シャバーブ

شباب


 

シリアでは若い男性をシャブといい、複数になるとシャバーブという

要するに若いお兄さん達を指す言葉が「シャバーブ」である。

しかし、これは当時の私にとってアホの代名詞でもあった。

ただフラフラと男ばっかりでかたまって、街中でボーーーーっとしている輩がシャバーブである。

どこの国でもそうだが、目的もなくフラフラ野郎がかたまってると、ろくなことを考えていない

シャバーブだきゃぁ、たいがいせーよ

と何回シリアでわめいたのか覚えていない。

イスラムの国では、男性と女性を明確に区別し、自由に話しをすることもできない。

ダメといわれると、よけい欲望をかきたてられるのが、人間の性なのか、

男女交際がままならないシリアでは、若い男は女のことで頭がいっぱいである。

そして、シャバーブは自国の女、イスラムの女性に対しては、紳士的なのに、

外国人女性をみると、その反動のためか、失礼きわまりない。無礼と言ってもいい

視線をそらすことなく、なめるように頭の先から足の先までじろじろ見て

視線が合おうものならニヤニヤと笑いながら話しかけてきたり、

シーニー(中国人)コーリー(韓国人)ヤバーニー(日本人)とぶつぶつ言っている。

元々、大阪の人間は歩く速度が早いらしいが、シリアでそれが強化された。

タラタラ歩いていると、からまれるからだ。

あるとき友達と待ち合わせしていたので、約束の場所で待っていると、

いきなりオヤジが近づいてきて、私に向かって「アッデーッシュ?(いくら?)」と言った

毎日なめるように視姦されて頭にきていたところに娼婦に間違われ、

私の怒りは頂点に達した。

なんやと、コラ、あっちいけ、ボケ」と日本語で言い返すと、

相手にしてもらったと勘違いしたのか、ヘラヘラしてるので、

「私は日本人だ、警察に行くか?」というと慌てて向こうへいった。

その時の私はこの無礼者め、とシリア人に腹を立て、怒り狂っていたが、

今思い返すと、彼らがそうなったのには社会的背景があり、

私も青かったなぁ〜と、それすらいい思い出となっている。

私達も、アメリカ人なのか、イギリス人なのか、オーストラリア人なのか、

明確な区別はつかないし、アジア圏の人たちについては、自分がアジアだけに

なんとなく区別はつくが、よくわからない。

当時のシリアにはほとんど外国人がいないし、特にアジア圏の人間は少ないので、

シリア人にとっては、中国人も韓国人も日本人もフィリピン人も皆同じに見えるようだ。

私達がシリアに来る前、フィリピンとスリランカから、娼婦の団体が来ていたらしく、

彼らはアジアの女は娼婦というイメージを持っている。

自分にとって未知のものと遭遇したとき、初めてのものが強烈な印象として残るが、

シリア人の場合、アジアの女性に対し、そういうイメージを持ってしまったようだ。

大体シリアにいる娼婦はたいてい外国人だ。シリア人にはほとんどいない

血族の絆が強いシリアでは個人の恥は家族の恥という側面がある。

シリアの女性はたくましく、子供をガンガン産むので、家族も多い。

最近では先進国の影響を受けて、少ない子供に十分な教育を受けさせるという考えも

定着してきてはいるが、五人以上兄弟姉妹がいるのはざらだった。

従って、家族の中から、娼婦を出すというのは一族の恥だと考えられているので、

シリア人の女性が娼婦になるのは非常に難しい

多分、そんな職業につく前に、家族に殺されてしまうだろう。

彼らは誇り高い民族で、人目を非常に気にするし、恥をかくくらいなら死を選ぶといった

気質もまだまだ残っている。

シリアで直訳すると「娼婦の兄弟」という意味の言葉をはくと

刃物沙汰も辞さないケンカになること必定だ。

それくらい女性の貞操観念についてはうるさい土地柄である。(半月刀事件しかり

おまけにイスラム教の、持てるものが持たざるものに分かち与えるという

「喜捨」の教えが定着しているため、体を売らなくても人から施しを受けることができる。

自分より身なりのいい人に「バクシーシ(恵んでちょうだいな)」と言えば

たいてい小銭くらいはくれる。

だからあえて身を売らなくても生活することはできるのである。

おまけに一夫多妻が認められているので、不特定多数を相手にしなくても

裕福な男の第二夫人、第三夫人、第四夫人という道もある。

そういう国で生まれ育った彼らが初めてじかに見聞したアジアの女性が娼婦で、

しかも団体で来ていたとすればそういうイメージを持ったとしても仕方のないことだ。

実際私もシャバーブはみんなアホだと思っていたし、ろくでなしのバカヤローばっかりだから

この国はいつまでも遅れたままなんだと、シリアに来た当初は思っていた。

しかし、シリアに馴染んで人間関係が出来てくるにつけ、その考えは変わっていった

私の面倒をよく見てくれ、私がシリアのお母さんと思っている女性に17歳の息子がいて

その息子がまたよく出来た息子だった。

優しくて、家族想いで、たくましく、頭もよかった。

私が遊びに行くと、照れたようなはにかんだ顔で迎えてくれ、失礼なことはなにひとつしなかった。

私の生徒は16歳から65歳と幅広く、いわゆるシャバーブと言われる年齢の息子を持つ人や

結婚している人もたくさんいて、私が遊びに行くと彼らは実にいい人ばかりだった。

いわゆる好青年って感じだった。

知らないという事は恐ろしいことだ。

私はそういう好青年を知らなかったために、シャバーブはみんなアホだと思っていた。

その後シャバーブみんながアホではないとわかっていても、

街中で舐めるように見られたり、娼婦と間違えられたり、からかわれたりすると

激怒していた。

しかし、おもしろいことに「日本人だ」というと彼らはコロっと態度を変え、

人懐こい顔をして、「日本人は頭がいい」といいながら、尊敬の眼で見たりする。

ほんとにもう、しょうがないわねぇ〜って感じだったのだが

ある事件をきっかけに、シリアのシャバーブはまだかわいいもんだという

考えに変わった。

それは、お隣の国、ジョルダンに行った時の出来事だった。

ジョルダンの協力隊員に市内を案内してもらうために、

私は女性隊員数名とタクシーを拾うために道路わきに立っていた。

その時、近くにいたジョルダンのシャバーブが私たちの方をみて

ヘイ、フィリピーナ、カモーーーン」と大声で言った後、

それ以上の大声で笑いながら私たちを指さしたのである。

私たちは派遣された国の発展のために日夜苦労し、協力活動を続けていた。

その国の人達からそんな侮辱を受けるいわれはないのだ。

全身の毛穴が開いてワナワナと震えるくらいの怒りがこみ上げてきた。

その時の私は自制心ってなんですかぁ〜?状態になり

なんやとぉ、コラァ〜と日本語で叫んだあと、

知ってる限りのアラビア語で悪態をついた。

向こうは一瞬驚いた後、ムッとしていたが、ぶつぶつ言いながら向こうへ行った。

シリアのシャバーブは遠巻きにコソコソ言ってるだけだし、セクハラオヤジだって

あんなに人をバカにした態度ではない。

シリアの場合はなんとかお近づきになりたいって感じで、

基本的には芸能人を目撃したパンピーに近いものがある。

その事件があって、シリアに戻ってからはシャバーブに対してやさしくなり、

機嫌のいいときにはにっこり笑って「私は日本人よ」と言うくらいの余裕が持てるようになった。

ジョルダンのシャバーブがみんなそうだというわけではないが、

あの屈辱は忘れられないものだった。

今考えれば彼らのおかげでシリアのシャバーブがかわいいもんだと思えるようになったのだから

彼らにも感謝しなくちゃいけないのかもしれない。

 

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