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智恵子記念館・生家
「智恵子遺文」や「智恵子回想」を読むと、 健康を害し、清貧に甘んじながら美と真実を希求して止まなかった智恵子の一途な姿に心を打たれる。「智恵子が結婚してから死ぬまでの二十四年間の生活は愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と、そうして闘病との間断なき一連続に過ぎなかった。(中略)彼女はそういう渦巻の中で、(中略)歓喜と絶望と信頼と諦観とのあざなわれた波涛の間に没し去った」と、光太郎は「智恵子回想」で書いている。学生時代から多くの芸術家たちとの交わりの中で、演奏会などでベートーベンの実演に接する機会があったのだろうと思う。SPレコードはまだ少なかったと思う。当時の楽壇の実情やレコードのリリース状況など今後調査して想像してみたい。東京在住のころ聴いて感動した名曲にまためぐり合うことはなかなかできなかったのだと思う。田舎の実家には電蓄があったとはいえ、聴けたのは「田園」などごく限られた曲だったのかもしれない。音楽への渇望はいたいたしいほどである。
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