笹山てるおの旅日記・過去ログ・
旅の始まり「タイ・ヨーロッパ編」 地下オンHP

2000年 9/6(成田→タイ<飛行機>)  9/9(タイの島コ、チャンヘ<船>)  9/16(コ、チャン→バンコク<船>)  9/22(タイ→パリ<飛行機>) 9/23(パリ→ベルギー・ルーバン<バス>) 9/26(ブリュッセル→パリ<バス>) 10/1(パリ→ベルギー・ルーバン<バス>) 10/9(ベルギー・ルーバン→オランダ・アムステルダム) 10/16ドイツ・ベルリン 10/26チェコ・プラハ10/31 ポーランド(クラコウ)11/5(日) ドイツ(ベルリン) 11/8 チェコ(リトメリーチェ)11/12オーストリア(ウィーン) 11/13ハンガリー(ブタペスト)11/16ハンガリー(スゼンテンドレ) 11/23ルーマニア(シナイア)11/24 ルーマニア(ブカレスト)

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9/6(水) 長い旅の始まり。朝5時に、たまきさんに起こされ、6時にわざわざ、あずさちゃんとこーちゃんが駅まで見送ってくれた。そこまでは良かったもののそれからが最悪。やっぱり荷物が肩にずしりと重く心臓はばくばくになる。途中でもう帰ろうかと思ったほど。それでも何とか成田空港にたどりつき、重い足どりで飛行機に乗り込む。やっぱり飛行機の中は眠れない。あのエアコンかなんかのごう音が耳をはなれないのだ。やっとタイにたどりつくがどんよりとした空気で夏の東京と変わらない。それでも湿度は東京より低い気がする。暑苦しくはない。空港から乗り込んだカオサン行きのエアポートバスがこれまた渋滞にまき込まれ宿についたのはもう8時。でも時差があるから13時間の旅という事だ。もうへとへとです。少し歩いただけで苦しい。こんなんで一年も旅できるのかなぁ。えーん、自分が情けないよ。100バーツ(270円位)の宿はシングルだけど窓がなく上でファンがぶんぶんうなってます。でも今日はここでもぐっすりねむれそうです。明日は元気でありますように。祈りながらもう寝ます。

とりあえず、初日の日記を書いてみました。次はコ、チャン島での日記です(地下オン・青木)10/25


9/9(土) 今日はしんどい一日だった。バスは朝8時出発、読んだ本には4時間ほどで着くと書いてあったが着いたら2時。1時間待ちで釣舟のようなフェリーに乗ってコ、チャンへ。着いた時はへろへろでその先のソンテウという改造トラックには乗るのをやめようかと思ったくらいだ。やっぱりギター持っての旅は無ぼうだったのかな? 移動する度に気を使うし、体調も万全ではないので特に移動はへとへとになる。ギター送り返そうかと弱きになる。コ、チャンのフィッシャーマンズリゾートというバンガローは一泊200バーツ、おばちゃんがやさしそうだし部屋もキレイだ。ここには殆ど日本人はいなそうだ。白人はグループになると話に入っていけないし、こっちも無理に仲間入りするつもりはないので、となりとやっぱりギターは手放せなくなる。今回の旅はゆっくりしないと本当に辛い。ここで一週間は少なくともいる事にして良かった。酒を断ち、少しでも体調を良くして、旅を楽しめるようにしたい。旅の中で初めてギターを弾いた。バンガローの前のテーブルの上のアルコールランプを灯けて椅子に座って夕食後30分程。何だかほっとした。今は彼X(彼女!)が一番の友達だ。

タイ・コ、チャン島での笹山君、はじめてギターを弾いたんですね。次はライブの日記です(地下オン・青木)10/26


9/15(金) コ、チャン最後の日。滞在中で一番良い天気になる。午前中に洗たくをして、日向でギターを弾く。とても気持ち良い。午後は浜辺でぼんやりとすごす。波打ち際であみを入れ魚?をとっている人達が何人がいる。こんな原始的な方法で漁が出来るという事は結こう魚影も濃いのだろう。そして地元のおばあちゃんが海に入って行って直接魚を買っている。のんびりしていてとても良い風景だったので急いでバンガローにカメラを取りに行き写真を撮る。雲にかくれて夕日は見られなかったけれど一週間もいると満きつした気分になる。一ケ所にこれ位の長さすごしながら移動して行くのが良いかな?と思う。夕方少し感傷的な気分になるが夕食に頼んだココナッツ・ミルク入りトム・ヤムが口に合わずその上、虫が入っていたのでちょっとがっかりする。今まではずれた事のない程俺の口に合ったレストランだったのにな。最後にして残してしまった。ポリスマンが来るからまた唄ってくれみたいな話をされたが、今日は一日陽に当たっていたのでもう眠い。今、明日の準備をしながらこの日記を書いている。このまま眠ってしまいそうだ。そしていつのまにか寝入ってしまった所、10時頃に起こされ、最後の夜だからまたギター演奏してくれという。いつもの警察官と他に何人が来ていて眠い目をこすりながら覚えたてのタイ語でコチャン・ブルースなんかやるとやたらに受けた。その後そこにいたタイ人の人がギターを弾けるのでタイの唄を何曲か唄い、俺がハープをつけた。今から考えるとテープに録っておけば良かったなと思う。せっかくのチャンスを逃してしまった。島田君御免なさい。そこまで頭がまわりませんでした。最初は渋々だったが楽しい夜になった。12時すぎにバンガローに戻る。コープクン、クラップ、コ、チャン(ありがとう、コ、チャン)

笹山君の姿が目に浮かぶようです。長い一日でしたね。うらやましいなぁ。(地下オン・青木)10/30


タイ編・

9/17(日) ついにトラブル発生。コ、チャンから戻り気が緩んでいたせいか、俺が人が良すぎるのか、昼飯を喰べにチャイナタウンに行き、うまい屋台飯を食った後、有名な楽宮旅社を見にぶらぶら・・している所へ一台のタクシーが俺の横にとまりお姐ちゃん(後から思うと男だろう)が "道がわからないタクシーの運ちゃんは英語が喋れないし教えてくれ"という。俺が地図をタクシーに半身入れてのぞきこむと安いホテルを教えてくれないか?"と言って タクシーに引っ張り込まれてしまった。"俺が近くに安い台北旅社があるからそこに行けばいい"と言うとそこまで一緒に来てくれと言うとタクシーを走らせてしまった。そしたら私はマレーシア人でエステシャンだタイにマッサージを習いに来た。"私はマッサージが出来る"と言って俺の体を触り始めた。俺は"やめてくれ!"と言うと"ファック・ミー"とか言いだしチンポコを触ったりオッパイを触らせたりしようといるのでコリャたまらんと思い"俺は降りる、タクシーを停めろ!"と呼ぶとタクシーはとまり"出てけ!!"と言って姐ちゃんとタクシーは行ってしまった。ふと我に返り、腰ベルトをチェックするとチャックが開いている。"やばい"と思って中身を調べると1700$分のT/C(トラベラーチェック)がぬかれていた。パスポートは無事で助かった。キャッシュは別の場所にあったのでとられなかった。今まで特にバンコクでは気を付けて部屋のカギは自前のを二重にかけたり、貴重品は必ず身に付けいたのに人の良い所を付けこまれてしまった。というかこんな手口があったのか!と思う。その後、ツーリストポリスにレポートをもらいに行くと日本人がいるわいるわ。・・パスポートを部屋から盗まれたり色んな手口でやられている。その一人と話していると"地球の歩き方に同じ事がかいてある。"と言って見せてくれた。そうだったのか。知らなかった。つくづく情ない。カオサンに戻りアスターのチェックなのでNYへTELする。水曜日にならないとはっきりした結論は出ないとの事。木曜日の夜にはパリに発つのにどうなるのでしょうか? 静けさの中で始まった旅路は風雲急を告げる状態になったのであります。それにしてもパスポートとキャッシュが無事で良かった。T/Cが再発行されるのを待つのみ。

笹山君にとうとうトラブル。それにしても彼らしいエピソードですね。( 地下オン・青木)11/3


9/23(土) 午前中に急いでブルュッセル行きのバスを予約。その間に来週のパリでの宿を3泊分確保しておく。朝食をたべに店に入り、サンドイッチ+クロワッサン+飲物のセットを注文するがサンドイッチは何にすると聞かれ、答えにつまる。とりあえずメニューにソーセージらしい言葉があったのでそれを言うと、長いフランスパンに日本で言うサラミみたいのがはさまれて出てくる。前にスペインに行った時も思ったけどレタスも一緒にはさむとかいう野菜も使う発想はないのでしょうか? ヨーロッパでは努めて野菜を食べる様にしなきゃと思う。12時にチェックアウトし、バスターミナルへ。ターミナルで日本人に声をかけられる。60前の男の人で55で仕事をやめ旅暮らしをしているらしい。ポルトガルに半年行って魚釣りをすると言っていた。そんな生き方する人もいるのだなと思う。しかもパリ→リスボンのバスは26〜7時間かかる。そのバスに乗るパワーだけでも脱帽する。俺はもう飛行機18時間で充分だ。さて、3時発のバスに乗り。そこから大トラブル発生。バスが高速道路の真ん中で故障して動かない。回りは何もない田園地帯。作業車が来て修理するがいつまでも直らない。普通日本だったら修理しながら別のバスを呼ぶとかセキュリティシステムが確立しているはずだが、バスの運転手は一向に代替バスを呼ぼうとしない。無意に時はすぎるのみ。7時にブルュッセルに着くはずが、結局バスは直らず9時すぎに代替バスが到着。ブルュッセルに着くと11時を回っていた。その上そのバスのドライバーはバス・ターミナルの場所を知らず乗客に指示されてやっとたどりつく。手前らデカイ面(つら)すんならバス位ちゃんと走らせろ!!と怒り心頭、謝罪の言葉もない。(といってもフランス語で何か喋っていたが意味わからず)急いでATMを捜しベルギーフランを手に入れた後、駅のツーリストポリスを尋ねルーバンまでの列車の乗り方を知る。12時半の真夜中に見知らぬ町に到着。危険なのか安全なのかもわからぬまま駅前通りうろうろしてTELを見つけ松江さんにCALL何とか会う事が出来、ほっとする。今夜は飲まずにいられず、ビールとワインで乾杯。疲れ果てた一日でした。

気持ちわかるなぁ。特に急いでいるときは。でも結局はなんとかなるんだよね旅って・・(地下オン・青木)11/11


9/30(土) 今日はポンピドゥーセンターで人と会う約束があるのでその前の昼頃から唄い始める。いきなり男が一人、俺の前に来て聴き始め、テープを買ってくれた。やった!! 30Fが手に入った。言葉に表せない程嬉しい。彼がしばらくして去った後長髪の兄ちゃんがやって来て聴き始め、俺も音楽をやっていると言う。やってみなとギターを渡すとガンゼ&ローゼスか何かを弾いていた。するとそこにオランダ人の調子の良さそうなお兄ちゃんもやって来てだんだん宴会状態になって来る。本当に不思議な程ギターを弾いていると人が寄って来る。(俺がドアーズの"ライトーオンマイファイヤー"をやるとワーワー喜んだがそれもつかの間5弦が切れた。そして替えの弦を持って来ていない事に気付いたのだ。何ちゅう事だ!! これからとい時に!! フランス人の兄ちゃんはこの近くには楽器屋はないと言うし、何とか切れた弦をつないでみたがチューニングがめちゃくちゃになり、殆ど遊んでいるだけになってまった。そんな処に待ち合わせていた女性登場。丁度良く彼らと別れカフェに入る。阿呆船のママに紹介してもらった女性で寺山修司の脚本を仏語に訳したりしているそうだ。でももう俺も明日パリを発ってしまうし彼女も忙しいようなので夕方まで話して別れ、宿に戻る。もうすこしパリにいるなら面白い場所を教えてくれると言うし、ポンピドセンター前の広場がえらく気に入ったので、もうしばらく居ようかと心が動いた。けれど、バスのチケットは買ってしまったし、次の場所で何が待っているかわくわくするので、コマを進める事にします。次は再び松江さんのアパート。ギターを持ってアントワープに行ってみよう。

笹山君、アントワープからパリに来て、またアントワープへ。ポンピドーセンターはパリにある現代美術館です。僕も行ったことがあるけど、その前の広場は広く、いろんな事をやってました。・・(地下オン・青木)11/18


フランス、ベルギー編

10/3(火) 食って寝て、ギターを弾いてのくり返し。書く事のない完璧な一日。

10/7(土) 久しぶりに少しだけ太陽が顔を出す。昼は街を散策。日曜日は街が休業状態なので食料を買っておく。アムステルダムのコースに2ヶ所予約を入れるが一ケ所がドミトリー(ベッドのみ借りる)がもうなく、もう一ケ所は予約を受け付けないないとのこと。またもや当日見つけるしかないか。夜はたまには良いものを食べようと思うがメニューが読めないので台湾料理屋に入る。漢字で書いてあり助かった。店内には日本のヒット曲(サザンやチャゲアス)の台湾語バージョンが流れている。旅に出てから日本食を食べたいとは全然思わないけれども、アジアを感じる場所に行くと妙に落着く。久し振りにビールを飲む。こちらのビールは濃厚でうまい。それに安い。(一杯100円くらい)これは嬉しい事だ。

自炊生活に入ったようですね。どんよりした天気が伝わってきます。(地下オン・青木)11/25


・オランダ編・

10/9(月) アムステルダムに到着。あっさりと一軒目でドミのベッドに入る。朝食付き50GD(2,250円)は高めなのか? 入った途端別のベッドでガキんちょが2人でいちゃいちゃしている。これぞアムステルダムと言う感じか? しかし若い奴と一緒だとどうも気疲れする。年を取ったという事か? (今月で40なんだからあたり前か)ここは物価が高いのでドミトリー(大部屋の事)にしたが部屋にいる時は一人でのんびりしたいと思う。とりあえずうんざりするまでいてみます。

10/10(火) あ〜ぁ雨か。ヨーロッパに来てからうんざりする程、くもりと雨の日々。それに風も加わり寒さは増すばかり。アムステルダムでは毎日演奏しようと思ってたのに・・・。暖かい所に行ってしまおうかと真剣に思う。あずさちゃんに約束したハーメルンの、ズミパンはちょっとハーメルンに寄るのが難しいので代わりにオランダの木靴を買って送った。これもなかなか良いものだと思う。午後に少し日が差したが風が強くギターを持ち出しても寒くて弾けない。太陽よ、お願いだ顔をのぞかせてくれ!!

このあと笹山くんは、インドに行こうと本気で、考えます。ヨーロッパの空気が伝わって来ますね(地下オン・青木)12/3


10/17(火) 朝から街を歩き回り演奏するのに良い場所を捜すが、なかなか見つからない。バリやアムステルダムに較べて街が広すぎ、そのせいか閑散とした印象でどこも人が少ない様に感じるし活気がない。街はずれにトルコ人街があり、そこはマーケットに人があふれアジアの様な活気にあふれていた。けれど演奏するには場違いな印象。途中で残りすぎたオランダ・ギルダーをドイツマルクに替えるが900円分も損をする。次々と違う国を旅するのに慣れていないせいか両替がうまくゆかず損をしてしまう。困ったものだ。一応レートはチェックしているけど手数料とかがまちまちなせいのあるのだが・・。夕方、夕食を食べる場所を捜していると橋の上でジャンベをたたいている若者がいて、声をかけた。一緒に演奏しようと言うので、駅前の人通りの多い場所に移りセッションした。最初は、通り過ぎる人ばかりだったがしばらくすると少しずつ金を入れてくれはじめ、いつの間にか結こうな金額無になった。気が付くと4時間もたっていた。明日また来るという奴もいたし、現金なものでこうなると印象がすごく良くなり、しぱらく居ようと思う。ジャンベをたたいていた若者はもう2年も旅しているという。明日も会おうと言って別れた。

笹山君も、もう、旅のミュージシヤンって感じなんでしょうね。(地下オン・青木)12/9


10/19(木) 旅に出て以来のビックな夜!! 朝から天気悪く体も冷えてもうサンドイッチもケバブもあきたので、中華料理屋を捜すが不思議なほどベルリンには見当たらない。やっと見つけたインド料理屋に入るが、カレーがマイルドすぎて物足りない。昼寝のあと寒い中、駅前で唄い始める。それでもぼちぼちお金が入って来た処、今夜の重要人物登場!! エディと名乗るその人物はニック・ケイブと友達で彼の伝記に自分の事が載っているなどと言い、どうもウサンくさいなどと思ったが、彼が唄を歌わせてくれるパブがあるから一緒に行こうというので従いていく。一軒目、がやがやとうるさいパブで2曲歌うが反応が今いち。聴いているようないないような。ヨーロッパではその後、帽子やカップを持ってお金をもらって回るのだが、どうも慣れていないせいか照れくさい。それでも7DM程になった。2軒目に行こうと言うので入った処もっと小さな店で雰囲気もフレンドリーで良い感じで。ここで演奏した所めちゃくちゃに受けた。もっともっとせがまれ弦が切れるまで唄う。その後ポケットがお金でふくらむ程になった。ドイツ人が1人トランペットを取り出しセッション。こういう感じは最高に良い。店の人にビールをおごってもらい言う事なし。今日は寒いと思い演奏をやめようと思っていたので、やって良かった。トランペッターのドイツ人とも話したが音楽をやっていなければこんな出会いも絶対にないと思うしドイツ人ばかりのパブに入って酒を飲む事も無かっただろう。まさに音楽は偉大なり!! エディには明日家にメシを食いに来いと誘われた。まだ正直、信用し切れないが行ってみようと思う。

これからもっともっとBICな夜が・・・。いい旅をしてていいなぁ。(地下オン・青木)12/16


・ドイツ ベルリン編・

10/23(月) 前に滞在したホテル・アドラーに戻る。ドミ30DMで誰も他にいない。静かで幸せ。クラブ・ハウスHの最終日のパーティーはないものの、今度はいびき攻撃で寝つけず、舞い戻って来た。古くてあかねけないせいか客もまばらだが宿の人は親切だし、こっちの方が良い。夕方駅前で唄おうとするが風が強いのでやめにする。何だか胸さわぎがして明日ライブをやるはずの"ユビナル"に行き明日ライブをする者だと言うと、そんなの知らないとの事。驚いて問いただすとブッキングの担当者のミスでタブルブッキングだとわかった。"冗談じゃねえよ、こっちはホテル代払って予定伸ばしてベルリンにいるんだ、どうしてくれる!!"と拙い英語で言うと最初は今から演奏してくれとか言い出し、ボブというじいさんも呼び出して準備を始めたが結局やらなくていい事になり、向こうのミスとして100DMせしめる。これでホテル代分浮いたが、せっかくのステージに立てないほうが残念だった。とにかくベルリンでは毎日何かが起きる。不思議な町だ!!

毎日何かが起こるなんて、大変だなぁ。ダブルブッキング? いかにもありそうな話。(地下オン・青木)12/23


10/26(木) 朝一番の列車でプラハへ1時前に到着。"ロンリープラネット" に載っていた銀行で両替したら、殆ど損せずに済みラッキーと思ったが、どの宿に電話予約を入れても満室か電話番号が変わっているか、もう存在していないかで自力で見つけられない。仕方なくインフォメーションセンターで見つけてもらう。初めは法外な値段をふっかけてきたが結局400CK(約1200円)のドミトリーへ。東欧の中でもプラハは一番観光地化している様で街は観光客であふれている。街はディズニーランドのようで(例えが悪いが)それでも夜中ライトの中に浮かびあがる城や古い橋のたたずまいは何とも言えず美しい。ビールも旨い。今までそんな事思わなかったが、この街を一人でうろつくのはちょっと淋しい気持ち。ただずっと大都市ばかり旅して来たせいかそろそろ田舎に行きたい。人があふれている場所は疲れて来た。静かーな所へ行きたいなぁとちょっとぜいたくな悩みを感じる。

なんだか、また、旅が変わりそうですね。楽しみです。(地下オン・青木)1/1



・チェコ(プラハ)編・

10/29( 日) 風邪でダウン。町はずれに引越して良かった。熱はない様だけれど一日中動けず。ベルリンで寒い中唄いすぎたのが原因かも。その時から調子悪かったから・・。次どこへ思い悩むがクラコウへは行こうと思う。ただ体がまだキツイので途中で一泊するか夜行で行ってしまうか? 決めかねる。昼間も眠りつづけ、いつもそうだが目ざめた時自分の部屋で寝ている様な錯覚をするれ。それだけ旅に慣れてきたかしらん?

10/30(月) 昨日一日寝てたせいか風邪は大分良くなった。駅へ行き調べた所、昼間の列車でクラウワへ行けることが判明オストラベという所で乗り換え夜行より安くもなるので明日出発する事にする。その後、スロベキア大使館に行き今後のためビザを取ろうと思うが混雑してしかもビザ代が思ったより高そうなのであきらめて部屋に戻る。しばらく振りにギターを弾く。結局風邪が治らなくてプラハでは演奏出来なかった。カレル橋で一度は歌いたかったが仕方がない。夜、有名なピルゼンビールを飲みながら食事でもと思い同じ建物の一階のレストランへ。500mlの生ビールが13ck(約30円 !!)、しかもアルコール度数が10度で日本のビールのつもりで飲んだらいきなり酔っぱらった。最後の夜だしゆっくり飲もうと思ったがもう駄目だ。たぶんもう一度 チェコに入ってどこかの街にとまると思うのでその時ゆっくり味わおう。ビールというよりワインに近い感じがした。

旅行中の風邪はきつい。でもまたすぐにハードな旅が続くから、ひと休みにもなっていいのかもね。(地下オン・青木)1/6


・ポーランド(クラコウ)編・

11/3(金) 何ていう事だ!! 半分はボブのステージを見ようと思ってクラコウに来たのに・・。昼間チェックしておいた場所に行ってみると、どうやらその場所ではないらしい。門は閉まったままだし、たぶんプロデュースする組織の場所だと思い電話して確認してみるとNo-ENGLISHときたもんだ。相手の言う事がちっともわからぬ。結局、何処で開催されているのかわからないまま時は空しくすぎるのだった。何故これ程英語が通じないのか? ポーランドで一番のツーリストタウンなのに基本的な単語さえも通じない。今までの場所があまりに英語が通じすぎたせいか清清しい時もあったが公共施設(郵便局や駅)で英語が通じないのは大変困る。アート・フェスティバルとかであれば国際的な催し物だと思うのだが・・。結局、ボブとはベルリンのWブッキングといいこうなる運命にあるのだろうか?あわ良くばボブの車に同行させてもらいベルリンヘという夢はもろくも崩れた。とりあえずベルリンまでと思ったが泊まるつもりのHOTELのアドラーが土曜はFULL!! のためクラコウにも一泊する事に・・。ベルリンに行ってギャラリーのオープニング中止とかいう事はねえだろうなぁ、行ったらあんた誰?とか言われたりして。グスン、チキショー!!! (写真はベリルンに住む、アーティストBob Rutman)

なんだか災難続きの笹山君ですね。絵描きで歌もやるモダンなボブじいさんの写真付けました。(地下オン・青木1/13)


ドイツ編2(ベルリン)・

11/5(日) ポーランドからドイツへの移動。またベルリンに来てしまった。何だかほっとするなぁ。結局2週間位ここですごす事になる。明日がタハラスのオープニングパーティー。これが終ったら本格的に東欧への旅に突入しよう。ボブの家へ行きクラコウで会えなかった旨を伝える。移動も慣れてきて、7〜8時間はあまり苦でなくなって来た。それに夜の列車は危い噂が多いけど昼間だと家族連れが多くあまり警戒しなくても大丈夫そうだ。夜行なら宿代が浮くが盗みに会うリスクを考えれば昼の移動の方がよさそうだ。

11/6(月) 今夜が"タハラス"オープニングパーティーの日。もう少しクレイジーなのを想像していたが単に酒を飲んで喋るだけなので少しひょうし抜けする。演奏もしたが皆話しに夢中でこっちの歌など聴いてくれず、すぐやめてしまった。ある程度こうじゃないかと予想していたがわざわざベルリンに来た甲斐がなかったかな? あまり話しにも加われずビールを飲んで酔っ払うのみ。でも自分が来たくて来たんだから文句を言ってみても仕方がない。飲んで話すだけのパーティーが延々と続き気が付けば午前2時。酔っ払っちまった。明日の列車には乗れそうにないなあ。

11/7(火) 二日酔いだあ〜。準備をしてホテルを出るが気持ち悪くて舞い戻る。昨夜は不完全燃焼の夜だったのでアルコールも全然抜けていないみたいだ。ベッドに戻って眠る。思えばクラコウでボブに会えず、タハラス・パーテイーは今いちと後半は尻すぼみになってしまい残念。2ケ月がもう過ぎたんだなぁ。12/1のイスタンブール入りを目ざそう。

いろんな所での笹山君のシーンが見えてきますね。ほんと一人旅と言う感じ。(地下オン・青木1/20)


11/8(水) ここからが第2章という所かな? 今までは大都市ばかり回っていたので(路上で稼ぐためもあったし) 少し人の多い所にうんざりして来たのでイスタンブールまでは少し旅の仕方をかえて地方都市や田舎町も含めて少しずつ進んで行こうと思う。というわけで「リトメリーチェ」"ロンリープラネット"には是非尋ねるべき所と書いてあるが俺の目には単なる地方都市としか思えない。"ロンリープラネット" は良く出来たガイドブックだと思うが日本人にはちょっと理解できない場所がおすすめになっていたりする。(ユダヤ人が好きそうな所が多い。) 駅に着いた時は少しがっかりしたが、HOTELの部屋に驚いた。11階建ての11階の バス・トイレ付超豪華シングルが何と400ck(約1200円)しかも朝食付き、日本だったら一万円近くするだろう。今日は疲れて町をうろついていないので何とも言えないがプラハよりもこんな田舎町の方がすきだなぁ。人も地図を見ながら途方にくれているとすぐどうしたんだと声をかけてくれるし、英語は殆ど通じないし、ツーリストらしい人間も殆どいない。けれどとばらくはそんな場所を旅して行こうと思う。

11/9(木) 朝食をとってまた寝てしまった。起きたら午後3時。夕方の散歩をする。確かにチェコの街は坂が多く丘の上 から眺めたり家々の屋根の間から教会の時計台がのぞいたりするのがとても美しい。旅が終ったらきっとこんな何げない風景が思い出に残るんだろうなぁと思ったりして。明日はブルーノへ向おう。

ほんと第2章という感じですね。ツーリストがいない所って、風景が見えてくるよね。(地下オン・青木1/27)


チェコ編2(リトメリーチェ)・

11/11(土) 日曜は銀行が休みの所が多いので月曜に出発しようと思ったが土曜の午後には次々と店のシャッターが閉まり看板を見ると日曜は殆ど営業していない。ベルギーのルーバンの様にハンバーガー屋以外皆休業状態が予想されるのでここでもう一日ウダウダすごすのも気が乗らず日曜日の移動を決める。列車のチケットを買いにスーパーで果物とサラダをを買ってやっと野菜を摂るが余ったお金をどうしよう? 嬉しい話だがプラハを離れるとチェコの物価はめちゃめちゃ安くて使っても使っても減らない。チェコを出てチェコクラウンを両替出来るかわからないので、US$に替えるが500円の損。夕食は豪華そうなチャイニーズレストラン(またまた!!) でたらふく食いチップもはずむがそれでも200CK残った。おまけに食いすぎでまた腹をこわした。金の話ばかりになってしまったが夕飯前に街のはずれにある教会まで散歩してみるとたまたま扉があいていたのでのぞいてみると奥の部屋から賛美歌とパイプオルガンの美しい音色が聴こえてきて思わず胸を打たれた。観光地でない町の教会で地元の人のためのミサを聴けるとは思わなかったので、教会の高い天井にひびくパイプオルガンを聴きつつブルーノに来て良かったと思った。

パイプオルガンの響きって、いいよね。(地下オン・青木 2/3)



・ハンガリー(スゼンテンドレ)編・

11/18(土) 朝から天気悪く雨がしょぽしょぽと降る。バスにに乗りエスチルゴンという街へ・・。今の街の奥だからもっととひなびた村かと思いきや車のたくさん通る大きな街で拍子抜けする。やはり土曜日とあって開いている店は少ない。やっと見つけた店で食事をし(リゾット、うまかった。)街を見下ろす丘の上にある城跡へ・どの町にもこんな場所があり、雨に煙る街並わ眼下に眺めていると、またもや日本人の団体客を発見!! どうしてこんな所にまで来てるの? 雨やまぬまま部屋に戻り、夜は近くのパブへライブを見にゆく。これがキャバンクラブ?の様なよく出来た造りの店でこんな大きなライブ・スペースに人はいるのかしらん? (しかもチャージ400Ft→約160円だ)と思ったら案の上身内らしき10人位のみ。でもライブはすごく良かった。ポスターを見た時はハードロックかヘビメタかなと思い冷やかし半分だったがブズーキやアコーディオンを使ったケルティックなBANDで演奏もかっこ良かった。満足。いい気分で町をふらつく。町の一番高い所にある教会から夜の町を見下ろす。誰もいない。これこそ最高のぜいたくだなぁと一人悦に入って部屋に戻った。

11/12オーストリア(ウィーン) 11/13ハンガリー(ブタペスト)と笹山君は移動の日々でした。(地下オン・青木)


11/24(金) 実り多く金も使った一日であった。おばさん家の寒さに耐えきれず、シナイアから出発。金は払ってしまったので150000Leiは返してもらう。HOTELインティムに1泊したものと頭を切りかえ、ブカレストへ向う。これがまたシナイアの掲示板には10時の列車が書いてあったで、待てども待てども寒い中列車は来ずどうせまた遅れてるんだろうと思ったが11時を回っても人の気配はないしさすがおかしいと思い窓口に尋ねると運休だとの事。確かにルーマニア語で何か書いてあるが読めません。結局1時前までまってやっとブカレスト行きに乗り込む。ブカレストとと言えばジプシーのおひざ元でもあるし、さぞベガーズ達が多いだろうと思ったが緊張するほどでもない。しかし、ユース・ホステルの場所がわからず、紳士らしきおじさんに尋ねると親切にもコースの近くまでバスで連れてってくれた。(ここまではポーランドでアウシュビッツに行けた時と同じパターン)しかし別れ際10ドルくれと来たもんだ。ヨーロッパでこの手の話があるとは思わなかったがバスも何故かただ乗りしたし、20000レイを渡す。多かったのかどうか? 日本円にすれば80円なんだけど・・。ホステルはハンガリーとうって代っておち着いた雰囲気。さすがにただの観光気分で(遊びがてら) ちょっと寄ったという旅行者はいなくてルーマニアに来たかったという人間が多く旅慣れた奴もいて良い雰囲気。イタリア人とアメリカ人の2人と共に夕食を摂る。この ホステルで"グレジャー村" の場所も分った。ブカレストから近いみたい。さてはて・・・。

笹山君、しばらくは移動の日々ですね。このあとのアジア編が楽しみです。(地下オン・青木 2/17)


・ルーマニア(ブカレスト)編・

11/27(月) ヨーロッパの最後を締めくくるビックな日。"クレジャニ"村に行く事が出来た。朝5時にホステルを出て駅に着くはずのバスがあらぬ方向に行ってしまい、朝の列車をのがしあきらめかけたが、とりあえず駅に行くと8時半の列車がある事を知りとりあえずヒデレという駅へ。そこからはバスも何もなく、タクシー(白タク?) と交渉して村に向う。舗装していない穴ぼこだらけの道を村へゆっくり突き進む。20分程でたどりついたまま村は思った程貧しげ所ではなかったがタクシーが村の飲み屋に着きドライバーが何か話すと何故だか演奏の準備が始まる。そこまではぜんぜん期待していなかったので信じられない。そして、その店で俺だけを相手に演奏が始まり、村人達がぞくぞくと集まって来る。これは夢ではないかと思ったけれど夢ではない。その上ギターを持っていたので" ジャポネ音楽やれ"と言われ3曲演奏する。回りはジプシーだらけで鋭い視線が突きささる。つくづく ギターを持って来て良かったと思った。心の内は分からないが俺の演奏する内に彼らも変な旅行者相手でなく少しは本気を出してくれた様な気がした。どっちにしても演奏は素晴らしい!! 白昼ジプシーの村でビールを飲みながら演奏を聞いている自分が信じられない・・何か飲み物をおごってくれると言われたのでもし演奏が聴けたらお礼はするつもりだったし、金をくれと言われるだろうと思っていたからそれよりお金を払うと言うと100ドルとか言ったので、そのへんは抜け目なく財布に気持ち分のLeiを入れておいたので"これで全部だ!! "と見栄を切って渡すとOkと言う事になりさらにしばらく演奏し続いた。泊まっていけと言われたがトライバーの"泊まったら、金とかギターとかきっと盗まれるからやめた方がいい"という忠告に従い(俺も1回来ただけで本当にフレンドリーになれるわきやないと思う)午後に駅に戻る。駅に戻る途中、ドライバーにも待ってもらったし、彼が話してくれなかったらこんな展開にはならなかったと思うのでお礼をする。と、彼の家に寄って行けと言われごちそうをふるまわれるは、友達のアコーディオン呼んでまた演奏は始まるは、家族で踊り始めるわ、めちゃくちゃに楽しい一日を過し、帰りにワインまでみやげにもらった。これでもうヨーロッパに思い残すことはありません。明日チケットを買って、あさってイスタンブールに向います。

なんだか幸せな一日だったようですね。いいなぁ・・。(地下オン・青木 2/24)


過去ログ(2000年 11/30〜1/13) (中近東編)
過去ログ(2001年 5/31〜8/3) (ベトナム・ラオス編)
過去ログ(2001年 1/27〜5/29)(インド編)
2001年 8/7〜9/15(旅の終わり)  
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