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   疑問の泡 1-40


 個人的に気になっている出来事を泡のように吐きだしてみました。
 怠惰にかつ気まぐれに時々調べたりしていますが、もし、「それ知ってる」「自分の場合はこうだよ」「こんなふうに思う」等ありましたら、御一報ください。気長に待っています。解答の得られたものは順次掲載していきます。

21.お逃げなさい、お嬢さん
22.ジュリアン・バーンズ「ここだけの話」
23.引田天功大脱出
24.缶詰と金属バット
25.自然食ナチス
26.アー・ユー・ヒューマンビーイング?マイケル
27.座りたいおじいさん
28.おとこ教室
29.ジジぬき
30.スキージャンプ
31.もみあげのかたち
32.近親相姦のタブー
33.天国への階段
34.エモーショナル・サーキット
35.ビジタル
36.アフリカのギター
37.タイム・アフター・タイム
38.ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
39.ビョーク
40.ロボット検索
 1.はじまりのモグラ

 胎内回帰願望の強い私はモグラの暮らしにあこがれがあります。モグラが地中にトンネルを張り巡らして秘密基地のような巣を作っているところを想像するだけでなんだかわくわくしてきます。モグラの生態を研究している今泉吉晴氏の著作、『空中モグラあらわる』(岩波ジュニア文庫)によると、モグラはきわめてなわばり意識が強い動物で、ほぼ完全な単独生活者だそうです。主食は地中のミミズ。トンネルは数十メートル四方におよび、そこにはミミズの狩り場になる長いトンネルが張り巡らされ、トイレやねぐらになる小部屋があるとのこと。モグラにとって、地中に張り巡らしたトンネルは生活の糧でありライフラインでもあるので、一日の大半をトンネル補修に励んで暮らしています。もしもモグラがいっさい地表に出ることなく、繁殖から子育て、子別れまですべて地中のトンネルで行っているとしたら、すべてのモグラのトンネルははるか昔に登場した「最初の一匹」からすべてつながっていることになります。ますますわくわくします。

 そんなトンネル暮らしの単独生活者にとって、生殖行動や繁殖は不利な条件がそろっています。たまたまトンネルがぶつかって、繁殖期のオスとメスが出会うのは限りなく低い確率です。この時期には地表に出て、匂いで相手を探すのではないかと思うんですが、いまのところモグラの繁殖行動についてはまだまったくわかっていないようです。モグラは身近にいる野生動物ですが、資源として利用価値があるわけでもないし、田畑を荒らすといっても農作物を食べてしまうわけではないし、新薬開発みたいに金になる研究でもないので、モグラの生態については研究者もごくわずかしかいないようです。というわけで、モグラ、空き地や道路わきにつくられたモグラ塚を見る度に、その下でどんなふうに暮らしているんだろうと掘り返したくなる衝動にかられます。
 土取さんから。
 確かもぐらはアズマモグラとなんとかモグラにはっきり別れていて、その住みわけの線は名古屋の辺りのおっきな川だと教わりました。モグラは断層をこえられないのだそうです。逆に言うと、他は何でも超えると言うことでしょうか。
 なんとかモグラというのは、西日本の方にすんでいるコウベモグラだと思います。大型のモグラで、畑や牧草地みたいな開けた場所だと体の大きいほうがなわばりあらそいで有利なので、アズマモグラを駆逐しながら生息域を東へ拡大中だそうです。ただ、モグラは高い山と広い河川は越えられないので、いまのところ富士川と箱根あたりが境界線になっているようですが、このまま森林の牧草地化がすすむと箱根の山も越えて関東進出もあり得るのではないかと先の今泉先生は書いてました。なんだか山口組を連想します。

 NHKの動物番組「ダーウィンが来た」2006年7月16日放送分で、モグラを特集していました。テレビカメラに写し出されたモグラは、それまで予想していたのと違って非常に活発に動き回る動物でした。トンネル拡張のためにせっせと穴を掘り、トンネル中を歩き回ってはミミズを狩り、トンネルに崩れた箇所があれば補修するといった具合で、その様子は驚くほど勤勉でした。一日で50mも新たなトンネルを掘る日もあるそうです。当然、エネルギー消費量が多いので、モグラは常にミミズを探しては食べています。モグラが一日に食べるミミズの量は平均20匹。その量はモグラの体重の半分に相当します。大食漢のモグラは100時間食事にありつけないと空腹で死んでしまうとのことでした。モグラ暮らしも楽ではなさそうです。地中に張り巡らしたトンネルはミミズを捕るためのワナになっていて、トンネルに顔を出したミミズや落ちてきたミミズを鋭い嗅覚で嗅ぎつけ捕食します。そのためにモグラは起きてるときは常にトンネルを巡回しています。トンネル生活には昼夜がないので、だいたい4時間サイクルで睡眠と活動を繰り返しています。4時間せっせと動き回ってミミズを捕らえ、おなかが一杯になると4時間くらい睡眠をとり、またミミズ探しとトンネル補修を開始するという暮らしです。基本的にモグラはすべて地中のトンネルで暮らしていますが、長雨が続いたりするとトンネルがすべて水浸しになってしまうことがあります。そんなときは一時的に地表へ避難し、そこで新たにトンネルを掘り始めます。モグラはほとんど目が見えませんが、地表でも動きは活発で泳ぎも達者でした。小さな遊水池や流れのゆるやかな小川くらいなら、泳いで渡ることもあるようです。モグラの子育ては春。保温のために落ち葉の敷き詰められた巣では、メスのモグラが数匹の赤ちゃんモグラに乳をあげています。ただ、オスとメスの繁殖行動がどのように行われるのか、母モグラから独り立ちした若いモグラがどのように自分の縄張りを作るのかはまだわかっていないようで、この「ダーウィンが来た」でも紹介されていませんでした。(1999-2011)

 2.ドミニク

 会社勤めをしていた1990年代半ばのこと、取引先との打ち合わせに行く電車の車内で、耳に押し込んだポケットラジオのイヤフォンから聞き覚えのある曲が流れてきました。女性のコーラスグループが妙に陽気な調子でハモりながら、フランス語らしき歌を早口でまくしたてるように歌っています。♪どみにーくにっくにくわもぼんもんぱれ……どこかで聴いたとことのあるフレーズがアップテンポのリズムに乗って、合唱曲というより少し変わったポップスという感じ。なんだっけと思いつつ取引先と打ち合わせをすませ、その日の残務整理をしていると、子供の頃に家にあったオルガンが思い浮かびました。親戚の女の子のお古を押しつけられたもので、親から「せっかくだから弾いてみろ」と投げやりな調子で練習曲集を渡されたのでした。ピアノなんか習ったこともないのにいきなりそんなこと言われてもさあ。結局、オルガンはほとんど触ることもないまま近所の女の子の所へたらい回しにされたのですが、ラジオから聞こえてきたのは、あのオルガン練習曲にあった「ドミニク」という曲でした。記憶の中の歌には日本語の歌詞がついていて、ドミニクという目の見えない女の子が笑顔と愛と奇跡を人々にふりまくという一種の聖人譚のような内容だったような気がします。後日、何人かの友人に聞いてみたところ、そろって「ああ、あったねえ」という反応で、「ドミニークニクニック……」と出だしの所を笑いながら歌っていました。うん、なんか歌いたくなるよね、あれ。けっこう流行った歌のようで、出だしのフレーズだけはみんな知っていました。ラジオから流れてきた奇妙なポップスはそのオリジナルで、番組DJはたしかベルギーのシスターたちのコーラスグループがどうこうと話していました。気になるので調べてみようと思うんですが、グループ名もCDが出ているのかもわからないため、探す手がかりもないまま数年が過ぎてしまいました。ご存知の方はメールいただけるとたすかります。

 ひとまず近所のレコード店で店員さんにたずねてみました。新星堂国分寺店2階の元ロック青年な感じのお兄さん。前にドアーズのベスト盤を買ったときは「ドアーズ良いですよねえ」とやけに愛想がよかったのに、「えっドミニク?」と怪訝そうな顔。仕方ないので出だしのドミニークニクニクというフレーズを歌ってみせたところ、ニヤニヤしはじめ、ああそういやそんな曲ありましたねえはいはいはい流行りましたねえなんで流行ったんですかねえあっはっはっはーとただ笑うばかりで友人たちと同じ反応。歌がおかしいのか私の歌い方がおかしいのかわかりませんが、楽しんでもらえてなによりです。でも、なんで流行ったのかはべつにきいてませんよ。というわけで、いまのところまったく手がかりなしです。(1999)

 Aki Suzukiさんよりメールをいただきました。

「セントドミニク教会の本物のシスターたちでスールスーリールというグループ名でした。」
 手がかりができました。感謝。「スールスーリール」と「ドミニク」をたどってネット上で検索していくと、次のことがわかりました。まず、オリジナルの"Dominique"は1963年にヒットしたフランス語の歌で、アメリカの雑誌「ビルボード」のシングルチャートでは、12月に4週にわたって1位となり、年間のシングルチャートでも2位になっています。同じ年のヒット曲には坂本九のスキヤキソングもあり、こちらは年間チャートで10位に入っています。まだ、ロックとヒップホップ以外の曲がヒットチャートに入る時代だったわけです。また、スール・スーリール(Soeur Sourire)はベルギーのシスターたちのコーラス隊で、中心メンバーのシスター・ルー・ガブリエル( Sister Luc-Gabrielle)によって「ドミニク」は作詞・作曲されたようです。「ドミニク」の入ったアルバムは、アメリカでは「ザ・シンギング・ナン(The Singing Nun)」として売り出され、現在ではCDにもなっています。「ドミニク」の大ヒットを受けて、1966年には、スール・スーリールの活躍を描いたミュージカル映画"The Singing Nun"(邦題「歌え!ドミニク」)も公開され、デビー・レイノルズがシスター・ルー・ガブリエルをモデルにした主人公を演じています。
 → Billboard Top 100 - 1963(1963年のシングル年間チャート100)


 日本では、1963年から64年にかけて、スール・スーリールのオリジナル版と日本語に翻訳したものの両方がヒットしたようです。日本語のドミニクはザ・ピーナッツやペギー葉山が歌ったものと東京放送児童合唱団がNHKの「みんなの歌」で歌ったものがあります。日本語の歌詞はWeb上では見つかりませんでした。おそらく歌詞の中に「ドミニク、それはめくらの少女」という一節があるために、その後、合唱曲の楽譜集に入れられなくなったのではないかと思います。CDのほうも探した限りでは見つかりませんでした。オリジナルのほうは、「なつかしのポップス集」のようなアンソロジーに入っているのを見つけました。ただ、全12巻もあって3万円くらいするので、輸入盤の「The Singing Nun」を売っている店がないか探しています。あとは歌詞の翻訳といくつかの日本語版の発掘、解決は近い。(2000)

 インターネットで検索したところ、個人のWeb日記の中でペギー葉山の「ドミニク」についての感想を書いている方を見つけました。このペギー葉山版を手がかりに調査を進めていこうと、サイトを運営しているおかもとけんさんにメールでお願いして、ペギー葉山版の歌詞とジャケット写真を送っていただきました。おかもとさん、ありがとうございます。ペギー葉山版は、あらかはひろし氏の訳詞で、かなりオリジナルに近いようです。私が記憶している子供向けの「ドミニク」とまったく違う歌詞でちょっとこれは衝撃的でした。なんと、これ、13世紀のアルビジョワ十字軍と異端審問を時代背景に、修道士によるローマカトリックの布教活動を歌っています。


 送っていただいたペギー葉山版の歌詞とオリジナルの歌詞とを比較してみます。

ペギー葉山版
(日本語詩 あらかはひろし)


ハレルヤ ハレルヤ………

※ドミニク ニクニク
 そまつななりで
 旅から旅へ どこに行っても
 語るのはただ 神の教えよ

イギリスならば ジョン王の頃
セント・ドミニクの この物語

※くりかえし

他宗のものと 教えをきそい
力の限り それと戦い

※くりかえし

ラクダに乗らず 馬車にも乗らず
貧しさの中に 旅をつづけた

※くりかえし

その日の糧に こと欠くときも
神の恵みの パンを授かり

※くりかえし

信仰あつい 若者たちを
あつめて神の 教えをひろめ

※くりかえし

聖母の愛の 翼の下に
つどう同志を 夢見つづけた

※くりかえし

セント・ドミニク お守りください
まことを人に 伝えるために

※くりかえし













オリジナルのフランス語版

(Refrain):
Dominique, Nique, Nique
S’en allait tout simplement
Routier pauvre et chantant
En tous chemins, en tous lieux
Il ne parle que du bon Dieu
Il ne parle que du bon Dieu

A l’epoque ou Jean Sans Terre
D’Angleterre etait roi,
Dominique, notre Pere,
Combattit les Albigeois

(Refrain)

Certain jour un heretique
Par des ronces le conduit
Mais notre Pere Dominique
Par sa joie le convertit

(Refrain)

Ni chameau, ni diligence
Il parcourt L’Europe a pied
Scandinavie ou Provence
Dans la sainte pauvrete

(Refrain)

Enflamma de toute ecoles
Filles et garcons pleins d’ardeur
Et pour semer la Parole
Inventa les Freres Precheurs

(Refrain)

Chez Dominique et ses Freres
Le pain s’en vint a manquer
Et deux anges se presenterent
Portant deux grands pains dores

(Refrain)

Dominique vit en reve
Les precheurs du monde entier
Sous le manteau de la Vierge
En grand nombre rassembles

(Refrain)

Dominique, mon bon Pere,
Garde-nous simples et gais
Pour annoncer a nos freres
La Vie et la Verite

英語版

(Chorus)
Dominique, nique nique
over the land he plods along
and sings a little song
Never asking for reward
He just talks about the Lord
He just talks about the Lord

At a time when Johnny Lackland
over England was the King, Dominique
was in the backland,
fighting sin like anything

Chorus

Now a heretic, one day
Among the thorns forced him to crawl
Dominiqu' with just one prayer,
Made hi hear the good Lord's call
(To Chorus)

Without horse or fancy wagon,
He crossed Europe up and down
Poverty was his companion,
As he walked from town to town

Chorus

To bring back the straying liars
and the lost sheep to the fold
He brought forth the Preaching Friars,
Heaven's soldiers, brave and bold

Chorus

One day in the budding order,
There was nothing left to eat,
Suddenly two angels walked in
With a load of bread and meat

Chorus

Dominique once in his slumber
Saw the Virgin's coat unfurled
Over friars without number
Preaching all around the world

Chorus

Grant us now oh Dominique
The grace of love and simple mirth
That we all may help to quicken
Godly life and truth on earth

Chorus

 すごいです。「他宗の者と教えをきそい力の限りそれと戦い」という歌詞から十字軍や異端審問といった血なまぐさい歴史の一幕が浮かんできます。オリジナルのフランス語版では「他宗」が「アルビジョワ派(les Albigeois)」となっていて、そのことがよりはっきりしてきます。アルビジョワ派というのは12世紀から13世紀はじめにかけて南フランスで勢力を広げたキリスト教の一派で、ローマカトリックからは異端の宗派と見なされていました。13世紀はじめ、ローマ教皇インノケンティウス3世は、アルビジョワ派信徒の一掃とアルビジョワ派を保護する各領主の征伐を主張し、南フランスに十字軍を派遣するよう諸侯に呼びかけます。1209年には北フランスの諸侯を中心に約1万のアルビジョワ十字軍が結成され、20年におよぶ南仏各地での征服と虐殺の末、アルビジョワ派の組織は解体、信徒の多くは処刑されました。

最初の十字軍の攻撃は7月21日にベジェに対して行われ、翌日にベジェは陥落した。十字軍は約1万人の住民をアルビ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮した。殺された住民のうち、アルビ派は実際には約500人に過ぎなかったといわれる。この時、カトリックとアルビ派との区別を問われた教皇特使のアルノー・アモーリは「すべてを殺せ。神は己の者を知りたまう」と叫んだという。(Wikipedia「アルビジョア十字軍」より)
 歌に出てくる「イギリスのジョン王」は「失地王ジョン(Jean Sans Terre = John Lackland)」のことで、在位1199年〜1216年なので、時代的にも符合します。そんな歴史をふまえて聴くと、カトリックではない私には、「Combattit les Albigeois」が「アルビジョワ派を火あぶりにした」と言っているように聞こえてきます。オリジナルの歌詞を訳してみます。

ドミニク ニク ニク 
いつでも質素な身なりで
貧しさとと歌とともに旅をする
どの道でもどの場所でも
彼は神の教えだけを語る
彼は神の教えだけを語る

イギリスでは ジョン失地王のころ
我らの父ドミニクは アルビジョワ派と戦った

ある日 異端者が彼をイバラの道へと導いた
しかし 我らの父ドミニクは 喜びを通して彼を転向させた

ラクダもなく 馬車もなく みずからの足でヨーロッパを旅した
スカンジナビアもプロバンスも 清貧の中で

彼は情熱の火をともした すべての学校の女の子たちと男の子たちに
そして言葉を植え すぐれた修道士に育てた

ドミニクと彼の兄弟の家で 日々の糧が不足しはじめたとき
ふたりの天使が現れた 見事な黄金のパンをたずさえて

ドミニクは夢みた
世界中の大勢の修道士が聖母マリアの衣のもとに集うことを

ドミニク 我らのよき父よ
我らを質素で活力に満ちたまま 導きたまえ
我らの兄弟に 生命と真実を告げるために
 と、ここまで書いたところで、初歩的なことを見落としていたことに気づきました。「ドミニク」というのはドミニコ修道会の創始者、聖ドミニコのことです。子供向けの「ドミニク」でこの歌を知ったために、ドミニクとは女の子だと思いこんでいました。女の子でも女性でもありません。男性です。ほら、歴史の時間に習ったでしょ、司教や司祭がお妾さんをかかえて私生児があちらこちらにごろごろいたとか金銀宝石の装飾品で金ぴかだったとかでローマカトリックの腐敗が問題になって、さらに免罪符まで発行するようになって、とうとう信仰を教会から取り戻せっていうプロテスタント運動がおきるって。で、そういうプロテスタントの宗教改革の前にカトリック内部でも改革運動があって、禁欲主義をとなえるフランチェスコ修道会とドミニコ修道会が設立されるって。あれですあれ。あのドミニコ修道会のことです。ドミニコはその修道会を13世紀に設立した人物。だからオリジナルの歌詞の最後の部分で、シスターたちは「ドミニク、我らのよき父(Dominique, mon bon Pere,)」と歌っているわけです。そう考えると歌詞の中でドミニクが布教のために清貧とともに旅したり、異端者を転向させたり、若者を育てたりしているのもすべて納得できます。そうか、このシスターたちはドミニコ修道会の人たちだったわけですね。せっかくAki Suzukiさんから「セントドミニク教会のシスターたち」と教えてもらっていたのに、ドミニクが何者なのかまったく気づいていませんでした。この歌はシスターたちが自分の修道会の創始者である「聖ドミニコ」をたたえている歌だったんです。ようやく核心にたどりついた。

 ちなみにこのドミニク(Dominique)というフランスふうの名前は、スペイン語だとドミンゴ(Domingo)、イタリア語だとドメニコ(Domenico)、ラテン語表記ではドミニクス(Dominicus)となり、男女ともに使われる名前のようです。日本では会派の名称には、慣例としてドミニコ修道会と呼ぶことが一般的です。とはいうものの、せっかく教えてもらった「セントドミニク教会」が「聖ドミニコ修道会」を指していることに気づかなかったというのは我ながら鈍いです。

 で、歴史の参考書を引っ張り出して関係しそうな箇所をひろってみると、ドミニコ修道会は教義に厳格なことと質素な生活で知られ、修道士や修道女たちが托鉢僧として布教活動を行い、衣食は施し物によってまかなうために非常に貧しい身なりをしていたとのこと。フランチェスコ修道会が灰色の修道着を着たのに対して、ドミニコ修道会は黒い修道着を着ていたことから、古くは「黒色修道会」と呼ばれていたそうです。当時の腐敗したローマカトリック本部への批判からはじまった清貧の修道会というわけです。映画の「薔薇の名前」や「レッド・バイオリン」にでてきた修道士たちを連想します。ドミニコ会の修道士たちはスペインを中心に、フランスやエジプトにまで広く足を伸ばし宣教師として布教をおこなっていたとのことで、「ドミニク」の歌詞とも一致します。創始者であるドミニコ(ドミニク)については、スペイン出身の修道士でローマカトリックの司祭になった後に南フランスへ派遣され、そこでさかんだった異端の一派であるアルビジョワ派への説得や審問につとめ、1215年にその地でドミニコ修道会を設立したとあります。歌のままですね。また、異端審問はこのアルビジョワ十字軍によって確立され、以後、ドミニコ会はカトリックの教義への厳格さから、主にドミニコ会の修道士が異端審問での宗教裁判官をつとめるようになります。異端審問というと、冷酷な審問官がラテン語で教義をまくしたてて最後は問答無用で火あぶりというリンチのような裁判をイメージしますが、アルビジョワ派についてもローマカトリックへの改宗を拒んだ信者はまとめて火あぶりになったようです。シスターたちは楽しげにハモってますが、「Combattit les Albigeois」の結末はやはり火あぶりでした。
 → Wikipedia「ドミニコ(聖ドミニコ)」
 → Wikipedia「ドミニコ会」
 → Wikipedia「カタリ派(アルビ派・アルビジョワ派)」
 → Wikipedia「アルビジョア十字軍(アルビジョワ十字軍)」
 → Wikipedia「異端審問」
 → Wikipedia「ジョン (イングランド王)」

 映画「薔薇の名前」は、14世紀の北イタリアを舞台に修道院で殺人事件がおきるという話ですが、主人公のアドソと彼の師匠のウィリアムがフランチェスコ会の修道士で、灰色の修道着姿で登場します。一方、ローマ本部から派遣されてくる司教はやはり全身金ぴかで、異端審問の場面で登場する審問官は黒い修道着姿のドミニコ会修道士でした。映画なので多少のデフォルメはあるにしても、歴史考証はきちんとしているようです。また、カルロ・ギンズブルグの「チーズとうじ虫」という本は、16世紀の北イタリアで実際にあった宗教裁判について書かれています。こちらは実際にあった宗教裁判を歴史学者である著者が当時の記録からたんねんに掘り起こしていくだけにスリリングで読みごたえがあります。被告の粉挽き屋は異端審問の場でも自説を曲げず、「世界はカオスで天使はチーズにわくうじ虫のようなものだ」とふしぎな世界観を展開するのに対して、審問官の司祭のほうが逆にまあまあといさめる調子で審問はすすんでいきます。魔女裁判と違って他の宗教裁判の場合は、説得によってカトリックの教義に帰順させることが基本で、火あぶりは最後の手段だったようです。ただその一方で、ローマから派遣された司祭が村人たちをはじめから無知無学な連中と見下していたり、被告には理解できないラテン語で裁判が行われていたりして、当時のカトリックの権威主義も伝わってきます。異端審問がどんなだったのか興味があるという方はどうぞ。
 → Amazon.co.jp カルロ・ギンズブルグ著「チーズとうじ虫」みすず書房

 で、「ドミニク」ですが、私が子供のころに聞いたほうは、もちろんこんな異端の一派や異教徒たちと力の限り戦ったりするような過激な歌ではありませんでした。ずっとのどかな歌です。ドミニクという目のみえない女の子が村人たちに優しさと親切と奇跡をふりまくという花の子ルンルンみたいなドミニクだった記憶があります。「ドミニク、ニクニク、天使のような笑顔見せて〜」という出だしではじまります。異端審問とも十字軍とも無縁の彼女は、村人や噂を聞きつけて遠くからやってきた人々へ安らかな夜の眠りと仕事への情熱を与えてくれるのでした。どうやらこちらはNHKの「みんなの歌」で子供向けにアレンジされたもののようです。「みんなの歌」で「フニクリ・フニクラ」がオリジナルの歌詞をアレンジして火山観光の童謡に仕立てられたのと同様に、「ドミニク」もオリジナルの歌詞とは別物になっているのではないかと思います。こちらは島恵郎氏の作詞で東京放送児童合唱団が歌っており、「NHKみんなのうた大全集3」のCDに収録されています。というわけで、当初、フランス語版のドミニクが聴きたかっただけだったのが、思いがけない所へたどり着きました。調査員、満足です。翻訳ものの童謡というのはオリジナルをたどっていくと案外きわどいものが色々出てくるのかもしれません。(2000・2008)

 「ドミニク」、すっかり解決したつもりになっていましたが、あれから4年たって再度、問題が浮かんできました。まず、サビねこさんからの問題提起のメールを。

ドミニクの歌詞なんですが、「目の見えない女の子」という内容のものを、みんなのうたで聞いた覚えがないのと、手元に持ってる昔のみんなのうたの歌詞カードもそのバージョンではないことです。作詞は島恵郎さんで、内容は次のようになってます。

ドミニク ニク ニク 心優しく強い人で
すべての人の幸せのため 歩くのでした
よその国の悪い人たちも ドミニクの話をききました

ドミニク ニク ニク 神の言葉を教えました
どこでもみんな 彼の話を聞きに来ました
遠い道もかまわず ドミニクは歌を歌いながらどこまでも

ドミニク ニク ニク 村から村へ 町から町へ
らくだに乗らず 馬車にも乗らず 歩くのでした
食べ物なくて苦しい時に 天使が助けてくれたのでした
これだと、多少表現が軟らかいですが、原曲の内容に近いのです。何より、歌われているのは女の子ではありません。これに対して、ザ・ピーナッツの歌ったバージョンは「めくらの女の子…」と歌っています。これは、福地美穂子という方の作詞だそうです。

恐らく、みんなのうたのバージョンよりはザ・ピーナッツのバージョンの方が耳に入りやすかったのではないかと思うのですが、同じ時期にみんなのうたでも流れていたということで、混同されているのではないでしょうか。私の記憶にある限り、みんなのうたで一度流れた曲が、最初の歌詞からがらりと変わったということはなかったように思うので、みんなのうたのバージョンは私の持っている歌詞のものだけだと思います。

何かのお役に立てば幸いです。
 丁寧なメールありがとうございます。私の記憶にあった「ドミニク」はみんなの歌のものではなく、ザ・ピーナッツのバージョンだったようです。完全に勘違いしていました。さらに、サビねこさんによる追跡調査。

私もメールを出してからも気になって調べてみたのですが、面白いことが見えてきました。

ペギー葉山版の歌詞は「あらかはひろし」さんなのですが、この方は「音羽たかし」ともいい、同じ人物のペンネーム(あるいは個人でなくプロジェクト名だったのかも)で、ザ・ピーナッツの殆どの曲を担当し、他のコロンビアレコードの複数の歌手のカバー曲の訳詞・作詞をしています。また、ペギー葉山さんが歌ってヒットした「ラ・ノヴィア」も、この方の訳詞になっています。

そしてみんなの歌版の歌詞の島恵郎さんですが、「音羽たかし」さんと連名で訳詞となっているのです。「音羽たかし」「あらかはひろし」さんは、同時期にみんなのうたでも沢山の歌の訳詞・作詞をしていますし(調子をそろえてクリッククリッククリック、チムチム・チェリーなどなど)、コロンビアレコード作品の場合も「音羽たかし」「あらかはひろし」連名になっているものが多いことなどから、

「音羽たかし」「あらかはひろし」=島恵郎

ということも考えられそうなのです。第一、島恵郎という名前は「ドミニク」にしか出てこないのです。他に作詞の仕事をした形跡をみつけられません(現時点では)。どちらにしろ、「音羽たかし」はみんなのうたバージョンに関わりがあるわけで、と、いうことは、この方は……

ザ・ピーナッツには、彼女たちの可愛らしいイメージを壊さないような歌詞を福地美穂子さんに書いてもらい、ペギー葉山さんには原曲に近い敬虔な歌詞を提供し、さらに子供達のためにわかりやすくやさしくしたバージョンをみんなのうたに提供したということになりそうです。

調べていく課程で、「音羽たかし」さんのお孫さんという方のページに突き当たったので、これからコンタクトを取ってみようと思ってます(^_^)
 すごい調査力です。音楽業界の方なんでしょうか。NHK「みんなの歌」版の作詞者である島恵郎さんが、音羽たかし+あらかはひろしの共作ペンネームなのかどうかは、サビねこさんの今後の調査に期待するとして、ひとまず、日本語歌詞の「ドミニク」には次の3種類があることがわかりました。

 ・ペギー葉山版 あらかはひろし作詞 → オリジナルに近いもの
 ・NHK「みんなの歌」東京児童合唱団版 島恵郎作詞 → オリジナルを子供向けになおしたもの
 ・ザ・ピーナッツ版 福地美穂子作詞 → ドミニクを女の子に設定してまったく異なる歌詞にしたもの

 というわけで、後はもうサビねこさんにおまかせというわけですが、何もせずにただメールを待っているだけなのも申し訳ないので、わが家のオルガン練習曲集に載っていたザ・ピーナッツ版の歌詞を調べてみようと思います。Webには掲載しているサイトは見つかりませんでした。ザ・ピーナッツのベスト盤買おうかな。「恋のフーガ」や「ウナ・セラ・ディ東京」も聴きたいし。ひとまず、ザ・ピーナッツ版の「ドミニク」の歌詞をご存知の方、メールいただけるとたすかります。(2005)

 なんて言っておきながら何も能動的に動かないまま1年半が経過してしまいました。今回、ザ・ピーナッツのファンサイトをつくっているインファントさんから、ザ・ピーナッツ版の「ドミニク」について歌詞カードの画像をいただいたので掲載します。感謝です。
 → INFANT LAND(インファントさんのザ・ピーナッツ ファンサイト)
 → INFANT LAND 1964年に発売されたドミニクのシングル盤(「キャンディ・ムーン」のB面)


 これですこれこれ。子供の頃に聴いたオルガン練習曲集に載っていたやつ。「ドミニク」の名前が男性にも女性にも用いられることが、この大胆な設定の変更を可能にしています。こうして改めて歌詞を読むと日曜学校の歌みたいで、歌詞の設定は変わってもキリスト教的なニュアンスは共通している感じがします。2番目の「神の教えを まいりつづけた」は「神の教えとともに巡礼を続けた」という意味でしょうか。ドミニクはたんに純真な女の子というのではなく、「うわさをきいて遠い国からやってきた人も皆しあわせに」したり、「その顔みれば人はみんなふしぎな事に苦しさわすれ仕事にはげ」むようにしたりと奇跡を起こす聖人として歌われているようです。やはり「花の子ルンルン」か「モモ」を連想します。オルガンをくれたいとこの家はクリスチャンだったんだろうか。インファントさんによると、「ドミニク それは盲の少女」の箇所が現在では差別表現になるので、復刻版のCDでは、その部分の歌詞を取り除いて前のフレーズをくり返すようになっているとのことでした。また、インファントさんには、作詞した福地美穂子さんについての裏話も教えていただきました。
さて、この歌の作詞家は福地美穂子という聞き慣れない方なのですが、本職はテレビ番組「ザ・ヒット・パレード」のタイム・キーパー(時間係)。生放送なんですが、時間をオーバーしたことがないという名人芸。ポップスにやたらに強く、職務を超えて、すぎやまこういちさんを手伝ったり。語学も得意なので「悲しきカンガルー」の訳詞に抜擢されたようです。

本人は嬉しくて「悲しきカンガルー」を持ってフジテレビ社内を飛び回り、「これ私が作ったのよ〜」とはしゃいでいたそうです。当時22歳未婚。「ドミニク」は彼女の2作目になりますが、これっきりでした。ご結婚されて退職されたのかも知れません。
 ザ・ピーナッツの歌を作詞したというのはさぞや嬉しかったんだろうなと思います。プロの作詞家でない人にとってそれは一生の自慢になるんじゃないでしょうか。職場の仲間にふれまわった様子が思い浮かびます。ザ・ピーナッツの「ドミニク」が収録されたCDですが、下記のシングルを集めた2枚組みのコンピレーションCDが入手しやすいのではないかと思います。福地美穂子さん作詞の「悲しきカンガルー」も収録されています。それにしても、アマゾンをはじめとしたCDのインターネット販売が充実して便利になりました。少ない手がかりでも検索すれば探しあてることができるので、今回の「ドミニク」のようなあの曲なんだっけほらほらという状況で圧倒的な威力を発揮します。7年前に新星堂国分寺店のレジで店員のロックお兄さんに出だしの歌詞を歌ったのがはるか昔の出来事のようです。ザ・ピーナッツのベスト盤もスール・スーリールの輸入盤もアマゾンで入手できます。


 → Amazon.co.jp  ザ・ピーナッツ「シングルス〜恋のフーガ〜」
 → Wikipedia「ザ・ピーナッツ」


 → Amazon.co.jp The Singing Nun [Import from US]
 → Amazon.co.jp La Nonne Chantante [Import from UK]

 また、こちらのサイト(→古今東西音楽館増築部)では、ザ・ピーナッツ版の「ドミニク」と映画「The Singing Nun」(邦題「歌え!ドミニク」)で主演のデビー・レイノルズが歌った主題歌との関連が指摘されています。映画の主題歌を元に、福地美穂子さんが奇跡を起こす少女の物語を創作されたのではないかという指摘ですが、映画の中で歌われているドミニクはやはり聖ドミニコのことなので、ちょっと無理があるかな。ザ・ピーナッツの「ドミニク」が1964年で映画の公開が1966年だし。映画「The Singing Nun」の中でデビー・レイノルズが歌った歌詞は次の通り。

Dominique “The Singing Nun” (Movie lyrics) - Debbie Reynolds

Dominique, nique, nique I will tell of Dominique
His goodness to acclaim
And I pray the song I sing
Will some simple pleasure bring
That the world shall know his name!

I will tell of Dominique as I sing this little song
And when I sing the chorus all the world will sing along!

Dominique, nique, nique it was good Saint Dominique
He lived for you and me
From his labors long ago
Came a better world I know! And his love shall always be!

“Though I’m poor”, said Dominique as he spoke unto the Lord,
“I will be your humble servent and your love is my reward”!

Dominique, nique, nique I will follow Dominique
His burdens will I share

For his courage will I pray
His teachings to obey! His words shall be my prayer!

By the kindness of his heart and the labor of his hand
He brought love and understanding as he
wandered through the land!

Dominique, nique, nique I will tell of Dominique
His goodness to acclaim
And I pray the song I sing
Will some simple pleasure bring!
All theworld shall know his name!

Dominique the mighty warrior was a soldier of ther Lord
His armor was devotion and the Gospel was his sword!

Dominique, nique, nique it was good Saint Dominique
He lived for you and me
From his labors long ago
Came a better world I know! And his love shall always be!

Through the blazing heat of summer and the chill of winter snow
I will follow Dominique! In his footsteps I will go!

Dominique, nique, nique I will follow Dominique
His burdens will I share
For his courage will I pray
His teachings to obey! His words shall be my prayer!

 1966年に公開された映画「The Singing Nun」(「歌え!ドミニク」)は、スール・スーリールの中心メンバーであるシスター・ルー・ガブリエルの半生を元にしたミュージカルで、修道会のコーラス隊としてスール・スーリールを結成し「ドミニク」をヒットさせるまでの様子が明るく描かれています。ただ、ドキュメンタリーではなくあくまでミュージカルなので、デビー・レイノルズが演じたシスターは実像とはずいぶん異なるようです。

 シスター・ルー・ガブリエルは波乱にみちた生涯を送った人で、1933年ベルギーのブリュッセルに生まれ、高校教師をへて、ブリュッセルにあるドミニコ修道会のシスターになり、仲間のシスターとともに「ドミニク」を歌います。はじめはわずかにプレスしたレコードを修道院の慈善バザーで手売りで売っていただけでしたが、クチコミで話題を呼び、フランス、ベルギーだけでなく、世界的なヒット曲になります。ペギー葉山の日本語版の他、英語、ドイツ語、スペイン語など数カ国語に翻訳されて歌われるようになります。1963年の「ドミニク」の大ヒットの後、シスター・ルー・ガブリエルは修道院をやめ、本名のJeanne-Paule Marie Deckersで歌手活動を行こない、自身がレズビアンであることをカミングアウトするとともに当時のウーマンリブ運動に賛同する言論を展開します。彼女の言動については、修道院をふくめた保守派からずいぶん批判されたようです。その後、ヒット曲には恵まれず、仲間とはじめた自閉症の子供のための学校も経営が行き詰まってしまい、1985年にパートナーの女性と共に睡眠薬による自殺で51年の生涯を閉じた……なんてことが今回わかりました。人生の一時期とはいえ修道院に入っていた人が自殺するというのはずいぶん葛藤があったんじゃないかと思います。ともかく、問いを発してからのこの7年間でインターネットの情報は膨大なものにふくらんで、スール・スーリールやシスター・ルー・ガブリエルについての記述もたくさんヒットしました。彼女のバイオグラフィに興味にある方はそちらを御覧ください。(2006・2008)
 → 60年代 オールディーズの時代「Soeur Sourire  ( The Singing Nun )」
 →  Answers.com Soeur Sourire(英語)
 → allcinema online 「歌え!ドミニク」

 YouTubeにもいろいろな「ドミニク」がアップロードされていました。(2008)
 → YouTube スール・スーリールとドミニクを紹介した当時の記録フィルム
 → YouTube デビー・レイノルズ版ドミニク
 → YouTube フランス人の女の子ふたり組みが口パクで歌うドミニク かわいいです



 3.一橋大学小平校にあった1回、500円の床屋さん、ためしてみた人いますか?

 小平校の裏門のほうにつげ義春のマンガみたいな小さなバラックがひっそりと建っていて、運動部の倉庫かなにかと思いきや、「散髪500円」とやる気のなさそうな手書きの文字が書いてありました。一瞬、学生が小遣いかせぎに無許可営業をしているのかと思いましたが、赤と青のぐるぐるも置いてあったし、散髪屋のおじさんらしき人物もいたので、いちおう営業している様子です。営業努力とは無縁の雰囲気と散髪500円の看板は友人たちの目も引いたようで、あれこれと噂が飛び交っていました。「入ってきた奴は全員坊主らしい」「いや、じつはものすごい名人が趣味でやってるんだ」などなど。ただ、実際に試してみる勇者はおらず、けっきょく、伝説のまま5年くらい前に店じまいしてしまいました。おしいことをしました。というわけで散髪したことのある方、レポート提出すべし。ちなみに、学芸大学1200円散髪のほうは今も健在です。

【解答】 マレーシアの油井さん経由で、シンガポール在住のぼびーさんの解答。

 学生時代に実は小生利用したことあります。いつもガラガラでした。切っているおじさんと同じ髪型になります。
【追記】 切ってるおじさんの髪型というのは、植田まさしの漫画かヒトラー青年団みたいに、後頭部の50%以上を激しく刈りあげて残った上の毛をポマードで7:3に分けるというものです。海兵隊やテクノバンドに入るにはちょうど良いかもしれません。ちなみに学芸大1200円散髪のほうもやはり青々と刈りあげられるのですが、なぜか上のほうはおかっぱに切りそろえられます。まるでワカメちゃんかおぼっちゃま君かレオナルド藤田みたいになります。私にはこちらのほうが醜悪に見えるんですが、哲学研究室のセンパイが愛用していました。6カ国語を使いこなして獲得形質は遺伝するなんて言っちゃう人は美的センスもひと味違います。こちらは現在も開業中なので、ひと味違う人になりたい人は東京・小金井までどうぞ。ワン・フィット・オンリーです。覚悟しろ。


 4.「マジック」の相手や仲間ってどうやってさがしてるんですか?

 小学校以来の友人、中村くんをむりやり誘ってPC版の「マジック」をはじめる。以下はその時の会話。

「これって、流行ってるっていうけど、一体どこで流行ってるんだ?俺、ゲーム雑誌と秋葉原とインターネット以外じゃ聞いたことないぞ」
「あんたの会社、一太郎がパソコンの名前だと思ってるようなおじさんばかりだからじゃない」
「それにしてもネットの世界と現実世界の落差は大きいよ。街で「マジック」とか「ウルティマオンライン」とかって言葉、聞いたことないだろ。普通の市民生活してると一生縁のない遊びなんだよ」
「現役の学生くんたちはやってるんじゃないの?俺らが麻雀やってたみたいに」
「君んとこの教え子たちはそんな話してる?」
「聞いたことない」
「だろ」
「でも、アニメおたくの女の子は一人いるよ」
「アニメと違って、ゲームは一人じゃつまんないよ」
「みんなどうやってお仲間集めてるんだろ」
「いや、それよりこういうマイナーな遊びが雑誌やネットであんなに盛り上がってるほうが不思議だよ」
「でも、それ言ったら、俺のまわりに藤原紀香のファンなんて一人もいないよ。あと熱烈なアルフィーファンとか。いったいそういう人って何処に行けば会えるんだろう」
「なんか俺、最近この世界にはバーチャルな平行宇宙がいくつもあるんじゃないかって気がするんだ」

 「マジック」をやってるみなさん、実際のところはどうなんですか?身近にお仲間たくさんいますか。我々はカードは怖くて手を出せずにいます。

【解答1】 我が教え子・芦川くんから。

「ちわっす。芦川(弟)です。ホームページの「誰か教えて」の4番のやつと11番のやつ。僕マジックもやってたしTRPGも興味があって調べまくってたんでよくわかる。お答えしましょう。

いろいろあります。僕の場合は友達を強引にさそってやらせました。他にもホビージャパンのホームページ(http://www.hobbyj.co.jp/)のフリートークで募集したり、大会の会場で知り合ったり、カードショップで知り合ったり。ちなみにこの辺だと、JR代々木駅から徒歩1分の「ワイバーン」」

【追記】 ふむふむ。こういう一部の人に熱狂的な人気のある「濃い」世界は、仲間が集まれる拠点が必要なんだよな。ネットは手軽にそういう場がつくれるけど、やっぱり町中にそういう空間があるのは大事です。情報交換したり、一緒に遊ぶ仲間を作ったりって、ネットでもできるけど、リアルな世界にそういう場があるって大事です。

 中学生、学校と家と塾の往復なのかと思ったら、案外、外に広がっていくネットワークを持ってるんだな。学校や塾とは違う世界の仲間や知り合いがいるってうれしいよね。毎日が家と学校の往復でそれがすべてだったら、息が詰まるもんな。


 5.お後がよろしいようで……。

 落語のおしまいに「お後がよろしいようで」と決まり文句を言います。なぜか麻雀をやりながらなぜかその話になりました。私は「お粗末様でした、次の人の噺はもっとおもしろいよ」という謙遜の意味だとずっと思っていたのでそう言うと、メンツのひとりは「なーに言ってんだよ、ありゃあ、次の出番待ちの準備ができてるから、ここらで退散するよっていう意味に決まってるだろ、俺、高校時代落研だったんだから間違いないね」と自信満々。すると別のメンツがこう異議申し立て。「えっでも、最後に出てくる真打ちには次がないんだから、次のほうがおもしろいとか次の準備ができたなんてへんだよ、もっと別の意味じゃないの」「そういやそうだね」「いや、トリはお後がよろしいようでは言わない」「えっーそうだっけ!?言ってた気がするけど」「いや言わない、志ん生も志ん朝も円生も小さんもお後がよろしいようでなんて言わない、俺、高校時代落研だったから間違いない」「そうかなあ」「いや、俺、聞いたことあるよ、だから、次の人うんぬんっていう解釈はそもそも間違いなんだよ、あのお後っていうのはオチのことで、オチがすっきりまとまったからここらでおしまいにするよっていう意味のはずだよ、それ以外ありえないよ」「えーそりゃあ、お前、落語がわかってねえよ、自分の噺がすっきりまとまったなんて客に向かって自画自賛するのは噺家の美意識じゃねえよ、三平の漫談じゃねえんだからよ、あ、リーチね」「いや、講談じゃあるまいし落語は笑いの芸なんだから、噺が丸く収まっちゃったね、てへ、くらいのニュアンスがあってもおかしくないよ、あ、追っかけリーチね」とまあこの日のメンツはとくにうるさいのが集まっていたようで、その後、激論となり収拾がつかなくなってしまいました。いちおう整理すると仮説は今のところ次の三つです。

1.次の人の準備がもうできるね、なので私はここらで退散するよ。
2.次の人の噺はもっと面白いよ、お粗末様でした。
3.噺のオチもすっきり収まったし、ちょうどいいからここでおしまい。

 なぜかみなさん自信満々です。自説がいかに正しいかを長々と講釈までしてくれて、まるで落語にでてくる知ったかぶりの大家さんみたい。なあ、わからないならわからないって言えよ。これは調べればわかりそうなので、決着をつけるべくネットで検索してみました。

 → 学研教育情報センター なぜなに学習相談
 →  OKWave - 「お後がよろしいようで」の意味
 → はてなキーワード - おあとがよろしいようで

 上の三つを要約するとこんな感じです。
 「お後」は次の人のことであり、トリの演者は「お後がよろしいようで」とは言わない。本来は、「次の人の準備が整ったので私はここで引っ込むよ」の意味。元落研氏は正しかったようです。でも、これを言うとまた元落研氏が得意げになってあれこれうんちくを聞かされそうなので教えないことにします。また、「次の人はもっとおもしろいよ」という謙遜の意味もあるので、私の解釈でも間違いではないみたいです。一方、「オチがうまく収まった」という意味で用いるのは誤用。ただし、噺家以外の芸人が「お後がよろしいようで」と言う場合には、この意味でつかってることも多いようなので、そのうち意味が逆転するかもしれません。言葉なんてそんなもんです。

 もっとも調べた限りでは、本職の噺家がこの言葉を解説している文章はひとつも見つかりませんでした。この点は少し気になるんですが、以前、林家彦いちがラジオで「意味や由来は諸説あってはっきりしないんですが、まあ決まり文句みたいなもんです」と軽く受け流していたので、演者のほうはとくに意味を込めて言ってるわけでもなさそうです。もしかしたら林家一門よりも元落研氏の部活のほうがきびしく指導してるのかもしれません。なんせ落語「研究会」ですから。そういえば、寄席の客にはうるさがたが多いようで、志ん朝が噺の枕でいつも「落語なんてもんはアタマを休めてぼんやり聞いてくださいね」と言っていたのを思い出しました。(1999-2011)

 6.アリやミツバチの女王はどうしてメスばかり生めるの?

 それに有性生殖だとメスを、単性生殖だとオスを生むのはどうして?女王はメスなのに……。もしかして昆虫の性染色体って1対じゃないの?

【解答】 沖縄の理科のセンセー、土取から。

 ミツバチですが、あれはオスが単為生殖なんです。有性生殖して、卵が普通の倍数体(2n)だとメスに、未受精卵(n)が発生するとオスになるんです。いわゆる性染色体はないんですね。ミツバチ型単為生殖といいます。他にもアリマキ型単為生殖と言って、ミジンコとかもそうですが、未受精卵なのに2nを維持するタイプのもあります。これは極体(卵を作る減数分裂の時捨てられる細胞)の核と卵核が融合するのです。環境が悪くなって極体が吸収されてしまうと、オスが出てくるそうです。


 7.カナダのメディア教育

 カナダで始まったメディア教育ってどんなことやってるんですか?小学生の必修科目って聞いたんだけど。(ゲスト講師でメディア論を語ってくれる方募集中です。ただ、報酬はでません。それでも引き受けてくださる方、是非一報を。個人的にはテレビニュースの演出効果(特にBGMの使い方)に興味があります。)

【追記】 テレビのみかたみたいな内容ではないかと想像しています。テレビの伝える何が事実で何が演出なのかなんてことをやるのではないかと。個人的にも興味がある内容ですが、ワタクシ、授業でわりとビデオ教材使うので仕事的にも非常に気になります。


 8.フニクリフニクラってどこの歌?

 これも1960年代に流行った歌で、フニックリーフニックラーってやつありましたよね。これどこかの国の民謡ですか?どんなことを歌ってる歌ですか?フニクリの意味は何ですか?

【解答1】 友人の中村くんから。「これは、火山のことを歌ったものです。細野晴臣が、日本語で、カバーを出していました」とのこと。細野晴臣ってとこでなんか納得させられますな。ただ、私が子供のころ聴いた歌は「ヤンボイヤンボイ……顔なじみー」っていう歌詞だったし、「トラーのパンツは……」っていうのあるし、どうも日本語訳?の歌詞は当てにならないんじゃないかと。で、火山がどうしたっていう歌なんだろ?

【解答2】 さらに中村くんから。「さらに思い出すに、スイスの火山鉄道(登山鉄道?)の歌だったような気がしてきた。これホント!!」。なんかNHKの番組みたいになってきましたな。言われてみれば、「行こう、行こう火の山へー」って歌詞があった気がします。

【解答3】 ゲームライターのゆうかさんから。「フニクリフニクラはその歌詞の通り、(題名じゃないよ)イタリアにできた火山観光コースをわたる登山電車のコマーシャルソングです。フニクリフニクラ自体の意味は、知りません。たいした意味ないんちゃうかな。」

 なるほど、ほぼ結論がでました。それにしても火山観光のCMソングとは。俺、ルーマニアかハンガリーあたりの祭りの歌だと思っていました。

 ところで、歌の意味は決着がついたけど、この歌ははじめからCMソングとしてつくられたものなんですか。それとも古い民謡か何かをCMソングに使ったのものですか。それによってずいぶん意味合いが違ってくるけど。あと、なんでイタリアの火山観光のコマーシャルソングがワールドワイドなヒットソングになったのでしょうか。日本でもイタリア観光のCMが流されていたのでしょうか。どうでもいいって言えばいいけど、この際、徹底的に解明したいところです。引き続き解答求む。

【解答4】 バスケ仲間のジョンとベンにも聞いてみました。
 スコットランド出身のジョン。イギリス人が嫌いな30歳。(→ジョンの英会話講座)
「そんな歌知らないよ。変なことに興味持つね、イギリス人みたい。あ、あの英会話のWebサイト見た?笑うね大笑いね」
 オーストラリア出身のベン。トム・ウェイツ顔の26歳。
「フニフニ?わからない、歌ってみて……聞いたことないよ。あ、もしかして歌い方のせいでわからないのかも、もっとちゃんと歌ってみてよ」

 むかつく言いようです。3回も歌わされました。ともかくジョンもベンもぜんぜん知らないようです。ふたりともアテになりませんが、本当に全世界的に有名な歌なのか不安になってきました。

【解答5】 大学のディベートの授業に飛び級をテーマにやらされることになって、こちらにたどりついたという古居佳子さんから。(ちなみに彼女も関西人。なぜかこのページ、関西の人からのメールが多いみたいです。)
「私がまだ幼く、周囲から可愛らしいともてはやされていた時分に、ある図書館で紙芝居の上映会がありました。そのタイトルは「ぐりとぐら」。たしか「グリ」と「グラ」というモグラかカワウソのような物体が繰り広げる物語だったとおもいますが、そのテーマソングにその歌が使われていました。
お姉さんA:[ぼくーのなまえはグリなんだー ぐりぐらー ぐりぐらー」
お姉さんB:「わたしーのなまえはグラなのよー ぐりぐらー ぐりぐらー」
こんなふうだったと思いますが。最後には「ぐりぐらぐりぐら」と大合唱して終わっていましたが、この経験のせいで、私はこの歌はこういう歌詞なのだとずっとおもっていました。事実を知ったのはほんの一年ほど前です。かなり恥ずかしい思いをしました。そのときの私の精一杯の反抗。「まだおれへんっちゅーねん!」」
 どうも、替え歌がたくさんあるようです。それだけポピュラーだということなんでしょうが、なんでイタリアの火山観光のCMソングが日本でこんなに有名なのか?それは日本だけのことなのか?そもそもCMソングとして作られた曲なのか?今ひとつよくわかりません。それにしても「ぐりとぐら」は有名な絵本です。名作です。ワタクシも愛読していました。「モグラかカワウソのような物体」はあんまりです。あれは野ネズミです。

【追記】 フニクラについてひとつ新展開。この歌、元々はナポリの古い民謡であることが判明しました。テレビの紀行番組で、アコーディオン奏者がイタリアを旅するというのをやっていたんですが、その中でアコーディオン奏者がそう話していました。その民謡が火山観光のCMソングに使われたようです。 (1999)

■ フニクリ・フニクラの謎、解答編

 ついにフニクラの謎、すべて解明されました。20世紀中にはわからないのではないかと勝手に思っていただけに驚きです。

 まず、この歌が日本でこれほどポピュラーになった理由ですが、理由は単純で1961年にNHKの「みんなの歌」で紹介されたことがきっかけのようです。この歌がカンツォーネであるにもかかわらず、日本では子供のための童謡という印象があるのもそのためです。もちろんこれは日本だけの現象で、また、「ドミニク」のようにビルボードのヒットチャートにランクインしたようなポップソングというわけでもありません。したがって、この歌は日本以外ではイタリアンレストランのBGMとして流されるような曲として認識されていて、ワールドワイドなポップスというわけではないようです。そう考えるとイギリス人のジョンもオーストラリア人のベンもこの歌を知らないことに納得がいきます。彼らはピザは好きみたいですが、カンツォーネとは縁のなさそうな連中です。きっとジョンもベンも「帰れソレント」や「オーソレミーオ」も知らないと思います。もしかしたら日本の音楽教育は水準が高いのかもしれません。

 以下は「NHK・みんなの歌」として紹介されたフニクリ・フニクラの歌詞です。

フニクリ フニクラ   青木爽/清野協共訳・L.デンツァ作曲・橋本晃一編曲

赤い火をふくあの山へ 登ろう 登ろう
そこは地獄(じごく)の釜(かま)の中 のぞこう のぞこう
登山電車ができたので 誰でも登れる
流れる煙は招くよ みんなを みんなを
いこう いこう 火の山へ 
いこう いこう 火の山へ
フニクリ フニクラ
フニクリ フニクラ
誰も乗る フニクリ フニクラ
いこう いこう 火の山へ いこう いこう 山の上
フニクリ フニクラ
フニクリ フニクラ
誰も乗る フニクリ フニクラ

暗い夜空に あかあかと 見えるよ 見えるよ
あれは火の山 ベスビアス 火の山 火の山
登山電車が降りてくる ふもとへ ふもとへ
燃える焔(ほのお)は 空に映(は)え 輝く 輝く
いこう いこう 火の山へ
いこう いこう 火の山へ
フニクリ フニクラ
フニクリ フニクラ
誰も乗る フニクリ フニクラ
いこう いこう 火の山へ
いこう いこう 山の上
フニクリ フニクラ
フニクリ フニクラ
誰も乗る フニクリ フニクラ
 これ以外の日本語の歌、「トラのパンツ」や「グリとグラ」はもちろんすべて替え歌です。フニクリ・フニクラがNHKのみんなの歌で紹介され、子供たちを中心に広くひろまったことから、幼稚園や保育園でのお遊戯の歌としてつくられたのでしょう。1960年代のみんなの歌の影響力の大きさを感じます。たぶん「フニクリ・フニクラ」についてはお遊戯の歌としてつくられた替え歌が他にもたくさんあると思います。

 さて、問題はここからです。上の歌詞だけ見るとこの歌はまるっきりベスビアス火山に登る登山電車の観光ソングのように見えます。そこで原曲が気になったので調べてみました。ちょうど運良く、目の前に学生時代にイタリアオペラを専攻したという音楽のセンセーがいたので、愛用の楽譜を見せてもらうことにしました。するとずいぶんと、というよりぜんぜんニュアンスが違うことがわかりました。上の歌詞は訳詞ではなくほとんど創作です。

フランコ・マウリッリ編『カンツォーネ名曲集』ドレミ楽譜出版社より

Funiculi-Funicula(フニクリ フニクラ)   L・デンツァ作曲/G・トゥルコ作詞

昨夜ナンニーナ 私は登った
どこかわかるか?
裏切る心が
私をいじめない所
そこは 火が燃えているが
逃げたければ逃げられる所
後を追ったり、
傷つけたりしないところ

ゆこうゆこう 火の山へ
フニクリ フニクラ
フニクリ フニクラ
ゆこうゆこう 火の山
フニクリ フニクラ

ここから山の上まで
一歩だけだ
フランス、プロチダ、スペインが見える
私はおまえが見える
綱で空まで
登っていける
風のように
上まで

ナンニーナ、登山電車は上に登り
私の頭も
そして着いた、何度も登り、下り
いつもここにいる。
私の頭はまわる
おまえの回りに
私の心はいつも歌っている
ナンニーナ 結婚しよう

ゆこうゆこう 火の山へ
フニクリ フニクラ

→ 原詩はこちら「世界の民謡・童謡」
 登山電車に乗って登ったり下りたりしながら結婚を決意する男のことを歌っていることがわかります。
 日本で有名な歌詞とはずいぶん違って、単純に登山電車は楽しいなという歌ではありません。火山観光について歌ってはいますが、それ以上にむしろ結婚式で歌われるような「愛の歌」という感じです。この歌詞を見ると、フニクリ・フニクラがカンツォーネなんだなと納得させられます。ただ、原詩のほうを見ると「ナンニーナ」と呼びかけられている女性が見つかりません。ドレミ楽譜出版社の訳詞のほうも意訳になっているような気がします。

 主人公の男が情けないところもいい感じです。プロポーズの決心がつかなくて登山電車で火山を登ったり下りたりしている様子もかわいい。よくイタリア映画には太っていてやたらと声のでかい肝っ玉母さんふうの女の人がでてきますが、イタリアも日本同様に女の人が強い社会なんでしょうか。先日、TBSで深夜に放送されている「CBS 60mins」を見ていたところ、イタリア人男性の「マモーニ」というのをやっていまして、そのマザコンぶりが紹介されていました。イタリアではやはり家族の中心は母親で、男の子たちは30すぎても親と一緒に暮らして母親にご飯をつくってもらったり洗濯してもらったり、ボールペンのインクが切れたら「ママー、インクが切れちゃったよー」と買いに行ってもらったりするようです。個人主義の強い北ヨーロッパ社会や北アメリカ社会では考えられないことですが、カトリックの影響の強いイタリアでは家族の結束が強く、成人しても親と一緒に暮らすのはごくふつうの習慣だそうで、むしろ、結婚もしていない子供たちがとっとと独立してしまう家のほうが「あの家はどうかしてるんじゃないか」という目で見られるとのことでした。なので、番組に登場したイタリア人男性たちは日本人と違って屈託なく盛大にママに甘えていました。近年の晩婚化でその傾向はいっそう顕著になっているようです。イタリア人男性との結婚を考えている方は覚悟しておいたほうが良さそうです。そういえば、以前Jリーグにブラジル出身のビスマルクという選手がいましたが、母親同伴で記者会見をやったりシュートを決めるとママに投げキッスしたりして話題になっていました。どうもいい年した男が母親にいつまでも甘えるのはラテン社会に共通の特徴のようです。やはりブラジル人のジーコの母親は男の子はいつまでもママに甘えるものよとテレビで話していました。日本も家族の中心が母親だったり子供がなかなか独立しなかったりと文化的土壌は似ているような気がするんですが、なぜかマザコン男については近年風当たりが強いようです。あ、話がそれました。

 作曲者のL・デンツァ(1846−1922)という人は、19世紀末から20世紀はじめに活躍したイタリアの作曲家です。フニクリ・フニクラの歌も20世紀初め頃につくられたものでしょう。NHKの紀行番組で紹介されていた「古いナポリ民謡」というのが引っかかりますが、もしかしたらデンツァがそのナポリ民謡をもとに編曲したのかも知れません。その辺は不明です。

 最後に「フニクリ フニクラ」の意味ですが、イタリア語で「フニコラーレ」というのは「ケーブルカー」とか「ロープウェイ」という意味なので、「でんでん電車」といった感じの言葉遊びのようです。ちなみに「フニクラ・レールウェイ」は大きな英語の辞書にも載っていました。

小学館「ランダムハウス英和辞典・第2版」より

Funicular railway  ケーブルカー、鋼索鉄道
Funiculi Funicula  登山電車で山に登るというイタリアの歌。 (1999.6)

【追記】 サビねこさんより、メールをいただきました。ナンニーナとは何者か、ナポリの古い民謡なのかデンツァの作曲なのか、引っかかっていた穴が埋まりました。ありがとうございます。

フニクリ・フニクラの原詩にナンニーナと呼びかけられている女性が見つからない、ということですが、これはちゃんと原詩にあるのです。ではなぜ見つからないか?実は、原詩はナポリ語で、いってみれば方言です。わかりにくい言葉なので、それを一旦、標準イタリア語に翻訳し、日本語に訳したもののようです。沖縄弁に標準語で字幕をつけました、それを英訳しました、みたいな展開です。

で、原詩の一行目にある「oi' ne'」が、ねえやとか、君、とか近しい女性に呼びかける言葉のようです。これが標準イタリア語にすると「Nannine」になります。固有名詞ではないんですね。ねえ君、くらいがちょうどいい訳かな。「Nannine」は英語にすると「Nanny」ですから、子守の女性ともいえるかも。ただ、語源は同じでも、同じものを差すとはいえないので、ここは素直に愛する女性に親しく話しかけているということでしょうね。

もひとつ、やっぱり「フニクリ・フニクラ」は、古くから歌い継がれたナポリ民謡、というのが正しいようです。歌い継がれている歌の多くがそうであるように、「フニクリ・フニクラ」にも確定的なスコアが存在しなかったのでしょう。それを、CMに使うために1880年にルイジ・デンツァが採譜し、「フニクリ・フニクラ」を主題とした「Funiculi-Funicla Rhapsody(フニクリ・フニクラ狂詩曲)」に編曲して、オペラ歌手に歌わせたのですね。作詞はその時にされたようですから、元々の歌詞が知りたいところです。

蛇足ですが、映画「ベルリン天使の詩」の続編にあたる「時の翼にのって」の冒頭で、前作で人間世界に降りてきた元天使・ダミエルが、すっかり人間世界に馴染んだ様子で「フニクリ・フニクラ」を大声で歌いながらスクーターで街を行くシーンがあります(彼はピザ屋をやってるようで、イタリア系だということなのかも)。
 ナンニーナは女の人の名前ではなく、「ねえ君」だったんですね。どうもドレミ楽譜出版社の歌詞は意訳というより誤訳のようです。また、デンツァが古いナポリ民謡を採譜して火山観光に用いたという事情も見えてきました。「トルコ行進曲」や「ハンガリー狂詩曲」のように、作曲家が民謡を収集・編曲して作品としてまとめるというのはかなり一般的に行われていたようです。サビねこさんと同じく、私も元々の民謡がどんなものか気になります。「時の翼にのって」ですが、西欧の人にとって天使というとフレスコ画のイメージからイタリアを連想するのではないでしょうか。もと天使としては、ボルシチやシシカバブの店でなく、ピザ屋で働いていてほしいところです。そういえば、「ベルリン天使の詩」にやはりもと天使として登場したピーター・フォークもイタリア系でした。ドイツ人にはイタリアへのあこがれが強いようで、ペットにイタリア風の名前をつけたり、イタリアに別荘を持つ人も多いみたいです。最近見た「マーサの幸せレシピ」や「幸せになるためのイタリア語講座」でも、日常からの開放や恋愛の象徴としてイタリア的なものが登場します。北部ヨーロッパの人にとって光りあふれるイタリアというイメージは根強いようです。(2005.4)
 → マーサの幸せレシピ - goo 映画
 → 幸せになるためのイタリア語講座 配給会社のWebサイト

【さらに追記】 少し自分でも調べてみました。こちらのサイトでは、イタリア語の歌詞と日本語訳の歌詞を比較しながらフニクリフニクラが解説されています。
 → おこよみ焼き クリスマスとお正月の歌 フニクリフニクラ
 この方は「Nannine」を恋人への呼びかけではなく、子守の女性と解釈したようで、「ばあや」と訳しています。ばあやが自分を登山電車に乗せてベスビオス火山に連れて行ってくれたという解釈です。自分は「ボク」と訳され、小さい男の子がばあやと共に登山電車に乗って楽しかったことを歌っているという訳詞になっています。こちらが正しいとすると、ドレミ楽譜出版社の楽譜にあった恋人にプロポーズする内容の訳詞は、誤訳にもとづく完全な意訳ということになります。それとも、この有名な歌にはイタリアでも何通りもの歌詞があるんでしょうか。すっかり結論が出たような気になっていましたが、再び事態は錯綜してきました。先にメールをくださったさびねこさんが、ナポリ語の原詩を訳してくれるのを待ちましょうって、もうまるっきり他力本願でかたじけない限りです。ナポリ語もトスカーナ語もわからないし。

 さびねこさんに丸投げなのも申し訳ないので、ここまでのところを整理するため、ひとまずナポリ語の歌詞と標準イタリア語の歌詞、あと英訳された歌詞を載せてみます。英語版の歌詞はいくつかのWebサイトに掲載されていましたが、いずれも同じ歌詞になっていて、英語圏で定型化されている歌詞があるようです。一方、イタリア語の歌詞にはいくつかのバリエーションがありました。ここでは三つほど載せておきます。ああややこしい。(2005.8)

ナポリ語のFuniculi-Funicula
→こちらのサイトより)


Aieressera, oi' ne', me ne sagliette,
tu saie addo'?
Addo' 'stu core 'ngrato cchiu' dispietto farme nun po'!
Addo' lo fuoco coce, ma si fuie
te lassa sta!
E nun te corre appriesso, nun te struie, 'ncielo a guarda'!...
Jammo 'ncoppa, jammo ja',
funiculi', funicula'!

Ne'... jammo da la terra a la montagna! no passo nc'e'!
Se vede Francia, Proceta e la Spagna...
Io veco a tte!
Tirato co la fune, ditto 'nfatto,
'ncielo se va..
Se va comm' 'a lu viento a l'intrasatto, gue', saglie sa'!
Jammo 'ncoppa, jammo ja',
funiculi', funicula'!

Se n' 'e' sagliuta, oi' ne', se n' 'e' sagliuta la capa gia!
E' gghiuta, po' e' turnata, po' e' venuta...
sta sempe cca'!
La capa vota, vota, attuorno, attuorno,
attuorno a tte!
Sto core canta sempe
nu taluorno
Sposammo, oi' ne'!
Jammo 'ncoppa, jammo ja',
funiculi', funicula'!


ナポリ語の英語訳歌詞
→こちらのサイトより)


Do you know where I got on, yesterday evening, baby?
Where this ungrateful heart can't be spiteful to me more!
Where the fire burns, but if you
run away it let you go!
And it doesn't run after you,
doesn't tire you, looking at sky!...
Let go on, let go, let go,
funiculi', funicula'!

We go from the ground to the
mountain, baby! Without walking!
You can see France, Procida and
Spain...
I see you!
Pulled by a rope, no sooner said
than done, we go to the skies..
We go like the wind all of a sudden, go up, go up!
Let go on, let go, let go,
funiculi', funicula'!

The head has already got on,
baby, got on!
It has gone, then returned, then
come...
It is still here!
The head turns, turns, around,
around,
around you!
This heart always sings one of these days Get married to me, baby!
Let go on, let go, let go,
funiculi', funicula'!
さらにその英訳の日本語訳
(村田による)


昨日の晩、僕がどこへ行っていたかわかるかい、愛しい人よ
恩知らずの心がもうこれ以上、僕に意地悪をしないところさ
炎が燃えさかるところ、もし君がいれば
君を解き放ち、僕は逃げ出す
でも、僕は行けない、君から先に行ってくれ
もう君を疲れさせはしない、空を見上げてみな
さあ行こう、行こう
フニクリフニクラ

僕らは山へ行く、愛しい人よ
歩くこともなく
君には見える、フランス、ポルトガル、それにスペインも……
僕には君が見える
ロープに引かれ、しばらくの沈黙
僕らはスキーへ行く
僕らは突風のように行く、昇る昇る
さあ行こう、行こう
フニクリフニクラ

もう頂上だ、急げ
愛しい人よ、急ぐんだ もう過ぎた、それから戻ってくる、それからまた……
ここにとどまっている
振り返る、振り返る、回る、回る
君を回っている
この数日、いつも心は歌っている
結婚しよう、愛しい人よ
さあ行こう、行こう
フニクリフニクラ



 英訳をさらに日本語訳した歌詞は、だいたいドレミ楽譜出版社の楽譜と同じようです。恋する若者が恋人に向かって結婚しようとプロポーズする内容になっています。彼女から逃げたいのか一緒にいたいのかよくわからない恋する若者の歌という感じで、やはり気の強い彼女とその彼女に振りまわされている彼という組み合わせを連想します。ナポリ語の「oi' ne'」は英訳では「baby」と訳されていたので、ここでは「愛しい人よ」とあててみました。ドレミ楽譜出版社の楽譜にあった訳詞は、さびねこさんのご指摘のように、いったん標準イタリア語にされたものを訳しているようなので、「ナンニーナ」が女の人の名前みたいになってしまってヘンテコですが、それ以外の部分は細部までほぼ同じです。この英訳がオリジナルのナポリ語版を正確に訳したものなら、原曲も恋する若者が登山電車に乗りながら恋人にプロポーズする歌ということになります。
 次にイタリア語版の三つのバリエーション。

イタリア語版・バリエーションA
→こちらのサイトより)


Stasera, Nina mia, sono montato
Te lo diro`?
Cola`, dove dispetti un cor ingrato
Piu` far non puo`.
Cola`, cocente e` il foco, ma, se fuggi,
Ti lascia star,
E non ti corre appresso e non ti struggi
A riguardar.
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Funiculi funicula`, funiculi funicula`,
Via, montiam su la`, funiculi funicula`.

Montiamo-dalla terra alla montagna
Un passo c'e`;
Si vede Francia, Procida, la Spagna
E io veggo te.
Tirate con le funi - e` detto fatto
In ciel si va;
Si va siccome il vento, a volo, a scatto
E siam gia` la!
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Funiculi funicula`, funiculi funicula`,
Via, montiam su la`, funiculi funicula`.

Ell'e` montata, il sai, lassu` montata
La testa e` gia`;
E` andata sino in cima e poi tornata
E` sempre qua!
La testa gira, gira intorno, intorno,
Intorno a te
E il core canta, come il primo giorno,
Ti sposa a me!
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Lesti! Lesti! via, montiam su la`!
Funiculi funicula`, funiculi funicula`,
Via, montiam su la`, funiculi funicula`.











































イタリア語版・バリエーションB
→こちらのサイトより)


(Refrain):
Jamme jamme
'ncoppa jamme ia!
Jamme Jamme
'ncoppa jamme ia!
Fuliculi Fulicula
Fuliculi Fulicula
'ncoppa jamme ja!
Funiculi Funicula

Ai sera Nannine
Me ne sagliette
Tu saie addoTu saie addo

Addo stu core'ngrato
Cchiu dispiette
Farme nun po'

Farme nun po'

Addo il fuoco coce
Ma si fuie
Te lassa sta

Te lassa sta

E nun te corre
Appresso nun te strie
Solo a guarda

Ncielo se va

Se va comm'allo viento
A l'antrasatte
Gue saglie sa

Gue saglie sa

(Refrain):

(Refrain):

Se n'e sagliuto Ne,
se n'e sagliuto
La capa gia

La capa gia

E ghiuta po' egarve; tornata po' e venuta
Sta sempe cca

Solo a guarda

(Refrain):

(Refrain):

Jamme da la terra a la montagna
Ne passo nc'e

Ne passo nc'e

Se vede Francia Procita la Spagna
E io veco a te

E io veco a te

Tirate colli fune nitto nfatto
Cielo se va
Sta sempe cca
La capa vota vota
attorno attorno
Attorno a te

Attorno a te

Lo core canta sempe nota luorno
Sposammoi Ne
Sposammoi Ne

(Refrain):
イタリア語版・バリエーションC
→こちらのサイトより)


Jammo, jammo,
'ncoppa jammo ja'...
Jammo, jammo,
'ncoppa jammo ja'...
Funiculi - funicula,
funiculi - funicula...
'Ncoppa jammo ja',
funiculi, funicula.

Aissera, Nannine', mme ne sagliette,
tu saje addo...
(Tu saje addo.)

Addo, 'sto core 'ngrato, cchiu dispiette
farme nun po...
(Farme nun po!)

Addo Io ffuoco coce, ma si fuje,
te lassa sta...
(Te lassa sta.)

E nun te corre appriesso e nun te struje
sulo a guarda...
(Sulo a guarda.)

Jammo, jammo, ecc.

Se n'e sagliuta, oje ne, se n'e sagliuta,
la capa gia...
(la capa gia.)

E' ghiuta, po' e tornata, po' e venuta...
sta sempre cca...
(Sta sempre cca.)

La capa vota vota attuorno, attuorno,
attuorno a te...
(Attuorno a te.)

Lo core canta sempe no taluorno:
sposammo, oje ne'...
(Sposammo, oje ne'.)

Jammo, jammo, ecc.






































 先にあげた「おこよみ焼き」の方は、「バリエーションB」の1番目の部分を日本語訳したみたいです。この歌詞が全体を通して、「おこよみ焼き」の方の解釈のように小さな子供がばあやに歌いかけているものなのか、それとも恋する若者の歌で、後半部分に恋人に結婚しようと呼びかける箇所が出てくるのか、気になるところです。後者だとすると「おこよみ焼き」の方の解釈は勘違いということになるんですが、その一方で、イタリア語の歌詞自体にすでにいくつものバリエーションがあるという可能性もあります。そのバリエーションの一つに子供が歌いやすい内容にした童謡版「フニクリフニクラ」もあるのではないかという仮説も成り立ちます。なんにせよ、訳してみないことにははじまらないので、イタリア語のできる方、ご協力を。
 次にいくつかのサイトで見かけた英語版のフニクリフニクラ。よく見かける歌詞で、どうも英語圏でもっぱら歌われている定型化された歌詞のようです。こちらには恋する若者は登場せず、登山電車は楽しいなという歌詞になっています。もしかしたら、NHK「みんなのうた」の童謡版フニクリフニクラはこれをもとに作詞されたのかもしれません。

英語圏でもっぱら歌われている歌詞
→こちらのサイトより)


Some think the world is made for fun and frolic,
And so do I! And so do I!
Some think it well to be all melancholic,
To pine and sigh; to pine and sigh;
But I, I love to spend my time in singing,
Some joyous song, some joyous song,
To set the air with music bravely ringing
Is far from wrong! Is far from wrong!
Listen, listen, echoes sound afar!
Listen, listen, echoes sound afar!
Funiculi, funicula, funiculi, funicula!
Echoes sound afar, funiculi, funicula!

Ah me! 'tis strange that some should take to sighing,
And like it well! And like it well!
For me, I have not thought it worth the trying,
So cannot tell! So cannot tell!
With laugh, with dance and song the day soon passes
Full soon is gone, full soon is gone,
For mirth was made for joyous lads and lasses
To call their own! To call their own!
Listen, listen, hark the soft guitar!
Listen, listen, hark the soft guitar!
Funiculi, funicula, funiculi, funicula!
Hark the soft guitar, funiculi, funicula!
 ナポリ語がわからないので、なんだか我ながらすごく回りくどいことをやっているような気がします。ナポリ語がわかる方に直接訳してもらえばたちどころに解決するのに。3種類のイタリア語版は、たんなる方言の違いなのか、それとも意味の異なる歌詞としてアレンジされているものなのか、こちらもイタリア語やナポリ語に詳しい方からのご指摘をお待ちしています。さらに英語圏で定型化されている(みたいな)歌詞とNHK「みんなのうた」の歌詞との関係はどうなっているのか。とっくに解決したつもりになっていたのに、再び事態は混迷を極めています。(2005.8)

 9.新スタートレックに出てくるQは何者?

 個々の話自体は面白かった新スタートレック・TNGですが、物語の背景に人間は進化の頂点にいると言わんばかりの生命観があることが引っかかりました。いくら大統領候補が宗教右翼の支持を得るために進化論を否定してしまうようなお国がらとはいえ、進化の認識のいい加減さは目にあまるって感じです。異文化交流の話や認識論の話がよくできていただけに、あの19世紀的な進歩史観が足を引っ張っているように見えました。本当に多くの人はいまだにああいう進化のイメージを持っているのかな。「2001年宇宙の旅」も同じ印象を受けたけど、SFの人って「進化」と「進歩」を混同する傾向がありませんか。スティーブン・グールドにはもっとがんばってもらわないと。(そもそも生命に「下等」も「高等」もないはずです。例えば、バクテリアは単純で効率のいい生体システムをはるか昔に作りだし、以後40億年の間、様々な生命が絶滅するのを横目で見ながらずっと地球上に繁栄してきているわけですから、考えようによっては最も優れた生命といえます。)

 で、あの「Q」って何者ですか。


 10.バーニング・ダウン・ザ・ハウス?

 マジソンスクウェアーガーデンで、ニューヨーク・ニックス(バスケットボールね)が負けはじめると、どうしてトーキングヘッズをかけるの?デイビッド・バーンの声が情けないから?体育館に火をつけるぞ。

【追記】 酔っぱらった勢いで訳してみました。Talking heads "Burning down the house"。

「用心しろ!欲しいものが手に入るぞ。へえ、そりゃすごい。風変わりだけど知らない奴じゃない。俺はまともな男だよ。家を焼き尽くすんだ。しっかりしろよ、パーティの終わりまで。しっかりしろよ、ひどい天気になるぞ。何か方法があるよ。家を焼き尽くすんだ。

君の切符だ、荷物をまとめろ、外に飛び出すときだ。乗り物はここにある。十分近くに、それほど遠くないところに。たぶん君もわかっているだろう、自分の居場所を。戦え、火には火をもって。

ずぶぬれだよ。なあ、レインコートがいりそうだな。幻想を振り払え。真っ昼間から歩き回っている白昼夢を。3百−6十−5度で、家を焼き尽くすんだ。

ある時、ある場所で、俺は自分自身に耳をすます、1番になるんだ。なあ、なに期待してるんだ?仕事に行こうとしてる連中、みんな火につつまれるぞ。

俺の家は普通じゃない。その通り、誰も傷つけたくないんだ。きっと何かが俺を吹き飛ばす、俺の脚を。家を焼き尽くせ。

目に見える援助はない。まだ何もおきていない。すべてのことがひとつになりつつある。テレビをのぞき込んで君は何を期待しているんだ?火には火をもって戦うんだ。」
 何だかすごくサイコな歌詞です。悪酔いしそう。ちょっと村上春樹の小説を連想するシチュエーション。というより、村上春樹訳のレイモンド・カーヴァーの小説みたい。これがバスケットの試合でかかるとすごくシュールに見えるんですが、みなさんいかが?


 11.テーブルトークRPGって実際にアクションもするの?

 興味はあるんですがやってる姿を想像すると抵抗を感じます。まわりにやってくれる人もいないし。俺、サラリーマン時代の新人研修のときにロールプレイングゲームってやらされたけど、あれとはぜんぜん違うよね。

【解答1】 再び芦川弟より。

「する奴と…、しない奴と…、あれって、のめり込まないと面白くないんでなりきっちゃってるやつはします。でもさいころとかけっこう小物が多いんであんまし騒ぎません。種類にもよります。TRPGにもいろいろありまして…。注意・お前は勉強してろとかつっこまないように。」


 12.フライング・ミィ・トゥ・ザ・ムーン

 これも60年代くらいのポップスだかソフトジャズだかで、女の人が「フラーーーインミィトゥザムーン」って歌ってる曲です。誰のなんて歌ですか?

【解答1】 うちの教え子・芦川くんからの答え。もとは古い映画の主題歌で、最近では「エヴァンゲリオン」の後テーマ曲として高橋洋子も歌っていたそうです。アニメは見たけど気がつかなかったよ。でも、あのアニメ、キリスト教原理主義のプロモーションみたいで嫌い。あと、Fling to the moon じゃなくて Fly me to the moon だそうです。彼、メールで歌詞も送ってきてくれました。役立つ教え子、いいぞ、芦川。

FLY ME TO THE MOON

Fly me to the moon
And let me play among the stars
Let me see what Spring is like
On Jupiter and Mars
In other words, hold my hand!
In other words, daling, kiss me!

Fill my heart with song.
And let me sing forevermore
You are all I long for
All I worship and adore
In other words, please be true!
In other words, I love you!
(repeat song)
【解答2】 大阪の団地妻さんより。

 さて、Fly Me To The Moonですが、もう少し詳しい話を 和田誠『いつか聴いた歌』から。
 この歌が出来たのは1954年のことで、作詞、作曲はバード・ハワード。この方が音楽監督をやっていたショウの中でフェリシア・サンダース(誰それ?)が初めて歌い、60年代に入ってから多くの歌手が歌い始めたため、世界的に知られるようになったスタンダード・ナンバー。フランク・シナトラ、ペリー・コモ、トニー・ベネット、メル・トーメ、ジョニー・ハートマン、サラ・ヴォーン、アニタ・オデイ、ジューン・クリステイ、ヘレン・メリルといった人たちがレコーディングしている
 とのことです。歌詞はお分かりのようですので歌の意味はやめておきます。この本は、他にもたくさんスタンダードな曲を解説しているのでお勧めです。


 13.Cab Calloway の Minnie the Moocher

 キャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチェ」の歌詞、誰かわかりますか。どうも玉の輿をねらってる体の大きな中国人の女の子の話みたいだけど、スラングが多くて細かいところがぜんぜん聞き取れません。物語構成になってるみたいなんで気になります。

【解答1】 大阪の団地妻さんより歌詞を送ってもらったので、訳してみます。

Minnie The Moocher

Hey folks here's the story 'bout Minnie the Moocher
She was a lowdown hoocie coocher
She was the roughest toughest frail
But Minnie had a heart as big as a whale

Hidehidehidehi (Hidehidehidehi)
Hodehodehodeho (Hodehodehodeho)
Hedehedehedehe (Hedehedehedehe)
Hidehidehideho (Hidehidehideho)

She messed around with a bloke named Smokie
She loved him though he was cokey
He took her down to Chinatown
and showed her how to kick the gong around

Hidehidehidehi (Hidehidehidehi)
Whoah (Whoah)
Hedehedehedehe (Hedehedehedehe)
A hidehidehideho (Hidehidehideho)

She had a dream about the king of Sweden
He gave her things that she was needin'
He gave her a home built of gold and steel
A diamond car with platinum wheels

A hidehidehidehidehidehidehi (Hidehidehidehidehidehidehi)
Hodehodehodehodehodehodeho (Hodehodehodehodehodehodeho)
... (...)
... (...)

He gave her his townhouse and his racing horses
Each meal she ate was a dozen courses
Had a million dollars worth of nickels and dimes
She sat around and counted them all a million times

Hidehidehidehi (Hidehidehidehi)
Hodehodehodeho (Hodehodehodeho)
Hedehedehedehe (Hedehedehedehe)
Hidehidehideho (Hidehidehideho)

Poor Min, poor Min, poor Minnie
ミニー・ザ・ムーチェ

やあ、みんな、ミニー・ザ・ムーチェの話をするよ。
彼女は最低の娼婦だったんだ。
彼女は最高にガサツでタフな女だ。
でも、ミニーはクジラなみにでっかいハートをもっていたんだ。

彼女はスモーキーと一緒にぶらぶらしていた。
彼は魅力的で彼女は彼を愛していた。
ある日、彼はミニーをチャイナタウンに連れていって、
ドラを蹴っとばして見せた。

彼女はスウェーデンの王様になる夢を持っていた。
彼は彼女の欲しがるものならなんでもあげたんだ。
彼は鉄と金でできた家を建ててあげた。
クルマはダイヤモンドでプラチナのホイールつきさ。

彼はミニーに街なかの家と競走馬をあげた。
毎度の食事で彼女は1ダースものコースを食べたんだ。
彼女は100万ドルの価値のある10セント硬貨と5セント硬貨をもっていた。
いつも座り込んではそれを数えていたんだ、100万回も。
貧しいミニー、貧しいミニー、なんて貧しいミニー。
























 体の大きな女の子じゃなくて、クジラの心臓をもった強欲でタフなヤクザの女のミニー・ザ・ムーチェでした。
 この"Minnie The Moocher"ですが、この何年か、頭の中のジュークボックスでへヴィーローテーションされています。満員電車に揺られているとき、しかめっ面で講義をしているとき、歯の浮くようなセリフを口にしているとき、「ボヨヨーーン」という出だしのやる気のないトランペットの音がアタマに響いてきて、思考停止状態になります。「俺、一体、何やってんだろ」って、金盥がアタマに落ちてきたような感じです。そんなくたびれた日々のテーマソングです。(2000)

【解答2】 ナカムラさんより。「キャブ・キャロウェイだけどさ、「ブルース・ブラザース」で「ミニー・ザ・ムーチェ」、歌っていたよ。字幕見れば歌詞もわかるんじゃない。あれ、いい映画だよね。」

【追記】 ミニー・ザ・ムーチェの話には続編もあって、こちらではヤクザの大物・スモーキーとの結婚式の日の大騒動の様子が歌われています。インターネットの普及で、スタンダードナンバーはどれも歌詞がWebサイトに載せられるようになったので、英語の歌詞で悩むこともなくなりました。というわけで、続編の歌詞も訳してみます。歌詞はチャイナタウンが大騒動になっている様子だけはわかるんですが、騒いでいるだけで話はぜんぜん展開しません。オチがねえぞ。(2005.11)

Minnie the Moocher's Wedding Day
→こちらのサイトより

Here's some news that'll get you,
It's made to order for you.
I just bet it'll fit you,
Follow up these red hot blues.

Grab a taxi and go down,
Chinatown's on a spree;
Let me give you the lowdown,
This is really history.

Whenever folks in Chinatown start acting gay
There's something in the air that makes them feel that way.
Yeah, man, I heard somebody say
It's Minnie the Moocher's wedding day!

Old Smoky Joe's so happy he can hardly wait,
He's spent a million dollars for his wedding date,
Yeah, man, they're gonna celebrate,
It's Minnie the Moocher's wedding day.

You better come on down,
Way down in Chinatown,
Oh, let me take you down
To see them kick the gong around.

A million cokies shouting, "Hay-de-hay-de-hay!"
The king of Sweden's gonna give the bride away,
Yeah, man, I heard somebody say,
It's Minnie the Moocher's wedding day!

The king and queen of every nation
Were glad to get an invitation;
The prince of Wales said he would get away
For Minnie the Moocher's wedding day!

They said a hundred thousand hoppies
Went over to China picking poppies,
They're gonna put them all in one bouquet
For Minnie the Moocher's wedding day!

Hi-de-hi-de-hi,
Ho-de-ho-de-ho-de-ho!
Hay-de-hay-de-hay,
It's Minnie the Moocher's wedding day!

Yeah, man! Why, what's that them boys say?
It's Minnie the Moocher's wedding day!
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式


ニュースがあるよ。
あんたにぴったりのニュースだよ。
間違いなくあんたにぴったりだ。
この熱いブルースについてきな。

タクシーをつかまえて、ダウンタウンに行くんだ。
チャイナタウンは宴たけなわさ。
あんたに内幕を報告するよ。
これはまさに歴史的できごとさ。

チャイナタウンの連中が動く時っていうのはさ、
きまって空気にそれを感じさせる何かがあるんだ。
よう、あんた、誰かが言うのを聞いたよ。
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式なんだよ!

オールド・スモーキー・ジョーはとっても幸せ、もうほとんど待てない。
彼はこの式に100万ドルを費やしてるんだ。
よう、あんた、みんなお祝いさ。
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式なんだ。

あんたもダウンタウンへ来たほうが良いよ。
チャイナタウンにさ。
ああ、あんたをダウンタウンに連れて行くよ。
彼らがドラを鳴らすのを見に。

100万のクッキーが叫んでる「ハイディハイディハイ」。
スウェーデンの王様は花嫁を花婿に引き渡すつもりだ。
よう、あんた、誰かが言うのを聞いたよ。
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式なんだよ!

すべての国の王様と王妃様はさ、
招待されて喜んでるよ。
ウェールズの王子は、彼が逃げだすだろうって言った。
ミニー・ザ・ムーチェのための結婚式なんだ!

彼らは10万回も希望を言った。
ポピーを採りに中国へ渡るって。
彼らはそのポピーをすべてひとつの花束にするだろう。
ミニー・ザ・ムーチェのための結婚式なんだ!

ハイディハイディハイ
ホーディホーディホー
ハイディハイディハイ
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式なんだよ!

よう、あんた、小僧たちは言う、なぜ、どうしてって。
ミニー・ザ・ムーチェの結婚式なんだよ!


 14.うちのOutlook Express がおかしい

 うちのOutlook Express、メールのウェブアドレスをクリックすると、ブラウザじゃなくてCドライブが開くようになっちゃた。知ってれば「なーんだ」、知らないと「半日がかり」のパソコンのトラブル。半日つぶして原因究明する気もなく放ってあります。誰か教えて。

【追記】 IEのバージョンを5.0にアップしたら勝手に直りました。でも、誰も教えてくれないのがちょっと悲しい。

【解答】 Webでピカチューページを運営している若いプログラマー、Diceさんより。ちなみにDiceサンのページはこちら→ ワカマツジム オフィシャルホームページ。

 ネットでこんな情報を見つけました。もう解決なさってるみたいですけど……参考にしていただければ幸いです。http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/9177/rei/win.html
内容:
FTP Explorerをインストールするとなんだかおかしくなる。
アウトルックで見たメールのアドレス(http://....)をクリックしてそのページを見ようとすると、エクスプローラーでメインのハードディスクの内容が表示される。
Windows98でIE4.01を標準のブラウザにして、Outlookを標準のメーラーにした状態でFTP Explorerインストールした場合、関連付けがおかしくなるためだと思う。関連づけの変更で直せるようだ。
【追記】 ご指摘の通りで、うちもFTP Explorerを使っています。IEのバージョンが4.01のときはこのバグでけっこうイライラさせられました。WIN95とIE4の組み合わせは不安定だったみたいで何やかやと悩まされた気がします。同じトラブルを抱えている人がいたらさっさとIEを5.01にバージョンアップしましょう。


 15.立体テトリスの逆襲

 自己紹介のページでも書きましたが、私は子供のころから熱を出して寝込むときまって六角形や長方形を組み合わせている夢を見ます。うなされながら立体テトリスをえんえんとやっているようなもので非常にしんどい夢です。パーツはどうやっても隙間ができたり、思い通りの形にはならず、崩しては組み合わせるを繰り返します。パーツは自分の体ほどの大きさで、はるか彼方まで埋め尽くされています。なぜそんなことをしているのか、何のためにやっているのかはわかりませんが、何かの意図があるみたいで「こんなんじゃダメだ」と頭の中で声がして続けずにはいられません。熱や痛みが激しいときほどその声は強くなります。賽の河原やシーシュポスの物語を連想します。

 1年前の冬にウィルス性の食中毒でひどい目にあったときは、痛みで意識が朦朧とする度に六角形のパーツが目の前に浮かび、なぜか私は世界の真の姿が六角形の組み合わせでできていると確信したのでした。私がパーツの組み合わせを中央集中型や周辺分散型に作り替える度に革命がおきて社会構造や人間関係も変化するのです。これは神経症の症状でしょうか。こういう夢に悩まされている人はいませんか。私は子供のころから積み木とブロック遊びが好きで、エッシャーの版画を美しいと思っていますが、あの夢は悪夢です。


 16.ジョン・カビラと川平慈英

 あの二人は兄弟なんですか?名前だけじゃなくて芸風も同じだし。
 ジョン・カビラによると「カビラ3兄弟」とのことだけど。

【解答1】 売れないカメラマン・須磨くんから。「兄弟です。常識です。ジョンが長男、慈英が次男です。いまさら何言ってるんですか、村田さん」だそうです。そうかい。関係ないけどJ-WAVEの海老原由佳の声は色っぽいです。

【追記】 須磨には「宇多田ヒカルと藤圭子が親子ってホント?」と聞いたときもバカにされました。「ジョーシキですよー村田さん、ジョーシキ」。悪かったな、非常識で。でもホントに常識なんですかい?

 さらに芸能通・須磨くんからのお言葉。「もちろん村田さんは、ドラゴンアッシュVo.の降谷君と古谷一行が親子であることを知らないでしょう」。その通りだよ、もちろん村田さんは知らなかったよ。須磨情報によると2人が一緒にテレビコマーシャルに出演して、ドラゴンアッシュのアルバムを宣伝していたそうですが、私はそのテレビCM自体、見たことがありません。ともかく、芸能通・須磨くんと彼の周囲では宇多田ヒカル・藤圭子とドラゴンアッシュ君・古谷一行はそれぞれ親子であることがジョーシキだそうです。へいへい、ジョーシキね。

【解答2】 杏さんより、メールにて。
「川平家は三人兄弟で、上から慈温(ジョン)・謙慈(ケンジ)・慈英(ジェイ)なので、慈英さんは次男ではなく、三男なのです。ジョンさんはご存知の通りDJ、慈英さんは舞台俳優やサッカー解説等、謙慈さんはビジネスマンだそうです。」

 情報ありがとうございます。慈英は三男だったんですね。それにしても、ジョン・カビラに漢字の名前があったとは知りませんでした。川平慈温……これなら間違いなく慈英氏と兄弟に見えます。でも別人のようでちょっと違和感を感じます。関係ないですが朝のラジオでの彼の雄叫びが好きです。ハ〜バグッ〜ウィ〜ケン!


 17.地学の三輪先生

 高校の時、地学の先生で1年間ずっと山登りの話と砂漠を歩いて横断した話をされた方がいました。教科書はとうとう1度も開きませんでした。「教科書なんて読めばわかるように書いてあるからねー。せっかくの授業だからもっと身のある話しようゼー」ってな調子でした。

「いやー、山登りって言っても僕は岩のぼり専門でさー、普通の山なんかかったるくってやってらんないって感じねー。でさあ岩登りってよく落ちるんだよ、これが。あれええええ、なんてなんてさー。でも、大丈夫なんだよ。ハーケンってえのを打ち込んでいるからね、途中でぶら下がるんだよー。でも、このハーケンが意外とよく抜けるんだ。ほら、人間て頭のほうが重たいだろー、だから落っこちる時って仰向けに落ちるんだ。そうするとさー、落っこちながら上の方でハーケンが引っこ抜けるのが見えるんだよ。プチーンって。まあ、1本くらい抜けてもどうってことないんだけどねー、2本目がプチーンて抜けると、こりゃあまずいなあって思うんだ。で、3本目がプチーンって引っこ抜けたときはもうダメだと思ったよー。ほら、よく人間死にそうになると一瞬のうちに今までの人生が頭を駆けめぐるって言うだろー。あれホントなんだぜえ。落っこちながら、ああ子供のころ母親優しかったなあなんて思い出しちゃってねえ、参ったよー。」
 いつも飄々とした雰囲気で、授業は毎回そんな感じでした。

 他にはリヤカーをひいてオーストラリア大陸を横断した人の話、歩いてサハラ砂漠を横断した人の話、1頭の羊をみて「うまそう」と話すアラブ人の話などがありました。なにやらご自分で「地平線会議」という冒険旅行をした人の集まりを主催されているそうで、よくもまあという感じで、1年間、次から次へとそういう話がつづきました。話し上手な方で、一同呆気にとられながら毎回楽しみに聞いていました。なかには高校卒業と同時に冒険旅行へ行ってしまうほど影響を受けた者までいました。(ものぐさな私は感心するばかりで行きませんでしたが。)
 おそらく先生はそれらの話のなかでくり返しこう言いたかったんだと思います。人の話を鵜呑みにしたり、本やテレビの知識でわかったようなつもりにならないで、自分の目で見て、自分の足で踏みしめて、自分の頭で判断しようと。

 で、授業をする側にまわって思うんですけど、つくづく偉大な方だったなあと思います。ちょっとマネできません。生意気ざかりの連中を40人も相手にしてあれだけ話に引き込んでしまうというのは特異な才能です。教科書を1度も開かないというのもすごすぎます。高校生の我々は「あれでよくクビになんねえよなー」などと言いつつ、内心すごい人だと認めていました。

 2年前、NHKのラジオに出演して地平線会議の話をされているのを聞きました。いまも教員を続けているようでした。当時30代後半くらいだったので現在は50歳くらいだと思います。

 あの偉大な三輪先生は今はどこの高校で教えているんでしょうか。いまでも山登りの話と大陸横断の話をされているんでしょうか。あいかわらずまっ黒けに日焼けして黄色いシャツ着ていますか。三輪先生に教わった方、今教わっている方、話聞かせてください。

【追記】 もしやと思って「地平線会議」で検索するとやっぱりありました。三輪先生の写真もありました。先生はあいかわらず真っ黒に日焼けして、ウルトラマラソンにチャレンジされているようでした。「かかってきなさい、ハッハッハッハ」と書いてありました。すげえおっさん。こちらです。

→ 地平線会議のページ


 18.ガッチャマンはケンだけ?

 以前、実家に帰った際、枝豆をもぐもぐ食べながら、なぜか母親(58歳・エルビスマニア)とガッチャマンの話になりました。どういう話の展開でそうなったのかは忘れましたが、母がこう言い出しました。「私は優等生のガッチャマンよりもジョーのほうが男の色気があって好みだったな」。変な母親ですが、人生を謳歌しているようなのでまあそれはいいわけです。はいはいアナタも独身生活ながいしね、毒蝮にババアって呼ばれて喜ぶようになるよりはジョーに男の色気を感じてるほうがまだいいです。で、それよりも「ガッチャマンよりもジョー」という言い方のほうが引っかかります。この言い方だとまるでリーダーのケンだけがガッチャマンみたいです。しかし、科学忍者隊の5人は、それぞれガッチャマン1号〜5号のはずです。私はこれまでそう信じて生きてきました。そう指摘したところ、不覚にもガッチャマンをめぐって母親と激論することになってしまいました。お互い主題歌を歌いながら。

【私の主張】 番組名は「科学忍者隊 ガッチャマン」であり、科学忍者隊とガッチャマンは同義語である。主題歌にも「科学忍者隊 ガッチャマン ガッチャマン♪」と歌われており、ガッチャマンとは科学忍者隊の呼称である。ちょうど米軍特殊部隊をグリーンベレーと呼ぶようなものである。したがって、科学忍者隊のメンバー5人はそれぞれガッチャマン1号〜5号であり、「G-2号」と呼ばれるジョーは「ガッチャマン2号」である。よって「ガッチャマンよりもジョーのほうが好みだ」という発言はそもそも前提が間違っているのであり、成立しない命題である。

【母の主張】 それは違う。ガッチャマンとはリーダーのケンだけを指す。まず、主題歌には「白い翼のガッチャマン♪」と歌われており、ガッチャマンは白い翼でなければならない。しかしメンバーで白いコスチュームは大鷲のケンと白鳥のジュンだけである。この点からして科学忍者隊の5人がそれぞれガッチャマンだとするのは不自然である。さらに、南部博士やベルクカッツェはケンだけを指して「ガッチャマン」と呼びかけていた。番組の中でケンだけを指して「ガッチャマン」と呼びかけるシーンはたびたび登場する。したがって、ガッチャマンがケンだけを指していることは明晰判明なのである。メンバーが1号〜5号と番号で呼ばれるのは、あくまで「科学忍者隊1号〜5号」のことであって、ガッチャマンはオンリーワンである。オマエ、ちゃんとみてたのかよ。
 結局、言い負かされてしまいました。たしかにガッチャマンに関しては、私よりも母のほうが熱心に見ていたことは認めます。体の線がセクシーだとか白いタイツは目のやり場に困るとかなんだとか幼稚園児だった私に言いながら。それにベルクカッツェもケンだけを指して「ガッチャマン!」と呼びかけていたような気がします。でも、なにか非常にかつ猛烈に釈然としません。言い負かされてくやしいし、なによりこれまでの私の人生が否定されたような気分です。そこで、友人たちにも考えをきいてみたところ、彼らもガッチャマンがケンひとりを指すという主張に愕然とした様子で、ここでも再び大激論となってしまいました。同世代の我々にとってガッチャマンはかなり思い入れの強い共通体験だったようです。彼らも私同様に、科学忍者隊のメンバー全員がガッチャマンだと固く信じてきたみたいです。
【友人の発言(ビール大ジョッキ4杯目)】 ほらあれだよあれあれ、科学忍者隊の5人にそれぞれ出番があってさ、ストーリーによってはジンペーやリュウが主役になったりもして、リーダーのケンだけが特別に主人公っていうわけじゃなかったよね、それなのに番組名である「科学忍者隊ガッチャマン」がリーダーのケンひとりのことを指しているなんて不自然だよ、ゴレンジャーだってデンジマンだってチーム名であって、レッドひとりが「ゴレンジャー」だったり「デンジマン」だったら変でしょ、なのに科学忍者隊はリーダーだけがガッチャマンだなんてことがあっていいはずがない、それは民主主義の否定だ、人生の不公平だ、2番バッターはバントだけしてればいいとでも言うのか、否!そんなヒーロー至上主義がまかり通るほど日本のプロ野球は甘くないのである、もしサンダース軍曹だけがガッチャマンって呼ばれていたらカービーもリトル・ジョンも援護射撃なんかしてやらないもん、俺は絶対にそんなガッチャマン認めないもん。
 というわけでいちおう多数決と熱い意気込みでは勝っているわけですが、これでは収拾がつかないので、真相を究明すべくガッチャマン関係のWebサイトを検索し、Webマスターの方に質問のメールを送ってみました。母親と大激論っていういきさつははずかしいのでふせて。以下は、そのWebマスター、tong-qさんの解答。ありがとうございます。

【tong-qさんのメール】 残念ながら、これはお相手の方がただしいですよ。ガッチャマンはリーダーであるG−1号の健だけをさします。 だから「メン」にはならなくて、いつも「マン」なのです。その他の各メンバーはG−2〜5号としか呼ばれませんしチームとしての名称は「科学忍者隊」だけです。しかし「濃い」話をされてますね。 これはファンでも気がついてない人が多いですよ (^_^;
 うむむむむむむ。結論が出ました。tong-qさん、ていねいな解答、感謝。でも、「電子戦隊デンジマン」は5人組みでもデンジマンでしたよって我ながらあきらめが悪いですね。失礼しました。あと、これも今まで生きてきて気づきませんでしたが、うちは濃い人間だったようです。というわけで友人たちに、「ガッチャマン」はケンのことであり、科学忍者隊の呼称ではないという今回の結論を報告したところ、再び猛烈にショックを受けた様子でした。きっとこれまでの自分の人生に不安を感じていることと思います。みなさんは知ってましたか。(1999)

 → tong-qさんのページ 「ガッチャマン三日月珊瑚礁DB」
 *その後、他のガッチャマンファンのみなさんと共同でこちらのガッチャマンサイトを運営されています。
 → 「ユートランド・クロニクル」

【追記】 どんどん大きくなるWikipedia。もちろん「科学忍者隊ガッチャマン」の項目もあります。やはりこちらの解説も「作品内の設定では、「ガッチャマン」とは、科学忍者隊のリーダーの称号である。正確に呼ぶならば、リーダーの大鷲のケン以外の四人は「ガッチャマン」ではなく、単に科学忍者隊の隊員、ということになる。」とあります。今回、Wikiの解説を読んで白鳥のジュンと燕の甚平が姉と弟ではないと知りました。いろいろ発見があるもんです。母親に言うとまためんどくさいことになりそうなので、だまっておくことにしました。(2007)
 → Wikipedia「科学忍者隊ガッチャマン」

 19.藤原紀香の謎

 最近、やたらとメディアへの露出度の高い藤原紀香、今年(1999年)の4月からテレビコマーシャルも爆発的にふえました。個人的には、なんかでろっとしててバブリーな感じで苦手です。なんであんなに売れてるのかわかりません。どんな人がファンなのか気になります。まわりにもきいてみたんですが、ファンはひとりも見つかりませんでした。本当にファンなんているんでしょうか。たとえば、瀬戸朝香や工藤静香や雛形あきこ(ずっと演歌歌手だと思ってました)だと、トラック運転手や建設作業員をしている元暴走族の若者がアパートの天井やトラックの車内にポスターを貼っている姿が思い浮かびます。高田みずえや太田裕美だと(たとえが古くて恐縮ですが)、銀縁メガネをかけたちょっと暗めの技術系サラリーマンがレコードや写真集のコレクションをしている姿が思い浮かびます。あるいは今井美紀や岡村孝子だと、地方出身のOLが職場で嫌なことがあるたびに彼女の曲を聞いてウルウルしている姿が思い浮かびます。趣味・趣向の細分化した現在の日本社会では、タレントやアイドル歌手の活動も、そんなふうに特定の支持層があって成り立つのではないかと思います。もちろんタレントやアイドルのパブリックイメージは、メディア側の仕掛けによる「つくられたブーム」によって成立するものですが、藤原紀香はどんな人たちが支持しているのかさっぱりわからないので、彼女のパブリックイメージについては、とくに「つくられた感」が強くて、週刊誌の見出しにならぶ「いい女・藤原紀香」の決まり文句を見るたびに違和感をおぼえます。

 というわけで、どんな人が彼女を支持しているのか気になります。あ、念のためにいうと、彼女のパーソナリティや芸能界の裏事情にはまったく興味がありません。「藤原紀香」というパブリックイメージとそれを支持する人たちがどうなっているのか知りたいと思っています。もし、あなたのまわりに藤原紀香が好きな人がいたら教えてください。(私は人の趣味の悪さにケチをつけるのが大好きですが、今回は純粋な疑問です。)(1999.5)

【解答1・周囲の反応】
「これなんですが、I君が大ファンです。理由は良く分かんないんですけどね(笑&じゃあ書くなよ!>俺)。ちなみに俺は全然好きじゃないです。」15歳中学生。
「藤原紀香ですか・・・うーん、むずかしいね。残念ながら、いませんね。会社にも・・CMではやたらみますね。きっと、スポンサーになられてるおじさま達の趣味なのではないですか。ちょっとまえの、西田ひかるとかみたいに・・・それはそうと、そろそろ釣りいこうよ。」30歳会社員。
「私も藤原のりかに魅力を感じないですね。(あのバスト、ウエスト、ヒップは羨ましいのですが)。でも、あんまり気負っていないところはいいんじゃないでしょうか。私の回りにもファンはいませんが。」35歳2児の母。
「そもそも熱狂的ファンなんていないんだよ。ほら、NHKの好感度調査で毎年当たり障りのないタレントが1位に選ばれるよね。あれと一緒。コアなファン層がなくて、「スタイルいいね」とか「まあべつにいいんじゃない」っていう雰囲気が広く浅く広がってるだけなの。そういう当たり障りのない存在だからこそあれだけCMに起用されてるの。CMってそういう広く浅く好感が得られればいいっていう性質のものでしょ。どれも彼女である必然性がないものばかりだよね。だから彼女はCMのクイーンにはなれても映画の主演をやることはないと思うよ。」30歳会社員。

【解答2・メールにて】
 Nami Matuoさんから。「ところで、藤原紀香についてですが、私の周りには好きな人多いですよ。先日も、「藤原紀香がキライな男なんているんだろうか」なーんていってるのを耳にしたくらいです。もう一ヶ月も前になるでしょうか、格闘技番組「SRS」を彼女がやめることになって、そのために空手の対戦が組まれてました。藤原紀香のために、って。ああいう、筋肉質の男性には受けるのでは?それと、女性人気もあるんでしょう、特にブランド好きには。でも、「紀香はみんなのお手本!」っていうファッション誌の扱い方はウンザリしますけど。私は関西に住んでいるんですけど、関西人ウケする派手さじゃないかなぁ。下品にも上品にもならない、スノッブさが魅力なのではないでしょうか。(私は肯定も否定もしません。私にはクボジュンが人気があるというほうが謎です。)」
 続けてNami Matuoさんから。「ところで、全日空の沖縄キャンペーンキャラクターは藤原紀香で、飛行機の中では藤原紀香のパネルといっしょに写真を撮るというサービスがされていました。周りの若者たちは皆うれしそーに藤原紀香のパネルと並んでスチュワーデスにシャッターを押してもらってました。藤原紀香って、そういえば2、3年まえまで関西の深夜のクイズ番組で、胸の谷間とミニスカートの脚をみせるためのアシスタントをやってました。「関西」の「深夜」ですよ。B級もB級。ところが、徐々に徐々にのしあがってきて、今やスターの座。今年、彼女のお誕生日会は沖縄で行われたそうですが、集まったファンのほとんどは女性だったそうです。その会場で「私がここまでこれたのは皆さんのおかげです」といって泣いたそうです。彼女がここまで来るためには、どれほどの苦労があったことか。何人の業界人と寝たことか。ヨゴレ仕事もこなしたことか。それでも彼女は体を張って、根性でかんばってきたわけです。空手の入門といって稽古をやらされている藤原紀香を見たことがありますが、泣き言をいったりワガママいったりせずまさに「根性」でがんばってたように思います。そう、藤原紀香はただのちゃらちゃらしたバブリーな肉体派ではなく、叩かれても這い上がるど根性の肉体派なのです。」
 土取久美さんから。「藤原のりかは、女の子にはけっこう人気があります。「顔が藤原のりかで、スタイルがりょうだったらいいのにー」と言ってる子がいました。(去年の話)逆じゃないんです。不思議だ。」

 サンプルが少ないのでこれで決めつけるのはあまりに乱暴ですが、少しだけファン像が見えてきました。「関西」「長い下積み」「格闘技」「若い女性」といったところが彼女のキーワードとしてあげられそうです。とくに東京と大阪とでは、藤原紀香についての受け止めかたがずいぶん違っているようです。売れるためならプロデューサーと寝ることもいとわないという話は、マリリン・モンローからCCガールズまで、女性タレントについてのステレオタイプ化された噂話ですが、ここで知りたいのは、そうした業界の裏事情や彼女の実像ではなく、あくまで彼女のパブリックイメージについてです。ただし、這い上がるために彼女が今まで何人ものプロデューサーと寝てきたということが衆知の事実で、多くの人がその「努力」について賞賛し彼女を支持しているとなると話は違ってきます。もしそうだとすると、彼女とファンの関係は、ナポレオン・ヒルの「成功哲学」や「金持学」の変な社長と彼らの説く現世利益の信奉者との関係を連想します。あと一歩で自己啓発セミナーです。でも、本当にそうなの。たしかに色気と上昇志向の強さを売り物にしている印象を受けますが、たとえ自分を売り出すために何人もの業界人と寝てきたことが事実だとしても、そういう過去を積極的に公表するタレントを見たことがないので、その「努力」を積極的に評価するほど社会の性意識が変化したとは考えにくい。なので、彼女の下積み時代を知っている関西地域での支持は、「つい最近まで深夜番組の色物だったのに売れて良かったね」くらいの共感ではないかと思うんですが、どうでしょうか。

 ところで、りょうと藤原紀香を混ぜようっていうのは難しいんじゃないかと思います。どう見ても、りょうと藤原紀香とは排他選択です。藤原紀香が「CanCam」なら、りょうは「an an」か「流行通信」です。水と油に見えます。藤原紀香を選ぶ人はりょうなんかミュ−タントに見えるだろうし、りょうを選ぶ人には藤原紀香は言葉を話す土佐犬にしか見えないはずです。ちなみに80年代にティーンエージャーだった私としては、藤原紀香や梅宮アンナはテレビタレントであって、ファッションモデルの範疇には入りません。(1999.7)

【追記】
 少し調べてみました。まず、芸歴。
1992年 大学在学中に第24回ミス日本グランプリを受賞。
1993年 東レ水着キャンペーンガール。
     関西ローカル番組「ナイトinナイト」クイズ!紳助くんのアシスタント。
     雑誌「JJ」専属モデル。
1994年 アサヒビールイメージガール。
1995年 阪神大震災を期に上京。
     「JJ」から「CanCam」へ移籍。人気モデルとなり表紙も担当。
     (モデルは1997年まで。1998年1月号からはコラム「月刊 藤原紀香」を同誌に連載。)
1996年 格闘技番組「SRS」(フジテレビ系) でビジュアルクイーン(1999年3月まで)。
1997年 映画「CAT'S EYE」出演。
     ドラマ「それが答えだ!」(フジテレビ系) 出演。
     ドラマ「ラブ ジェネレーション」(フジテレビ系) 出演。
1998年 ドラマ「ニュースの女」(フジテレビ系)
     ドラマ「ハッピーマニア」(フジテレビ系) 出演。
     ドラマ「WITH LOVE」(フジテレビ系) 出演。
     ドラマ「あきまへんで!」(TBS系) 出演。
     テレビCMへの出演件数急増。
1999年 映画「GTO」出演。
     ドラマ「ナオミ」(フジテレビ系)で主人公の女性教師を演じる(初主演)。競演がりょう。
     ドラマ「危険な関係」(フジテレビ系)出演。
     JALキャンペーンガール。
2000年 映画「スパイN」(CHINA STRIKE FORCE)出演。
     彼女の出演するJ-PHONEのCMが話題になり、J-PHONEのシェアを伸ばす。
*CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで、藤原紀香は1999年と2000年に1位。
 こうして出演したドラマをならべると、ほとんどがフジテレビ系だということがわかります。フジの格闘技番組「SRS」で人気に火がつき、格闘技人気とその格闘技ブームをさらに盛り上げたいテレビ局の思惑に乗るかたちでフジのドラマへ進出、人気を定着させていったという様子が読み取れます。早い話がフジテレビによる仕掛け先行の紀香ブームで、このへんの格闘技バラエティや軽めのテレビドラマをよく見ている人たちは、ひとりのモデル嬢がブームの中でパブリックイメージを形成していく様子をリアルタイムで見られたのではないかと思います。(先のメールで、藤原紀香とりょうをならべるセンスが理解できませんでしたが、1999年に同じドラマで競演していたことがその理由のようです。)逆に、私をふくめて、見ていない人にとっては、1998年末から1999年春にかけて、突然、見慣れないタレントがテレビCMを席巻し、なぜかマスメディアでは「いい女」の代名詞として既成事実化しているという状況に出くわし、「なにそれ」となったわけです。そういう意味でつくられたブームの典型のようなケースといえます。彼女の雑誌モデルの「卒業」は1997年と意外に早く、フジの連ドラへの出演が決るのとほぼ同時に活動の場をファッション誌からテレビにシフトしたようです。この藤原紀香の成功がロールモデルになって、その後、米倉涼子や長谷川京子など「CanCam」モデル「卒業生」がテレビタレントへ転身するパターンを生みだしていきます。雑誌「CanCam」もモデルの話題性から、90年代半ば以降、売り上げを大幅に伸ばしていきます。
 → Wikipedia「藤原紀香」
 → 「CanCamのミューズたち」 CanCamモデル歴史 1997-2006

 1980年代のモード全盛の頃、服飾は社会的記号と造形の持つ意味の両面から分析される対象となりました。書店の店先でファッション誌をめくると誌面には「シニフェ」や「シニフィアン」といった用語がならんでいて、服の表現しようとしている意味と服を着るという行為について記号論的に読み解こうとしているようでした。記号論の用語を大量にもちいる気どった文体には閉口させられましたが(いちいち辞書ひくのも面倒だったし)、その一方で、凝ったアートワークと写真によって服を「作品」として紹介し、分析的に読み解こうとする誌面づくりには好感を持ちました。ちょうどモダンアートの解説つき写真集を見ているような感じで、私のようなそこで紹介されている服をおそらく一生着ることはなさそうな者が読んでもけっこう楽しめるものでした。そうしたモード指向のファッション誌の対極にあったのが「CanCam」や「JJ」で、「脚を長く見せるパンツ」「顔を小さく見せるメイク」「合コンでモテるための服」といったHow toに徹した記事がならび、それにあわせて実用的な服が紹介されます。前者が服を対象化して読み解くことで読者に能動的な選択をせまり、その結果として誌面は先鋭化していくのに対して、こちらの場合、見られる自分とどこまでも一体化しているのが特徴です。ボーイフレンドやその候補となる若い男性たちからどう見られるかが最大の評価基準で、必然的に紙面で紹介されるアイテムは、きわめて保守的なものになります。学生なのになぜかパンプスにタイトスカートでルイヴィトンのバッグを下げてキャンパスを歩いている人を見かけたら、ほぼ間違いなくこの手の雑誌の読者です。女子短大などでは、学生の半数くらいがそういうOL予備軍みたいな格好をしているところもあるようです。卒業後は本物のOLになり、職場や合コンでそれなりに生活力のありそうな若いサラリーマンをつかまえて、20代なかばで寿退社するくらいまでが主な読者層。あまり尖ったところや社会への問題意識のない人たちで、月9のドラマや「タイタニック」「セカチュー」の視聴者層と重なります。この傾向は現在に至るまで一貫していて、最近の「CanCam」でくり返し使われるキーワードは「めちゃモテ」とのこと(ひえぇー)。要するにやたらとデートマニュアルやモテる服のノウハウを特集する「ポパイ」や「ホットドッグプレス」の女性版というところです。90年代なかばまでは、あまりそれを読んでいることを人に知られたくないタイプの雑誌だったはずですが、藤原紀香効果と彼女に続く「卒業生」たちのメディアでの活躍によって、最近ではそうでもなくなっているようです。(最近では、この手のOLファッション誌をまとめて「赤文字系」と呼ぶそうで、今回はじめて知りました。)
 → Wikipedia「赤文字系」
 前置きが長くなりました。「CanCam」のもうひとつの特徴として、きわめて内向きの閉じた誌面作りがされていることがあげられます。定期購読者を囲い込むため、そこだけで通じる用語と価値観で誌面は構成され、長く読み続けている読者ほど居心地良く感じられるような作りになっている。今回、この文章を書くために図書館でまとめて5冊借りてきただけの私のような読み手にとっては、逆になじみの客だけを相手に商売をしている居酒屋に入ってしまったような居心地の悪さをおぼえます。ここでは雑誌の作り手と読み手とが疑似家族であるかのような親和性が演出され、誌面に登場するモデルたちは読者の身内であるかのような印象を抱かせます。たぶん、長く読み続けている読者がいきなり購読をやめたら、身内を裏切ったような後ろめたさを感じるんじゃないでしょうか。子供の頃に読んでいた「コロコロコミック」以来、雑誌にそんな居場所感覚をおぼえたことはありませんでしたが、ひさしぶりにあの囲い込まれる感覚を思い出しました。小学館が学習雑誌で培ってきたノウハウなのかもしれません。モデルはすべて専属契約で日本人。ハーフのモデルはいても、一見して西洋人というルックスのモデルは登場せず、読者との距離の近さが演出されています。モデルの近況報告のページも充実していて、「受験勉強がんばってます!」「バレエ、ちょっとなまけてしまった」といったコメントが写真付きで紹介され、さらに「卒業生」のその後の活躍や結婚報告までフォローされており、徹底的に身内感覚が味わえるようになっています。なるほど、ここでなら「紀香さんは私たちのお手本」という不気味なフレーズも違和感ありません。スポーツ新聞や男性週刊誌が取りあげる「藤原紀香のフェロモン全開」という文脈と「CanCam」に彼女が登場するときの「紀香さんはみんなのあこがれ」という文脈とでは、パブリックイメージに明らかな分断があるわけですが、「CanCam」読者にとってそれは違和感をおぼえるようなパブリックイメージのズレではなく、身内のお姉さんが色々な分野に進出してがんばっているという認識の中にすべて吸収されるものようです。そもそも「CanCam」のファッション誌としての基本路線は、能動的な美意識の形成ではなく、あくまでモテるための着こなしや身体づくりにあるわけで、性的魅力を異性にアピールすることはお手本としてそのノウハウを学ぶべき対象になる。強いなあ「CanCam」家族。1999年のJAL沖縄キャンペーンで、彼女を囲んで行われたパーティに集まった熱心なファンというのもこの疑似家族のみなさんのようです。彼女たちを前に藤原紀香は「ここまでこれたのはみなさんのおかげです」と涙を流したという話でした。私のような部外者にとっては、そういう場面で自分に対して涙を流せるメンタリティは不気味だし、ちょっと勘弁してくれという感じですが、それくらい自分に酔えるメンタリティでないとこういう人に見られる仕事はつとまらないんでしょう。集まった熱心なファンたちはきっと一緒に涙して共感し合ったことと思います。この「CanCam」家族を核にもっていることが、セクシー路線のパブリックイメージが形成されても、CCガールズとは違って女性層から拒絶されない理由ではないかと思います。
 → Wikipedia「CanCam」
 → clast「CanCam」:日本ナンバーワンのファッション雑誌
 → clast「CanCam」:社会現象として

 というわけで、藤原紀香を支持する女性ファンとフジテレビによるブームの仕掛けについては状況が見えてきましたが、一方で、「いい女」「ゴージャス」「フェロモン」の決まり文句とともにスポーツ新聞や男性週刊誌で展開されるセクシー路線のパブリックイメージについては、メディア側の仕掛けばかりが目について、本当にそんなものが定着しているのか、依然として疑問が残ります。フジテレビと格闘技の関係者以外に、藤原紀香をセックスシンボルだと本気で思っている男性はいるんでしょうか。AVギャルのようなストレートなお色気でもなく、かといってマニアックな路線でもなく、中途半端にコントロールされたセクシー路線という感じで、やはりコントロールするメディア側の仕掛けのほうへ目がいってしまいます。スポーツ新聞のパブ記事だと、ハリウッド女優路線でいこうとしているみたいで、本人もキャメロン・ディアスを意識しているようなコメントをしてます。でも、エリザベス・テーラーからアンジェリーナ・ジョリーまでハリウッドの大物女優が共通してもっている大衆を見下すような強烈な自意識や近寄りがたさは感じません。むしろ、テレビに映る彼女はカラダが大きくて気さくな関西のオネエチャンという感じ。(彼女のパーソナリティや私生活にはまったく興味がありませんが、そういう意味では人柄は良さそうに見えます。)それにそもそも「シュレック」の吹き替えをやっただけで、ハリウッドの映画なんか出演してないじゃん。芸能マスコミ主導でつくられたパブリックイメージっていっても、一本も出ていないのにハリウッド女優路線はいくらなんでもふくらませすぎで無理があります。はたして彼女は本人が希望するように「007」へ出演して、浜美枝の二代目になることができるんでしょうか。今回、堺正章と一緒に司会をしている歌番組ほか、彼女の出演しているバラエティを数本、ドラマを数本、見てみましたが、バラエティはしゃべりがたどたどしくって見てられませんでした。いちいち妙なポーズや表情をつけようとするのもわざとらしくて、歌番組の司会やバラエティでポーズをつけられてもなあという感じ。相手の話を引き出す機転や話を広げる話術はないようで、ちょっとバラエティは無理ではないかと思います。ふくらんだ「藤原紀香」のパブリックイメージに、本人も焦りを感じつつ必死でつくってその虚像を演じようとしているという印象です。むしろ同じ番組に出演していたテレビ局の女子アナのほうが、素と虚の間を自由に行き来しながらしたたかにメディアの中を泳いでいるように見えました。今は「藤原紀香出演」のプレミアム感でどうにでもなりますが、このぶんだとふくらんだパブリックイメージがしぼむのも早そうです。ドラマのほうはセリフさえなければそれなりに見られました。(ただ空手をやっているというわりには、動きにキレがなくて鈍重な感じ。アクションものを本気で目指そうとしているのか少し疑問を感じました。)いまのところふくらんだパブリックイメージの中身は空っぽなので、仕掛ける側としては、新鮮味のあるうちに気合いの入ったアクションムービーに主演させて、実績が欲しいところではないかと思います。(2000・2007加筆修正)

【追記】
 先の文章から7年が経過しました。予想どおり、ふくらんだパブリックイメージがしぼむのはあっという間でした。2002年サッカーワールドカップでの日韓親善大使を最後に、メディアで脚光を浴びる彼女を見ることはなくなりました。ここ数年は、大晦日の格闘技番組で彼女を見かけると「まだ芸能活動続けていたんだ」としみじみした感慨にひたるようになりました。まあ、メディア主導でつくられたブームなんて、ふくらむときもしぼむときもこんなもんなんでしょう。やはり広げた風呂敷に収める作品がつくれなかったのが致命的で、彼女の主演でアクション映画を撮ろうっていう人はいなかったんでしょうか。ハリウッド作品でなくても良かったのに。また、パブリックイメージの不気味さという点では、彼女よりもはるかに不気味な叶姉妹の登場によって、メディアの注目も私の興味の対象もそちらへ移行しました。というわけで、土曜の夕方、つけっぱなしにしたテレビからウィークリーマンションの安っぽいCMが流れるのを見ながら、収まるところに収まったのかなと思っていました。

 そんな昨年末の2006年12月、吉本の芸人との婚約が発表されました。ますますもって収まるべきところに収まったという印象。相手の吉本芸人は、見たことも聞いたこともない青年でしたが、いまどきの芸人ふうでまあまあのルックスでした。下の記事の「普段は関西のお姉ちゃんです」のコメントは、状況を読めていないムコ殿のバカさ加減が少々気になるけど。いまさらムコ殿にそんなこと言われなくてもみんな知ってます。
ついに婚約会見! 紀香「お供します」
オリコン 2006年12月27日4時20分配信
 女優の藤原紀香とお笑い芸人の陣内智則が12月26日、東京・麹町の日本テレビで婚約会見を開催。「なんやかんやゆうても、芸人の嫁として3歩下がってついていきたい!」と関西弁丸出しで赤面しながら決意を語った。挙式は来年2月17日(土)、結納を行った神戸・生田神社で行う。
 2人は今年夏に放送された日本テレビ系ドラマ『59番目のプロポーズ』で共演。撮影終了時に陣内が紀香に「感謝の気持ちと連絡先を書きました!」と直接手紙を渡し、「まっすぐで気持ちがよかった」と感激した彼女が1週間後に連絡を取ったことを明かした。
 その後、先日明らかになったバッティングセンターデートをはじめ、東京や大阪で何度か食事を重ねた後、先月の女性誌の報道後に伊勢神宮で陣内がプロポーズ。「生涯をかけて共に恋愛してください。一緒になろう!」と告げると、「気がついたら自然と好きになっていた」という藤原はその返事に「お供します」と答えたという。現在まで入籍はしておらず、挙式後になる予定。新居は東京に構えるという。
 共に最初は「空想のような人物」(陣内)、「正直、彼のことを知らなかった」(藤原)というように、全く“接点"のなかった2人。そのなかで藤原は普段“陣内"と苗字で呼んでいることを明かした上で、「(陣内と居て)自分が有りのままでいられる。スピード婚と言われているが、それは別に意識していません!」と手に「相当頑張って買った」(陣内)婚約指輪を光らせながら語った。
 一方、陣内は「風邪をひいた時、仕事場まで薬を持ってきてくれた。最初は女優さんだと思ったが、普段は関西のお姉ちゃんです!」とニッコリ。子供については「天に任せます」と控えめな新妻に対し「一姫二太郎で」と5人家族を希望。現在は“紀香に嫁いだ"と言われている彼だが、「仕事も一生懸命やって、しっかり彼女を守っていきます!」緊張しながらも“ボケなし"で熱く語った。
 上の記事は「紀香 お供します」の見出しが可笑しかったので、オリコンのものにしてみました。「一姫二太郎」の使い方が変だけどとやかく言うのはやめておきます。で、先月末に披露宴。生中継の派手なテレビイベントとして催されるが、なぜかフジではなく日テレ。このあたりに彼女のパブリックイメージが急速にしぼんだ裏事情があるのかもしれない。視聴率は予想外に高く関西で平均40%、関東でも平均24%。少々おどろく。関西は地元の人間にあたたかいね。おらが町の紀香ちゃんがビッグになって帰ってきただよ。先の婚約記者会見で、突然、関西色を前面に出して「ナニワ芸人の嫁」をアピールしていたのは、こういうカラクリだったのね。そんな吉本オールスターズ出演のナニワの人情イベントという印象で、視聴率は高くても藤原紀香のパブリックイメージを再度ふくらませるきっかけにはならないように思える。これにて一件落着の打ち上げ花火。あ、私はけっきょく見ませんでした。下の横澤彪のコラムは辛辣。
藤原紀香さんと陣内智則さんが結婚披露宴 神戸のホテル
朝日新聞 2007年05月30日
 俳優の藤原紀香さん(35)とタレントの陣内智則さん(33)の結婚披露宴が30日、神戸市中央区のホテルオークラ神戸で開かれた。島田紳助さんや舘ひろしさんら友人や親族計約600人が出席、ホテル周辺にはカメラを手にしたファンが詰めかけた。
 藤原さんはクリーム色のウエディングドレス姿、陣内さんは黒のタキシード姿で入場。ふたりそろって「兵庫県は2人が生まれ育った大切な場所。ここで門出を迎えられることを感謝しています」とあいさつし、高さ1.6メートルのウエディングケーキに入刀した。
 披露宴後は、そろって記者会見。藤原さんは「たくさんの人に支えられていると感じた。今日誓ったことを心にとめて生きていきたい」、陣内さんは「紀香さんファンの皆さん、大切にしますので安心して」と話した。

横澤彪のチャンネルGメン69 「もういいかげんにせい!」番宣ボーイ陣内智則
JCASTニュース 2007/5/31
 日テレが神戸から中継した藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴。
 そのころ東京ドームでは巨人・ソフトバンク戦が行われていたけど、日テレはそれをブッ飛ばして「紀香・陣内」を取った。巨人戦ナイターをそでにしてやるんだから、日テレとしても相当な覚悟だったろう。局の番組の主要層を総動員してやったようで、社運をかけて臨んだと言っていい。
 陣内のほうも大変で、披露宴の当日は朝から「番宣ボーイ」になりきっていた。「もういいかげんにせい!」と言いたくなるほど、日テレの番組に出まくっていたよな。
 昔は豪華絢爛な芸能人の披露宴をみんなが見たくて、大変な視聴率を取った時代もあったけど、いまどき芸能人の披露宴の生中継というのは珍しい。
 それだけにちゃんと元が取れるのか、つまり、いい視聴率が取れるかどうか注目していたけれど、関東で24.7%、関西では40.1%と視聴率的には大成功だった。日テレの関係者はホッとしているだろう。
 でも、藤原紀香と陣内智則は本来の力からすれば、2時間半も番組を続けられる力量はない。珍しいから見てみたが、豪華な会場デザインや司会者、料理ばかりが目立って、正直言って退屈だったな。
  披露宴 やる阿呆みる阿呆 つくる阿呆
横澤 彪(よこざわ・たけし)
 というわけでこの項は以上。
 いまさら藤原紀香主演でアクションムービー撮ってもうひと勝負打って出ようっていう人間はいないだろうし。
 結婚でセミリタイアっていうのもありきたりでつまらない結末ですが、ありきたりな彼女にはほどよい結末に見えます。
(2007.6 了)

 20.春の終わりの虫の声

 毎年、桜が終わりあたたかくなってきた頃、晩方に街路樹から「ジー」という金属音が聞こえてきます。かなり耳障りな音です。はじめは街灯が漏電しているのかと思っていたのですが、どうも虫の声のようです。暗くなると聞こえてくるので、セミではなくキリギリスの仲間ではないかと思います。東京では5月の終わり頃まで、主に明るい大通りに面した街路樹から聞こえてきます。なんていう虫なのかご存知の方、教えてください。

【解答】 沖縄の土取から「ジーって鳴いてる虫は、もし大学で時々鳴いてたあの「ジー」と同じだったら、ケラです。」

 オケラって土の下にもぐってるんじゃないの。音はやけに響いていて、木の上から聞こえてくるような気がするんだけど。


 21.お逃げなさい、お嬢さん

 あの有名な「森のくまさん」という歌、歌詞が変じゃありませんか。昔から引っかかってるんですが、なぜ、何から、「お逃げなさい」なんでしょうか。「自分はクマだから危険なんだぞ」と親切に教えてくれてるんでしょうか。それにしては「お嬢さん、お逃げなさい」のセリフは不自然です。それにイヤリング落としたからって追いかけてくるのも不気味です。逃げていく女の人は追いかけないのが親切ってもんです。痛い目にあいます。それともあのクマは身の毛もよだつサイコなクマで、じわじわと獲物を追いつめながら、「逃げれるものなら逃げてみな」とからかったり、親切ぶったり助け船をだすふりをして楽しんでいるんでしょうか。だとしたら、何も知らずにラストでランランと歌っているアタマの悪いお嬢さんは、歌い終わった後でクマの腹の中におさまるに違いない。というわけで、あの歌はどう解釈したらいいんでしょうか。あと、何語か知りませんが原語の歌詞を知ってる人いたら、教えてください。

【解答】 手を叩いて笑う女ことoe aMMitsuさんよりメールをもらいました。

検索してると原詩が引っかかりました。
http://www.monjunet.ne.jp/PT/school/songs/bear.htm
Googleで検索したのですが、他にも、この歌詞はおかしいと言ってる人たちがたくさんいるようで。それによると、どうも馬場祥弘という人がアメリカ民謡に本来の歌詞とはちょっと違う日本語の詩を付けたようです。
 せっかく教えていただいたので訳してみます。

「♪ある日、森からでるところでクマに出くわした。彼は私を見た。私も彼を見た。彼は私をしげしげとながめ、私も彼をしげしげとながめた。「どうしてにげないんだい?」と彼は言った。「見たところ銃ももっていないのに」。というわけで、私はそこから逃げた。でも、すぐ後ろにはあのクマがせまってくる。私は逃げた。私の前のほうに大きな木があった。天の助けだ。10フィートの高さにいちばん低い枝があった。幸運を信じて飛びつかなければ。私はとびあがった。でも、枝に飛びつくことはできなかった。もうやきもきしないで、もう不機嫌にならないで。だってあの枝につかまることができたんだ。ところがぼきって枝のおれる音がきこえた。つづけてぼりぼりかむ音がきこえた。そして私は大きなクマの昼ごはんになったんだ。そして私は大きなクマの昼ごはんになったんだ。このお話の教訓は木のないところでクマに会わないようにってことさ♪このお話の教訓は木のないところでクマに会わないようにってことさ♪」

 何ということでしょう。クマにくわれてます。ぼりぼりくわれて身をもって貴重な教訓をしめしてくれているんですね。ありがたいありがたい。クマははじめから一貫して凶暴で喰ってやろうと追いかけてくるわけで、この結末なら、冒頭でばったり会ってしまった時の「どうしてにげないんだい?銃ももっていないのに」のセリフもつじつまがあいます。ところで、動物ってばったり出くわして目が合うと、一瞬たじろいで固まってしまいますよね。先日、窓辺でごろごろ昼寝をしていたとき、ふと窓側に寝返りをうつと目の前70cmのところに偶然、通りがかった野良ネコがいるわけです。ネコはぎょっとした顔でこちらをみて、互いにお見合い状態のまま固まってしまいました。怖いな困ったなどうしようどうしようというネコの緊迫した気持ちが手に取るようにつたわってきます。十数秒のお見合いの後、「にゃあ」と呼びかけてみると、ネコは逆毛たててその場でとびあがり、いちもくさんに逃げていきました。勝ったぜ。きっとネコにはトラウマが残ったにちがいない。歌の冒頭で、クマとばったり出くわしてたがいを見合わせているという状況もきっとそんな感じなんだと思います。もし本当に森でクマに出くわしたら、動揺して目をそらしたりせずに、にらめっこに気合い勝ちしましょう。クマに余裕を与えて、どうして逃げないんだいなんて言わせてはダメです。

 訳詞の「森のくまさん」のほうですが、中途半端に原詩の設定を残してぜんぜん違う展開にしているだけにわけのわからない話になってしまっています。「おにげなさい」のセリフのあとにクマがイヤリングを届けに追いかけてくるなんて変ですよね。 (2001.4.15)

【解答2】 oe aMMitsuさんより追加情報をいただきました。

そういえば、私は幼い頃、「クマさんの言うことにゃ」の部分を「猟師の言うことにゃ」に変えて歌っているのをなにかで(たぶんテレビ)で見た記憶があります。(最後は、クマとお嬢さんと猟師が仲良く手をつないで踊るアニメーションがあったような・・・)それと、追加報告になりますが、ここ
http://w2222.nsk.ne.jp/~koba-k/gimon/kuma2.htm
には少し違うっぽい英語の歌詞が載ってますし、ここ
http://www2.justnet.ne.jp/~assoonas/UC116-2.HTML
には日本語の作詞者にまつわる真相が語られていたりします。むー、「なにがほんとかよくわからないがアメリカ民謡ってことだけはほんとっぽい」っていうのが私の結論です。おそまつ。
 ありがとうございます。クマが最後に毛皮の敷物になってしまうほうの原詩は以前なにかで読んだことがあります。どっちにしてもブラックですね。この手の口承伝承の童謡はいくつもバリエーションがありそうです。「かごめかごめ」や「ずいずいずっころばし」が地域によって少し歌詞が違っていたりするような感じなんでしょう。紹介していただいたWebを読むと、この「ベアー・ソング」、アメリカではほとんど忘れられている歌みたいですが、実際の所どうなんでしょうか?アメリカンな方からの情報を待ってます。

 ところで、この奇妙な「森のくまさん」をめぐって著作権騒動があったとは。ただ、あのいいかげんな歌詞をつくる人なら著作権をねつ造するくらいやりそうに思えて、私、妙に納得しました。
(2001.5.13記 2003.6.18改)
【追記】 上の文章を書いて2年たち、急展開がありました。「森のくまさん」の著作権者という方からプロバイダーを通じて当サイトへクレームが来たのです。めったにないチャンスですので、私としてはぜひあの奇妙な歌詞の意味を聞きたいところなのですが、どうもそれどころではないご様子で、お前の文章は名誉毀損だから即刻削除を要求するとたいそうご立腹とのこと。間に入ったプロバイダー担当氏がメールだけでなくあらたまった調子でわが家に電話までかけてきたところからも、ただならぬ雰囲気です。そこで上記リンクの「真相はこうらしい!」を2年ぶりに読み返してみました。上記文章のリンク先が切れてしまっているので、まず、玉木宏樹著「猛毒!クラシック入門」から、問題の箇所を引用してみます。(玉木宏樹さんは、1970年頃、NHK「みんなのうた」の仕事で「森のくまさん」を現在知られているような形に編曲した方です。)
 つぎの例は、たいへん親しまれている曲をめぐるゴタゴタなので、読者はことの意外性とともに、著作権の在り方について、身近に疑問を感じられるだろう。
 曲は、皆さんとっくにご存じの歌「森の熊さん」だ。この歌は、小学校の音楽の教科書にものっている。
 じつはこの歌、いま世に流布されている形で公になったのは、約二十年くらい前のことで、その経過には私が深くかかわっている。
 まだ業界ではかけだしの二十代の後半のころ、私はNHKの「みんなのうた」のディレクター氏から仕事を依頼され、訪れた一室にはアコーデオンのY氏とディレクター氏が待っていた。
 話とは次のようなものだ。
 作詞作曲者のわからない民間伝承の歌なんだけど、とてもかわいくて歌いやすい曲がある。それを是非とも形にして放送したいので協力して欲しいとのことなのだ。
 アコーデオンのY氏は巷間歌われているいろんな形のメロディをひき、ディレクター氏もさまざまな詞をならびたてる。私はもっぱらアコーデオンのメロディを整理し、一番メロディにのりやすい形の詞を選んで、後はダークダックス用にアレンジして、バックオーケストラを作る役目をおおせつかったのだ。
 この作業の結果でき上がり、放送されたのが「森の熊さん」と名付けられた曲で、この歌はその後爆発的にヒットし、いまや教科書にまで登場するほどのスタンダードな曲として認知されるにいたっている。
 仕事を終え、ディレクター氏からは、民間伝承の曲をちゃんと形にしたのは玉木ちゃんなんだからJASRACに編曲著作権を登録したほうがいいと勧められた。
 あんな作業で余分なお金をもらうというのも、なにか気がひけるが、なにはともあれNHKで放送されたことでもあり、いちおうJASRACに届けをだしてみたところ、但し書き付きで受理された。
 その条件とは、もし作詞作曲者が現われたら、編曲権は消滅する。そしてその時点まで払われた使用料を遡って請求されたらその人に払う、といういささか不本意なものだったが、私は応じた。
 まさかあんな曲(どうみても外国民謡風だということ)に作者が現われるとは思わなかったからなのだ。ところがところが・・・、数年たったある日、突然作詞作曲者が現われたというのだ。
 私はJASRACから電話連絡を受け、作者が判明したので、以後、使用料の分配はいきません。もし遡追請求があったら応じてくださいとのこと。
 やあ、驚くまいことか、もう心臓が止まりそうなほどマッ青になるわ・・・。なにしろ、ひょっとしたらいままで厚かましくも受け取っていた著作料というのも、もしかしたら横領になるのかしらんというくらい震え上がったものである。しかしそうは言いながらも、あんなによく知られたメロディ、なぜいまごろになって、という根本的な疑問は抱いてはいたが・・・
 それから一年ほどたち、作者からの遡迫請求もなくホッとしていたころ(請求されたってほんとにたいした額ではないが、なんとなく犯罪者であることを認めたみたいでいやではないか)、NHKのディレクター氏から電話がかかってきた。いわく、玉木ちゃんは突然現われたという作者に対して、疑義申し立てはしなかったのかというのだ。
 そんなことは思いもしなかった当方の素朴な疑問に対して、ディレクター氏は驚くべきことを告げた。それによると、現われた作者というのは、じつは前々からJASRAC関係では札つきの要注意人物で、作者不祥の曲には変に詳しく、かたっぱしからそれらを書きつづった大学ノートを見せては人に、この曲の作者は自分だとふれまわっていたという、その世界では有名な人物で、毎回JASRACに登録しようとしては、門前払いにあっていたというのだ。
 大学ノートに書かれていたのはたしかに、ボーイスカウトなんかが歌いそうな民謡ジャンボリー風、作詞作曲者不祥の、キャンプファイヤソングみたいなものばかりだったらしい。それでいつもいつも門前払いを食わされていたX氏はどうしたかというと、JASRACを飛び越え、なんと、文化庁へ直訴に及んでしまったのだ。
 じつは文化庁というのは、JASRACの監督官庁であり、そこからのお達しはほぼ絶対的なものとなるのは言うまでもない。そういう体質を見抜いていたX氏は、頭よく文化庁に直訴に及んだ結果、それをあっさり認めた(著作権で直訴に及んだのは初めてのことだったんじゃないだろうか)文化庁長官からのお達しによって、輝かしくもX氏は「森の熊さん」の作詞作曲者として認知されたのであった。
 以上の文章はX氏を誹謗中傷しようとして書いているのではないが大部分が伝聞によることではある。しかし、私自身この眼で文化庁長官からの文書に目を適しているのも事実だ。
 話の経過は、恐るべきほど不明朗ではあるけど、さりとてX氏が作者としてはニセ物であるということにならないのがじつにもどかしい。
 「森の熊さん」をまとめあげて形にし、世にだしたのは自分であるというディレクター氏の、「玉木ちゃん、彼のウソは絶対あばいてやる。あいつにあんな曲書けるわけない、このままでは死んでも死にきれない」という気持ちはよくわかったけれども、私自身は他のことが忙しかったせいもあって、「ひょっとしたら、うまくやられたのかも知れないが、まあ、しようがないか」というような気分だった。
 それから十年ほどして、話は大逆転、急展開する。NHKのディレクター氏からの勝ち誇った電話が入ったのだ。
 「玉木ちゃん、ついに見つけたよ、あの曲の原曲の楽譜、あれはやっぱりアメリカ民謡だったんだよ。すぐ見せるから今後の対策を協議しよう」
 呼び出されて眼の前にした譜面は、いま日本で歌われている(つまりは自分が形にしたのだ)曲とは、細かいところが数ケ所ちがうが、まさしくみごとに原形をとどめている譜面だった。
 拍子の表示も四分の二という書き方ということは、私の編曲とまったく同じで、X氏が文化庁に提出した四分の四とは明らかにちがうのだ(X氏には悪いが、あの曲を四分音譜で書かれた四分の四で表記するとはあまりにも非音楽的だとは言える)。
 私の方も十年間、この件に対してまったく無関心でいたわけではない。自分なりに得た情報では、アメリカのマサチューセッツあたりの縄とびソングじゃないかというのもあり、なかには裁判するなら証人になってもいいとまで言ってくれる人もいたくらいだから、あのメロディがアメリ力製であることは120%信じて疑わなかったので、原曲を前にしても、やっぱりねえ、そうだったんだねえ、それにしてもディレクター氏の執念、すごいもんだなあ・・・と、感心しきりだった。
 しかし、それでどうする? と問われてもべつに名案なんて浮かばない。「証拠を見せながら世間に言っていけば、おいおいわかってくれるんじゃないですか」くらいのことしか言えなかった。するとディレクター氏はキッと座り直してこう言った。
 「いいかい、玉木ちゃん。この曲のもとの権利は君にあったんだよ。その権利を侵害されたのは君ひとりだけなんだ。ぼくはそれを世にだしたというだけのことで、直接の権利関係はなにもないという立場なんだ。しかしねえ、これを発掘したのはぼくなんだし、それを途中から泥棒みたいなやつがでてきて著作権使用料を持っていくなんて絶対にゆるせない。だけどぼくひとりがいくら叫んでも誰も取り合ってはくれないんだよ、玉木ちゃん。権利を侵害されたのは君なんだから君が怒ってくれなきゃ」
 「どうすればいいんです」
 「君の権利の回復を求めて、この証拠を提出して、JASRACに再審査を要求するんだよ」
 「えっ!・・・」
 ディレクター氏の言うことは、一から十までごもっともで、反対する根拠はまったくない。しかし私自身が矢面にたって権利回復の当事者となり、争うというのは正直言って「シンドイなあ」という気分だった。
 私自身それほど怒ってたわけでもないし、童謡くらい、いいじゃないか、世の中もっと大きな仕事があると、自分に言い聞かせ続けてきたのだ。また、証拠の楽譜にしても、自分が探し出したわけでもなかったからである。それにまた私は、ここには書けない他のこまごましたことでもJASRACとは微妙な関係にあったし、ここでまた新たな問題を起こすというのも気が重い話だったのだ。
 しかし私はディレクター氏の熱意と正論(私は常に正論には弱いのだ。だから紅茶もセイロンしか飲まない)に説得され、JASRACに再審査を請求した。
 その再審査の経過についても色々面白いことはあったが、差し障りのあることも多いのでここでは省略させてもらうが、結論をいうと、X氏の作曲者としての権利は剥奪され、私の編曲権は復活した。ここでくれぐれも誤解のないように弁明するが、私は金のために争ったのではない。X氏は十年間のあいだに約何千万かの収入があったが、私の権利が復活しても編曲権の収入ではその二十分の一にもならない。
 しかし、それにしても、X氏の作詞の権利は残ってしまったのはなぜか・・・。それはつまり、一度認めた権利関係というものは、アメリカ民謡であることを実証した「楽譜」のようなしっかりした証拠を提出しないかぎり、取り消すわけにはいかないと言うことなのだ。
 私はX氏には逢ったことがないのでどんな反論でも受ける用意はある。しかし私なりに彼の立場を推測してみると、次のようなことではなかったかと思うのだ。
 ボーイスカウトのような、奉仕団体のグループは、大量のジャンボリーソングの類の作詞をおこなっているが、それはあくまで集団制作という建前であり、しかも不特定多数の人に愛唱されることを目的としているので、最初から著作権を放棄している場合が多い。
 X氏は多分、その集団作業の立場に深く関係していたのではないだろうか。そう考えれば、妙に作者不祥の曲に詳しいというのもうなずけるのだ。だから彼自身「森の熊さん」のいまの形の作詞にある程度、もしくはかなり深く関係していたのかも知れないというふうに推測することはできるのだ。
 だったら、堂々と作詞者としてだけの名乗りだったらば、これほどの問題は起こらなかったかも知れない。それなのに彼は文化庁に、作詞はおろか、作曲者としても申請したというのは、ついでに筆が滑ったといいわけするにはあまりにも厚かましすぎる行為である。どんなに後ろ指をさされても仕方がないだろう。
 もう著作権の切れてしまった曲とか民謡などの作者不祥の曲をPD曲(バブリック・ドメイン曲)と言うのだが、コンピュータの世界にも似たようなことがある。コンピュータ・ソフトの著作権にもいろんな問題が起きつつあるが、ソフトの権利関係の中に、PDS(パブリック・ドメイン・ソフト)と言われるものがあり、これは作者が意識的に著作権使用料の徴収を放棄した作品であり、どうぞ、ただでお使いくださいといって流布しているものである。
 「森の熊さん」の場合、このPDSであるものを、後から「自分のものだ」と名乗りをあげ、自分のものにしてしまい、堂々と著作権使用料をふところにいれていたのだから、あっばれ、物のみごと、ようやるわ、と感心すらしてしまうくらいなのである。
 そうそう、この「感心してしまう」という私の意識が、こういう「スレスレ」の行為をゆるしてしまう土壌なのかもしれない。
玉木宏樹著「猛毒!クラシック入門」文化創作出版 から抜粋(P162〜P170)
 引用が長くなりました。1970年当時、かけだしのミュージシャンだった玉木宏樹さんは、その後、作曲・演奏でご活躍し、JASRACの評議員もされています。純正律音楽の普及活動は有名で、ときどき、永六輔のラジオ番組に出演して、純正律音楽について話しているのを聞くことがあります。
 ご本人のサイトはこちら → 玉木宏樹公式ホームページ
 要点をまとめてみます。
1.この歌は1970年頃にNHK「みんなのうた」のディレクターによって作者不詳の童謡として見いだされ、玉木宏樹さんの編曲によって、現在知られている形になった。その後、「みんなのうた」で放送されて大ヒットし、日本ではポピュラーな童謡として現在に至っている。

2.「みんなのうた」で放送されて、しばらくの後、この歌の著作権を主張する人物・X氏が現れ、文化庁にねじ込んだ末に作詞・作曲としての権利が認められることになった。

3.納得できないNHKのディレクター氏は、10年越しのねばり強い調査によって、この歌が作者不詳の古いアメリカ民謡であることをつきとめ、それをもとに玉木宏樹さんはJASRACに著作権の再審査を請求した。その結果、X氏の作曲者としての権利ははく奪された。しかし、「森のくまさん」は民間伝承による童謡であるためにオリジナルの楽譜があるわけでもなく、X氏の作詞者としての権利は残った。
 このX氏が「作詞者」の馬場祥弘さんで、今回のクレームの「著作権者」というわけです。玉木宏樹さんが「みんなのうたで」で実際にこの歌の編曲にかかわった当事者であること、「森のくまさん」が現在では作曲者不詳のアメリカ民謡とされていること、このふたつの点から、玉木宏樹さんが「猛毒!クラシック入門」で書いた事件の経緯は信頼できそうです。著作権者氏からの「名誉毀損だから即刻削除せよ」というクレームは、どの部分が誹謗中傷なのか示さないまま、いきなりプロバイダーのほうへ文章の削除を要求するというのもずいぶん乱暴な話です。間に入ったプロバイダー担当氏は、この種のネット上の名誉毀損問題ではプロバイダーも管理責任が問われるので、少々神経質になっているようでしたが、「玉木宏樹さんの本が名誉毀損で出版差し止めになったという話も聞きませんし、ネットの文章のほうがちょっとつつけば削除するって軽く見てるのかもしれないですね」「うーんそうですねえ」という電話でのやりとりの後、「まあしばらく様子をみましょうか」というところで落ちつきました。

 というわけで、今後の展開が気になるところですが、権利関係はお金がからむだけに話が一気に生臭くなりそうな気配がします。個人的には、せっかく著作権者氏から連絡をいただいたことだし、なぜクマさんがお逃げなさいと警告するのか、歌詞の意味を教えてもらえるとうれしいのですが、そちらの話のほうはまったくなかったようです。残念。なお、2001.5.13づけの文章で、はじめ、著作権をめぐっての「裁判沙汰」があったと書いたのですが、裁判ではなくJASRACでの再審査のようです。そこで、表現を「著作権騒動」に改めました。

 ところで、クマさんの奇妙な行動は多くの人の妄想をかきたてているようで、こんなサイトを見つけました。
 → 森のくまさんの謎
 やはり夢が広がっているようです。熊田巡査33歳とお嬢さんをめぐる再現小説まで展開されています。大阪の方のようですが、大阪人はこういうのお好きな方が多いんでしょうか。同じコーナーには民主主義についての冴えたエッセイもあります。おもしろい方のようです。表紙は→こちら「筆先三寸」。ショート宇野のエラーではありません。

 友人によるとクマさんはやはり男性の象徴なんだそうで、フロイトまがいの解釈を聞かされました。
(2003.6.18)


 22.ジュリアン・バーンズ「ここだけの話」

 ジュリアン・バーンズの小説に「ここだけの話」という作品があります。物語は男2人・女1人の三角関係を描いたものですが、3人の登場人物がそれぞれ自分におきたことを振り返りながら、表には現れないインタビュアーに答えていくというという凝った形式で物語は進行していきます。ちょうど複数のインタビューを積み重ねて事件を再現していくドキュメンタリー番組みたいな感じで、同じ出来事を語っていても語り手によって少しずつ話が食い違っていたり、同じ場面をまったく異なる文脈でとらえていたりするのが小説の仕掛けになっています。(私は芥川の「藪の中」やウッディ・アレンの「夫たち妻たち」を連想しましたが、イギリス人の友人によると、フォード・マダックス・フォードの「ゴッド・ソルジャー」に似ているとのことです。)

 あらすじを簡単にいうと、まじめだけが取り柄で人の気持ちに無神経な若い男が、自分の妻を学生時代からの悪友に寝取られるというものです。ふたりの男の関係が非常にゆがんでいて、この関係に対する不快感が読み進むにつれてしだいに募っていきます。片方はさえない堅物、もう片方は頭はいいがちゃらんぽらんで嫌味な人物で、なぜかこのふたりは学生時代からウマがあって友達づきあいを続けています。と言っても、いつも嫌味な方が堅物を見下し、一方的にやりこめながらつきあってるという主従関係に近いつきあいです。(こうしたSMチックな友達づきあいというのはちょっと理解しがたいのですが、自分の学生時代を思い浮かべると、けっこうまわりにあったような気がします。何が楽しくてそんなつきあいをしているのか不思議でたまりませんでした。)で、卒業して数年経って、さえない方が美しい妻と結婚する。それを見て嫌味な方は今まで見下していた奴がこんないい女と暮らしてるなんて納得がいかない。彼女が不幸だとか自分こそ彼女にふさわしいだとか勝手なことを言い出して彼女にせまり、結局、寝取ってしまう。さえない方は無神経なんだか悪友を信頼しきっているんだか、そんな二人の関係にまったく気づかず、妻に相談されてもまともに取り合おうとすらしない。妻に離婚を打ち明けられるに至ってようやく事態を知り、今度は猛烈に怒り狂い、悪友と元妻との結婚を妨害しようと泣いたり暴れたりするというわけです。元の奥さんはそれなりに良心の呵責を感じたりするんですが、悪友のほうは悪びれもせずに「これは市場揚力なんだ」とかいい加減な言葉を並べ立てて煙に巻こうとします。妻を寝取られた男はそんなふたりに恨みを募らせ復讐する機会をうかがいつつその後の数年を過ごしていく、という話です。

 読後、非常に後味の悪さが残る小説です。とくにふたりの男の関係の気持ちの悪さをどう解釈したらいいのか、読んでから1年以上たった今でもひっかかっています。恋愛のかけひきの中で、たんに相手を好きになるというストレートな思いだけではなく、それ以外の支配欲や優越感や劣等感という相手とせめぎあう感情が顔をのぞかせます。また、ひとりの女をふたりの男が取り合うという単純な三角関係ではなく、男同士に同性愛的な感情があるのではないかと思ったりもします。ともかくここ何年かで読んだものの中でずばぬけて後味の悪い小説でした。もし読んだことのある方がいたら感想のメールをください。その解釈を手がかりにもう一度読み直してみたいと思っています。読んでいない方で、色恋沙汰をめぐるからみつくような後味の悪さを味わってみたい人は白水社から翻訳が出ていますのでどうぞ。


 23.引田天功大脱出 

 昔、引田天功っていう脱出ものをやるマジシャンがいましたよね。いえ、おねえさんのほうではなく初代の。日本テレビがさかんにバックアップして、よく特番もので番組を組んでいました。70年代の超能力ブームにのって結構人気もあったみたいです。番組は回を重ねるにつれて、仕掛けが大がかりなものになっていき、はじめは縄抜けとか手錠はずしとか単純なものだったのが、しまいには多摩丘陵の造成地に爆薬を仕掛けて閉じこめるなんて感じになっていきました。そうなると、2時間の番組のうち、引田天功が出てくるのははじめの10分と最後の5分だけです。その間の1時間半は意味なく「ボボーーーン」なんて爆発が起きたり、進行役のアナウンサーが絶叫したりするだけです。引田天功はまったく出てこないし、脱出中に何がおきているのかもさっぱりわかりません。「ああっと!爆発がまた起きましたあ!今度のはさらに大きな爆発です!!魔術師・引田天功は大丈夫なんでしょうかあ!いったい地下では何が起こっているのでしょう!我々常人にははかり知れないことが起きているはずですっ!!!」ってな調子で番組のほとんどが進行していきます。

 なぜかワタクシほとんど見ていた記憶があるんですが、今にして思うとあれの何が楽しかったのでしょう。だって、肝心の引田天功はまったく写らないわけだから、脱出中に何をやっているのかさっぱりわからないわけです。タネも仕掛けもあるにきまっているし、カメラに写っていないところでは何でもできます。1時間半のあいだ、彼が必死で脱出作業をしているとはとても思えません。もしかしたら控え室でタバコでも吸いながらテレビでも見て笑っていたかも知れません。いや、そうに決まってます。で、間際になって衣装さんに焼けこげの付いた服を着せられて、泥でメイクされて御登場。「あああああっ!いま、いまあ!魔術師・天功が姿を現しました!!!まさに魔術師のなせる技です!御覧ください!さすがの引田天功も憔悴しきっています!この見るも無惨な姿が地獄の罠との格闘を物語っています!!!」おいおい……。

 当時、コドモだったワタクシはだまされて見ていましたが、いったい何であんなのがブームになったのでしょうか。たしかに初期の縄抜けとかは、たとえカラクリがあるにせよテレビカメラの目の前で縄を解いたり、手錠をはずして見せたりしてそれなりにワザを楽しめたんですが、大がかりな「大脱出」はワザもへったくれもありません。(たしかにそういう意味では「常人にははかり知れません」だわ、こりゃ。)子供だましもいい所で、番組の意図すらわかりません。どうなってんだ責任者出てこい。じゃなくて、誰か納得のいく説明してくれ。

【追記】 古いコロンボ・シリーズを見ていたら、脱出ものをやるマジシャンが出てきました。「魔術師の幻想」という回で、ジャック・キャシディがマジシャン役に扮し、ステージの最中に殺人を犯すという話です。手錠をかけられ鍵のかかった箱に閉じこめられ水槽に沈められたところから脱出するというステージで、70年代、脱出ものはけっこうポピュラーな出し物だったようです。ちなみにタネは床に抜け道があり、箱になど入っておらず、その間、控え室でブランデーで一服するのが日課という設定でした。

【追記】 おねえさんのほうの引田天功(プリンセス・テンコーって名前もスゲエな)を見ると、由美かおるを連想します。あの二人、なんか似てませんか。


 24.缶詰と金属バット 

 SSKという缶詰会社があります。同じ名前の野球用品の会社もあります。ベースボールシューズのCMはグッドです。この二つ、同じ会社なんでしょうか?缶詰の製造技術を生かして金属バット製造に参入、という想像をしています。缶詰も金属バットも似たようなものだし、あり得ない話じゃないと思うんですが。以前、中島らもがMSシュレッダーが裁断技術を生かしてうどん製造に参入という冗談を言っていましたが、同じものを感じてます。


 25.自然食ナチス

 ガッコーのセンセー、とくに女性に自然食へのこだわりを持つ人が多い気がします。たいていの学校で、昼時になると職員室に「ユウキサイバイ」とか「テンカブツ」とか「ケイヤクノウカ」なんて会話が飛び交います。これ、何か理由があるんでしょうか。

 かなり熱心に実践している方もいて、僕がうかつにも「コンビニ弁当大好き」なんて発言してしまった時には、下等動物でも見るかのような冷たい視線を感じます。「松屋の牛丼は母の味」や「家庭料理はたいていまずい」なんて発言も禁句です。職員室の温度を下げることになります。言ってはいけない言葉が多くて、なかなかスリリングです。

 たしかに、食品の安全性や化学物質による汚染は重要な問題です。政治的立場を問わず、誰もが関わりのあることです。経済効率のために目をつむっていられる状況でないこともその通りだと思います。ワタクシも、演習授業で取り上げたこともありますし、批判されている「ニュースステーション」のダイオキシン報道も、基本姿勢は間違っていないと考えています。

 でも、これらの問題について、異議申し立てする人の多くが、非常にかたくなで神経質な姿勢なのが理解できません。「正義は我にあり、問答無用」って感じです。まるで、自然食を主張したために迫害でも受けてきたかのようです。あるいは「それでも地球は回っている」と言ったガリレオってところでしょうか。ガリレオの実像はぜんぜんそんな殉教者的な人物じゃないらしいですが。ともかく、不思議です。個人的には、この問題は我々がより豊かでハッピーになるためにどうしたら良いかということで、もっと大らかに考えるべきことだと思うんですが。

 ワタクシが高校生だった頃、学校帰りにラーメン屋や喫茶店に入ろうとする奴を捕まえては、「こんなところの食べ物は毒なのよ!ドク!食べられるものなんかじゃないの!あんたいい歳してそんなことも知らないの?バカねえ!」と金切り声をあげるセンセーがいました。恐かったです。いろんな意味で非常に恐かったです。いつも目がすわっていたし。何ていうか、原理主義の宗教でもやってるような感じの方でした。30代半ばくらいの女性でしたが、いつもベージュのおばさんスーツにひっつめ頭、度の強い眼鏡で、40過ぎくらいに見えました。もちろん愚かな我々には、そんなありがたい忠告は耳に届くはずもなく、日々ラーメンをすすり、彼女を「自然食ナチス」と呼んでバカにしていたのでした。

 この問題、一歩間違えると、「ドイツの土と血を守れ」のナチスのスローガンになりかねないと思います。恐いのでもっと大らかに考えてください。それにしてもどうしてこんなにヒステリックになるんでしょう。もしかして、これは合理的に判断することではなく、信仰の問題なのでしょうか。

【追記】
自宅での喫煙もクビ 米企業が4人解雇
朝日新聞 2005.1.26
 米ミシガン州の中堅企業が、州内で勤める全社員に就業時間以外でも禁煙を徹底させる規則を今月から導入し、喫煙の有無を調べる検査を拒否した社員4人を解雇していたことが25日わかった。社員が健康でいることが将来の医療費抑制を通じて経営上の負担を軽くするとの判断だ。禁煙意識が高い米国でも、自宅での習慣まで処分対象にするのは珍しい。
 規則を設けたのは、自らも健康保険サービスの受託を本業とするワイコ社。03年10月に社員に伝え、州法の違いから強制力を持たせるのが難しいイリノイ州の社員1人(非喫煙者)を除く約200人に適用した。
 その結果、当初いた喫煙者のうち約20人は社内の支援プログラムなどで禁煙に成功。残った喫煙者の1人は自ら退社し、4人が今月初めの検査を拒否して喫煙習慣が残っているとみなされた。
 ゲーリー・クライムズ最高財務責任者(CFO)は朝日新聞の取材に対し、「社内だけ禁煙にして自宅での喫煙は問わないことも検討したが、それでは社員の健康促進にはならない。他社も規則導入に興味を示しつつある」と意義を強調した。同社によると、解雇した4人も含め、規則に反対して提訴するような動きは今のところ出ていないという。 (01/26 17:29)
 おおおおお恐ろしい……。
 どうも禁煙の問題は健康保険をケチりたい政府と企業が結託して推進しているという図式が見えてきました。大気汚染という点では自動車の排ガス問題のほうがはるかに深刻だし優先順位は高いはずなんですが、こちらの規制は経済効率の点から規制に手をつけるのは手間取る。それに比べて個人の楽しみを奪うのは簡単、ということみたいです。21世紀は不愉快な世紀になりそうです。
 たばこくらい好きに吸わせろよ。俺、スターバックスなんか絶対はいらないぞ。(2005.1.27)

 26.アー・ユー・ヒューマンビーイング?マイケル

 マイケル・ジャクソンが人間に見える人いますか?
 私にはどう見てもディズニーランドのキャラクターと同じように見えます。人間臭を感じません。土星からやってきた人みたいです。

 なんて言うと、「子供のころから芸能活動をしてきて……」とか「何度も美容整形を繰り返して……」という人がいますが、そういう次元の話ではないのです。変わった人・変な人というのではなく、人に見えないのです。

 マドンナもプリンスもジェームズ・ブラウンも変人という意味では資格十分です。スーパースターの多くはどこか人格がゆがんでいるみたいです。でも彼らは人間に見えます。いろいろな屈折やコンプレックスや周囲の無理解やらを経て、こういう人格が形成されたんだろうなと想像できます。プリンスが紫色のお城に住んでいることも、マドンナがやたらとカトリック的なものへ執着するのも、ジェームズ・ブラウンが暴力犯罪と慈善活動をくり返すのも、まあいろいろあったんだろうなと思い描くことができます。そういう意味では非常に人間くさい人たちです。そもそも創作活動にのめり込むという行為自体、人格的なゆがみに由来するものです。現実への欠乏感が人を創作へと向かわせます。その点でも彼らは表現者の資質十分です。

 マイケル・ジャクソンはむしろ逆で、現在の彼にいたるまでの葛藤や内面がまったく見えないのです。彼の欲望が何に向けられているのかすらわかりません。彼の歌う「愛」やら「夢」やら「恐れ」やらはどれもディズニー映画のような普遍的なものばかりで、彼のパーソナリティーから発せられているようには見えません。そもそも彼がその内面に欲望や衝動を抱えているとは思えないのです。そういう人物が創作活動をし、数億人に向かって発信する表現者であることに非常に不気味なものを感じます。時々、本当に彼が実在の人物なのか疑うことがあります。メディアがつくり出した幻影なのではないか、だとしたら絶対にディズニーが一枚かんでいるに違いない……と。

 ところで、あの子は本当にマイケルの子供なんですか?

【追記】 1999年10月、マイケル・ジャクソン離婚のニュースが世界を駆けめぐりました。それによると、結婚相手の元看護婦さんとは子供を得るための協議結婚で、友情はあったが恋愛感情ははじめからなく、2年間の一度も一緒に暮らしたことはないとのこと。ふむ、一度も一緒に暮らしたことがないということは、もしかして、一度もベッドをともにしないってことでしょうか?とすると、あの子はいったい誰の子?もしかしたら、マイケルは土星人なので違った繁殖方法をとるのかも知れません。謎は深まるばかりです。


 27.すわりたいおじいさん

 1ヶ月間ほど中央線内で観察を続けた結果、席を譲られるおじいさんがほとんどいないことに気づきました。明らかに、おばあさんに比べて冷遇されています。女性が60代から、早い人は50代くらいから席を譲られているのに対して、男性は70代にならないと席を譲る対象にならないようです。男女平等時代のいびつなレディーファーストなのか爺さんたちが虚勢を張っているせいなのかわかりませんが、奇妙に見えました。

 たしかにおばあさんの方が露骨に座りたがっている素振りを見せます。おじいさんはプライドもあり自分はまだまだ若いというポーズをつけたがることが多いのですが、でもやっぱり座りたいみたいであたりをきょろきょろしています。個人的にはそんなジイさんたちに愛しさを感じます。日本の男たちは世界的にも最も厳しい労働条件の中で働き続け、定年後はじゃまにされ、女たちよりも10歳も早く死んでいきます。バアさんとの平均寿命の差は開く一方です。なんかかわいそうな気がします。平均寿命から逆算すれば、男の人には50代から席を譲ってあげた方が公平です。男女平等の時代なんだし、ジイさんたちも労ってあげましょう。とはいうものの偉そうにスーツを着込んでふんぞり返っている50代、60代のおっさんたちを見てると、俺よりずっと高給取りだろうし、会社ではさぞ態度でかいんだろうなと席を譲る気が失せるのも事実です。そんな場合は、むしろ露骨にいたわる姿勢りを示し、慇懃無礼に席を譲ってあげるとサディスティックな愉しみが味わえます。って、これちっとも愛の手じゃないな。

【追記】 これ、もっと深いところに問題の根があるような気がしてきました。つまり、日本は50代・60代の男性が大きな権限をにぎっている社会だということです。「まだまだ現役」どころか、様々な組織の中で意志決定権をにぎっているのがこの世代の男性です。とりわけ大きな組織になればなるほど、また、社会全体に関わる大きな決定権ほど、さらに年齢は引き上げられていきます。

 その一方で、引退した人物は過去にどれほどの業績を残してもあまり敬意をはらわれることはありません。日本の社会には、過去とのつながりに着目せず、動き続ける現在のみを追い続けようとする傾向がみられます。そのため、敬意をはらわれるのは地位と権限であって、引退したら「ただの人」です。「生涯現役」であることのみがその人物の立場と評価を保証してくれるというわけです。これは会社員や公務員のような組織の中で働く者だけでなく、一時代をつくったスポーツ選手やミュージシャンにも当てはまります。彼らも引退後は過去の人となり、ほとんどかえりみられることなく忘れ去られていきます。アメリカのように、成功した人物が50代で引退して、周囲の尊敬を受けつつ悠々自適の生活を送るというのは日本では考えにくい状況です。(ガッツ石松や渡嘉敷がバラエティー番組に出演してバカにされているのを見る度に悲しい気分になります。どうして彼らはモハメド・アリやシュガー・レイ・レナードのようになれないのだろう。)

 組織の決定権をにぎる重要人物と引退した過去の人、この極端な落差が60代男性の複雑な立場をもたらしています。当然、多くの60代男性は地位や権限を手放そうとせず、可能な限り現役であり続けようとします。そして、このことがさらに権限を高齢の男性に集中させるという循環をもたらします。電車でおじいさんが席を譲られないのも、彼らの立場の極端な落差を周囲も受けとめきれずに混乱しているからではないかと思います。彼らに席を譲るには発想の転換が要求されますから。森毅のように、とっとと引退して、かわいいおじいさんになりたいなんて言う人がもっと増えるといいんですがねえ。


 28.おとこ教室

 子供のころ、おこと教室という看板をよく見かけました。琴の教室のようですが、なぜか必ずひらがなで「おこと」と書いてあり、子供の私は完全に「おとこ」教室だと読み違えていました。不思議なほど強いインパクトのある看板でした。

 なんせ、力強い筆づかいで「おこと」と思いっきり書いてあるんです。子供が読み違えても仕方ない気がします。「ああ、おとこ教室かあ。おとこらしくするんだろうな。どんなことやるんだろう」とまあ思っていたわけです。昭和40年代の東京・国分寺でのできごとです。小学校以来の友人、ナカムラくんもあれが「おとこ教室」だと信じていたみたいです。ビール飲みながら「きっと本宮ひろし的世界が……」とバカ話に花が咲きました。「貴方を男の中の男に!」なんちゃって。あの看板に見おぼえのある人いますか?


 29.ジジぬき

 ババぬきのおかしさは、言うまでもなくババが来たときの反応にあります。
 「うげ、この期におよんで来ちゃったよ。おいこら、露骨に笑うなよ。俺にジョーカーが来たってわかっちゃうじゃん。それにしてもジョーカーの絵柄ってどれもエグイな。やっぱババぬきのインパクトを強めるためかな。うむむ、で、どうやってこれを引かせるかだけど、こいつのセコイ性格からいって間違いなく後ろの方のカードを選ぶから……こいつ本屋でも必ず下から雑誌を引っぱり出すんだよな、クククク……ああ!?なんで今回に限って手前から選ぶの」

 という感じで、ババが来てこそのババぬきです。ジョーカーが何かわからない「ジジぬき」には、この肝心のババを引かせる楽しさがありません。結果的にカードが1枚残ったというだけではないですか。「ああ、7がジョーカーだったんだね……でも、だからなんだってんだよ」って感じです。

 子供のころ、トランプをやっていると必ずババぬきよりジジぬきがいいと言い出す奴がいましたが、一体ジジぬきの何が面白いんでしょうか?

 ジジぬきについては、二つの解答がメールで寄せられました。

【解答1】 まず、神戸の松尾さんから。
「ジジ抜きについてですが、私はジジ抜きほうが好きでした。前半のハラハラ感のなさがよいのですよ。それが後半になって一人あがり、二人あがりすると、残ったものは自分の意思とは無関係なところで勝敗が決まって行く…。なんにも悪いことはしてない(ジョーカーをもってない)のに、おまえが負けだ!といわれる。人生の真理ではありませんか。といろいろヘ理屈をこねますが、結局駆け引きベタな人間が運で勝負をするだけのものを好むだけじゃないでしょうか。でも、ジジ抜きはどれがジジなのかという推理力が勝敗を生むゲームですから、うまい人はそれが好きなのかもしれません。何度もまわってくるカードから推測できますもんね。あ、7と9は二枚そろってるからジジじゃないな、とか。私はそこまで考えてやったことありませんけど。」

【解答2】 続けて、私を個人的に知っているという匿名希望のtatsukiさんから。(ちょっとこういうの恐いですぜ。)tatsukiさん自身はジジぬきが面白いとは思っていないようですが次のように書いてありました。
「どうも、はじめまして、私は、tatsukiと言うものでございます。友人のHPのリンク集から、飛んできました。管理人様(村田 浩様)と、私は幾度か会ったことがありますがあえて、フルネームは避けておきます。
(中略)
ジジぬきの面白さは、私が思うに、「何が、ジョーカーなのかなぁぁぁ(ワクワク)」と、言うようにジョーカーが何かわからない、と言う点にスリルを感じながらプレイするところが、ジジぬきの面白さである、と、私は思います。」

【追記】 ジジぬきはナンバーズである

 二つの解答を読んで、何となくわかりました。ジジぬきはナンバーズなのです。つまり、当たりの数を推理することに愉しさがあるというわけです。でも、ちょっと考えればわかるように、ジジぬきもナンバーズも当たりの数はあくまでランダムな確率で、これを推理で求めることなどできないはずです。ナンバーズの当てかたについては、たくさんの本まで出版されていますが、どれもおまじないみたいなものにすぎません。

 にもかかわらず、昔から人間はランダムな確率をなんとか「読もう」としてきました。丁半博打がその典型です。いかさまがない限り、サイコロの目が奇数か偶数かは2分の1の確率が生む偶然にすぎないし、丁や半のでる理由など存在しません。理由がないのだから「読む」ことも不可能です。「丁・丁・丁・半・丁……と来たから次は丁だ」なんていうのは推理でも何でもありません。ところがです、非合理的な思考だと言ってしまえばそれまでなんですが、予測不可能なはずの目の出方を「読む」行為は当人にとって不思議なほどの快感と物語性をもたらします。2分の1の確率に運命や神の見えざる手や超自然的な存在を身近に感じたりもします。世界中にこうした遊びやギャンブルが無数に存在することを見ると、どうやらこれは人間の思考のくせみたいなもののようです。人はつい偶然の中に物語と見えない何かを見いだそうとしてしまうのでしょう。阿佐田哲也が麻雀小説の中でいっていた、博打は単純なほどのめり込むという言葉の真意はそこにあるのではないかと思います。


 30.スキー・ジャンプ

 スキーのジャンプ競技で70m級とか90m級というのがあります。何年か前に名前がかわって、スモールヒルとかラージヒルというみたいです。あれはジャンプ台の大きさだというのはわかるんですが、両方やる必然性を感じません。何が違うっていうんでしょうか?

 陸上競技で100m走とマラソンでは同じ走る競技といっても、まったく性質が違います。100とマラソンとでは速く走るための技術が根本的に違うわけですから、トレーニングの仕方も違うし、出場する選手の体つきも違ってきます。当然、出場する選手も勝つ選手も違います。スピードスケートの500mと1万mもそうだし、水泳の100mと1万mもそうです。

 それに比べて、ジャンプの70mと90mはトレーニングの仕方も出場する選手も遠くに飛ぶための方法も同じです。70で遠くまで飛ぶ選手は90でもやっぱり遠くまで飛びます。となると、ジャンプ台の大きさが違うだけで、まったく同じ性質の競技ということになります。それなのに、なぜ、競技会では2つやるんでしょうか。私にはメダルの数を増やすための水増しにしか見えないんですが。

【追記】 うちの隣の部屋に住んでいた新聞配達おじさんで、1日1回必ずジャンプのハラダがナガノで優勝するまでのドキュメンタリービデオを見る人がいました。それはもう安普請のアパート中に響く大音量で「ハラダー!ハラダー!たてたて!立ったあああぁぁー!ハラダ!ついにメダルを手中に収めましたああぁ!!」というのを見るわけです。毎日必ず。いつも焦点の定まらない目をしたおじさんで、うちのテレビがちょっとでも音が大きいと「壁も薄いんだしさあー」と苦情を言いに来るのは良いとして、なぜ毎日決まった時間にハラダなのか、脈略がないだけにヒジョーに不気味でした。もしかして、スキーのジャンプ競技にはある種の人々を陶酔させる何かがあるのかも知れません。ともかく、ジャンプのハラダは色々な人に愛されているのは間違いない所のようです。


 31.もみあげのかたち 

 床屋さんで「もみあげはどうしますか?」と訊かれて、絶句しました。それまで、自分のもみあげのことなんて考えたこともなかったのです。突如、お前はどんなもみあげをしたいのだと突きつけられて、頭の中が真っ白になってしまいました。必死で格好の良いもみあげを思い浮かべようとするのですが、もみあげの形が像を結びません。「うっ」と言ったきり絶句している私に、床屋さんは続けて「ん、どうなさいます?」と尋ねてきます。そのとき、なぜか突然「ロココ調」という言葉が頭の中に浮かびました。思わず「ロココ調で」と言ってしまいそうになるのを必死でおさえつつ、口をパクパクさせる私を見て、床屋さんは「んー、自然な感じでつながるようにしてみましょうか」と助け船を出してくれました。ふう、たすかった。ほっとして少し冷静さを取り戻すと、「自然なもみあげって、どんなもみあげだろう?」という不安の混じった疑問がよぎりはじめ、それはしだいに大きなものになっていきました。床屋さんが半ば切り終えたとき、その疑問と不安は我慢できないほどに膨らみ、散髪の手を止めてもらって、もみあげを見せてもらいました。すると、それはどう見ても気に入らないのです。これが自然なもみあげなのかと思うと猛然と情けない気分になってきました。でもその一方で、目指すべきもみあげの理想型は相変わらず像を結びません。

 結局、床屋さんに見本の髪型を集めた写真集を見せてもらって、散髪も一からやり直してもらうことになりました。まったくもって面倒な客です。散髪の後、並びのトンカツ屋でキャベツとご飯のお代わりをしつつ思ったんですが、世の中に、もみあげどうしますかと訊かれて、すらすらと答えられる人なんているんでしょうか?たとえ頭の中にもみあげの理想型があったとしても、それを口で説明するのは難しいですよね。「長すぎず短すぎず」とか「普通に」とか曖昧なことを言っているんでしょうか。みなさんどのようにもみあげの形を注文しているんでしょうか、すごく気になります。私は次回こそ「ロココ調で」と言ってしまいそうで床屋さんへ行くのがこわくなりました。

【追記】 考えてみたら、はじめての客に言葉だけのやりとりで髪を切ろうとする床屋さんのほうが乱暴な気がしてきました。「目にかからないように」とか「上の方はそろえめに」と言葉でいったところで、無数のバリエーションが存在します。そもそも複雑な形を言葉だけで完璧に表現することなんて不可能なのです。チョムスキー先生もそういっています。床屋にしても美容院にしても、はじめての客とは髪型の見本を見ながら、きちんと打ち合わせをするべきです。それとも、住宅地の中にある床屋なんて、なじみの客ばかりで、「いつものね」「はいはい」くらいの会話ですんでしまうような仕事しかしていないんでしょうか。もう散髪なんて妥協と挫折の連続のような気がします。そういえば、子供のころ親に行かされていた近所の床屋では、ぼっちゃん刈りと角刈りとアイロンパーマの3パターンしかありませんでした。となると、細かい注文なんてはじめから無意味じゃん。いいのかよ、そんなことで。「目にかからない程度で……」「はいはい」という会話の後、アイロンパーマにされていたら、俺、暴れるぞ。どなたか、いい美容師さん、知りませんか。カリスマじゃなくっていいですから。

【追記】 先日、カット2000円の看板につられてはじめての美容院へ入ってみました。私は美容院や床屋に対して完全に不信感のかたまりになっているので、あらかじめ図を描いてきっちり説明することにしました。順番待ちの間に、前面・側面・後面の3面図にそれぞれ細かく指示を書き入れて、担当になった無愛想な中年女性にその紙切れを渡してこれでお願いしますと言ってみました。すると彼女は、その図を見るなりニヤニヤと含み笑いをはじめて、ねえねえちょっとこれみてよと同僚の美容師たちに図をまわしだしたのでした。なんという無礼なやつ。頭にきたぞ。同僚たちと腹をかかえて笑っているおばさんに、アナタは言葉だけで物の形を正確に思い浮かべることができるのかと睨み付けたところ、おばさんは「ええ、この絵よりかは」とすました顔で言います。くううぅぐやじいいぃぃぃぃぃ。ならばアナタは図を描かずに言葉だけでダンスマンや通天閣を頭にのせたおばさんの髪型や円錐や螺旋や大阪城の形を表現できるのか、できるのなら500字以上2000字以内できっちり言い表してみろさあやれすぐやれできなかったら承知しないぞ、とは言い返せずに負け犬である私はもう結構とすごすごと店を出たのでした。店の外に出てもおばさんたちの笑い声が響いてきました。コミュニケーションの不能に打ちのめされた一日でした。散髪をめぐっては挫折と妥協の日々が続いています。

 ところで、建築学を専攻しているという学生さんからメールをもらいました。どうやら「ロココ調」で検索した末にこのページに来てしまったようです。申し訳ないことです。メールでは面白かったと書いてくれていましたが、きっとロココ調の研究の最中にこの文章を見てしまってさぞやがっかりしたはずです。ロココ調の研究でこちらに来てしまったみなさん、すいません。こちらで検索しなおしてください。→ 検索デスク (2003.6.19)


 32.近親相姦のタブー

 近親相姦のタブーは世界的なものです。それは古代ギリシアの悲劇や旧約聖書にも恐ろしい災いをまねくものとしてたびたび描かれてきたことからも、はるか昔から現代まで続いている人類社会の普遍的なタブーであることがわかります。友人がソロモン諸島で援助活動をしていたとき、ソロモンのような小さい島社会なら近親相姦も多いのかと思って尋ねたところ、逆に、従兄弟と結婚ができる日本の法律を「野蛮だ」と批判されてしまったと笑っていました。

 一般的に近親相姦が続くと、遺伝的に劣勢な因子が発現し、遺伝的欠陥を持った子供が産まれるとされています。昔の人たちもそれを経験的に知っていたからこそ、近親相姦は昔から禁じられてきたのだとしばしば言われます。

しかし、種が種として固定されるためには、突然変異をおこした個体が近親相姦をくり返すことでその遺伝子をふやしていくことが不可欠なはずです。同じ突然変異をおこした個体が同時多発的に発生でもしない限り、すべての種は突然変異をおこした1個体を起源とするはずです。その子孫が近親相姦をくり返すことで、もとの種からしだいにかけ離れた種となり、やがて新種として固定される、これが進化のメカニズムのはずです。現在60億人の人類ももとをたどれば、類人猿から分かれたほんの一握りの小集団すぎません。それが集団内で近親相姦をくり返して数を増やしていったと考えられます。

 ある種のクモ、ダニ、昆虫の中には、近親相姦によってのみ繁殖する種があります。たとえばシラミダニは300近い卵を卵胎生で生みますが、そのほとんどはメスです。一握りのオスはメスよりもわずかに早く卵からかえって、自分の姉妹たちが孵化するのを待ちかまえて次々と交尾をすませてしまいます。雌雄ともに孵化した時点で性的に成熟しているわけです。オスはそうやって自分の姉妹たちをすべて受精させ、生まれてまもなく死んでしまいます。その結果、自然界に存在するシラミダニはすべて産卵可能なメスだけという状況をもたらします。さらに、卵胎生のダニの中には、こうした行為をすべて母胎の中ですませてしまってオスはそのまま母体内で死んでしまい、生まれてくるのはすでに受精をすませたメスだけという極端なものまでいます。ここまでくると何のために有性生殖をしているのか不思議になりますが、彼らは何億年という長い間、そうやって繁殖を続けてきたわけです。にもかかわらず、とくに遺伝的なマイナスは見られません。こうしたことから、人類社会に普遍的に見られる近親相姦のタブーを生物的本能や遺伝的マイナス要因から考えるのは無理があるように見えます。

 人類学者のレヴィ=ストロースは、南太平洋やアメリカインディアンに見られる交差従兄弟婚の調査から、婚姻は財産の交換であり、女性は一族にとっての財産なのだと考察しました。つまり、一族の財産を同族同士の婚姻で消費してしまうことをさけるために、近親相姦のタブーが生まれたというわけです。こちらの方が先ほどの説明よりずっと説得力があるように見えます。しかし、地域を問わず普遍的に人類社会に近親相姦のタブーがあることを考えると、この説明がすべての人類社会に当てはまるのかを見きわめるのは難しいところです。

 私自身の中にも、近親相姦を不快に感じる気持ちがあります。自分のこの不快感が何に由来するものなのか時々考えるんですが、いまだにわかりません。そもそも、近親相姦によって数を増やしてきたはずの初期人類が、いつ頃からこうした禁忌をもつようになったのだろうと考えます。みなさんはどう考えますか?

【追記】 今年夏頃、欧米の人類学者が、人類の遺伝子の多様性は60億人すべてを比較してもチンパンジー10頭におよばない、と発表していました。それによると人類は何度か絶滅しかかって、その度に一握りの生き残りから繁殖したから、その子孫である60億はほとんど遺伝的に差がないそうです。産めよ増やせよ地に満ちよってわけですな。それにしてもチンパンジー10頭の遺伝子の方が多様性に富んでいるというのは驚きです。

【解答1】 冒頭に紹介したソロモン帰りの土取自身からメールが来ました。

 同じ突然変異が蔓延することってあると思う。白人(ヨーロッパ人種に限定)にはエイズにかからない人がいるんだけど、それって、ペストが昔大流行したせいだそうです。25%ぐらいのヨーロッパ人は、リンパ球のレセプターが壊れているせいで、HIVが体内で増加しないそうです。残念ながらペストでヨーロッパの人口がどれくらい減ったか解らないけれど他の人種にはない種類の突然変異だそうだから、またその突然変異がペストの流行と平行して進んだものだと言う話だから、いくら何でも一人の人の血が今のヨーロッパ人種の2割に流れている、と言うことはないと思うんですが。血友病も、どの人種にもいるのかな?

(村田注・薬害エイズで有名になった血友病ですが、血小板の異常で血液が固まらないために、出血したら止まらなくなるという遺伝病です。血友病の家系にイギリス王室があるそうですが、薬害エイズが世界中で問題になっているところを見ると、世界中に患者はいるみたいです。似たような血液の遺伝病に鎌形赤血球症というのがあります。こちらは赤血球が三日月型につぶれていて酸素を正常に運べないという病気です。特に黒人に多い病気で、マラリア発生地域にその因子をもった人が多いのが特徴です。鎌形赤血球症の人はマラリアに感染しても発病しないことから、その因子をもった人が生き残り、子孫に伝えられて一定の割合で発現するのではないかといわれています。)

 アリマキとかクローニングで増えちゃうやつもいますしね。遺伝的に均質になると、種としてウイルスの病気に弱くなるんですが、他のこと考えたら無性生殖の方が効率はいいんです。それでも有性生殖と言う形を取った生き物の方が現在優勢を占めているのは、やっぱり病気なのかなあと。ウイルスの適応よりも種の中で多様化できている生物しか、生き残ってないのでしょうか。この項の解答期待しています。

 すみれも自家受粉しかしないですね。あと、脊椎動物では、アンコウの仲間でシラミと同じ方法で子供作ってるのがいました。ひと腹の兄弟の中で、稚魚のうちにペアを作って、大形のメスにオスが寄生する形で暮らすやつ。

 タブーに関しては、本当の近親(兄弟と親子)に絞った方が分かりやすいかも。あとパラレルカズンズかな。タブーが出来たと言うことは、それなりのことがくり返されたのではないかしら。犬を作る時近親相姦をくり返させることがあるけど、あれも必ず奇形が出るそうだし。犬なら歩留まりですますのかな。やだやだ。

 日本では姉が嫁ぎ先で早逝すると、妹が後添えに行く習慣があったようですが、ソロモンでは逆でした。だんなが死ぬと弟が嫁さんそのままもらうんですよね。私にはどうしても生理的に受け付けない習慣なんですが。

【追記】 先日ラジオを聴いていたら、進化論が専門の生物学者が出演して、遺伝子解析による種の分岐の話をしていました。その中で新種を作る突然変異種は1頭なのか、同時多発的にどっと登場するのか、という話をしていました。結論は今のところまだわからないそうです。ただ、今のところ1頭もしくは少数の突然変異種が近親交配をくり返して新種を構成していくという考え方が主流だそうです。


 33.天国への階段

 以前、選択授業で「ロック講座」をやったときも気になったのですが、アメリカ人にとってのロックミュージックは、日本人が思っているよりもずいぶんブラックミュージック寄りみたいです。ロックの殿堂に入っているミュージシャンたちの多くは黒人だし、日本ではソウルやヒップホップに分類されるような曲もロックとして認識されているようです。

 考えてみれば、ロックのルーツはソウルやブルースだったわけですから、当然といえば当然です。ミック・ジャガーも言っています、「俺たちはブラックミュージックをマネしてる白人にすぎないんだよねー」と。説得力のある言葉です。とすると、むしろロックといえば白人ミュージシャンがギターをかき鳴らすハードロックを連想する日本のロックシーンの方が奇妙です。とくに、40がらみのロックおじさんやロックおばさんにとっては、ロックといえばジミー・ペイジであり、ディープパープルみたいです。ああ、不思議。どうしてチャック・ベリーでもマービン・ゲイでもなく、レッドツェッペリンやクリムゾンなんだろうか。近所のレコード屋のおにいさんは、ドアーズとチープトリックを買ったときは目を輝かせてあれこれ話しかけてきたのに、チャック・ベリーを買ったときは「へっ」って感じでした。

 この手のハードロックおじさん・おばさんには熱くロックを語る人が多いみたいで、彼らが酔っぱらって「天国への階段」なんか歌い出したら非常に危険な状況です。こんな時に「アース・ウィンド・アンド・ファイヤーが……」なんて言い出したら胸ぐらつかまれそうです。けんかを売る覚悟が必要です。こわいです。個人的に70年代イギリス系のハードロックは苦手です。妙に深刻ぶった雰囲気と「鳴き」の入ったギターの音色がダメです。あのヒロイックで湿っぽい世界、あの世界に「入れる」人はさぞいい気分なんだろうなと思うんですが、はたで見ている私にとっては「なに、いい気になってんだよ」とハリセンでしばいてやりたい衝動に駆られます。(このヒロイックで湿った部分だけを増幅させると、最近流行の「耽美系」バンドになります。結核サナトリウムみたいな化粧をしたおにいさんが、高音を振り絞りつつ天を仰いでポーズをつけるなんて、おええ、あれロックじゃなくて演歌だよね。あの衣装やメイクもトラック野郎のペイントと同じセンスだし。)

 ボビー・アン・メイソンの『イン・カントリー』という小説に「ロックっていうのは、悲しいできごとを楽しく歌う音楽なんだよ」というくだりがあります。そう、ちょっといじけてて、でも妙な勢いがあって、楽しいのにちょっと悲しい、そんな感じ。


 34.エモーショナル・サーキット

 一般的に感情と論理は正反対のものに見られているようです。たとえば自分の感情をあらわにする人には「もう少し冷静に、論理的に」といさめたり、「理屈の通じない人だ」と評価したりします。しかし、感情と論理とは相容れないものではなくて、むしろ感情というのは複雑な論理ではないかと考えています。つまり、好き・嫌いとか楽しい・つまらないという感情の背後には、本人が自覚していない複雑な論理がずらっとつながっていて、その論理の結果として「うれしい」とか「悲しい」という感情にたどりつくのだというわけです。本人には結果としての感情しか自覚がありませんが、背後にある論理は無数の要因を複雑な処理をしていて、「〜だから〜になる」という連鎖を無数にくり返しているのではないかと想像します。それに比べれば、数学的証明など単純な論理にすぎません。だから、何かについてすぐ「好き」とか「嫌い」とかいう人のことを単純な人と言ったりしますが、これは間違いで、むしろ複雑で難しい論理を一瞬で処理できる人なのではないかと思ったりします。もちろん、その一瞬の処理で出た結論が正しいと思っているのいるのは自分だけなので、まわりの人にその正当性を理解してもらうためには、人にわかる言葉で結論に至る過程を解説する必要があります。それをしないと「独善的で自分勝手な人」ということになってしまいます。

 美術作品の評価などはその典型で、非常に微妙で複雑な要因を処理した結果、「美しい」とか「すばらしい」といった評価にたどりついているようにみえます。実際のところ、美術作品を言葉で解説しようとする人たち、美術評論家たちは、私たちの意識下にある微妙で複雑な論理を言葉で表そうとしているわけで、非常に難解です。(多くの場合、私には理解できません。)

 ところがその一方で、どこからそうした感情が出発しているのかと考えると、自己保存や身体的生理というような本能的なものに由来しているようにみえます。感情が本能から出発しているのだとすれば、間に論理の連鎖などなく、結論だけをぽーんと投げているのではないかと考えたりします。つまり、私たちの体験の中で本能的なものに触れるものに出会ったとき、「楽しい」とか「気持ち悪い」といった感情がぽーんと本能から投げ出されてくるのではないかというわけです。この直通の回線には、論理の連鎖が入り込む余地はありません。

 感情は複雑な論理なのか、それとも本能からのホットラインなのか、時々考えるのですがわかりません。感情の正体も気になりますが、それ以上に人々は自分の感情をどう認識しているのか気になるところです。

【解答1】 神戸の松尾さんから、「エモーショナル・サーキットこそ文学の本質だ」というメール。

 エモーショナル・サーキット、興味深く読みました。でも、なんでそんなことを考え始めたか、というきっかけとか、動機が知りたいですね。自分のことを考えると、感情にはそこへ至る様々な要因があって、複雑極まりない論理なんですけど、他人を見ていると、事情を知らないから突発的な行動に見えて、本能で動いているような感じに見えてしまいます。ちなみに、女性は生理日は感情的になるとか、イライラするとよくいわれますけど、私はあんまり感じたことがないし、周りの人からも実際そういう話はききません。実際イライラするとしても、腹痛などの体調不良から来ているものであって、月の周期とか女体の神秘みたいな不可思議なものではないと思っています。なのに、知人が運転免許の更新に行ったとき、「こういうときは事故りやすいので気をつけなさい」という講義の中で、「女性は生理中は事故を起こしやすいから気をつけなさい。これは統計で出ている、学者も認めている事実です」という話があったそうで、全く驚かされます。

 テレビドラマの「スタートレック」には、「データ」という感情を持たないアンドロイドが登場します。彼は宇宙船の乗組員で、非常に優れた分析力と膨大な知識の持ち主なんですが、可笑しいとか悲しいという感情を感じないように設計されています。そのため、まわりの乗組員が楽しげに笑ったり、落ち込んでいたりすると、彼だけまわりの雰囲気から取り残されてしまい、いったい何がおきたんだろうときょとんとした表情をします。そして彼はそこで起きた出来事の因果関係をひとつひとつ分析して、なぜ可笑しいのか、なぜ悲しいのかを理詰めで考えて納得しようとするわけです。(その様子は自閉症の人を連想します。)そんな彼の言動を見ていると、まるで論理と感情についての思考実験をするためにつくり出されたキャラクターのようで、いつも感情って何だろうと考えてしまいます。感情と論理とはそうもはっきり分けられるものなのだろうかと。今回の疑問は、そんな彼の様子から出発しています。

 ところで、このデータ、うれしさや悲しみは感じないようですが、責任感や忠誠心はもっていたりします。知的好奇心のような探求心もあるようです。さらには、人間性を身につけて笑ったり泣いたりできるようになりたいという願望まで持っています。不思議です。

 さて、話をもどします。「好き・嫌い」といった2者択一式の結論にすぐに飛びつく人がいますが、私はそれを知的怠慢だと考えています。現実は2者の間に無数の選択肢があって、そこにまた個別の事情があるはずです。それを見ようとせず、0か1か式の結論に飛びつこうとするのは、状況の分析ができず、自分ひとりの独善の世界に閉じこもっていることです。ところが、その一方で、もしかしたらそういう人は一瞬のうちにそうした複雑な事情を見きわめ複雑な論理処理をした結果として、「好き・嫌い」といった物言いをしているのではないかと思うこともあります。それは複雑すぎて、もしくは本人にも自覚していないところでの論理のために、その過程を言葉で説明することは不可能だから、「好き・嫌い」といった結論しか言わないのではないかと。(なんせ他人の思考プログラムはわかりませんから。)だとしたら、バカなのはむしろ私のほうで、あの人たちは世の中の真理を見きわめている人たちということになります。ひとつひとつ論理の鎖を確認しなければ考えがすすまないなんて愚の骨頂となります。

 実際のところ、私はしばしば自分の感情を見失います。自分はそれが気に入っているのか、それをやりたいのか、あの人を好きなのか、わからなくなるのです。それらのひとつひとつの要素はクリアーに思い浮かぶのですが、では自分はそれについてどう思っているかというところで、はたと止まってしまうのです。うれしいのか、困っているのか、悲しいのか、好きなのか、嫌いなのか、怒っているのか、さっぱり見えてこないのです。そのため自分の気持ちを確認するために長い時間を要します。そして、その気持ちの確認の多くの部分は「自分はそれが好きなのだ」「そうしたいのだ」と言い聞かせている作業です。そうやってようやく自分の気持ちを固めて1歩を踏み出すわけです。そうした自分の鈍さについて、これは自分の論理処理能力が遅いから感情という結論にまでたどりつかないのか、それとも何かを論理的に考えることと感情を抱くことは違う回路を使っていて、理詰めで考えようとするためにかえって感情を見失ってしまうのか、と考えます。

 アメリカ人の心理学者の有名な言葉に「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」というのがあります。なるほど感情は正当な結果ではなく思いこみにすぎないというのは、多くの場面で思い当たるような気がします。だとしたら、そこに論理の入り込む余地すらありません。むしろ、論理的な判断を妨害する色眼鏡にすぎないということになります。でも、本当にそうなんでしょうか。

【解答2】 再び神戸の松尾さんから。

「芝居の稽古では体をほぐさないと感情が素直に出ないため、まず走ったり筋肉トレーニングをしたりして体をあたためます。どんなに落ち込んでいても、体を思いっきり動かした後はテンションが上がるんです。体と感情の関係は絶対ありますよね。そういえば、「完全自殺マニュアル」の鶴見氏は薬物でつかまったそうなんですけど、その前のイン タビューで、クスリで何の苦労もなしに幸福感が生まれる、それを経験した人間と、知らないで幸福を求めている人間では違いがある、と語っていました。感情を操作できるくらい化学が発展しているのはわかっていることですから、怖い話です。精神医学の教授に、「悩むくらいなら精神安定剤を飲んだほうがいい」という人がいました。体に害がないからでしょうが、何かが混乱します。じゃあ、簡単に得られる幸福を捨てて、なぜつらい思いをして生きるのか。」

 そう、向精神薬というのがありますよね。1錠飲めば気分はすっきり、イライラもクヨクヨもさようなら。どんなに深い事情と深刻な悩みがあっても向精神薬1錠ですっきりというあまりの即物的なことに、私たちの心っていったい何なんだろうと思ったりします。クスリ1錠の前では、実存的苦悩も現象学的考察も無力なんでしょうか。だとしたら感情に論理もへったくれもないじゃん。逆にその即物性が向精神薬に胡散臭さを感じるところでもあります。もっとも、それをいったらアルコールも同じか。ところで、ここ数年、アメリカではプロザックが大流行だそうです。一体、向精神薬が大流行する社会って何なんだろう。

【解答3】 須磨からユングの「タイプ論」についてのメール。

まずユングは、「感情」と「思考(論理)」を「客観的価値判断」つまり方向付けをする「心の機能」と定義しています。客観的というと、感情が客観的か?となると思いますが、この2つが社会の中で「経験的」に得られる事から、両方を「合理的な機能」として、そのように考えているようです。その上で、感情と思考は相入れない対立したものと考え、感情過程を思考で説明する事は出来ないと断言しています。
 さらに、「非合理的」、「絶対的知覚」の機能(宗教や芸術性に関わる部分)として「感覚」と「直感」を(両者を対立するものとして)定義し、「思考/感情/感覚/直感」の4つを心的機能(心の活動形式)としています。
 面白いのは、これらの機能が個人の心の中でどれかが意識の中で発達して中心的に活動している一方で、それに対立する機能は無意識的で、意識の制御の外にある(本人に自覚されにくい)と考えている事です。例えば、村田さんは勤めて論理的=思考が発達していると判断できますが、一方で感情について「見失う」と書いていますね。あるいは、感情は思考の「ショートカット」と「考えようとしている」ように思われます。思考が優位になっている現れでしょう。また他の2つの機能は、どちらかが副次的に、意識の判断に寄与しているとも考えられています。
 例えば「思考」の人と「感情」の人は、お互いなかなか理解し合えない、といった事も起こるとしています。それぞれ相手の機能は、自分の未発達の「弱い」ところだから、概ね意識は反発する方向にむかう訳です。(逆に無意識は、補償としてそれを求める事もありますが、無意識のエネルギーは幼児的・暴力的なスマートでない形で相手に向けられるケースがあります。それがコミュニケーションの障害のひとつにあげられます。)
 これらの「タイプわけ」は、ユングがあくまで臨床心理の経験から4つに区切ってい て、「将来はもっと多くに分ける事も出来るかもしれない」なんて言っていますが、各機能の組み合わせとバランス、及び「心的構え=外向/内向」という概念で個人の心の構造を説明しようとしたものです。要は、「エモーショナル(感情ではなく心の動き)・サーキット」は、4つの別々の回路の組み合わせが、認識・判断のプロセスをつかさどっているという考え方です。(外への表現=態度は、「外向/内向」で説明していますが、省略。)
 臨床的には、心の機能の過度の偏りが、さまざまな障害になって現れるので、その行き過ぎを是正するのが医者の役目とされています。(ユング派には、その先に「個性化」という概念もある。)また、「科学が進めば、心の現象は遺伝や脳の生理で説明できるかも」とちゃんと言っていて、現に養老猛司的に脳内物質(遺伝子のバックグラウンドも含めて)で心を説明するのが主流になりつつあるようですが、アメリカ人みたいにスマートドラッグにはまらなければいけない社会が、善悪の判断はともかく、「心的に偏った社会」といえるかもしれません。」

 私はユングは苦手で、「お話」としては面白いんだけど、どういう根拠でそうなるのかがよくわからないんです。シンクロニシティとか、何でそうなるの?ってかんじ。

 いまどき、脳とは別に心があると考えている人はほとんどいません。唯物論を嫌う哲学者たちですら、「魂」や「霊魂」といった言葉を使うことにはためらいがあります。そういう意味では唯物論は完全に定着しています。ただし、脳を調べれば心がわかるのかという点では意見はわかれています。わかるという立場は心は脳内の物質的な活動なんだから、脳内の物質的な動きを調べれば心もわかるというものです。その検査の精度が上がれば上がるほど、細かな心の動きもわかるというわけです。それに対してわからないとする立場は、脳は1冊の本のようなもので、紙の質やインクの成分といった本の材質をいくら調べても、その本に書かれている物語を読みとることはできないというわけです。つまり脳の物語を読みとるためには物質的なアプローチは不適切で、心は心にしかわからないという立場です。

【解答4】 2001年6月27日付の差出人名のないメールでご意見が寄せられました。

私は心理学についてこちらのサイトに意見をよせていらっしゃる方々ほど詳しくないので、あまり難しげな事は言いたくても言えないのですが、私はやはり感情と論理は異なるものだと考えます。非常に単純で拙い論理ですが、最も感情を素直に表す赤ちゃんが何かに対して「好き、嫌い」の感情を表すとき、そこに論理が働いているとは思えません。この場合機能しているのは、経験や本能的欲求によるごく単純な判断に過ぎないと思うのです。他にも、「理屈ではわかっていても、承服できない」って事ありますよね?

論理といものは「不特定多数に対して納得せしめる」性質を前提としたものであるのに対し、感情はむしろその人の個性により発現するものなので、無意識下の無数の選択の結果が感情の発動であったとしても、それは論理とは言いがたいものだと私は考えます。理屈で自分の感情を述べても、それはただの感情の動きの説明であって、その基準がその人の個性に委ねられている時点でそれは論理とはいえないのではないでしょうか。他者に理解してもらえても、それはたまたま個性が一致したに過ぎないわけです。

要は、無数の選択肢の根底にある判断基準がその人の内面によるものか、それとも、外部の理によるものかの違いで、村田さんの挙げられている美術作品の例を取ってみても、「美しい」という結果を論理の結果と感じるのは同じ美術品を見て湧き起る感情が一致するケースが多い美術品であるというだけで、それを見て何も感じない人が存在するであろう点から考えると、やはりそれは「論理」とは別物だと思うのわけです。

 先日、中学校で「死刑制度」についての授業をしたんですが、その時に生徒の書いた感想文に次のようなコメントを書きました。少し引用します。

 社会問題を「正しいのか間違っているのか」という論理の問題としてとらえた場合、1+1が2になるように結論はひとつです。1+1が3や4にならないように、論理の問題に人それぞれなどということはありえません。数学の定理を証明するように、よく考え、論理の欠陥をチェックするために慎重に論じあって、結論に達することが求められます。この場合は多数決も世論調査も無意味です。

 一方、社会問題を「好ましいか好ましくないか」という好みや感情の問題としてとらえた場合、結論は人それぞれということになり、そこには原理・原則も思想も存在しなくなります。青が好きか赤が好きかを論じるのが無意味なように、社会問題についても人それぞれが自分なりの思いを持っていればいいわけで、論じてもしょうがないわけです。法律や制度をつくるにあたって、どうしてもひとつの結論を出さねばならないときは、多数決で決めればいいということになります。

 では、現実の社会問題がどのように扱われているかというと、論理と好みが入り混じって結論にたどりつきます。人によって原理や思想を重んじる人もいれば、世論調査の数字を重視する人もいます。死刑を続けるのかやめるのかという重たい問題についても同様です。さて、どちらのやりかたが正しいのでしょうか。

 つまり、感じ方は人それぞれですが、論理はそれぞれの個性をこえたところで成り立つものだと主張しているわけで、私もメールでいただいたご指摘と同じ立場をとっているわけです。論理には「私の考え」も「あなたの考え」もなく、1+1が2になるように誰にとってもあてはまるものでなければならないと。

 ただ、表現されたものとしての論理と感情ははっきりわけてとらえることができますが、一方で、心の中での動きとしては、論理と感情にそう明確な境界があるだろうかと思うわけです。例をあげながら考えてみます。「あのネコは三毛だからメスだ」というのは明らかに論理ですが、「あのネコは自分になついているからかわいい」という感情には、論理性がふくまれないのかという疑問です。少し分解してみます。前者は「あのネコは三毛猫である」→「三毛をつくる遺伝子はY性染色体にある」→「ほとんどの三毛猫はメスである」→「あのネコはメスである」という論理のつながりがあります。一方、後者ですが、「あのネコは自分になついている」→「あのネコは自分を見かけるとすり寄ってくる」→「あのネコと自分との間におだやかな交流がある」・「ふわふわの毛並みが心地よい」→「あのネコはかわいい」というような論理に似た連鎖が心の動きの中にあるのではないかと思います。

 もちろん、この心の動きの連鎖は論理とは異なって、誰にでもあてはまる性質の関係性ではありません。ネコとおだやかな交流があろうが毛並みがふわふわしていようが、人によって鬱陶しいと感じる人もいれば不気味と感じる人もいます。しかし、ひとりの人間の心の動きに限定すれば、本人にはこの連鎖はきわめて論理的につながっているように見えます。自分の中では、「かわいい」に至る心の動きに「〜だから〜だ」というような明確な関係性があるから、他人が自分と同じ感情を共有しない場合にとまどいを感じるのではないでしょうか。なついていて毛並みがふわふわのネコがかわいいということは、その人にとっては三毛猫がメスであることと同じように論理的に関連している。それにもかかわらず、相手は鬱陶しいとか不気味だと言っている。その人は相手の示す反応が理解できず、「どうしてわかってくれないんだ」と迫る。そのように、その人の感じている感情が明晰で判明な連鎖であるほど、相手が異なる反応を示すことが理解しにくくなります。

 今回の問いのそもそものはじまりは、嬉しいとか悲しいという結果として表れる感情の背後に、心の動きの連鎖があるのか、それとも連鎖などなく本能から直接送られてくるのかという疑問でした。精神分析やある種の心理学は、こうした個人の内部においてのみ機能する意味の連鎖の法則をさがしだして、心の動きを解明しようとする作業です。一方、薬物治療や脳神経の研究は、脳の機能から心の動きを解き明かそうとしています。こちらの場合は、心の動きの中の連鎖など関係なく、結果としてでてくる感情を即物的にコントロールしようとします。以前、「エモーショナル・サーキットこそ文学」というメールをいただきましたが、文学作品というのは、書き手が自分のいだく感情の連鎖を追いかけていくところから出発します。自分の中の心の動きの連鎖を解きほぐし、それを物語として提示することで、読み手に同じ感情を追体験させようとする行為だと思います。よく小説家を嘘つきといいますが、それはたんにフィクションを書いているからではなく、論理的とはいえない連鎖、つまり、自分ひとりに限定されるはずの心の動きを作品を通して不特定多数の人たちにも共有させようとするからではないかと思います。(2001.9.4)


 35.ビジタル

 大阪・通天閣の展望台からやたらと見える「ビジタル」の看板、気になりませんか?「マンションはビジタル」「ビジタル浪速7号」「賃貸マンションならビジタル」「ビジタル9号」などなど、大小あわせて30以上の看板が目に入ってきます。あの看板のくどさは町ごと乗っ取ろうかという意気込みを感じます。非常に怪しいです。大阪・新世界はビジタルの町なんですか?

 で、ビジタルってなんやねん。

 通天閣展望台で土産物を売っているおばさん(通天閣と同じくらいうらぶれていてビリケンと取り替えてもわからないくらい年季の入った感じ)に尋ねてみたところ、「ほんまやねぇ、ビジタルばっかりやねぇ」と蘊蓄のあるお答え。ケ・セラ・セラ、人生の真理を教えられた気分になって、僕はちょっと悲しかったです。おばさん、それ答えになっていないよ。おばさんは日本がショッカーに征服されようが小惑星が地球に直撃しようが昨日と同じように土産物を売り続けるに違いない。

【証言1】 再びガッチャマンサイトを運営しているton-qさんの登場。ton-qさんは天王寺動物園裏手に住んでいる大阪下町っこなのでたずねてみました。

「確かにあの辺には「ビジタル」多いですよね。ぼくもなぜ多いのか、気にはなってました。名前は「visit(滞在する)」がもとになってる和製英語で間違いないと思います。
後はぼくの勝手な想像ですが、たぶんバブルが崩壊したころに上手く立ち回ってあの辺一体のマンション買い占めに成功したナニワ金融道な会社ではないかと(^_^;
でもじつは新世界近辺はここ2〜3年のうちに、NHKのTVドラマやフェスティバルゲートという結構規模の大きな娯楽施設の開店にあわせてかなり綺麗に整備されたのです、あれでも(^_^;
それ以前は、それこそ「じゃりんこチエ」の世界だったんですよ。」
【追記】 ふむふむ、通天閣の土産物売場に「じゃりんこチエ」グッズが置いてあったのが印象的でした。あのキーホルダー、なかなか良くできていました。大阪・新世界は、平日の昼間から大勢のおじさんがかけ将棋に興じていたり、誰彼となく話しかけるおじさんがいたり、いまでも十分に「じゃりんこチエ」というか、「通天閣のお香」的世界でした。残念ながら通天閣を頭にのせて歌うお姉さんの公演は見れませんでした。10年くらい前、母親と大阪へ行く用事ができて、新世界のお好み焼きやに入ろうとしたとしたところ、母親が道行くおじさんにナンパされていました。お好み焼きを食いながら母は上機嫌で、「ひろし、ここはいいところだなー」。へえへえ、そりゃあ、よかったな。

【証言2】 匿名希望のてっちゃん氏より潜入レポートが届きました。感謝。

「ビジタルですが、中に入ってみたら、ワンルームマンションでした。(ワンルームじゃいない立派な部屋もありますがほとんどがワンルーム)で、大国町あたりにある”ビジタル”風俗店がかなりはいってます。
種類は”イメクラ”詳しくは下記をみるとよくわかります。
http://www.daikoku-databank.com/index2.htm
知り人は知る”メッカ”です。(大国町は バブルがはじけてからもそちらの業界は元気みたいで一般の入居者よりそちら方面の入居者の方が多いと...」
 なぜこのような内部情報を知っているのか不思議に思っていたら、てっちゃん氏はビジタルマンションに入居しているイメクラの常連さんのようです。頼もしい調査員を得て、ビジタルの究明は一気に進展しそうな勢いです。引きつづき潜入レポート。

「私は、日本橋の電気街によく行きます。難波から、JR新今宮あたりをうろうろします。路上生活者の方々をよく見かけます。別に怖いとか被害にあったこともありません。最近では、若者(20代)の路上生活者の姿も見かけます。はじめは、路上生活者ではない、”日雇い労働者”たちの”住まい”と思ってましたがふつうのマンションでした。」
 あのうらぶれた雰囲気と看板の勢いを見るかぎり、ビジタルが「ふつう」のマンションとは思えないものがあります。怖いスジからのダーティな裏金でも流れているのではないかという妄想が広がります。そんなビジタルに数多くの風俗店が入居しているというのは期待通りの展開で、そうこなくてはいけない。もしかしたら、ビジタル自体が風俗店を経営しているのではないか、さらにはワンルームマンションの多くは風俗嬢の寮になっているのではないかなどなどさらに妄想が広がります。新世界周辺の空気について、私は「じゃりんこチエ」というよりも「鉄コン筋クリート」の宝町を連想しました。それにしてもマンションの住人は風俗店が何軒も入居していることを知っているんでしょうか。うちの近所は学生向けのワンルームマンションが建つというだけで住人の反対運動がおこるような小うるさい土地柄なだけに不思議な感じがします。自分の部屋の隣がイメクラの店というのはどういう感じなんでしょうか。

「ビジタルが経営者なのか、ただそこへ”入居者”としているのか
でも、所有者が知らないで貸すとかはないので、絡んでるのは否定できないでしょうね。でも、ちゃんと風営法で届けている”優良店”(?)ばかりですから...」
「とにかく、やたらとイメージクラブの”部屋”になっているのは事実です。(実は...通ってたりする。(爆))ふつうの入居者(おばちゃんにも出会った)おられるのであまり”風俗店ばかり”という表現はしないで、”風俗店も入居している”ぐらいんで...
お店も、あまり広告でビジタル○○とか場所をはっきり乗せていないので、ほとんどが、電話で問い合わせしてくださいという表現になっています。他の入居者もあるので気を遣っているのでしょうか?」
 風俗店の入居が多いのは土地柄によるものなのかビジタルならではなのかは微妙なところのようです。これについてはビジタルがどういう会社なのかの解明を待たねばなりません。


 36.アフリカのギター 

 アフリカのポップミュージックが好きです。ビデオ屋でアルバイトをしていたとき、有線のチャンネルに「アフリカンポップス」というのがあって毎日聞いていました。つい先日、アフリカの地雷地帯のドキュメンタリー番組を見ていたら、「地雷に気をつけろ」という歌が流れてきて、あのなつかしい陽気なリズムが聞こえてきました。

 アフリカのポップスってアレンジがみんな同じに聞こえるんですが、ギターが独特の陽気な音を出します。弾むような乾いた音です。他の音楽では聞けない音です。あれはただのギターではなくて特別な楽器なんでしょうか?


 37.タイム・アフター・タイム

 最近、よくラジオからシンディ・ローパーのカバーソングが聞こえてきます。
 なぜか国内・国外のミュージシャンが立てつづけにシンディ・ローパーの楽曲をカバーしているみたいで、1日ラジオをつけっぱなしにしていると、色々な声の"Time After Time"や"True Colors"を聞くことになります。カバーバージョンを聞くとたいていシンディ・ローパー自身が歌ったものよりもストレートなラブバラードという感じで、トレイシー・ソーンがアコースティックギターとピアノをバックに歌った"Time After Time"なんかまるでスタンダードナンバーみたいでした。たしかに良い曲ではあるんですが、そんなに古い歌じゃないし、本人も生きているし、なぜいまこんなに彼女の歌がカバーされるのか不思議な感じがします。たしかマイルス・デイビスが演奏した"Time After Time"もあるんですよね。なんて書いていたら聴きたくなってきたので、レコード屋へ行ってきます。(個人的には"All Through the Night"が好き。)

 というわけでシンディ・ローパーのベスト盤を買ってきました。買ってきたCDを歌詞を見ながらけっこう真剣に聴いています。思った以上に良いです。"Time After Time"は切ない歌でした。シンディ・ローパーがステージでときおり奇声を発しつつ顔を歪めて歌っていたのがこんな歌だったとは。自分の見る目のなさに愕然としています。逆毛立てた緑色の髪、遊園地のピエロみたいなメイク、やはりピエロを連想させるだぶだぶのドレス、年齢不詳の幼児体型、場末のウェイトレスみたいなくちゃくちゃしたしゃべり方、奇妙な言動、彼女が立て続けにヒットを飛ばしていた1980年代半ば、日本でのメディアはほぼ色物あつかいでした。私もああまた変なのがでてきたなって感じでまったく興味の対象外だったわけでして、こんなにせつない歌をシリアスに歌っているとは思いもよりませんでした。繊細で人とうまくコミュニケーションがとれずに悩んだ末にエキセントリックな行動をしてしまう人なのかもしれません。歌詞も大人のラブソングで良いです。あのキャラクターと繊細な歌詞とのギャップにおどろくのと同時に、こうして楽曲が大勢のミュージシャンによってカバーされ、ちゃんと評価されているところをみると、世の中すてたもんじゃないという気がしてきます。彼女がショービジネスの世界から去っても、彼女の"Time After Time"はこの先も残っていくのではないかと思います。せっかくなので訳してみることにしました。

Time After Time (Cyndi Lauper/R. Hyman)

Lying in my bed I hear the clock tick,
And think of you
Caught up in circles confusion--
Is nothing new
Flashback--warm nights--
Almost left behind
Suitcases of memories,
Time after--

Sometimes you picture me--
I'm walking too far ahead
You're calling to me, I can't hear
What you've said--
Then you say--go slow--
I fall behind--
The second hand unwinds

If you're lost you can look--and you will find me
Time after time
If you fall I will catch you--I'll be waiting
Time after time

After my picture fades and darkness has
Turned to gray
Watching through windows--you're wondering
If I'm OK
Secrets stolen from deep inside
The drum beats out of time--

If you're lost...
You said go slow--
I fall behind
The second hand unwinds--

If you're lost...
...time after time
time after time
time after time
time after time

タイム・アフター・タイム

ベッドに横たわり、時計が時を刻む音を聞く
あなたのことを考える
混乱した円環の中、巻き戻して
もう新しいことはおきない
フラッシュバックする、ぬくもりにつつまれたいくつもの夜
ほとんど置き去りにされた
いくつもの思いでのつまったスーツケース
時が……

時々、あなたは私を思い描く
私はどんどん遠くへ歩いていく
あなたは私を呼ぶ、私には聞こえない
あなたがなんて言っていたのか
あなたは言う、もっとゆっくり
私は歩みを遅らせる
秒針が巻き戻されていく

あなたが道に迷っても、あなたには私を見つけられる
くり返しくり返し
あなたが倒れたら、私が受けとめてあげる、私はいつもそこにいる
くり返しくり返し

私の面影が消え
闇が灰色にうつりかわる
窓の外を見る
あなたは私が大丈夫か気にかけている
心の奥底から盗まれた秘密
ドラムがずれたテンポでビートを刻む

もしあなたが道に迷っても……
もっとゆっくりとあなたが言う……
私は歩みを遅らせる
秒針が巻き戻されていく

あなたが道に迷っても……
……くり返しくり返し
時を越えてくり返しくり返し
時を越えてくり返しくり返し
時を越えてくり返しくり返し

 終わってしまった恋を、時間を巻き戻すことで別の時間にいる恋人へ呼びかける、そんな歌です。いつでも私はそこにいていつでもあなたを受けとめてあげると。冒頭の場面からサビにかけての時間の描写がいい感じです。「time after time」は「くり返し」という意味ですが、たんにリピートしているのではなく、歌のなかでの時間の流れやゆらぎを連想します。記憶と空想を行き来しながら、いまとはちがう世界につながる時間の流れを思い描いているという感じではないかと思います。そこには生き急いで「もっとゆっくり」という彼の声も耳に入らない以前の自分がいる。歩みを止め時間を巻き戻し、いつもそこにいてあなたを受けとめてあげると彼に歌いかけるもうひとりの自分がいて、交錯していく。ハインラインの小説「夏への扉」を少し連想します。個人的趣味としては「ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」のミシェル・ファイファーに歌って欲しいところですが、あんな華やかな美女がナイトクラブで歌うよりももっと等身大の女性の歌のような気もします。一方、"All Through the Night"のほうはシンディ・ローパー自身の楽曲ではありませんが、勢いで訳してみます。

All Through the Night (Jules Shear)

All through the night
I'll be awake and I'll be with you
All through the night
This precious time when time is new
Oh, all through the night today
Knowing that we feel the same without saying

We have no past we won't reach back
Keep with me forward all through the night
And once we start the meter clicks
And it goes running all through the night
Until it ends there is no end

All through the night
stray cat is crying so stray cat sings back
All through the night
They have forgotten what by day they lack
Oh under those white street lamps
There is a little chance they may see

We have no past we won't reach back
Keep with me forward all through the night
And once we start the meter clicks
And it goes running all through the night
Until it ends there is no end

Oh the sleep in your eyes is enough
Let me be there let me stay there awhile

We have no past we won't reach back
Keep with me forward all through the night
And once we start the meter clicks
And it goes running all through the night
Until it ends there is no end
Keep with me forward all through the night
And once we start the meter clicks
And it goes running all through the night
Until it ends there is no end
オール・スルー・ザ・ナイト

一晩中ずっと
あなたと一緒に起きている
今夜は夜通しずっと
新たな大切な時間
ああ今夜、夜通しずっと
言葉なんか交わさなくても私たちは同じ気持ちでいる

私たちに過去はない、もう戻りたいとは思わない
私といっしょに前だけを見て、一晩中ずっと
そしてメーターをクリックして一度出発したら
一晩中ずっと走り続ける
最後までずっと、でも終わりなんてない

一晩中ずっと
野良猫が鳴いている、それに野良猫が歌い返す
一晩中ずっと
昼の自分の欠乏感も彼らは忘れている
白く輝く街灯の下でなら
そこにならわずかなチャンスがある

私たちに過去はない、もう戻りたいとは思わない
私といっしょに前だけを見て、一晩中ずっと
そしてメーターをクリックして一度出発したら
一晩中ずっと走り続ける
最後までずっと、でも終わりなんてない

ああ、あなたは眠たげな眼差し
もうしばらく一緒にいてね

私たちに過去はない、もう戻りたいとは思わない
私といっしょに前だけを見て、一晩中ずっと
そしてメーターをクリックして一度出発したら
一晩中ずっと走り続ける
最後までずっと、でも終わりなんてない
私といっしょに前だけを見て、一晩中ずっと
そしてメーターをクリックして一度出発したら
一晩中ずっと走り続ける
最後までずっと、でも終わりなんてない

 こちらはまあ他愛もない歌詞ですが、ミドルテンポのかわいい曲です。恋に恋する女の子の歌というか、少女マンガのラブコメ世界という感じ。彼氏はもう眠たくてくらくらしてるのに、主人公の女の子のほうは完全に舞い上がってしまって夢中になっている様子がおかしい。バングルスの「エターナルフレイム」とともに女装して歌ってみたい曲だったりします。シンディ・ローパーは現在も音楽活動を続けていて、公式サイトもありました。2004年にはワールドツアーもおこない来日もしたようです。ぜんぜん知りませんでした。ちょっと見たかったです。こういう人はヒットチャートに入るような売れ方はしなくていいから、彼女の歌の世界が好きな人のために歌いつづけて欲しいところです。 (2001.5)(2005.9加筆)
 → CyndiLauper.com

最近のコンサートの様子。 CyndiLauper.com より

 38.ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい

 10年程前に解散してしまったザ・スミスに"Some Girls Are Bigger Than Others"という曲があります。へんな歌詞です。

The Smiths "Some Girls Are Bigger Than Others"

氷河時代から失業手当の時代まで
気になる事はただひとつ
そして僕はついに発見したんだ
ある女の子達は他の女の子達よりも大きい
ある女の子達は他の女の子達よりも大きい
ある女の子達のお母さんは
他の女の子達のお母さんよりも大きい

エールの木箱を開けてアンソニーはクレオパトラにこう言った
ある女の子達は他の女の子達よりも大きい
ある女の子達は他の女の子達よりも大きい
ある女の子達のお母さんは
他の女の子達のお母さんよりも大きい
 気になる歌詞です。ずっと気になっています。シリアスな歌詞の多いスミスの中で異色です。マザーグースを連想しますが、何か裏の意味があるんでしょうか?(1999)

【追記】 コンスタンザさんより"Some Girls Are Bigger Than Others"についての詳しい解説付きメールをいただきました。ありがとうございます。

村田さんの「疑問の泡」の 38でとりあげられているThe Smithsの歌 "Some Girls Are Bigger Than Others" は、直訳すると「他の娘より大きい娘もいる」ですが、これは「他の娘よりおっぱいの大きい娘もいる」というメッセージとして解けるのではないでしょうか。おっぱいを示すbreasts あるいはtits になどの単語が直接出てこない点がアンダーステートメントになっているということで。Girlsの大小比較ときて、taller ではなく、よりアンビギュアスな bigger (これは姿かたち全体のこととも特定部分のこととも解することができます)とくれば、ある程度すれた男性なら(女性にはわからないとは断言しませんが灯台下暗しということもないとはいえなさそうなので)「ああ、おっぱいのことをほのめかしてるんだな」とわかるようになっていると思います。「おっぱい」ではなく「おしり」でもいいかもしれませんが。でもやっぱりおっぱいかな。いずれにしてもポイントは、おっぱいを自分にとって性的な妄想をかきたてる対象としてとらえるのではなく、単にものとして捉えている点でしょう。"Some Girls・・・"のフレーズを執拗に繰り返すことによって、ただおっぱいというものの大小があるだけだというミもフタもない事実が強調されています。極度に客観的で即物的な女性身体の捉え方です。その意味で歌詞に"mothers" が入ってくる点は効果的ですね。おかげで、たいていの男のおっぱいに対する性的な妄想は萎えてしまうでしょうから。このような反おっぱい憧憬の要素はいわゆる "typical male fantasy" の否定につながりますし、モリッシーがゲイである点(というのは実は断定しちゃまずいんですが。より正確には「だれもゲイの要素と無縁ではありえないという事実を彼が暴いた点」でしょうね)とも密接に関係していると思います。もっとも、そういう個人的条件にはさほど引きずられなくてもいいかも。肝心なのは、歴史を眺める彼の醒めた視点です。その視点はクレオパトラとアントニウスを取り上げるときにも生かされていて、普通だったら想像するのは大恋愛なのに、この歌の中ではアントニウスをして冷徹に「しょせん(おっぱいの)大小があるだけだ」と言わしめる。「クレオパトラの鼻がちょっと低かったら歴史は変わっていた」というクールな言葉を想い起こさせます。 ・・・とまあ、おっぱいおっぱいといっぱい言ってしまいましたが(あ、なんかおやじくさ)、要は人類史を現代に至るまでさんざんひっかきまわしてきたそれが、「もの」以上でも以下でもないということです。モリッシーはある日突然それを悟ってしまったと。

ただし敢えて付け加えると、実はこの歌のモリッシーらしいところは、以下のくだりまで捕捉しないとわからないと思います。村田さんのに出てなかった部分をちょっと引用:

Send me the pillow
The one that you dream on
Send me the pillow
The one that you dream on
And I'll send you mine

曲が1分50秒くらい進むと聞こえてくる歌詞です。1行目から4行目はなんかエフェクトがかかっていますが、何を言っているのかわからないほどではないです。5行目はもうはっきり収録されていますね。村田さんの紹介にこの部分が出てこなかったのは、たぶんアルバムThe Queen Is Deadの歌詞カードに紹介されていなかったからだと思います。無理もないです。詳しい事情は知りませんが、ぼくはきっとモリッシーがわざとやったことだと見ています。やっぱり食えないヤツですね、この人。

さて、こうして歌詞を眺めると一目瞭然だと思いますが、あれほどしつこく「大小の差があるだけ」とドライな主張を繰り返していたくせに、突如ここにきて客観的な事実ではなく主観的な妄想の交換を求めてます。つまりいきなり妙なラヴソングに反転しちゃってるということです。「枕を送ってよ、きみがその上で夢見るやつを」、「そしたらぼくも自分のを送るから」ですから。特にこのコンテクストだとpillowからはけっこうな含意を読み取ることができますが、もういい加減しつこすぎるのでやめておきます。しかしえろいですね。ざっとこのようにかなり苛烈な分裂ぶりがこの歌からはうかがわれるわけで、やっぱりモリッシーの歌だなあと納得させられてしまいます。その点から言えばこの歌は、The Smithsとしては意外な例というよりはむしろ典型的な例ではないでしょうか。
コンスタンザ
 以前、この歌について何人かに、何が大きいのかとたずねてみたことがあります。反応はみなさん口をそろえて「そりゃあきまってんじゃん」とニヤニヤしていました。この歌詞、ほのめかしつつはっきり言わない可笑しさがあります。個人的には、「ある女の子たちは他のある女の子たちよりも大きい」という即物的な出来事を人間の歴史の真理として悟ってしまったことのわけのわからなさがミソだと思うので、大きいのがオッパイではストレートすぎて、むむむむという感じなんですが、こうしてコンスタンザさんから詳しく指摘されるとやはりオッパイかなと思えてきます。とくに「アントニウスがクレオパトラに言ったように」というくだりは、「大きい」のが体のどこかであることが強調されている感じです。もっとも「大きい」のがオッパイだとしてもやはりぜんぜんセクシャルな印象はなくて、即物的に歌われているのが面白いところです。ただ、オッパイはほのめかしにとどめておいて、たんに大きい女の子と小さい女の子がいるというイメージのほうが、とぼけた可笑しさとわけのわからなさが強調されて面白いと思うんですが、いかがでしょうか。
 せっかくの機会なので、原詩を掲載してみます。はじめにこの疑問を書いてから6年たって、インターネットの普及から、スミスもたいていの歌詞が検索一発でヒットするのでした。

THE SMITHS LYRICS - SOME GIRLS ARE BIGGER THAN OTHERS

From the ice-age to the dole-age
There is but one concern
I have just discovered :

Some girls are bigger than others
Some girls are bigger than others
Some girl's mothers are bigger than
Other girl's mothers

Some girls are bigger than others
Some girls are bigger than others
Some girl's mothers are bigger than
Other girl's mothers

As Anthony said to Cleopatra
As he opened a crate of ale :

Oh, I say :
Some girls are bigger than others
Some girls are bigger than others
Some girl's mothers are bigger than
Other girl's mothers

Some girls are bigger than others
Some girls are bigger than others
Some girl's mothers are bigger than
Other girl's mothers

Send me the pillow ...
The one that you dream on ...
Send me the pillow ...
The one that you dream on ...
And I'll send you mine
ついでに改めて訳してみます。
氷河期の時代から失業時代まで
気がかりなことがひとつある
僕はついに発見したんだ

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子のお母さんたちは他の女の子のお母さんたちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子のお母さんたちは他の女の子のお母さんたちよりも大きい

アントニウスがクレオパトラに言ったように
彼がエールの箱を開けたように

そう、僕は言う
ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子のお母さんたちは他の女の子のお母さんたちよりも大きい

ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子たちは他の女の子たちよりも大きい
ある女の子のお母さんたちは他の女の子のお母さんたちよりも大きい

枕を送ってよ……
君がその上で夢見たやつを……
枕を送ってよ……
君がその上で夢見たやつを……
僕のも君に送るから……
 あ、本当だ。最後のエフェクトがかかったパラグラフは急展開して強烈にセクシャルなニュアンスが込められています。寝物語を交わそうよと恋人に呼びかけています。枕を共にし、かつ、女の子の体のことを即物的に言いあうような相手、となるとやはりゲイの恋人に宛てての言葉という感じがします。この急展開と落差の大きさは、コンスタンザさんのご指摘通りいかにもスミスの歌という感じがします。この最後のフレーズは効いてますね。見逃していました。
 ところで、ひさしぶりに押入からスミスのCDを引っ張り出してきて、聞きながらこの文章を書いてるんですが、"Some Girls Are Bigger Than Others"は歌詞もさることながら、ギターのフレーズが印象的です。曲が終わっても頭の中でギターのフレーズが回っている感じがします。ライブ盤もあったのでこちらも引っ張り出したんですが、ライブではマーのギターがより前面に出ている演奏でした。(ライブだとモリッシーの歌は声量とテクニックのなさが露呈していまいちでした。)この印象的なギターフレーズが、夢うつつのなかでSome Girls Are Bigger Than Othersというわけのわからない人類史の真理に出会ってしまったことの奇妙さを強調している感じがします。(2005.1.28)


 39.ビョーク

 ビョークがビッグバンドをバックに歌っている曲が気に入っています。なんていう曲でしょうか?
 最近、個人的にビッグバンドものが気になります。あのホーンセクションいっぱいの音を聞いていると満ち足りた気分です。「これだ」って感じで、また、流行るんじゃないかと思っています。21世紀はフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」で迎えたい気分。ああ、ニューヨークにでも行ってみたいです。

【追記】 ビョークのアルバムをまとめて買ってきて、ビッグバンドものは2ndアルバムからの"It's Oh So Quiet"とわかりました。ただ、ラジオでかかったものはシャウトのかわりに「アハハハハハ」と人をなめたような笑い声が入っていたような気がします。リミックス盤かも知れません。ところで、ビョーク、すごくいいです。4枚のアルバムをまとめて聴いていますが、大きい音で聴いているとトリップします。音楽でトリップするなんて久しぶりの体験です。電子音を使った重たいビートと突然シャウトするテンションの高い歌声に意識の深いところへ引きずり込まれていく感じです。そこは鮮やかで生々しく残酷で爛熟してむせかえるような世界が広がっていて、日頃の自分の現実認識が貧弱でくすんだもののように思えてきます。初期のピーター・グリーナウェイの滴るような赤い映像を連想しました。ただ、刺激が強くて緊張を強いられるので、まとめて聴くとぐったりします。


 40.ロボット検索

 検索エンジンは何を使っていますか?
 うちは「クロ箱」の登録をYahoo!に拒否されて以来、むかつくのでロボット検索一本です。無作為に引っ張ってくるロボットくんはえらい。メインはInfoseekです。ただ、Infoseek、クロ箱のサーバーをASAHIネットからKDDに換えてからトップページしか検索にヒットしなくなってしまいました。Gooにいたっては登録申請しているのに素通りしていきます。KDDのサーバーに問題があるのか、Gooのロボットがアタマが悪いのかわかりませんがむかつきます。Goo使ってやらない。ちなみに、Infonavi、Excit、Lycosは登録したおぼえもないのに勝手にこのサイトをフルで検索してくれます。なんかけなげです。で、不思議に思うんですが、ロボット検索の巡回ってどうなっているんでしょうか?なんでKDDのサーバーはこんなに疎外されるの?ロボットくんにも好みや個性があるんでしょうか?

【追記】 その後いちおうYahoo!には登録されたようです。でも、なんだか服装チェックのあるクラブへの入店許可をしてもらったみたいで、頭の高い私は非常に面白くありません。店の中でパイ投げでもして暴れたい気分です。おまけに、「教育」→「授業計画」なんて誰も来そうにないところに分類されたうえに、テキストの検索もしてくれないんじゃ無意味です。無意味なので演習授業のページだけを登録してくれと連絡しておきました。せめて、「ウクライナのデスメタル」とかで登録してくれたらいいのに。

 ロボット検索ですが、このところGoogleを愛用しています。地の文が一部表示されたり、ロボットが巡回収集した時点でのキャッシュがサーバーに残されていたりと、なにかと便利です。登録量も多いし。新興勢力だと思っていたんですが、いつの間にかメジャーなサーチエンジンになって、Gooを蹴落としてYahoo!とも提携をはじめたようです。Gooはサービスの多角化に力を入れたために、肝心のサーチエンジンのほうがおろそかになったというところなんでしょうか。この業界、栄枯盛衰が激しいみたいです。 (2001.5.14)
→ Google 日本語
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・ 疑問の泡 41- ・ ・ クロ箱 表紙 ・