イスラム教ラマダン


イスラム教には様々な教義がある。

イスラムについて詳しく知りたい方はIslamic Centerを見ていただくとして

ここでは詳細は省く。

私の持つ宗教全般のイメージは胡散臭く、根拠がなく、あやしい

といったものだったが(日本の宗教は特にそうだ)

イスラムについては私の感じるところ、宗教というよりは道徳といった感じがした。

なぜそう感じるかというと、イスラムの教義には理由があって、たいていそれが理にかなっている。

イスラムの経典であるクルアン(コーラン)を隅々まで理解しているわけではないが、

そこには何がよくて、何が悪いことなのかが書かれてある。

シリアは90%がムスリム(イスラム教を信じる人)なので、宗教が生活に密着していて、

イスラムの行事が国民の行事として行われていた。

その中で最も印象深いのがラマダン(断食)だった。

ラマダンが始まると、生活スタイルが変わる

日本人にとってイスラムとは全く違った世界の、全然かかわりあいのない世界で

どんなもんだかさっぱりわからん

っていう人の方が多かっただろうが(私もそのうちのひとりだった)

メディアのおかげでなんとなくの知識は入ってきている。

まず、ラマダンは断食だと思っている人がほとんどだろう。

そして、断食というと、いっさい食事をしないという印象を持つ人も多いと思うが

イスラムのラマダンは日の出から日没までの間は飲食しないというもので、

逆に言えば、お日様が沈んでいる間は食べ放題というものだ。

本来はそうではないのだが、イスラム教も他の宗教と同じく、教義がある程度歪められてきていて、

シリアでも食欲という欲望に勝てない人達が増えていた。

食料が豊富にあるがゆえに、あえて食事を質素にして、

ストイックに教義どおりのラマダンをする人が非常に少なくなっている。

本来のラマダンは飢えを体験することで食べ物のありがたみを知り、

自分が恵みを受けていることを実感し、感謝することにある。

あぁ、このように飢えずに過ごせる事はなんてありがたい事なんでしょう。

わたくしはなんという恩恵を毎日うけているのでしょう。

神よ、今日の糧をありがとうございます。」って感じだ

一度ラマダン(正確にはサウムと言う)をやって見ると、食べ物のありがたさが身にしみる

日の出から日没までの間、一切飲食してはいけないので、間違いなく餓えを体験出来る

特に水分とれないのがキツイ!ストイックな人になると自分の唾すら吐く

日の出から日没ってことは12時間くらいある。

日照時間の長い夏にあたるとさらに最悪だ。

お腹がすくのは我慢できるが、水分とれないのはマジでキツイ

究極の喉の渇きを癒す水のおいしいこと。

涙が出るくらいありがたく、水一杯に手を合わせたくなるくらいである。

しかし、当時の私はイスラムを理解なんてしてないし、

健康指導(これが仕事)の観点から言えば、ラマダンなんて不摂生のカタマリみたいなものだ。

ストイックな教義のラマダンではないので、

ラマダン期間中はこれを不摂生と呼ばずになんと呼ぶのか

ってくらい彼らの生活はメチャクチャだ。

日の出から日没までの間、飲食が禁止されているので、

彼らは完全に夜型になり、昼夜逆転もいいところだ

ラマダンの時間の終わりは大砲で告げられる。

その時間に合わせて主婦は食事を用意し、食べ物の誘惑に負けそうな主婦が多いのか

レストランも普段よりは繁盛している。

終了間近の彼らの様子はごちそうを前におあずけをくった犬のごとく目もギラついている。

スプーンやフォークを弄んでみたり、非常に落ち着きもない。

我慢しきれないジイ様が終了前に水に手を伸ばすと、

まだよって感じで家族が目で物を言う。

大砲がドーーーンとなってラマダンの終了を告げると同時にそこにいた誰もが

一斉に水の入ったコップに手を伸ばし、

ぐいーーーーーっと飲み干す

水を得た彼らの様子は至福の時を迎えたがごとく、恍惚の表情だ

その様子はクソ暑いなか営業活動で歩き回り、クタクタになったオヤジが

ビアガーデンで一杯目のビールを飲み干す様子に似てる。

そこから彼らの一日は始まる。

日中食べられない欲求がそうさせるのか、ラマダン時の食事は普段より豪勢だ。

ゆっくり時間をかけて食事を楽しみ、

これでもかっこれでもかっって位食べ続ける。

これを暴飲暴食といわずしてなんというのか。

日中すべての気力を奪われてるのか、けだるそうにしていたくせに

食事を得て鋭気を養った後は、その日ラマダン行を乗り切ったことにおおはしゃぎだ。

深夜まで活気にあふれ、騒ぎまくっている。

零時を過ぎる頃、ようやくそれも収まって寝るようだが、

3時か4時ごろにはまた起き出し(お祈りの時間なので、普段でもその時間は起きるが)

その日一日を乗り切るために飲めるだけ飲み、食べれるだけ食べる。

ラマダン中は仕事の時間が早く終わるとはいえ、仕事はしなければならない。

午後には死んだ魚のような目をしてフラフラになっている。

そんな生活が体に良いわけがない。

彼らはラマダン中も極力がんばろうとはしている。

レッスンだって休まないし、仕事だって行く。

でも、どう考えてもちゃんとできるわけがない。

エアロビクスのような運動を食事も水分も取らずにやるなんて無謀すぎる。

昔は「運動中は水を飲むな」と指導されていたが、

現在では運動中に水分を補給する事は必要とされ、飲まなければ事故につながると考えられている。

私も水分を補給しながらレッスンしていたし、喉が渇いたと認識する前に補給するように指導していた。

私は日本人の価値観を彼らに押し付けて、ラマダンなんか体に悪いことはヤメロと言ったものだった。

血中濃度が上がりすぎて脳梗塞を起こしはしないかとか、

心臓発作を起こしはしないかとか、熱中症で倒れはしないかとか心配でたまらなかった。

私のレッスンで死人なんて出してたまるかって感じだった。

仕方ないので、ラマダン中はエアロビクスを指導するのはやめて

ストレッチの授業に切り替えた。

ようやく指導の効果が出てきていた時だけに、そんなことをしたら今までの努力が

台無しになるじゃないかと腹立たしかった。

本来のラマダンは素晴らしいものだが、彼らを見ているととてもそうは思えなかった。

これを楽しみたいから僕はここへ通ってきてるんだよ

そういいながらジムで汗を流した後、ビールをガバガバ飲んでいた会員を思い出していた。

その人は日本でインストラクターをしていた時の会員で、

どうしてもビールを飲みたいから運動していると言っていた。

過酷な運動をした直後にアルコールを飲むなんて、かえって体に悪いから止めたほうがいいし、

体を大切に思うのなら時間を置いたほうがいいのだが、本人にはそれがたまらなくおいしいらしい。

私は主治医ではないので、それを止める権利もないし、アドバイスしても聞いちゃいないので

そのうちバッタリいくな、なんて思いながらその人を見ていたものだった。

幸いラマダンは春だったので何事もなく済み、私は胸をなでおろしたものだった。

でも彼ら自身はラマダンを楽しんでいて、私にはイベントに見えた。

実際「ラマダン、ヘルーーー(ラマダンってステキ)」ってみんな言っていたし、

やらなきゃならんからやってるとか、苦痛を感じているというのではなさそうだった。

宗教としてのイスラム教は日本において非常に印象の悪い宗教であるが、

私個人はイスラム教くらい平和を目指した宗教はないと思っている。

イスラムの教えをきちんと解釈すれば、こんなに合理的な考え方もないと思う。

私たちが受け取っている情報は実際とはかなり違っている。

はっきり言うと操作されていて、操作しているのはイスラムが広がると困る人達だ。

イスラムの真髄は神の元に人間は皆平等であり、人が人を虐げることを悪としている。

ムハンマド(イスラムの預言者)でさえ、神の前ではただの人であり、特別ではない。

ただ、そのイスラムの真髄というか心を理解しているムスリムがどれだけいるかは

はっきりいってわからないが。

私がラマダンに対して偏見を持っていると、

ラマダンは出来るだけ日常生活に近づけつつ、飢えを体験することによって神に感謝するのだ

と本来のラマダンの意味を教えてくれた人がいて私もやってみた

確かにメチャクチャありがたかった

でも、一日で十分だった

私には自分をいじめる趣味はないし、一日体験しただけでも

これねっ、これねっ、これなのね、伝えたいことは

とラマダンの教義を会得したし、食べ物を粗末に扱う人を見ると

このバチあたりめが〜」って気持ちを持つようになった。

当たり前だと思っていたことがあたりまえではなく、世の中はありがたいことで満ちている。

相変わらずささいな事で怒り狂い、文句たれたり、愚痴言ったりしているが、

そういう時、シリアでの出来事を思い出して癒されている。

 

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