ソロモン諸島 ガダルカナル島&ギゾ島 紀行

2005.4.27 〜 5.8

4月29日(金) 晴

ガダルカナル島

朝食は、ホテルから歩いて5分にある市場へ行って食べてみようと。
朝のホニアラの街は、学校へ通う小学生がいっぱい、買い物する主婦いっぱいで活気がいい。車もいっぱい走ってる。
珍しく千葉県幼稚園のスクールバスが走ってた!?


ホニアラの市場

市場に入って、何を売ってるか楽しみながら歩き回った。野菜には、タロイモ、サツマイモ、スイカ、バナナ、魚には、カツオ、マットクラブが多かった。
すると、市場の人が、水槽から魚をとりあげて「これは美味しいよ」と勧めてくれた。その魚はなんとアカククリ。
えーっ!!食べてみたいな! でも、調理できる場がないから買えないな。


市場で売ってる食べ物は魚と芋の天ぷらと揚げパンしかなかった。天ぷら1パック70円、揚げパン1個16円買って、市場に面してる港の桟橋に座って食べた。
魚の天ぷらを食べてみたらカツオだった。意外と天ぷらに合うので、日本でカツオの天ぷらを作ってみようと。
揚げパンは黒糖の味がして甘かったな。

これから、太平洋戦争の戦跡めぐり!

日本軍の慰霊祭で案内役をつとめたソロモン人ガイド兼ドライバーのワゴン車で9時にホテルを発った。
ホニアラ市内から少し離れたらもうジャングルで道が悪路。前夜に雨降ったため道が泥だらけ、橋が無い小川をいくつもありそのまま入って走り、戦跡まで約40kmまでずっと車内の揺れが止まらない・・・。
走る途中、道の真ん中に広くて深そうな沼が出てしまって通れない状態になった。


ドライバーが当初、走って行くか、中止して帰るか迷っていたが、俺達のために走って行こうと決めてくれた。走ってみたら、後輪が沼の泥中50cmほど沈んで回らなくなり車が動けなくなった。結局はWと俺が靴を脱いで沼に入って車の後ろを押した。何度も力いっぱい押しても後輪が回らない。
もうダメだなと困ったときに、、、車のエンジン音が向こうまで響いたかのようにソロモン人少年達4人と男性2人がジャングルからひょこと出てきた。6人全員で車の後ろを押してくれてやっと後輪が回わって沼から脱出できた。
俺は喜んでソロモン人と握手したり少年達の頭をなでたりしながら感謝した。

ガダルカタル島の一番端にあるタンベアという村に着いて、日本語で書いた「ガ島戦没者慰霊碑」が建っていて、手前にゼロ戦の残骸が散らばっていた。60年の歳月が経っていても残骸がそのまま散らばっているので、戦争が終わったばかりかと感じてしまった。Wと一緒に日本酒(オーストラリア産だけど)を慰霊碑にかけて合掌した。
それから日本軍が最後に降伏した場所 エスペランス岬にある慰霊碑、日本軍と米軍の飛行機や砲台の残骸色々と見学して、戦争の重みをますます感じられてしまい、、、戦跡一つ一つに日本酒をかけて合掌してきた。


ガ島戦没者慰霊碑 ゼロ戦の残骸

米軍機

米軍のワイルドキャット

日本軍の九十六式砲台

ドライバーに「戦時中、ソロモン人は何をしていたの?」と聞いたら、「ソロモン人は米軍のところに逃げて隠れていた。何故なら日本軍はソロモン人の言語が分からなくてコミュニケーションが面倒くさいのでソロモン人を殺していたから。米軍はソロモン人と仲良くしてくれるから、食事作りなど協力してあげた。」と言われて、昔の日本人の残忍さに痛感してしまった・・・。

でも、今のソロモン人は、日本人の俺達を喜んで歓迎してくれる。ソロモン人誰でも会うたびに笑顔で手を振ってくれる。
カメラを向けると笑顔でピースしてくれる。特に子供はワーッと集まってピースしながらワイワイしてくれる。
今まで旅した欧州やアジア諸国では、知らない外人にカメラを向けると嫌な目で見られる、手で顔を隠す、子供を撮ると「お金をくれ」と言われたと対し、ソロモンはそうでもなかった。気さくな人ばかりで治安がいい国だなと感じた。


戦跡めぐりの途中に、ドライバーの母校である小学校に立ち寄った。
グラウンドに少年達がサッカーやっていて、俺もやりたくなったので、飛び入って一緒にサッカーやった。少年達は上手くてボールをなかなか奪い取れない。グラウンド外にいた少女達が下手な俺を見て笑ってしまった。さすがに俺が先にヘトヘトと疲れてしまったが、遊んでくれた少年達の笑顔を見てすがすがしい気分になった。サッカーを終わって、少女からヤシの実をくれて、美味しく飲んだ。可愛い子供達だ。


そして、日本軍の遺物品を保管している村へ訪ねた。
車から降りると、村の家々から人が続々と出てきて歓迎してくれた。
村人から日本軍の遺物品を見せてくれて、、、ヘルメット、飯ごう、水筒、小さな酒ビン、食器などが沢山・・・。見る見るうちに日本軍の悲劇を感じて悲しくなってきた。
村にある丘に日本軍慰霊碑があるので、村の子供達が俺達をその丘まで連れてくれた。子供達の中に、耳が聞こえるが口で話すことができない障害をもつ少年がいた。俺は何か一言でも伝えたいなと思い、「アイ・ラブ・ユー」の手話を教えた。
障害の少年は喜んで「アイ・ラブ・ユー」の手話を使ってくれた。周りの子供達も一緒に「アイ・ラブ・ユー」の手話を使ってくれた。




最後に村の長と握手してから、村の人達にバイバイすると、教えた子供だけでなく若い女性も老人も全員「アイ・ラブ・ユー」と手話を出してくれながら、見送ってくれた。
まるで「世界ウルルン体験記」のラストシーン・・・。感動しちゃった。

もっと時間あれば、村で泊まりながら子供達と一緒に遊びたかったなー。