クリスマス・イヴ。夜10時、教会の前にみなが集まりました。男の人たちは手に手にたいまつを持って、約1時間の道程の洞窟へ歩き始めました。おりしも先ほどまで降っていた雪が止み始め、フランシスコの望み通りに美しい満月や星が現われ、たいまつの光も加わって、それは美しいクリスマス・イヴとなりました。行列の人々すべてが、たいまつやミサためのパンやぶどう酒、典礼書、十字架を持って、グレッチョで行われる“最初のクリスマス”に参加するのです。
行列が洞窟の前に到着すると、フランチェスコは、枯れ草でいっぱいになった飼い葉桶にイエスさまの人形を横たえました。その上に祭壇が作られました。その祭壇に、その洞窟の近くに住む百姓たちが連れてきた牛や馬、神父さんが乗ってきたロバが繋がれました。
その夜のミサで、フランチェスコが彼の生涯で最初で最後の助祭の役割を果たしたとブラザー・チラノが記録しています。フランチェスコが福音書を朗読しました。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々はみな、登録するために各々自分の町へ旅立った。ヨゼフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、はじめての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
(ルカ2章1〜7)
フランチェスコの説教が始まり、彼が「小さな町、ベツレヘム…」という時、その声はベ−ツ−レ−ヘ−ム−とあたかも羊が鳴くような調べで夜空にこだまし、そこにいる人々を千年以上も前の最初のクリスマスに引き戻し、みな言葉では言い表すことの出来ないほどの喜びを味わいました。その夜、共に祝った人々は、本当にベツレヘムにいるように感じ、神の愛、クリスマスの意味を知ったのです。
それから3年後フランチェスコは亡くなりましたが、グレッチョ村のクリスマスの伝説は世界中に広まり、それ以後、クリスマスになると全世界の教会や家で馬小屋が飾られるようになりました。
“神はその御ひとり子をお与えになるほど 世を愛された”
(ヨハネ3章16) |