青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」◆本編に戻る  ◆「エッセイ・インデックス最近の事」へ

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「こころ」'24.2/25

 1月は熱を出したりして精一杯だったが、

 2月はトラブルに2回あった。

 どちらもさけがたく。

 そんなとき、こころはざわめくものだ。

 しかし、それはまったくもって、いい事がない。

 身体にも良くない。

 たとえば、それがお風呂やブールだとして、

 小さな波が、大きく水面を揺らしてくることもあるだろう。

 お風呂では特にそうだが、水面に手のひらを乗せると、

 波はおさまってくる。

 大事なことは波を大きくしないことだろう。

 今月の2回のトラブル。

 怒りもあるが、それを自分のこころに起こしても、

 いいことはない。

 常にこころの波を静かにせよ。

 息を大きくはいて、すって

 常にこころの波を静かにせよ。



「大晦日の商店街」
'23.12/31

 大晦日の商店街を買い出しで歩いた。

 ざわざわとしてる商店街。

 この一年のことを思った。自分は何が出来ただろうかと。

 歌は作った。一曲に何ヶ月もかけて。

 その中の一曲「どこにも行かない閉店」を昨日、動画サイトにアップした。

 それはこの商店街の古いお店の閉店を歌った歌。

 四ヶ月ほど、毎日ノートに向かった。たくさん、この商店街の事を想った。

 どの一行にも、僕の想いが乗せてある。

 魂込めて作った。

 それを公開させてもらった。

 僕にやれた事といえば、その位かもしれない。

 その歌は、この商店街の歌ではあるけれど、

 すべての商店街の歌でもある。

 その歌に、ほとんどの人は辿り着けないであろう。

 でも、そこには僕の四ヶ月間がある。

 しぼり出して形になった歌がある。

 僕がやれた事。



「風邪」
'23.11/3

 もう治ったが、ほんと久し振りに風邪をひいた。

 コロナが流行り出した2020年以降は、マスクもして大変気をつけていたので、

 咳ひとつ出ない生活だった。

 今回の風邪では咳はそんなに出なかったが、

 思い出すと咳が出そうになった。

 そして実際に出た。一回すれば落ち着くのだけれど、

 電車の中でもそれはやって来た。

 咳を我慢しても、少し出てしまう。

 コロナが流行っていた時期、

 僕も含めて、咳をしている人にかなり気をつかった。

 「あの人、咳をしてる」と、、

 しかし実際に自分もその状態になってしまうと、

 思い出しただけで、咳が出そうになってしまうのだ。

 ああ、そんな人たちの気持ちもわからなかった。

 自分がなってしまうと「別にいいじゃん」とか思ってしまう。

 咳を我慢するむのは、きびしいものだ。



「涼しい場所」
'23.8/20

 今年は連日、暑い。

 東京は猛暑日が過去最高に多いという。

 外仕事をしているので、身体がどうにかなりそうだ。

 沢山汗をかくし、沢山水分もとる。

 炭酸水分をとっているから、沢山汗をかくのか。

 もうわからない。

 どんなに暑い日でも、場所によっては風が通り、

 とても涼しい場所がある。日陰で。

 外仕事で時間があれば、ずっとそこに居たいもの。

 ここに居れば、、涼しいものを。。

 きっと昔の人は、ここに来ていたんだ。

 ぜったい。

 ぜったいに。


「民族音楽」'23.7/23

  ここしばらくエスニックポップスを聴いていた。

 独特なビートにあふれ、夏の日々によく合っていた。

 そして、気持ちは民族音楽に向かって来た。

 民族音楽を聴くには、自分が民族音楽モードになっていないとだめだ。

 またエスニックポップスを聴いたりすると、そのビートが新鮮になって、

 気持ちはエスニックポップスに向かってしまう。

 民族音楽を聴いているとは、いつも何も考えない。

 ただ身体に染み込むようらに聴く。

 ・・・・・・・・・・

 それは何かの野外でのイベント。

 各国の人がそれぞれの民族音楽を歌い踊る。

 出て来るひとりひとりがちがう。

 それを観ている自分。

 やがては自分の番もやってくる。

 沢山の歌と踊りを観て、

 さて、自分がその真似をするだろうか?

 ひたすらに自分に向かうだろう。

 それでいい。

 ひたすらに自分に向かえば良い。



「ひざ痛4」
'23.6/10

 ひざが痛くなってから三ヶ月ほどたった。

 今、やっとほぼ痛みはなくなった。

 ながい三ヶ月だった。

 最初はそうでもかったものが、だんだんと悪化していった。

 今思えば、それなりに理由もある。

 わざと痛みを足にかけて、慣れようとしたためだった。

 それで良くなることもあるけれど、今回はそうではなかった。

 なるべく使わない事が一番。

 一ヶ月半前に、一度動かなくなり、

 それからが勝負だった。

 とにかく階段がきつかった。

 やっと、やっと、その痛みもほぼなくなり、

 普通に階段も使えるようになった。

 これが、なんとも嬉しい。

 ・・・・・・・・・

 実は同じ職場に僕の他に二人ひざを痛めている仲間がいる。

 一人はほぼ治ったが、まだ少し痛む人。

 その人は言う「今、おさまっているだけだから」と。

 もう一人は僕と同じようにひざが痛く、

 まったく状況が変わらず、今も痛みと戦っている。

 同じように痛かったのに、

 その人の症状は変わらず、、

 たぶん原因がちがうのであろう。

 整体に通っているという。

 こっちがなんかつらい。

 それは逆だったかもしれない。



「ひざ痛2」
'23.5/1

  先週の火曜日、仕事中に左膝に激痛が走り、

 うまく曲げ伸ばしが出来なくなった。

 現場にいたので、会社の人に車で来てもらい、

 そのまま、また車で自宅まで送ってもらった。

 ひと晩はどうにも痛くて動かなかったが、

 次の朝にはかなり楽になった。

 いつもの整形外科に行ったところ、

  MRI検査をしてみなければ、わからないという。

 そして明日はその検査の日、

 その結果次第では、手術の可能性もある。

 まだわからないが、

 こんなに良く治ってきているのに、

 今回の事で、思った事。

 外を普通に歩いている人が、どんなに素晴らしいか。

 何をするのも、まず歩かなきゃならないし。

 芝居をするのにも、出掛けるにも。

 それを思い知った。

 みんな心配してくれた。

 目の時も大変だった。

 今は静かにしている。静かにしている。



「ひざ痛」
'23.3/30

  ここ二週間ほど、ひざ裏の痛みがあった。

 念のため、整形外科に行った。

 レントゲンを3枚撮って、診察室へ。

 やさしそうな先生が説明してくれた。

 ひざの一箇所に、丸みが消えたところがあるとの事。

 まあ、大事な部分は大丈夫との事。

 少し炎症が起きているとの事で、湿布をして様子をみましょうとの事だった。

 ・・・・・・・・・・

 つい先日も友達がひざを痛めていて、

 「青木さんも来るよー」と言っていた。

 親しい友もやっぱり、ひざを痛めて、定期的に水を抜いている。

 そんなことも、他人事だと思っていたのに、、

 ああ、自分にも。

 立ったりしゃがんだりする仕事なので、ひざは命だ。

 若い頃は想像もつかなかった事がやって来ている。

 くやしいけれど。

 くやしいけれど。



「ニーナ・シモン」
'23.2./25

 高円寺グッドマンでニーナ・シモンのアルバムがかかって、

 その生き生きとしたボーカルにあらためて惹かれた。

 ファーストアルバムとベストアルバムは持っていた。

 今回初期の5枚が入った激安ボックス。2600円。

 知っている有名なポップスやロックも入っている。

 マスターも言っていたが、「何でも自分なりに歌ってしまうんだ」と。

 その5枚組が届くまで、久し振りにファーストを聴いてみたら、

 聴くたびに良くなっていった。

 特に自分はジャズファンでもブルースファンでもないんだけど、

 ニーナ・シモンは聴けるなと思った。

 どんな歌でも、ニーナ・シモンにしてしまうから。

 いい歌だと思ったら、歌ってみる。

 僕らもそうだものね。



「充実感」
'23.1./22

 約8ヶ月、友達のブログの復活作業をしていた。

 ものすごい数をコピー&ペーストしたわけだけど、

 それも先週、終わった。

 それまでは、少しでも時間があるとパソコンに向かって作業をしていた。

 毎日毎日。

 それが終わってしまうと、時間が余ったときに何をしていいか、

 いつもどおりに、インターネットをチェックしたりしているけど、

 なにか物足りない。

 いままでは常に作業をしていた。

 それは充実感になっていたのだ。

 充実間。


「2022年大晦日」'22.12./31

 今年も今日で大晦日となった。

 やりたかった事は多くあったが、それでも数多くは実現した。

 偶然にも幸運だった事もある。

 パソコンが調子悪くなり、新しいものを手に入れ

 思い切って、システムを新しくしたら、

 サクサクと動くようになった。今まではなんだったのかというほどに。

 ダウンジャケットも新しくして、すごくあたたかくなった。

 壊れることも悪くないかもしれない。

 大晦日になり、かなりの満足感はある。

 それで良しとしたい。

 千田佳生と山下由のブログの復活もした。

 今はもういない友達の。

 毎日が、生のような死のような、変な歯間の中にいた。

 常に亡くなった人と話しているような時間。

 大晦日は温泉に出掛けた。

 帰って来てから深くひと眠りした。


「イベントは終わった」'22.11./27

  半年前から企画していたイベントが無事に終わった。

 追悼イベントなので、しんみりすると思っていたが、

 実際に行ってみると、準備で忙しくて、それでめいっぱいだった。

 開場してからも、めまぐるしくて、、、

 それでもひと組ひと組は大事に自分たちの歌をうたった。

 無限大のように。

 気になっていた時間も、予想よりも早く過ぎて余裕だった。

 やってみないとわからないものばかり。

 そう教えてくれたのかもしれない。

 そしてイベントも過去に向かうようでなく、

 未来に向かうようであった。

 不思議なものだ。

 不思議。みんな不思議。


「そして」'22.10./22

  来月、開催される山下由の追悼ライブは、配信ライブが決定した。

 それで山下由のブログのほうにも、そのお知らせを載せた。

  なんとか、山下くんの古い仲間や地元のみんなにそれが伝わると良いのだけど、と思う。

 こればかりは、僕のほうではどうにもできない。

 これからのひと月、ふっと山下くんの事を思い出して、検索してもらえると良いのだけれど、

 と、思う。

 何かの偶然とかで。

 どうか、お知らせが届きますように。



「音源」
'22.9./18

  ディランの初期のプライベート音源が10枚組で2800円だったので購入。

 そのどれもが知っている音源。若い頃、海賊盤として買ったものばかりだ。

 一枚2800円とかで。

 CDになっていればすぐに聴けるし音質も良いかなと思って。

 送られて来て聴いてみると、もうどれも知っているものばかり。

 ライブ音源が多いのだけど、ある程度、力が抜けている。

 それがやっぱりホントの録音盤となると、魂が入っているなぁと思えた。

 すみずみまで「気」が満ちいているというか。

 荒いのも、まあライブの魅力なんだけど。

 実は、若い頃、ディランの録音って、ほぼ力を抜いていると思っていた。

 「風に吹かれて」なんて、しゃがれ声だけど、軽く歌っているものね。

 でも、よく聴くととても丁寧に歌っているんだよね。

 40年ほどたって聴くと、それがよくわかる。 



「監獄の歌」'22.8./27

 今回、監獄の歌をうたった。

 うまく歌えるかなぁと思ったが、やっぱり難しかった。

 アメリカの歌だし。

 途中で監獄からの語りが入るのだけど、

 そこがどうもリアルにゆかない。

 パパとかママとか出てくるし。

 同じ歌をジョニー・キャッシュが歌ったものがある。

 それもほんとの監獄に演奏慰問に行って。

 ジョニーはアウトローのイメージもあって、親近感があっただろう。

 (実際は実刑を受けたことはなかったが・・)

  そんな歌を演じるのは難しい。

 今回、あらためてそれがわかった。


「掲示板2」'22.8./6

  8/1に新しい掲示板に引越しをした。

 以前のteacupの掲示板は、もう22年も前に設置したもの。

 それも初期設定のままの色で。

 完全オリジナルだ。

 あれから22年。

 掲示板の引越しにあたり、同じような掲示板を探したが、ふたつくらいしかなかった。

 考えてもみたら、22年の間には、掲示板も進化しているはずだよね。

 色がついたり、おしゃれになったり。

 それでまた選んだのが、22年前と同じタイプの掲示板。

 ネット文化なのにねー。他のものなら、きっと「もうないですよ」と言われたしまうだろう。

 おじさんは、シンプルなものが好きなんです。



「掲示板」
'22.7./3

 地下オンの掲示板も、7月末でサービスが終わってしまい、

 新しい掲示板に引越する事になった。

 今やもう、掲示板の時代じゃないというかもしれない。

 しかし、人によってはSNSをやっていない人もいるだろうし、

 SNSは個人のアカウントなので、みんなの情報というものは探しにくい。

 「もうそんな時代じゃないよ」と言うかもしれない。

 でも、それは、その掲示板が死にかけているからだ。

 ちゃんともう一度、息を振き込めば、それなりに生きてくると思っている。

 そして、何か新しく、そして今までどおりに、作り変えていこうと思う。

 商店街だって、お店だって同じだろう。

 昔ながらもいいものだ。

 8月からはちらに引越します。


「ブログ復活中」'22.5./29

  今はもういない友のブログがふたつ、今年の8月でサービス終了となってしまう。

 このままではなにもかも消えてしまうので、縁のあった自分が復活作業を進めている。

 ほんとうはクリックみっつくらいで、新しいブログに引越できるのだが、いない友になのでどうにもならない。

 これが想像を超えて時間のかかる作業だとわかった。

 もう二ヶ月ほど続けているが、復活しているのは2パーセントくらいか。

 それでも誰かがやらねばならないと思う。

 貴重な資料なのだから。

 大変ではあるけれど、楽しんでやれている。

 ●千田佳生のペダルスチールな日々(復活中)

 ●山下由ブログ「野蛮歌手野生紀行」(復活中)



「力ないとき」
'225./14

  力ないとき、どんな音楽も聴けないかなという

 気分のときもある。

 じゃあ、

 元気の出る音楽をと、

 選ぶ事も出来る。

 そんなとき、 自分の録音を聴いてみるといい。

 その録音の時、集中していた事。

 その音に波長を合わせてゆくと、

 元気になれる。

 他のどの音源よりも、たぶん。



「新曲」
'22.4/24

 今回の新曲は時間がかかった。

 もともとふわっとしたイメージだけで、

 なんとなくしかなかった。

 日々、ノートに向かい文字を書いていった。

 それでも、出来上がるかは不明だった。

 ライブ当日、なんとか仕上げていった。

 歌ってみると、「歌」になっていて良かった。

 それてせも何か足りないような気がして。

 次の日、録画したビデオ映像を観ていて、

 足りない部分のイメージが浮かんだ。

 3割くらい歌詞も変わった。

 それでほぼ完成となったわけだけど、

 いつイメージが来るかわかないねー。

 感謝♪


「靴」'22.3/26

 一年半前、「お安くなってます」の言葉につられて買った

 一足の靴。買った時、店員さんが「ほんとこれは今安いですよ」と言った。

 アメリカ製。ほんと履きこごちが良くて足も疲れない。

 そして丈夫だ。一年半履いても、ひとつもほころびない。

 しかし、靴裏はへってしまった。さすがに。

 また買おうかなーと思って、値段を調べたら、

 12000円くらいしていた。えーっ、そんなに高かったのか。

 どうりで履きこごちが良いわけだ。

 しかし、もう限界なので、新しい靴を買うことにした。

 どーなのかなと思いながら、買ったのは2000円の靴。

 悪くない。どこかの靴みたいなチープな感じでもない。

 履いてみても、悪くない。

 しかし、以前と比べたら最高というわけではない。

 そしは「比べる」からだ。

 2000円の靴も3週間ほど履いたら足になじんだ。

 まったく問題ない。

 そして日々は過ぎるのであった、


「遠くなった友」'22.2/26

 友が亡くなった。遠くへ。

 もう10日ほどたって、少しは気持ちは楽になった。

 約15年間。がんばってと応援していた友。

 友は「あせらないあせらない」とすべて先延ばしにした。

 もうそんな日々は来ないのかなと思う。

 どんなふうに悔しかったのかと思う。

 友はもう人生の終わりのような事を言っていたが

 僕は「これからだよ」っていつも答えた。

 それで合っていたのか?

 友はどんなふうに悔しかったのかと思う。

 友は友なりに悔しかっただろう。

 友はすっと消えていった。

 僕はそんなふうに思い出すだろう。

 15年間、僕は「がんばろうよ」と言った。

 それが僕と友との関係だった。

 君は今、どこにいるの?

  僕は合っていたのか?

 もう声は届かない。

 友はすっと消えてしまった。



「まだまだ続く」
'22.1/29

 コロナは、どこまで続くのかなと思う。

 この感染力。

 この先、いったん落ち着いたとしても、

 また知らない間に増えてしまう可能性が高い。

 インフルエンザなら症状はあるが、

 コロナは無症状でも伝染るというやっかいなところがある。

 やっぱり天才的な科学者がアイデアを出すのを待つしかないのか。

 ほんともうね。

 大学生たちは早く元に戻って欲しいだろう。

 しかし、それにしてもイギリスは先を行ってるね。

 もうマスク解禁だなんて。

 ウイズコロナだという。

 もう頃合いだという。

 人生とは?

  と、そう問いかける。


「2022年」'22.1/1

  とうとう2022年になった。

 コロナ三年目。

 専門家の予想した通り。

 それは本当になった。

 地獄もあったね。

 今年の前半もすごいことになりそうな予感。

 せっかく通常に戻りつつあったのにね。

 居酒屋や食堂にまた試練が来るのか?

  ため息が出る。 

 手に負えなくなるかもね。

 暴れほうだいだ。

 コロナ。

 想像どおりだったコロナ。



「オミクロン」
'21.12/3

  コロナの新しい株「オミクロン」が近付いて来た。

 実際はどうなるかはわからないが。

 変異したたったひとつのウイルスが。

 まあ、コロナの最初もそうだったのだろう。

 いつまで続くのかと思う。

 コロナ対人類

 まだ先が見えない。

 ため息が出る。

 たったひとつのウイルスが、、

 たったひとつのウイルスが、、

 オミクロンの次は何か

 天才的な科学者のアイデアが必要かも。

 まるまる2年たった。

 来年の今頃も同じだったりしてね。

 動物にも伝染るという話はどこにいった??

  やっぱり天才の薬を待つしかないのか、、


「宿の人」'21.11/13

  民宿の夢を観た。

 とても懐かしく、宿の人は家族のように迎えてくれた。

 日々、こんな暮らしもいいなぁと思いながら。

 毎日のように、旅人が泊まってくれて、

 また手を振る。

 一度泊まってくれた人がまたやって来てくれる。

 「やぁ、久し振り」と。

 僕は思う。覚えていられるだろうかと。

 毎日、毎日泊まる人がいて、それが一年二年十年と続く。

 どんなに記憶力のよう人でも、それを覚えてくるのは大変だろう。

 だけど、けっこう宿の人は覚えているんじゃないか?

 人が好きなら覚えてくるだろう。

 自然に任せて。

 沢山の懐かしい人が泊まりに来てくれたら、

 いいよねー。

 夜にはお茶やお酒を飲んで。

 ああ、僕にも覚えていられるだろうか?

  やってみないと、わからないねー。



「コロナ2021」
'21..10/17

 今日の東京の感染者は40人。

 少し前が5000人だと思うと、びっくりだ。

 気分的にも安心だが、失ったものが実は多い。

 泣きたいほど、お店がコロナの影響でなくなった。

 それが戻ってくるわけではない。

 どうしていいかわからないほど。

 それを乗り切って先に進むこともできるだろうけど、

 悲しみは大きい。

 なんとか乗り切って欲しかった。

 商店街だって、かなりの店がなくなったんだ。

 今日の感染者は40人。

 痛い。まだ痛い、、

 何を持って復活と呼べのだろう。



「ワクチン」
'21..9/19

  もう自分は新型コロナワクチンを2回打った。

 まあ、打ったとしても、感染対策することには変わりないが。

 仕事仲間にも、ワクチンは絶対に打たないと言っている人もいる。

 コロナに関しても、そう心配はしていないようだ。

 お化けを信じる信じない、、みたいな感じか。

 コロナがやって来てわかったのは、

 わかりあえない部分もあるなという事。

 ワクチンに関しては、打たない人の気持ちもわかるなと思うが、

 ワクチン反対の人は打つ人の気持ちがわからないという事もあるだろう。

 二択ということでもないのだけど、

 もうそこには触れない。

 わかりあえない、、そこが溝のようにある。

 そこにぶつかると、先が続かない。

 そことあたる。



「でも何かある」
'21..9/4

  そのCDが発売された時に、お店で手にとった。

 もう25年も前、1968年のLPがCD化されて発売された。

 とても気になるジャケットで「アンダーグラウンドのディラン」とか、宣伝されていた。

 試聴してみたのだけれど、何か物足りなくて、そのときはやめてしまった。

 それから数年して、友達がそのCDを持っていて、おすすめされた。

 僕はいやぁ、なんとなく・・」と答えたら、友は「そうかなぁ・・」と言っていた。

 それから10年たって、動画サイトでとても気に入った歌があり、

 調べたら、作詞作曲がその人だった。

 そして最近、気に入って聴いてるシンガーさんと、

 一緒にセッションしている。この人もあの人も。

 で、アルバムをやって注文したのだった。

 25年も遅れて。

 届いてものを聴いてみれば、名盤。

 25年前では、きっとわからなかった。

 今の僕に必要な一枚。


「失敗から失敗」'21..8/9

 夏になった。

 仕事でたくさん汗もかく。

 汗をかいたシャツを毎日洗濯。

 それが、最近、、匂い残りするようになった。

 おかしい。

 それで消臭効果のある、消臭ビーズを買って、

 一緒に洗濯。それは

 スッキリ、さわやかな香りの。

 使ってみたけど、すっきりさわやか臭すぎて、無理、、

 ああ、、はぁ、、、

 そうだ、と思い出した事がある。

 それは先日、いつも使っている洗剤がなくなり、

 少し安い洗剤を中身だけ変えて使っていたのだ。

 それが原因か、、

 失敗が失敗を呼んだわけだ。

 迷う事なく、いつもの洗剤を再購入。

 抗菌・消臭効果の抜群の。

 ほんの少しが、失敗の失敗の原因ですね。



「加川さん」
'21..7/18

  今日、加川良さんの「駒沢あたりで」のアルバム届いた。

 1978年の作品。

 そのひとつ前のアルバムまでは全部揃えて、

 中高と夢中で聞いていた。

 影響もかなり受けた。

 そして受けすぎてしまった。

 「駒沢あたりで」は、いいアルバムだとはわかっていたけれど、

 あえて買わなかった。

 東京に出てきて、僕はアメリカンフォークドラッドを沢山集めた。

 日本のフォーク以前の、トラッドという世界。

 そこに焦点を当てた。

 しばらくは日本のフォークはお休みして。

 自分の道を歩き出した頃。

 それから5年たった。

 ライブを聴くチャンスもあった。

 それから10年たった。

 それから20年たった。

 それから30年たった。

 僕は日本のフォークがどうしても馴染めなかった。

 自分ではギターの弾き語りをしているのに。

 そして40年ほどたって、やっと少しずつまた日本のフォークも聴けるようになった。

 最近は、また加川さんの動画も観ている。

 もう遠くにいってしまったけれど、

 アルバム「駒沢あたりで」届きました。

 いい歌、たくさん。


「新曲」'21..7/1

 先日、新曲が完成した。

 ほぼ直すところもなく。

 レコーディングに集中して半年。

 前のレコーディングでは、

 まるまる一年半、ほぼみんな作品はボツになった。

 力が入りすぎてしまったのだ。

 その時の経験は痛いものだった。

 自分なりに考え、道を作った。

 今回の録音のあとの一曲目。

 なんとか作品になった。嬉しい限り。

 作りすぎないように、、

 作りすぎないように、、

 気を付けました。


「コロナ三年」'21..6/13

 新型コロナウイルスが流行り始めて、

 もう一年半はたった。

 当初は今年の春くらいには、ワクチンも浸透して、

 なんとかなっている予感もあった。

 でも、変異ウイルスの登場により、

 そうでもなくなって来た。

 マスク生活もあと数年続くかもという。

 集団免疫も7割あれば、なんとかと思っていたが、

 どうも9割近くにならないとそうはならない様子もある。

 結局、ワクチンを売ってもコロナウイルスのキャリアにはなってしまう。

 来年くらいには、薬も出てくるだろうが。

 元どおりの生活にはしばらくなれないかもしれない。

 常にマスクが必要となるだろう。

 ああ、コロナウイルスよ。

 今も飲食店も、これまでは、協力金も出ていただろうが、

 これからはサバイバルとなるかねしれない。

 数年かがりの。

 自分たちだってもうライブは出来ないかもしれない。

 さて、それで何をするかだ。

 大丈夫になる日を待っていても、まだまだ先だ。

 何かが錆びてくるだろう。

 それを防がないとね。

 この一年は無駄な時間も大切であった。

 これからは少し、動かねばならない。


「きっとね」'21..5/22

 ニューアルバム「バスにどうぞ」

 出てから約ひと月がたった。

 録音してからは約半年。

 ずっと音源を聴き続けている。

 ああだこうだとあたふたと思っていた時期は過ぎて

 やっと客観的に聴けている。

 いい。信じられないほどの集中力で歌っている。

 完全に歌に入っていて、風景が見えてくる。

 これが自分が歌っているなんて信じられない。

 という感想。

 何か特別な集中力があったようだ。

 それもただ丁寧に歌っているだけでなく、

 一曲一曲、きちんと構成を考えてある。

 おお、これはほんとに自分なのか?



バスにどうぞ」'
21..5/4

  新しいアルバムのタイトルは「バスにどうぞ」となった。

 バスには子供大人も老人も乗ってゆく。

 電車よりも近くにバス停はある。

 生活にとても近い。

 そんなアルバムを願っている。

 弾き語りだとかフォークだとか、

 それは気にしないで、

 短編のムービーみたいに。

 語られるのは僕の話ではあるけれど、

 きっとあなたにも近いはず。

 ぜひ、バスにどうぞ!!



「加湿器」'
21..4/11

  冬は加湿器が大活躍する。

 今のものは二台目だが、

 これが水が追加しずらい。

 前のやつもそうだったし、会社にあるものそうだ。

 全部、上から水が入れられない。

 水の入れ口が下になっている。

 逆さにしながら台所まで持ってゆくのだけど、

 必然的に水がこぼれる。

 たぶん、ほとんどの加湿器がそうなのではないか。

 ほとんどの加湿器がそうだから、変わらない。

 床に水が垂れてしまう。

 加湿器はとても良い。

 なぜ、ひっくり返して台所に持っていかねばならないのか??



「オリジナルジャケット」'
21..3/29

  ニューアルバムのために、

 手作りオリジナルジャケットを作っている。

 あと盤面もそうだ。

 イメージは出来ていたが、

 そま通りにするために、いろんなものをそろえた。

 こんなにも、必要かと思うほど。

 しかし出来上がってみると、とてもシンプルだ。

 その苦労は、なかなか伝わらない。

 不思議だったのは、自分の欲しいものを扱っているのが、

 たった一社だったりしたのだ。

 その一社がなかったら、実現出来なかった。

 綱渡りのような感じ。

 その一社がなくなったらと、どうしようかなと思う。

 とりあえずジャケットが出来た。


「年相応」'21..3/16

  身体のあちこちに不調が出てくるのはもうしかたがない。

 もういい年になった。

 若い頃には、まったく心配していなかった事。

 もう、それはそれとして、走るしかない。

 いや、歩くのかな。

 立ち止まっていても、また歩くよ。

 いつも腰も痛いし。

 日々、こうして無事でいられる事に感謝しなくっちゃね。

 感謝。それに尽きる。


「二枚組」'21..3/3

 今度のニューアルバムは二枚組となる。

 この10年の歌の録音なので、必然的に二枚組となるのだが。

 ライブアルバムでの二枚組は多い。

 その曲順といえば、ほぼライブと同じ。

 しかし新作の二枚組となると自由。

 ボブ・ディランの二枚組「ブロンド・オン・ブロンド」は、

 二枚目のB面を一曲で埋めた。

 そんな自由がある。

 ベスト盤の二枚組なら、できるだけ詰め込んである。

 新作の二枚組は、自分の自由だ。

 どんな曲順にしようとも。

 一枚目と二枚目で違う顔になっても。

 今回、二枚組が作れる事になって、とても感謝している。



「旅」'
21..2/7

 22曲の録音が終わった。

 録音という旅から帰ってきたような気分。

 録音しなおいたい曲も、三曲ほどあるが、

 悪いテイクではない。

 何かに手が届いている。

 何かに手が届いたいるテイクだ。

 以前も、歌をとりなおした事もあったが、

 すぐに「前のほうがいいね」と却下された。

 そういうものなんだよね。

 うまく歌おうとしても、それは伝わってしまう。

 レコーディングという旅に出ていたみたい。

 それは旅先。

 もう帰ってきてしまった私。

 22曲。そのまま使うことにした。

 素晴らしいテイクも多い。

 それも味。旅なんです。


「不思議な旅」'21..1/24

 本当なら、今日はレコーディングの日であった。

 でも、雨と雪の予報もあり、中止になった。

 昨日の夜は、冷たい雨の中を歩いて帰って来た。

 こんな事もあるんだなと。

 アメリカのトランプ大統領が、退任前の演説で

 「私たちの不思議な旅はまだ始まったばかりだ」と言った。

 映画「ロード・オプ・ザ・リング」(指輪物語)で語られるフレーズのようだ。

 トランプさんの真意はわからないが、いい言葉だ。

 ロード・オブ・ザ・リングの旅では、何でも起こった。

 想像を越える出来事が。

 私も先日、誕生日を迎えて、いい年齢になった。

 しかしだ。まだ不思議な旅は始まったばかりだと思ってみよう。

 明日は雨になった。

 不思議な旅はまだ始まったばかり。



「録音2」'
21..1/10

  22曲の録音が続いている。

 3回のうち2回まで終わった。 

 15曲。あと7曲。

 15曲まではベストテイクで録れている。

 奇跡のように。

 15曲までもいろいろ大変だったが、

 残り7曲がさらに大変な楽曲がそろっている。

 ギターも大変なのに、曲も長い。

 心配だ。

 練習はしてゆく。

 過去2回はうまくいった。

 3回目はないか。

 ないかもしれない。

 ミューズは試練をしれるかも。

 あと7曲ぺ゛ストテイクで録れれば、

 アルバムは傑作になるだろう。

 ああ、心配だ。

 心配だ。



「早くなる」'
20..12/13

 もうすぐ録音に入るので、

 スタジオを借りて、録音する曲をひととおり歌ってみた。

 なんとか歌えたなぁと思って、

 聞き返してみたら、自分が思っているよりも、

 早めに歌っていた。

 おっと、あぶないあぶない。

 ためし録りして良かった。

 これは肝に銘じておかねばならぬ。

 ああ、気付いてよかった。

 ほんとに。

 リハってほんと大事ですね♪


「腰痛」'20..11/30

 もう三ヶ月、腰痛が続いている。

 時に重いものを持ったわけではなくて、

 朝得きると、痛いのだが、立ってしばらくすると、何事もないようになってしまう。

 しばらく続くので、ストレッチを始めた。

 自分としたら、完全に治すつもりだったのだけれど、

 やり方がまずかったのが、なおさらに痛くなった。

 うーっ、失敗。

 失敗ですよ。おにいさん。

 自然が一番なのかもねー。

 ああ、腰が痛いー。



「ベートーベン」'
20..11/15

  今年はベートーベンの生誕250周年。

 テレビでは特集もやっていた。

 もともとベートーベンは好きなので、ついつい観てしまう。

 そして聴いてしまう。

 ベートーベンはミュージシャンという、

 職業を知らしめた始めの人だという。

 何かのための音楽ではなく、

 音楽そのものを前面に出した人。

 その人生はパワフルだった。

 今で言うところの「パンク」の人だったようだ。

 クラシックから一番遠いような。

 激しい。

 壊した人。ベートーベン。



「柿食べる」'
20..11/1

  柿が免疫力を上げると健康番組でやっていた。

 柿だよ。柿。

 これから毎日のように柿を食べよう。

 もう柿男になってもかまわない。

 柿を見るたびに、手が伸びるだろう。

 そして、こっそりと柿を食べるだろう。

 いや、こっそりじゃない。堂々とだ。

 柿、食べる。


「アンクルニール」'20..10/11

  孤高のロックミュージシャン。

 孤高のシンガー。

 みんな70才を越えても、大きなステージに立っている。

 ニール・ヤングも、アンクルニールなんて呼ばれて。

 見るからにもう、おじいさんに近いけど、ロックしている。

 僕は思う。あの年齢になったら、

 自宅に戻って、またじっくりと音楽と向き合い、

 過去の自分にしばられずに、

 すごい良い曲を作って、

 一枚のアルバムを作りたい。

 と、思うけれど、

 孤高のロックミュージシャンは、みんなツアーに出る。

 おじいさんになっても。

 みんなそうなんだなー。

「腰痛」'20..9/29

  今月はずっと腰が痛い。

 朝とか、電車に座ったときなど。

 そのくせ、仕事でたくさん荷物を肩から下げていても、

 ほとんど痛くない。

 あれれ??

 どーなってるの??

 なので、そのまま、ひと月たってしまった。

腰痛は奥が深い。

 withコロナではないが、

 with腰痛という感じかー。



「演奏」'
20..9/13

 最近、YouTubeの動画で、知っているいろんな歌をよく聴いている。

 メロディーを知っていれば、ギターでなんとなく歌えるともわかった。

 ギターを弾き始めた中学の頃は、そうやって何でもギターで弾いた。

 何でも歌った。

 それを忘れていた。

 もうずっと、創作と曲のアレンジにギターを主に弾いてきた。

 自分に馴染みのあるコードで。

 ギターは僕にとって、演奏楽器だったね。

 いろんな歌を歌えるんだ。

 メロディーがわかれば。



「秋」'
20..8/30

 8月終わり、もうすぐ9月である。

 コロナの影響もあり、春夏とぼんやりとあたふたと過ぎてしまった。

 しかし、秋は、この秋は秋らしく過ごさないと思う。

 収穫の時だから。

 今年の。

 部屋で眠っている本やアルバムが呼ぶような気がする。

 今年だけでなく、

 俺たちがいるじゃないかと。

 一緒に秋を作ろうぜと。

 呼んでる気がする。


「夏」'20..8/16

  先月はずっと雨かと思っていたら、

 今月は毎日、暑い。

 それも連日。そして新型コロナ。

 マスク。手洗い。ソーシャル・ディスタンス。

 水分補給。

 夏だ。まちがいなく。

 夏が過ぎたら、今度は台風だろうか。

 それに一週間がとても早い。

 連日、コロナのニュースばかり。

 これといった良いコロナのニュースもなく、

 ただ時をストレスなく過ごしている。

 100パーセントのストレスメーターがあるとしたら、

 40パーセントはもうコロナで使っている。

 それを知っていることは大事だ。

 みんなそうなんじゃないか。

 なんとか乗り越えていきましょう。


「向かう」'20..8/2

  定期的に企画しているライブが無事に終わった。

 自分も半年ぶりに歌った。

 新しく歌ううたが5曲ほど。

 何度が歌ったこともあるけど、さてどう歌ったらいいのか悩んでいた。

 まだ完成していないままで、本番のライブ。

 それも新曲は、まだ構成も決まっていない。

 でも、この本番のライプがなければ、

 歌も完成しないと思っている。

 そこに向かって準備していた。

 他にもいろいろとやることもあり、

 部屋は片付いていない。

 でも、ライブはうまくいった。

 とても集中して、新しい歌もなんとか歌えた。

 時間のとがった先のように。

 これから、部屋は片付ければ良い。

 元に戻れば良い。

 向かっていたのだ。


「コロナ・飲み屋感想」'20..7/19

  コロナが増えてきて、

 緊急事態宣言となり、

 またそれが解除された。

 居酒屋も条件付きで解放されたが、

 街を歩いてみると、そういつもどおりの感じである。

 向かい合い、マスクはなし。

 でもみんな嬉しそうだ。

 先日も、商店街を歩いていたら、小さな立ち飲み屋さんに、

 女性が入っていった。みんなは「よーっ!!」と言って迎えていた。

 僕自身も、小さなバーで友達と待ち合わせていたが、

 常連さんで埋まっていた。

 換気はしてあるとはいえ、少しは心配。

 でも、もう来てしまっている人には、同じ空間ということなのだ。

 緊急事態宣言が解除されてから、

 飲み屋さんに通う人は多いだろう。

 もうきっと自分が止められないのだ。

 マスクを外して飲むという事を最初にOKとしたら、

 それ以降もOKなのだ。

 私も想像では、たぷん毎日のように通ってるいるだろう。

 この快感は人間らしいから。

 生きているという事だから。

 一日の仕事とのてんびん秤だから。

 それを選ぶ人はいるだろう。

 もう止められない。


「無人島」'20..6/29

  ずいぶんと横になっていたような気がする。

 ライブもなく。出掛けることもなく。

 でも、そろそろ。

 そろそろ始めようと思う。

 無人島に着いて、

 しばらく横になっていて、

 あきらめて、起き上がるように。

 どこに行っても、何もないような日々であっても。

 家を作ったし、果物を探したり、

 ノートを作ったり、楽器を作ったり、

 お祭りをしたり、立て札を作ったり、

 やろうと思う。

 無人島に着いたように。



「ライブハウス」'
20..6/14

 コロナの影響で、

 しばらく営業自粛していたライブハウス。

 6/19より、営業再開の予定だが、

 国より再開のガイドラインが示された。

 ●お客さんは1メートルはなれること。

 ●歌い手から客席まで2メートルはなれること。

 ●2メートルが無理なときはボーカルがフェイスシールドまたは前にビニールシートを張ること

 そりゃあ、ある程度の大きさのあるライブハウスなら、いろいろ可能だろうけど、

 15人ほど入る狭い店では、無理だろう。2メートルははなれなれない。

 お客が1メートルはなれたら、5人くらいしか入れない。

 これではやっていられない。

 無理だろう。

 すべての自粛が解除なのに、、これではだめだ。

 電車はどうなんだ。座席にみんな座っているじゃないか。

 電車はどうなんだ。


「もう何がなんだか」'20..5/31

  今日で5月も終わり。

 東京は明日から、自粛解除のステージ2になる。

 明日からお店を再開するところも多いだろう。

 いろいろ考えてはいろだろうけれど、

 この先がどうなるかは、まだほとんどの人にわかっていない。

 自分だってそう。

 何とか、何とか、少し先に進みたいと思っている。

 少し先のどこかに向かって。

 明日から、僕も始めようと思う。

 何がなんだかわかっていないままで。



「マスクと手洗い」'
20..5/23

  ここ東京でも新型コロナウイルスは縮小しつつある。

 それでも、まだほとんどの人はマスクをしている。

 少し前なら、マスクをしない人も多かったのだが、

 今もほとんどの人がマスクはしている。

 それはそのうち、なくなるだろうか。

 夏にもなるし。

 僕は知っている。

 今回のこの新規感染者の減少は、

 マスクと手洗いのおかげだと。

 何に感謝かといえば。

 自粛のお店は当然だが、

 マスクと手洗いにも感謝。

 その感謝の気持で、

 マスクはします。



「おそろしい」'
20..5/4

 いやぁ、この新型コロナウイルスっていうのは、

 おそろしいよ。

 いろんな対策をしているけど、

 へらっとしている。

 どんどん感染が広がる。

 症状なしで。

 僕も、もう感染しているかも。

 しらっと。

 抗体をもう、持っているかも。

 そしてうまく抗体が出来ない人もいるという。

 そしてどんどん変化もしてゆくという。

 東京だって、ほんとは沢山の人が実は感染している。

 しらないうちに。

 しらないうちに。



「友。」'
20..4/18

  先週の土曜に訃報が入った。

 とても近い友が前日になくなってしまった。

 まさかという気持ちでいっばい。

 もう40年のつきあい。

 病気が憎いとも思う。

 でも、もうしかたがない。

 友はいつもいつでも、自分に起こった大変なことを

 伝えないで欲しいと言っていた。

 もう昔、ライブで自分の腿をカッターで彼は切ってしまったが、

 「じゃあ、このへんで」と言って、一人タクシーで病院に向かった。

 みんなを心配させたくなかったんだろう。

 創作やイベント、そこて生まれるものをそのままにしておきたかったのだろう。

 彼らしく。

 彼は入院していることも内緒していた。

 僕も伝えなかった。

 そうして今、遠くにいってしまった。

 僕は思う。

 彼が「亡くなった」とは伝えたくないなと。

 僕は思う。

 彼の残した作品や言葉や音楽は、

 息をしているんだと。

 命のひとつのように。

 でもまあ、何かどう伝わってゆくかは、誰にもわからない。

 いまはそのまま。

 ひとつだけ言葉を送ろうと思う。

 「大切に伝えてゆくよ」と。



「免疫力」'
20..3/30

 自分なりだが、コロナウイルス対策について

 ある程度はしようと思っている。

 でも、実はもうかかっているのかもしれないのだが、

 だって、すごい感染力じゃないか。

 普通の風邪だって、ウイルスを吸い込んでも、

 発症する人としない人がいる。

 対策としては免疫力をつけておくしかない。

 睡眠時間。これが大事だった。

 僕はいつも4時間から5時間。

 これを伸ばそう。

 ビタミンもとろう。

 よく笑おう。

 ストレスを感じないようにしよう。

 疲労には気をつけよう。

 私のウイルス対策。



「コロナウイルス」'
20..3/11

  もう、毎日コロナウイルスのことで、、

 時間も日にちも忘れるほどに。

 気付いてみれば、もうひと月ほどたってしまった。

 必死だ。

 地方にしたら、そんなふうに思わないかもしれないが、

 都心ではすぐそばまで来ているさいう印象。

 実際のところがわからないので。

 念には念を入れて悪いことはない。

 心配し過ぎだよという人も多いだろう。

 疑心暗鬼だという人も多いだろう。

 でも、その疑心暗鬼が、何かの役に立つときもある。

 そう思って、いるのです。


「右眼」'20..2/13

  つい先日、右眼のレーザー手術をした。

 手術と言っても、5分ほどで終わったのだが、、

 2年前、右眼の網膜剥離の手術をして、

 だんだんと見づらくなって来て、

 目医者さんが「ではレーザーを打ちましょう」という事になった。

 それでもう次の日には、すっかり見えるようになった。

 驚くほど。

 ほんと手術してよかった。

 実は、5ヶ月ほど前にも一度、レーザー手術の予定となったが、

 当日になって、僕が「もうちょっと様子をみたい」と先延ばしにしたのだ。

 今回、先生は「今日、これからレーザーできるよ。やろうか?」と言った。

 即、「はい」と返事をした。

 それで良かった。何かに導かれるように。


「もう一回」'20..1/29

  おじさんに会いに行った。

 椎名町に住んでいる、おじさんに。

 遠くに行ってしまうという事で、最後にアパートに。

 話では、数日前からアパーとに帰っているという事だった。

 夜7時半、伺うとアパートの部屋に明かりとついていなくて、

 風呂に行ったのか、近くのスーパーに行ったのか。

 一時間くらい待ってみることにした。

 おじさんはゆっくりと夜道を歩いてくる。

 何度もその姿を見て来た。

 今夜もそうやって、やって来る気が゛して、

 道で待ってみた。

 しかし、その時、一本のメールが来て、

 おじさんはアパートに帰れなくなったという。

 そして、このままずっと施設にいて、

 遠くに行ってしまう予定だという。

 ああ、もうここで会うのはほぼ夢となった。

 そんなものだよね。

 もう一回は、いつもないときがある。

 さびしいものだけどね。

「古い映像」'20..1/12

 40年ほど前から、

 ライブの映像をビデオカメラで撮ってきているが、

 20年ほどたった頃から、録画テープの劣化が始ま

 これではだめとデジタル化を15年ほど前から始めた。

 もうかなりテープの劣化も始まっていたが、

 ほっておくともっとひどくなる。

 コツコツとあきもせず。

 いつか何かに使う事もあるだろうと思って。

 時間もかかったしお金もかかったが、

 なんとかほぼ全部デジタル化を終えた。

 もともとの録画テープもほんとに劣化でだめになるものも出てきた。

 そうなると、デジタル化したもののもが残る。

 つい先日、そのデータからCD作品が作られた。

 元のテープはもう使えなくなってしまっていた。

 そうしなければ、そうならなかったもの。

 「たまたまデジタルに直してあってね」

 と、いう事ではなくて、

 「デジタルに直してある」

 それです。


「2019年」'19..12/31

  大晦日となった。

 さよなら2019年。

 今年は何があったんだろう。

 動画をいくつかアップ出来たこと。

 それが一番の嬉しいことかな。

 それは僕の場所を離れ、

 世界中に旅立ってゆく。

 僕もまたそうやって動画を観ている。

 遠い異国の動画を。

 近くて遠い動画を。

 それは、遠い未来にもつながっている。

 来年の大晦日にも、きっと新しい動画をアップできているだろう。

 できていないかもしれないが。


「最初のメロディー」'19..12/16

  歌の創作をするときは

 いつも録音機を回しながらしている。

 作ったメロディーやフレーズをすぐ忘れてしまうので。

 半年前から作っている歌のメロディーが決まらなくて、

 迷子状態になってしまった。

 それでアイデアを録音したものを聴き直してみると、

 一番最初に録音してメロディーが一番あっているとわかった。

 「よし、これでいこう」と、決めたものの、

 何か足りない。

 でもね、それで行くことにも意義がある。

 最初のメロディーには何かあるので。


「おしゃれ味噌らーめん」'19..12/3

  雨の一日の昨日、

 外仕事をしていて、どうしても味噌らーめんが食べたくなった。

 初めて入る店ではあったが、

 こだわりのラーメン店に入った。

 若い人がオープンした店のようだった。

 値段も900円以上はする。

 とりあえず味噌ラーメンを頼んだ。

 「トッピングはいかがですか?」と言われて

 紙を見ると、味噌らーめんに付き物のトッピングが書かれてあった。

 高い。バター150円。

 麺とチャーシュー1枚というシンプルな味噌ラーメン。

 白味噌であった。

 食べてみる。

 うーん、熱くない。

 味噌ラーメンは「熱さ」が命ですよ。

 大切な事なのでもう一度言います。

 「味噌らーめんは熱さが命ですよ」

  こだわりのラーメン店。

 結局、1100円もかかってしまった。

 次は「どさんこ」に行くよ。


「ギター」'19..11/17

 生音で歌うライブがあった。

 広めの会場であったが、充分に聴こえる感じであった。

 イメージでは部屋で弾いている音が、そのまま大きく聴こえるはずであった。

 しかしやっぱりちがう。

 大きめに弾いているせいもあるだろう。

 ここが難しい。

 自分のイメージと変わってくる。

 声だって、大きめに声になる。

 あまり気にしなくてもよいのだが。

 生音ライブは難しい。

 特に広めの会場だと。

 今回もちょっと大きく弾きすぎてしまった。

 教訓。

 きっと聴こえている。それを信じてみること。


「札幌・小樽ツアー」'19..10/31

  兄弟の札幌・小樽ツアーが無事に終わった。

 出掛ける前日の体調不良で、もう行けないかなと思ったが、

 なんとか。

 ほんと大変だった。

 でも歌はしっかりと歌って来た。

 自分にはそれがすべて。

 旅立ちの朝、羽田空港で美味しい朝食をいただいた。

 帰ってくるときには、遠い時間のように感じるかなと。

 しかし、実際に戻ってくると、それはついさっきのように思えた。

 そして、ツアーでの出来事はすべて覚えていた。


「東京止まる」'19..10/14

  長大型の台風19号が通った次の13日の朝、

 東京の地下鉄が全部止まった。

 JRが止まっても地下が動くと安心したいたので、まいった。

 それもどうしても現場に行かなくてはいけなかった日。

 タクシーも止まらない。

 家に自転車はあるが、バンクしている。

 バンクというか、空気を入空気が抜けてしまう。

 午前中いっぱいは再開をしないという予定。

 こんな感じなら、自転車で行ったほうがいいだろう。

 しかし自転車がない。

 自転車は必要だ。

 そう確信した。


「健康判断」'19..9/23

  今年も健康診断の結果が届いた。

 けっこう仕事仲間でもいろいろ書かれている人もいて、

 心配だった。

 もういい年齢なのでどう書かれていても可能性があるのだが、

 例年と同じように、悪玉コレステロールが多いのみだった。

 ああ、また一年無事であった。

 無理ばっかりしてきたが。

 また一年無事であった、

 嬉しい限り。

 また一年無事でありますように。


「チューナー」'19..9/8

  YouTubeでギターチューナーに語った

 プロのギタリストの動画を観た。

 これがほんとに目から鱗であった。

 いままでそれなりにチューナーを使ってきたが、

 使い方がまちがっいいたかもと思った。

 今までは、何度もポンポンと弦をはじいていたが、

 それは一回で良かったと思えた。

 一回鳴らしてそれを合わせる。

 何回も鳴らせば、チューナーもそれに応えねばならない。

 一度呼んで、そして耳を澄ます。

 チューナーに対しての考えが変わった。

 そして、みっつ買った。


「歌と手話」'19..8/26

  歌に合わせた手話を観た。

 ゆっくりと歌詞に合わせ手話を見せてくれた。

 まるで踊るように。

 そのひとつひとつが宝石のように美しかった。

 指でハートを作って胸に合わせると「恋」

 人差し指と人差し指を合わせると「出会い」

 ひとつの言葉や感情にひとつの手話。

 まるで結晶のようだ。

 その美しさ。

 君も見るだろうか。



「子供の夏」'
19..8/11

  今年の夏は暑い。

 連日、35度を超えて、もう10日ほどたった。

 外仕事をしていても、常に水分をとらないと、

 熱中症になりそう。

 もう今は夏休みに入っていて、

 子供らは、外で遊びまくっているだろうか。

 エアコンのある部屋にいるだろうか。

 僕は小さい頃は新潟の海沿いにいて、

 外にかなりいて遊んだ。

 夏と言ってもほんとに暑い日は、

 そんな毎日ではなく、

 外で遊べる感じだった。

 先日、ニュースで前よりも、猛暑日が増えたと言っていた。

 ほんとだろうか。

 子供らは、外に出て遊んでいないのだろうか?


「今年の夏」'19..7/28

 今年は六月がとても暑くて、

 7月はほぼ毎日雨であった。

 やっと梅雨明けのようすも見えて来て、

 気温も上昇してきたら、

 身体が暑さに耐えられない感じになって来た。

 これから本格的な夏なのにどうしよう??

  夏バテしそうだ。

 外仕事をしているのでなおさら。

 そしてもう決めた。

 この夏はさっさと仕事を終えて帰ろう。

 いつまでもだらだらと外にいては無理だろう。

 めいっぱい頑張って、さっさと帰って来よう。

 それが身体のためだ。

 この夏は、日陰にいよう。

 音楽の時間に戻るのだ。


「イラストや文字が書けなくなった」'19..7/8

 僕の30年ほど前のイラストや文字を見ると、

 なんだかキチンと書いていて、柔らかくていいか感じだ。

 でもね、ここ10年くらいかな、

 その文字やイラストが書けなくなってしまった。

 がんばって、真似して書いてみようとするが、

 出来ない。

 なぜなんだと思うけれど、自分でもわからない。

 丁寧なことが出来ない。

 慣れなんだろうか?

 特にイラストが描けなくなってしまった。

 努力しなかったわけじゃない。

 ても、途中10年ほど抜けてしまった。

 また努力しているところ。

 たぶん、ですけど、、

 紙文化がネット文化、

 ここが境目だったのかもしれない。


「古い喫茶」'19..6/23

 友達に古い喫茶を紹介してもらった。

 昔のデパートの食堂喫茶のような広いところ。

 古い喫茶にもいろいろある。

 ウッドな感じで落ち着くところ。

 今回の場所は、落ち着くというよりは、

 広くてざわざわしている。

 そこがいい。

 天井が高い、そこがいい。

 珈琲が400円で、大きめなカップ。

 そこがいい。

 嬉しさが残っている。

 そこがいい。


「焼き鳥屋」'19..6/10

  住んでる場所から、歩いて5分のところに、

 販売のみの焼き鳥屋さんがある。

 食べ物屋もないような所で、その焼き鳥屋さんがあってみんな助かっている。

 もうほぼおじいさんに近いおじさんが家族がやっている。

 一度、入院して一時休業になってしまった。

 その時は、困った。

 焼き鳥屋さんの店内を覗くと、火がもうもうとあがっていた。

 炭で火を起こしているのだろう。

 よく、「その火を消すな!!」と、言うけれど、

 まさに、あの火を見ていると、その言葉が思い浮かぶ。

 「その火を消すな!!」


「場所」'19..5/26

  もう40年以上も前、

 たくさん読んだ文庫本の詩集をまた読んでいる。

 新潮文庫から出ていた「現代名詩選」

 その詩集が僕を育ててくれたと言ってもいい。

 そしてはるばると40年。その詩集はまだ本棚にあり、

 ページを開けぱ、そこにまだ詩が待っていてくれた。

 どこにもいかずに。

 それはただの文字の印刷のされたものではあるけれど、

 たくさんの風景がつまっている。

 それらの風景がそこにまだあった。

 40年ぶりにまた会いにゆく。

 風景は変わらずにそこにあった。


「レーベル」'19..5/13

  もっと日本のアルバムが世界で聴かれてもいいと思う。

 歌詞もどんどん英語や、その国の言葉に訳して。

 もっともっと世界で聴かれてもいい。

 しかし、それもある程度は無理があるだろう。

 すると、どうする??

  レーベルだ。

 レーベルを信じて、買ってもらうしかない。

 中身もわからなくても。

 レーベルは強い。

 レーベルは味方だ。


「そんな雰囲気」'19..4/28

  フォークの老舗のライブハウスに出かけた。

 ちょうどライブが終った時で、歌は聴くことはできなかったが、

 「打ち上げで3曲くらい歌うよ」と言われた。

 そう思っていたが、なかなかそんな雰囲気でもなかった。

 すると彼はギターを手に取り、

 まめでBGMのように歌い出した。

 話の邪魔することなく。

 なかなかそういう事ってない。

 みんな歌い出せば、聴き手に回るものだ。

 実にいい雰囲気であった。

 フォークの老舗ならでは、出来事だと思う。


「本とレコードの世界」'19..4/14

  本とレコードをたくさん持っている。

 インターネットのなかった頃はそれが自分への贈り物だった。

 たまったたまった。

 インターネットになってからは、いろいろ忙しくなって、

 本屋さんにもなかなか寄れなくなった。

 自分でもわからないうちに。

 そうやって20年。

 えーーっ。

 そのうち本屋さんもレコード屋さんもみるみるなくなってしまった。

 僕も忙しくなった。

 そして本とレコードは部屋に残った。

 僕は今、インターネットや創作を続けているけれど、

 その元になっているのは、それらの本やレコードだ。

 ふと思ってみると、インターネットでは探せないものばかりだ。

 詩集の中身とか。

 それが自分の宝になっている。

 宝を探しにゆくなら、それは本とレコードの部屋にある。

 ここにある。

 それを思い出した。

 本屋さんはないが、

 本の部屋に戻って来た。


「花・太陽・雨」'19..4/2

 萩原健一ことショーケンが亡くなってしまった。

 たくさんの記憶が残っているが、

 僕にとっては忘れられない一曲がある。

 1971年、沢田研二とのツインボーカルのバンド「PYG」がデビューした。

 ロック色の強いバンド。

 その最初のヒット曲が「花・太陽・雨」だった。

 僕は小学4年。

 当時、洋楽シングルや歌謡曲のシングルを

 いろいろ買っては聴いていた。

 そしてこの「花・太陽・雨」のシングルも買った。

 流行りのラブソングとはちがって、

 文学的というか、芸術的というか、

 とにかく、この「花・太陽・雨」という歌詞を、

 照れもなく堂々と歌う。

 その姿が僕の気持ちに届いた。

 1971年。まだ僕がフォークとか聴いてなかった頃、

 この一曲が僕に影響を与えた。

 堂々と照れずに歌えと。

 ほんとに感謝しているんだ。


「場所」'19..3/17

  ほぼ90%、そのスペースでイベントをしようと思っていた。

 しかし、いろんな流れから、そこはバスした。

 また別のところでも、イベントをしようと思っていたが、

 いろんな偶然で、そこもバスになった。

 とちらも、やっているイメージがわかなかった。

 場所のパワーが強くて、小さくまとまってしまいそうだったのだ。

 ふわっと浮いて、そのまま時間が過ぎそうだった。

 一緒に歩いていけそうな場所がいい。

 何にも染まっていない場所がいい。

 歌が自由にのびのびと出来る場所がいい。


「ライブ」'19..3/3

  新しい場所でのライブがあった。

 とても客席が近いスペース。

 いままでやって来た場所はある程度は離れていた。

 しっかりとしたPAもあった。

 今回はフリースペースなので、

 そこにあるという感じだ。

 ちょっと気持ちを変えて、お客さんに話しかけながら、

 ライブを進めた。それはとても良かったようだ。

 とても身近なライブが出来たと思う。

 そのスペースでいいライブが出来たという事は大事だ。

 何かを越えるものを見つけること。

 それが大事だ。 


「親知らず」'19..2/17

  歯の治療を追えて半年、

 定期検査のために歯医者を訪ねた。

 普通に歯の掃除だけで終ると思ったら、

 「親知らずを抜きましょう」という事になった。

 それも親不らず自身は小さな小さな虫歯で

 その手前の歯を治療するだめだと言う。

 来週の水曜に抜く事になった。

 一昨年と昨年と親不らずを抜いて、

 これで三本目。

 あれは痛いんです。苦しいんです。

 麻酔をかけているとしても。

 前の二本は親知らず自身が虫歯になっていたが、

 今回はちがう。

 なのでちょっと可哀そう。

 あと三日でその時が来る。

 ほんとは、歯の掃除をした当日でも、

 抜けたかもしれなかった。

 しかしそれはあまりに突然すぎただろう。

 せめて十日。一緒に居れた方がいい。

 もう40年も一緒にいた親不らず

 お前の事を想って、あと三日を過ごそう。


「エスニックポップス」'19..1/29

  ここ最近、ずっとエスニックポップスを聴いている。

 もう30年ほど前、たくさんエスニックのアルバムを集めた。

 自分でも驚くほど。

 だからアルバムは沢山持っているのだ。

 そのアルバムをまた聞きなおしている。

 10枚20枚ではなく、もっと。

 こんなに集めた自分。

 カセットテープもかなりある。

 聞かなくちゃね。

 そろえたものだから。

 30年もたっているが、まるで昨日のようでもある。

 カセットやCDもそう思っているかも。



「きっかけ」'
19..1/13

 もう10年くらい前、

 これと言って聴きたいというアルバムがあまりなくなった時期があった。

 理由は自分の気持ちによるものだったろう。

 そんなとき、友達が貸してくれた一枚のアルバムが気に入り、

 それを聴いてゆくうちに、またいろいろと音楽が聴けるようになった。

 うまくまた音楽の自転車に乗ったようなものかもしれない。

 そのアルバムには感謝している。

 日本の唱歌をそれぞれのアレンジで録音されたもの。

 それが自分の何かにまた火を付けてくれた。

 僕の友人で、もう10年ほど、音楽への情熱が

 うまく続いてゆかないでいるミュージシャンがいる。

 その友にも、きっとそんなふうに

 復活のきっかけになるアルバムがあればなぁと思う。

 そのまま、また音楽の自転車に乗ってくれればいいのに。

 そんなアルバムはどこにあるのだろう?

 それが見つけられなくて、くやしい。

 おーい、どこにあるんだー?



「大晦日」'
19..12/31

  いよいよ2018年も大晦日となった。

 一昨日、年末ライブで歌った。

 今年作った歌をまとめて。

 何か所か書き直しをして、完成させて。

 毎年そうだが、これがいつも僕の創作まとめ。

 昨日、30日、買い出しに行ったが、

 まるで自分が抜けたようであった。

 また新年になったら、

 今年一年、創作にがんばるぞーだなんて自分で思っているはず。

 30日と31日が、自分の休日なのかもしれない。

 ゆっくりと街を歩き買い出しをする。


「席を立つとき」'18..12/16

 新曲創作のために、

 ほぼ毎日、30分電車でアイデアを出していた。

 良いアイデアが出ない時でも30分。

 一日で、新曲にかける時間はその30分のみ。

 いよいよライブが近付いてきて、

 一行目から、イメージをまとめていった。

 どんどん書いていったが、肝心のラストのイメージで止まった。

 まあ、そんなもの。

 ふーっと息をついて、降りる駅で席を立ったとき、

 イメージが出た。すぐさまノートにそれを書いた。

 もしその時を逃したら、ラストのイメージは変わっていただろう。

 席を立ったときにも、イメージは来るものだ。



「12月」'
18..12/2

  今年も12月になった。

 みんなが特別な気持ちになる12月。

 いつも年の初めに想う事は、

 どれだけ新しい曲が作れるかという事。

 ふと、一年を振り返ってみる。

 順調に出来たなぁと思う。

 あと、一曲二曲。

 今年を代表する歌を作るつもり。

 12月、今年はまだこれから。


「満席」'18..11/18

 今日行った友人りのライブは満席であった。

 50人ほどの席。

 今回はバンドであったけれど、

 その昔は、弾き語りのシンガーでも、満席になった時代もあったろう。

 ブームの頃。

 ギター一本でやって来て歌う。

 満席の人。

 そんな時代があったのです。

 そんな時代を感じてみたのです。


「腰痛」'18..11/4

 今週の月曜に重いものを持つ仕事をして、

 その日の午後から腰が痛み出した。

 次の朝になるともっと動かない。

 水曜はライブなのに。

 明日までになんとかなるだろうか。

 今回はぜんぜんダメだった。

 ライブの前日に思った事。

 (もし、明日がボクシングの世界タイトル戦だったら、、)と。

 ある程度、マッサージで腰の痛みを治してゆくだろうが、

 結果はボロボロであろう。応援してくれる大勢のファンの前で、

 リングでダウンするであろう。

 もの凄いブーイングを受けるであろう。

 ああ、明日が世界タイトル戦でなくて良かった。

 そう思ったライブ前日であった。

 「

 


「立ち食いそば」'18..10/14

 朝、下町を自転車で走ってゆく。

 2018年。その近くの立ち食いそば屋さんが二軒もなくなってしまった。

 走っていると、以前あった立ち食いそば屋さんの地図が出来上がる。

 あそこにあそこにあそこにあそこにあそこ。

 全部なくなってしまった。

 今年の前半まで、二軒残っていたのに。

 なくなってみると、もう復活する事もないのかと思ってしまう。

 なくなくってみると、立ち食いそば屋があった事が本当なのかと思えてくる。

 ずっとなくならないと思えていたのに、

 なくなってしまった。

 ない道を自転車で走ってゆく。



「谷中と高円寺」'
18..10/1

   友達と谷中を歩いた。 

 谷中は古い町で、昭和の匂いたっぷりだが、

 なぜか、今時風でおしゃれに見えてくるのだ。

 木造の家を改築した喫茶とか、レトロで。

 大きな元工場を利用した喫茶とか。

 お客さんが集まっていた。

 なかなかにいい感じで。

 僕の歌なんかも古いタイプだ。

 でも、こんなふうに少しオシャレにすれば、

 人も集まりやすいのかなと思う。

 でも、どうやってオシャレにすればいいのか、

 わからない。

 そして高円寺の街を歩いてみると、

 古い中華屋さんとか、やっぱり古いままに映る。

 なんか自分と似ている。

 おかしいな、、どうなっているんだろ?? 


「今年」'18..9/17

  今年、いろいろと大きな変化があった。

 これでもかと言うほど。まだ続きそうだ。

 こんな年もある。

 来年はどうなっているのかと思う。

 しかし、なるようになるだろう。幸せだったのだと。

 ぎりぎりのぎりぎりまで。

 みんなそうなのだ。立場が変わるだけで。

 そうやっていままでだってやって来たじゃないか。

 大丈夫だ。


「歯医者終わり」'18..9/2

  やっと先日、歯医者が終った。

 今回は三ヶ月かかった。

 親不知を抜いたり、麻酔もかけたが痛かったり、

 一度つめたのをやり直したり、

 と、いろいろあった。

 先生は毎回終わりにいつも挨拶をするだが、

 最後の挨拶は今までで一番軽いものだった。

 「じゃあ、また何かあったら来てください」

 まあ、こんなものだろうなぁ。

 愛があるないではなくて。

 大変だったのは途中で。

 終わりはさらっと。

 眼の手術をしてときもそうだったな。

 それが先生なのかもしれない。


「夏・乗り切り」'18..8/19

  今年の夏はとても暑い。

 なんとか乗りきって、秋を迎えようと思う。

 たくさん眠って、何もない一日になっても、

 明日に駒を進める。

 とにかく疲れをためてはだめだ。

 肉が食べたい思えば、肉を食べ。

 ジュースが飲みたいと思えば飲む。

 無理はしない。

 外仕事以外のときは、力を抜く。


「柏崎から」'18..8/4

  二年振りくらいに実家に帰った。

 柏崎。

 帰りは長岡回りではなく、直江津回りで帰って来た。

 柏崎から海沿いに電車が走っていて、

 ちょうど海に陽が落ちる頃であった。

 海の夕焼け。

 まるで絵葉書のような。

 そういえば柏崎にいた頃は、よく海の夕焼けを見た。

 ほんとに綺麗で、小さい頃からずっと見て来た海の夕焼け。

 なんにも変わらずにまだそこにあった。

 立体の絵葉書。

 こんな夕焼けが落ちるのは今日だけじゃないだろう。

 東京に居て、僕が知らない毎日にも。

 柏崎の海では、こんな夕日が落ちている。



「夢」'
18..7/20

  ここ最近、以前見たリアルな夢を思い出している。

 次々と。

 ひとつ思い出すと、また次もと。

 ここまで来ると、以前見たリアルな夢は、

 頭のどこかにストックされている。

 現実の出来事と区別するためなのかな。

 それにしても不思議なのは、

 何十年も前に見たリアルな夢は、

 そのままリアルに憶えているということ。

 現実だったとカン違いしないようにか。

 それは夢だったと憶えているためにか。


「変なバスに乗っている」'18..7/1

  今回のライブでも、当日に新曲が出来た。

 前日から作り始めて、なんとか形になった。

 リハに入ってから、ギターアレンジなど作り

 本番ではなんとか。

 そしてライブの映像を観てみると、

 新曲がそれなりの形になっていて、

 ある程度アレンジも出来ていて、

 個性もある。

 ほんとに昨日からで自分が作ったのかと思う。

 ここ一年くらいの新曲はそうやって出来ている。

 ぼやーっとして、あせらないで、作り込まずに、

 仕上げている。

 数年前、僕はうまく新曲が作れなくなった。

 以前はどうにか形になっていたのに、

 また、そのバスに乗っているような気持ちがする。

 変なバスに乗っている。

 そのバスはなんとか知らず知らずのうたに形にしてくれるバス。

 僕は小さい頃から、音楽を聴いてきた。

 やたらめったらに。

 それでも、ひととおり知るべき事は頭に残った。

 詩の本に関しても。

 それは変なバスに乗っていたからだ。

 そう思える。


「印象派」'18.6/18

  先日、レゲエクラブで、さまざまなレゲエアレンジの曲を聴いた。

 どれも原曲をわかるまで時間がかかった。

 クラシックの曲からロックンロールの曲、

 日本の歌謡曲も、無国籍にレゲエアレンジになっていた。

 その曲の良さがたくさん出ていた。

 絵画にも「印象派」というものがあるが、

 レゲエアレンジにも「印象派」がある。

 こうこう聴こえたイメージが、ひとつの曲になる。

 それでいい。無国籍でいい。

 レゲエアレンジはイメージが形になっている。



「セッション」'
18.6/3

 今回のライブで久し振りにバンドと一緒に歌った。

 お互いの曲を一曲ずつやったのだが、

 僕の曲のほうは、ノリも構成も含めて、合わせるのが大変だった。

 実際に合わせたのは当日のリハで、

 最初はどうなるかと思うほど、ノリがちがってしまった。

 僕もギターの弾き方を急遽変えた。

 バンドの方でも、僕のノリに合わせて、

 後にアクセントを持ってくるように変えてくれた。

 合わせるって大変だな。

 ずっとそんな事は忘れていた。

 お互いが、少し近づくとうまくゆく。

 それは当然だ。

 今までは自分のバンドでやっていた。

 メンバーは僕に合わせてくれていたんだね。


「二ヶ月半」'18.5/13

  右目が網膜剥離になり、手術をしてから、

 ちょうど二ヶ月半がたった。

 三か月が要注意の期間で、半年無事ならば、

 ずっと大丈夫と言われている。

 昨日、ひと月ぶりに精密検査を受けた。

 ここを乗り切れば、なんとかなる。

 いろいろ心配な症状があるのだが、

 結果は「経過は順調」、とても良いとの事だった。

 とりあえず、ここまて色んな症状が出ていて、

 なんとか越えて来た。四月からの仕事の復活もあった。

 目をたくさん使うので心配だった。

 最初のの三か月はなんとか無事に辿りついた。

 こんなに嬉しいことはない。

 次は半年後に向けて。

 また無理をしないように。


「印象」'18.4/29

  カバーで歌っている歌がある。

 元々は青春ソングである曲だけど、

 僕は重々しく歌った。

 僕のアレンジを最初に聴いた人は、

 たぶん僕のほうがしっくり来るし、

 元々のオリジナルを聴いている人は、

 そちらのほうがしっくり来るであろう。

 不思議なものだ。

 それでも何回か聴けば、それも解消される。

 と思う。

 でもまあ、世の中はそういう事の繰り返しかなと思う。

 波のようにその中にいるんだなぁと思う。

 印象の中にいるだよなぁ。


「二ヶ月前」'18.4/15

  ちょうど二ヶ月前、右目が調子悪くなった。

 同じ夜の道を歩きながら、くらーい気持ちになっていた。

 あれからひと回りして、無事にまたその道を歩いている。

 ふと思えば、まるで同じ場所に戻ってきたようだが、 

 自分の中身がまるで違っている。

 いろんな事があった。

 一日は同じように過ぎているけれど、

 気持ちがちがう。

 生活はほぼ同じなのだけれど、

 強い誓いようなものがある。


「仕事復帰」'18.4/1

 明日から、仕事復帰。

 どれだけこの日を待っていたことか。

 無事にここまでこれた。

 あと半年、無事ならほんと嬉しい。

 無理せず、がんばります。

 自分に拍手。


「忘れない」'18.3/18

 眼の手術をして、もう三週間がたった。

 もう三週間なのか、まだ三週間なのか。

 以前と同じようにちゃんと見えているが、気持ちはちがう。

 あの失明するかもしれないと思えた時を忘れない。

 夜道を歩きながら、もっと暗い気持ちで歩いてときを。

 忘れない。


「新しい世界」'18.3/3

  失明の可能性もあった右目の手術をして、

 一週間がたった。

 目の中にガスを入れてあり、

 二週間ほどで、それは上の視野から晴れてくる。

 手術のとき、目の中のレンズも変えた。

 見えるようになれば、以前よりもクリアに見えるはず。

 今、徐々に上のほうから見え始めているが、

 まるで新しい世界だ。

 少し青味がかって、二割ほど明るい。

 右目の驚いていることだろう。

 早く、復活したい。

 今、新しい世界が四割ほど見えている。


「眼への想い」'18.2/21

  原因は不明だが、

 突然に右目が網膜剥離となってしまった。

 それで緊急手術となるのだが、

 眼への想いがある。

 小さい頃から、ずっとがんばってくれた右目。

 そんなおまえが「助けて」って言っている。

 おまえのためなら、何でもしてやろう。

 おまえが「助けて」って言っているのなら、

 何でもしてやろう。


「カバー曲」'18.2/11

  先日のライブで、カバーを歌った。

 原曲は明るいモダンフォークという感じなのだが、

 私は重く歌った。

 港がテーマの歌。

 港に浮かび飛ぶカモメのように、大きくゆらぐように

 アレンジしてみた。

 想い入れたっぷりに。

 もともと曲は良いので、拍手も大きかった。

 たぶん、うまく伝わったのだろう。

 イメージもたっぷりに。

 僕の歌から聴いたみんなは、

 僕の歌から始まる。それでいい。

 恥ずかしくないアレンジだったと思っている。



「オールドタイム・ソングズ」'
18.1/28

 小さな喫茶店で、ヨーロッパの古い音楽の演奏を聴いた。

 中世の頃の。

 それも古い楽器で。

 喫茶店には10人ほどのお客さん。あと数分で演奏は始まるだろう。

 BGMの音楽も流れているが、生演奏が始まれば、

 楽器の前に中世の頃から続く、その曲の精が現れるだろう。

 突然にそこに現れるのだ。時代も土地もすべて越えて。

 手品のように。

 曲だって、何百年も生きていれば、人格を持つだろう。

 この喫茶店にそしてもう一人の人が増える。

 白い透ける服をまとった西洋の人。

 次の曲が始まれば、またちがう曲の精が現れる。

 同じ西洋の人でも、また別の人。

 似ているようで、本人たちはまるで違うと云うだろう。

 そんなふうに生演奏のライブは続く。

 女性と男性が弦を叩いて、紡いで演奏していたが、

 それが布を織るように、曲の精を作りあげていたようだ。

 ここは日本であり、演奏者も日本人ではあるけれど、

 そんなふうにヨーロッパの古い曲の精を作り上げるなんて、

 なかなかに出来ない。

 二人とも深い音楽性を持っている。

 自分自分と常に言うわけではなく。

 僕らは音楽に個性を求めがちなので、

 古い曲を演奏しても、どこか自分が前に出てしまうだろう。

 古い曲の精はきっと現れないだろう。そんな手品が使えない。

 現代ではCDアルバムも沢山出ているけれど、

 実際の曲の精を呼び出すのは、

 生演奏だからだろう。


「生きていれば」'18.1/13

  年をとり、もうほとんど音楽活動をやっていないくても、

 生きていればと、思う。

 人の脳の構造については詳しくはわからないが、

 どんなに年老いても、ふと起きた朝に

 「ああ、弾き語りのアルバムを作りたい」とか、急に思うかもしれないと思う。

 ずっと、そんな気持ちがなくても。

 また復活する朝が来るような気がするのだ。

 何かのまちがいであっても。

 生きていれば。


「2018年」'18.1/1

  今年になった。

 昨年はやっと、新曲を集中して作れたので、

 今年もその調子でいきたい。

 そのまた来年も。

 うまく作れなかった時期も、忘れるくらいに。

 それがいい、それがいい。

 すっかり忘れちゃえ、この先何年も。


「ハーモニカ」'17.12/17

  中学の頃から、ハーモニカを吹いている。

 もう45年近く。

 たくさんハーモニカも買って来た。

 強く吹けば、壊れる可能性も高くなってくる。

 いろいろ考えて、もう強くは吹かないでもいいかなと思っている。

 小さく吹いても、ちゃんと音になっているハーモニカが良い。

 ギターやスピーカーと同じだなぁ。

 でも、そのハーモニカは高い。

 高くて泣きそうだ。

 でも、そんなハーモニカをそろえていこうと決めた。



「立ち食いそば2」'
17.12/3

  寒くなるとやっぱり、立ち食いそば屋に入ってしまう。

 すっと出てくるのも魅力。

 立ち食いそば屋さんに、共通して言えることは、

 ほぼどの店も、声に心があるということだ。

 チェーン店の定食屋さんは、どこか声のトーンが低いこもあるけれど、

 立ち食いそば屋さんは、まるでそれが命だといわんばかりだ。

 それがいい。

 それがいいんだよ。

 立ち食いそば屋さんには、「気」がある。



「立ち食いそば」'
17.11/19

  ちょこっとお腹がすいたとき、

 立ち食いそばやで、食べたい。

 駅構内で、駅そばで、

 でも、今はそれを見つけるのも困難になりつつある。

 ちょこっとお腹がすいたとき、

 あなたなら何を食べますか?

 ハンバーガー? クレープ?

  私は立ち食いそば。

 おじさんは、立ち食いそばが好きなんです。

 そうでない人も多いってことかな?


「ボブ・ディランLIVE音源」'17.11/5

  近々、ディランのライブ音源特集をする。

 デビューして、56年なので、どれをどう選んだらいいかなと思う。

 たぶん最初の30年が中心になるであろう。

 それほどに、色んな変化があった30年だった。

 たぶんそこが中心になるであろう。

 その中から選んでかけるとなると、もうライブである。

 選曲ライプ。

 ほんとにライブだ。

 自分でも楽しみになって来た。


「ロッキーのテーマ」'17.10/22

  映画「ロッキー」のテーマがある。

 テレビ番組でよくハードなトレーニングのシーンで流れる曲だ。

 今週は雨が多く、外仕事は大変だった。

 本降りの雨の中「よしやるぞ!!」と、気合を入れてみたら、

 脳内で自然と「ロッキーのテーマ」が流れ出した。

 するとどうだろう、なんだか自分が映画の主人公になったような気分だ。

 そして奮い立って来た。

 「ロッキーのテーマ」ってすごい効果だな。

 ノーベル賞ものじゃないか?

 と、思ったが、雨が小降りになってくると、

 なんだか似合わなくなってしまった。

 「ロッキーのテーマ」は不思議だ。

 状況によって、名曲になったり、そうでなかったり、、 


「缶コーヒー」'17.10/8

  缶コーヒーは次々と新作が出ているが、

 やたらに「プレミアム」とか、「コクを極めた」とか、

 高級感たっぷりなものがある。

 飲んでみると、後味が残る。

 ここまで求めてはいないのだが、、

 僕の好きな缶コーヒーが、

 「さらに美味しくなった」らしいが、

 飲んでもみたら、例の後味残りのテイストになっていた。

 それは求めていないのだが、

 前の味が好きだったのだが、

 高級感はなくて良かったのだが、、


「ひと昔まえ」'17.9/24

 先日のライブのあと、

 お客さんに、多少のほめ言葉として

 「ひと昔まえの感じで良かったです」と言われた。

 たぶん、懐かしいという表現だったと思うが、

 少しはショックであった。

 自分自身は、常に弾き語りの先を行ってきた「つもり」だったが、

 いつしか「ひと昔まえ」になってしまったのか?

  いや、もともと、そんな時間の流れなんてなかったのだ。

 でも、考えてみれば、僕のレパートリーも、

 10年以上前のものも多くなった。

 そういう意味では、ひと昔まえの響きはあるかもしれない。

 それは別にしても、いい言葉を聴いた。

 しばらく聴いてもらえば、

 気持ちの若さは伝わるかもしれない。


「本」'17.9/10

  ずっと探していた本が見つかった。

 80年代最初から探していてやった。

 この本を探している人は多いと思う。

 大正時代に自由律俳句を作っていた人。

 最後の本が出たのが、70年ほど前、

 そして、友人に「いつか私の作品をまとめてほしい」と頼んだ。

 亡くなってから、15年して一冊の本は刊行された。

 その本が、ここにある。

 なかなかこの本は手には入らない。

 読んで、自分の中で消化して、

 新しい作品を作ろうと思う。


「靴」'17.8/26

  新しい靴を買った。

 私の靴が壊れるサインはいつもひとつだ。

 靴の裏のゴムがベロンとはがれるのだ。

 前の靴も前の靴も、そり前の靴も、、

 全部、靴の裏がはがれた。

 あれ、悲しいんだよね。

 ほんとに悲しい。

 本体の方は大丈夫なのに、、

 まだまだはけるのに、

 昔の靴って、もっと丈夫じゃなかったか、、??


「蚊」'17.8/5

  また蚊にさされる季節になった。

 外仕事をしているので、常に蚊との戦いである。

 あっというまに何か所もさされる事もある。

 その憎いこと憎いこと。

 何か所もさされた時、あれは一匹の蚊のしわざじゃないかと思っている。

 止まっては離れ止まっては離れ。

 そのために、こちらは長い時間、かゆくて苦しむ。

 自分で言ってみたが、それは本当なのか?

  もっと蚊について知らないと、蚊に対処できない。

 あまりに蚊については知識が自分になさすぎる。


「夏の服装」'17.7/16

 アフリカの人たちは、暑い陽射しの中、

 大きな長い布のようなポンチョのような服を着ている。

 たぶんまちがいなく、暑さと気温対策であるのだろう。

 着てみたい。

 きっと汗をかいても、サラサラなのではないか?

 試してみたい。

 暑い地方のたくさんの知恵。

  どんどん試してみたい。


「6月」'17.6/28

 6月が終ろうとしている。

 この6月はほんとに長かった。

 眼科に行った事から始まり

  足をくじき、次は腰痛。

 ほんとだったら、仕事を休んで休養するパターンだが、

 数日すれば慣れると思い、無理を承知で行った。

 おかげで数日で復活したが、ちょっと泣きそうだった。

 新曲も作ったし、 民族音楽のCDR化も相当に進んだ。

 他にも編集作業もたくさんやった。

 今月は濃厚だった。

 もうすぐ6月が終わる。

 健康が一番ですね。


「古物屋」'17.6/11

 貴重盤のレコードを探していた。

  どこのインターネットでも見つからなかったのだが、

 一軒の古物屋でネット通販をやっていた。

 それも大変安く。

 まずは在庫確認メールをとしいう事で、メールをした。

 2時間たった。5時間たった。10時間たった。

 24時間たった。48時間たった。60時間たった。

 連絡なし。

 お店は営業しているはずだが、、

 この状況をどうとらえたらいいのか、、

 たぶんだが、レコードが棚に見つからなくて、探しているんじゃないか??

 だぶんだが、レコードはないのであろう。。

 それで直接電話をしてみると、

 「あっ、青木さんですか? メールは見てますが、まだお返事はしていません。

 レコードの方はとってあります」

 「そうですか。ありがとうございます。では明後日直接取りに伺います」

 そんなこんなで、平日の午後にお店まで直接訪ねていった。

 電話に出てくれたのは、もう白髪のおじいさんであった。

 がんばって、あのホームページを作ったのかな。

 ふたことみこと会話をした。

 直接来てくれたので、そのぶん値引きしてくれた。

 僕は「助かりました」とお礼を言って店を後にした。

 駅までの帰り道、思った。

 おじいさんにとっては、二日でも三日でも、

 変わらないんだろうな。

 僕らは少し急ぎ過ぎているんだな。


「民族音楽」'17.5/20

  民族音楽のレコード、テープをたくさん持っている。

 ほんとたくさん。自分でも驚くほど。

 今、あらためて聴いてみると、

 スタジオ録音と思われる音源よりも、

 現地での生録音のほうが、だんぜんに引き込まれる。

 当時としたら、すこしでも良い音を目指したのかもしれない。

 ちゃんとしたマイクセットで録音したのかもしれない。

 しかし、デジタル文化の現代となってみては、

 やっぱり雰囲気と伝えるもの、生き生きとしている音源が、

 素晴らしい。音の良さは次として。

 さて、それが40年50年前だとしたら、

 それに気付けていただろうか?

  それは今も変わっていないのかもしれない。


「ニック・ドレイク」'17.5/7

  ここ最近、ニック・ドレイクのアルバムを聴いている。

 アルバムもちゃんと買って。

 ニック・ドレイクの事は、そこそこ知っていたが、

 イメージは暗かった。

 それを聴いて、みんなが明るい気持ちになるとは思えず、

 どこか自分もさけていたところがあった。

 最近、また聴いてみると、とにかく弾き語りが素晴らしい

 ギターアレンジが特に。

 歌もメロディーも、そんなに変わっているという事でもないのだが、

 とにかくバランスがいい。

 アルバムの出た当時は、しゃれてる位なものだったかもしれない。

 今回アルバムを買ってわかった事は、

 アルバムの曲順がとても優れていた事。

 ずっとあきずに最後の曲まできける。

 それと同じで一曲もまた、最後まで聴かされてしまう。

 不思議なバランスがある。

 海を見ていて、打ち寄せてくる波のような、

 そんなバランスがある。



「音源」'
17.4/28

 先日、小さなライブハウスで音源をいろいろ聴くというイベントに行った。

 イヤホンや部屋で聴くのとはまた別の音の感触があった。

 なんというか、録音の空気というか。

 やっぱり一発録りした音源には、何か魂のようなものが感じられた。

 一体感があるというか。

 たしかに後録りした音はきれいではあるけれど、

 どこかゴツゴツしていた。

 これが大きな会場だったら、また別であろうが、

 小さめのライブハウスだと、

 しっかりと音像が見えてくる。

 やっぱり一体感のある音源はいい。


「加川良さん」'17.4/8

  2017年4月5日、シンガーの加川良さんが、

 急性白血病で他界してしまった。

 中学の頃、とても憧れていた人で、

 曲作りに関しても、たくさん影響を受けた。

 高校を卒業して上京した後、

 いくらでも加川さんのライブに行けたはずなのに、

 はるばる35年以上あったのに、僕は歌を聴くことがなかった。

 そういえば、何度も友に誘われた事もあったなぁ。

 加川さんが、今も弾き語りで昔ながらの感じで、

 歌っていると知っていたので、安心していたのかもしれない。

 なぜ、どんどん進化しないのかなぁなんて、心のどこかで思いながら。

 しかし、最近見た加川さんのライブ動画がとても良くて、

 今度、観にゆこうと思っていたところだった。

 皮肉なもので、それはもうかなわない事となった。

 手売りのCDを買ってサインをもらう時、

 「よく聞きました。感謝してます」と伝えたかった。

 どれだけ影響うけたか、少し伝わる感じで。


「洋楽ヒット曲」'17.3/25

 洋楽ヒット曲を聴くのは好きだ。

 もともと有名ミュージシャンのシングルは、

 名前でヒットする場合もあるけれど、

 たいがいはキャッチーなメロディーとノリの良いものがほとんどだ。

 ヒットするには何か人の気持ちに届く何かかがある。

 それはお宝のようなものだ。

 耳に体に残るものがあるのだ。

 その楽曲が自分の好みに合う合わないとか、

 ジャンルがちがうとかではなくて。

 自分も歌を作っているので、参考になる。

 アレンジの時にも。

 僕だって、ヒット曲を作りたい。

 人から人、ラジオからラジオに伝えたい。



「訳詞」'
17.3/12

  ボブ・ディランの曲を一曲、訳して歌う事になった。

 普段のライブではディランの曲をよく歌うのだが、

 ディランの曲というより、ディランがカバーした歌の場合が多い。

 歌詞もシンプルなので、歌いやすいし、訳しやすい。

 さて、いざディランの曲を訳そうとすると、

 これがなかなかに難しい。

 自分なりに訳せばそれでもいいのだけれど、

 ラストの一行が、うまく飲みこめるかが、キーポイントだ。

 ディランの歌の場合はラスト一行にかなりの意味が重なる。

 ほぼそれはディランの主観みたいなもので、

 ブラックホールのように重量が重い。

 訳しきれなかった歌が何曲もある。



「いつもゼロなんかじゃない」'
17.2/28

  何もなくても、まだ歌が作れると、

 いつも思う。ギターがあれば。

 いつもゼロなんかじゃないと。

 今もそう思っているが、

 いままでもそう思って、

 歌を作って来た。

 どんな歌が生まれるかは。わからないノート。

 そんなノートを持っている。

 それがどんなに素晴らしいかを、

 知っている。

 みんな、そんなノートを持っている。



「ジャガジャガギター」'
17.2/9

 中学の頃、学年の合唱コンクールで

 生ギターを三人で伴奏で弾くのがあった。

 「戦争知らない子供たち」とか。

 みんなギターをジャガジャガ弾いていた。

 あのジャガジャガはどこから来たのか?

  中三になって、ギターを持ったら、

 さっそく僕もジャガジャガ弾いて、

 弦もよく切った。

 しかし、それは何かの思い込みではなかったか?

  誰が決めたわけではないのに。

 もうジャガジャガ弾きは卒業しよう。



「ヤマハギター第二世代」'
17.1/22

  先日、テレビの音楽番組で、弾き語りを見た

 使っていたギターは、第二世代のヤマハ。

 ヘッドが内側に向かっているシリーズ。

 1973年から1978年くらいまで作られたシリーズ。

  僕も何本か持っていた。

 その時は、国産のギターそのもののように思っていた。

 ヤマハには、1969年に出したFG180という名器があるが、

 それは、どこか軽くてふわっとしてて、キリッとしてて、

 田舎くさいけれど、やっぱり天才的な品があった。

 第二世代のヤマハのギターは、とてもやぼったい音がする。

 第三世代以降になると、どんどんきれいな音なになってゆく。

 第二世代が、とてもやぼったいかったな。

 でも、今思えば、それが良い。

 国産らしく、ボリュームのドーンと出るというサウンドではないのだが、

 それなりに良い。

 しかし、三万円代までかな。それ以上になると、また上品な音になってくる。

 まだたくさん中古で手に入るだろう。

 お宝かも。


「ボブ・ディラン語録」'17.1/8

  ノーベル文学賞をとったせいもあるが、

 最近、コンビニで「ボブ・ディラン語録」という新刊が出た。

 コンビニでボブ・ディランの本が並ぶなんて思ってもみなかったが、

 チラっと中身を見てみたら、白黒写真がたくさん使われてあり、

 横書きのオシャレな本であった。

 僕が高校時代に買った「ボブ・ディラン語録」は、

 もっと隙間の多い、縦書きの本だった。

 とらえどころのない、それでいて本質をつくような、

 飄々としてディランがその本の中にはいた。

 コンビニでチラッと見た「ボブ・ディラン語録」は、

 どこかカッコいいディランのイメージであった。

 選ばれていた言葉も、思想的で社会的なものが多かったようだった。

 僕の持っていた「ボブ・ディラン語録」には、ちょっと意味不明な

 とぼけた発言も多かった。

 それはインタビューをサラっとからしたような発言。

 「一番いつも気にかけている事は?」「常に裸電球を持ち歩くことだ」

 みたいな。

 こんな発言、ディランしかしないだろうなぁという感じの。

 反社会的というより、詩人のディランの面が、、

 今、ディランの事をほとんど知らないみんなは、

 「自分をつらぬいたカッコいいシンガー」みたいな印象なんだろうか?

  僕にはディランのイメージは変わらない。

 今も昔も、「歌の人」だ。



「クリスマス」'
16.12/24

 小さい頃からクリスマスといえば、

 もちろんケーキを食べる日であった。

 あとは誕生日くらい。

 特にクリスマスソングを歌った記憶もあまりなくて、

 近くのお菓子やさんにケーキを予約しておいて、

 それをもらってくるのだ。

 雪まじりの中、おふくろが自転車で、

 その気持ちが「クリスマス」なのだろう。



「ノーベル文学賞」'
16.12/10

 今日、ボフ・ディランのノーベル文学賞、授賞式がある。

 代理でパティ・スミスが「激しい雨が降る」を代わりに歌うという。

 ディランの歌詞についての受賞だと思うが、

 僕が思うに、歌詞とメロディーはひとつのもので、

 歌詞と言えど、それはもうメロディーなのではないかと思う。

 ノーベル賞の選定のみなさんは、それをどうとらえているのだろう。

 歌詞にノーベル文学賞を授けるならば、

 メロディーにもその受賞の価値はあると思う。

 その辺の事をどうとらえているのだろう。

 歌詞といえど、あれは歌そのもの。


「12月」'16.11/29

  もうすぐ12月になる。

 いろいろとやる事も残っているが、ほんとあとひと月なのだ。

 一年に12枚の紙があるとしたら、最後の一枚になったところ。

 いよいよもって本気を出さねばならない。

 12月中に唄を作りたい。

 昨年もそうだった。

 そして唄を作った。

 最後の一枚になったときやっぱり本気が出る。

 12月はがんばる。昨年もそうだった。


「レナード・コーエン」'16.11/13

  つい先日、新しいアルバムを出した゛かりなのに、

 レナード・コーエンは永遠の向こうに行ってしまった。82歳。

 なんだか本当にショックではあるけれど、

 82歳までずっとレナードでいてくれた事には感謝しなくては。

 人はみんな亡くなってしまう。

 最新アルバムでもレナードらしい息の言葉は絶えることなく、

 そのままであった。

 ずっと頑張ったわけだ。それ以上に何が出来るであろう。

 たっぷり、ほんとにたっぷりと作品を残したくれた。

 感謝の気持ちしかない。



「ギターのハードケース」'
16.11/3

  今回の北海道ツアーでは、ギターのハードケースを持っていった。

 飛行機に乗るのでしかたがなかったのだが、さすがに重かった。

 慣れてしまえばとも思うが、旅行の荷物もあり、タクシーをかなり使った。

 おかしいなあ、、こんなはずじゃなかったのに。

 それだけで疲れてしまった。

 飛行機の移動さえなければ、軽いケースでいけたのにと思う。

 プロのミュージシャンは当たり前のようにハードケースを持っていて、憧れもあるが、

 僕は軽いケースがいい。

 ギターは軽いものだから。


「コンビニ珈琲」'16.10/22

  コンビニで100円珈琲が出るようになって、

 どれくらいたつのだろうか?

  本格珈琲なのはわかっているが、

 いまひとつ利用できないでいる。

 あの機械が苦手ということもあるが、

 値段と珈琲が合っているようないないような。

 100円で本格珈琲だものね。

 缶コーヒーは本格でなくて130円。

 完全に負けているわけですよ。

 それを美味しいといって飲むことも出来るわけです。

 それでいいんです。

 そこには大きな珈琲の池があるわけです。

 珈琲のソファーがあるわけです。

 充分にゆったりできるわけです。

 缶コーヒーの良さって「続き」にあると思うんです。

 ライオンに追われている小動物が木陰で休むような。

 缶コーヒーを飲んでいるけれど、いつでも出発するぞみたいな。

 借りの休憩みたいな。

 そして、ほんとの珈琲を飲んだときは

 「おーっ、うめえ〜!!」と言います。


「古い曲」'16.10/10

  先日のライブで古い歌謡曲を歌った弾き語りミューシャンがいた。

 年齢はまだ若く、その歌の事を知っている世代ではない。

 僕なんかは、その歌の内容の暗さに戸惑ってしまうが、

 彼は自分なりの解釈で歌いきってみせた。

 まったく新しい歌のように。

 僕もその歌は気に入っていて、いつか歌いたいと思うが、

 どうしても歌の持っている印象に負けてしまう。

 小さい頃に聞いて、暗い気持ちになった事など。

 しかし彼はすっかり歌を生まれ変わらせていた。

 素晴らしい。

 あんまり知らぬ方が、良い場合もある。

 僕らにも言える事だ。


「蚊の知恵」'16.9/25

 この夏もたくさん蚊に刺された。

 外仕事であるせいもあるけれど、

 ほんとたくさん刺された。

 「いつのまに」と、思っていると、また刺される。

 ほんと蚊は刺すテクニックを知っている。

 こちらが他の蚊に刺された部分に気をとれれていると、

 他の部分を刺す。

 しめしめと。

 たっぷりと吸う。

 この夏もやられた。

 蚊に負けた。


「ライブと珈琲」'16.9/15

 ここ二階ほど、ライブを観ていて、

 もーれつな睡魔に襲われてしまい、

 あわててホット珈琲を注文した。

 その珈琲のホントに美味かった事!!

   ここの文では書けないくらいに、

 ああ珈琲はなんて美味いんだと、

 本気でそう思った。

 珈琲は魔物だ。

 黒くて正解だ。

 ライブの音が目覚めて来た。


「車窓のメロディー」'16.8/29

 なんかオシャレだなぁと感じるメロディー。

 車窓を眺めながら、口づさむような。

 それもありだし、歌も感じる。

 出来事からも少し時間も距離も離れているし、、。

 たぶんだが、、

 どんな出来事も「車窓のメロディー」になってしまうのではないかなぁ。

 少しメロディーも軽くなり、

 聴きやすくもなるだろう。

 気持ちも楽かもしれないし、、。

 「車窓のメロディー」はきっとみんなが好きなんじゃないか。

 僕はそれに少しだけひっかかる気持ちもあるのだが、、

 しかし、僕もいずれそんなメロディーを、たくさん作るかもしれない。

 ただ気持ちが今、こちらにあるだけで。


「長い曲」'16.8/7

 一曲が長いミュージシャンがいて、

 サビのリフレインが7回くらいあり、

 一回聴いてかすっかり憶えてしまった。

 その人の歌はどれも長く、

 以前より、よく歌も憶えた。

 単純にそういう事だったのか。

 僕なんか、サビを三回くらいしかいつも唄わないので、

 一回聴いて憶えてもらうというほどでもむない。

 憶えた歌というものは強い。

 その人の歌は、どれもよく憶える。


「一曲」'16.7/20

  古いカセットアルバムの中から、

 最近また歌い出している歌がある。

 そのアルバムの歌にとっては、

 「おまえ、いいなぁ」という事だろう。

 しかし考えてみると、同じ時期に作られた歌は、

 どの歌も実はつながっているのではないかと思う。

 だから、その一曲が復活するという事は、

 つながる歌にも縁があるという事なのだ。

 歌の家族のようなものか、、


「リアル」'16.7/2

  :今朝はうとうとししながら古い記憶をリアルに思い出した。

 初めてアパートを借りた目白にあった、よく通ったレコード屋さん。

 近所だったというせいもあるが、毎日のように通った。

 老夫婦がやっている店で、かなり大き目な店であった。

 レコードもよく注文したし、ギターの弦も買ったし、テープも買ったし、

 とにかくお世話になった。

 もう35年以上も前の事。

 だが今朝は本当にリアルに思い出した。

 まるで昨日の事であるかのように。

 二人とも生き生きとしていた。

 でもきっともう亡くなっているんだろうなぁ。

 今朝は本当にリアルに思い出した。

 今にも会話して。

 それをDVDのようにとか、ビデオのようにとかと、

 言うことも出来るが、

 ここは「レコードのように」と表現したい。

 いつまでも変わらぬように。



「雉」'
16.6/19

 実家の近くの小さな神社を訪ねたら

 神社横の草っぱらの中に雉がいるのが見えた。

 駅から15分の場所のところで雉を見た記憶がない。

 雉は見た事があるが、もっと山の近くであった。

 よほどここが静かだった思ったのであろう。

 この神社は僕の小さい頃に、よく遊んだ神社であったが、

 もう最近は静かな場所となった。

 逆に神社のより静かな場所となった。

 雉が来るくらいだから。

 雉はゆっくりと歩いていた。

 もうちょっとだけ近付こうと思ったが、

 それはやめておいた。



「恋の季節」
16.6/4

  先日、企画ライブにて、友人が

 ピンキーとキラーズの「恋の季節」を合同演奏でやった。

 「恋の季節」といえば、1969年の大ヒットした歌謡曲だが、

 今思えば、ヒットする要素が沢山あったなぁと思った。

 17才のピンキーのボーカル。

 大人びた歌唱力。その内容。

 曲のダイナミックなアレンジ。

 ブルーズのアイデア。

 追いかけコーラスの妙。

 キラーズのとぼけたおじさんエッセンス。

 キャラクターの光る風貌。

 今でもヒットするだろうなぁ。

 よく出来ている一曲だ。

「民族音楽レコード」16.5/21

  若い頃、一年の海外の旅から帰って来て、

 民族音楽のレコードを図書館から借りて、かなり集めた。

 カセットテープにダビングして、きちんと整理してまとめた。

 宝物のように。

 それかの音源を聴くとき、まるで現地にしてその録音を観ているかのように、

 イメージして音源を聴いた。

 そのカセットテープの向こう側に自分がいるような気持ちで。

 たぶん海外旅行から帰って来たばかりで、とても身近に感じていたのであろう。

 何度も何度も繰り返して聴いたので、その映像がくっきりと自分の頭の中に残った。

 やがてカセットテープ文化が衰退して、ここ20年ほどは、ほとんど聴いていない。

 しかし、今も自分の中には、それから民族音楽カセットテープ群は、

 自分で作った映像とともに残っている。

 特別だ。

 また、それらのカセットテープを聴いてみようと思う。

 聴かないなんて、もったいない話だ。



「高円寺ニューバーグ」
16.5/8

  高円寺の仲通り商店街にある「ニューバーグ」。

 馴染みのハンバーグ店。

 昨日も入ったが、僕が最初に入ったのはもう34年も前。

 店内の内装も雰囲気もほとんど変わっていない。

 当時の味もまた続いている。

 僕の隣に若いカップルが居た。

 その先には初老の夫婦も居た。

 たぶん高円寺を歩いていて、

 「ああ、ニューバーグ懐かしいね、入ろうか?」と言ったのではないだろうか?

  店内には、いろんな年齢のみなさんがいるけれど、 

 僕も含めて、長くここに通っているにちがいない。

 同じく変わらない店に。

 時間が止まっているようだ。

 つまり永遠の中でお店が続いているようなのだ。

 ニューバーグの内装はあのままがいい。


「荻窪グッドマンライブ」16.4/24

 現在ライブハウス「グッドマン」は高円寺にあるが、

 以前はずっと荻窪にあった。

 僕らは1984年頃から2005年頃までライブをやっていたが、

 その映像が、どれも良い。

 ほぼセピア色に近いのだけれど、実に音楽という感じなのだ。

 大猫夜会と道草ライブをやって来たが、

 映像はほぼすべて残っている。

 やっている時は、小さなライブハウスで、

 手軽に気軽に歌える所という気持ちだったが、

 それが実に歌うのには、素晴らしいステージだった。

 映像が、どれも良いのだ。

 よくそ残したと思う。

 落ち着いていて、リラックスしてて、

 しみじみとしてて。

 みんなにDVDにして渡したいと思っている。

 相当な時間はかかるが。。



「ダンスチューン」
16.4/9

 先日、アイリッシュの演奏を聴きに出かけた。

 ダンスチューンも何曲かあり、ノリの良さにびっくりした。

 体は動いていなくても、魂のようなものが舞い上がってくるがわかる。

 演奏者が抜群にうまいんだよなぁ。

 小さめの店だったので、誰もダンスチューンに合わせて、

 踊っている人はいなかったが、

 充分にそれはダンス音楽であった。

 音符が踊るというが、まさにそんな感じ。

 もしかして、ホントに音符が踊っているんじゃないか。

 ダンスチューンというと、踊るための音楽と言う気がしていたが、

 音楽自身が踊っていると思えた。

 それも勝手に。ただ踊る。のびのびと。

 ただその踊りに合わせ、みんなも踊る。

 似ていても、似ていなくても。

 決して、踊りの先生のように、手前に立って、

 見本のように踊ったりはしない。

 音楽そのもののように、ただそこにいて。


「お礼の踊り」16.3/20

 先日テレビで、日本に来たバングラディシュの人が、

 お礼ですと言って、国の踊りを少し踊った。

 それに対して、日本の人もお返しでまた少し踊った。

 それが何とも良かった。

 それは一分二分でもいい。僕も外国に行ったら、

 ちょっとしたお礼に国の踊りをおどってみたい。

 「サンキュー」だけでなく、何かの残るお返しとして。

 ・・・・・・・・・・・・

 そして考えてみた。

 日本でもそんなふうに、お返しとして、

 ひと踊りできたらいいなと思えた。

 村の踊り、市の踊り、町内の踊り、

 歌だと、かなりハードルが高いので、

 やっぱり踊りがいい。

 お礼の気持ちとして、嬉しさの表現として、

 ひと踊り。

 そんな事が日常にならないかなと思う。



「マイギター」
16.3/7

  今度、飛行機に乗って歌いに行くのだが、

 いつも使っているギターが持っていけない予定だ。

 魂のソロライブをやりたいと思っているが、

 ギターがちがうとなかなか、それも出来ない。

 ギターは、そこそこ良ければ、よこよこ同じでは??

  そんな風に思う人も多いかもしれないが、

 そのギターにしか出せない音ってものがあり、

 それは、ギターの音を包む、霧や空気みたいなもので、

 ある種のマジックみたいなものだ。

 どれも同じじゃないのって言うかもしれない。

 ギターが少しだけ遠くから聞こえてくるような感じと言おうか、、

 しかし、まあ、こういう状況もあるだろう。

 それでもなんとかするのが、ギター弾きってものだ。


「友人の見た初夢」
16.2/26

  今年の初夢を友人が僕に語ってくれた。

 メモしないと忘れるので、ここに残しておこうと思う。

 友人と僕はディランのコンサートに出かけた。

 それは二階席であったが、スタッフの人が来て、

 「ここは諸用で使いますので、一階席のほうをご用意しています。どうぞ」と言った。

 一階席のステージがから8列目くらいの所に座ったが、僕は通路のそば、

 友達は少し離れたところの席になった。

 コンサートも終盤になり、ディランがステージから降りてくると、

 みんなが手にレコードを持っていて、それを上にかかげ、

 ディランは一人一人のレコードにサインをしていった。

 友人が言うには僕は「フリーホイリン」のLPレコードだったという。

 やがてディランが僕のところに来た。

 僕はなにやらディランに話をしていた。

 こんな会話をしていたと言う。

 「このレコードにサインをしてください。それは私のためでなく、あなたの娘さんのために。

 娘さんは誕生日です。そしてこのサイン入りレコード娘さんにプレゼントして下さい」と。

 ディランは、「こんなことを言われたのは初めてだ」と言って、 

 そして、その「フリーホイリン」のレコードを持って、ステージに帰った。

 コンサートが終わったあと、スタッフの人が僕のところに来て、

 楽屋に来てくださいと言う。

 そして僕と友人はディランの居る楽屋へと向かった。

 そういう初夢だったと言う。はっきりとした夢だったという。

 実際、今年の四月にディランのコンサートに僕らは行く。

 それも偶然にも二階席のチケットとなった。

 さて、どうなるか。僕らは楽屋に行けるだろうか。



「ギター録音」
16.2/14

  中学・高校時代にカセットテープレコーダーで、たくさん歌を録音した。

 有名な歌なども、レコードと同じように歌ってみた。

 まあ、歌がへただったというせいもあるが、

 生ギターも音も、どうしてもレコードのような音にはならなかった。

 なんだか国産の2・3万円のギターの音だった。

 そればっかりは、どうしてもだめだった。

 ギブソン風の音はぜったいに出なかった。

 録音したものを聴いてみると、やっぱりギターがなぁなんて思ったりしていた。

 ほんとは、ギターの音なんてあまり関係がないんだけどね、、。

 先日からライブのために、部屋で録音を普通にしているのだけれど、

 普通に録音しても、ギターの音がとても良い。

 そのままレコードになっても良いくらいに良い。

 やっぱり何かちがうんだね。

 音のまとまとりというか、味があるというか。

 録音した音源を聴くたびに、ほれぼれしてまう。

 国産のギターであっても、それなりの年数がたっていれば、

 良い音になるだろう。

 良いギターはたしかにちがう。

 なにげに録音してみれば、それがよくわかる。



「ギターと役者さん」
16.1/30

  ここ数日、実家で古いギターをずっと弾いていた。

 6万円のものなので、悪い品ではない。

 ボデイは、珍しくハカランダ材なのだが、これが明るい音を出してくれる。

 その音の明るさが特徴でもあるんだけれど、

 やっぱりずっと弾いていると、東京で使っている高いギルドのギターの実力がわかってくる。

 ギルドのギターには、影や暗さの部分がある。ギブソンにもマーチンにも、

 どんな影と言われても、うまくは答えられないが、

 どんな役でもこなす俳優さんのような感じかな。

 ギターと役者さんは似ているかもしれない。

 国産の6万のギターが悪いと言ってるわけではなく、

 ハカランダ材が悪いと言っているわけではなく、

 高いギルドのギターが、より深みがあるという事。

 材の質にもよるのかもしれない。

 国産の安いギターでも、音に暗さや影のあるギターもある。

 ギターを選ぶ時、つい音量や音が明るさに耳がいってしまいそうだが、

 音の暗さや影にも耳を澄まさなければいけない。



「ボブ・ディラン、プレミアムな夜」
16.1/17

  この春にディランがやって来るというので、

 久し振りに東京公演のチケット取りをした。一番安い席を。

 一般発売日の当日、開始時間と同時に、街の機械へ向かったが、

 「ただ今、混雑しておりますので、また改めてアクセスして下さい」となってしまった。

 これは想定外で、結局、一番安い席は全部なくなってしまった。

 それにしてもチケットが高くなった。

 一番高い席で25000円もする。

 ディランはほんともう音楽会の大御所にもなっているので、

 チケットが高くてもしかたがないのだが、

 いつものように、バンドにわーっとやって終わりなのではないかと思ってしまうが、

 しかし今回はプレミアムな夜だと言う。

 いったい何かプレミアムなんだろう。

 チケットが高いという事だろうか。

 僕の予想では紳士的歌うのではないかと思っているが、

 聴き終わって、「ああ、プレミアムだった」と言ってみたい。



「創作の年」
16.1/1

 年が明けた。

 今年は創作にがんばろうと思う。

 一昨年はレコーディングのにかけていたので、

 ほとんど歌作りが出来なかった。

 そして次の年は、作っても作っても、

 うまくまとまらなかった。

 それでも創作は続けた。どれもだめでも。

 感覚が戻って来なかったのだ。

 それでもなんとか少しづつ創作の感覚は戻り、

 今年はまたいろいろと歌が生まれそうだ。

 自分を楽しみにしている。


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