ラオス & カンボジア 紀行

12月28日(火) 晴

シェムリアップ → プノンペン(カンボジア)

7:15 シェムリアップ → 7:45 プノンペン(カンボジア) (1:00) カンボジア航空 VJ321

朝シェムリアップ空港で、カンボジア航空に乗って、首都のプノンペンへ向かった。
カンボジア航空はジャンボ機であり、機内は新しい方だ。
1時間後にプノンペン空港に着いたら、首都の空港と思えない小さな空港で驚いた。
空港の出口を出たら、客引きのバイクタクシーの人達が私のとこに詰め寄ってきた。
とてもしつこい。
バイクタクシーの人と交渉して、一人当たり2ドルということでバイクの後席に座って(二人乗り)、プノンペンのバスターミナルへ向かった。
プノンペンの街は喧騒でシェムリアップよりも治安が悪そうな気がする〜。数年前のプノンペンは戦争が続いていたため、今やあちこちの建物が崩れたままになっていた。
今日の午後からダイビングするためにシアヌークビルへ行くので、バスターミナルで発車時刻を調べた。13時半出発と確認できて、バスターミナルのフロントに荷物を預けてから、プノンペンの街を見回った。

まだ朝食をとっていないので、屋台でカンボジアの麺を食べてみた。麺はうどんみたくて、つゆは塩味で、具は、もやし、豚レバー、菜っ葉、ゆで卵が入ってて、味はまあまあだが、ラオスの方が美味かったと思う。カンボジアの麺はたった700R(20円)。

プノンペンで一番大きなマーケット「セントラル・マーケット」に入ってみたら、金の装飾品、カバン、服装などいっぱい売っていて、多くのカンボジア人が買物していた。でも、売っているブランド品ほとんど偽物・・・。
食品の売り場に行ってみたら、でかいコオロギ、クモ、コガネムシの唐揚げが売ってた。ゲ〜ッ、気持ち悪い。特にクモ、マジで食べれるかい!? クモの味を知りたくても食べる勇気はなかった。

セントラル・マーケットのお土産店でTシャツを買ったら、5人の子どもたちが私のとこに詰め寄ってきた。なんと子どもたちは、両手首がない、片足になっていた。地雷に遭って手足を失ってしまったのだ。子どもたちが、失った手や足を私の目先近くまで見せつけながら、「マネー、マネー」と言っていた。地雷に遭った子どもたちをみてショックを受け、かわいそうと思っていたけど、お金をあげることはできなかった。もしあげたら、他に地雷にあった人達にも平等にあげなければならないと思うと怖くなってしまったから・・・。結局は、後になって、お金をあげなくてもいいのかなと悩んでしまった。
道を歩くたびに、地雷で片足を失ったおじさん達がきて「マネー、マネー」と言われた・・・。プノンペンはシェムリアップよりも、地雷で体の一部を失った人を多く見かける・・・。地雷の恐ろしさを知って胸が苦しくなってしまった。

そして、トゥールスレン博物館を見学した。トゥールスレン博物館の建物は、元、刑務所であり、ポル・ポト派が無差別にカンボジアの人々を捕虜して処刑する場であった。トゥールスレン刑務所で2万人捕虜して生き残った人はたった6人。
博物館内で、鉄ベッドではりつけされた人を拷問して死んだ死体の写真、鉄ベッドの下に血のあとが残っているのを見て、体じゅうに恐怖心が走った。
次の部屋に入ったら、ポル・ポト派が処刑する直前に撮った人々の顔写真が無数に壁一面に貼られていた・・・まだ小学生の子どもの顔写真まで・・・その部屋の空気が重い・・・処刑された人々のうめき声が聞こえそう・・・私は鳥肌がたって息苦しくなってしまった。それから、拷問で殺された死体の写真がいっぱい貼っているのを見て、もう気分が悪くなってしまった。
ポル・ポト派の行為はとてもひどすぎる!

トゥールスレン博物館  拷問室(鉄ベッド)


殺された人々の頭蓋骨で形作られたカンボジア地図

プノンペンのバスターミナルに戻って、ダイビングするためにシアヌークビルへ行く。続きの日記はダイビング紀行へ。