「今日の夜話」過去ログ'05.11〜'06.2月
1969年から70年、そして71年にちょっとかかるくらいまで、僕は洋楽のポップスに夢中だった。
小学校三年だったけれど、当時のヒットチャートは、月ごとに暗記していたくらいだ。
どうしてかって言うと、五つちがいの兄が洋楽が好きだったからだ。シングル盤を買いに行くのは僕の係だった。
そして偶然にも、同じクラスに同じように洋楽の好きな友だちがいた。友達の兄も洋楽が好きだったのだ。
'69年から'70年は洋楽ブームの年だったのかもしれない。僕は友達と洋楽ポップスの話で盛り上がっていた。
シングル盤ももらったことがある。ロックミュージカル「ヘアー」のシングル盤。僕らはリアルタイムだったんだ。
小学3年・4年と友達とは一緒のクラスだったが、5年になって別々になってしまった。
僕の洋楽ポップス熱はおさまって、卓球や鉄棒やマット運動に夢中になっていた。
友達の方はまだ洋楽ポップスにはまっていた。あるときのこと、「アオキこれ知っているか?」と言って、親指にマジックで描いた星条旗のマークを見せてくれたのだ。
「知らないよー」。「えっ、知らないの? アメリカン・パイだよ」。「アメリカン・パイ? 何それ?」。「今、すげーヒットしている曲だよ」
たしかに'72年、アメリカで大ヒットした歌だった。歌っているのは、ドン・マクリーン。8分半くらいある歌で、シングル盤では、A面B面と分けられていた。
友達は僕に会うたびに「アメリカン・パイ」に夢中な話をした。「どうしてアオキ、アメリカン・パイのレコード買わねえの? いい歌なんだぜー」
たしか一度だけ、友達の家で、レコードを聴いた。「♪♪バーイ・バーイ・ミス・アメリカン・パイ」。確かに大ヒットするだけあって、耳なじみがよく、僕もすぐにおぼえてしまった。と、言うか、友達がいつも口ずさんでいたのだ。
何だか、そのときの僕には、あの親指星条旗のジャケットといい、明るいメロディーといい、「アメリカン・パイ」は、きっとパイの歌なんだなと、信じてしまった。
それから、はるばる35年。
・・・・
最近、僕は「アメリカン・パイ」の歌詞を知った。
最後に繰り返される言葉は「音楽が死んだ日が来たんだ」であった。
この歌は若くして飛行機事故で亡くなった歌手のバディ・ホリーの新聞記事のショックから始まっている。
・・どこに行っても、みんなは今日も歌う。「僕が死ぬなんて考えられない」と。
このテーマは僕らにとって、とても大きい。大好きな歌手が突然に亡くなったら、僕だって人生の矛盾を感じるだろう。
8分半にも及ぶ歌と演奏の中、「♪♪バーイ・バーイ・ミス・アメリカン・パイ」と繰り返し歌われてゆく。
その響きがなんとも言えず、胸に届いてくる。やりきれなさの中、生きる力が湧いてくるようだ。
今、僕は、この歌に夢中だった友達のことを思い出している。
たぶん歌詞の内容は知らなかったと思う。しかし、ハートがふるえるような響きを感じていたのだろう。
アメリカの歌手のマドンナが2000年に、この「アメリカン・パイ」をリバイバルヒットさせた。
これからも何度も、この歌はリバイバルヒットするだろう。
「三曲の歴史」'06.2/23
ボブ・ディランの若い頃のドキュメンタリー映画「ノー・ディレクションホーム」を最近観た。
その中で、'62〜3年頃のニューヨークのグリニッジ・ビレッジで盛んだった投げ銭ライブの話を、
シンガーのデイヴ・ヴァン・ロンクが語るシーンがあり、こんな事を言っていた。
「ビート詩人の朗読のあとで客を入れ替え、俺達は三曲歌えた。歌い終わって客が店に残っていたらクビさ。
仕事がわかっていないということだ。俺達は、ちゃんと、仕事ができたね」
なかなかリアルで、味のある話だ。時代の匂いがする。それは本当だったろう。
僕は想像する。デイヴが、どんなふうに三曲歌い、そしてお客さんを満足させたのかなと。
初めてのお客さんでも、フォークソング好きでなくても、デイヴなら、それが出来たであろう。
三曲なら。
他の出演者も三曲で勝負していたのだろう。きっとボブ・ディランも、三曲を歌ったであろう。
・・・・
もう20年以上前のこと、両国にフォークロアセンターという歌える場所で、
誰でもが歌える「フォークロア・フート」の日が月に二回ほどあった。
歌えるのは三曲。僕も何回か参加して三曲歌った。みんなも同じ。
投げ銭ではなかったけれど、三曲の偉大さを実感していた。
そこには、すべてあると言ってもいいかもしれない。
両国のフォークロアセンターのマスターは、大事なことを教えてくれた。
ちょっとだけ僕らも、昔のグリニッジ・ビレッジの投げ銭ライブの気持ちを味わったのだろう。
「古い気持ち」'06.2/18
古い木造アパートの入口で友達を待ってみた。
そこには、何とか荘と木の札がかけてあるが、それはもう読めない。
二月の夜はとても寒く、粉雪も舞っていた。
こうして木造アパートの入口に立っていると、そこでかつて多くの人が立っていたとわかる。
大正から昭和にかけての詩人たちに、僕はとても憧れていた頃があった。
伝記や日記を読んでいると、いつも木造アパートがそこに出てくる。
その頃だけではなく、昭和40年代くらいまでならそうであったろう。
テレビドラマでもよく出てくるので、なんとなく想像はつく。僕も幼稚園の頃までは、実家の回りの家は全部木造だった。
その記憶はあるが、ほんの10年くらいの間にあっという間にみな新築された。中学生になった頃はみな新しい家だった。
全国的にそうだったと思う。昭和40年代〜50年代にかけての事。
今でも、木造の家はよく見かけるが、その中でも木造のアパートには、特別なものを感じる。
大好きだった大正時代の詩人たちの物語が重なってくるのだ。
僕が東京に出て来た頃は、木造モルタルのアパートで、木が見えるアパートではなかった。
木造モルタルアパートの階段を降りてくる入口で、いつも友達を待っていた。
そのときが昭和の最初であつたなら、そこはもっと古い木造のアパートであったろう。
人の気持ちというものは、何かの形に置き換えることはできないが、
古い木の家から木造モルタルへ、それから半鉄筋の家と、知らず知らずのうちに変わってきているかもしれない。
それはたぶん本当。
本当だと思うけれど、どの時代でもきっと一緒だったろう。
「そんな響き」'06.2/15
その立ち食いそば屋さんは、何を食べても美味しい。
一番の人気は「かき揚げ」であり、山ほど作り置きされている。「コロッケ」もうまい。「春菊」もうまい。
「いかげそ」もうまい。「いなり寿司」もうまい。全部、美味しいのだ。
店も広く、朝は陽の光がいっばい入ってくる。そして注文してから出てくるまでも早い。
財布に手をかけて、お金を出すのと同時くらいに出てくるのだ。
ほんと、立ち食いそばを極めているようだ。僕も通うときはほぼ毎日行く。
好きなのは「げそそば」。しかし、これが売り切れている事が多い。あるときは、必ず注文する。
「げそそば!!」「はーい」
今日は「げそ」があってラッキーだった。幸せな気分で食べていると、次々とお客さんが入ってきて注文する。
「おれ、ウインナーにコロッケ」「えーっと、かきあげーに、ごぼう入れてちょうだい」「イカそばに、いなりふたつ!!」
そのどの注文も、なんだか最高に美味しそう響くのだ。
みんな食べたいものを注文する。それが今、いちばん食べたいのであろう。
どれが一番美味しいという事ではない。みんないい響きなのだ。
ライブやコンサートでいったら、ベストな曲が次々と演奏されるようだ。
「靴の復活」'06.2/13
長いこと外仕事をしていると、丈夫な靴を見つけてしまうものである。
丈夫な靴は素晴らしい。しかし丈夫すぎて、靴の裏の限界までがんばってしまう。
穴があいてしまうんだよね。
さすがに、ここまでがんばってくれると、お疲れさまと言うしかない。
毎日、同じ靴をはいていると、穴があいてしまっていても、気付かないときもある。
雨降って、やっと気がつく。靴下までしみてくるので、すぐにわかるのだ。
もうこうなったら、新しい靴を買うしかないのだが、それもなんとなくもったいない。
とりあえず、穴をふさごうと、靴の裏からガムテープを貼ってみる。
一見、そのままはけそうな気もするが、1時間もしないうちにガムテープはとれてしまう。
結局だめだ。今回も、その前の靴も、ガムテープを貼った記憶がある。
そうやってまた、新しい靴を買ってきた。
んっ?
ここまで読んでピンときた人は、さすがである。
そうなんですよ。穴の開いた、靴裏の外側ではなく、内側からガムテープを重ねて貼ればいいのだった。
どうして、こんな単純な事に気がつかなかったのか。。
「ミスター・ボージャングルス」'06.2/10
10年くらい前、輸入ミュージックビデオを、よく買ったりした。
好きな歌手が歌っている姿を見るのは、それだけで嬉しい。
でも本当は歌詞の字幕スーパーがついていた方が、もっと楽しめるのは確かだ。
テレビの場合はほとんど、字幕スーパーがついている。
・・・・
僕が高校時代、テレビで サミー・デイビス・ジュニアのライブ映像が流れたことがあった。
とがったアゴが印象的で独特なノリで歌う黒人のソウルシンガーだ。日本でもウイスキーのCMで人気があった人。
ステージトークで、父親の話になり、こんな話をした。
「私が小さい頃、オヤジに『将来、何になってもよいけれど、誰の真似もするな』とよく言われた・・」
そんなトークのあと、サミーは『ミスター・ボージャングルス』をハンドマイクで、ゆっくりと歌い出したのだった。
『ミスター・ボージャングルス』は、年老いた元ダンサーが、牢獄の中、よれよれのシャツと靴で踊るというストーリーの歌だ。
多くの人に歌われていて、僕はボブ・ディランの歌で知っていたし、自分でも訳詞で歌っていたおなじみの歌だった。
サミーは、コンサートのステージを右に左に巡りながら、年老いた元ダンサーの歌を表情豊かに歌いあげていった。
あのユニークな独特の歌い方で。。
僕はすっかりテレビに釘付けになり、流れる日本語の字幕とともに豊かな歌の世界に入っていった。
よく知っている歌であるのに。。
そして、「♪踊っておくれよ、ミスター・ボージャングルス!!」という歌詞の後の間奏に入ったとき、
サミーはステージで実に味わい深くダンスを踊ったのだ。飛び跳ねるように、軽やかに。。
ほんとにそのダンスが良かった。エンターテイメントとはこのことだろうか。
6分ほどの歌であったけれど、その曲はとてもとても長く感じられ、歌詞のすべてが伝わってきた。
僕はいままであんなふうに歌の世界にひきこまれた経験はそれまでなかったし、それ以降も、そのときにまさってはいない。
・・・・
それ以降、その映像をもう一度みることなかったが、僕の記憶に深くとどまった。
今も鮮明に思い出すことができる。かつて僕が見た一番良かった歌。
「揚小丸」'06.2/8
揚小丸っていうお菓子がある。
小麦色に揚げてあり表面がギザギザになっている、例の小さな丸いお菓子だ。
お菓子の中のスタンダードという感じで、僕も小さい頃からそこにあったという記憶がある。
古い古い伝統のあるお菓子なのだろう。「揚小丸」って、忍者の名前みたいだと思っていた。
揚小丸は小さいタイプであり、大きな普通ものは「歌舞伎揚」と呼ばれている。
最近、スーパーで「歌舞伎揚」を見かけたとき、なぜ「歌舞伎揚」なのかと考えてみた。
僕の予想では、揚げているときに、歌舞伎の手の動きのように、広がり揚がるのではないかな。
つけられた切れ込みで花のように広がるので。昔の人は「こりゃ歌舞伎だ!!」と、言ったのであろう。
すっかり、そう信じて帰ってきて、インターネットで確認しようと調べてみたら、それはちがっていたとわかった。
歌舞伎の家紋が焼き付けられてあるらしいけれど、本当かな。確かめてみないとなぁ。
「揚げせんべい」とも呼んでいたような気もするなぁ。
さて「揚小丸」はもちろん忍者の名前ではない。その名前の由来はシンプルなものであろう。
こうして、ちゃんとした由来がわかったわけだけれど、それでも僕は別のイメージを想像する。
揚小丸は忍者の名前であり、歌舞伎揚は、手を広げるように揚がるからなのだ。
「ジーパンのひざあて」'06.2/4
まあ、ジーンズというか、ジーパンの話。
ここしばらくはいていたジーンズの右ひざのところから、生地が切れ始めてしまった。
いつも、いつもそこから切れはじめてしまう。
つい一週間前までは、なんともなかったのに、ちょっと切れはじめると、あっという間に広がってしまう。
小学生の頃から、ジーパンははき続けているが、だいたいそうだ。ほぼ100パーセント。
それは、一本のジーパンの終わりをしめしているのだ。
今回のジーパンは、値段が安かったのせいもあり、切れるのが早かったなぁ。
・・・・
右ひざから生地が切れ始めるのは、ほぼ共通の事かもしれない。
小さい頃は、みんなよくひざあてをズボンにつけていたものだった。
ジーパンだって、ひざあてをつければ、まだまだはけるのは確定的だ。
僕もしばらくは、ひざが切れたのままではくけれど、やがては限界がきてしまう。
全国民的に、ジーパンにひざあてをつける事を当たり前にしないか。
ジーパンのために。
「ずっとわからなかった事・ギター編」'06.2/1
ギターは一本一本に個性がある。
どんなギターであれ、一番良く響く弾き方というものがあり、僕はなるべくそう心がけて弾くようにしている。
中学生の頃から、楽器屋で試し弾きをよくしてきたおかげとも言えるかな。
どんなギターにも、魅力的に響く音の位置というものがあり、それを中心に弾き方を調整してゆくのだ。
いろんなギターを実際に弾いてきたけれど、どう弾いたらいいのか、もうひとつ、つかめなかったギターがある。
それは「マーチンD-18」のギターだ。ウエスタンタイプのギターであり、サイドとバックはマホガニー材がつかわれている。
マーチンD-18を使っている弾き語りの有名シンガーは、あまりいない。それほど使うのに難しいギターだと思う。
フィンガーピッキングで弾くときは、とても甘い音が出て、これ以上ないくらいに素晴らしい。
しかしストローク奏法になると、ちょっと強く弾くと、平たい頭打ちの音になってしまうのだ。
たぶん、自分が思っているよりも、強く弾いてしまうのだと思う。
同じようなサウンドのギターでも小さめのボディならば、コロッとした、かわいいストロークの音になってくれるのだが。。
僕はいままで、ストロークで音がひずんでしまうギターの弾き方は、その限界を超えないように、ふわっと弾く事で解決してきた。
しかし、それではやっぱりストロークが物足りない響きになってしまう。かと言ってどう弾いたらよいのか、ずっとわからなかった。
・・・・
最近、サイモン&ガーファンンクルのアルバムを、良く聴いている。
その中で確かにマーチンD-18で弾いているライブ録音盤があり、僕は耳をそばだてて、その弾き方を聴いてみた。
ポール・サイモンは、フィンガーピッキングとストローク奏法を合わせた弾き方をしている。
親指ピッキング用のピックを付けているとは思う。フィンガーピッキングは甘い甘い音を出している。
そして途中で、ストロークに移ると、はじける位に強く弾くのだった。それはとてもワイルドな音だ。
その音のワイルドさは、ひずみの生まれる音だからこそできるのだ。
甘いフィンガーピッキングと合わせると実に良い感じになる。人間的な生きてるギターの音だ。
しかし、そうなふうにうまく弾けるものだろうか。
ポール・サイモンは、フィンガーピッキングからストロークに移るその一瞬前、強めに弾いたひずんだフィンガーピッキングの音を、つなぎとして入れているのだった。
うまい!!
それは気がつかなかった。なるほど、それで自然に音がつながってゆく。びっくりする前の、サインの役目なのだ。
このサウンドを出すには、マーチンD-18は最適なギターであろう。
「ファンタスティック」'06.1/30
レゲェのボブ・マーレィ&ウエイラーズが世界に向けて発表した'73年発売のアルバムがある。
先日、そのレコーディングエピソードを集めたビデオを観た。
ジャマイカにてまずバンド録音、仮ミックスを現地にてしてから、イギリスへ行き、いろいな音を再度加えてアルバムとしたのだった。
なんというか、ロック界で通じるサウンドにしたい意向だったようだ。
ビデオの中では、オリジナルサウンドにどんなふうに音を加えて、アルバムの質を高めていったかという苦労話が続いてゆく。
ボブ・マーレィの方も、世界に出て行きたいという気持ちでそれは理解していたという。
あれから約30年たち、当時のイギリスでのミックスを手がけた人が、そのときのテープを流しながら、こんなふうに言ったのだった。
「ボブ・マーレィが大物になった今では説明が難しいけれど、今こうしてテープを聴き直してみると、この歌なんて最初に現地で録音したテイクの方がずっと良く聞こえる」
そしてアルバムには入れなかったメローな曲を流して、
「この曲はアルバムには合わないと思ったけれど、今聴いてみると、なんてファンタスティックな歌なんだろうと思うよ」と言った。
「ファンタスティック」・・・辞書をひいてみると、1.風変わりな、異様な、奇怪な、、2.想像上の、、3.(口語)とてもすばらしい・・とある。
僕には、ファンタスティックの言葉は「イメージ豊かな」という感じかな。
そして、そのイメージが、大きく、回りの風景とつながっていることが大事だと思う。
自然感があるというのかな。
ボブ・マーレィの最初の現地録音には、サウンドから広がりつながるジャマイカの夜や、風景が見えてくるような気がするのだ。
「曲順のストーリー」'06.1/27
今、ふるーいアルバムを聞いている。
1920年代から30年代に録音された、アメリカンフォークソングのアルバムである。
数多くのアーティストと曲目をうまく編集してあり、あきない作りになっている。
僕の好きなミュージシャンも若い頃に夢中になってきいていたアルバムという。
一曲ごとにアーティストが変わり、歌い方も変わる。それぞれの歌や楽器も巡ってくる。
まるで次々と舞台に登場するライブを見ているようだ。
どのミュージシャンにも、それぞれ自分の聞かせどころというものがあり、それがお客さんをひきつける。
お得意ナンバーの歌。
僕には、このアルバムが本当に宝物のように聞こえる。CD6枚組で84曲。
編集したハリー・スミスという人は、魅力的にうまく歌を並べたように思う。
アルバムを聴いていると、曲順の流れに沿って、歌い手の個性もまた巡ってくるようだ。
そこにある楽しみな感情の流れ。次々と舞台に登場するミュージシャンを観る思いだ。
アルバムの中に流れる、あきさせない感情の流れ。
僕の好きなシンガーも若い頃、このアルバムを聴きながら、その流れを楽しんだであろう。
「運命のひとねむり」'06.1/25
ボブ・ディランの歌に「運命のひとひねり」という歌がある。
デビューから15枚目くらいのアルバムに入っている。
高校時代、僕はボブ・ディランのアルバムを一枚一枚集めていった。全体の曲目に目は通してあり、「運命のひとねむり」という曲もあるんだなと勝手に信じていた。(実際は「運命のひとひねり」である)
「運命のひとねむり」と勘違いした僕は、その曲に大きく想像をかきたてられた。アルバムを手にしたとき、それは「ひとひねり」であったとわかった。
しかしそのときはもう僕の中では「運命のひとねむり」というイメージが、存在することとなっていた。
「運命のひとねむり」・・それは、何かチェンジする前に、ぐっすりとひと眠りしてしまうこと。。
・・・・
僕は月末いつも、5日くらい休みに入る。今日の午後からそうであった。
毎月のことであるが、僕は午後に、信じられないほど眠くなり数時間横になった。
「運命のひとねむり」現象だ。
「国産ギター」'06.1/21
アコースティクギターを作っているメーカーなら山ほどある。
しかし昔から有名どころといえば、マーチン・ギブソン・ギルド・他と限られてくる。
今、僕の使っているギターは「ヤマハのFG-180」一万八千円のギターだ。
これはこれで、それなりに良い音と言われていて、満足もしている。
マーチン・ギブソン・ギルド・他のギターは約30万円ほど。。こちらはと言えば、、。
比べようとすると、どこか無理も出てくる。
有名外国メーカーのギターには、それなり良い音に面がある。
それは、力を抜いてストロークで弾くときと、フィンガーピッキング奏法のときだ。
なんというか、音全体にふくらみがあるというか。
力強く弾いたときと同じ音のバランスがそこにはある。
音にボリュームがあって鳴りのいいギターでも、それはなかなか実現されない。
マーチン・ギブソン・ギルドは、どんなに弱く弾いても、各メーカーのギターだとわかる音を出してくる。
そのへんが、キーポイントなのだろう。
・・・・
僕は今、一本の外国のメーカーのギターがとても欲しいと思っていて、毎日のようにギター屋を眺めている。
ヤマハFG-180は、やっぱり力を抜いて弾いたときと、フィンガーピッキングに弱い。
(しかし、これは弾き方次第で、なんとかなるが・・)
ある程度、大きな音を出してあげないと、個性が出てこないのだ。
外国の有名ギターメーカーを買って弾くのはそれは簡単だ。レコーティングもばっちりだろう。
しかし、ここで僕の心の中でカットウが起こる。僕は日本人だし、国産のギターをつかいたいなと思う。
たとえば、昔の日本の紳士が鹿鳴館に出かけるとき、日本のタキシードを着て出かけたいようなものか。
「好きな言葉ふたつ」'06.1/19
世の中にはいろんな名言やことわざがある。
どれもそれなりに好きではあるが、その中でも特に気に入っているものがある。
それはお茶の葉をポットに入れるときのイギリスのことわざで、「一杯はポットのため」だ。
アルバイトからの帰りの電車の中で、家の帰ってからの予定を立てる。
そのとき、いろんなこと時間を割りあてる。ギター弾きや本読みとか、いろいろ。
いつも予定をたてすぎて、実行はほぼ不可能なのではあるが、
それでも、その予定の中にいろいろ書き込んでいたい。
「一杯はポットのために」。ことわざのつかい方はたぶんまちがっているのだが。。
そして、もうひとつ好きな言葉、それはボブ・ディランがニューヨークに出てきた頃を振り返った言葉で、
「ほんのちょっとの時間をつくり僕はギターを練習し、
ほんのちょっと時間をつくり歌を作り始め、ほんのちょっとの時間をつくり、、」と続く言葉だ。
家に帰ってから、けっこう時間はあるのに、なんだかいつも何も出来ないでいる。
僕はいつも、このふたつの好きな言葉を意識して紙に予定を立てる。
「身近なオリンピック」'06.1/16
僕の住んでいる街では、こんな会話が交わされる。
「ちょっと、オリンピック行ってくるよ」
この響き、いいですねー。
オンリピックはオリンピックでも、デパートの方である。
僕は特に電化製品のコーナーが好きだ。
有名量販店に比べたら、品揃えは少ないかもしれないけれど、オリンピックなりに充実している。
最近はデジタルオーディオプレーヤーもそろえている。その努力。(?)
電化マニアの僕もよく買せわてもらっている。テープも安いしね。
靴も買う。ボックスも買う。服も買う。文房具も買う。
僕の街にあるオリンピックは最近、食料品も始めた。
(店舗によっては食料品がメインの店もあるが。。)
この街のオリンピックは、特にインスタントラーメンに力を入れているようだ。
特売コーナーにずらりとならんでいる。そのラーメンの種類。
それが、なんとも、、僕を泣かせる。。
明星チャルメラ・・まるちゃんの天ぷらそば・・エースコックのワンタンメン・・etc
それは金メダルや銀メダル? そういう意味があるのかもしれない。
「さっきのところ」'06.1/13
仕事にて、マンションの上の階にいると、学校帰りの子供らの声が聞こえてきた。
「さっきんところで、まっててー!!」
さて「さっきのところ」とはどこであろう?
それはマンション中で響く大きな声であったけれど、その場所は友達にしかわからない。
友達に「さっきのところ」は伝わったであろうか。
考えてみれば、人はみな「さっきのところ」を持っているはずだ。
そこに居たはずの場所。
しかし、さっきがいつのことで、どこの場所だったかは特定できない。
友達に「さっきのところで待っててー」と、呼ばれたら、どこに行くだろう。
待ち合わせできるだろうか。
でも、待ち合わせできる人たちがいる。
「一枚の紙とペン」'06.1/10
僕は予定を紙に書くのがとても好きだ。
一日の予定をまず書くことから、僕の時間は始まる。
なんだか安心するんだよね。落ち着くというか。。
ほとんどその通りにゆかなくてもいい。そこには、僕の充実した一日が見えてくる。
とにかく、一日の予定を書くのが好きなんだ。
それは今日の事、いつものように朝の電車の中で予定を書こうとした。
でも、、紙がないのだ。
カバンの中を整理したあとなので、無駄な紙は一枚もなかった。
ペンはあるけれど、紙がない。紙がないことが、こんなにつらいとは思わなかった。
じゃあ、頭の中で予定を立てれば良いじゃないか、と思うかもしれないが、
紙に書かないと実感がないのだ。
たかが紙とペンなんだけどね。
「探し物」'06.1/8
今年に入ってから、ずっと探し物をしている。
箱を開ければ、単純にそこにあるはずだったのだが、ない。。
もしかしたら、ゴミと一緒に捨てた可能性もあるが、そうでないと信じたい。
信じたいので、探し続けている。どうせならということで、部屋も片付けている。
それは、ふたつに折られた、厚めの白い紙だ。
・・・いったいどこにあるんだ、おまえは、、。
いろんな探し物をいままでしてきたけれど、たいがいは見つかってきた。
どうしても出てこない探し物が見つかるとき、いつも(なるほどなぁ〜)と思う。
やっぱり見つからないだけの理由があるのだ。
もう長い事、生きているので、僕も少しは無くなりものの法則がだんだんとわかってきた。
その法則にしたがって、部屋を探してゆくが、それでも見つからないときもある。
紙が見つからないときは、何かの本やノートの間にはさまっている可能性もある。
これは探すのが大変。でも、だいたい他のどこかで見つかる。
もっとやっかいなのは、自分がゴミ箱に捨てちゃったときだ。
これはどんなに探しても出てこない。でも、ゴミ箱になんて捨てるわけがないんだ。
「ポケットの話」'06.1/6
冬になると、とてもポケットが重宝する。
物入れでもあるけれど、やっぱり手を入れてあたためるという効果も大きい。
「ポケット」というネーミングもまた、良い響きだ。
駅の階段からに降りてくる人達。ポケットに手に入れている人も多い。そんな冬の光景。。
さて、考えてみれば「ポケット」という言葉は外来語である。
「ポケット」に当たる日本語はないのかな。
そもそもズボンや、ジャンパーやジャケットというのも日本には新しい文化だったのだろう。
しかし、やっぱり冬には手が寒く、何か入れておけるスペースが必要であったろう。
「懐(ふところ)」かな。
女性は、袖の中に手をひっこめて暖まったのかな。
・・・・
物心ついたときから、「ポケット」はあった。ズボンやジャンパーのポケット。
世界中で「ポケット」はとても愛されている。
中国や韓国、それぞれの国に「ポケット」の呼び名はあるのだろう。
日本語の場合は、「ポケット」以外に、良い呼び名が見つからない。(「ズボン」もそうかな。)
「小物入れ」? 「袖の中」? 時代を、ずっとさかのぼり、同じように愛された言葉を見つけたい。
・・・・
話は飛ぶが、小さい頃よく先生に「ポケットに手を入れるな!!」と怒られたものである。
今、思うと変であるが、本当のことだ。
ポケットに手を入れる習慣は、ここ40年くらいの話なのかもしれない。
「ボクサー」'06.1/3
年末のライブで、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー(試聴あり)」を歌った。日本語訳で。
「ボクサー」は、それなりに有名な歌ではあるけれど、30年以上前なので知らない人も多いと思う。
名盤「明日に架ける橋」のアルバムに入っている一曲だ。
「明日の架ける橋」は、大ヒット曲でもあり、ほとんどの人がどこかで聞いた事があるだろう。
それに比べ「ボクサー」は、アルバムソングという位置がかなり強い。
逆に、何度聞いても、新鮮な歌であり続けたという良さもある。
歌の始まりは、典型的なフォークソング風ではあるが、感情の流れとともに深まるメロディーが印象的。
歌詞のストーリーは、現代風のバラッドというべきか。ほんの四分の間に何十年を語ってしまう。
その時間の使い方はほんとにみごとだ。
そしてラストのシーンがこの歌のタイトルとつながっている。
「♪広場に立つのはボクサー、プロファイター。彼の記憶にはやっつけたひとつひとつの残る。
・・もうやめだ。もうやめだ。だけど試合はまだ残っているんだ。ライラ、ライラ、ライ」
歌は突然にこの広場のボクサーのシーンになって、しめくくられる。
その意外な展開こそ、この歌の素晴らしきところだ。みごととしか言いようがない。
たぶん、普通に歌を作っていたら、こうはならないだろう。
何かの偶然があって、この歌の展開が生まれたと思える。(もちろん、作者ではないからそれはわからないが。。)
これによって「ボクサー」は、いつまでもあきることのない響きを生むことになった。
傑作とは、きっと、こんな歌のことなのだろう。
・・・・
僕もまた、この歌「ボクサー」を年末に歌ってみた。
その録音を自分で聞いてみると、あらためて、この歌の良さにびっくりするばかりだ。
「2006年」'06.1/1
毎年、年越しには、いつも東京に来る友達がいる。
その友は、毎年マイナーCDショップや古本屋、そしてマイナービデオ屋に寄ってゆく。
僕も以前は、同じようにショップ回りをしていたが、あるときからやめてしまった。
それは、つい買ってしまうからだ。
友達は、そんなふうにしてどんどん買ってしまう。
それも欲しい物があるという喜びかな。
今日はたまたま友達と、つい古本屋さんに寄ってしまった。
買うつもりなんてまったくなかったのに、写真エッセイの本を買ってしまった。
(ほら、やっぱり・・)
ページをめくってゆくと、どうしても読みたくなってしまう。
何か自分にとって、とても役立つように思えてくる。
そして買ってきて今、テーブルの上にある。
僕はその本を必ず読むつもりでいるが、なかなかそうはならない。
ついつい読みそびれて本棚に入っていまうことが多い。
毎年の新年の目標も、いつもそんな感じだ。
「ケースの宝」'05.12/30
昨日のライブで友達が、ギターがもう一本必要になった。
それもアコースティックギター。それで久し振り、ほんと久し振りに、持っているギターを出してみた。
ケースにはかなりほこりがかぶっている。中のギターは大丈夫か。なんとか弦は付いている様子である。
ライブ会場に着いて、弦を合わせて弾いてみると、これがびっくりする位に音が良いのだ。
たぶん冬の乾燥の影響もあるのだろう。
まあ、良い音のギターとは知っているのだけれど、数年振りに弾いてみると、新たな発見が次々と見つかる。
隠れた音の宝。ギターケースの宝。
このパソコンのある場所から、2メートル先に隠れていた音の宝。
以前はよくこのギターを弾いていた。そのまま弾き続けていたら、音の発見は出来なかったかもしれない。
音がわかると、ギターの弾き方も変わる。
このギターの良い音を、うまく伝えることがきっとできるだろう。
そしてこれはケースにしまっていたギターの話。
ギターだけじゃない。まだ部屋の中には、
「卒業式の音」'05.12/27
今日は今年の仕事納めであった。
普段はバラバラに出社してくるのだが、ミーティングも兼ねているので、全員が同じ時間にやってくる。
ロッカールームにいると、事務所がわいわいがやがやといっていた。
まるでいつかの卒業式のときのように。
卒業式の日、みんな教室にやってきて、話をした。
毎日だって、話はしているのだけれど、その騒がしさは何かがちがうのだ。
今日は仕事納めであり、どこか卒業式とも似ているのかもしれない。
僕の最後の卒業式は、もう27年も前の事だ。
約30年もたっても、僕の中には、卒業式は特別なものという意識があるのだろう。
あの27年前の日、もう二度と会えない気持ちでいっぱいだった。
卒業式もないものだっと思っていた。
しかしこうして、あの日は巡り巡っている。
「1メーター以内」'05.12/25部屋にあるCDラジカセの、CDプレーヤーが、うまくかからなくなった。
そこで、近くの古物屋で携帯用のCDプレーヤーを1000円で買って、本体とつないで、また復活した。
本体とは離せるので、目の前のパソコンの隣に置いた。
そこは、昨日までコーヒーカップが置かれていたスペースである。
僕の今座っている椅子の後ろはCDの棚になってていて、手を伸ばせば、どのCDにも手が届く。
CDラジカセの方は、1メーター以上離れた所にあった。
そして、目の前に携帯用のCDプレーヤーを置いたところ、次々と好きなCDを選んでかけている自分がいた。
CDラジカセまでは、一度立たないとCDがかけられなかったんだよね。
ほんの小さな、ちょっとしたそんな事。たったそれだけの事で、こんなにもCDをかける量が変わってしまう。
まるで、普段持ち歩いている、携帯音楽プレーヤーのような感覚である。
そう考えてみると、普段よく利用しているものは、みな手の届くところにあるということがわかる。
ギター、パソコン、インターネット、コーヒーカップ・・etc
文庫本のある本棚は、ここからはちょっと遠い。その本棚も近くにすれば、よく手にするのではないか。
僕が驚いたのは、その場所が1メーター20センチではだめだということ。
「スペシャル計画セット」'05.12/21
僕は一日の予定を書くのが好きだ。
こと細かく予定を書いても、だいたいはその通りにはならない。
しかし自分の企画ライブなとがあると、その時間に必ず自分が行かなくてはならない。
そんな日は、その前に仕事があったしても、ほぼ計画通りに進む。
普段よりも、細かく予定を書き出す。そしてそれを実行する。
素晴らしき行動力だ。無理のない予定を書き出しているせいもある。
そんな日は「スペシャル計画セット」だ。
(「スペシャル・ディナーセット」と似ているが・・)
次々とこなしてゆく、自分が素晴らしい。
そして、予定通りの時間に計画は進んでゆく。
実は今日は「スペシャル計画セット」の日であった。
夜は出かける予定もあるが、その前にこのエッセイを更新したかったのだ。
「グッドイヤーマーク」'05.12/17
冬になった。
最近は特に冷える。外を歩いていると、やっぱり耳が冷たい。
熱い鍋にさわったとき、耳たぶ押さえるとよいと言うが、たしかに耳は体温より少し低いのはわかる。
だって、耳だけ外に出ているのだものね。
北風の日、やっぱり耳が一番冷たい。耳は少し暖めないと。
毛糸の帽子を耳まですっかりかぶるという方法はある。しかしもっと、いろいろ考えられるであろう。
数年前、耳だけすっぽりと入る袋がメジャー発売されていた。S・M・Lとサイズがあったはずだ。
これは!!と、思ったけれど最近はあまり見かけない。
ヘッドホンタイプの毛がもわもわと付いたものは今もある。あれはいい。
あれが本当にヘッドホンになっていればなぁ。
帽子に耳あてが付いているものもある。あれもいい。僕も小さい頃はあの帽子であった。
耳あては、外の音が聞こえづらくなるという欠点がある。
それさえなんとかすれば、、、。
友達と話をするときも、やっぱり耳あてがついているとなんだか淋しい。
外の音もよく聞こえるような、耳あてを作ってくれればなぁ。
それが他の人にもよくわかるように、「外の音も良く聞こえますよマーク」を付けてあるといいな。
「グッドイヤーマーク」?
それさえ付いていれば、オーケーであろう。
一番わかりやすいのは、耳の形になっているといいんだけどね。
(それじゃあ怪物くんだ・・)
「インドミュージック考」'05.12/15携帯音楽プレーヤーで、いろんな音楽を歩きながら聴いていると、
世界中の国のリズムやノリのちがいがよく伝わってくる。
それぞれに好みはあるだろうけれど、僕にはインドミュージックのサウンドが合っているようだ。
どんな状況であっても、体がリズムに乗ってくるのだ。
やっばりバンド形態になっているものが良い。
昨日、聞いていて、ふと思った事があった。
インド・ネパールを五ヶ月間旅したこともあり、いろんな景色がいつも頭によぎる。
インドではそれぞれ職業がプロフェッショナルであり、極めている感がある。
河沿いで、洗濯物を叩きつけながら洗濯している人たち。
建築現場では、頭の上に砂のお皿を乗せて、人々が流れるように続いて運び落とす。
ステンレス工場では、輪になってみんなが座り、叩きながらの作業。
そこにもここにも、 確実にリズムが感じられた。
単純作業の中の「かけ声リズム」というか。。
そこに生まれてくる、あきないリズムと、そして音の重なり。
生活というか、日常に密着してくる音楽。
インドミュージックのリズム隊のノリには、それが感じられる。
それぞれの曲のリズムと楽器の入り具合は、どこかの作業現場の音であるかのようだ。
太鼓のタブラ、鍵盤のハーモニウム、シタール、バイオリン等によって、それらは作られる。
それらは作業現場や、農作業など、いろんな場面でも、やっぱり作られる。
民族的な特徴なのかもしれない。
「今年の誓い」'05.12/12
今年の最初に、やりたい事も書いた。
はっきりとそれは憶えている。
憶えているけれど、まったくそれは実行できなかった。
100パーセントを実現とするならば、3パーセントも実現されていない。
ああ、なんということか。。
今年の誓い。それは本を読む事だった。
買ったまま読めないでいる、この部屋の本。
毎日、読み続けるはずだったのに、まったく読めなかった。
それもちゃんと読んだ本は、ほんの数冊。
ほんの数冊、、。この事実。
そうやって、もうすぐ一年が過ぎようとしています。
誓ったっていうのになぁ。
3パーセントの誓いの実現。
部屋中の本が、年明けに喜んだろうに。。
「床屋さんたちの集まり」'05.12/10
下町の床屋さんは今、不思議な時間の中にいるような気がする。
よく仕事で訪ねることがあるのだが、のんびりとテレビを見ていることは多い。
まるでなんだかそれが仕事であるかのようだった。
お客さんが来て、いろんな話をする、その素晴らしき時間のために。。
僕はもう、この十年以上も1000円カットの店で髪を切ってもらっており、
一般の床屋さんとは、ほんと縁遠くなってしまった。
それはきっと僕だけではないだろう。。
・・・・
先日の事、下町の床屋さんに7・8人のおじさんたちが楽しそうに出入りしていて、
僕は近所の人に「あれは、何ですか?」とたずねてみた。
「あれは床屋さんたちが集まっているのよ」教えてくれた。
みんなとても仲良さそうで、とても楽しそうであった。
その日はきっと全国的に床屋さんの休みの日であったのだろう。
何ヶ月かに一度、それぞれの床屋さんが持ち回りで集まりを開いているのかもしれない。
ほんの数分であったけれど、僕には、その床屋さんたちが楽しそうに列んで歩くシーンが、
現代の出来事のように思えなかった。まるで宮澤賢治の童話の世界のよう。。
昔から続く、何か大事なものの場面のようであった。
僕らがいつしかすっかり失ってしまったものが、まだかろうじて引き継がれているようであった。
「機関車パワー」'05.12/7
君は走っている機関車を見たことがあるだろうか。
僕はぎりぎり見てきた世代。でも、そうでなくてもみんな映像でよく知ってるだろう。
今はもう走っていない、蒸気機関車。
その音はどこかがむしゃらな感じがする。
電車にはないような、その力具合。
僕は今、一日、外仕事をしているが、パワーが切れそうになる場合がある。
これから8時間ほど、がんばらなくてはならないときもある。
健康ドリンクも良いかもしれないけれど、こんなふうに今日は考えてみた。
・・オレワキカンシャダ、ハシラネバナラヌ・・
たぶんに無理のある発想ではあるけれど、そう思うと体にパワーが出てくる。
機関車だって、大変なときはあったであろう。それでもきっと走ったのだ。
そんなふうに思わせるなんて、とても人間的だった。
「行ってみたいと思う」'05.12/3
今日は、なんだかとても「うな丼」が食べたかった。
よく入る、大衆的な「うな丼」屋に入ってみると、やっばり混んでいた。
うな丼は美味しいな。。今日はきっと「うな丼」の日。
・・・
うな丼を食べながら、江戸時代の事を思った。もちろん江戸時代には行ったことはないのだけれど。。
江戸の町に行き、「うな丼」を食べてみたい。たれは今と同じだろうか。。
実際の江戸の町に行ければ、現代まで残っているものがよくわかるだろう。
何があるかなぁ。。
「そば」の味は、関東の立ち食いそばと同じかな。吉野家の牛丼はどんなだろう。
江戸は庶民文化の花咲いた時代というが、じつにそう思う。
今流行の外資系の「〜cafe」も、江戸時代なりにあったのではないか。
ああ、江戸の町に行ってみたいな。僕らの生活の中に今も残っているものも多いだろう。
それを実感してみたい。
明治、大正、昭和、平成と来たけれど、僕らのベースは江戸の文化ではないだろうか。
形は変わっても、たぶん一緒のような気がするのだ。
いろんな外国文化は入ってきているけれどね。。
江戸の町が、こんなにも懐かしく(?)感じられるのは、
「誰もいない蕎麦屋さん」'05.12/1
下町に僕のお気に入りの立ち食いそば屋さんがある。
駅のそばにあるのだけれど、いつ見てもほぼお客さんがいないのだ。
お客さんだけじゃない。お店の人の姿も見えない。
ひっそりとしている店内は、狭い方ではない。
僕はそのひっそり感が好きなので、よくその店に入る。
味もなかなか美味しい。
店に入ると、奥の部屋にいると思っていたお店のご主人は、すっと、その場から立ち上がった。
見えないように休んでいたのだ。「いらっしゃい・・」。
ここに通って、もう15年以上になるけれど、ほとんどお客さんが居ない。
それでもお店はやってゆけるんだな。
同じ蕎麦なら、自分の家でも食べられるけれど、やっぱりこの静けさは、お店に来ないと味わえない。
一歩、店の外に出た先は、多くの人が行き来している。
それに比べ、この店の静けさと来たら・・。
ほんと、心から落ち着ける店なのだ。
お店の人は、僕にそばを出すと、またしゃがんで休んでしまった。
店には僕ひとりみたい。それも、いいなぁ。
僕が嬉しいのは、毎日、ここでお店が開いていることだ。
「隠れカバンファン」'05.11/28
今日、大きなデンスカウントデパートに寄ったついでに、カバン売り場にも寄ってみた。
(ああ、僕はカバンが好きだったんだ・・)
カバンを見て、カバンファンだった事を思い出すなんて、なんとも情けないが・・。
チラッと見てみたが、良いのが出ていた。
カバンはなんとも愛しいグッズである。
何でも良いという人もいるかもしれないが、お気に入りのカバンは、それだけでも外出が嬉しい。
東京に出てきて20年。最初の10年はカバン探しの旅だった。
あまりにいろんな店を回っていたので、どんなバッグが出ているのかをだいたい把握していた。
ナイロンから布、そして革製まで。。
僕が思う素晴らしきカバンはその頃は少なかったが、今は主流になりつつある。
僕はカバンの未来の予言者でもあったのか。
良いカバンに10年前に会い、それからはずっとそのカバンを使っている。
そして、いつのまにかカバン売り場とも遠くなった。
あれから10年。カバン売り場も僕の事を忘れてしまったであろう。
・・・僕は隠れていたのだ。
と、言えばかっこよいが。
今のカバンが壊れたら、新しいのを探してみるかな。
この10年の進化を見てみたい。ひとりの隠れカバンファンとして。
「がんばれD51」'05.11/25
ビデオデッキがなくっても、しっかり憶えている映像がある。
中学・高校時代にテレビにアコースティックギターが出てきたときである。
あれは、いつだったかな。僕が高校一年くらいだ。'76年頃の事。
NHKのテレビだったと思うけれど、小学生かな、スタジオでみんなが集まり、小林亜星さんを取り囲んでいた。
小林亜星さんはテレビ「寺内貫太郎一家」で人気が出たけれど、もともとは有名な作曲家である。
それも僕らにとてもなじみ深い。。「ガッチャマン」の歌や「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」、「どこまでも行こう」もある。
日立のCM「この木なんの木」も亜星さんの曲である。
曲を並べてみてもわかるように、おぼえやすく印象的な曲を多く作ってきている。
そんな亜星さんがテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で頑固オヤジを演じて、逆にその方で僕らには有名だった。
・・・
僕の見たそのテレビ番組では、たぶん(たいへんにあいまいであるが・・)、小林亜星さんをみんなで取り囲み、
「こんな歌も作ったんですよー」という驚きの番組展開だったと思う。
そして、その番組の最後に、亜星さんがアコースティックギターを抱え、
「今日はみんなで歌おうと思って、こんな歌を持ってきたよ。簡単だから一緒に歌ってね」みたいな事を言った。
使っていたギターは、マーチンのD-18だったかなぁ。。僕はいつもどおりにテレビ画面に釘付けになった。
そこで歌われた歌は機関車「D51」の歌だった。
♪がんばれがんばれ、D51、野を行け山を行けー
そんなサビのある歌だった。聞きなから僕は、この歌は相当に有名な歌で、傑作なんだろうなぁと信じた。
多くの人に歌われ続けている歌だろうと信じた。
しかし、もしかしたら「作って来た」というふうに言ったかもしれない、、。
「がんばれD51」ではなく「走れ、D51」だったかもしれない、、。
その辺はあいまいだ。
・・・・
あれから30年たって、今日はそのD51の歌とテレビのシーンを思い出し、ふとこんなふうに思った。
「がんばれD51」というけれど、もう走っていないのだし、がんばりようがないじゃないか。
その歌がどんなに良くても、時代とともに歌う人もいなくなり、みんなの歌の世界から、消えてしまったのではないか。。
家に戻って来てインターネットで、その歌を検索で探してみたけれど、どうしても見つからない。
どうしても見つからない。。
もしかしたら、あの番組のために作ってきた歌だったかもしれない。
あの歌、ほんとにいい歌だった。名作のはずだ。
でも、D51と一緒に自然に消えたのかもしれない。。ぜひ歌の復活を望もう。
※D51の歌と小林亜星さんとの作品関係は、僕のあいまいな記憶の中の話であり、他の人の作品だった可能性もあります。インターネットで検索できなかったこともあり、何の確信もありません。私も聞いた、その番組を見たという方は、ぜひご報告下さい。
「一日の循環コード」'05.11/21
一日もまた、歌のようであると思うのならば、
コード進行というものもあるかもしれない。
シンプルに「C」のキーでゆくとしたら、「F」がまた自然に「C」に戻るためには、
「G7」のコードが自然なつながりとなる。
アルバイトが終わり、駅前で立ち食いそばを食べるようなものか。
いろいろな循環コードがある。「C」〜「Em」〜「F」〜「G7」もある。
もちろん、サビのフレーズだってあるだろう。
最近、僕は思う。一日の流れって、循環コードと似ているのではないかと。
人はみんな「F」や「G7」で休むことがきっとできない。ちゃんと「C」に戻ってこないといけない。
「Dm」の気分というものも入ってくる。「A m」の気分も入ってくる。
また、キーが「G」の日もある。キーが「F」の日もある。
ロックンロールの日もあるだろう。ブルースの日もあるだろう。
一日はきっと循環コードで出来ている。
もとのキーに戻ってくるために僕らは、
「道」'05.11/18
ここから一番近い中央郵便局は、隣の駅の中野にある。
夜8時まで郵便を受け付けているので、急ぎのときは、そこまで出かける。
その帰りは、ひと駅歩きたくなってしまうのだ。
せっかく隣の駅まで来たのだから、そのまますぐ電車に乗るのももったいないのだろう。
今夜は冷え冷えとして、月も丸くきれいだ。
線路沿いに沿って夜道を歩いてくると、ここ最近の自分の心情が見えてくる。
思い返せば、本当はいつもこんな道を、ひとりで歩いているのではないか。
旅の気分がここにはあるな。本当は日々、旅だもの。
ふと気が付けば、すぐそばを総武線が走ってゆく。いつもならあの電車に僕は乗っているのだ。
そこには予定通りという、僕が乗っているような気がする。
今日あるものが今日、ちゃんとある毎日。
そしてこちらは、何でも起こる道。
電車にも僕が乗っているし、こうしてそのそばも歩いてもいる。
こうして歩いてみると、意外と楽しいものだ。
「喫茶店のレコードプレーヤー」'05.11/15
仕事にて古い喫茶店に寄り、腰をかがめながら、ふと見上げると、、
そこにはレコードプレーヤーがあった。
レコードプレーヤーの上には布がかけられ、そのまた上には本が乗せられていた。
・・今はCD、昔はレコードという事かな。
おっと、TAPE君は現役だ。
レコードプレーヤーは、実にもう役目を終えたというふうにそこに置かれてあった。
レコードがかけられるのは、数年に一度ということかもしれない。
その喫茶店のママさんは実に親切でやさしい。おなじみさんも多い店であろう。
レコードプレーヤーは、もう引退したけれど、まだ店にいられて嬉しそうだった。
お店の話を今も聞いているようであった。
たぶんお店が出来たときから、レコードプレーヤーもあったのであろう。
古いおなじみさんがくる。
ママさんと、そこにあった音楽。そしてレコードプレーヤー。
「あのレコード、今もあるかなぁ・・」
「あるよ、かけてみる?」「いいよいいよ、大変だから」
・・・・またか。。
そんなレコードプレーヤーのひとり言も聞こえるようだ。
この店の古いお客さん。
「トッポ・ジージョ・コンサート」'05.11/13
いつの日だったか、人形劇のトッポ・ジージョが、歌うのを見た。
それはギターを持っていたかもしれない。スローバラードだったかもしれない。
詳しいことはよく憶えてはいないのだが、とても良かった事だけは確かだ。
なんと言うのかな、妙な感動というか。。情感がとても伝わって来るのだ。
それはトッポ・ジージョというキャラクターのせいかもしれない。
存在自体が愛らしいというか。。
実はトッポ・ジージョは、素晴らしいシンガーだったのではないか。
もちろん他の人形たちもいる。その誰もが歌っても、トッポ・ジージョの方がうまそうだ。
あの眠そうなまぶたが、いいのかな。。
ああ、トッポ・ジージョが、ライブをやらないかな。
人形がライブやコンサートをやるなんて、あまり聞いたことはないけれど。。
最初はギターソロ。次はピアニカと一緒に。バイオリンも入れたいな。
ブルースもやって欲しい。クラリネット奏者もいれて。。アンコールはピアノかな。
夢はひろがるなぁ。
僕らの歌もやってくれないかな。。
世界中のミュージシャンがトッポ・ジージョのためにオリジナル曲を用意して、
シンガーとして、デビューして欲しい。DVDアルバムかな。
「コーヒーもう一杯」'05.11/9
今日9時前、外仕事前に食堂にて「みそカツ定食」をのんびりと食べた。
ホントは一分でも早く始めないといけないのだが・・。
たぶん、4時半まで休みなしであろう。
あつあつ鍋の「みそカツ」を食べながら、僕はボブ・ディランの「コーヒーもう一杯」を思い出した。
(そうそう、この気分なんだ!!)
♪ 道行くために、コーヒーをもう一杯・・、道行くために、コーヒーをもう一杯・・谷へ降りるのだ・・。
高校時代に、この歌を聞いてたときは、エスニックな メロディーに心奪われてしまった。
ただ、コーヒーをもうしばらく飲む歌詞だと思っていたが、「もう一杯」というところが大事だったんだな。
今日の僕は「♪ 道行くために、みそカツ定食をのんびりと・・」というところか。
ふつうならは仕事あとの一休みというところだろう。
仕事前の一休み。これを呼ぶのに、いい名称はないのかな。
・・・・
しかし、、「コーヒーもう一杯」とは、なんてシンプルなタイトルを付けたものだろう。
ちょっとまちがえば、コーヒー好きの歌みたいだ。・・まあ、そうなのかもしれないが・・。
「素晴らしいものを持っている」'05.11/4
貴重映像にて、画家「岡本太郎」の読書姿を見た。
大きな大きな書斎に並べられた本。そして熱心に本を読む岡本太郎。
(ああ、僕にもあんな書斎があったらなぁ・・)
と、憧れてみた。
しかし、よく考えてみれば僕の部屋にだって、本は沢山あるのだ。
沢山あるのだけれど、うまく取り出せないようになってしまっているのだ。
本棚の本の前にまた本を置いたりして、、。
もし僕にも大きな書斎があったならば、僕にとっては、これ以上ないスペースとなるだろう。
そうだ、そうだ、そうなんだ。
僕が僕自身にこう言う。
「きみは素晴らしいものを持っている!!」
・・本もレコードも映像も。
生かし切れてないとは、このことかもしれない。
インデックス化されていないとも言えるだろう。
もしかしたら才能もまた、こんなふうに整理されていないだけかもしれない。
ああ、10畳の部屋の壁一面に本やレコードをならべたいな。
「ふれあいの歌」'05.11/1
今日、中古電気店の前を通ったら、
小さなラジカセから、中村雅俊の歌う「ふれあい」が流れていた。
♪人はみな〜、ひとりでは〜、生きてい〜けないも〜のだから・・
'74年発売の歌であり、ほとんどの人は知っているであろう。
あの独特のマイナーな響き。。
♪か〜なしみに〜、出あうたび〜
その流れていたラジカセというのが、たいへんに安い値段のものであった。。
なんともいえないそのサウンド。
・・・・
その昔、四畳半のアパートに10年住んでいた頃のある時、
7つある二階の部屋のうち、二つの部屋から中村雅俊の歌が流れていた。
たまたま偶然なのか、ファンがファンを作ったのか、それはわからない。
仕事を終え、夕方に暗いアパートの階段を登ってくると、二部屋で流れている中村雅俊の歌。
必ず流れているのはヒット曲「ふれあい」。
なんとも、その曲がアパートの夕暮れに似合っていたことか。。
特に僕は中村雅俊のファンというわけではなかった。僕の部屋からはロックが流れていた。
そうやって数年がたち、僕は他のアパートに引越しをした。
僕自身はまったく意識していないのだが、「ふれあい」を聞くたびに特別な気分になってしまうのだ。
妙にもの哀しい。あの薄暗いアパートの二階の廊下・・。
僕のこころの奥に、あの歌が住んでいるようだ。。
こんなことになるなんて、思ってもみなかった事。