待降節

12月はイエス・キリストの誕生を祝う降誕祭に向かって進んでいきます。この時期、カトリックの信者は、幼子イエスをひとりひとりの心の中に迎える準備をします。教会のカレンダーでは待降節の第一主日から一年が始まります。1997年は11月30日(日)から待降節(アドベント)にはいり、教会では聖堂に飾られたアドベント・リースの4本のろうそくに、日曜日ごとにひとつづつ火を灯していきます。また、待降節にはいると、イエスさまが馬小屋でお生まれになったことを記念して、小さな馬小屋が聖堂に飾られます。馬小屋のなか、マリアとヨセフの前の幼子イエスの場所は空いています。降誕前夜祭(クリスマス・イブ)のミサの際に司祭によって幼子イエスをかたどった人形が馬小屋に置かれるのです。

イエスさまがお生まれになった馬小屋を飾るのは、アッシジのフランチェスコによって始められた習慣です。アッシジのフランチェスコの「はじめての馬小屋」のエピソードを紹介します。

2001年クリスマスページより救いのみわざ

2002年クリスマスページより平和をなすために

無原罪のマリア(12月8日)

人は生まれながらに原罪を背負っています。しかし、マリアさまは救い主の母となるために、神からの恵みに満たされ、存在の最初の瞬間から罪のない清い状態にありました。1854年12月8日ピオ9世は「聖なる処女マリアは、その懐胎の最初の瞬間に、全能の神からの唯一無比の恩恵と賜物と特典によって、人類の救い主キリストの功績を考慮に入れて原罪のすべての汚れから守られた」と「聖マリアの無原罪の宿り」を信仰個条としました。そして、1858年3月25日には聖マリアご自身がフランスのルルドで少女ベルナデッタに現れ、「私は原罪がなくて宿ったものである」と言われたのです。

主の降誕(クリスマス)(12月25日)

「おおきな喜びを、あなたがたに告げ知らせよう。きょう、わたしたちに救い主がうまれた」(ルカ2・10〜11)約2千年前、世界の歴史の中にイエス・キリストは人間となられました。この日、幼子イエスの誕生日を祝うだけでなく、キリストの来臨が世界と自分の人生の中心点となり、わたしたちの心の中にキリストが生まれてくださるよう祈ります。
「キリストが千度ベツレヘムにお生まれになっても、あなたの心の中にお生まれにならなかったら、あなたの魂は捨てられたままです」とシレジウスという人は書いています。

カトリック教会では、24日、クリスマス・イブの真夜中にミサが行われる習慣でした(現在では真夜中のミサはあまりありませんが)。ミサでは、神の子の誕生の賛美、誕生ものがたりの朗読、マリアへの天使のお告げなどを厳かに祝い、パンとぶどう酒の聖体祭儀が行われます。聖堂内には誕生のようすを表すクリブ(まぶね)が飾られています。翌25日の朝早くと、午前中にもミサが行われます。この習慣はエルサレムに起源を持つといわれます。
また、クリスマスという言葉は英語の「Christ Mass」(キリストのミサ)からきています。

聖家族

イエスとその母マリア、父ヨゼフの3人を聖家族と呼びます。

聖家族という言葉は、教会内で「家族全員がカトリック信者である家庭」という意味で使われることもあります。だからと言って、「おたくさまは結構ですわね、聖家族でいらっしゃるから・・」なんていう言い方をすると皮肉に聞こえてしまいます。

神の母・聖マリア (1月1日)

初代教会の頃、ネストリオという人が「聖マリアは人間キリストの母であっても、神性の母ではないから、神の母とは言えない」と唱えだしました。そこで431年小アジア(今のトルコ)のエフェゾ大聖堂で公会議を開き、討議の結果、聖マリアが「神の母」であるという教理を確立しました。このエフェゾ公会議千五百年祭にあたる1931年に教皇ピオ十一世によって「神の母」という記念日が設けられました。

主の公現

イエスがユダヤのベトレヘムにお生まれになった時、3人の博士たちが不思議な星に導かれて東方からはるばるエルサレムにやって来て、「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見て、拝みに来ました。」と、たずねました。これを聞いて当時の王ヘロデは不安を抱き、博士たちに「詳しく調べて私に知らせてほしい」と送り出しました。ヘロデ王は博士たちを利用して幼子イエスを殺そうとしたのです。博士たちが出発すると東方で見た星がふたたび輝きながら先立って幼子のいる場所まで案内してくれました。博士たちは幼子を見て、神であり、救い主であることを直感しひれ伏して拝み、黄金(キリストが王であることを示す)、乳香(キリストが真の神であることを示す)、没薬(キリストの真の人であることを示す)を贈り物として献げました。3人は「ヘロデのもとに帰るな」というお告げの夢のとおり、別の道から帰国の途につきました。
このご降誕後まもなくユダヤ人以外の異邦人に初めて公にお現れになったことを記念する日です。
教会では、クリスマスに飾られた馬小屋は降誕節が終わったこの日に片づけられます。

主の洗礼

洗者聖ヨハネがヨルダン川で人びとに川の水で洗礼をさずけていた時(イエスさまが生きていた時代:AD25年頃)、イエスも群衆に混じって洗礼を受けに来ました。これを見たヨハネは、ひと目で救い主と分かりました。イエスが洗礼をお受けになり、祈っておられると天が開け、聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降り、天からは、「あなたは私の愛する子、私の心にかなう者」と、声がしました。
イエスはこの受洗を、ご自分の宣教生活の出発点とされ、人びとに福音を伝え、罪にとらわれている人を解放し、病人を治し、苦悩する人を慰め励まし、永遠の幸せの道に導きました。

年間

教会のこよみでは、待降節・降誕節・四旬節・復活節以外の期間を「年間」と呼び、1年間に33週及び34週あります。

キリスト教一致祈祷週間(1月18日〜25日)

「すべての人を一つにしてください」という最後の晩餐でのイエスの祈りに耳を傾ける私たちはまた、折にふれて目に見える一致をするように求められています。それは、ともに祈り、支え合うことによって、神がすべての人の救いのためにイエスを遣わしたことを「世が信じる」ためです(ヨハネ17・21〜23参照)。
キリスト教諸教会の間で毎年1月18日〜25日に定められている一致祈祷週間は、このことを強く意識する機会となるでしょう。

主の奉献

マリアとヨセフは、当時の慣習によりイエスの誕生後40日目にイエスを神にお捧げし、エルサレムの神殿に詣でた。そこで3人は、救い主を見ずに死ぬことはないというお告げを受けていたシメオンと出会った。シメオンはイエスを見るなり、イエスが救い主であることを悟り、神を賛美してイエスの将来をも予言した。

灰の水曜日

この日から四旬節が始まる。古くから悔い改めや深い嘆きのしるしとして「荒布をまとい、灰をかぶる」ことは宗教行事として、用いられてきた。現在のように、灰の水曜日に回心のしるしとして灰を受けることは、11世紀の終わりごろから始まったようだ。灰は命のはかなさ、死すべき命を連想させる。司祭が灰を頭にかける時の言葉の一つに「あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです」ということばがある。また灰を祝福する時には「全能の神よ、あなたは罪人の死ではなく回心を望まれます。土から出て土に帰っていくわたしたちが罪の赦しを受けて新しいいのちを得、復活された御子の姿にあやかることができますように」と祈る。このように、四旬節のはじめに受ける灰は回心を表すと同時に、新しいいのちに生まれる希望をいだかせるしるしともいえる。

四旬節

復活祭(イースター)前の準備の期間を四旬節という。もともとは復活徹夜祭に洗礼を受ける志願者たちが、祈りと断食を行う準備の期間として起こったようだが、現在は、教会をあげて復活祭をふさわしく迎えることが出来るように、祈り、節制、愛の業をとおして、父である神へ心を向け直す回心の期間となっている。
キリストの荒れ野の40日に習って、4世紀頃には、その期間が現在と同じ40日になっていたようだ。だたし、日曜日は四旬節中でも復活の記念日として断食をしない習慣だったので実際に断食をする40日になるように46日前の灰の水曜日から始めるようになった。
四旬節中は十字架の道行きの祈りをよく唱えます。


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