笹山てるおの旅日記・過去ログ・
「中近東編」 地下オンHP

2000年10/9(ベルギー・ルーバン→オランダ・アムステルダム) 10/16ドイツ・ベルリン 10/26チェコ・プラハ10/31 ポーランド(クラコウ)11/5 ドイツ(ベルリン) 11/8 チェコ(リトメリーチェ)11/12オーストリア(ウィーン) 11/13ハンガリー(ブタペスト)11/16ハンガリー(スゼンテンドレ) 11/23ルーマニア(シナイア)11/24 ルーマニア(ブカレスト)11/30トルコ(イスタンブール) 12/14トルコ(カッパドキア)12/21イラン(タブリーズ) 12/26イラン(テヘラン)2001年1/3イラン(ペルセポリス) 1/9 パキスタン(クエッタ) 1/13・パキスタン(ムルタン)・
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・ルーマニア(ブカレスト)編・

2001年 11/27(月) ヨーロッパの最後を締めくくるビックな日。"クレジャニ"村に行く事が出来た。朝5時にホステルを出て駅に着くはずのバスがあらぬ方向に行ってしまい、朝の列車をのがしあきらめかけたが、とりあえず駅に行くと8時半の列車がある事を知りとりあえずヒデレという駅へ。そこからはバスも何もなく、タクシー(白タク?) と交渉して村に向う。舗装していない穴ぼこだらけの道を村へゆっくり突き進む。20分程でたどりついたまま村は思った程貧しげ所ではなかったがタクシーが村の飲み屋に着きドライバーが何か話すと何故だか演奏の準備が始まる。そこまではぜんぜん期待していなかったので信じられない。そして、その店で俺だけを相手に演奏が始まり、村人達がぞくぞくと集まって来る。これは夢ではないかと思ったけれど夢ではない。その上ギターを持っていたので" ジャポネ音楽やれ"と言われ3曲演奏する。回りはジプシーだらけで鋭い視線が突きささる。つくづく ギターを持って来て良かったと思った。心の内は分からないが俺の演奏する内に彼らも変な旅行者相手でなく少しは本気を出してくれた様な気がした。どっちにしても演奏は素晴らしい!! 白昼ジプシーの村でビールを飲みながら演奏を聞いている自分が信じられない・・何か飲み物をおごってくれると言われたのでもし演奏が聴けたらお礼はするつもりだったし、金をくれと言われるだろうと思っていたからそれよりお金を払うと言うと100ドルとか言ったので、そのへんは抜け目なく財布に気持ち分のLeiを入れておいたので"これで全部だ!! "と見栄を切って渡すとOkと言う事になりさらにしばらく演奏し続いた。泊まっていけと言われたがトライバーの"泊まったら、金とかギターとかきっと盗まれるからやめた方がいい"という忠告に従い(俺も1回来ただけで本当にフレンドリーになれるわきやないと思う)午後に駅に戻る。駅に戻る途中、ドライバーにも待ってもらったし、彼が話してくれなかったらこんな展開にはならなかったと思うのでお礼をする。と、彼の家に寄って行けと言われごちそうをふるまわれるは、友達のアコーディオン呼んでまた演奏は始まるは、家族で踊り始めるわ、めちゃくちゃに楽しい一日を過し、帰りにワインまでみやげにもらった。これでもうヨーロッパに思い残すことはありません。明日チケットを買って、あさってイスタンブールに向います。

なんだか幸せな一日だったようですね。いいなぁ・・。(地下オン・青木 2/24)


12/1(金) 朝起きてガラタ橋まで行き、サバサンドを食べる。本当にフランスパンに焼いたサバがあるだけのパンだった。日本で作ってもきっと同じ味がするだろうなぁ・・というそんなにうまい!!と言う味ではないけれど、何かくせになりそうな気もする。イラン大使館は金曜休みでまた明日トライする事に、夕飯を日本人 三人で食い、いつの間にやら俺のいるドミは日本人ばかりの状態に・・。一人台湾人がやってきて"オー、ジャパニーズルーム"とか言っていた。こうなると何だか申し訳ない。今まで逆に、一人きり日本人という状況ばかりだったから彼が居て居心地が悪いのが良く分かるけど、日本人通しで話ははずんでしまうとやはり日本語になってしまうし・・。イスタイブールに入ってから日本人が急に増えだしたのは間違いないなぁ。

12/3(日) ドミから二人の日本人が去り静かになる。サバサンドを食い、トルコ料理を食い街をうろうろしてすごす。宮殿に金払って見に行く気が起こらない。何故と聴かれても困るが街の雰囲気(市場やガラタ橋)感じる方がよっぽどいいと思ってしまうかんらだろう。だらだらしてる割に体調が良くない。インターネット・カフェで日本人の力を借りてHOT・MAILを作った。が、何カ所かメールを送ってもみんな失敗してしまう。残念。

ずっと一人旅だった笹山君。とまどってるようですね。これからアジアの旅。(地下オン・青木3/3)


12/8(金) 今日、日本に帰る若者と一緒にスルタンアフメットのあたりを歩いていると、虫の好かないトルコ人のヤンキーが彼に声をかけるが無視したため、けんかになりそうになる。"ここがトルコだって事わかってんのか!!"とか"夜になったらおぼえとけよ"とかどこでおぼえたのか分らん日本語をまくしたてる。本当にこのあたりのトルコ人はガラが悪い。結局、殴り合いにはならずにすんだが・・。部屋のベッドが南京虫だらけでかゆくてたまらない。昼間はれたので毛布を干したが効果なし。俺の服についてしまったのか? 他の安いホテルを捜すが良い場所が見つからず明日、虫除けスプレーか何か買ってこようと思う。

12/10(日) ドミでイランビザ待ちをしているもうひとりの日本人(片山君) と一緒に日曜バザールというのをトラムに乗って見に行く。街はずれにあるガラクタ市という事だが本当にガラクタ市でゴミの中から拾ってきた様な物ばかり。欲しくなるような物は全然なくてがっかり。その後、オトガル(長距離バス乗場) へ行き カッパドキア行きのバスの値段をチェック。16$程で行ける事がわかる。今日はスルタンアフメットにラマダンの夜は夜店が並びお祭りのようになるのでウオークマンを持ってその様子を録音しに行く。サズウしいうトルコの楽器の演奏もやっていて、なかなかに良い音が録れた。こんな風に街を歩いているとトルコの女の娘のキレイさにあらためて気付く。イスラムの国という事もあり話をするチャンスは全然ないが可愛い娘が多いなぁと思いながら人混みの中をひとり歩きました。

イスタンブールの印象は僕はとても良かった。笹山君、やっぱり音楽に満ちていないと、調子が出ないようだなぁ。(地下オン・青木)3/10


・トルコ(イスタンブール)編・

12/13(水) やっとイランのビザが取れる。US50$も払って。もったいぶりつつしっかりドル払いで外貨獲得する事に少々腹が立つがこれで無事にイランに入れる。最初からイスタンブールからインドに抜ける片山君に加えてケンジ(弱冠18才)もその旅をする事になりイランあたりで合流してぶっそうなパキスタンを一緒に越えようかという話になる。うまくメールで居場所を連絡しあえればの話だけれど・・。女の娘とは全然縁がないと思っていたトルコだが、出発の日にスルタイアフメットを歩いていたら時間を尋ねられそれからベンチに座りその娘としばらく話す。めちゃくちゃかわいい娘でこれはラッキーと思ったが、途中から知り合いのオフィスに行こうなどと言い出し、その後、怪しげな男友達が現れ(日本語を操る)こりゃ駄目だ(何か贈り物"カーペット"とかを売りつけられるか最悪睡眠薬を飲物に入れられ全て失う。イスタンブールでよくある話) と思いお別れする。まあトルコ娘と話せたのはラッキーだが、今まで男が男をだます話ばかりだったので新手の手口なのだろうか? (本当に善意だったら・・とはどうしても思えぬ。) 最後までうんざりだったイスタンブールを離れ夜行バスでカッパドキアへと向かう。

「めちゃくちゃかわいい娘」とは、どの位可愛かったのだろう。僕も話した、トルコの娘もめちゃくちゃ可愛かった記憶あり。そういう国なのかなぁ(地下オン・青木3/17)


・トルコ(カッパドキア)編・

12/15(金) 温度は低いが抜ける様な青空。朝食後暖かくなり外に椅子を持ち出してギターを弾く。だんだん日ざしも強くなりすごく幸せな気分。昼から同室の女の娘とウチヒサールという岩山に登りに行く。久し振りに女性とたくさん話した。チャイ屋に行った後、その頂上から夕日を眺める。白い岩肌をなめるように伸びる夕日はとても美しく、まして女の娘といるという至福の時間であった。(別にそれだけだけど) 行きも帰りも車がヒッチ出来てあまり歩かずにすんだし、イスタンブールを離れると人も優しくなるのかな? (昨日のラクダ野郎は例外)。日没後彼女をオトガル(バス乗場) まで見送り、夕食を摂る。宿に戻り従業員のトルコ人に少し日本語を教える。充実した1日であった。

12/16(土) 同室になった日本人の男の子(青葉君) とカンマクリという町の地下都市を見に行く。カッパドキアでは毎日しっかり観光しているなあ感心する。昔キリスト教徒が地下をくり抜いてこの中で生活していたらしい。縦横無尽に張り巡らされた通路はどこでつきるのかわからない程の長さだ。個人的には仕事をしていた共同溝を思い出し懐かしくなる。こちらの方の村や町ではイスタンブールと違い、人当たりもいいし、家並みも落ち着いた感じでその中で子ども達がサッカーをしている。何だかほっとする風景。明日はまたアンカラに行きパキスタンのビザをとる予定。早く暖かい場所に行きたいなぁ。

僕もカッパドキアの地下都市に入ったことがあるけれど、たしかに共同溝に似ているなぁ(3/24 地下オン・青木)写真はカッパドキア


12/22(金) さてイランの街を歩き出し・・他の旅行者からイランについては悪い印象ばかり聞かされたのでどんなもんかと思ったが・・思った程こっちを物珍しげに観る人間も少なく、驚いたのは声をかけてくる人間が皆英語を使う事でR。もちろん旅行者目当てじゃなく、学校で習った英語を話してみたいという単純な動機からで俺も10代の頃、日本じゃ外国人は珍しく会えば名前から年齢やら身長から体重まで今思えばくだらん事を尋ねていたのが懐かしい。確かに皆困った様子だと道を教えてくれたり。値段の交渉してくれたりするが、別れ際もあっさりしたもので、イスタンブールの馬鹿どもに比べたら全然GOODだ。今日も、バザールの近くで闇両替をして大部最初よりもち直したが(1$=7500RL) どうも話に聴いていたより(1$=8500RL) 今リアルは高いようだ。今、ラマザンなので飯には苦労してるけど夕食のボリュームを思えば、昼にチョコチョコホテルで食わん方が良いと思った次第。道の標識も英語と併記の新しい物があったりレストランも英語メニューがあったり女性も顔を殆ど見せてる人も多くいて何だか開放する方へ国が向っているんじゃないかと感じさせられる。第1印象は◎です。

笹山君。若い頃は、外人に話しかけていたんですね。その辺は、旅行にはプラスかも(4/1地下オン・青木)


・イラン(タブリーズ編)・

12/23(土) 長距離バスターミナルへ行きラシュト行きバスのチケットを買う。12000RL(6時間の旅で200円しない!!) オイルの国だからか驚くべきもの。帰りのバスの窓から楽器屋を見つけ、"エレキ"が飾ってありさらに驚く!! ロックンロールは悪魔の音と言ってた国がどうなってしまったんだ? 急いでバスを下り楽器屋へ。さすがに長髪の奴はいないがガンズ&ローゼスやニルバーナが好きだと言ってエレキを弾いてた。今でも公衆の面前では演奏できないそうだがロック聴くのもノー・プロブレムだそうで、俺が抱いてたイメージとは随分違うこの現実。帰りHOTELに戻る途中、道で会ったイラン人に相談があるからと言って部屋に招かれ(イランだから大丈夫かなと思い・・) 日本向けのビジネスについて尋ねられ、出されたお茶を注意しながらすするのがなんかイヤーな感じが。急いで用事がRと言ってその家を出た。トルコの睡眠薬強盗のRので気にしすぎてたせいかもしれないが、イランだからって安心しすぎるのもやばいかも。その後ちょっと変な気分だったし・・。

12/25(日) イランの旅の最大の目的モハマド・アリ・ホーラムに会える日だ。もらった住所を頼りに、家を捜してすぐに見つけるが彼はイランに帰ってなかった。まだ日本にいるって・・どうなってんの? がっくり肩を落とす、が彼の友達何人かと話をして楽しい時をすごす。お母さんに尋ねた所、理由は分からないが来年には戻るらしい。まぁ無事で良かった。が、ラシェトをぶらぶらする気力も消せ、明日テヘランに向かう事にする。まあ運命というものは(大げさ) 勝手に流れてゆくものです。知ってたらイスタンブール→インドにひととびしていたかもしれない。こうなったら早めに駒を進めよう。

笹山君、アリさんに会えなかったですね。12/25と言えば、クリスマス。イランには関係ないんだね。(4/7地下オン・青木)


・イラン(テヘラン編)・

12/27(水) 合流する予定の片山、ケンジ2人組と連絡をとるべくインターネット屋をさがすが休み、マネーチェンジしようと、銀行に行くが休み。ラマザンの後の休日らしい。街は特にその後の祭りの様な雰囲気はなくいたって静か。何だか拍子抜けする程。2〜3日休みが続くらしく金が底をつきそうなので闇両替と交渉の末まぁ満足のゆくレートで終了。その後、街をうろついていると噂のニセポリス登場。車を止め笑顔でポリスカードを見せながら"ミスター・パスポート!!"だって、俺も笑顔で、(英語で)" あんた達、日本のガイドブックで有名だよやめときなよじゃあね"と別れる。あとで引っ掛かってパスポートや現金とられたらやられる方が間抜けなニセ・ポリス達でした。HOTELには日本で働いていた事のあるイラン人も出入りしていてまったりとした空気が流れ居心地良し。◎

12/28(木) イスタンブールで再会を約したケンジ&片山がMASHADAHPTELに来る。何の連絡もとれず(メールもう打てず)どうしたものかと思っていたので良かった。まあ、しばらく18才のケンジ、27才の片山、40!!のオレの3人でうっとうしい旅をしようと思う。旅に出た時、そしてヨーロッパにいる間、他人と共に行動するなど思いもよらなかったが、人恋しさか、それともこだわりが消えたのか、そんな旅も良いのではないかと思う。テヘランの街はラマザン明けで今日も休み、明日も金曜で休み、これといった見所もけなく、去る事になるが俺はやはりその街の空気を感じる以外(それにしてもテヘランの排ガス臭さはうんざり、車の運転の荒さもバンコク以上!!) あまり興味ないので、これでいいんではないかと思う。

三人旅の笹山君。あのヨーロッパと頃と、ギターはさて、いつ復活するのかなぁ(4/14 地下オン・青木)


・イラン(ペルセポリス )・

1/3(水) シラーズからバスとタクシーを乗り継いでペルセポリスヘ。ここはイランで一番有名な遺跡。入場料がバカ高い。というか旅行者とダブルプライスになっていて、(イランのどこも)、60000リアル、たぶんイラン人の10倍は払っているのだろう。普段なら決して行きやしないが、そこをはずしたんでは日本で京都、奈良へ行かないようなものなので(行かなくてもかまわんが) あえて来てみました。やはり遺跡らしくなっているが大して面白くもなく、確認して終了という感じ。帰りのバスの中で隣りになったチャドルの若いお姉ちゃんが家に招待するので来て欲しいと言う。俺を含めた三人組、喜び勇んで彼女の家へ・・。こんな事まず起こらないと思ったがイランの家庭に初めて足を踏み入れる。小さな街で一番大きな家という感じ。じゅうたんを敷き詰めた部屋でゴロリと横になりいい気持ち。夕食御馳走になり、泊まりなさいといわれ。ちょっと考えたが世話になる事にする。家族6人と親せきもやって来てワイワイガヤガヤとすごす。他人の家(それもムスリム) にお邪魔するのは何だか肩がこりそうだが、こんな経験も良いものだと思った。このまま無事終わりますように・・・。

ムスリムの国では、よいことをすると、よいことが返ってくると言うことなんだよね。笹山君、大丈夫だよ。(地下オン・青木 4/21)


・イラン〜パキスタンへ(クエッタ)・

1/9(火) 朝5時半起きで国境越え、も朝から腹こわして体調悪い。この旅最大の難関を前にして何ともこころもとない。国境近くの街。ザヘダン、ミルジャワはバキスタン人ばかりでまるで違う国に来た様だ。イラン人がこの場所をよく思っていないのも分かる気がする。イランのにおいが全然しないもの。国境越えはあっけなく終了、パキスタンのイミグレーションで一曲歌わされる。(スキヤキ)・・やってる途中で"サンギュー"と言って止めやがって聴くんなら最後まで聴け!! 両替とバトルの末まあ納得のゆく金額をGET。バスに乗り込む、が早くクェッタに着くと思ってミニバスを選んだのが失敗か? (検問多いけど早く通過出来るし) 狭くて寝られずおまけに寒い。そして下痢がますますひどくなり停車の度に砂漠で野グソ!! 旅行史上最悪の移動日になったのでR。

1/10(水) バスの狭さと不眠と寒さと下痢でへとへとになりクエッタ到着。それでも予定通り14時間程で着けたのは何かの幸い。宿に着いても下痢とまらずともに行動する2人、それに一緒だった日本人、トルコ人各一人を残して俺は床にふせる。何か悪いもの喰った覚えはないから単なる疲れのためか? 夕方まで寝込み、何とか近くのレストランで喰ったマトンカレーは久し振りの激ウマであったる体調最悪、でも口だけは勝手に動きチャイの味もイランと違い俺にぴったりでハッピー!! パキスタン人も間合いがイラン人と全然違い、俺をほっていてくれるので(でも冷たいわけじゃなさそう)服装も俺好みだし、どっかで沈没しそうだ。

笹山くん大変そう。マトンカレーはなかなか日本では食べられないよね。(4/28地下オン・青木)


・パキスタン(ムルタン)・

1/13(土) 行けども行けどもムルタンにたどり着かず、あぁやっぱり遅れは必至だと、あきらめの境地。最年少のケンジが財布をなくす。というより多分盗まれたのだろう。変に馴れ馴れしい親父が俺のトイレタイムの間ケンジの隣りに座っていた。多分その時盗まれたのだと思う。それから親父は何処かに消えた。100$と150Rs、City Bank のカードも消えた。そもそも財布に$やカードを入れておくのが間違いだと思うのだが・・。そこまで面倒見切れない。列車は4時間遅れ、結局24時間かかってムルタンに到着。速攻でHOTELを見つけ中華料理で食事。いやはや疲れ果てた。というか疲れが蓄積してゆく。何処かで小沈没しないと体が保てない。それはピンディーかペシャワールか?

1/14(日) 朝食は近くの屋台で得体の知れないもの食す。街はオートリキシャが行き交いほこりとガソリンの臭いに満ち、その間をロバや馬や牛の荷車が行き交っている。午後は バザールに迷い込みバキスタン人の"HELLO"攻撃を受けつつイランより大分人当りが良く、過ごし易いと思った次第でR。駅にて次の街(ラクールピンディ) への列車を調べている時おじいさんに声をかけられチャイを御馳走になる。そしてイスラム" アラーの神"について熱く語るのを拝聴する。別に宗教の勧誘というわけではなくパキスタンには熱心なムスリムが多いようだ。それもローカルな人々の中に。列車の中でお祈りをする姿など見ていると、心打たれるものがR。(特におじいさん) 国にもどこか一本芯が通っている様で居心地が良い。

笹山君。パキスタンとは、肌が合うようですね。さて、これから何が起こるのでしょう。(5/2 地下オン・青木)


過去ログ(2000年 9/6〜11/27まで) (旅の始まり・タイ・ヨーロッパ編)
過去ログ(2000年 11/30〜1/13) (中近東編)
過去ログ(2001年 1/27〜5/29)
(インド編)
過去ログ(2001年 5/31〜8/3) (ベトナム・ラオス編)
2001年 8/7〜9/15(旅の終わり)  

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