笹山てるおの旅日記・過去ログ・
「インド編」 地下オンHP

2001年1/27インド(アムリトサル) 1/31インド(ニューデリー)2/7(バラナシ) 3/14 (リシュケシュ)4/1( ダラムシャラー)4/6インド(ニューデリー)4/11(ゴア)4/26(ムンバイ) 5/7(ハンピ)5/14(ジョードプル)5/17(ジャイサルメール) 5/23(ブッタガヤー)5/27(カルカッタ)
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2001年 1/25 (木) ラワールピンディーからラホールへ移動。朝食くってのんびりと、しかし、バス・ターミナルには丁度良いフライング・コーチ( でかいバス) がなく結局ミニバスで行く事に。が、そのミニバスが途中で故障。どうするのかと思っていると、街道を行く他のフライング・コーチを拾って乗せてくれた。今までバスが故障して遅れた事、何度もあったけどこんな迅速な対応はなかった。ヨーロッパよりも凄い!! 外国人のせいか運転席横の特別席が与えられる。すし詰めにもかかわらず、座り心地は悪いが良い眺め。予定通りの時間にラホールに到着。12月後半からずっと相棒2人とともにひと月近く旅をしたので一人になってほっとすると共になんだかどっと疲れる。人と一緒の旅は部屋のシェアなど金銭的には楽だが旅の スタイルが違うからやはり難しい。ホテルはWの部屋しかとれなかったのだが、たまのぜいたく。明日は国境越え、ついにインド突入だ!!

いよいよインド。シタールを習いたいと言っていたが、ちゃんと出会えるかなぁ。(5/5 地下オン・青木)


・インド(アムリトサル)・

1/27(土) ゲーリー君がまた俺を訪ねてきた。パキスタンに入って以来3度目。呼んでもいないのにやって来る。それまでは殆ど大丈夫だったのに、昨日国境で飲んだ水が怪しい。精神的なもんだよ!と言えないこの尻からのほしばしる水しぶき! 今日はシーク教徒の本山"黄金寺院" の巡礼宿に泊まるつもりだったが体力なくあきらめる。サイクルリクシャーとばして寺院のみ見に行く黒山のような人出。髪をかくし靴を脱いで参拝、だが腹のごろごろ直らず、急いで宿に戻る。飯も喰えない、動けない、昼飯は大奮発して高級中華を何とか喰ったが、そこまで。インド人頼む!! 皿とコップはきれいに洗ってくれ〜、ミネラルウオーターは本物を売ってくれ!!

1/28(日) 下痢はやっととまるが、体きつくて、HOTELふんぱつしてホットシャワー付にかわる。デリー行きの切符を買いたいがそんな気になれない。夕食やっと食えそうになり、部屋で食べようとパキスタンで買った弁当箱を持参して行くが親父が素手でライスを詰めるのを見てうんざりする。カレー喰った後、弁当箱洗ったら油ぎとぎとで、その途端、胃も受け付けず全部吐いてしまう。インドの洗礼はこんなにきついものなのか、しかし、日本でおせいじにもきれい好きとは言えない俺がうんざりする衛生観念、旅に出て初めて日本が恋しくなりました。そして日本食が食べたくなりました。お腹にやさしいもの、そして清潔なものを・・・もりそばが食いたい!!!

笹山君。やられてますね。これはとってもいいことでしょう。これから楽しみです。(5/12 地下オン・青木)


・インド(ニューデリー)・

1/31(水) ニューデリーで少しほっとする。ここは旅行者の多い街で、メインバザールはそれ用の食堂が何軒かあり選択肢も色々あるし何より店が清潔だ。ツーリスティックで喜ぶなんて変かもしれないけれど、体を休めるにはいいかも。相変わらず街はほこりっぽく牛とゴミであふれているが・・。気になっていたKengiに会う事が出来た。 アムリトサルで黄金寺院の巡礼宿(シーク教徒の巡礼者が泊まる宿。旅行者も無料で泊めてもらえる) お〜お前も少しは強くなったか、と思ったら早く日本に帰りたい、と言うので、明日旅行業者へ行き、エア・チケット買ってデリーOUTさせる事にしよう。

2/2(金) Kengi ともう一人同じドミの日本人が誕生日なのでコンノートプレイスと言う中心街にバースディケーキを買いに行く。インドの主都のそのまた中心地なのでやはり金持ちというか上流階級の様な身ぎれいな人ばかり。汚れた服装でうろうろしているのは少し恥ずかしい。その後、カセットウォークマンに外付けするスピーカーを買う。ヘッドホンで聴くのは疲れるし、たぶん南へ行ったら、たくさん音楽を聴きたくなると思うから。ゴアにはやはりパーティーとマリファナ目当ての旅行者がたくさん集まってくるらしい 。行こうか行くまいか今は迷っている。ドミで自分のテープを聴かせると、そこにいた四人の日本人全員が買ってくれた。何だか申し訳ないが、内容には自信があるので楽しんで下さい。その後、昨夜につづきギターを弾いて歌いまくる。他のHOTELから歌本を持ってやってきた奴がいて、何でもあり、思いついた曲をはじからはじまで、、、楽しかった。

笹山君。やっと、またギターの生活が戻ってきたようですね。「はじからはじまで楽しかった・・ 」いい言葉だなぁ。
(5/19地下オン青木)


2/7(水) 無事バラナシ到着。が、まだ5時半(朝) なので人でごった返すホームで夜明けまで待つ事に。しかしここでトラブル発生。同じ席にいたアメリカ人が一緒に荷物をまとめて待っていた所、リキシャーの男と彼が話している間にカメラの入った バックを置き引きされる。リキシャの男も消え、どうもグルになって注意を引いている間に盗んだ気がする。あの状況じゃどうにもならんだろう。保険にも入っていないと言っていたし。サイクル・リキシャーでU子ちゃんとガンガー到着。ついに来た。インド目指して来たというより、この場所に来たかったと言う方が正しい。やはり何か他の場所とは違う空気が漂っている。感無量。沐浴するインド人の横を抜け、宿さがし。学生の多い時期で、何処もFULL状態。ガンガー沿いのビシュヌ・ゲスト・ハウス、ロケーションも良く、気に入ったがダブルしかない。他の宿も考えたが、とてもよい感じなのでU子ちゃんと部屋をシェアする事に。まだ若干20歳、嫌がると思ったが以外だった。。(まあ、親父と一緒なら安全と思ったのだろうが)これで一段落、しばらくここに沈没します。何だか、とても居心地良さそうだし、明日から楽しみだ。

2/9(金) 朝6時に起き、ボートでガンジス川を散策。ガートではたくさんのインド人が沐浴している。老若男女、本当にしているんだと感心する。独特の祈り方(合掌しながら水に潜る) くり返している。反対側の不浄の地にのぼる朝日。何ともいえむ時が過ぎてゆく。昼からYOGAそして夕方から川辺でギターを弾く。そしたらギターを持ったスペイン人が来て、セッションが始まる。結局3時間近く、遊んでいた。これだから音楽は素敵、バラナシは日本人が多く、西洋人と仲良くなるチャンスが逆に少ないが、音楽があればそれもあっと言う間。明日もきっと、こんな風に一日は過ぎてゆくのだろう。

笹山君。新しい日々に入ったようですね。僕もバラナシにはひと月いました。奥の深い町です。(5/26地下オン・青木 )


2/16(金) 今日もヨガ休む。下痢は止まったが便秘気味で体調良いのかどうかわからず。午前中、部屋でギター弾き、旅の中ではじめて曲らしきものが出来る。仲々良い感じ。やっぱり旅の事を題材にしたもの。(同室のU子のイメージで作りました) 詞はこんな感じ・・

   タイトルなし♪
どこにいたって 朝陽はのぼるよ
今を背中から ずっと 追いかけてゆくよ

乾いた砂に しみ込む水が
やがて 川になり 今 流れてゆくよ

※君は どこまで ゆくのだろう
 果てしなく 広がる世界を
 これから どんな風に生きるだろう
 限りない 時間の中で

きれいなものや 汚れたもの
みんな ひとつになって 今 流れてゆくよ

いつかもう一度ここにくる時
どんな 自分になって いるだろう?

※repeat
行けるさ どこまでも行ける
君の望むところへ

書いてみると、余りに素直で何のひねりもありませんが、旅をしている内に余計なものがどんどんどうでも良くなってしまい、ありふれた言葉が胸にじんと来る様になってしまいました。もう少し手直ししたら、テープに録ってみます。
昼寝した後、川でギターを弾く。今日は何だかうまく演奏出来たような手応えがあり、嬉しかった。(いつもの様に人は現れ、去っていった。) そこで知り合った日本人の姐ちゃん達二人と一緒に夕飯を喰う。明日からまたYOGA を始めよう。

2/19(月) 同室のU子が南インドに発つ。別に何がおわったわけではないが、10日位部屋をほシェアしたので淋しさがつのる。ゴトウリアー交差点でリキシャーをひろい、見えなくなるまで手を振った。ひとり旅しているくせに、人と一緒にいると、やはり別れ際は切ないものだ。川でギターを弾く。せつないので、そこで話した日本人と昨日の店に行き、ビールを飲みに行った。一人になり、部屋をどうしようか迷ったが、このゲストハウスをいたく気に入り、動きたくないし、ドミもフルだし(シングルはない)大枚はたいてい、(インドにしては、ヨーロッパの頃考えれば安い買物) この部屋をキープする事にする。今まで、ずっと予定より安く旅出来たので、これは自分へのごほうびという事で、たぶんあと2週間位、ここにいるだろう。

・・見えなくなるまで手を振った・・最近、ずっとそんな事ないなぁ・ (6/2地下オン・青木)


2/20(火) まぁ、いつもと変わらない一日。だんだん暑くなってきた。宿のあるじに部屋を変わってくれないかと言われて、明日からドミに移る事にする。まぁ、いいか、その分ういたぶんでいい服も買えるし。ドミは10人位入るので狭くて気が乗らなかったが、W ルームは一人では広すぎるし。夕方ギターを弾く。いつも一緒になるスペイン人達とセッション。その 友達のチャイニーズ系? フランス人とその友達、フランス語で話しながらボサノバやったりしてめちゃかっこいい。チャイニーズ系とは思えん、こじゃれた雰囲気、インドにボサノバはあまり似合わないが、とても楽しいひと時であった。

2/22(木) ドミトリーに鈴木君が訪ねてくる。彼とはニューデリーのNAVRANG HOTELのドミトリーで2日一緒だった。そして、午後、火葬場マイカルニカー・ガードを見に行き(まさに目前で火葬していた。足が手羽先みたいにチリチリと焼けていた。インドではいつも思うが、センチメンタルな気持ちを吹き飛ばしてしまう、とても生々しくリアルな風景だ) その帰りに、イラン→パキスタンを共にすごした片山君と会う。懐かしく、そして照れくさい。旅の途上での再会は何かそんな気分。夜は鈴木君と旧交を暖めビールを飲みにゆく。男4人だったので、久しぶりに酔っ払う程に飲み、気持ち良かった。

バラナシに長いする人は多い。なんだか毎日楽しそうでいいなぁ。(6/9 地下オン・青木)


2/25(日) 日課のYOGAをして、午前中はギターを弾いてすごす。昼寝をした後、何人かでボートを借り、上流のインド音楽フェスティバルを観に行く。おととい初日に行ったが通し券300Rsしか売らないと言われ、観ずに帰ってきたもの。最終日ならディスカウントしていると思い、到着するが音沙汰なし。どうも昼の部は、昨日も今日もキャンセルになったらしい。如何にもインドらしい不手際だが、2回も来て手ぶらで帰りたくないので、2時間程時間潰し、夜の部を観る。" カタックダンス"と言う、タブラのリズムに合わせてステップを踏み踊るのがめちゃくちゃかっこ良かった。フラメンコを観る事が多かったので何か、その原型の様に感じた。オールナイトだったので最後まで居たかったが、蚊の猛攻に会いバラナシは夜危ないので、12時頃に帰る。しっかり鍵しめられて、開けてもらい宿のおっちゃんに文句言われる。

2/28(水) 下痢は良くなったが、どうにも立ちくらみがするので、ビタミン剤を買ってみる。気を付けていても、どうしても野菜が不足してしまう。果物も良い質の物が少ないし・・。金を出してもいいから安心 出来る物が食べたい。一週間前におやじに渡されたサミダルウッドのネックレス、結局2本を300Rsに値切って買う。後一本は誰かに プレゼントするか。(誰に?) 朝も夕方もギターを弾いて過ごす。フラ・シストの兄ちゃんとハープで遊ぶ。
今日の大ショック・・ついにギターをこわしてしまった。ドミトリーのベットから床にむ落として。ボディの裏側が割れてしまった。この日が来るのを恐れていたが、ついに来てしまった。ギターちゃんごめんなさい。テープはって応急処置をする。インドで修理はこわすぎる。

ギターの傷も思い出になるんだろうなぁ。(地下オン・青木 6/16)


3/1(木) 今日から3日、もうすぐ俺の旅も半年になろうとしている。バラナシをいつ出ようかずっと迷っていたが目標11日という事に。9〜10日にHOLLY という大きな祭りがあり、インド人は酒やバングラッシーを飲んで騒ぎまくり、旅行者は危なくて外に出られないらしい。ので、その前に出るとなると、どうも心が動かない。バラナシは長居させる力があるみたいだ。ただ一ヶ月もいると、知りあいが出来るのはいいが、親しくなりすぎて、見なくていいのまで見えてくるとそろそろ潮時かなと思ってしまう。今朝ボートに乗り、ボートマンの親父からガンジスを散策中ずっとグチをきかされる。HOLLY には子供に服を新調する習慣らしく、6人分用意する金がないらしい。俺に貸してくれみたいな事言うので、銀行からか、金貸しに頼んでみればと答えた。夕方ギターを弾く。今日はイタリア人とメキシコ人と一緒に遊ぶ。奴らのラテンのノリは最高!! 本当に楽しそうだ。メキシコ人が満面の笑みを浮かべて歌うのを見て涙がこぼれそうになる。"ラ・バンバ"を"ラ・ガンガ"に替えて歌う。大盛上がり、そして昨日一緒に遊んだフランス人が近くにいるのに仲間に入ってこないのが何だかわかる気がした。

3/2(金) インターネットでメールを送るがどこもすぐ電気が落ちて何度もやり直し・・イライライラ。昨日のイタリア人が夕方ガートで待っていたのでまた演奏始める。今日はパーカッションもあり、なんだか盛上がりそうな予感。メキシコ人もそのうちやってきてテンションどんどん上がってゆく。ナマシバの唄(インドのお祈りの唄?) や"ラ・ガンガ" ラテンからビートルズそして"君といつまでも" まで歌いまくり、ハープ吹きまくる。楽器持った奴もぞくぞく集まり、ギャラリーも信じられない数になる(30、40人)。テープあったので録音した。今までこんなチャンスいつも逃がしてきたので楽しみ。メキシカンがサーランギを弾き俺のギターと合わせる。即興で、とっても美しい出来だった。もうひと月近くガートで演奏(遊んで)いたが自然にこんなになるなんて信じられない。ラティーノ達とやっているせいか集まって来る奴もインターナショナルだし、最高に楽しかった。

最高に楽しかったなんて、いい言葉言うなぁ。(地下オン・青木 6/23)


・インド(バラナシ)・

3/8(木) あぁ・・また夜中に吐く。下痢よりも何だかつらい。出るべき所でないところから出るというのは・・。午前中、前に行ったお医者さんへ向かう。薬もらい、帰ってくると何だか治るような気がするのが不思議だ。が固形物は摂るなと言われ、インドでもうなじみになった水をポカリスエットの様にする薬を使い、後はジュースなどでしのぐ。それから明日、HOLYが始まるので、それに備えてビスケット・バナナ等買っておく。街はすでに色つき水をぶちまけるガキが現れ殺気だった気配。買物している間にバラナシで出会った何人かの人々に出くわし、これがお別れのあいさつかなと思う。最後に"強い男"K吉君と話し、GOOD-BY・・夕飯にドミの日本人にもらったインスタントみそ汁を飲む。今までで一番旨いそれであった。思わず合唱する。弱った体をいやしてくれるのはやはり身にしみついた味であったのだ。

3/10(土) インド人が上から下まで大騒ぎの"HOLLY"の日。街中から"ウォーッ"といううなり声がきこえる。どうしても確かめたく宿を抜け出しベンガリニトラへ。店は休業、ガキ共が、色付き水を投げつけてくる。しばらく行くが何かすごくヤバイ空気濃厚なので逃げかえるるインド人が飲みなれない酒とバング・ラッシーできめたらやっぱりコワイ。宿の中でもインド人(従業員)が、色つき水を客にかけて大騒ぎ。顔中色塗りたくられ、インド音楽で踊りまくる。どこにいても同じなので部屋で寝ているのはだるいし結局、騒ぎに加わる。その後食ったレストランのポテトが染料でまっ青になっているのにはマイッタ。夕方に騒ぎはしずまり、心なしかインド人の毒矢も少し抜けた感じがする。もう思い残すことはない。明日、駅にチケットを買いに行こう。

とうとうバラナシを出るんですね。笹山君とバラナシの事を一緒に話したいなぁ(地下オン・青木 6/30)


3/15(木) YOGA・NIKETAN にとりあえず15日分払って入る。YOGAをやり、朝食はヨーグルト。昼はベジタリアンターリーを食ったところでムカっとくる。胃が受け付けようとせず、それを何とかなだめてやっと食う。が、元気はでず夕方まで眠る。夢見るのは飯の事ばかり? 前にも書いたと思うが"富士そば" でもりそばが食いたい!! MEDITATIONの時間もイメージするのは飯ばかり。このムカツキをいやして元に戻す食事がインドにはないのか? タイにはおじやがあったのに・・。本当にツライです。夕飯は食えずミカン2個のみ。情けないが、もう無理しては食えません。いつかここから抜け出せる日が来るのだろうか?

3/16 (金) 明け方に吐く!! 昨日の昼食ったターリー消化できなかったみたいだ。また病院に行く。アシュラムで紹介してもらったお医者さん、混んでいすて名医なのかもと思うがちょっとみて「大丈夫、大丈夫!!」と薬もらっておしまい。本当かよ!? と思いつつ、しばらくスパイシーな料理は食えそうにない。何だか右足も痛くなっきて歩いている内にねん座したのかも、全く情けない。仕方なくバナナとビスケットを買って帰る。こんな事ならネパールに行って日本食食えば良かったと思うがポカラは遙かバラナシの彼方、そこまで行く気力もなく、こりゃ2週間しかリシュケシュはもたないと思う。今日はYOGA&MEDITATIONする気力も体力もなく部屋で寝ていた。頭にちらつくのは日本食ぱかり、この苦境どうやって乗り切ろうか? 今はそればかり考えている。

笹山くん、調子悪そう。せっかくの旅なのになぁ。大変そう。(地下オン・青木7/7)


3/18(日) 今日はYOGAもメディティションも日曜日で休み。昼は外に出て食べようとするとバラナシであったオーストラリア人の女性とばったり出くわす。彼女はリシュケシュで唄を習っているらしい。昼食のあと、彼女としばらく川沿いを散歩する。調子悪くて今まで気づかなかったが、ここには牛は当然として猿にリスにロバ、そしてみんなベジタリアンのせいか川にはあふれそうなほどの魚がいる。誰も釣らないのだろう。まるで養殖場のようだ。今までゴミだらけの街ばかり見てきたが、こんな人里に、生き物があふれているのもまたインドらしい風景の気 がした。飯はやはり重いものは食えず。しかし少し上向きになってきた気がする・・もう少し・・かな?

3/22(木) ここでアシュラムの日程を書いておきます。

AM5:00 起床
 5:30〜6:30 MEDITATION←ちょっとさぼりがち
 7:00〜8:00 YOGA
 8:15 朝食
12:00 昼食
15:15〜16:00 レクチャー←さぼってる。昼寝か部屋で読書。
16:00 ティータイム
17:30〜18:30 YOGA
19:00〜20:00 MEDITATION
20:15〜 夕食

入口に名前を書けば外に出られるので一日一回は外の空気を吸い、まともなスパゲッティを食べさせてくれる店で食事しています。まだターリーのスパイスがきつくて朝のポーリッジ(あたためたヨーグルト)しか食べてません。外からの通いにすれば良かったと少し後悔している。やっと胃の調子良くなったが何だか左下腹部がしくしく痛む。バクテリア入ったかなぁ。嫌だなぁ。アシュラムも半分過ぎたのだ。

笹山君、お腹の調子が悪くなって長いなぁ。僕が旅していた時もそういう人がいた。ほんとかわいそう。(地下オン青木 7/14)


・インド(リシュケシュ)・

3/27(火) 横尾忠則の"インドヘ" ライブリーで借りて読む。精神世界や神秘体験(UFOも含めて) に重きをおいているんだと思って敬遠していたが、読んでみてやはりインドの超現実的な部分(火葬している隣りで牛がウンコしているとか・・) は避けられなかったらしくその感想とか面白かった。ただ、パリから陸路で少しずつ世界が変わっていくのを見てゆくとインドがそんなに特別の場所という感じはせず、その自然な変化の流れの中で産み落とされた国なんだなぁと思う。この先、ミャンマーの国境が開いていれば中国まで(パキスタンからも入れるが遠回りしすぎだし) 陸路で行けるのになぁと思い少しくやしい。それと横尾忠則のインド行きがビートルズに影響を受けてのことだと知って、とってもびっくりした。ここリシュケシュはまさにビートルズかマハリシ・マヘシ・ヨギに師事した。(そして見捨てた) 場所だからだ。俺は旅に音楽持っていこうと思いとりあえず自分の売るつもりだったテープとビートルズのほぼ全曲のMDをつめこんだがインドに来るまでビートルズなんてほとんど聴かず、荷物を増やしただけだったと嘆いたがインドでは何故かビートルズをよく聴く。今は時間がある事もあり、ほぼ毎日聴いている。ビートルズを最初の曲から最後の曲まで通して聴くとまるで一人の人間の誕生から死ぬまでを目撃(耳撃?) しているみたいだ。・・
飯も旨く喰える様になって来た。あと2日、あちらこちらと動く回りたい気持ちがふつふつと沸いてきた。

僕も インドに居たとき、よくビートルズを聴いた。なぜか、はまるんだよね。(地下オン・青木 7/21)


4/1(日) 気持ちの良いめざめ。宿の屋上から連なる山々が見える。ひんやりとした空気。飯が旨い。やっと完全かな? 町を歩き回る。父親が座禅をやったり仏教にとても魅かれているので(俺もその影響を受けているかも) 良い仏像を捜していたらあった。白檀を彫った仏像、顔も素晴らしい表情で惚れ込み、4.450Rs→ 3.700Rsまでなったので高い買物だがこれこそは、と思い手に入れる。値段交渉してる時、あぁやっぱり俺はインドの物価は安いと思っている(つまり俺は金持ちだと言う事!!) んだなぁと痛感する。店のインド人に"200Rs位まけてよ〜" とつい口が滑ったら、そいつは"200Rsは俺には大金だ!! "と言った。200Rs って500円位だが、インド人の感覚ならその何倍もするだろう。つい本音が出てしまった。これって仏像買ったから、なのかな。考えすぎかな。でもインドにいると、因縁とか業とかいう事を感じる社会が多く、またそんな風に結びつけて考える人間が多いので、つい俺も同じ様に考えてしまう。でもやっぱりこの仏さんは俺が手に入れなきゃと思う位、ぴったりと来る。親父に渡すまで、この仏さんを相手に瞑想しようかな?・・
チベット料理何でも旨い、トゥクパにモモに、テットク。ああ幸せの極み舌先に感じる。

体調が戻ってよかったね。それも仏さまのおかげ? (地下オン・青木 7/28)


・インド(ニューデリー)・

4/7(土) 今日はたくさんお金を使った日。まず写真、現像に出していたのを受け取り、ベルギーでお世話になった松江さんにパンジャビドレスを買い、フィフィ氏にあげる チベッタン・ベルと共に送る。ギターの弦が残り少なくなってきたのでインド製の安いのを買い足し、ついでに旅に出てからやら聴きたくなったスティーヴィーワンダーの古い曲"Youre the sunshine of my Life" etcの入ったテープを買う。そして4/9出発のGOA方面へ向う、列車の切符を買った。昨日の損の分足せばインドの最高級の列車"ラジャンダーEXP"に乗れたのに・・。4倍位値段違うものね。あきらめました。

・インド(ダラムシャラー)・

4/3(火) 4/6のバスで二ューデリーに行くつもりだったが、4/5に変更する。何だか 先へ動きたくなってきた。チベット料理もばっちり食ったし。午後から、ダル湖という水たまりの様な湖まで散歩。帰り道、花びらが丁度、日本で桜か花を散らす様に舞っているな、と思ったら蝶々!! だった。あまりの数に驚き見とれているとその中を牛がのそのそと歩いている、花札の様な風景、美しい。・・・宿は年中停電している(インドではどこでもそう)が断水もかかわり、シャワーが浴れず頭がかゆい。・・リシュケシュ→ダラムシャラーと殆ど人と喋らずにすごしているので、そろそろ騒がしい下界?へ降りたくなってきた。

スティーヴィーワンダーが聴きたくなるってわかるなぁ(地下オン・青木 8/4)


4/13(金) 朝、YOGAをして、朝食後ぶらぶらしていると顔見知りの日本人とばったり。俺がこのユルヴァ・ビーチに行く、とニューデリーの パヤルHOTELで話したのを聞いて訪ねて来てくれたらしい。今日アンジュナ・ビーチに遊びに行こうか迷っていたので何と言うラッキー。彼「TAKA」と部屋をシェアする事にした。日本人は他にはまるっきりこのビーチにはいない。昼と夜ビール飲みディナーは魚のグリルで久しぶりというか、こんな豪勢な料理食ったの旅の中で初めてではないかと思う。まぁそれ程おおげさなものでもないが、魚丸一匹圧倒的に旨かった。

4/14 (土) TAKAとMADOGAONの街に出る。せっかく海に来たのだから、ロブスター食いたいでもレストランでは高い→自炊しよう!! という事になり街に買い出しに。インド製のコンロ130Rs(安い!!)でゲット、昼過ぎでもう海産物はあまりなく、とりあえず浅利や米を買いリゾットでも作ることにする。夕方から料理にとりかかるがコンロがうまく火が作れず(あとでインド人にやってもらったら神業のように火がついた) 結局木を集めて燃やし料理する。ちょっとこげたがめちゃ旨いリゾットの出来上がり。途中知り合った日本人の女の子も合流して久し振りに楽しい時をすごした。やっぱり自炊は最高!!

ゴアはいい所だったなぁ。時期にもよるんだろうけれど。(地下オン・青木8/11)


4/16(月) 14日に知り合った日本人の女の娘(みほchian) が同じコテージにら引越して来てにぎやかになる。昼前マドガオンの街に買い出しに行き、エビとタイの様な魚を買う。コテージに戻って来るとコンロがなくなっていた。部屋の中が臭くなるので外に出しておいたのがいけなかった。とりあえず仕方なくそこら辺のヤシの木を集めて炊事する。それなりに旨くは出来たが、調味料に新しいナベも揃えたのに、非常にくやしい。エビ・タイは蒸し焼きにして、すごくおいしかった。実なんか プリプリであった。・・しかし非常に暑く疲れ果て、夜はレストランで食事。ビールにワインも飲む。GOAに来てから結構ぜいたくな日々でR。

4/17(火) マドガオンに出て昨日盗まれたコンロをもう一度買う。10Rs安く値切った。イカとアサリを買いシーフード・パスタを作る。ラーメンもそうだがインド製の麺はすぐにくっついてぼそぼそとちぎれ、まるで腰がない。つなぎなにか足りないのかな? 同室のタカが明日GOAを去るので夜はまた飲む。60Rsのステーキ(なかなかに旨い!!) をパクツキながらビールを飲み楽しい夜をすごす。

4/18(水) 同部屋のタカを送ってマドガオンの街まで行く。時計の電池を買い、ぶらぶらしようと思うが暑くて仕方ないので結局すぐビーチに戻ってしまった。帰り道、韓国人の若者と少し話し" ハッピ"という所がすごくよかったと聞く。心に引っ掛かる物があったので帰って調べてみよう。海で泳ぎ、夕食はみほちゃんとベジタブルスープ、ツナ缶、ライスというメニュー。シンプルだがとてもおいしい。ゴアに来てから今までが嘘のように食べ物がおいしい。

食欲が戻ってよかったねぇ。お腹の方もよくなったのかな。(地下オン・青木 8/18)


・インド(ゴア)・

4/22(日) 今日は日曜。と言って特に変わりなし。海辺でみほちゃんの灰谷健次郎の"海になみだはいらない"を借りて読む。思わず涙がほろり。その後ギターを弾き何故かGSの曲やザ・ピーナッツとか奥村チヨの曲なんか思い浮かびメロディー思い出しながら歌ってみる。せつない。特にスパイダースの"夕日が泣いてる"は素晴らしく海にぴったりしている。夕方、みほちゃんの友人、20すぎの若い男の子やってくる。彼はベジタリアンらしく夕方のなすのしょうが炒め、ツナのオクラ和え、ナスとキャベツの浅漬け(めちゃ旨かった) 食わなかった。海にいて旨い海産物手に入るのに勿体ないなどと、YOGAを勉強した俺が言うのもなんなんだが・・。夜中ライブイベントあるらしく近所の広場に三人で行く。この辺りは北と全然違いビール会社のスポンサーで堂々とビール売ってた。なかなかの演奏( 上手くはないが) 最近ダンスにめざめ自然に踊り出してしまう。バラナシでラティーノの達に出会ったせいか。バンコクに行ったらディスコ(サルサ・クラブが良いなあ) に行こうかと本気で思う。

ダンスにめざめるって、どんなダンスだろう?(地下オン・青木 8/25)


・インド(ムンバイ)・

4/26(木) あっという間にムンバイに到着。夜行で12時間移動は何でもない事の様に感じるまでになった。しかしムンバイ物価高い。唯一の安宿"サルベーションアーミー"はドミトリーのベッドに南京虫大量発生と聞いていたので、さりとて他にいい宿なく初めてその辺の客引きの兄ちゃんに連いてゆく。一泊260Rs案の上、案内料要求されたが"そんな事HOTELに言え!!"と言って断わる。いつもは夜行移動の後、疲れて爆睡していたが逆に眠くないので町をうろつく。牛とリキシャがいない街は、整然としているのに何故か殺気を感じる。何かフラストレーションがとぐろを巻いているみたいだ。散歩しているとマリファナ、オピュム、コカインとひっきりなしに声がかかる。ニューデリー、バラナシ以上。この物価高に加え、やはり円のレートは今悪いらしくATMでお金引き出してがっくり。プリンス・オブ・ウェールズ博物館見学しようと思ったがインド人10Rs、ツーリスト150Rsに怒り心頭(インドのこの手の入場料は今どこでもこうなっている) 隣り無料り現代美術のアートギャラリーに入る。これが仲々良かった。何故か首つりしている絵と暗やみに押しつぶされそうになっている人間の絵にじ〜んと来る。気が付けばもう夜7時を回ってる。がっくりと疲れてきた。今日は早寝しよう、おやすみ。

牛とリキシャのいない街ってあるんだね。(地下オン・青木 9/1)


・インド(コーチン)・

4/30(月) コーチンで有名なバック・ウォーター・クルージングをする。入り組んだ川の広がる一帯をフェリーでに乗って、クイロンという町まで一日がかりで旅をするもの。水郷地帯をゆっくりとフェリーは進んでゆく。まあ、それだけのものだが、周辺の村は車も走ってなく、とても静かで子供たち(時には大人も)、申し訳ない位笑顔で手を振ったり、声をかけてくる。一日一度の便だからもう慣れてしまっていると、思うんだが、俺が小さい頃ばあちゃんにせがんでいつも踏切に列車を見に行っていたのを思い出した。彼らにはそんな存在なのかな? クルーズの後、バス→リキシャーを乗り継ぎコヴァーラムという南の果てのビーチへ向う。到着が真夜中だったのでどんな場所だか良く分からないが素敵なビーチである事を期待しよう。

・インド(ハンピ)・

5/7(月) 電気が来ていないので、部屋が暑くてねむれず。ゲストハウス替えを考えて、朝何軒かあたるがどうもパッとせず、宿のあっちゃんの"今日中には何とかする"という言葉を信じずに( インドでこの手の約束はかなった試しがない!!) もう一日いる事にする。・・昨夜到着が夜だったので周りの景色は全然分からなかったが大きな岩がごろごろする中にあるわあるわ神殿やら寺院のあとが・・岩で出来た山というのも初めて見たような気がする。何やら14〜16世紀にかけて存在した都のあとだとか。しかし暑さがはんぱではなくバナナ農園やらジャングルみたいな中にあるので道に迷いへとへとになって帰り着く。良い所なんだけど来る時期が悪かったか? 電気がちゃんと流れて来たのは幸い、これでやっと眠れそうだ。

ハンピの町は知らなかった。僕も寄ってみたかったなぁ・・(地下オン・青木 9/8)


・インド(ハンピ)・

5/9(水) あいかわらず風邪のようなので、のんびりとすごす。久し振りに長い時間ギターを弾いたりして・・。夜、散歩していると、たくさんの灯りが田んぼの中で点滅している。最初、幻覚でも見ているかと思ったが"蛍"であった。日本じゃ縁日や公園に人為的に放した蛍しか見たことがなかったので、こんなにたくさんの自然な状態での蛍は初めて見た。本当に感動した。これだけでもハンピに来た甲斐があったというものだ。しばしぼう然として我を忘れた。カメラには撮れないだろうなぁ・・。

・インド(ジョードプル)・

5/15(火) 朝早く起きて町を見下ろす大きな砦へと向う。内部もまた日本のスケールでは考えられないような馬鹿でかさで簡単に迷ってしまう。一部分建造物が公開されていたが、塗装も見事なもので久し振りに金を払って良かったと思う。値段も50Rsと手頃だったし。犬は朝は、夜騒いで疲れ果てて眠っているし暑さもまだ耐えられるからこの時間なら歩き回れる。それにしても昼間は暑い!! 平気で40度超えているようだ。ジャイサルメールはもっと暑そうなので行こうかどうか、ちょっとためらっている。夜"ヒロ" とビールを飲む。夜中は熱風が吹き荒れてどうにも眠れない。こんな暑い時期に来てしまったのが失敗だったのか?

砂漠の町っていうけれど、行ってみると、おおきな町だったりするんだよね。(地下オン・青木 9/15)


・インド(ジヤイサルメール)・

5/18(金) 街をぶらぶらする。街自体の美しさはジャイサルメールの方がはるかに素晴らしい。そして女性のサリーもいつの時代 から変わってないのかという程、今を感じさせない。そこに牛はもとよりヤギ、豚、ラクダなど入り乱れて宿の窓から眺めると時間を忘れてしまう。そして町のはずれに住むボパ(音楽隊カースト) の住むコロニーを訪ねてみた。彼らは気易く、というかツーリストは金になると思っているのか、俺を迎え入れてくれて少しの間独特のバイオリンの様な弦楽器(名前は忘れた) で演奏してくれた。前にルーマニアでクレジャニ村に行った時の事を思いだしたが、ここは旅行者のたくさんやって来る場所なので、あまり緊張感はない。明日、ギターを持ってまた来る事にして一度引き返す。そのあと、おみやげにする物を捜してうろうろする。ジャイサルメール(ラジャスターン) の特産品(布やらアクセサリーやら) には前から魅せられていたので目移りするほ程だ。一つは政府(州) 直売の店で定価で買い、もうひとつは何と800Rsを400Rsに値切って(今までで一番成功かも・・) 布を計2枚買い、自分でも、だんだん交渉が旨くなって来たと思う。そして、明日は、せっかくここので来たのだし本格的な砂漠を見たいと思い(でもラクダで行くのはこの暑さではしんどいので) ジープ・サファリを申し込んだ。何だよ、せっかくだからラクダで行けば〜と思われるかもしれないが、40度を超えるこの暑さは日中本当にしゃれにならん程で、ジープで朝日を見に行くので俺は充分です。

僕がジャイサールメールに行ったのは冬だったからなぁ。そんなに暑くなかった。ラッキーか。(地下オン・青木9/22)


・インド(ブッダガヤ)・

 5/24(木) 暑さのせいか悪夢にうなされ、というか旅に出る前にしていた電気工事の仕事の夢を今だに見る。普段別に考えていないのに。旅の中で見る夢の中であくせく働いているオレ。しかしここは本当に暑い。午前中に、ぼだい樹(ブッダが悟りを開いたと言われている場所)に行き、日本寺に行き、それでもう限界。体液まで沸いてしまうようなこの暑さ、その上に日本語の看板、日本語わ話すインド人が暑さを増殖する。温度は楽に40゜を超えているだろう。暑さに腹を立てているオレ。これもインドなのだ。夕方、日本で座禅を組み、夜は同宿の日本人とまたビールを飲み、今夜はギターを弾いて遊んだ。その時だけは暑さを忘れられるひと時だった。

 5/25(金) 夜半に雷が鳴り響き雨が降り出し、風が吹き荒び、停電。いつかラジャスターンで経験したような・・。でも、それで気持ちだけ涼しくなった。今日は日本寺のライブラリーで手塚治虫の"アドルフに告ぐ"を読みふける。"ブッダ"もあったのだが、何故かヒトラーの方を選んでしまった。日がな読書、こんなの久し振り。夕方、ぼだい樹に別れを告げる。とりたてて、"くそ暑い!!"という意外は印象に残らなかった町だが、これで明日インド最後の地カルカッタへと移動。さらばじゃ・・。

ブッダガヤと言えば、じゅず売りの噂もあって、僕は寄らなかったけれど、菩提樹は見れば良かったなぁ。(地下オン・青木9/29)


・インド(カルカッタ)・

5/29(火) もうインドですごす日々も残り少なくなった。今日はインド博物館へ行こうと思ったが古本屋でバリ島のガイドブックを買い予定変更、 ホテルでうだうだする。そこにふらりとやってきた日本人二人組、バングラディシュで海外青年協力隊として派遣されてもう一年をすごしたとか。休暇でカルカッタに遊びに来たそうだ。夜は彼らのHOTEL(A/C付の超豪華 ROOM) に行きBEER飲みながら話を聞く。日本人にもめったに会わず、相当日本語喋る事に飢えていたらしい。バングラディシュでも背巣勝について色々聞く。思った以上に大変な場所らしいが、あぁ、もしまだバンコク行きのチケットを持ってなければ彼らの所に寄せてもらうのも良いなあと思う。でももう心は東南アジアへ飛んでしまっているので今さら引き返せない。それとは別に今の宿、パラゴンに泊まっているナイジェリア人がフェラ・クティ(ナイジェリアのカリスマ的ミュージシャン)のテープに合わせてダンスするのがとてうもかっこ良く、他の日本人2人と、合わせて踊るが、全然様にならなかった。ラテンといいアフリカといい奴らのステップは見事に決まっている。カルカッタ最後の夜はそんな風に更けてゆくのが、何だかふさわしい様な気がした。

カルカッタのHOTELパラゴンてまだあるんだね。いつからあるんだろう。インドで一番有名に宿だろう(地下オン・青木10/6)


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