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2001年夏の新作映画メモ


『ロスト・ソウルズ』 『レジョネア』 『ハムナプトラ2』

『デンジャラス・ビューティー』 『ギフト』

『クロコダイル・ダンディー in L.A.』 『沈黙のテロリスト』

『A.I.』 『ダンジョン&ドラゴン』

『ウルトラマンコスモス』 『ドリフト』 『パールハーバー』

『猿の惑星』 『DENGEKI』 『ジュラシック・パーク3』

『ドリヴン』

『ロスト・ソウルズ』

 監督:ヤヌス・カミンスキー
 出演:ウィノナ・ライダー ベン・チャップリン

 何だかんだ言って毎年一本はあるかな? 悪魔払いホラー!

 新たな千年紀を迎えた世界。この現代においても悪魔は今だ蠢動し続ける。近親相姦の果てに生まれた男(ベン・チャップリン)が悪魔の新たな肉体になるのを防ぐため、教会で悪魔払いの助手を務めていた女(ウィノナ・ライダー)は彼に接触するが……。

 キリスト教と悪魔を題材にした映画、世紀の変わり目という事もあってか、ここ数年にも何作かありました。『ディアボロス』『エンド・オブ・デイズ』など。しかしこの手の映画を観る度に感じるのが、悪魔さんの世界制覇プロジェクトの杜撰さとスケールの小ささです。『ディアボロス』なんかは、ある意味アル・パチーノが本気でやってるように見えなかったのが良かったんですが……。

 この人と物と価値観が溢れかえった現代において、たった一人の人間が世界を変容させるというのも現実感が伴わないし、近親相姦なんて今さら珍しくもなかろうし、「666」が悪魔の数字とか言われてもな……。こういう事を言うと「文化が違うから」「キリスト教信者じゃないから」とか反論されるんでしょうけど、ちょっと聞いてみたい。キリスト教圏の方々、こんなたわ言映画、ほんとに怖いと思うんですか?

 しかしたわ言かどうかを抜きにしても、この映画、どうもお手軽な感じがつきまといます。現場で「取りあえず666や!」「『エクソシスト』みたいなシーン入れとけ!」とでも言っていたかのような、既成の概念や映画におんぶにだっこな筋立てやビジュアル、結局過去が明らかにならないまま終わる主人公など書き込み不足なキャラクターに、何のオリジナリティも感じませんでした。ラストも意味の通らぬ御都合主義で締め尻切れとんぼ。いったい何がしたい映画なのか? ポリシーがないのか? 面白い映画、怖い映画、今までにない映画を作ろうという物作りに対する姿勢と意気込みはおろか、「売れる映画」を作ろうという商業主義のようなものさえ感じなかったのは痛すぎる。今年のワースト級でした。

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『レジョネア 戦場の狼たち』

 監督:ピーター・マクドナルド
 出演:ジャン・クロード・ヴァン・ダム

 何とか毎年最低一本は劇場公開されてますね。ヴァン・ダム主演最新作(本国での公開は2年も前だが……)です。

 マフィアのボスに八百長試合を強いられた賭けボクサーのアラン(ジャン・クロード・ヴァン・ダム)は、プライドを捨てられぬまま試合に臨み、相手をKOしてしまう。アランはボスの愛人となっていたかつての恋人とともにアメリカへ逃れようとするが、追い詰められ窮余の作として外人部隊<レジョネア>に入隊し、国外に脱出する。そこで彼を待っていたのは過酷な訓練の日々と、激戦地サハラ砂漠であった。

 毎年毎年、ヴァン・ダム作品には昔のような切れのいいアクション、派手な回し蹴りや熱いストーリーを期待するのですが、ここ数年は納得行く作品が来たためしがありません。ヴァン・ダムも40歳を越え、アクションスターとしてはいささか下り坂なのは今ややむを得ない事なのでしょうか。

 さて今作、冒頭は賭けボクシングの試合という事で格闘アクションがあるかなと思いましたが、当たり前だが蹴りは出ず、顔のアップでどつきあうシーンが続きます。ヴァン・ダムはボコボコに殴られてから逆転して勝つのが似合うキャラクターだと思うので、そういった展開はOKなんですが、まあ言ってみればありきたりな印象です。格闘家らしいテクニックは感じられず。しかしヴァン・ダム、全盛期ほどではないにしろ身体はそこそこ引き締まってました。ちょっと安心。

 ギャングに追い回されて、たまたま目について飛び込んだのが兵員募集中の外人部隊の事務所、即入隊、という流れがあまりに強引で驚きましたが、部隊がサハラ砂漠へ移ってからは展開も落ち着いて来ます。故国に婚約者を残して来たひ弱な男、アメリカから祖国を目指して来た黒人、イギリスで軍を放逐された元軍人などのキャラクターが登場し、ヴァン・ダムと友情を結びます。これもありきたりで、各キャラ立ってはいるんですが、もう少し深みが足りません。

 低予算映画ながらも、予算の大部分を後半の砂漠の攻防戦に一点集中したせいか、それほど安い印象は受けません。が、ヴァン・ダムならではのアクションが無し、複雑なドラマも無しでは、どうも盛り上がりに欠けます。要は飛び抜けたものがないんです。

 ヴァン・ダムのケツショットは拝めますし、そこそこ気楽に観られる映画ですが、う〜ん、ヴァン・ダムに期待してるのはこんな普通の無難にまとまった映画じゃないんだけどな……。まあヴァン・ダムお好きならどうぞ。

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『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』

 監督:スティーブン・ソマーズ
 出演:ブレンダン・フレイザ− レイチェル・ワイズ オデッド・フェ−ル ジョン・ハナ アーノルド・ボスルー パトリシア・ベラスケス ザ・ロック

 前作のバカ当たりは間違いなく1999年最大の謎だったような……続編公開、再び全米大ヒット!

 かつてアヌビス神と契約を結び、無敵の軍団をもって砂漠に君臨した魔人スコ−ピオン・キング(ザ・ロック)。その圧倒的な力を手中に収めるべく、前作から10年、甦ったイムホテップ(アーノルド・ボスルー)とかつてハムナプトラに足を踏み入れたリック(ブレンダン・フレイザ−)親子が死闘を繰り広げる。

 冒頭から『スターウォーズ エピソード1』の10倍のボリュームで展開するCGにいきなり度胆を抜かれます。熱砂の中で激突する二つの軍隊、砂漠に異常発生するオアシス、咆哮する犬面のアヌビス戦士の群れ、質はともかく量的にはえげつないボリュームです。舞台のほとんどが砂漠であるという事を割り引いても、今一つアヌビス戦士たちに生物的なぬめりや質感が感じられなかったのは減点材料です(『スターシップ・トゥルーパーズ』の生々しさが欲しかった。模型との組み合わせが今後の課題か?)が、派手な流血のない子供まで楽しめる娯楽映画を志向しているのでしょうから、これはさしてマイナスにはなっていません。夜間のシーンのミイラなんかはそれほど気になりませんし……。

 映像は実に大味ですがストーリーも無いに等しく、ただただ大暴れするミイラを見てれば話は進行。なんせ続編ですからキャラクターの説明も無いし、全編アクションアクション! 銃撃戦ありバスチェイスありチャンバラあり格闘戦ありと、盛り沢山。中身はないが、こういうの決して嫌いじゃないんです。

 前作から10年後という設定ですが、大抵のキャラクターは相変わらず。しかし主演のブレンダン・フレイザ−は所帯を持ったからなのか、前作より落ち着いた印象。身体はでかいが無理にマッチョでもなく、かといって動きが鈍いわけでもない、ちょっと珍しいタイプの主人公像です。予告編で頭の悪そうな馬鹿笑いをしていたザ・ロック、本業はプロレスラーだそうですが、本編で真面目な顔をしているところを見ると……おお、なかなか男前ではないか。ちょっと見直しました。彼が主演の外伝も作られるそうで、それにも期待です。

 どうしても見せ場を詰め込みすぎで、アクションシーンでもキメキメのカットなんかあるんだしもう少し演出に溜めがあったら良かったのにな、とも思いました。しかしまあ先が全部わかるストーリーと内容の無さ、またも続編に続きそうなことさえ容認してしまえば、ツッコミながら楽しめます。前作好きだった人は必見ですね。

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『デンジャラス・ビューティー』

 監督:ドナルド・ピートリー
 出演:サンドラ・ブロック ベンジャミン・ブラット マイケル・ケイン

 「ミスコン」を舞台にしたアクション・コメディ映画。

 しゃれっ気も化粧っ気もなく仕事ひとすじなFBIの女性捜査官グレイシー・ハート(サンドラ・ブロック)。連続爆弾魔「シチズン」の次の標的となった「ミス・アメリカ・コンテスト」を守るため、美容コンサルタントのメリング(マイケル・ケイン)の指導を受けていやいやながらも美女に仕立て上げられ、潜入捜査を開始する。周囲から浮きまくりながらも個性で参加者や観客を魅了していくグレイシー。だがコンテストが進むにつれ、事件は違った様相を呈しはじめる……。

 『微笑みをもう一度』なんか観ていたりするせいで、周囲にはサンドラ・ブロックファンだと思われていたりする筆者ですが、別にそういうわけではありません(誰もそんな事思ってない?)。ださい女が大変身を遂げる、というと昔からあるパターンなんでしょうが、近作『シーズ・オール・ザット』のメガネっ子レイチェル・リー・クックを例に取るまでもなく、今作におけるサンドラ・ブロックも私的には最初の奴でオッケーやんとやっぱり思ってしまいました。とは言え普通の恋愛ものではなくミスコン対応バージョンへと変身せねばならないのですから、やはりこの変化は必要なんですね。

 「ミスコン」の存在意義とは? 「美」とは何か? といったテーマに切り込む事なく、話はベタなサクセスストーリーの定型をなぞって行きますが、さほど嫌味がなかったところは好印象です。事件の真相や犯人の正体なども予想の範囲内に留まりますが、突飛な新事実が出てこなかっただけで良しでしょうか。

 アクション、恋愛、友情など、いくつもの要素がほどほどのバランスでつまった可もなく不可もない映画。こういう映画が全くないのも困りものなので、たまにはオッケーでした。

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『ギフト』

 監督:サム・ライミ
 出演:ケイト・ブランシェット グレッグ・キニア キアヌ・リーブス ヒラリー・スワンク ケイティ・ホームズ ジョヴァンニ・リビジー ゲーリー・コール

 サム・ライミ、メジャー転向(笑)第三弾。

 三人の子を持つ未亡人アニー(ケイト・ブランシェット)は、霊感によってESPカードを操る超能力を持ち、それによって占いをすることで生計を立てていた。ある日、息子の担任教師であるウェイン(グレッグ・キニア)の婚約者ジェシカ(ケイティ・ホームズ)に紹介されたアニーは、泥まみれになったジェシカの足を幻視。その数日後、ジェシカは行方不明になる。アニーの顧客のヴァレリー(ヒラリー・スワンク)の夫であり、妻に対して暴力をふるい続けているドニー(キアヌ・リーブス)の持つ土地の池に彼女の死体があることを幻視したアニーは、検事であるダンカン(ゲーリー・コール)の要請で証言台に立つ。

 『シンプル・プラン』『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』に続いて、サム・ライミ監督はなおも絶好調。今作も多彩な登場人物をうまく噛み合わせ、ストーリーを盛り上げています。出演陣は超メジャー級ではないながらも、売り出し中の実力派ばかり(約一名のぞく)。キアヌ君がいかにも茫漠とし、自分が何やってるかよくわかってないような顔をしているのが難点ですが、まあしようがないですね、キアヌだし……。

 神から授かった異能力を持つが故の悲劇、被差別などが作劇の主眼に置かれているためか、ミステリ的にはセオリーを当てはめると大体の真犯人の見当がついてしまいます。が、前述の出演陣がそれぞれ好演し、それぞれの持ち味で怪しい雰囲気を醸成しているため、観客の視点からは言うなれば「全員が容疑者」な状態でストーリーが進行するため、さほど気にはなりません。

 しかしストーリーの進行が主に超能力の発動をきっかけとするため、やや展開が恣意的(御都合主義)に感じられたのがもったいないところです。能力の発動がほぼ完全にランダムという設定は、能力を持っているからと言ってそれを利用して金持ちになるような事はできないなど、ある面で非常にリアリティを持っているのですが、それがかえって仇になった感あり。また、主人公は能力を持っているが故に無関係なはずの事件に巻き込まれ、その事によってさらに「力」を持つ事の悲劇性が強調されますが、積極的にストーリーに関わるモチベーションがないため、やや盛り上がりに影響したかとも思います。

 とはいえ、一本の映画として見ると上記は不満点になり得ますが、超能力を備えた主人公の人生を追った大長編の一エピソードとしてとらえれば、これは問題ではありません。『アメリカン・ゴシック』というテレビシリーズを手掛けた事もあるサム・ライミとしては、シリーズ化ももしかすると念頭に置いているのかも? そこまで先走らずとも、一つの物語が終わっても主人公の人生は続く、という視点を持つ事は、キャラクターと人間性を描くにあたって、非常に重要な事と言えるのではないでしょうか。

 徹底的な映像による状況描写の積み重ねで、主人公の生い立ちまでも観客に想像させるキャラクターの書き込みと密度に加え、サスペンスとしての要素とスーパー・ナチュラル・ホラーとしての要素をふんだんに詰め込んだ欲張りな映画です。上映時間を長く感じるが決して退屈ではないという、珍しいケースでした。

 『アメリカン・ゴシック』のルーカス・バック保安官ことゲーリー・コールが『シンプル・プラン』に続いて出演しているのにも大喜び。やっぱり彼はサム・ライミ組なんですね。人間性を感じさせないあの怪演の大ファンなんですよ〜。

 常人と異なる能力を持つが故に受ける差別、知的障害、ドメスティック・バイオレンス、家庭内の性的虐待など、社会的なテーマも密接にからまりあって登場しますが、被差別者たちに対する脚本ビリー・ボブ・ソーントンの視線は、限り無く優しく感じられました。

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『クロコダイル・ダンディー in L.A.』

 監督:サイモン・ウィンサー
 出演:ポール・ホーガン リンダ・コズラウスキー サージ・コックバーン

 超人気シリーズ第三弾、なぜか登場!

 お馴染みミック・ダンディー(ポール・ホーガン)は、オーストラリアの片田舎に今も暮らしている。だが、押し寄せる文明化の波によって本業のクロコダイル・ハンティングは見世物化。時代遅れな自分に、笑顔の陰でちょっと焦る毎日……。そんなある日、妻のスー(リンダ・コズラウスキー)の仕事でL.A.に移住することになったミックは、息子マイキー(サージ・コックバーン)と共に街へ繰り出すが……。

 かの『リーサル・ウェポン』シリーズが作を重ねるごとにソリッドさを失い、ホームドラマ化していったのと同じく、この作品にも何とも言えないゆる〜い雰囲気がつきまといます。たぶん『寅さん』を観るような感覚で観ないと、楽しめないんだろうなあ、と今頃気付く私。だからって『寅さん』が楽しめる性格でもないんですが、もともと。

 ゆる〜い雰囲気に乗ってのんびりとしたペースで繰り出されるベタなギャグに、思考も何も徐々に麻痺して行きます。なんとなく一人で画面に映ってても間がもってしまうポール・ホーガンのカリスマ性はなかなかのものですが、さすがにそれだけではつらい……。97分しかないのに、かなり退屈でした。

 新世紀の始めである現在、ハリウッドでは20世紀の映画を振り返って総括しようという動きが仄見えますが、真っ先に懐古主義の先鋒として登場したのが『クロコダイル・ダンディー』だったことに、何か意味があるんでしょうか。う〜ん、気になるなあ。よっぽど前作が好きだったらどうぞ。

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『沈黙のテロリスト』

 監督:アルバート・ピュン
 出演:スティーブン・セガール トム・サイズモア デニス・ホッパー

 御存知、邦題だけ共通な「沈黙」シリーズ第6弾! 略して『沈テロ』!

 同じ爆弾テロリストによって、部下を失った爆弾処理班の男(スティーブン・セガール)と相棒を失った刑事(トム・サイズモア)が、チームを組んでテロリストを追う。警察の手に落ちた仲間の女を救うべく、市街を次々と爆破していくテロリストを、二人は阻止出来るのか?

 「沈黙のピュン」とでも呼ぶのが相応しい、悪名高き監督、アルバート・ピュン。代表作の一つであるジャン・クロード・ヴァン・ダム主演『サイボーグ』ではヴァン・ダム一人を映しっぱなしなのが幸いしましたが、今作ではその持ち味とも言える、演出とカメラワークの下手さ加減が如何なく発揮されています。誰がどこにいるのかさっぱり不明なテロリストの位置関係や、明らかにセガールの顔のアップだけ後で撮り足したとわかる冒頭シーンなど、「ピュン節」ずさんな演出が満載。見てても首を傾げるとこが多すぎる。

 他にも低予算をカバーすべく、市街の爆発シーンなどは別の映画からの使い回しフィルムを使用。意味不明かつ不自然な合成も目立ち、見れば見るほど脱力します。

 お楽しみな格闘シーンなどもあるにはあるのですが、銃を持ってたはずなのになぜか素手でセガールに殴り掛かるテロリストを見ていると、やる気がないとしか思えません。相変わらず無人の野を行くがごときセガール先生ですが、銃弾をかわして懐に入る、ぐらいの描写をやってくれないと、強さにも説得力が出ません。

 くっそー不調だなあ……もっとまともなアクション映画はないのか……? 取りあえず『DENGEKI』に期待です。

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『A.I.』

 監督:スティーブン・スピルバーグ
 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント ジュード・ロウ

 2001年夏、大作ラッシュの夏の目玉の一つ! スピルバーグがキューブリックの遺作を映画化!

 既存のロボットの概念を越え、愛を入力されて生まれた少年型ロボット、デイビッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)。一生成長することもなく、母親だけを愛し続ける事をプログラムされたアンドロイドである。だが、彼が愛する事をプログラムされた母親の元に、冷凍保存され甦るはずがなかった実の息子が生還した時、悲劇の歯車は回りはじめる。息子の代用品としての彼の存在価値は失われ、デイビッドは捨てられる。廃棄処分にされかけた彼は、共に廃棄されそうになっていたセックスマシーンのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)と共に、かつて読み聞かされた『ピノキオ』の物語に登場したブルーフェアリーを探し求める旅に出るが……。

 さてさて、上段の2作品を立て続けに観てしまったせいで、どうにもこうにもまともな映画が観たくてしようがなかったのですが、さすがにスピルバーグ、ここまで映画らしい映画を作るのも彼ぐらいのものでしょう。十全に効果が計算され、観る者に瞬間瞬間のインパクトを与える一つ一つの映像作りは素晴らしいです。もちろん予算もかかってますが、ただCGを作っただけではあれほどの効果はあげられないでしょう。脚本と演出がしっかりと噛み合った結果です。

 しかし、どうにも今作は色々と御都合主義な匂いが鼻をつきました。ハーレイ演ずる主人公デイビッドは、史上初めて人工知能によって「愛」という感情を獲得した少年……という設定ですが、劇中で「愛があれば憎しみもあるはず」という台詞があるように、果たしてそう都合良くインプットされた対象を永遠に愛し続けるだけの存在を創りだせるのか?というのがまず疑問でした。学習し独自に知識を集積し変化、発展を遂げていくのが、人工知能を搭載したアンドロイドと、プログラムにそって動くだけのアンドロイドとの違いだと認識していたのですが、人間の成長が生理的な成長と切り離せない関係にあるとはいえ、身体が成長しないというだけで知能が成長していくだけでも、それにつれて「愛」は対象を変え方向を変え形を変えていくものではないのでしょうか? デイビッドは作中で、自分と同じモデルのアンドロイドと接触することで「憎しみ」を知り、それを破壊することで自己のアイデンティティを獲得し、また直後に無数に生産される「デイビッド」を観た事でそれを失いますが、かくも大きな感情の動きを見せる存在が、果たして単純明快に「母」のみを愛し続けるという事がありえるのでしょうか? このデイビッドが母に対して抱いている「愛」がいかなる事態が起きようが不変の物だとすると、それは単なるプログラムだということに他なりません。タイトルの人工知能は意味を失い、デイビッドは作中で次々と廃棄されていくロボットと同列の存在に堕することになります。

 作中における愛の対象となる「母」は多分に人間的な存在として描かれています。難病のためコールドスリープされ生還の望みのない実の息子に代えて、自分を愛するようにプログラムされたデイビッドに愛を注ぎますが、奇跡が起きて息子が甦った後は、徐々に自分達人間とあまりに違うデイビッドを疎ましく思うまではいかないものの愛することが出来なくなり、最後には捨てることを選択します。が、「母」の愛を求めるデイビッドを描いた後半の展開を支えるためか、ここらあたりの展開が実に恣意的。「子供」を捨てるなどそもそも人間性としては言語道断の行為ですが、作者は彼女を悪い人間としては描きません。実の子の生還という奇跡、母に隠れて継子であるロボットを虐る実の子、プログラムされた痛覚による思わぬ事故など、母の関与せぬところで事態は悪化していきます。偶然の重なりが不幸を呼ぶというのは、決してない事ではないでしょうが、「人間」と「ロボット」は相容れない存在なのか、という命題を扱うべき作品であろうこの映画は、その主題を回避して御都合主義によってストーリーを展開させました。

 愛するに値しない人間をプログラムによって「愛」し続ける機械人形の悲劇、として見るならばもっと乾いた展開が考えられたでしょうが、この映画はそういった形を取りません。御都合主義で偶然を重ねた描き方を取る事で絶対視された「母性」に無惨な人間性を露出させず、変化、成長するはずの人工知能に「永遠の愛」を抱かせる事で「母を求める子」という存在を神格化させ、両者が結ばれないのは不自然かつ悲劇的、という認識を作り上げます。

 「子」というのは、自己の唯一性が崩壊してもブルーフェアリーという偶像が瓦解しても、まだなお「母」を求め続けなければならないものなのでしょうか? 彼はその「母」にもすでに捨てられた存在なのに? 「アンドロイド」というのは、そこまでして「人間」になることに固執しなければならないものなのでしょうか? 人工知能を備え、見方によっては人間を超越した存在になる事も可能なのに?

 数千年の時を経て、デイビッドは氷結した地球を支配した存在のクローン技術によって、たった一日だけ甦ることを許された母と再会し、自らが死んでまた甦ったことを認識していない彼女と、そのわずか一日を彼女のただ一人の子供として幸せに過ごします。なるほど、「母」を人間的に低劣な存在として描いてしまっては、このラストにはつながりません。結局はこのラストにつなげるために、ここまでの展開の全てはあったのです。生き別れの「母」と「子」の再会……ごちそうさまでした。御都合主義のフルコース、締めは「泣かせ」のソースのたっぷりかかった特大のステーキです。胃もたれします。

 それでも、二人はこの後も幸せに暮らしましたとさ……で締めくくれば、よくあるバカな感動系超大作として終わったのですが、どっこいそうは生きません。甦った母親が生きていられるのは、たった一日だけ。え?なんで?なぜなら人間には「宇宙時間」というものがあり、その値は常に一定で一度消費されれば二度と甦る事はないから。数千年の時を経て人間が死に絶えた後も地球を支配した存在はそれらを追い求めている……………???…………????…………意味不明な理屈ですが、これ「魂」という言葉に置き換えても、まあ間違いではないと思われます。ラストに提示されたのはあらかじめ決定された、アンドロイドが決して獲得できない、「人間」の絶対的優位性でした。ロボットは絶対に人間と同質の存在になれないという定義付けが、そこにいたる一切の伏線もないままに、突如作り手から示された時、私は言葉を失いました。

 一面的で権威的かつベタな価値観によって閉ざされ、作り手の意思による恣意的御都合主義で歪められた時空を彷徨するデイビッド……哀れです。あまりに哀れです。「母親」のいる「人間の子供」は幸せで「母親」のいない「ロボットの子供」は不幸せ……そういった定義がはっきりし、それに代わる価値観も見出せない世界で、じゃあロボットに生まれたやつはどうすりゃええんじゃい! スピルバーグは幾多のマイノリティの悲劇を描いてきたはずですが、今作では驚くべき事に、「人間」という不可侵の存在、マジョリティとしての安全な高所から、その悲劇性を鑑賞し、同情する自分に酔って楽しむという、悪趣味極まりない映画を作り上げました。ちょっとはデイビッドの身にもなれよ……。

 人よ、安易に涙するな! 己の傲慢を知れ! 「巨匠」が作中の登場人物に描く事を恐れて避けた「無惨なる人間性」を知らず知らずの内に自ら露呈した、天下の愚作です。

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『ダンジョン&ドラゴン』

 監督:コートニー・ソロモン
 出演:ジャスティン・ワリン ゾー・マクラーレン マーロン・ウェイアンズ ソーラ・バーチ ジェレミー・アイアンズ ブルース・ペイン

 テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、映画化! しかしこの邦題、だささの極致ですな。

 メイジ(魔導師)によって支配されたイズメール王国の女王サヴィーナ(ソーラ・バーチ)は、貴族階級と平民との平等を願っていたが、宰相プロフィオン(ジェレミー・アイアンズ)はそれをよしとせず、伝説のサブリールの杖を手に入れ、レッド・ドラゴンを操って王国を支配することを企む。杖の秘密を調べていた女王配下の魔術師ヴィルダンを、プロフィオンは部下のダモダー(ブルース・ペイン)を使って殺害するが、杖の在り処を示した古文書を持って、ヴィルダンの弟子のマリーナ(ゾー・マクラーレン)は居合わせた平民の盗賊リドリー(ジャスティン・ワリン)とスネイルズ(マーロン・ウェイアンズ)の二人とともに逃亡する。ダモダーの追跡を逃れ、通りすがりのドワーフや女王旗下のエルフと共に、三人はサブリールの杖を探し求めるが……。

 さて、私、幼少の頃『火吹山の魔法使い』『ソーサリー』などを初めとするゲームブックにはまり、また関連してテーブルトークRPGの『トンネルズ&トロールズ』『ソードワールドRPG』にもはまっていたこともあり、エルフやドワーフ、ゴブリンなどが人間に混じって闊歩する剣と魔法の世界を映画化することをずっと心待ちにしていました。

 かつての名作『アルゴ探検隊の大冒険』や記憶に新しい『ドラゴンハート』などもファンタジックな世界観を持ち合わせていますが、前者は『D&D』成立以前のギリシャ神話をモチーフにした作品であり、後者は世界観にドラゴン以外にファンタジックな要素が感じられなかった事があり、それなりに面白いとは言え私の期待とは懸け離れた物でした。

 そんな中、超大作級ではないとは言え、最新の技術でもってついに映画化された『D&D』、観てて不覚にも涙が出そうになりましたね。中世ヨーロッパを模した様式、人と共に生きる妖精たち、神秘に満ちた魔法、天空を駆ける竜の群れ、罠に満ちた迷宮、どれ一つとっても一本の映画に仕上がる題材ですが、これらを全て内包した『D&D』ひいてはロールプレイングゲームの懐の深さ、奥行きの深さがこの一本の映画からきっちりと感じられたからです。意味もなく一瞬だけ画面を横切るビホールダーなどは、それをアピールするためだけに登場したとさえ言えるほど。

 恐怖の悪役俳優ジェレミー・アイアンズとブルース・ペイン(『パッセンジャー57』『シュリンジ』『スウィーパーズ』)の共演も楽しい、ファンタジックな佳作。SFXなどまだまだ作り込める部分もありますが、暖かい目で見守りたい。製作者にはRPGの原点とも言える遊び心と探究心をこれからも追求していって欲しいですね。

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『ウルトラマンコスモス』

 監督:飯島敏宏
 特技監督:佐川和夫
 出演:赤井英和 東海孝之助 川野太郎 風見しんご 舞の海 中山エミリ 高橋ひとみ 藤村俊二 渡辺いっけい

 TVシリーズと同時スタート。『ウルトラマンティガ』以来、久々の劇場版です。

 崩壊した母星に代えて地球を第二の故郷とすべく飛来したバルタン星人を追って、同じく地球にやってきたウルトラマンコスモス。宇宙空間、成層圏での激闘の末、光のエネルギーを使い果たしたコスモスは日本に不時着する。近所の少年ムサシ(東海孝之助)に助けられたウルトラマンコスモスは、彼を勇気あるものと認め、謎の輝石を託す。同じ頃、バルタン星人もまた地球人に接触し、地球への移住を求めようとしていた……。

 さてバルタン星人と言えば、もはやウルトラファンにとっては伝説的存在の宇宙忍者。数々の怪光線や代名詞的存在である分身の術、一度は初代ウルトラマンの必殺技を打ち破ったスペルゲン反射板といった防御能力など、戦闘能力面ではもちろんの事ながら、その蝉をモチーフにした頭部と巨大なハサミを持つ特異なデザインも持ち合わせ、初代以降も姿を変えて後のシリーズに登場し続けた、まさにウルトラマンの永遠のライバルであります。

 が、『ウルトラマン80』であった、地球のTV電波を傍受し日本語を勉強しているという設定を踏襲して、今作のバルタン星人も地球のTVを見て興味を持ち、滅んだ星の代わりに地球を手に入れるべくやって来たという設定をとっています。かつてのあまりにも地球人類とはかけ離れた存在として描かれたバルタンのイメージで見ると、あまりに人間的で、いささか白けます。おまけにバルタンには地球を力で制圧しようとする大人と、自らの星で平穏に暮らす事を望む子供の二派がおり、作中で語られるのは「人間はバルタン星人ともわかりあえる」というテーマ……う〜ん、いや、いい話だと思いますけどね……しかし人間の常識の範疇で、異星に棲む存在とさえわかりあえるというのは、むしろ傲慢さの方を感じてしまうんですが……。人智を越えた存在として、畏怖とともにどこか羨望すら抱かせる、バルタン星人とはそういった神話性を備えた名キャラクターだったと思うんですけどね……。

 作中の義理の父赤井英和(職業は警察官)(当然一人関西弁)と主人公の夢見がちな少年の親子関係や、味噌もくそもなく宇宙人排除を叫びやたらとバルタンを攻撃しメタクソにやられる防衛軍司令など、わかりやすすぎかつ陳腐な設定は、観ている私を興醒めさせる要素充分でした。

 ですが、見所もあり。冒頭の宇宙空間で激突するバルタン対ウルトラマンの戦闘シーンや、地球に降りてからの防衛軍によるバルタン攻撃、最後のネオ・バルタンとウルトラマンの対決など、いくつかある戦闘シーンが、全て余計な説明なしに映像のみで描かれているところが良かったです。映像としては平面的な画面作りや重量感を感じさせないところなど課題は多いと思いますが、脚本段階で余計な解説セリフなどを入れず、テンポよく展開させています。バルタンが三種類の光線を使い分けて防衛軍の戦闘機を撃墜するシーンがありますが、破壊光線、冷凍光線、重力波という風に撃ち分けているのが、三様に破壊される戦闘機の映像を見ただけでわかります。また、バルタンが戦闘形態へ変化するシーンなども、特に前フリすることもなく、突如変身。ここで「戦闘モードに変化したんだ!」「言わばネオ・バルタン」なんていうセリフを登場人物が吐いたりすると、「見ればわかるんだよ!」「勝手に名付けるな!」と叫びたくなるところですが、ありがたいことにそういう説明はなし。映像で説明するのは言うなれば映画の基本、当たり前のことなので褒めるべきではないのかも知れませんが、近年のゴジラ映画がその当然の事が出来ずに脚本段階から説明過多でうるさいのを思うと、ついつい賞賛したくなります。

 そしてもう一つ。格闘シーンにおいて、バルタンの攻撃を防御し捌くウルトラマン……見ていて思わず、叫びそうになりました。なんとここでのディフェンスが打撃を肘で受け流し払う、カンフーのスタイルなのです! おまけになんか妙に「鶴の構え」っぽい動作があるし……。近年再びブルース・リーがブームですが、この振り付けやった人もファンなのかな……と言うか武術指導とかいるのか? 今一つ芸がなかったウルトラマンシリーズの格闘シーンが、近頃のカンフーブームで変わるとしたら、カンフー映画オタクとしては嬉しい限りですね。

 テーマ性やストーリーが感心しなかった反面、その部分を省いても観られたのは収穫でした。今後もしかしたら、話なんかどうでもいい、もっとハイスピードでイケイケのバトル映画が観られるんじゃないかと期待を持たせられました。そういう素地がある事を確認できただけでも、この「映画」には価値がある、そう信じています。

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『ドリフト』

 監督:ツイ・ハーク
 出演:ニコラス・ツェー ウー・バイ キャンディ・ロー アンソニー・ウォン

 とうとうハリウッドを離れ、香港へ帰ってしまいました。ツイ・ハーク監督、久々の新作です。

 香港でバーテンダーをしている21歳のタイラー(ニコラス・ツェー)は、ある夜レズビアンのウォンという女と意気投合して飲み比べ、泥酔して帰宅し、女とともに朝を迎える。素性のわからぬ女の荷物を見てみると、なんと職業は麻薬課の刑事。二人とも部屋に戻って以降の記憶は全くなく、自分が男と寝たかもしれないという事にショックを受けたウォンはタイラーに拳銃を突き付けてぶん殴った後に飛び出していく。そして9ヶ月後、ウォンが妊娠し刑事をやめた事を知ったタイラーは、責任を感じ高利貸のアンクル・ジー(アンソニー・ウォン)の経営する無認可の警備会社に就職し、金を稼ごうとする。ある日、義理の父への贈り物にオルゴールを買いに来た南米帰りのジャック(ウー・バイ)という男とタイラーは親しくなる。奇しくもジャックの義父の警備につくことになったタイラーは、ますます彼と友情を深めていく。だが、かつて南米の傭兵組織に所属していたジャックに、昔の仲間が接触し、マフィアである義父の殺害を迫る。組織のボスを逆に狙撃するジャック。常識を越えた戦闘のプロたちの戦いにタイラーは否応無しに巻き込まれていく。

 『ダブル・チーム』『ノック・オフ』とハリウッドでジャン・クロード・ヴァン・ダムを主演に、二作品を撮ったツイ・ハークでしたが、作品の出来はともかく興行的には惨敗で、アメリカでは成功しませんでした。しかしそれなりにパイプは作ったようで、香港に帰っても資本はハリウッドで映画を作っています。その第一弾がこの『ドリフト』。映画が始まって最初にコロンビアのロゴが出た時には、映画館を間違えたかと思いました。

 さて注目すべきは、南米の傭兵組織に所属していた元殺し屋役のウー・バイ。この人、冒頭はオモチャ屋相手にペテンをやってオルゴールを巻き上げ、自分を嫌っている義理のお父さんに誕生日プレゼントとして贈る、というせこい事をやる人として登場。金持ちの娘と無理矢理結婚した貧乏人で、しかもなんか顔が変。猿っぽいというかTMRの西川をアジアっぽくアレンジして可愛げなくしたような顔、と言えばわかるでしょうか(全然わかんねえって!)。いったいこいつ、どういう役柄で話に絡むのだろうか……と思っていたら、身重の妻を守ってかつて所属していた組織と仲間に反抗し、暗殺者の超絶テクを見せつけまくっていきなり主役化! 意気込みに実力が伴わない(演技のことじゃないよ。キャラの話)もう一人の主役ニコラス・ツェーをカバーして余りある大活躍!

 アクション指導はもちろんツイ・ハーク長年の盟友、熊欣欣(ジャン・シンシン)! 九龍城の超高層マンションの壁面をロープでぶら下がって駆け降りながら銃撃戦を展開するという発狂寸前のアクションをぶちかまし、得意のワイヤーワークとスタンドインをまさに自由自在に駆使! これだけアクションを徹底的にやるからこそ、ウー・バイの(あの顔で)凄腕の殺し屋という設定にも説得力が出るんですね。そうこうして映画に引き込まれてしまった頃には、変な顔だった彼もとてつもなくクールにカッコよく見えてしまう。まさにムービー・マジック! さて、そのウー・バイという人、他の映画では観た事がなかったのですが、実は役者やるのはまだ二度目で、本業は台湾のロック歌手。しかもライブ王と呼ばれるスーパースターである事がパンフレット読んで判明! しかも挿入歌まで歌ってるよ……あんな変なお顔でライブ王なんだ……やっぱり男のカッコよさって顔じゃないんですね、要は演出ですよ。

 その演出を手掛けたのはツイ・ハーク、今作でまさしく完全復活を遂げました。愛する女と今だ世に出ぬ子のために疾走する二人の男の友情、出口のない明日に抗う彼らの闘いをスタイリッシュなアクションとノワールっぽい設定を絡めて描き、現代アクションの傑作を完成させました。非常にしゃれた映画です。香港映画ファン必見です!

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『パールハーバー』

 監督:マイケル・ベイ
 出演:ベン・アフレック ジョシュ・ハートネット ケイト・ベッキンセール

 2001年超大作揃いのサマー・ムービー観賞メモ第二弾! 

 第二次世界大戦にアメリカが参戦する以前、陸軍航空隊の若きパイロット、レイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)の二人は配属地である真珠湾で、パイロット適性を試す検査の際に知り合った看護婦イヴリン(ケイト・ベッキンセール)と平穏な日々を過ごしていた。ある日、レイフは戦地ヨーロッパへ配属される事が決まり、恋人となったイヴリンと離れ戦場に赴く。しかし、彼の帰りを待つダニーとイヴリンの元へ届けられたのは、戦死の知らせだった。傷付いたイヴリンはダニーに慰めを求め、やがて二人は結ばれる。だが、実は生きていたレイフがひょっこり帰ってくると事態は泥沼化。レイフとダニーは酔っぱらって大げんかをやらかす。わだかまりが解けぬまま翌朝を迎えた三人。その穏やかさに満ちたパールハーバーの朝を、日本軍の零戦の大編隊による奇襲作戦が襲った。三人の生死は、そして恋の行方は……?

 さて、公開前は何かと物議を醸したこの映画ですが、結果としてはこれがいい宣伝になったか『A.I.』に負けず劣らずの大ヒット。確かに宣伝展開には物凄いお金がかかってそうですし、予告編のインパクトも凄い。予告において零戦から投下された爆弾を視点を上空に代えて追うショットは、初めて観た時はほんとに鳥肌が立ちました。「『タイタニック』を意識して作られている」という話も何かで読みましたが、なるほど、予告中で空母が傾いて沈みそうになっている……。

 さてさて本編。冒頭は恋愛もので、主人公達が離ればなれになり男二人の片割れベン・アフレックが行方不明になり、残った男ジョシュ・ハートネットがケイト・ベッキンセールとできてしまい、しかしアフレックが帰ってきて三角関係に……う〜ん、激しくどうでもいい話ですね……。またこの恋愛部分に関しては先が見え過ぎる程見えてしまうため、どうしたって白けます。この場合、女を孕ませた方が死ぬに決まってるしね……。史上最大のアホ、おまけに文盲(文盲だからアホといっているのではない。念のため)として描かれたベン・アフレックと、彼とジョシュの子供時代から続く友情話や、最初から同僚とともにかなりノリの軽いキャラとして描かれた看護婦ベッキンセールとの出会いなど、最初はまあ面白いんですが……。

 続きましてお楽しみの真珠湾爆撃シーン。零戦の大編隊が真珠湾上空を埋めつくし、機銃掃射と猛爆撃で空母と戦艦を人間もろともドカンドカンと沈め、兵器工場や病院にも攻撃を加え死体の山を築き上げます。う〜む、当初予想してたよりもかなり生々しく、驚きました。もっと戦術シミュレーションっぽく離れた視点で撮るかと思いきや、かなりの臨場感があるためむしろお楽しめないんです。爆風で天高く舞い上げられる兵士や、攻撃が終わった後の湾内にぷかぷかと浮いた大量の死体……。病院での治療シーンにぼかしが入ってるとはいえ、これもPG-12ぐらいの指定はついてよさそうなものですが……。二日酔いにアロハシャツで戦闘機に乗り込む主人公二人の、どっちかがここで死んでもおかしくないぐらいの頼り無さも合わせて、かなり緊張させられます。むろん映画ですから演出も誇張もあるんでしょうが、それを知っているからと言って作中で描かれた死の重みはそう簡単に軽くならない。映像的興奮に満ちているにも関わらずカタルシスゼロという、複雑な心境に陥った私。あまり楽しい映画ではないですね、これは……。いや、楽しいわけがない「戦争」という行為を大変な予算と技術でもって真っ向から楽しくなく描いたこの真珠湾攻撃のシーンは、もしかして傑作なんじゃあないでしょうか。

 さて、この映画ここからが長い。真珠湾の報復として東京に爆撃をかける作戦を大統領命令で実行することになり、アレック・ボールドウィン隊長の下、二人の主人公も志願。爆撃に到るまでの訓練を長々とやったり、男二人は仲直りしたり、必要なのかもしれませんが、メインタイトルの『パールハーバー』攻撃作戦のシーン(つまり一番いいとこ)をもうやっちゃったので、どうも蛇足の感が否めない。だらだらと続く先の見えた恋愛話と合わせて、あまりに退屈です。結局、真珠湾攻撃のシーンを除けば、後は単なる面白くない映画でした。

 ちょっとスタイルを変えて、小ネタをピックアップ。「日本軍に関する歴史的考察がおかしい」という指摘は随分なされていたようですが、なるほど、野原で作戦会議をして横っちょに「尊皇」印ののぼりが立っているシーンはたしかに失笑もの。日本軍のメインキャストがマコ岩松とケーリー・ヒロユキ・タガワってのも……ベタだ……『ライジング・サン』のお二人じゃないですか……これでショー・コスギも出てたら完璧だったんですがね。しかしそれ以上に笑ったのは、艦隊の中で寝起きしている日本兵が、軍服を脱いだらふんどし姿であったこと! わっはっは、この描き方はひどい……と一瞬思いかけましたが、よくよく考えたら当時の日本人はみんなふんどしですよね? つまりここの歴史考証は間違っていないことになる! つい笑ってしまいましたが、いかに自分が西洋文化に毒されているかがよくわかりました。ハワイのアメリカ人達は40年代でもやっぱりアロハで見た目別に変とは感じませんでしたが、正しく当時の風俗を再現したふんどし姿を笑ってしまった私に、歴史考証に関していちゃもんをつける資格はないですね。

 時間を戻して、ベン・アフレック出征前夜。戦地へ旅立つ前に兵士達は残していく恋人と一夜を過ごします……が、あろうことか主人公ベン・アフレックは「おれはそんな男じゃない」「君の温もりを夢見て行きたいんだ」などと言って、けっきょくベッキンセールを抱かずに旅立ちます。てめえみてえなスケベ面が、んな事言っても説得力ねえよ、というツッコミはさておき、同じようなシーンを思い出しました。『聞け、わだつみの声』において赤紙をもらった主人公が、出征前夜に幼馴染みと結婚し初夜を迎えるんですが、結局「おれは死ぬかも知れない。おまえにはきれいな身体でいてほしいんだ」という意味の事を言って、彼女を抱かずに旅立ちます……おお、似てますね。いっしょじゃないですか。後の展開はだいぶん違いましたが。

 前段を踏まえて、最後の方のあるシーン。アレック・ボールドウィン隊長の下で訓練を受けた二人の主人公は、いよいよ爆撃機に乗って空母を飛び立ちます。目標は東京への直接爆撃。空母を沈められる危険を避けるため、爆撃後は帰還することなく日本国土を飛び越え中国大陸に不時着、当然燃料は片道分、それでもかなりの量が必要なためいらないものは爆弾以外機銃さえも積み込まずに出撃、爆弾を落としたらあとはまっしぐらに逃げて中国へ、しかし首尾よく不時着できたとしても当時の中国には日本兵がうようよいます。……パイロットに対してはほとんど死ねと言ってるも同然の作戦です。しかしボールドウィン隊長は主人公たちを指してこう言います。「国のために命を賭ける若い奴らがいる。奴らがいるからこそ希望が持てるんです」。自分に酔った「お馴染みの」安いヒロイズムですね。これをやられるといっぺんに嘘臭くなるんですよね。「またか」という感じでうんざりです、こういうの。……?……あれ?……なぜ「お馴染み」と感じたんでしょうか。何か他に、これに似た作戦でも知ってたっけ? ええ、もちろん知ってますね。「特攻隊」ですよ。「神風」です。帰りの燃料無しでボロ飛行機に爆弾積んで突撃したあれと、そっくりじゃないですか……「お国のため、天皇のため、君らの命が明日への礎となる」……ってな感じの事をやっぱり言ってたんでしょうね。

 妻を抱かずに戦地へ赴くストイックさ、そして国家のため命を捨てる武士道とでも言うべき精神性……なんだか今までこれらは日本人の専売特許のように思ってました。日本人のアイデンティティ、日本人にしかない気高き精神、てなニュアンスが「特攻隊」には常に込められているように感じてました。が、何てことはない。アメリカさんもやってるやないですか。同じような「国威発揚」的映画を同じように撮ったら、かくも同じようになってしまうというのは少々意外であり、また失望もしました。かつての戦争にアメリカは「勝ち」、日本は「負けた」わけですが、かかる結果が出た事に対しては何か決定的な差があるように、今まで漠然と感じていたのです。つまり日本の「武士道精神、特攻隊精神、神風精神」ではどうひっくり返ってもかなわない、根源的な精神的優越性がアメリカとアメリカ人にはあるのかな、と思っていたのです。しかしこの映画を観て(たかが映画というなかれ。これこそが時代の鑑かもしれないのだ)、どうやらそれは幻想に過ぎなかったらしい事がわかりました。相手のアメリカさんも同じような事を考えて同じように戦っていたようです。……では当然の疑問として、じゃあなぜ日本は戦争に負けたんだ?……今、私が思い付く答えは「技術と物量の差」だけです。この面で上回れば、日本は勝っていたのかもしれません……でも、こう考える事こそが「血へどを吐きながら続ける悲しいマラソン」を人類に続けさせる温床なのでしょう。

 恋愛ものなんだから「アメリカは愛の力で戦争に勝ちました」とでも言ってれば、もうちょっと面白くなったのではないかなあ……。とりあえず3時間、それほど退屈はしませんでした。だが脚本ランダル・ウォレスはやっぱり時代物の脚本でも書いとれ。愚作というよりは駄作です。

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『猿の惑星』

 監督:ティム・バートン
 出演:マーク・ウォールバーグ ティム・ロス ヘレナ・ボナム・カーター エステラ・ウォーレン マイケル・クラーク・ダンカン ケーリ−・ヒロユキ・タガワ

 大作サマー・ムービー観賞メモ第三弾!

 アメリカ空軍所属の辺境の宇宙ステーションで、遺伝子操作によって知能の向上したチンパンジーの訓練にあたる宇宙飛行士レオ(マーク・ウォールバーグ)。しかし謎のプラズマ現象を偵察するためにポッドで射出されたチンパンジーが行方不明になり、レオはそれを追って自分もポッドで出撃するも、コントロールを失い、謎の惑星に不時着する。そこは、高度に進化した猿人が支配する、『猿の惑星』だった。

 監督の前作『スリーピー・ホロウ』で感動のあまり大泣きした私としましては、今作もかなり期待しておりました。予告編はなかなか燃えるし、お得意のゴシック趣味も相変わらず好調のようだし……。

 冒頭の宇宙ステーションのシーン、演出は上手いですが、ど〜も後の豪華絢爛な猿の星を考えると、いまいちやる気を感じさせません。エド・ウッドファンな人ですからしようがないんでしょうけど。遺伝子手術を受けて賢くなったチンパンジーが多数登場し、おそらくこれは後の伏線になってるんだろうなあ、と思わせてくれます……が、ここんとこ、もう少しさりげなく出来なかったのか? 後述しますが、どうも全体的に脚本が良くないんじゃないでしょうか。最後にサプライズを持ってくる事にこだわり過ぎた結果か、あるいはオリジナルの呪縛ゆえか。

 惑星不時着後、猿が登場。ティム・ロス、マイケル・クラーク・ダンカン、ケーリ−・ヒロユキ・タガワなど、みなメイクしているのにどれが本人かすぐわかるのが面白い。特にティム・ロスの演技は怒りやなごみの表情を巧みに演じ分け、素晴らしいの一言です。ヘレナ・ボナム・カーターのメス猿も面白い。それに対する人間側のキャラクターはどうも精彩を欠きます。高度に進化した猿と文明を失い退化しかけた人間ですから、あえてそういう風に演出しようとしているのかもしれませんが、ヒロインかと思っていたエステラ・ウォーレンが台詞も少ないし、単なるムチムチ系のバカ女。代わりにヘレナ・ボナム・カーターの方が頭はいい。でも猿。主役のはずのマーク・ウォールバーグにも、いまいち共感できる要素がなく、最後に惑星を脱出する必然性やティム・ロス演ずるセイド将軍へのアンチテーゼも感じられず。猿と人間との対立に白人対黒人の構造を重ね合わせたからか、「人」と「それ以外の種」との共存は可能かというSFにおける重要なテーマが盛り込めなかったのも、展開に盛り上がりを欠く理由の一つでしょう。

 アクションシーンも面白味に欠けますし、どうも見るべきところがないなあ。伏線が見え透いているため、だいたいこんな展開だろうという範囲の想像がつくせいか、世界観にも広がりが感じられません。ティム・バートンの世界設定の構築法では、「ゴッサムシティ」や「オレ(バートン本人)の嫌いなアメリカ」「首無し騎士伝説の伝わる寒村」など、コンパクトにまとまった作品を描く場合には有効に生きるようですが、大作感やスケールを求めると失敗するようです。

 一番面白かったのが、マーク・ウォールバーグが行方不明になったチンパンジーを救うために単身出撃するところだ、と職場で言ったら笑われました。ラストは自由の女神が○○だった方が良かったなあ。ちょっと退屈な凡作でした。

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『電撃 DENGEKI』

 監督:アンジェイ・バートコウィアク
 出演:スティーブン・セガール DMX マイケル・ジェイ・ホワイト

 今年二本目! セガール先生主演作!

 テロリストに襲撃された副大統領を見事救出するも、やり過ぎが災いして15分署に左遷されたボイド刑事(スティーブン・セガール)。女性上司の命令でセラピーに通ったり交通整理をしたりとさえない日々を送っていたが、ある日麻薬取引の現場に踏み込んだ事から、警察内部にはびこる不正を知る。

 『沈黙のテロリスト』のあまりにヘたれた出来には、日本中のセガールファンが失望したと思われますが、その分、全米ナンバー1大ヒットの看板を背負って登場した今作への期待は大きい!(ちなみに『沈テロ』は米ではオクラ入りビデオリリースのみ) 製作は『マトリックス』のジョエル・シルバー、監督は『ロミオ・マスト・ダイ』のアンジェイ・バートコウィアク、武術指導は『レジェンド・オブ・ヒーロー 中華英雄』のラム・ディオンがこれまた『ロミオ・マスト・ダイ』に引き続き担当。さて、この三作品に共通するものが何かと申しますと……そう、CGを織りまぜたワイヤー・アクションですね。

 セガール主演のアクション映画なんですから、取りあえずはセガールの代名詞とも言える切れのいいアクションを、当然期待したんですが、これがなんとも……。過去の作品でリアルファイトに徹し、合気道やナイフ捌き、グラウンドでの関節技などをメインのスタイルにしてきたセガールが、突然重力無視のワイヤー回し蹴りなど繰り出しても、違和感ばかりがつきまといます。確かに以前と同じ事ばかりやってれば旧来のファンは満足しますが、それだけでは新しい魅力を持った作品は生まれない。それはわかるんですが、だからと言ってジェット・リ−と同じ事をやってもしようがないでしょう。実際セガールの巨体が宙を舞っても、ジェットのような切れ味やスタイルがなく、また彼の肉体自体がそういう訓練を受けていないため、どうにも不格好。近年のアクション映画に強く求められて来たスタイリッシュさが感じられません。

 また、落ちこぼれデカという設定でより人間味あるキャラクターを演じるセガールですが、結局は『キンダーガートン・コップ』『ツインズ』のシュワルツェネッガ−や『刑事ジョ− ママにお手上げ』のスタローンが面白くもないコメディをだらだらやったのと同じく、見るべきところはなし。過去のアクションスターと全くとは言えないまでもひと味違う無敵性を、ファイトスタイルとキャラクター設定の両面から固め、独自の地位を築き上げてきたセガールが、その両方で路線を変更した時、残るのは既成の作品をなぞった形骸だけなんですね。

 それでも他のキャストやストーリーが充実していれば、「セガール映画」としてでは無理でも「アクション映画」として楽しめるはずなんですが、余計なキャラクタ−に余計な見せ場を与え、無難にストーリーの筋を追い続ける脚本では、どうしようもない。『ロミオ・マスト・ダイ』と同じくアクションの総量自体はそう多くない上に、誰にでも出来るカーチェイスや銃撃戦などがさらに半数を占めていては、飽き飽きです。最後の対決も、わざわざ格闘シーンもこなせるマイケル・ジェイ・ホワイトを持って来たにも関わらず、チャンバラで決着をつけずに……ふう……いやネタバレはよそう……。

 星の数ほど作られてきたありきたりの刑事物アクションに、セガールという看板を掲げただけの映画でした。誰が主演でも出来ただろ、これ……。

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『ジュラシック・パーク3』

 監督:ジョ−・ジョンストン
 出演:サム・ニ−ル ティア・レオーニ ウィリアム・H・メイシー

 ぼちぼち息切れしそうです、大作サマームービー観賞メモ第四弾!

 かつての恋人(ローラ・ダーン)にも逃げられ、グラント博士(サム・ニ−ル)は相変わらずうだつのあがらない毎日。研究は認められず、発掘の予算もなく、たまの講演でも質問はかつての『ジュラシック・パーク』事件の事ばかり。そんな彼に謎の大富豪夫婦(ティア・レオーニ&ウィリアム・H・メイシー)が恐竜島のガイドを持ちかけてくる。小切手に目がくらみ、また島の上空を飛ぶだけだと言う彼らの言葉に乗せられ引き受けた博士だったが、夫妻の本当の目的は、島にパラグライダーで不時着した息子を探し出す事だった……。

 シリーズも三作目ともなると、背景説明もなしでいきなり恐竜の存在を前提に話が始まります。いちいち前作までのおさらいをされてもかなわんので、こういうスピード感は買いますが。前作までを観ている人ならサム・ニ−ルの再登場や、一部の設定や台詞などに思い出をくすぐられる事でしょう。今作はしかし背景説明はおろか、前作までの恐竜の存在意義を問うたテーマ性なども一切語られず、ただひたすら島内の追いかけっこにのみ終始。世界観は共通ですが、ストーリー面では続編というよりも「外伝」とでも呼んだ方がふさわしいように思われます。

 登場人物もサム・ニ−ルを除くとごくごく一般的な庶民ばかりで、『ジュラシック・パーク』を作った側の人間は登場しません。よって作中の人間ドラマは壊れつつあった夫婦の絆の回復や師弟関係など、実に地味な内容ばかりです。ある意味リアルとさえ言える描写の連続には、正統派なB級モンスターパニックの香りすら感じてしまいます。

 ストーリーにメリハリも起伏もなく、クライマックスさえないのはかなり疑問。これさえクリアしていればもう少し楽しめただろうに……。恐竜のCGの緻密さは素晴らしく、一体一体模様が違うラプトルには感動さえ覚えましたが、まあそれだけの映画。よくも悪くもポップコーン・ムービーですね。しかし設定も話もまったく一緒で、タイトルだけ『カルノザウルス』にしても大して違和感はないだろうなあ。

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『ドリヴン』

 監督:レニー・ハーリン
 出演:シルベスター・スタローン キップ・パルデュー エステラ・ウォーレン ティル・シュワイガー バート・レイノルズ

 いい加減やんなって来ましたがまだまだ行きます、大作サマームービー観賞メモ第五弾!

 時速400キロを超えるF1レースの世界。ディフェンディングチャンピオンである実力派レーサーのブランデンバーグ(ティル・シュワイガー)を倒すべくグランプリ前半において快調な走りを見せていた新星ジミー・ブライ(キップ・パルデュー)だったが、新人特有のプレッシャーから中盤は思うような走りが出来ないでいた。見兼ねたチームの指導者は、一線を退いていたベテランレーサーであるジョー・タント(シルベスター・スタローン)を呼び寄せ、サポート役にあたらせる。

 この映画、脚本書いてるのがスタローン本人なんですね。そう聞いただけでもう、やばい!いかん!どうにかしてくれ!おもしろいわけないだろう!と思ってしまいましたが、これが観てみるとそうでもない。やはり予断は禁物です。

 この映画、ストーリー展開は完全によくあるスポ根ものをなぞってます。愛あり、友情あり、努力あり、勝利あり、若き主人公とそれを守り立てるベテラン、ライバルの実力者、おまけの女性キャラ。しかしこれらを単に羅列しただけでは脚本は出来上がらない。単純ながらも起伏あるストーリー上にバランスよく配置して初めて「正統派スポ根ストーリー」が完成するのです。その点、この映画は充分にそれを満たしていたと言えるでしょう。キャストも地味ながら実力派揃いのようですし、細かいながらも伏線がきっちり張られています。また、本を書いたスタローン自身がもっと自己主張をしてくるかと思いきや、主人公やライバルのチャンピオンを事あるごとに捕まえて説教マシーンに変貌するくだりでも「レースを楽しむという若さの原点に帰れ」だの「お前が悪い。(女に)謝ってよりを戻せ」だのと、しごく青臭く真っ当な事しか言いません。よく作中の偉い人間に台詞で説教臭いテーマを語らせる脚本がありますが、そういった本にありがちな高所から見下ろした嫌味ったらしさがないことには好感を持ちました。

 スタローンのキャラクターも「いつの間にか年は食っちまったが、まだまだ現役。お前らには負けねえぜ」と言いつつも、レース土壇場でしゃにむに優勝を狙ったりしない、ごくごく控えめなキャラクターとして描かれています。レースという過程を楽しむという事を勝負度外視で優先させるというのは、近年になってようやく登場した考え方だと思いますが、若者への対抗意識ばかりを燃やしたイーストウッドの『スペースカウボーイ』などよりもむしろ好感が持てました。老人への差別を言われなき偏見として打破しようとした『スペースカウボーイ』が、脚本段階で若者を役立たずに描いて差別を再生産し、ある意味さもしさを感じさせる映画になってしまったのに対し、枯れた後の肩ひじ張らない生き方を模索した今作は、未だに西部劇のヒーローのままのイーストウッド的キャラクターに対する、もう『ランボー』でも『ロッキー』でもないスタローンのアンチテーゼとも受け取れるでしょう。実際のところは70歳すぎてるのにまだまだかっこつけようとするイーストウッド的なキャラクターの方が希有でしょうから、今作のスタローンの方が優れているとも正しいとも一概には言えませんが、あの「イタリアの種馬」がアカデミー賞監督クリント・イーストウッドよりも「枯れている」という事実は、外見のイメージと裏腹なだけになかなか感慨深いものがあります。

 作中、クラッシュした仲間のレーサーを、主人公キップ・パルデューがレースを放棄して助けに行くあたりはなかなかいいなあと思いましたが、トップを突っ走っていたライバルのチャンピオンまでが同じくレースを放棄して助けにいくあたりはちとやりすぎでしょうか。『ディープブルー』での復活を喜んでいたレニー・ハーリン監督のファンとしても、ハーリン印の大爆発が一ケ所でしか見られないのも寂しいです。しかし『60セカンズ』の項でも書いたハンドルさばきやアクセルの踏み込みなど、車を運転する描写がきっちり盛り込まれているあたりなどからも、ハーリンは雇われ仕事を問題なくこなしたと言えるでしょう。あちこちツッコミ所はありますが、まあバカ映画ですから容認したいと思います。

 しかしこの夏一番面白かったのが『キス・オブ・ザ・ドラゴン』とこれかあ……。予想外の結果だなあ……。

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