものだった。強いて挙げるなら、サブウーファが左スピーカの隣に設置されているため、右側から発生した低音の床を伝ってくる振動が左からやってくるのが両足を床につけていると分かって、ちょっと不思議な感じがしたくらいか。まあ、あれこれ書いてはいるものの、白状するとRUSHを聴き始めた辺りから分析的な聴き方はかなり放棄してたりする。細かいことを考えるより、まずその場の音を楽しみたい、感じたい、そういう方向に意識を持っていかれる、購い難い一種魔性の魅力を放つ音だったのだ。

3月30日
そんなわけで、フィルさん宅の訪問記の続き。クラシックは一昨日書いた2枚で実は終わりで、後は全部ロック。普段の試聴では比率が逆の場合が多いのだけど、今回は何となくこうなった。ロックの中からまず聴かせていただいたのはRUSHの"Hold Your Fire"からLock and Key。サイバーで幻想的な響きが透明感のあるヴォーカルとシャープに交錯するのが何とも気持ちいいのだが、フィルさん宅では3人が繰り出す響き同士がぶつかり合ったりすれ違ったりせず、不思議な一体感を醸し出す。音の傾向は異なるものの、以前、Sonus FaberのCremonaを聴いたときの感触に通じるものがあって、スタジオで録ってるはずなのに、3人がしっかり同じステージで演奏しているようなそんな感覚。人肌的な温度感も貢献しているものと思われる。逆に、次に聴かせていただいたLiquid Tension ExperimentのAcid Rainではがつんと来る感じが控え目で若干大人しめに流れてしまうあたりはさすがに仕方の無いところか。SinergyのSuicide By My Sideはヴォーカルとバックのバンドとの絡み具合や2人のギターの音色の描き分けにより、鮮烈さはほどほどながら響きの深みや多彩さに心惹かれる。最後は半ばいじわるのつもりで(笑)持っていったIn FlamesのMinus。じゃんじゃんばりばりの低音とはならないものの、それでも混濁する寸前で踏み止まって鳴らし分けるあたり、Stella Novusの威力を感じさせるし、その背景にはフィルさんの調整にかける努力が映るようでもあった。

3月29日
lmstさんに加えて、今回はtogamiさんも交えて、時間差もついたりしながら三つ巴の様相を呈しつつあると大評判のフィルさん宅訪問記。今回は普通の長さで、とか言いながら既に長期化の雰囲気満天だが、それはともかく、久し振りに資料室に更新投稿。一番最初に投稿をいただいたkoyamaさんから。というか、システム変わりすぎですよ(笑)。殆ど一新に近い。ケーブルとか何かおかしいことになってるし。投稿に気力がどうこうとか書いてありましたが、これ以上あったらちょっと問題じゃないのかとか。衝撃的な更新投稿のため、訪問記の続きはまた明日以降ということで。

3月28日 その2
今回は先日のYUさん宅訪問時よりも新しい録音のクラシックも持っていこうと心に決めていた。しかし、いざ選ぶとなると適当なものが出てこず、困り果てる羽目になったりしたのだが、ようやく思い付いたのがHough、Oramo/CBSOのSaint-Saens: P. Con. No.2。Hyperionの2000年録音でエンジニアはFaulkner…これで悪いはずがない。演奏は私が把握している限りでは史上最速だし、オケはともかく、ピアノに関して大きな不満点が発生しようはずが無い。録音も第1楽章のとても協奏曲の録音とは思えぬピアノのスケール感に、疾走するピアノの周囲にオーケストラが展開する様を前後左右に緊密な空気感で捉えた終楽章と、試聴用として申し分無い。そんなわけでまずは第1楽章の出だしのピアノを聴かせていただいたが、ここはまさにStella Novusの面目躍如。両脇にあるのがブックシェルフ型スピーカとはとても思えぬ、雄大なピアノの響きが取ってつけたようになることなく、自然な深みを以って沈み、拡がるのは圧巻。ピアノのフレーム感よりもピアノからリリースされた音の拡散を聴くような感じで、勿論、前者をより好ましく思い、求める向きもあるだろうし、私自身はどちらかと言えばそういう立場であるけれども、だからといって好みの問題で文句をつけられるような音ではなく、文句を言わせない品位がそこにはあった。

3月28日
lmstさんの要請で、昨日からその日の最初の日記にアンカーを入れてみている。使って下さい>lmstさん。…自分で使わないという落ちはどうなのか。それはさておき、フィルさん宅の訪問記をさくさく書かねば。私がまず聴かせて頂いたのは、Kremerらによる現代系の曲(Vasks?)。左右の壁を意識させない拡がりの中、Kremerのヴァイオリンのシャープさが光る。シャープと言ってもぎんぎんぎらぎらという訳ではないのだが、何となく想像していたフィルさんの音よりもシャープで、初めての訪問なので当たり前と言えば当たり前だが、不思議な新鮮さを感じた。ヴォーカルものなんかも聴かせてもらってから聴かせていただいたのはRubinstein、Rodzinski/NYPのTchaikovsky: P. Con. No.1。すぐに同じディスクのHorowitz、Szell/NYPをリクエストしてしまったけど。これはダークさんに薦められたのだとか。うーん、いい趣味してますねぇ(←誉めてることになるんだろうか?)。そんなこんなでわいわいやっているうちに時間は着々と過ぎ、lmstさんの前半戦(これだけで私の持参ディスク数を遥かに上回ってるんだが)終了後、まずはFricsay/BPOのBeethoven: Sym. No.7の終楽章を聴かせていただく。1960年の録音だが、Furtwaenglerみたいな狂った人気のある指揮者ではないため、テープの保存状態がむしろ良いようで、古いなりに鮮烈な音を聴かせ、それがこの時期のFricsayの身がよじれるような緊迫感とハンガリー人特有といってもいい、立体的音響構築も相俟って、ちょっとした狂気のような演奏がなかなかお腹一杯にさせてくれる。フィルさんのシステムから放たれたその音は、がつがつとした暴れぶりが前面に出ることなく、狂気を伝えながらもそれらが全体の中で一つの調和にあるかのような、不思議な空気の一体感をもたらしていた。内声部が張り出してくるようなところも、これみよがしではないけれど、でも主張はしっかりする。表現が抽象的で大変申し訳ないのだが、しかし、この音を的確かつ十分に表現しうるだけの語彙が私にはちょっと無いらしい。

3月27日 その5
フィルさんの音は…の前に、我が家で重大事件発生。トランスポートからCDを取り出すときにふと何気なくSR Compositesのラックの足に触れてみたら、するするっと回るじゃないか!…ネジが緩んでる?こんなぶっといネジが緩むような大音量による振動は与えていないはずなので、振動で緩んでくるというのはさすがに違うだろう。よくよく考えれば、乗ってるP-0sの本体は実に30kg。以前使用していたVRDS-25xよりも更に10kg以上重いわけで、その加重によってラックの足に仕込んであるOリングが潰れた結果、ボードと足の上部の間に隙間が発生して見掛け上緩んだようになったというのが理論的かつ論理的かつ当然で当たり前な結論であると言えよう。…すぐ思い付け。それはさておき、重要なのは緩んだ理由なんかじゃなくて、緩んだという現象がもたらす音響上の変化であって、要するに締めたら音が変わるんじゃないかということだ。くくっとネジを締めたところ(識者によると締め過ぎもまたよくないらしい)、これがもう激変というか、今までごめんなさいというか、Esotericさんすいませんというか、これまでのことは無かったことにというか。P-0s、その実力の5割も発揮できてなかった可能性濃厚。リジッド万歳のトランスポートをネジの緩んだラックに乗せてたんじゃ本末転倒というか、無意味この上ないというか。きっと、悪者にされて家出して現在はlmstさん宅を仮の住まいとしているWireWorldのEclipse III+も今ならもっとましかも知れない。…戻す気ゼロだけど。「日本人的音」とか勝手に断罪されちゃったAETのUR DGも今ならまともに鳴るかも知れない。…もう返すけど。ここのところ、「この腑抜けた音はもうちょっと何とかならんのか?」とか思ってあれこれやってたが、すいません、私が一番腑抜けでした。音が腑抜けだったのも、最近ダーツでよく負けるのも、仕事がたまりまくりなのも、全部この緩みのせいに違いない。明日から全てがうまくいく、きっとそうに違いない。

3月27日 その4
フィルさんと言えばStella MelodyとCelloだが、それ以上に私はBow TechnologiesのZZ-EightというCDプレーヤが印象的だと思う。実物を見て、ますますその思いを強くした。見て、触ってこれほど楽しいCDプレーヤはそうそう無いだろうし、フィルさんが浮気せずに使ってこられたのも道理だ。Bow Techでは24Bit、192kHz DACへのアップグレード・サービスがあるようだけど。Celloはプリとパワーで合わせて3つの朱色のLEDが妙に印象的で、何だか生き物っぽい雰囲気を醸し出していた。どんな生き物かと問われると、最初に頭に浮かんで「それはどうか」ってことで消えたのが「ナウシカ」の王蟲だったりするのが主に私の困ったところだが。昨今流行の青色LEDよりも人肌風な温かみを感じさせ、何でも青にすりゃいいってもんでもないなぁとか思ったり。そういや、最近買った携帯電話も青色LEDだ。左スピーカの隣にはサブウーファのStella Novus。スピーカと同じAcustik Lab製ということもあってか、存在感の割に異質感は無く、確固たるポジションを得ているようだった。リスニング・ポジション後方にはカヴァーをかけられた3管プロジェクタがカヴァーを介してなお、その威圧的な存在感を誇らしげに示す。そして、リスニング・チェアはNyChair X。以前は私自身もリスニング・チェアに使用していたが、ブラウンのキャンバスにこげ茶の木部という組み合わせが大人な雰囲気。うちは青のキャンバスにナチュラルの木部…子供ですから。というわけで、まずはフィルさんチョイスのソフトの試聴から。

3月27日 その3
フィルさん宅は我が家と同じくマンションの1階で、少し親近感を覚えたり。リビングでコーヒーをいただいたりしながら、さりげなく置かれているシステムを観察したり。少し古いDenonのCDプレーヤにUesugiのアンプでCelestionを鳴らす、渋い大人の魅力を感じる組み合わせ。しかし、リビングでゆったりしてるのももどかしい訪問者どもはさっさとフィルさんの部屋へ移動。部屋のドアが何とか身体が通るくらいしか開かず、部屋に入るところからただならぬ空気が漂っていたり。真面目な話、巨漢に類する方は入室不可能かも知れない。ともあれ、幸いなことに私もlmstさんも痩せている部類に属するため、無事に入室。フィルさんのこのページにある通り、ドアの目の前にスピーカがセッティングされている。ドアを全開にしようとすれば、当然の如くスピーカ台の下に敷かれている御影石に激突してしまうわけだが、そんなことになれば折角のセッティングも水の泡。しかし、実際にはドアの前の「ソフト」と書かれたところに置かれたCD棚によってドアが御影石に当たる前にCD棚に当たって止まるように工夫されていた。思い返せば、私が学生の頃の部屋では左スピーカがベッドのすぐ隣で、やはり人がぎりぎり一人通れるくらいの隙間しか無かった。そして、たまに自分や友人がぶつかって位置を合わせ直す羽目になったっけ。フィルさんもそういった経験からなのだろうかとか勝手な推測をしてみたり。

3月27日 その2
というわけで、フィルさん宅を訪問してきたわけで。フィルさんと言えば、言わずと知れたDejavuのマスターにしてStereosound誌のレコード演奏家訪問に登場し、先日もスピーカの比較試聴記事に登場するなどなど、少なくとも同年代では最も有名なオーディオファイルであろうし、Dejavuの影響を受けたサイトは(うちも含めて)数知れない。そんな著名人のお宅を、これまた剛の者であるlmstさんと共に訪問とあって、私のような普通人は出発する前からガクガクブルブルな状態だったりして、それ故か乗るつもりだった電車に間に合わず、待ち合わせに遅刻してしまうという、出だしからいきなり躓く格好に。申し訳ない>お二方。CD屋さん内でお二人と合流し、まずは腹ごしらえ。お互いとその周囲の近況を報告し合いながらパスタをつついたり。空腹感を満たしたところで、オーディオ欲を満たすべく、いざフィルさん宅へ。

3月27日
さあ、今日から一週間はフィルさん宅のOFF会記でお届け(嘘)。このページのタイトルもOFF会日記とかにした方がいいかもしれない。というわけで、早速、の前にYUさん宅の訪問記にはまだ続きがあったり。lmstさんが既に書かれてるが、当日は最後にlmstさんの持ち込んだNordostのVishnuという電源ケーブルを試すという企画があったりした。D/AコンバータのKharmaの電源ケーブルと交換したその音は、低域の混濁感がものの見事に消失した一方、ダイナミックな感じがぐっと減少して全体的にあっさり風味。その時点まで感じていた印象の大部分がこのKharmaのケーブルに負っていることが判明し、一同、特にオーナーであるYUさんがかなり驚く結果に。トランスポートに使われているShunyata ResearchのTaipanとの比較では高域のすっとした感じが私にはTaipanの方が好ましいようにも思えたが、総じて微妙過ぎる領域の違いで、結果的にKharmaの支配力の強さを確認する形になった。こう書いてるとKharmaが悪者のように思われてしまいそうだが、ヴォーカル帯域や躍動感を重視するとVishnuを導入するメリットは決して大きいとは言えない。実売価格を考慮すれば、大健闘であることは間違いないけれど。でも、YUさん自身は現在のKharmaのケーブルに換えてKharmaの上級グレード等を検討されているようで、その選択がYUさんの音に大きな変化をもたらすことは間違いが無いと予想される。それが今の音の延長線上になるのか、あるいは新たな方向性を示すのか、これまた楽しみなことこの上ない。

3月24日
OFF会記の長さの限界に挑戦中です(嘘)。というわけで、長々と無意味に無駄に続けてきたこの企画もいよいよ終盤。これが飲み会なら、全員がたらふく食べたところへ私が更に一人前ずつ頼んだりして「食えるかよ!」と突っ込みをいただくような場面に相当か?そんなわけで全般的な印象をまとめる前に、以前訪問させていただいた際のYUさんの音を思い出してみる。それは実に2年以上前で、当時はまだアンプがMark LevinsonのNo.383Lだったりして、当然、今のお宅も建っていない。その印象を単語で並べると、ウォームでソフトでウェットで、といった辺りがしっくりくる、目的のはっきりした方向性の明確な音であったように記憶している。その印象が断片的に頭に残っている中で、しかもアンプが真空管アンプに変更されているとあって、その方向を更に突き詰めた音を予想していた。その予想は、さっくりと裏切られた…第一印象においては。しっとりとした内省的な音ではなく、溌剌とした活きのよさがまず心を捉える、アグレッシヴというのが言いすぎであるなら、アクティヴな音は、しかし、SD Soundのアンプの説明や前回訪問時よりも遥かに逞しく増強されたケーブル群を思い返せば、納得のいく結果でもあった。そうでありながら、下で述べた感想を引き合いに出すなら、ヴァイオリンの高音のように以前の音が下地とした上での現在の音であることが窺える。そういう意味ではより守備範囲の広い音と言えるし、あるいは欲張りな音とも言えるかも知れない。引っ越されてからしばらくは音をまとめるのに苦労されていたようだったが、今回の訪問時にはそれがYUさん自身の納得のいく形になってきたということで、苦悩の淵から脱した今が一番欲張りたい時期であるのかも知れず、そのようなYUさんの心境をEidolonが代弁していたのではないかと私は勝手に思っている。それはEidolonに対するYUさんの愛情の深さもまた表しているものと思う。使い手の鏡となりうるだけの資質を備えた、Eidolonはそんなスピーカなのだろう。

3月20日
目下、一回のOFF会で訪問記をどれだけ長く書けるかのギネス記録に挑戦中(嘘)。というわけで、前置きはそこそこに早速残りを片付けていきませう。 というわけで、個別ソフト編終了。明日以降、全体的かつ総合的な感想などをお届けしてようやく終わる予定。ついでにCDとか届いた。Dream TheaterのLive at Budokan、TransatlanticのBridge Across Forever、Welser-Moest/LPOのBruckner: Sym. No.5とMendessohn: Sym. Nos.3 & 4、PerahiaのBeethoven: SQ Op.127、P. Son. No.28。Dream TheaterはDVD。TransatlanticはDream Theaterのドラムを叩きまくってるPortnoyがメンバーに入っているので。Welser-Moestは予習用?PerahiaはYUさん宅で友人Sが試聴に使用していたもの。録音も演奏もかなり優秀。

3月19日
lmstさんはもう感想書き終えちゃいましたな。というわけで、音の感想はlmstさんとこを読んでいただくということで…というのもさすがにあんまりというか、ここまで引っ張っておいてそんな落ちも無かろうよ。というわけで、以下、まずは各ソフトに対する感想。 というわけで、とりあえず半分。残りはまた明日以降。…結局、今週中に終わらなかったな。

3月16日
うわ、lmstさん、もう音の感想に入ってるよ。…まだ入れてない自分の方がおかしいのか。というわけで、残り2枚をやっつけ仕事で。 …やっと、終わった。って、まだYUさんの音の感想は何一つ書いてない。今週中の完結を目指しつつも、既に実現が怪しくなってきているのはきっと気のせい。

3月15日
そんなわけで、lmstさんとInteractiveにお届けする、二段構えで新しい訪問記の形を模索する、そんな様相も呈してきたYUさん宅訪問記。友人Sはともかく、私が持ち込んだソースはむしろ優秀じゃない方の録音が多かったような気もするが、その辺も含めて説明していこうじゃないかというのが今回の企画の趣旨でもある。というわけで、早速続きを。 というわけで、今日も2曲分書いたところでお時間が来てしまいました。続きはまた明日〜。…文章と執筆時間の無駄な長さも新しい訪問記の構成要件の一つということで。

3月14日
久し振りに思い切ってスピーカをそれも(私にしては)大胆に動かしてみて、それなりの違いが出たりしているのだが、そんなことを書いているとますますYUさん宅の音の話に行き着かないので、それは後回しにして訪問記の続き。持ち込んで試聴させていただいたのはクラシックはSolti/LSOのBartok: Con. for Orch.、LewenthalのAlkan: Le festin d'Esope、KoganのShostakovich: Vn. Con. No.1、PrestonのBach: Prelude & Fugue BWV552。クラシック以外ではJordan RudessのFeeding the WheelからRevolving DoorとIn FlamesのReroute to RemainからMinus。以下、各ソフトについてごく簡単な解説と私が試聴しているポイントを説明をしていきたい。 …と、まだ2枚しか挙げていないが、今日はもう時間が無いので、残りはまた明日。

3月13日
そんなわけで激しく脱線してあわや忘却の彼方へ放置されそうな勢いの訪問記。某m氏からも早く書け、と催促されたりしてちょっと焦ってみたり。とは言ってみたものの、如何せん冒頭のGladiatorに力ずくで捻じ伏せられてしまったりしたので、その後の意識が力一杯怪しい状態。何せ、この私が結構でかい音量を自ら選んで聴いていたらしいし。それはさておき、オーディオのOFF会というものが比較的一般的なものとして定着してきている一方で、ホストの方は音は勿論のこと、進行についても腐心されていて、私の乏しい経験からも、任せっ放しの人とか、楽しいソフトの波状攻撃を仕掛けてくる人とか、あるいは以前、私がやったように進行表を用意しておくとか。とは言え、ある程度の回数をこなしている方なら、いくつかのパターンに収束してきて、そういった猛者の方々にそういう観点からの目新しさを演出するのはなかなか困難であろう。YUさん宅訪問時にも、YUさんは「新しいのOFF会の形を〜」と自ら述べておられ、そんな中で出てきたのが、「ソフトのどこを聴いているのか、宣言してからかける」というもの。事の発端は私がかけさせて頂いたIn FlamesのMinusで「声がちっとも聴こえない」という意見に対して私が「いや、声なんて聴いてないですから」とか言ったりした辺りでなかったかと記憶している。そういうわけで、今回の訪問記はまず、持ち込ませていただいたソフトについてそれぞれの試聴ポイントを列挙してから、感想に入りたい。新しいOFF会訪問記の形になるか?

3月10日
YUさん宅訪問記の続きの前に、昨日のAET UR DGについて補足。「好みの問題になると」とか書いておきながら、実はその肝心の好みにおける抵触関係については一切触れていなかった。書き出したときは頭の中にあったのだが、途中からすっかり忘れてしまっていた模様。どうも、キーボードで入力しているうちに打ち込むこと自体に気を取られてしまうようで、例えばレポートとか論文とかをPCに向かっていると同様の現象がしばしば起きる。キー入力が比較的速いのが逆に災いしているのかも知れず、手書きでは書きながらゆっくり思考することができるためか、或いは修正の面倒臭さから来る覚悟の違いからか、あまりそういう事態に陥ることが無いような気がする。そんなわけでキー入力だといくらでも脇道に逸れることができてしまったりもするのだが、何しろ頭に文字が浮かんでくるスピードと入力速度が殆ど一緒なので(思考が遅いだけかも)、だらだら書こうと思えばいくらでも書けて(入力できて)しまう。話は戻ってAET。結構文句ばかり書いているように思えるかも知れないし、実際文句をつけたくなるところはいくらでもあって、我ながら人様の物に対して少しは遠慮しろとか思わないでもない。だけど、断っているように、決して性能が低いとは思わない。このケーブルの特性を知って、それを必要とする人にはコスト・パフォーマンスの抜群によいケーブルであろう。それだけ、明快に方向性が定まっている。個性とか癖とか言うと何やらマイナスのイメージが付きまとうが、ある方向へ導くもの、と言えば少しは肯定的に受け止められないだろうか?であればこそ、違う方向性を志向する場面においてはとんだお門違いの様相を呈することにもなるし、またそういった環境において挿入された場合には一種の拒絶反応のような結果をもたらすことにもなりうる。我が家を例に挙げて説明するなら、このケーブルを導入した状態は過剰なコントラストの強調が音の骨格を浮き上がらせ、その点においては非常に興味深かったのだが、聴いていくうちにそれが骨格が浮き上がるというより、骨格のみが提示されているように思えてきたところに私との大いなるすれ違いが発生する運びとなった。そういう気分の中では思い切りのいい立ち上がりのよさも何だか見栄えだけ派手だけど事務的に整理された白々しさのようにすら思えてきてしまい、違和感を通り越して異物感すら覚える始末。非常に乱暴なくくり方をすれば、これは日本的な音であると思う。ついこないだまでAccuphaseを使っていながら、それを否定するかの如き発言もいかがなものかと言われかねないが、別にそれが悪いと言っているわけではない。何というか、要領のいい音なのだ。故に、散々書いてきているように能力に欠けているというものではない。ただ、その要領のよさが鼻につくと言うか、小賢しく感じられるようになるときがある。調子のいいこと言ってるけど、「でもさあ」と反論したい、してやりたい、そんな気分。日本人は多分、そういうのがかなり得意だ。同時に、同類嫌悪なのか、あるいは自分を卑下してみせる建前の文化からか、出る杭は打ちたいという非積極性の歓迎からか、そういうのを表向きは忌避すべきものと見なすような要素も持ち合わせている。鑑みると、日本的であるが故に日本人にはある種受け入れ難くもあるケーブルなんじゃないかと思ったりするわけだ。自分が純粋な日本的日本人かと言われると、自分は割とそういうつもりだったりするのだが、周囲の反応から察するにどうもそうでもないらしい辺り、私がこんなことを言ってもあんまり説得力は無いかも知れない。そんなわけで、訪問記は明日以降ということで(をい)。

3月9日
YUさん宅訪問記の更に続き。何しろ、二日間かけてまだ音を聴くところまで行ってない。今日こそは音の感想を…の前に、YUさんにお借りしたAETのUR DGの感想なぞ。結論から言うと、2日間もたずに外してしまった。相当な期間放置されていたので、ブレークインに時間を有するかもしれないという話だったが、すいません、そんなの待てません。誤解の無いように断っておくと、基本性能の低いデジタル・ケーブルではないと思う。が、むしろそれ故にちょっとした方向性の違いが需要の可否に甚大な影響を及ぼすのかもしれない。例えば音の立ち上がりは速いし、音像のコントラストも強く、音自体も輪郭が明晰になって音楽の勢いが増すあたりは大変好ましく思える。しかしながら、得るものあれば…ということなのか、私にとってはちょっと失うものが多過ぎるように思えてならない。言葉を翻すようで恐縮だが、先に述べたコントラストの強さはその一方で細かい音がごっそり脱落したような感もあり、総体としての情報量は決して多いとは思えないところがある。中高域に若干張ったようなところが感覚的な解像度の演出に貢献しているのだろうけど、その結果、全体的に潤いを欠いたドライな感触が先行するのはかなり好みの領域だけど、それ故に合わないときは徹底的に合わないようにも思う。比較するわけではないが、奥行き方向も現在使用中のResolution Referenceの方が深く、総合性能としては優劣は殆どつけられないが、方向性の違いは温度感がやや低めに推移するとか、必ずしも正反対とまでは言わないものの、決定的ではあり、殊に好みの問題になるとちょっと我慢が足りないと言われようとも如何ともしがたいものがあり、ブレークインを待っていられるほどの期待感を抱かせるにも至らず、即ち、最初に挙げた結論の如く、どうにも耐え難くなって試聴継続を断念するに至った次第。Synergistic Research固めの中というのも条件としては不利であったかも知れない。ただ、購入して以来初めてD/Aコンバータの"AES1"のところにランプが点いたのには若干感動した。

3月8日
というわけで、YUさん宅訪問記の続き。お宅の前でタクシーを降りて新築で1年も経たないお宅をゆっくり拝見するような連中でもなく、どかどかと玄関へ。リヴィングでくつろぐことも無く、ただただ目的を果たそうとする恐るべき集団はYUさんに率いられて2階のオーディオ・ルームへ。防音仕様の厚みのあるドアを開ければ、そこには懐かしのEidolonが。スパイクはJ1のハイブリッド・コーンと少し大きめのスパイク受けを使われていて、この辺りは試行錯誤の結果なのだろうと見受けられた。Quadraspireのラックには以前の訪問時と同様、CECのTL2とChord DAC64のコンビに、私は初顔合わせのKlimax Controlがケーブルの硬度に応じた位置にセッティングされていた。DAC64くらいのサイズだと、そういう意味ではセッティングの自由度が高く、我が家のDA924のように薄いけど普通の専有面積というものの方が融通が利かなかったりするのかも。Klimax Controlはやっぱり素晴らしくコンパクトな上にリモコンが使えるのはやはり便利だ。殊にOFF会でどんなソフトを持ってくるか分からないようなときにさくさく音量が変えられるのはリモコンレスなプリアンプを使っているとかなり羨ましい。人が聴いている中、出て行ってつまみを回したりするのってちょっと興醒めしそうだものなぁ。パワー・アンプのTopstone i-1はお初にお目にかかる。真空管アンプをまじまじと人様の家で見ること自体が初めてかも。白基調というのが何だかオーディオっぽくない雰囲気を微妙に醸し出していて、オーディオ関連のものしか無い部屋だというのに、機械的なぎすぎすした感じにさせない空気になっていたような気がする。真空管は見ていてほのぼのするデバイスだと思う。i-1の下にはIlungoのアピトン合板が。メーカー推奨の絨毯もセットで使用されているのが何だか微笑ましかったり。専用ルームということもあって、壁にずらりと並んだコンセントは圧巻。というか、専用ルームでも何でもない我が家の方が機械的なぎすぎす感満点なのはどうしたことか?

3月7日
すっかり忘れていたYUさん宅の訪問記。いや、忘れてたんじゃなくて、思い出せないトラウマが…というわけで、怖くてGladiatorのサントラが聴けなくなっていたりしたりしなかったり。Avalonがリファレンス・ディスクとして挙げているディスクを聴かせていただいた後にGladiatorが、私にとってはなかなかどうしてとんでもない音量でやって来て、軽く耳をやられたりしたのだった。そういえば、茨城でも似たような目に遭ったような…流行ってるの?耳の特性というのはFletcher-Munsonの等音量曲線のように音量が小さくなるほど、高音域と低音域の両端で感度が低下するとされているが、裏を返せば音量がでかくなれば高音と低音しか聴こえないということでもあり、実際問題中域とか微塵も印象に残らない事態に。前日からの風邪の影響も加わり、はっきり言ってその後の私の感想とか何一つ当てにならないことこの上ないのだが、その辺は読む側に割り切って読んでいただくしかあるまい。というか、他にどうしろと?とりあえず、当日の流れを今一度思い出してみると、最寄り駅到着直前にYUさんから「遅れるかも」という連絡をもらって若干不安な滑り出しながら、結果的には全員がさほど遅れることなく集合。当日のメンバーはホストであるYUさん、Avalon友の会の期待の星の最年少メンバーにして最前線を全力疾走大爆走中のlmstさん、前日になって急遽参加させていただくことになった私の友人S、そして前日に風邪で会社を休んだくせに参加した私。まずは駅の近くの中華屋さんで腹ごしらえ。私以外はバイキングでがっつり食べていたけど、さすがに病み上がりというかむしろ病み中の私は控え目に炒飯を注文したり。食料補給を完了した一同はタクシーに乗り込んでいざ、YUさん宅へ。考えてみたらOFF会でタクシー利用って初めて。オノレブルジョワー。…人数で割ったら確かにバスより安かったんだけど。

3月6日
そんなこんなで挿入して数日経過したわけだが、NAOKさん作のDCケーブルの特徴は大体把握できてきた。まず印象的なのが音の彫りがぐぐっと深くなることで、情報量とかいう即物的なものではなく、音楽の表情がまるで違う。一音一音が掘り下げられる分、全体としての音楽の流れの速さはむしろゆっくりに感じられる部分もあって、ここはちょっとマイナス。彫りの深さをもたらしているのは恐らく中低域の少し低い辺りの解像度の向上だからなのか、どっしりとした安定感をもたらしながらも、ドラムとかはばすばす鳴らす。中域から下が少し張り出してくる格好になるためもあってか、中高域は少し大人しく、角が取れた印象がある。この辺はもうちょっときりっとすると音がぴしっとしてくるように思う。高域も伸びはあるのだけど、やはり印象として下の方の帯域が勝ってくるところがある。空間の構成は奥行きを前方向に拡張することで拡がって感じる一方、左右方向は拡がりよりもその中での音像が充実する方向の模様。以上はDCケーブルの太い方を本体のInput 1に繋ぎ、細い方をInput 2に繋いでの印象で、明日からはこれを逆にしてみる予定。

3月5日
Dream TheaterのImages and Words - Live in Tokyoを観てみた。この頃はキーボードがKevin Mooreだったんだな。Portnoyが病気みたいに叩きまくってたりしてなかなか楽しいのだが、うちの奥さんはMyungの髪がさらさらで羨ましいらしい。

3月3日
そんなわけで、とりあえずはYUさん宅訪問のことから書き始めようかと思ったりしてみたが、どうにも記憶が…。何だかとっても恐ろしい目に遭ったような気がするけど…思い出さない方がよかったりして。昨日、刺客のDCケーブルを導入してみたが、これはなかなか面白いのでもう少し様子見。借りてきたデジタル・ケーブルは…すいません、まだ箱から出してすらいません(汗)。というわけで、とりあえず届いてたCDとDVD。CohenのLiszt、FricsayのMozart: Requiem、Jordan RudessのRhythm of Time、Dream TheaterのImages and Words Live in Tokyo / 5 Years in a LiveTime。Cohenはピアニストの名前だけで買ってはみたものの、入ってるのがSonataとかRhapsodie espagnoleとかで意外と面白そう。Fricsayは我が家で流行りそうな気配を漂わせているのだが、このRequiemがモノラル録音だったりしてトーンダウンしそうな気配も。Jordan Rudessは買えるものは全部買ってみる方針になりつつある。DVDはまたDream Theater。2枚組みでちょっと楽しめそう。クラシックのDVDも探してみたんだが、オペラばっかりだったりしてげんなり。聴くのでさえ億劫なのに、映像付きなんてとんでもない。…あれ?

3月2日
ずっと風邪でとてもオーディオとか音楽どころではなかったりしながらもNAOKさんからは刺客が放たれてきたり、YUさん宅を襲撃して返り討ちにあったり、デジタル・ケーブルを借りてきたり、CDやDVDが届いたりと書くことが無いようで山ほどあるのだが、要するにどこから手をつけていいのやらな状態。音も頭の中も整理できてない状態なので、どこから書くかは明日決めることに。日本人の得意技、先送りってことで。

2月21日
全体的にマッシヴな方向へ向かってきている様子。…マッシヴとすっきりの間を行ったり来たりしてるような。そんなわけで、現状だとIn Flamesあたりが鳴りっぷりが大変よろしい。ぼちぼちスピーカの位置を再検討するべきか。また本が届いた。「クラシックCD名盤バトル」というタイトルで、著者は許光俊 VS 鈴木淳史。VSってところが味噌なのかも。

2月20日 その2
廃品回収大作戦の傍ら、目下のところFricsayのBeethovenにノックアウト中。改めて聴いてその脅迫的なまでに切実な表現はちょっと空恐ろしいくらい。録音時期もあってのことだろうけど、久し振りに聴いて少々圧倒された。ちょっとえぐいくらいの表現と磨きぬかれた精緻さの同居が何ともかんとも。

2月20日
廃品回収大作戦第2弾…すいませんね、貧乏性で。Mini Sonexはまだまだ余っているわけで、その数実に6枚。…昔は全部使ってたんだよな。とにかく、クローゼットの奥にあるだけでももはや邪魔。かといって捨てるのも何だか勿体無く。いくら何でもGB式ボードの裏ももう入らないし。と、ここで目に付いたのがCDラック。左右の壁に一つずつ設置してあるのだが、これには若干上に向くように傾斜がついている。一方で棚板のサイズは全段同じ。つまり、下段には棚板の後ろに若干空間が空いていることになる。この空間にMini Sonexを収めようという計画。CDを棚に入れてしまえば隠れて見栄えは変化しないし、音も吸収するのはCD(とケース)で反射されない帯域になるからそれほど悪影響は出るまい。というわけで、CDをどけてせっせと挿入。ぎりぎり2枚が入る幅だったので、各ラックにそれぞれ手前(リスナー側)に2枚上下、奥側(スピーカ側)に1枚入れてみた。吸音による高域の滅亡には至らず、より深く響く感じに。昨日のGBボードに仕込んだのと合わせて10枚も入れれば反射面の裏であってもそれなりに効果を感じられるようで、ひとまず収納的に成功しているはずなので、音は問題が無い以上の状態であればよしとしよう。

2月19日
というわけで、我が家で絶賛余り中のMini Sonexを久し振りに引っ張り出してみた。現状で更に吸音するのはあまり得策でないのは百も承知で、はなから真っ当な使い方をするつもりではなかったり。要するに高音から先に吸っちゃうから支障があるわけで、それなら高音を吸わないように設置すればよい。高音を吸わない位置とは即ち、高音が来ないようなところで、それはつまり高音を反射するようなものの、例えばGB式ボードの裏側とかだ。現在、我が家は該ボードが少しスピーカ側に向く(スピーカ側に広い「ハ」の字を描く)ようにセッティングしているので、ボードと壁との間には必然的に空間が空く。そこへMini Sonexを放り込んでしまおうという算段。しかし、さすがにフルサイズではかなりはみ出してしまって、反射面の裏側にのみ設置という本来の目的から外れてしまうため、以前コーナーに設置するために半分に切ったものと、もう一枚を新たに半分に切ることで、幅を半分にしたMini Sonexを縦に重ねる格好でボードの裏側に挿入してみた。左右合わせて2枚分でしかない上に、GB式ボードの裏ということで劇的な効果は望むべくもないが、気持ちすっきりしたような。音が悪くなってさえいなければ、邪魔なMini Sonexの収納になるだけでも効果はとりあえず十分ではある。

2月17日
ちょっと試そうと思っていたことを思い出して寝室でブツを捜索していたらちょっとした事態に陥って結局寝室の大掃除に発展。とりあえず、発掘したブツを試用しようとしたらそのままでは使えないことが判明。あれま。関係ないけど、togamiさんのところで我が家のレポート掲載中。どきどき。やっぱり小さかったか…。聴き終わってから、「もっと大きくしてもよかったかも」とか自分でも思いましたし(自爆)。

2月15日 その2
寝る前にテレビを見てたら、"Monster"というアニメをやっていた。妹が原作の漫画を持っていて、実家に帰ったときに読んだっけとか思って見てたら、エンディング・テーマで妙ちきりんな歌が流れたりして、何だかなぁとか思ってたら、歌ってるのがFujiko Hemmingだったりしてますます何だかなぁな気分になってみたり。ピアノをやめて歌手に転向したんだろうか?どっちもあんまり向いてない気がするのはきっと私に魂を感じ取る能力が無いからなのかも知れない。

2月15日
それはさておき、小音量再生のススメ。…まだ続けるのか。いいとか悪いとかはとりあえずこの先一生忘れていただくとして、こんな例え話を。弦楽四重奏と弦楽オーケストラ、構成楽器はさして変わらないけど、仮にそれぞれで同じ曲を演奏したとしてそこに違いはあるだろうか?両者が同音量になるように再生されたとしたら?…別な角度から見てみよう。両者による同じ曲を同音量で聴いたとして、聴き手は何を聴くのだろうか?聴き手がそこから受け取るものは同じだろうか?個人的な見解としてはいずれの問いについても普遍的に絶対的な答えは多分無いし、そうだと思うのもその人の勝手だし、そういう時点でやっぱり普遍的でも絶対的でも無いじゃんとか思ったりもしないでもない。ただ、こうやって自らに問いかけるうちに大きな音量で聴くということが自分にとって必ずしも重大ではないと結論付けられたというだけの話。

2月14日 その2
さて、純正進化とかそれっぽい四字熟語(嘘)で適当なまとめ方をしてはみたものの、より具体的に記述するならば、まずは高域・低域両方向へのレンジの拡大。というか、低域とかちょっと収集がつかなくなりつつあったりして、このままでは破綻しそう。かといって音の密度感が引き伸ばされることはなく、むしろぐぐっと濃い方向へシフト。ちょっとくどいくらい。音の立ち上がりもより速く、力強く、総合的に見て(聴いて?)がつんと来る傾向に。空間的な広さはさほど変わらない印象だが、その中での充実感が一桁違う。これは某氏に早くもう一本放出してもらわねば(をい)。さしあたって、今回のReference A/C Master Coupler導入の効果により、今後の購入計画に若干の修正を検討する必要がある気がしてきた。

2月14日
そんなこんなでシナジ祭りの図。初代Reference A/C Master Couplerということで、言ってみれば純正進化の構図なわけなので、馴染みやすい基本方針の中で全体的な成長が見られる。細かいところはもう少し聴いてみて判断したいが、とりあえず非常に良好な傾向。さしあたって、WireWorldのElectra Reference III+がお蔵入りに。1.0mという微妙な使い勝手の長さだけど、興味ある方がいらっしゃいましたらご連絡を。

2月12日
というわけで、makiさん、togamiさん、XANさん、YUさんの4人に襲撃される…はずが、makiさんが体調不良で来られず、襲撃者数は3人に。でも、実際に部屋に入っていただいた感じを見ていると、3人くらいがうちでは限界かも知れない。昼過ぎから夜まで、まったりな時間を挟みながらあれこれ聴いていっていただいた。音量をもうちょっと上げてもいいかなぁと思ったり、曲が終わってから上げた方がよかったなぁと思うときがあったりして、ただでさえ控え目な音量が必要以上に小さくなってしまったりしたのは反省。自分のソースなら何目盛り目にすればいいか瞬時に判断可能だが、知らないソースは難しい。感想はまた後日いただけることと思うが、Eclipse Classic導入直後以来の再訪であるYUさんによると、音の基本的なバランスはその頃と殆ど変わっていないらしい。…成長してないのぉ。全体的に「ニュートラル」というような表現をしていただいていたようなので、とりあえずは一時期の低音ばっかり状態から脱出することは出来ている模様。夜はlmstさんと、lmstさん宅を訪問していたjeyさんも合流して中華をつつきながら濃い話題に突入。lmstさん宅では壮絶な試聴大会が繰り広げられていたようで、そのレポートも楽しみ。何はともあれ、お疲れ様でございました。さしあたって、我が家には現在、lmstさん宅からSynergistic ResearchのReference A/C Master Couplerがやって来ていたり。トランスポートの電源に使用して、余ったA/C Master CouplerはRE-9用にしてみたり。とりあえず、ケーブル・ジャングル度が向上。

2月10日
明後日は我が家での久々のオフ会。元々、それほど頻繁にやってもいないけれど。さて、何を聴いていっていただいたものか。で、連載続行中の小音量再生のススメだが、誤解を招かないように断っておくと、「ススメ」ておきながら何だが、別に小音量再生にするべきとか言うつもりは微塵も無くって、それどころか、小音量再生がいいとも別に言う気は無い。詰まるところ、それはそれで一つのメディア再生における在り方であって、いいとか悪いとか、それ以上でもそれ以下でもないということ。小音量では満足できないという人だって相当な数いるだろうし、私にしたって別に目一杯絞って聴くというわけでもない。一般的な大音量嗜好に相対する思想の表現として「小音量」と書いてきたものの、実際問題、そもそも大だの小だの二極化しようとする行為自体が既におかしいと思えないでもない。

2月6日 その2
ケーブルのブレークインはもう一皮剥けた模様。今週中にあと一皮欲しいところだけど、さて、どうなることやら。そんなこんなで発育過程において小音量派たることを宿命付けられた感も無きにしもあらずなオーディオ人生だが、そんなことは所詮背景の一事情にしか過ぎなかったりするわけで、結局のところオーディオに対する姿勢というより、実際に出力される音響に求めるものの問題でしかないんじゃないかと思うわけだ。適切な音量は求められる内容から規定される一要素でしかない。気のせいかも知れないけど、ここを取り違えてる(と思える)論調は結構色んなところで目にできる。曰く、適切な音量が出力される音響の内容から規定される、と。そう思い、或いは実践するのはまったくもって当人の自由だし、いいとか悪いとか言う類のことでもない。しかし、そうでなければならない、みたいな風潮が深層心理の中で蠢いてそうで何だか冷え冷えとした気分になるときが無いでもない。日本人はそういうの得意なようではあるのだけど。

2月6日
"God Diva"を観た。これは邦題で、"Immortel ad vitam"というらしい…これじゃ日本人には分からんわな。でも、意味以前に響きが某チョコ・メーカーみたいだとか思ったりしなかったんだろうか?それはさておき、内容は神様が子作りのために人間に乗り移って目的の女を孕ませようとするという、本当にこれだけで映画を作ってしまうという事実に軽く驚愕できるもの。画は最近の流行なのか、CG8:実写2といった感じだけど描写が微妙にレトロという、CasshernとかSky Captainあたりの系列の描き方。どうやら主人公のNikopolを題材にした作品(映画にまでなっているかどうかは知らない)があるらしく、その辺を知ってるかどうかでまた捉え方が…変わるかなぁ?CGと非CGの境界が結構明快で、その辺は限界と見るべきなのか割り切りがいいと取るべきか。宗教観に関するバッググラウンドに乏しい身としては、ますますう〜んな感じで、例えばJohnの存在の意味とかもうちょっと掘り下げどころが無いわけでもないんだろうけど、掘っても実は何も無いような気もしたりしなかったり。神様が退屈しのぎに遊んでるのがMonopolyだったりとか妙な笑いどころが転がっていたりもして、逆にますますどこまで本気なんだかと思ってもみたり。

2月5日
"Biohazard II Apocalypse"を観た。前作からの流れでそのまま、というところだが、何で女警官がゾンビの弱点を知ってるのかとか細かいところで腑に落ちなかったりしてみたり。元々話の筋の緻密さで勝負するような内容では無いんだろうけど、力一杯乱暴な展開は、それ故に逆に昨今のアメリカとかの独走爆走ぶりに照らし合わせて微妙な現実味を帯びているような気がしないでもない。アクションの盛り沢山ぶりは相変わらずなものの、個別に見ると前作の方がしっかり詰めて描かれていたようにも思えるし、超常現象的力といっても何だか半端でもある。"3"もありそうな雰囲気ではあったけど、どうだかなぁ、というところ。

2月4日
気を取り直して再開。Stereoの記事ではどんなことが書いてあったか知ったことではないが、読んだネット上のソースから判断するに、主旨は大分違うような気がするので、気にしないことに。そんなわけで、この辺りからぐいっと深く掘り下げてみたいところであったりもするのだけど、そこはぐっと堪えて少し話を巻き戻してみる。巻き戻しに巻き戻すこと私の子供時代。いや、今でも子供みたいなもんだが、それはともかく。主に「耳が悪くなるから」という理由からだったと記憶しているが、当時の我が家におけるテレビ等の視聴方針は「最低限の音量で」ということだった。テレビなんてそもそもスピーカからして最低限声だけ再生できるようにしか作られていなかったりするくらいなので、要するに声を聞き取れるぎりぎりの小音量ということになる。ある種、聞き耳を常に立てているような状態とでも言え、例えば映画館なんかに行くと(今でもそうだが)、あまり音がでかいので驚いたりする。気が付けば幼少の頃より小音量リスニングが身体に染み付いていたのかも知れない。料理も薄味好きだったりするのといい、恐らくは後天的に備わった体質みたいなものなのかも知れない。

2月2日 その2
ネットでうろうろしてたらどうやらStereo 2月号に小音量に関する記事が載っていた模様。まさかそんなところでネタがかぶるとは。むぅ。

2月2日
絶好調連載中の小音量再生のススメ…と思っていたら、丁度読み終わった平林直哉著「クラシック100バカ」にも、曲・演奏のことだが、でかくて長いのがいいのか?というようなことが書いてあったりした。この本、「100バカ」とタイトルにあるくらいだから、それこそページのあちこちに「バカ」の大乱射。電車の中とかで読むのが若干憚られたりしなくもないくらい。他人をバカ呼ばわりするくらいなので、論理構成は概ね真っ当で、これだけ書いているので若干の齟齬や矛盾を含んでいたり、前提が若干怪しいと感じる部分があるものの、よくもこれだけ言い切れたものだと感心するのが先かも知れない。自分のことを棚に上げながら「こういう奴いるよなぁ」と思ってみながら、内容によってはなかなか面白く読めた。鈴木淳史著の「不思議な国のクラシック」は序盤こそちょっと教養ぶった感じが「らしくない」ように思えなくもなかったが、どこまで本気だか分からない奇天烈な説を力業で押し通す姿勢の中に雑多な知識が嫌味にならないように、或いはわざと嫌味に散りばめられてそれを後押ししている様が、どうしようもないと思いながらも、「いや、そうかも」とか思わず納得させられてしまいそうになるぎりぎりなところの線でふらふらしている感じで、そのまま読んでもそれなりに面白いし、邪推のしどころ満載で二度楽しめる、そんな感じの本だった。というわけで、話を戻すと、巷ではオーケストラこそが大きな音量で聴かれなければならない、みたいな信仰があったりなかったりするようだ。数十人から場合によっては数百人の集団が弾いたり吹いたり叩いたりするのだから、それはそれなりの音量が出せる。でも、だからオーケストラは大音量で、ってそんな単純でいいのか?例えばSzellはオーケストラを室内楽のようにしたかったという。これは勿論、そのスケールにおいてということではなく、各パートの機動性やそれに伴う細部の精緻な描写を指してのことだが。或いは、私が聴いたAbbado/BPOは編成の小ささもあったが、それでもやたらとffばかりが目立つというものではなかったし、Dohnanyiが磨きに磨いたCleveland Oは一般的なオーケストラよりその絶対音量は小さいという。Jansons/Pittsburgh SOやTemirkanov/St. Petersburg SOあたりは本気でうるさいくらい音がでかく、前者に至っては木管楽器奏者の耳を守るためにアクリル製のつい立が置かれていたほどで、こういったものと先に挙げたようなものをひっくるめて大きな音量で、というのはちょっと乱暴すぎやしないかとまず思うわけである。

2月1日 その2
全体的に、特に中域から下の帯域のレスポンスが上がって分解能を押し上げる格好になっているせいか、マスで押すようなソフトは逆にそれがちょっと効かなくなってきている。具体的に言うとIn Flamesとかなんだが、そういう要素ってベースとキックドラムのように比較的近い帯域のかぶりよりもベースとシンバルとか割と離れているように思われる帯域間での分離の具合がマスとして感じるかどうかを左右しているような節もあったりしていた。逆に楽しくて仕方が無いのがJordan RudessのFeeding the Wheelで、弾け錯綜するリズムと飛び交う音色の絡み具合に酔っ払いっぱなし。

2月1日
メールを書いてて、昔、後輩とこんなやり取りをしたことを思い出した。後輩:「防音室とか欲しくなりません?」、自分:「いいねぇ」、後:「好きなだけ音出せますもんね」、自:「いや、外の音が入らなくて」、後:「そっちですかい」…意識してはいなくても昔からそういう嗜好の思考はどこかしらにあった模様。

1月30日 その2
"Metropolis 2000"のBonusにCDで言うところの3枚目に相当する部分が入っていたり。以前のDVDには無かったっぽい。A Change of Seasonsが丸々しっかり入っているのが何とも嬉しい。ちょっとお疲れっぽいところもあるけど、ベースが「てけててっててーん」とかやってたりすると、そんなことはどうでもよくなってしまったりしなかったり。結構見てて楽しかったりしたので、DVDもちょいちょい買ってみようとか思ったり。「ポピーざパふぉーまー」しか持ってなかったというのもどうなのか。

1月30日
大好評(どこで?)&絶好調連載中(まだ2回だけ)の小音量再生のススメだが、ここで閑話休題。CDとDVDが届いた。CDはスピッツの「スーベニア」…片仮名だとこうなるのか。当然というか、奥さんのもの。到着したところで聴いて、JPOPの上げ底ダイナミック・レンジに少々怯んでみたり。連載に対してなかなか挑戦的なソフトである。DVDはDream TheaterのMetropolis 2000とKoganのBeethovenとか。KoganはBachのPartita No.2が入っているという話だったのに、蓋を開けたらSarabandeだけだった…。せめてChaconneだけでも入れておいて欲しかった。そんなわけでKoganは開ける前からトーンダウンしてしまったので、Dream Theaterから観てみた。演奏はCDでも聴いているので改めてどうこうという感じでもないが、寝室システムで聴いているせいか時々バランスが違って聴こえる箇所が。Portnoyの後ろに変な兄さんがいると思ったら、コーラスでPortnoyが入るときにマイクを彼の顔の前に出すのが仕事がだったり(他にも仕事してたのかも)、そのPortnoyの右腕に「マイキー」って書いてあったり、PortnoyやLabrieが水を口に含んでから吹き上げて顔(頭?)にかけてたりとかどうでもいいことが気になったり。楽器の操作もキーボードとかこんな風に音を作ってるのだねぇとぽーっと見てみたり、太鼓とか山ほど置いてあるし、マイクもどっさり立ってるし。…こんなもん、よくミックスできるな。あ、勿論、演奏も見てるけど。個人的にはRudessがすっごく嬉しそうな顔して弾いてるのが印象的だったり。…弾きまくってるのも見てるよ、多分。

1月27日
昨日の続きっぽく。例えば、私は料理の味が薄い方が好きだ。それも極端な薄味好みの部類にどうやら入るらしい(「昔、お前が作った味噌汁を食べたらお湯の味がした」と先日も言われたっけ)。味の強さを音量に置き換えると、何となく説明がつくような気がするようなしないような。その割にはSolti/CSOだのLewenthalだのデスメタルだの少々大音量的要素を含んでいるようなものを割と好んで聴いているじゃないかという指摘を受けそうなところだが、それは内容物の問題であって、再び料理と対比して考えるなら、味は薄いけど一般的にさっぱりなイメージのある魚よりこってり系に属する肉料理が好きだったりする。使用している機器にアクの強めなものが多いものばかりなのも、その範疇かも知れない。というわけで、現象論的に考えると私という生き物は矛盾してそうで案外整合性を保っていることに自分で驚いてみたりしないでもない。余所様に対して控え目そうでいて結構きついこと言ったりするのも、爽やかスポーツ系のふりして実は筋力豪腕系のプレイ・スタイルが多いとか、挙げ出せばきりが無いくらい。小音量化はもはや必然の結果なんじゃないかとさえ思えてきたりする。

1月26日
最近、小音量化が進みつつある。近隣への配慮とかではなく、嗜好として。大きいことはいいことだ、と思ったり、実際に(少しだけ近隣に迷惑をかけながら)実践したこともあったし、大音量嗜好で実践中の方の音を聴かせてもらったりもした。その結果、というわけでもないのだけど、音が大きいということは私にとってそれ以上の意味を持たない、と冷静に考えると思うようになった。時間のあるときに落ち着いて書きたいところだが、私にとっては今のところ至極腑に落ちる結論だったりする。電源入れてるだけで600Wも食うアンプを使いながら、何を今更、という説もあるけど。

1月24日
Tom Eastwood、山田治生訳「クラシック 笑撃の事件簿」を読んでみた。どこそこのピアニストがオクターヴ・グリッサンドでずるをしたとか、あそこの指揮者はピッコロが鳴っていても気付かなかったとか、どぎついことを期待するとちょっと外される。日常の失敗談集みたいなもんで、音楽家という職業の特殊性がアクセントとして加わっているといった感じ。多分、原文で読めばもうちょっと面白おかしいのだろうけど、全般的に苦労して直訳した雰囲気が漂っていて、話題とは無関係に距離感を覚えたりもする。そういう意味で訳者によるおまけは、その詰まったものが出てこないような空気から一変、激しい自己主張が何だかおかしかった。言ってることは大体(納得するかどうかは別として)ごもっともなところだけど。

1月22日
PASS LABSの製品紹介ページにX.5シリーズのパワー・アンプが出ていた。さっと見た感じではXシリーズとXAシリーズの中間あたりの技術的位置付けになる模様。部分的な改良もされているようだけど、(実際に実施されるかどうか知らないけど)アップグレードのために送ったりするのはしんどそうだ。

1月19日
本を買ってみた。Tom Eastwood、山田治生訳「クラシック 笑撃の事件簿」、鈴木淳史「不思議な国のクラシック」、平林直哉「クラシック100バカ」。…ひねた視点のもんばっかだな。最近、睡眠時間を以前より取るようになったため、電車の中で寝なくてももつようになって、本を読んだりする余裕が出てきたので。先日、買った許光俊「クラシック批評という運命」も殆ど通勤中に読んだ。彼が「音楽現代」なんかに書いた文章を集めたもので、CelibidacheとWandという2枚看板は相変わらずだが、その状態に至るまでの経緯がこうしてまとまった形になることである程度分かった。が、だからどうこうという気になるわけでもないのだけど。読んでいて楽しいのはその辺が絡まない、ブラックなところで、2枚看板が絡むところは彼が本当に好きで仕方が無い、愛で溢れそうな状態と、その裏返しのような意味合いでの怒りや苛立ちに満ちていて、ある種の素朴さに支配されるようなところがやや食傷気味なところも。まあ、人は、というより私は?えてして悪口の方を好むということか。

1月17日
CDが届いた。Dream TheaterのLive at Budokan。注文したの、9月とかじゃなかったっけ。何度も延期の連絡が来てたけど。そして、届いたら紙ジャケ。3枚組だからしょうがないところもあるんだろうけど、好きじゃないなぁ。

1月16日
"Van Helsing"を観た。怪物大集合というか、殆ど何を今更、という感触が先に立つ。フランケンがストーリー的にも象徴的モチーフとしても鍵となっているが、異形の者という側面の観念的な描き方、特に宗教との関わり方は何だか妙に面白く感じた。魔女狩りをはじめ、キリスト教を含めて宗教、あるいは西洋社会においては少なからぬ異端弾圧の歴史が存在するわけで、少しネタばれで言えば、それが半僧半俗という立場の者によって打破されるというところが皮肉っぽくていい。アクションとか当然凄いのは凄いんだが、ここまで来ると人間が主役でアクション映画を作るのは難しいのか、とも思う。そのアンチテーゼとして先日の"マッハ!!!!!!!!"みたいなものもあるのだけど、そういうものが(後追いでなく、方法論を変えるという意味で)もっと勝負できるレベルであってもいいように思う。

1月14日
というわけで、Resolution Referenceの画像。それはともかく、本日はAVALON友の会の新年会。会の雰囲気はlmstさんtogamiさんの報告であらかた掴めるのではないかと。茨城文化論的な話題でも盛り上がったりしてましたな。いこあんさんが書いているように、Goldmundのパワー・アンプのラインナップはSR2.3、SR150、Mimesis 18.4、Telos 600、Milleniumに集約される模様。製品一覧ではReferenceのプリアンプが空白になっているので、これを埋める製品がそのうち登場するのかもしれない。ラインナップに以前ほどの冴えを感じないのは私だけだろうか。

1月13日
Resolution ReferenceにSynergistic ResearchのカタログCD-ROMが同梱されていた。内容を確認したところ、Explorer's Guide 3rd Editionは既にサイトから入手済みであったのだが、価格表に注目の記述が。どうやらMaster Control Center IIIの後継機が出る(出てる?)ようで、Quattroという名称であるようだ。大きさや形状は不明なのでSynergistic Researchからの発表を待ちたいところだが、MPCが絶賛増殖中の我が家などは導入をかなり真剣に考えておくべきだろう。Synergistic Researchのサイトがちっとも更新されないのが問題だが。

1月12日 その2
そんなわけでとりあえず繋いだ直後の音だが、電源ケーブルに加えて一連の信号ラインもSynergistic Researchで統一された故の嗜好の一体感か、はたまた単にケーブルがグレードアップしたことによるのか、単なる性格の違いか、その変化は注目する要素によっては目を見張るものがある。まず気付くのが空間表現で、常々それを重視していないと公言してきていながら、真っ先に空間というのは何やら恥ずかしい思いもあるのだが、大雑把に言って左右方向で一回り、前後方向に二回りから三回りもの拡張が見られ、普段さほど重視していなくとも嫌でも意識させられる広がりがいきなり得られている。全体の空間が広がることで個々の音の存在感が拡散してしまうことはなく、それを補充して有り余る情報量が解像度の向上により得られ、むしろ個々の旋律やリズムはより一層鮮明に浮かび上がり、響きが極度に細分化されることにより全体における個の存在、立ち回りが明確になっている。中域を中軸に据えながら高域・低域両方向への伸長にとどまらない拡充はいわゆる蒲鉾バランスとことなり、例えば低域方向は明瞭な階調感をより低い周波数まで適用することにより質・量のバランスをより低い帯域で整える作用をもたらしていて、応答性を向上させるということの言葉通り以上の効果を発揮している。言葉を多く費やしたところで、要は私にとって直球ど真ん中ストライク以上で、期待を大幅に上回る結果が初日から得られてしまったというわけだ。いつまでこの能天気状態が持続するかは知らないが、そういられるうちはそれを楽しむに越したことは無いように思う。

1月12日
帰ったらケーブルが届いていた。というわけで、Synergistic ResearchのResolution Reference (X2) Balanced Interconnectをプリ=パワー間に装着。いよいよMPCで溢れてきた。今までWireWorldのEclipseを1.0mで繋いでいて、長さがぎりぎり一杯だったので、余裕を見て1.5mで注文したのだが、やはり正解だった模様。今までよりパワー・アンプを前に出さないとケーブルが接続できなかった。どうにかこうにか接続を完了。ケーブル長に余裕が出来た分、プリアンプをラック内の前の方に移動。これでヴォリューム・ノブも回しやすくなる。音はじっくり聴きながら判断していくとしよう。とりあえず、これから200時間はブレーク・イン期間だし。

1月10日
昨日、宣言した矢先にオンラインでCD発注。…来月からCD屋で買うようにします。

1月9日 その2
Midoriの演奏会に来てそうな人の筆頭はやはり来ていたが、意外なことに、といっては失礼だが、DejavuのフィルさんやXANさん夫妻、そして初対面のダークさんもいらしていて、一緒に行ったlmstさんとともに即席オフ状態に。XANさんとダークさんは機器が修理中で、なかなか苦労されている様子。CDプレーヤーに間違えて200V突っ込んで壊したこと以外には故障と今のところ無縁だが、聴き手だけでなく機器も健康第一だなぁとか思ったり。落ち着いて考えれば熱でそのうちやられるんじゃないかと思う機器が一つ二つ無いわけでもないのだけど…。とりあえず、年始の挨拶代わり(?)にlmstさん共々今年はケーブルのみ更新の年とすることを宣言してみたり。帰りの電車の中ではダークさんと濃い目の話で盛り上がってちょっとlmstさんを置いてきぼり状態にしてしまったり(すいませぬ)。最近、クラシックは、というより音楽全般が少々ほったらかしになっていたのもあって、話しながら色々と思い浮かぶものがあったり。今年はCDをもっと買おう、CD屋にも行こう、演奏会も行こう、と刺激を受けたり。なまじっかオンラインで事が済んでしまうと、元来の出不精に拍車がかかっていかん。

1月9日
チャットの某氏のお陰でMidoriの演奏会のチケットを入手することができたため、Opera Cityへ行ってきた。曲目はBeethoven: Vn. Son. No.5、Janacek: Vn. Son.、Debussy: Vn. Son.、Brahms: Vn. Son. No.3。Opera Cityのコンサートホールではさすがにヴァイオリンは厳しいようで、全般的にドライな響きで、興行上仕方が無いとは言え、もう少し小さいホール、例えばCasals Hallあたりで聴きたかったところ。まあ、ケチをつけていても仕方が無いが。実際問題、チケットなんて余裕で完売だったし。そんなことを言ってはみても演奏はそらもうさすがはMidori。驚嘆すべき腕前で、弓使い一つ取っても音を聴かずに見ているだけでも巧いことが分かる。帰宅後、たまたまテレビで某海の無い国のオーケストラの演奏会を放映していたが、こちらは聴かなくても困ったことになっていそうだったのにもまた驚いてみたり。とにかく音程の安定感は比類がなく、音楽の運びにおいても過不足が無いという表現が消極的であり、完璧という表現が他の可能性を否定するものであるならば、完全とでも言うべきか、過剰な装飾や下品な感情の揺さぶりとは無縁でありながら音楽の流れを束縛するような抑制感を生まず、また貧相になることもない。例えばBeethovenの終楽章における踊るような小気味良い躍動感は、その副題が必要であるかという論は別にしても、春の少し浮いたような気分を表すのに必要十分であり、またBrahmsの、特に終楽章における激しい感情の盛り上がりはある種の怨念めいたものすら漂い、完璧な技巧上の統制と相俟って、表向きの情熱を見せながらもやはりBrahmsであるということを意識させずにはいられない。技術的な確かさと微塵の曇りも迷いも感じさせない表現はそれを以って貫禄と言うに十分。アンコールはEngel: Sea ShellからとKreisler: Liebesfreud。これらにおいてもやはり先の完全なる姿勢は健在で、その真面目さが少々微笑ましくもあった。久しぶりにいいものを聴いた。

1月8日
"Jeepers Creepers 2"を観た。"1"と比較するとCreeperの露出が多く、バスに乗った高校生たちを一つのコミュニティとして捉えていて、"1"の個と個に近い描き方とは違った視点であるし、"1"で一つの起点として扱われていた"Jeepers Creepers〜"の歌は"2"では出てはこない。そういった相違を有しながらも"1"との接点を基本にした展開であるので、"1"を観ていないと話の筋がかなり分かりにくいものと思う。高校生のコミュニティにおける個々の人物像はそれぞれ分かり易く特徴付けがなされているため、登場人物の多さに戸惑うことは少ない反面、個々の描写が浅く感じるのは致し方が無いところか。高校生らと共に重要な役割を演じる農家の親子についてはかなり端折って話が展開するため、行動の動機や理由付けが分かりづらく、結局最後までもう一つすっきりしない。"1"では卑怯な程の無敵の強さを誇ったCreeperが今回は逆にやられる場面が多く、絶対的な強さと恐怖ゆえに救いのなかった"1"に対して、今回はそれらを覆さんとする意思が見て取れる。そういう点からも"1"とは話の筋において接点を有するものの、向いている方向は随分異なり、あるいは期待を裏切られる部分もあるかも知れない。"2"で普通の映画になってしまった、という言い方もできそう。

1月6日
CDが届いた。Jordan Rudessの"4NYC"。一枚だけなのに、やっぱりやたらでかい箱で届いた。箱が足りないのか、配送手法が変わったのか。

1月5日 その2
朝、病院へ検査に行ったついでに本屋へ寄ってStereosoundをようやく買ってきた。某氏の記事をじっくり拝見させていただくとしよう。ついでに、許光俊の「クラシック批評という運命」も買ったり。

1月5日
日曜日に急遽コンサートへ行くことになったり。Eclipse Classicユーザの方からメールをもらったり。Lavry Engineeringの布教しなくちゃ(をい)。

1月4日
もう忘れ気味な去年を振り返ってみる。去年一年間でトランスポートがP-0sになった以外に大物は変化無し。強いて言えば寝室のテレビとスピーカも替わったか。アクセサリー関係では目立つものではTower Slim、ぎりぎり去年中に届いたDie Hard MarkIIといったところか。某N氏関係ではトランスポートがしばらく居た他はP-0sの足でどたばたしたくらい?今年もこのくらいのペースでお願いします(苦笑)。ケーブルはパワー・アンプ用のAbsolute Reference、D/Aコンバータ=プリアンプ間のDesigner's Reference、おまけで寝室用のCanareとTOS Linkケーブル。今年も「適度な」散財をしていく所存でござりまする。

1月3日
"Puppet Master"を観た…が、これ、シリーズものの集大成みたいなものなのか、そのシリーズを観ていないので内容がちぐはぐどころの騒ぎではなく、評価以前の問題。新年早々に外れかよ。

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