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智恵子記念館・生家

  •   2002年12月22日、初めて智恵子記念館を訪れた。散歩コースに選んでj自宅から歩いて行った。表通りからは見慣れていた生家の中に裏側の入り口から入ると、ベートーベンの田園が流れていた。光太郎の「智恵子回想」にも書かれていたことであるが、光太郎との同棲後もよく郷里に帰り、好んで聴いていたそうである。また、「ベトオフェンの第六交響楽レコオドへの惑溺」は、東京に暮らす智恵子にとっては「新鮮な透明な自然への要求充足の変形」(智恵子回想)の一つであった。

     

      この電蓄は当時のものだそうである。 1920年前後の時代、貧しい音だったと思うが、いったい誰が演奏したSPだったのだろうと考えると興味深い。今後是非,近代日本の洋楽事情や智恵子の音楽体験を調査し,あれこれ想像してみたい。

     

芝居を見たいとは、つい思わないけれど、よい音楽を熱望する。ベトーフェンのがききたくなる。あの雄大、自由、高遠な第五シンフォニー、華麗極まりなくしかも高潔繊細なクロイツェルソナタ、清朗高格な抒情ムーンライトソナタ、其他のシンフォニー、自然に根ざす山嶽のようなスケールに微妙なそのデテール。音と音との接触は、まるで流れる宝石の小川、うつりゆくその的確なそして交錯した妙薬のような変化、其処に置かれるさまざまの間拍子こそ実に、量の実在と無限とを蔵して、あらゆる他の音調に対峙する。ベトーフェンの偉大さは自然の偉大さと、音と無音、実在と空間とに横わる絶大な力と美との、征服創造にあるのであろう。ああ第九が聞きたい、自分の魂はその空気に浸る時、洗われ高められ豊饒にされる。ベトーフェンの芸術から思い至るものは、ミケランジェロの壁画だ。(中略) 人の世に不朽な仕事〜芸術〜を寄与し成就した偉人連が夜の空の星座のように私達の上に輝いている。この空気のなかに息づくわれわれは祝福され恵まれたもの達だ。(後略) 「恵まれた私達」(智恵子遺文)

音楽(田園)が流れますが、ダウンロードに時間がかかる環境の場合は、最初は同時には聴けません。(MP3埋め込み)

 

 「智恵子遺文」や「智恵子回想」を読むと、 健康を害し、清貧に甘んじながら美と真実を希求して止まなかった智恵子の一途な姿に心を打たれる。「智恵子が結婚してから死ぬまでの二十四年間の生活は愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と、そうして闘病との間断なき一連続に過ぎなかった。(中略)彼女はそういう渦巻の中で、(中略)歓喜と絶望と信頼と諦観とのあざなわれた波涛の間に没し去った」と、光太郎は「智恵子回想」で書いている。学生時代から多くの芸術家たちとの交わりの中で、演奏会などでベートーベンの実演に接する機会があったのだろうと思う。SPレコードはまだ少なかったと思う。当時の楽壇の実情やレコードのリリース状況など今後調査して想像してみたい。東京在住のころ聴いて感動した名曲にまためぐり合うことはなかなかできなかったのだと思う。田舎の実家には電蓄があったとはいえ、聴けたのは「田園」などごく限られた曲だったのかもしれない。音楽への渇望はいたいたしいほどである。

 

 

 

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 表通りに面した生家

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