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  ロックとその時代・講義ノート

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Note 1  1950's-60's
 
 予告したとおり、選択社会では、今回から4回にわたって「ロックとその時代」というテーマで、ロックを聴きながら、その時代背景がどんなだったかというのを考えていきたいと思います。大衆文化は1960年代を境に大きく変化しました。いま、私たちが毎日の生活の中で経験している文化的状況もその頃にルーツがあるものがたくさんあります。でも、私たちは案外、日常の中で経験している物事の由来や背景を知らない。つい30年前、20年前にあったことなのに知らない。大阪城を豊臣秀吉が建てたことや享保の改革を徳川吉宗がやったことは知っていても、毎日聴いている音楽や着ている服の背景を知らない。マスメディアを通して聞かされる発言の政治的背景や社会的背景を知らない。学校でも教えないし、教科書にも載っていない。「社会科」なのにね。じゃあそういうことは重要じゃないのかっていうとそんなことはない。いま現在の私たちの生活や考え方を動かしているひとつの大きな原動力になっているわけだから。そこで今回から数回にわたってそのことをみていこうというわけです。

 ロックのような大衆文化は軽く見られがちで、みんなの中にも何で社会科の授業でそんなのやるのって疑問に思っている人もいるかと思うけど、たいてい大衆文化は時代状況を反映しています。とくにロックは、60年代、70年代の若者文化を中心にあったものなので、曲を見ていくことで、その時代がどんな状況だったかを考える手がかりになると思います。だから、音楽なんて好きな曲聞いてりゃいいじゃんなんて言わないで、たしかにその通りなんだけど、一緒に50年代から現在までのロックシーンを時代状況とともに見ていきましょう。ロックが好きな人もぜんぜん興味のない人もいると思いますが、こういう授業はつまらなそうにされるとやってる方としてもしんどいので、ロックに興味のない人もなにかしら楽しめる部分を作っていけたらと思っています。もっとも深刻な顔でロック聞くのも不気味なので、気楽に聞いてくれればいいや。踊りたかったらご自由に。あ、念のためにいうけど、こちらはそれほど音楽的なことについては詳しくはありません。アレンジの手法やギターの奏法について聞かれても解説できません。せいぜい歌詞の解説をするくらいで、授業の中心になるのはそうした音楽が作られ受け入れられていった時代背景をみていこうというものです。あと、曲の選択は、なるべく偏らないように気をつけるつもりだけど、多少こちらの好みにも左右されます。その点は堪忍ね。


 
 まず、初期のロックについて。日本でロックというと、エレキギターをかき鳴らす白人スターを連想する人が多いと思うけど、もともとはアメリカ南部の黒人音楽でした。黒人のポップス全般をリズム・アンド・ブルーズといいますが、ロックもそのなかから生まれてきました。「ロックンロール」という言葉は、1950年代にアラン・フリードというラジオDJが名づけたものだとされています。「Rock」も「Roll」ももとはセックスや性的な接触を現す黒人たちのスラングだったようです。この言葉を使って、アラン・フリードは、自分の番組の中で流す黒人ポップスを紹介しました。なんでわざわざそんな造語を使って、もったいぶった紹介の仕方をしたのかというと、アラン・フリードは白人で、彼が番組を担当していたのも白人向けのラジオ局だったからです。人種の隔離が当然のことだった50年代の南部社会では、白人向けのラジオチャンネルで黒人のポップスを大っぴらに流すわけにはいきません。保守派の白人からつるし上げを食ったり、場合によってはラジオの仕事から干されることもあり得る。そこで計算高い彼は、リズム・アンド・ブルーズという言葉を使わずに、これはロックンロールだと黒人のポップスを紹介したわけです。彼の番組は人種を問わずティーンエイジャーを中心に評判になっていきました。そのブームのなかでロックンロールという言葉が定着するとともに、やがてリズム・アンド・ブルーズのなかからティーンエイジャーが好みそうな陽気で単純な曲調のものがロックンロールというジャンルでくくられるようになっていきました。

 リズム・アンド・ブルーズはアメリカ南部にルーツのある黒人ポップス全般を指す言葉だと先にいいましたが、この言葉が一般的に使われるようになったのは1949年のことです。この年にアメリカのビルボード誌というヒットチャート誌が、それまで「レイスミュージックチャート」としていた黒人のヒットチャートを「リズム・アンド・ブルーズチャート」と表現するようになりました。第2次世界大戦でナチスの民族政策を批判したアメリカが、国内で似たような人種政策を大っぴらにとっていることへの疑問から、「人種音楽」ではあんまりだということでこういう表現が用いられるようになったわけです。このリズム・アンド・ブルーズ、アメリカの黒人ポップス全般を表すきわめてあいまいなジャンルですが、ふたつの音楽的特徴をそなえています。ひとつはコンボ形式といわれる演奏で、これはドラムとベースというリズム楽器を基調にして、メロディを奏でるギターやピアノ、さらにヴォーカルが加わるというスタイルです。現在のバンド形式のルーツがここにあるわけです。もうひとつは4拍子の2拍、4拍部分にスネアドラムアクセントを置くことで、独特のビート感が生まれます。これはアフタービートやバックビートと呼ばれるもので、やはり、現在のロックは程度の差はあってもすべてこの手法を取り入れています。このバックビートの入っていない古いポップスを聴くと、やけに気の抜けた印象を受けます。それだけ、現在のポップスは当然のようにバックビートが使われているわけです。

 チャーリー・パーカーの生涯を描いた映画「バード」の中で、主人公のチャーリー・パーカーが、50年代に台頭してきたロックンロールの演奏をうんざりした顔で聴きながら、そのあまりに単純な曲調を「なんでみんなBフラットなんだ」と吐き捨てるように言う場面があります。ジャズミュージシャンである彼には、ロックンロールの単純さと幼稚さが許せませんでした。高度な技法と音楽理論を追求し、ジャズをダンスフロアの伴奏から鑑賞するための芸術に高めることに心血を注いできた彼にとって、ロックンロールの登場は音楽の退行現象であり破壊行為に思えたのです。それは芸術性や創造性に背を向け、大衆に迎合しただ消費されるための商品に見えました。一方で、ロックンロールの単純さと簡潔さはティーンエイジャーを中心に支持を受けるようになっていきます。陽気で単純な曲に乗せて簡潔に自分の気持ちを歌うというスタイルは多くの人から愛されるようになっていきます。
 
●Chuck Berry  Johnny B. Goode (1958)
 
歌詞
Deep down in Louisiana, close to New Orleans
Way back up in the woods among the evergreens
There stood an old cabin made of earth and wood
Where lived a country boy named Johnny B. Goode
Who'd never learned to read or write so well
But he could play a guitar just a-ringin'a bell

Go! Go! Go! Johnny! Go! Go!
Go! Johnny! Go! Go!
Go! Johnny! Go! Go!
Go! Johnny! Go! Go!
Johnny B. Goode
 
訳詞
ルイジアナの奥深く、ニューオリンズに近いところ、
深い森の道の行き止まり、
土と木でできたボロ小屋があった。
そこに住んでいたのは、ジョニー・B・グッドという名の田舎者の少年。彼は読み書きすらろくに習っていない。
でも、彼はギターを鳴り響くベルみたいに弾くことができたんだ。
行け!行け!ジョニー! ゴー!ゴー!
ゴー!ジョニー! ゴー!ゴー!
ゴー!ジョニー! ゴー!ゴー!
ゴー!ジョニー! ゴー!ゴー!
ジョニー・B・グッドよ
 
 メロディも単純ですが歌っていることも単純です。出だしの歌詞は吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」みたいです。ただ、スピード感のあるリズムとビート、陽気さ、簡潔さ、チャック・ベリーにはすでにロックのすべてが備わっています。最高です。彼の曲はその後のすべてのロックソングに影響を与えました。今あるすべてのロックはチャック・ベリーの子孫たちといえます。ローリングストーンズもビートルズもヤードバーズもはじめはみんなチャック・ベリーのコピーからはじまりました。「ジョニーBグッド」は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で使われていたから聴いたことのある人も多いんじゃないかな。チャック・ベリーの10曲入りなり20曲入りなりのベスト盤を1枚聴いてみると、けっこう聞き覚えのある曲があるはずです。それだけ彼の曲は多くのミュージシャンによってカバーされているわけです。オリジナルとカバーとを聴きくらべてみるのも楽しいと思います。
 チャック・ベリーはいまだに現役で、つい最近も来日してライブを開きました。
 
●Wilson Pickett  In the midnight hour  (1965)
●Wilson Pickett  Mustang Sally  (1966)
 
 ウイルソン・ピケットはアメリカ南部出身の黒人ロッカーです。やっぱり今でも現役。60年代にIn the midnight hour が大ヒットして、あのぶんぶんいうベースが彼のトレードマークになっています。なんとも泥臭くて濃い感じがします。こういう強烈なビートを味わってしまうと、それ以外のポップソングがやけに気の抜けた物足りないものに感じるようになってきます。一種の中毒感があって、リズム・アンド・ブルースの熱心なファンが黒人以外にも世界中にいるのはそのためではないかと思います。ウイルソン・ピケットみたいなアクの強いビートを聴くと、ロックのルーツがアメリカ南部の黒人音楽だとはっきりわかります。なので、「ディープ・サウス・ロック」なんて呼ばれているようです。そのまんまのネーミングですね。なんだか綿花畑と蒸気機関車を連想します。同じ60年代にヒットした黒人ポップスでも、都会的で洗練されたモータウン・サウンドとは対照的です。一連のモータウン・ミュージックの場合、リズム・アンド・ブルースがそのベースにあるんですが、白人プロデューサーの手が入って、黒人音楽独特のビートは薄められて、なめらかで洗練された音づくりがなされています。あ、いま「モータウン」をみんな知っているのを前提に対比してしまいました。こういうのは嫌らしいので、なるべく基本的なことも説明します。モータウンっていうのは、60年代に次々とヒットソングを出して一世を風靡したブラックミュージック専門のアメリカのレコード会社です。その本拠地が自動車の町デトロイトにあったので、「モータウン」レコードと名付けられました。50年代末に独立系の小さなレコード会社として出発したんですが、ヒット曲を連発して巨大レーベルになっていきました。シュープリームス、ジャクソン5、マービン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、テンプテイションズ、スティービィ・ワンダーなどなどモータウンからデビューした有名なミュージシャンやグループがたくさんいます。名前を羅列してもピンとこないと思うので、何曲か聴いてみましょう。

●Smokey Robinson & the Miracles  Ohh, Baby Baby
●Diana Ross & the Supremes  Baby Love
●Marvin Gaye  Stubborn Kind of Fellow

 三者三様ですが、ホーンセクションの入り方やヴォーカルのスタイルに共通したものがあります。この音づくりをモータウン・サウンドと呼んでいるようで、詳しい人が聴くと一発でわかるそうです。さっきのウィルソン・ピケットのような泥臭いブルーズ調のビートを強くきかせたアレンジとはずいぶん様子が違って、なめらかで洗練されたアレンジがなされています。この音づくりによって、モータウン・サウンドは黒人だけの音楽ではなく白人層にも受け入れられ、全米のヒットチャートに次々とランクインしていきました。ナット”キング”コールが白人層から抵抗なく受け入れられたのと同じ手法といえます。興味深いところでは、サム・クックみたいに白人向けの演奏と黒人向けの演奏とでスタイルを使い分けたという人もいます。50年代から60年代始めに活躍した黒人ミュージシャンですが、白人の聴衆を前に演奏するときには洗練されたスタイルで、黒人の聴衆の前ではゴスペル調の熱狂的なパフォーマンスをしました。黒人男性が白人女性に愛を告げたり性的な軽口をたたくだけでリンチの対象になった時代です。黒人歌手であるサム・クックが白人女性の聴衆を前に真正面からラブソングを歌えばどうなるかは容易に想像がつきます。そこで、白人聴衆を前にしたときの彼は純朴で馬鹿な黒人青年を演じ、行儀良く演奏しました。そうすることで人種差別主義者の攻撃の対象になることから逃れ、人種の壁を越えたポップスターになることができたわけです。

 90年代以降のブラックミュージックでは、より黒人であることを強調するスタイルが主流になってきました。こぶしのきいたシャウトする歌い方やビートのきかせ方もすぐにR&Bとわかるものがほとんどです。R&Bブームにのって、マライア・キャリーのようなはじめはR&Bとは無縁の形でデビューした歌手まで、R&B色を強め黒人としての自分をアピールするようになってきています。そういう中で黒人としての自分のルーツからひたすら逃れようとするマイケル・ジャクソンのスタイルは際だって異質です。人種を越えた歌を歌いたいというのが彼の口癖ですが、彼が人類愛や普遍性をとなえればとなえるほど実際には架空の世界のおとぎ話に閉じこもっていくように見えます。90年代以降の彼は完全に独自の世界の人でディズニーランドのアトラクションのように見えます。彼が現在の道に至る遠因に、子供の頃にモータウンからデビューしたことが関係しているのではないかと想像しています。ところで、ジャンル分けの好きな音楽業界ではモータウンのような洗練された黒人ポップスを「ソウル」と呼んでいて、日本のファンはロックとは別物のように考えている人が多いようです。しかし、アメリカにあるロックの殿堂(The Rock & Roll Hall of Fame)には、スモーキー・ロビンソンもマービン・ゲイもちゃんと入っています。そもそもロックンロールとリズム・アンド・ブルーズは同義語です。黒人音楽にルーツのあるロックから黒人ミュージシャンを排除してカテゴライズしようとする発想自体に無理があるように見えます。

 基本的に、同じアメリカ社会の中でも、白人と黒人とでは、聴く音楽がはっきりと分かれています。この傾向は人種差別と人種間の隔離が当然のことだった50年代も、現在も変化していません。全米のヒットチャートと黒人のヒットチャートとではまったく違う曲がランクインしています。そもそもレコード会社やラジオ局も白人向けと黒人向けとで分かれています。両者の接点は、黒人のポップスの動きが白人のポップスを先取りしているという関係でつながっています。ロックンロールもそうだし、ソウルやヒップホップ、ラップもそうです。つまり、リズム・アンド・ブルーズの中の新しい動きが、マイルドな形になって白人のポップスに取り入れられることで、その新しい音楽が全米のヒットチャートにランクインしてくるという関係が続いているわけです。(80年代以降は南米からの移民の急増によって、スペイン語放送とラテン音楽がそれに加わってきます。)なので、ペリー・コモやフランク・シナトラを聴く黒人はほとんどいませんし、逆にチャック・ベリーやアレサ・フランクリンを聴く白人もほとんどいません。ただ、先に書いたようにリズム・アンド・ブルーズの動きはポップス全体の動きを先取りしていますので、ミュージシャンや音楽産業の関係者には、白人でもブラックミュージックに傾倒している人が多いのが特徴です。パクリも多くて、ときどき黒人ミュージシャンから盗作で訴えられたりしています。そっくりな曲なのにワールドワイドなヒット曲になるのはきまって白人のほうなので、黒人ミュージシャンには頭にきている人も多いようです。アメリカ社会の「人種のサラダボール」や「人種のパッチワーク」と呼ばれる状況がヒットソングにも反映されているわけです。混ざっていても同化しない、もしくは、混ざらないまま分離しているというわけです。古い社会科の教科書では、アメリカ社会を人種の「るつぼ」と表現していましたが、現実に即していないので「サラダボール」と表現するようになってきました。人種間の分離傾向がこのまま続くと、そのうち教科書の表現も「パッチワーク」に書き改められるようになると思います。そういう意味では、モータウンのように黒人によるポップスでありながら白人層にも受け入れられて全米チャートに次々とランクインしていったというのは例外的なケースといえます。その逆がエルビス・プレスリーで、白人でありながら黒人のように歌い、リズム・アンド・ブルーズのヒットチャートにランクインし、いまもなお多くの黒人ミュージシャンから尊敬を受けています。多くの黒人ミュージシャンにとって、ビートルズもローリング・ストーンズも自分たちの音楽をまねて白人向けに仕立て直した連中という程度にしか評価していないことを考えると、プレスリーの高い評価は異例のものといえます。

 アメリカ社会における人種間の分離傾向を知るには、スパイク・リーの映画がおすすめです。人種間のすれ違い・くい違いを皮肉たっぷりに描いています。最近の作品は見方を強要されているような押しつけがましさを感じて苦手なんですが、初期の「シーズ・ガッタ・ハブ・イット」や「ドゥ・ザ・ライトシング」はそうした押しつけがましさがなくて楽しめると思います。

 ところで、1863年のリンカーンの奴隷解放宣言によって、黒人奴隷は解放されたはずです。にもかかわらず、なぜその後もあからさまな権利の制限が続き、20世紀に入っても奴隷時代とほとんど変わらない状況が続いたのでしょうか。それにリンカーンは共和党の大統領でした。なのになぜ、現在ほとんどの黒人の権利向上活動をしている団体は民主党を支持しているのでしょうか。世界史で教わった知識では、南北戦争の際、民主党は南部に支持基盤があって奴隷制の存続をとなえていたはずです。南北戦争後もKKKのような人種差別団体は南部連合の旗をかかげており、南部連合の旗は人種差別政策の象徴ではないのでしょうか。こうした疑問は、偶像化されたリンカーン像と「人民による人民のための政治」という単純化されたアメリカの理想だけを見ていては解きほぐすことはできません。
 まず、リンカーンは一般的に言われているような理想主義者ではありませんでした。人類愛に燃えて黒人奴隷の解放を主張したわけでもないし、黒人を人間として対等な存在だと見なしていたわけでもありません。むしろ実際の彼は、政治的かけひきを得意とする計算高い政治家だったといわれています。リンカーンの高邁な理念を持った政治家というイメージは、アメリカ政治を理想化しようとする動きの中でつくられた偶像にすぎません。ではなぜ彼が奴隷解放を主張したのかというと、彼の支持基盤である北部の白人労働者階級にとって、ただ働きをする黒人奴隷の存在は自分たちの職を奪うじゃまな存在だったからです。アイルランド移民やイタリア移民といった貧しい白人労働者たちは、黒人奴隷がいるために自分たちは職が見つからないし、安い賃金に抑えられているという不満を持っていました。彼らは自分たちの生活の安定のために黒人奴隷の解放を主張しますが、もちろん黒人を自分たちと対等な人間とは見なしていません。むしろ逆で、あからさまな差別意識を持っていたし、黒人たちを船に乗せてアフリカに送り返してしまえばいいという家畜なみの認識でいました。現在も北部の白人労働者階級には保守的な政治意識を持っている人が多く、共和党の支持基盤になっています。1965年にキング牧師がシカゴを訪問した際、南部以上に白人層たちから激しい非難を受けたのはそういうバックグランドがあったからです。先ほど名前をあげたスパイク・リーの映画、「シーズ・ガッタ・ハブ・イット」や「ドゥ・ザ・ライトシング」にも、そうした19世紀から続く白人移民と黒人との対立の構図を読みとることができます。現在、ニューヨークやシカゴのダウンタウンには、黒人街やイタリア人街といったコミュニティが形成されていますが、両者は近所にあっても互いに疎遠で、何かきっかけがあると対立が表面化する関係にあります。
 南北戦争の最中にリンカーンが奴隷解放を主張した最大の理由は、自分の支持層である白人労働者の利益を保護することで北軍兵士の志気を高めたいというねらいでした。さらにそれに加えて、奴隷解放をとなえた方が北軍へのヨーロッパ諸国の支援を得やすいという計算もあったようです。ではなぜ、奴隷解放令が出され北軍が勝利した後も南部黒人の立場にほとんど変化がなかったのか。



 
 こうしたアメリカ南部出身の黒人ミュージシャンにはいい曲が多いんだけど、一部の愛好家たちには好まれても、広い層にはとどきませんでした。アメリカでは当時まだ、人種間の隔離が当然だったし、人種差別もありました。だから、アメリカの人口の80%をしめる白人層には、彼らの音楽はなかなかとどかなかったんだ。
 ロックンロールがアメリカの大衆音楽になるきっかけは、ひとりの南部出身の白人青年の登場です。
 
●Elvis Presley  Jailhouse Rock (1956)
●Elvis Presley  Hound dog  (1956)
 
歌詞
You ain't nothin' but a hound dog
cryin' all the time.
You ain't nothin' but a hound dog
cryin' all the time.
Well, you ain't never caught rabbit
and you ain't no friend of mine.

When they said you was high classed,
well, that was just a lie.
When they said you was high classed,
well, that was just a lie.
You ain't never caught a rabbit
and you ain't no friend of mine.
 
訳詞
おまえは飢えたやせ犬だ。
いつも泣き叫んでばかり。
おまえは飢えたやせ犬だ。
いつも泣き叫んでばかり。
おまえなんか、ウサギだって捕まえられない。
おまえなんか、俺の友達じゃねえ。

人はおまえを上流階級だっていうけど、
そんなのウソだ。
人はおまえを上流階級だっていうけど、
そんなのウソだ。
おまえなんか、ウサギだって捕まえられない。
おまえなんか、俺の友達じゃねえよ。
 

 キング・エルビス、世界一レコードの売れているミュージシャン。累計20億枚以上と言われる。

 言うまでもなく、彼の登場がロックを一部の愛好家のものから、広く一般大衆のものにした。ハンサムな白人青年が腰をふりふり、スラング混じりの下品な歌詞をロックのリズムにあわせて歌う。その様子は、人種の隔離が当たり前だった当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与える。一方で彼への非難がうずまく中、プレスリーのレコードは爆発的にヒットする。陽気でビートがきいていて、単純な世界を歌った彼の歌は、間違いなく景気の良かったアメリカ50年代の象徴といえます。当時のアメリカ社会は全世界の富の3分の1を独占していた。若者たちの多くも、まだ、現代社会の矛盾やら、実存の危機やら、日常的な凶悪犯罪への恐怖やらを感じたりなどすることもなく、恋人と車とドレスが興味のすべてという単純な世界に住んでいた。

 デイビッド・ハルバースタムが『フィフティーズ』という本で言っているように、50年代のアメリカは背後に人種差別や貧富の差や権力の独占といったどろどろしたものを抱えながら、表面は陽気で希望にあふれ消費文化が花開いた時代でした。たくさんの商品が氾濫する一方で、まだ伝統的な生活習慣や家族の規範といったものがのこり、共存していた時代でした。だから、多くのアメリカ人(特に白人たち)にとって、50年代は甘い夢であり、なつかしい原風景のようなイメージを抱いているようです。

 また、このころアメリカではSF小説がブームとなります。科学技術が見せるバラ色の未来像。次々と発明される新製品、たくさんの便利で魅力的な商品、人間の活動の場は宇宙へと広がり想像もできないような体験ができるようになる。このまま歩んでいけば、いつかそういう約束の未来へたどりつける、そういう現代文明への信頼が50年代のSFブームを生みました。まだ、人々は科学技術のもたらすマイナス面に気づいていませんでした。核実験が深刻な放射能汚染をもたらすこともダイオキシンも熱帯雨林の破壊も化学物質によるアレルギーもまだ誰も気づいていなかったのです。

 プレスリーは77年に睡眠薬の飲み過ぎだか心臓発作だかでなくなりました。はっきりとした死因はわかっていませんが、中年になって太ってからは心身ともに慢性的な病人だったようです。ストレスで日々大量の睡眠薬を飲み、甘いものが大好きで医者にいくら注意されてもチョコレートを手放さなかったと伝えられています。とはいうものの熱狂的なエルビスマニアにとっては、「エルビスは生きている」ことは常識だそうで、いまだに毎年エルビスイベントが開かれています。うちの母もそのひとり。エルビスは火星で私たちを待っているんだそうです。困ったもんです。

 でも、プレスリーが時代の人だったのは60年代はじめまでです。いくらうちの母が支持していようがたくさんレコードが売れようが、それ以降の彼は一部の熱烈なファンに向かってのみパフォーマンスを続けました。もはや時代へ切り込んでいく影響力はなく、「なつかしき50年代」という閉じた世界の住人でした。50年代に爆発的にヒットしただけに、プレスリーには50年代のイメージがつきすぎてしまったんですね。60年代にはいると若者文化は大きく変化して、強い独自性を出していくとともに、それ以前の文化を否定していきます。大衆文化に歴史上はじめて世代間の断絶が大きく生じていくわけです。現在では、音楽の好みや購読雑誌に世代間の断絶があることは当たり前ですが、これほど大きな断絶が生じるようになったルーツは60年代にあります。そういうなかで50年代のイメージが強いプレスリーは多くの若者からそっぽを向かれてしまうわけです。白いラメラメのステージ衣装を着た70年代のプレスリーなんて、まるで古典芸能のおじさんです。同時に信楽焼のタヌキを連想します。あの不様に太った70年代のプレスリーを見るたびに、うちの母は「どうしてあんなになっちゃうんだろうねえー」と悲しそうです。時代は残酷に移り過ぎていきます。


 きょう持ってきたこの本は、ロバート・フランクの『The Americans』という写真集です。有名な写真集で現代アメリカ文化を考える上で、定番の1冊とされています。ところが、この本が出版された1958年当時はほとんど誰からも相手にされませんでした。わずかに取り上げられた批評も、「悪趣味だ」「アメリカ社会への悪意に満ちている」「ゆがんだ意識の現れ」とさんざんなものでした。

 たしかに、見ての通り暗い写真が多いです。いま・ここにいることの空しさっていうのかな。うつろな表情をした人、くたびれたビジネスマン、精一杯虚勢を張っているけど虚勢だってことが見えてしまう若い女性、葬式の風景、きらびやかだけどどこか安っぽくて空虚な風景。ロバート・フランクはこうした風景をアメリカ中を車で旅しながら切り取っていきました。過ぎ去っていく人間の突き放した視点っていうのかな。そういう彼には、50年代の活気にあふれきらびやかで物質的なアメリカは、同時に空っぽで安っぽくくたびれて見えたわけです。
 発表当時、この写真集が不評だったのは、50年代のアメリカで実は誰もが内心気がついていたけどあえて口に出そうとしなかったこと、それを写真にして露骨に示したからだっていわれています。物質的な豊かさにあふれた社会に生きるアメリカ人たち、彼らは本人が思いこもうとしているほどバラ色の人生や繁栄が約束された未来を生きているわけじゃないとはっきり示してしまったわけです。

 この写真集、60年代に入って急激に評価が高まり、さっき言ったように現在は定番とされています。
 この時代の変化が50年代と60年代を分ける境目といえます。

 60年代に入って、急激に近代文明のマイナス面が目につくようになっていきます。同時に既成の文化と若者文化との乖離が生まれていきます。たんに大人の準備段階にすぎなかったティーンエージャーたちはこのころから若者世代特有の文化をつくるようになっていきます。「大人なんかにわかってたまるか」ってやつね。それらの傾向は共通して既存の社会体制に批判的で、そのことからカウンターカルチャーとかアンダーグラウンドムーブメントなんて呼ばれました。ロックもまたそういう時代状況の中で、社会へのプロテストソング、既存の価値観に背を向けた若者たちの生き方の歌として、60年代という時代の歌となっていきます。


 60年代に入って、イギリスから出てきた4人組のバンドは、ロックの性質を変え、ロックを時代の音楽にしていきます。いうまでもなく、ビートルズの登場です。個人的には、ビートルズは苦手で、何がそんなにすごいのか、なぜ彼らの登場がロックを変えたのかわからないので、うまく説明できません。肝心な部分を省略してしまうけど、ともかく、結果的に見て彼らの登場はたしかにロックを変えました。

(ビートルズはある世代の人たちにとっては特別な存在のようですが、当時の時代状況に特別な思い入れもない私にはビートルズのヒットナンバーはポピュラーすぎて毒にも薬にもならないただのヒットソングにしか聞こえないのです。その点ではおよげたいやきくんと大差ありません。完全にお茶の間ソングです。テレビで明石屋さんまがよく調子っぱずれの「イエスタデイ」を歌ってますが、それくらいお毒にも薬にもならない歌として定着しているように見えます。日本でビートルズを支持する世代の多くがロックもほとんど聴かないしドラッグやヨガにのめり込んでいるわけでもないところを見ると、ただ自分の青春のあまい思い出のBGMとしてビートルズをかぶせているだけじゃないかと思います。私は青春デンデケデケデケ調のあまったるい青春群像が苦手で、ビートルズの音楽そのものよりもそういうビートルズにつきまとうイメージを毛嫌いしています。ただ、イギリスでは日本と多少状況が違うようで、偉大なミュージシャンとして尊敬されているみたいですが。)


●The Beatles  Lucy in the sky with diamonds  (1967)
●The Beatles  All you need is love  (1967)


歌詞
Love, love, love, love, love, love, love, love.
There's nothing you can do that can't be done
Nothing you can sing that can't be sung
Nothing you can say, but you can learn
  how to play the game
It's easy

Nothing you can make that can't be made
No one you can save that can't be saved
Nothing you can do, but you can learn
  how to be you in time
It's easy

All you need is love, all you need is love
All you need is love, love, love is all you need

There's nothing you can know that isn't known
Nothing you can see that isn't shown
Nowhere you can be, that isn't where
  you're meant to be
It's easy
訳詞
ラブ、ラブ、ラブ、ラブ、ラブ、ラブ、ラブ、ラブ。
できないことをやろうとしてもできない。
歌にならないものを歌おうとしても歌えない。
話すことはできないけど、ゲームの遊び方を習うことはできるよ。
簡単なことさ。

形にならないものをつくろうとしてもできない。
救いようのない人を救おうとしても救えない。
君にできることは何もない。でも、時間の中でどうしたら君自身になれるかは学べるさ。
簡単なことさ。

君が必要とするすべてはラブ。愛こそすべて。
君が必要とするすべてはラブ、ラブ。愛こそすべて。

未知のものを知ろうとしてもできない。
現れていないものを見ようとしても見えない。
君にとって無意味なところへ行こうとしてもそんな場所はどこにもない。
簡単なことさ。


 ビートルズは62年にデビュー。瞬く間にスターバンドになる。初期のビートルズはまるきっりアイドルバンドで、女の子たちのキャーという歓声をバックに「君と手をつなぎたいー」なんて間抜けな歌を歌っているが、新曲を出す度にバンドの性格は変化し、評価と社会的影響力を高めていく。(僕には理解できない部分です。)

 ビートルズの登場は、ロックを質・量ともに変化させた。底にあるのはチャック・ベリー以来のロックだが、表現手段の斬新さと多様さ、数千万人・数億人に向かって音楽を発信していく力、どれも今までのロックになかった世界だ。それにともなって、ジョン・レノンを筆頭にビートルズのメンバーたちは、たんなるスターミュージシャンというわくを越えて、若い世代の精神的なリーダーになっていく。同時に、彼らの曲は今までのロックの身近で個人的な世界から、抽象的で観念的な世界を歌うようになる。
 こうして、ロックは時代の音楽になっていった。
 All you need is love はそうした時代の歌としてのビートルズソングの代表。ラブの連呼ではじまるこの曲、今聴くと「なーに脳天気なこと言ってんだろ」と気恥ずかしくなるけど、当時は「LOVE」がたんなる「愛情」の意味をこえて、時代を変える原動力としての広い意味を持っていたのです。歌詞は抽象的で、訳してみても意味がさっぱり分かりませんでした。最初に聴いてもらったLucy in the sky with diamondsのほうは、ジョン・レノンがLSDでラリってつくった曲だそうで、歌詞の意味不明な情景やとろーんとした曲調はいかにも幻覚剤の影響を感じます。きっとLSDでトリップするとああいう世界を体験するはずです。ビートルズ後期の曲には、こういうドラッグを連想させるものが多くなります。この時代、ドラッグ、とくに幻覚剤は意識を拡大させる手段として、ミュージシャンや画家の多くが愛用していました。幻覚剤の力をかりて、日常を越える精神世界を体験しようというわけです。そういう精神世界への指向はインドへの傾倒にも見られます。
 
 60年代を代表する時代の音楽といえば、もうひとつボブ・ディランの歌があります。ボブ・ディランの場合は、ビートルズよりももっとはっきり政治的メッセージがあります。
 アメリカの60年代は「政治の季節」と呼ばれています。つまり、50年代の景気の良さの中でみんなが見ようとしなかった社会的矛盾に人々が目を向け、意見を言うようになった時期です。アメリカにはいぜんとして人種差別はあったし、極端な貧富の差もあったし、軍事力によって世界を支配するという政治的意図もあった。ただ、50年代は多くの人が景気の良さに浮かれていて、バラ色の未来を夢見ていたから、そういう現実に目を向けようとしませんでした。たまに、そうしたことを批判する人が出てくると、「お前はアメリカンドリームにケチをつけるのか」という感じで、袋だたきにされたり、あるいは、相手にしてもらえませんでした。
 
●Bob Dylan  Like a rolling stone  (1965)
 
歌詞
Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime,
  didn't you?
People'd call,say,"Beware doll,you're bound to fall"
You thought they were all kiddin'you
You used to laugh about
Everybody that was hangin'out
Now you don't tall so loud
Now you don't seem so proud
About having tobe scrounging for your next meal.

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

You've gone to the finest school all right,Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught you how to live
  on the street
And now you find out you're gonna have to
  get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but now you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And ask him do you want to make a deal?

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

You never tuned around to see the frowns on
  the jugglers and the clowns
When they all come down and did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on the chrome horse
  with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discover that
He really wasn't where it's at
After he took from you everything he could steal.

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

Princess on the steeple and all the pretty people
They're drinkin' thinkin' that they got it made
Exchanging all kinds of precious gifts and things
But you'd better lift your diamond ring,
  you'd better pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used
Go to him now, he calls you, you can't refuse
When you got nothing, you got nothing lose
You're invisible now, you got no secrets to conceal.

How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
訳詞
昔、あんたは着飾ってたね。
あんたは若い頃、浮浪者たちにお金を投げつけてよこしていたね、そうだろ。
そんなあんたに、みんなは言っていたんだ「気をつけろ、いつか君も落ちぶれるぞ」って。あんたはそんな忠告をした者を、自分をからかっているだけだと思っていた。
あんたは浮浪者たちすべてをよくあざ笑っていたね。
今はもう、あんたは大きな声で話さない、次の食事をどうやってごまかそうかなんて。
今はもう、あんたは自信にあふれてもいない。

どんな気分だい?
どんな気分だよ?
家もなくなって、
まるっきり誰からも見向きもされなくなって、
まるで転がり落ちる石みたいにさあ。

ミス・ロンリー、あんたは一流の学校に行ってたよね。
でも、知っていたんだろう、学校では、しぼりとられるだけだってさ。それに、そこでは誰も道ばたでの暮らしがどんなもんかなんて教えてくれない。
あんたは、今、そんな暮らしに慣れていかなきゃならない。
あんたはあんなわけのわからない浮浪者たちと妥協しなきゃならないなんてまっぴらだと言っていたけど、今は気づいたろう、浮浪者もアリバイを売ってるわけじゃないってさ。
彼のうつろな目をのぞいて、彼にきいてみな、あんたと取引がしたいのかってさ。

どんな気分だい?
どんな気分だよ?
家もなくなって、
まるっきり誰からも見向きもされなくなって、
まるで転がり落ちる石みたいにさあ。

あんたは大道芸人たちに眉をしかめて、振り向きもしなかったね。彼らがあんたに曲芸を見せようと近づいてきたときもさ、あんたはそれが悪いもんじゃないってけっしてわかろうとしなかった。
他の人たちにあんなひどい扱いをするべきじゃなかった。
あんたはよく、ピカピカの馬に乗っていたよね、あんたの外交官といっしょにさ。
そいつはシャム猫を肩にのせてたっけ。
あの外交官があんたから盗めるだけ盗もうとした後、あいつがまるっきりわかっちゃいないって発見したとき、あんたはつらくなかったのかい。

どんな気分だい?
どんな気分だよ?
家もなくなって、
まるっきり誰からも見向きもされなくなって、
まるで転がり落ちる石みたいにさあ。

塔の上にいるお姫様とすべてのきれいな人たちは、
飲んで、うまくいったと考えている。
あらゆる種類の贈り物を交換しているけど、あんたは自分のダイヤの指輪をはずして、質屋にでも入れた方がいいよ。
あんたはよく面白がっていたよね、
ボロを着たナポレオンと彼の使った言葉をさ。
さあ、今すぐ彼のところへ行きなよ、彼が呼んでるよ、あんたは拒めないはずだよ。
何もないときは、失うものは何もないはずだよ。
今、あんたは透明だ、かくす秘密も持っていない。

どんな気分だい?
どんな気分だよ?
家もなくなって、
まるっきり誰からも見向きもされなくなって、
まるで転がり落ちる石みたいに。


 ボブ・ディランは60年代半ばにフォークシンガーとしてデビュー。数年後にロックに転向、以後、現在までに30枚以上のアルバムを出している。この曲は、フォークからロックに移りつつある時期の曲で、彼の代表曲。それにしてもこの歌の歌詞、長いな。訳すの大変だったぞ。電話で知り合いのイギリス人に歌詞の解釈聞いたりして、やたらと手間取りました。こういう短いフレーズに早口でたくさんの歌詞を乗せるという手法は、ボブ・ディランから始まり、その後主流となって現在に至ります。だから、古い歌を聴くとリズムははやくてもなんかのんびりとした印象がするのはそのためです。

 ちなみに日本のポップソングでこういう手法が取り入れられるようになったのはサザンオールスターズ以降です。それまで1音符・1音だった日本の歌にアメリカンロックのフレーズをそのまま持ち込んで革命をおこしました。はじめのころは「何いってるのかさっぱりわからない」と言う人とが多かったのですが、今ではすっかり日本でも主流のスタイルになりました。

 ボブ・ディランは初期の説教節みたいなフォークソングが60年代の公民権運動の波に乗って大ヒットしたため、「社会派」というイメージが確立されてしまい、いまだにそういう目で見られている。それは彼の活動のほんの一部にすぎないのに、常に60年代という時代の看板を背負わされているというのはかわいそうな気もする。ただ、60年代の時代状況は、「行動することで社会を変えていこう」と呼びかける彼のような曲を求めていたのは明らかで、彼の歌うプロテストソングはあまりにもそこにぴったりとはまってしまった。

 個人的には初期のフォークソングは苦手。とくに、「お集まりのみなさんよー」ではじまるThe times they are a-changing は川上音二郎のオッペケ節を連想してしまって吹いてしまう。初期の曲では、唯一この Like a rolling stone は気に入っている。ロックの陽気なリズム、早口で言葉を投げつけるような歌い方、全編に散りばめられたきつい皮肉、いつ聴いてもかっこいい。60年代フォークロックの名曲です。漫画家のみうらじゅんは、酔っぱらってベロベロになっているときやバカやっておねえちゃん口説いてるときに限って、ふとこの曲の"How does it feel ?"のフレーズが頭に浮かんでしまい参ってると雑誌に書いてました。まあ、その感覚、わからなくはないけど、そこまで堅苦しくてきまじめな歌じゃありません。高そうなスーツを着込んで気取ったエリートたちを皮肉たっぷりにこき下ろしている歌です。(日本に置き換えると、バブル期に幅を利かせて鼻息の荒かった「ヤンエグ」を「今じゃあすっかり落ちぶれちまったな、どんな気分だよ」とこき下ろしているって感じです)。けっして、みうらじゅんみたいな自由人を啓蒙しようって歌じゃありませんよ、これ。

 アメリカ東部にはエスタブリッシュメントと呼ばれるきわめて保守的なエリート階層があります。彼らの中にはメイフラワー号の子孫なんて人もいたりして、代々アメリカを代表する名家として支配層に属してきました。その子供たちはイギリスのパブリックスクールをまねした寄宿制の名門私立高校に通い、やがてハーバードやイエールといった東部のきどった名門大学へ進学していきます。18歳になると社交界デビューなんていう慣習がいまだに残っていたりします。彼らの多くは行政や経済界の重職に就き、その人脈・親戚関係はアメリカ社会に厳然と強い影響力を持ち続けていると言われています。アメリカ人が「アメリカンドリームなんて幻想だ。貧しい階級出身の者が夢をつかむなんて、万に一つしかない。そんな宝くじみたいなものをありがたがるのはばかげている。それにアメリカには明らかに支配階級がいるじゃないか」と言うとき、支配階級は東部の名家を指しています。Like a rolling stone に登場する「肩にシャム猫を乗せた外交官」や「塔の上のお姫様やきれいに着飾った人たち」というのはそういう東部のエスタブリッシュメントたちだと思います。歌の中で「あんた」と呼びかけられているミス・ロンリーも東部出身の保守的な教育を受けた人物で、何とかエスタブリッシュメントに食い込もうとしている上昇志向の強い人物ってとこです。物乞いを露骨に見下すようなタイプね。どこの国でもこういう人いますな。この歌の面白いところは、第一パラグラフの途中で、ぱっと場面が転換して、そんな人物が現在は落ちぶれてしまって路上生活をしているところにあります。さらに、たたみかけるように"How dose it feel?(どんな気分だよ)"と残酷な言葉を浴びせかけます。確かにこの"How dose it feel?"という辛辣なフレーズは印象的です。話の展開がはやいだけに、このフレーズは耳に残ります。最近、ローリングストーンズがこの曲をカバーして、コンサートで歌ってたけど、やっぱりかっちょよかったです。

 ところで、このところ毎年、ノーベル文学賞にボブ・ディランがノミネートされているって知ってましたか?


 
Note 2  1960's-70's

 1960年代、若者たちをとりまく状況は大きく変わっていく。その根底には近代文明への不信がある。それ以前、近代文明のなかにくらす者は誰もが、人間の歴史は進歩の歴史で、近代文明は人間が築いた社会の頂点にあると信じていた。そこに多少の問題があっても、やがて時とともに解決される、物質的な豊かさの圧倒的な拡大の前にはとるに足らないこととして気にかけるほどのことはないと思っていた。

 ところが60年代に入って、今まで目をつむっていた近代文明の闇の部分に人々は目を向けるようになります。それ以前にも薄々感じていたけれど目をそらしてきたものが、目をそらすことができないほど大きな問題として突きつけられるようになったのです。一つは冷戦と核兵器のエスカレート、もう一つは加速する商業主義とそれに取り込まれた生活です。これらの欠点に目が向けられるようになると、今まで絶対的な信頼を寄せてきただけに、マイナス面ばかりが目につくようになりました。特に多くの若者たちにとっては、これから自分が乗り出していく社会なだけに、そのマイナス面には敏感でした。巨大な産業社会と冷戦下での力の均衡という現状へのアンチテーゼとして、「ラブ・アンド・ピース」という言葉がさかんに使われました。これは単に個人的な愛情や平静というのではなく、近代社会の効率の論理から新たな価値観の社会へというメッセージが込められています。また、「大人は信用するな」「スーツを着た人間を信用するな」という言葉もさかんに使われました。近代社会を支え、拡大してきた大人たちは、自分たちが壊さなければならない壁だというわけです。こうした発想は、若者独自の文化をもたらすようになりました。いままでは大人の準備期間として、未熟な大人にすぎず、大人と同じ価値観や文化を共有していたのが、大人には通用しない若者だけの文化というものが生まれたのです。現在では、10代のコと40代のおじさんとでは、音楽の好みも読む雑誌も見るテレビ番組も違っているのは当たり前のことですが、こういう状況がはじまったのが60年代なのです。それ以前には、現在のような若者と大人との明確な境目はなかったのです。(ほら、「子供新聞」って、大人向けの新聞記事をそのまま子供にも読めるように作っているだけでしょ。大人の発想や常識をそのまま子供にわかる文章で書いているだけだから、ママも安心というか、現代の感覚から見ると古めかしい感じがします。でも、60年代以前は若者・子供向けの雑誌やテレビはすべてあの調子だったんです。)

 近代文明への批判は、アメリカ社会への批判に向けられました。とりわけ、競争原理によるアメリカ的資本主義と力によってアメリカによる秩序を世界に押しつけようとするパックスアメリカーナは、若者たちの批判の的となりました。アメリカ社会への批判は、若者たちにヨガや禅やインド音楽といった東洋的価値観へ目を向けさせるようになりました。ヒッピーの汚い格好やLSDやマリファナなどの幻覚剤も、近代社会の効率と合理性の発想への反発からきています。また彼らの中には、企業に就職して資本主義社会に取り込まれることを拒んで、コミューンといわれるヒッピー村を作って、仲間たちと共同生活をする者もいました。

 ところで、「グッド・モーニング・ベトナム」という映画がありましたが、あれはロビン・ウイリアムス演じる人気DJがベトナム戦争下のサイゴンに派遣され、ラジオでロックをかけまくって、退屈でやる気のない米軍放送を大変身させるという話でした。堅物の軍曹が軍の規約にのってポルカをかけると若い兵隊たちはあくびをはじめ、ロビン・ウイリアムスがロックをかけるとノリノリになるという、いかにもという話なんですが、このアメリカ万歳式の発想はロックスピリッツとはかけ離れているように見えます。

 60年代に入って近代社会の問題点が誰の目にも明らかになっていく。どんなに物質的に繁栄しても貧富の差は縮まらないし、人種差別もあった。冷戦の中で核開発競争はエスカレートしていったし、ベトナムでは熱い戦争もあった。ただ、当時の時代状況はそう暗いものではなかった。多くの若者たちは自分たちの手で社会は変えられると信じていたし、まもなく希望に満ちた新しい時代が来ると考えていた。
 そんな楽観的な60年代の革命ソングを3曲……。

●Martha Reeves and the Vandellas  Dancing in the steet (1963)

Calling out around the world,are you ready for a brand new beat.
Summer's here and the time is right,for dancing in the streets,
They're dancing in Chicago ( They'll be dancing )
Down in New Oreleans ( Dancing in the streets )
Up in New york city ( Dancing in the streets )
All we need is music ( sweet sweet ) sweet music (sweet sweet music )
There'll be music everywhere.
There'll be swinging,swaying,records playing,dancing in the streets,Oh!
It doesnt matter what hat you wear,just as long as you are there,
So come on
Grab a guy,grab a girl,everywhere around the world.
There'll be dancing,dancing in the streets.
( Oh )Its just an invitation,across the nation,a chance for folks to meet.
There'll be laughing and singing,music swinging,dancing in the streets
All we need is music ( sweet sweet ) sweet music (sweet sweet music )
There'll be music everywhere.
There'll be swinging,swaying,records playing,dancing in the streets,Oh!
It doesnt matter what hat you wear,just as long as you are there,
So come on
Grab a guy,grab a girl,everywhere around the world.
Dancing,dancing in the streets,
Way down in LA,everyday,dancing in the streets ( Dancing in the streets )
San Francisco way, ( Dancing in the streets ), they do it everyday now,
( Dancing in the streets )

●Bob Dylan  The times they are a-chainin' (1963)
●The Beatles  Mystery train


 1963年は公民権運動が最高潮に達した年でした。55年にアラバマ州モントゴメリーでのバスボイコット運動からはじまった黒人の権利を要求する運動は、60年代に入って全米を巻き込んでの大きな運動に発展していきました。公民権運動のクライマックスとしてワシントンDCでの10万人大行進が行われ、その大群衆を前にキング牧師が「I have a dream」で始まるあの有名な演説を行いました。この運動におされるかたちで、ケネディ大統領は公民権法に署名し、55年に



 とくにマーサ・アンド・バンデラスの「ダンシング・インザ・ストリート」は当時の時代のムードを象徴しているようにみえます。陽気なメロディにあわせて「新しい時代のビートがやってくる」と歌うこの歌をきくと、そんな新しい時代がすぐそこに来ているような気がしてきます。ところで、キング牧師が1963年8月28日にワシントンでおこなった有名な演説には「私には夢がある、いつの日か私の子供たちが肌の色にこだわることなく同じテーブルにつく日がくることを」という一節が登場します。現在の私たちにはこの文句は遠い未来のユートピア世界のように思えますが、演説しているキング牧師もこの日にワシントンの広場に集まった公民権運動の活動家や支持者たちも、この「いつの日か」をはるか未来の夢物語というふうにはとらえていませんでした。自分たちの運動は後少しで実を結ぼうとしている、さらにもう少しこの運動が前進していけばそんな日はすぐにも実現できる、そういうニュアンスでこの演説を受けとめていたようです。この演説と同じ年に売り出された「ダンシング・インザ・ストリート」もそんな新しい時代がすぐそこにやってきているというわくわくするような雰囲気の歌です。1963年という年の楽観的でお祭りムードな様子がそのまま現れています。「ダンシング・インザ・ストリート」はマービン・ゲイの手によるものです。マービン・ゲイがその10年後に歌った彼の代表曲に「ホワッツ・ゴーイング・オン」があります。こちらもやはり当時の政治的な時代背景が強くあらわれていて、曲だけ聞いていると甘いラブソングに聞こえるけど、歌詞はベトナム戦争でゆれるアメリカを歌っています。

●Marvin Gaye  What's going on (1973)

Mother, mother
There's too many of you crying
Brother, brother, brother
There's far too many of you dying
You know we've got to find a way
To bring some love here today, year

Father, father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we've got to find a way
To bring some loving here today, year

Picket lines and picket sings
Don't punish me with brutality
Talk to me so you can see
What's going on, what's going on
What's going on, what's going on

Mother, mother
Everybody thinks we're wrong
Oh but who are they you judge us
Simply 'cause our hair is long
Oh you know we've got to find a way
To bring some love here today, year

Picket lines and picket sings
Don't punish me with brutality
Talk to me so you can see
What's going on, what's going on
What's going on, what's going on

「かあさん、かあさん、大勢の人が泣いているよ。兄さん、兄さん、遠くで大勢の人が死んでいるよ。僕らは見つけなきゃ、今日ここに愛を運んでくる方法を。■父さん、父さん、僕らに核兵器のエスカレーションなんていらない。戦争は答えじゃない。憎しみを克服できるのは愛だけだ。僕らは見つけなきゃ、今日ここに愛を運んでくる方法を。■デモ隊の行列、デモ隊のうたう歌。僕を残酷に罰しないで。君に見えるものを僕に話して。何がおきているの?何がおきているの?一体何がおきているの?■かあさん、かあさん、誰もが自分たちは間違っていると思っている。ああ、でも、誰が僕らに判決を下すっていうの。たんに僕らの髪の毛が長いというだけなのに。僕らは見つけなきゃ、今日ここに愛を運んでくる方法を。■デモ隊の行列、デモ隊のうたう歌。僕を残酷に罰しないで。君に見えるものを僕に話して。何がおきているの?何がおきているの?一体何がおきているの?」。

「遠いベトナムで何がおきているの?核兵器をふやして世界で何がおきているの?アメリカで何がおきているの?」と問いかけている、そんな歌です。ホワッツ・ゴーイング・オンって。

 この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」から「ホワッツ・ゴーイング・オン」の変化が1960年代半ばから70年代はじめへの時代の変化といっていいと思います。マービン・ゲイによるこの2曲の対比は象徴的です。陽気ですぐそこに新しい時代の足音が聞こえるかのような「ダンシング・イン・ザ・ストリート」と苦悩しながらくり返し「いったい何がおきているの」と問いける「ホワッツ・ゴーイング・オン」、この間には状況が深刻化していく様子があります。一向に終わらないベトナム戦争、さらにエスカレートしていく核武装と冷戦、公民権法制定後も続く人種差別と1968年のキング牧師暗殺、その後しだいに過激で暴力的になっていく政治運動。すぐにも新しい時代がくるはずだと思っていたのに。そう夢見ていた若者たちはこう思いはじめた。「あれ、こんなはずじゃなかった」と。「ホワッツ・ゴーイング・オン」でくり返される「いったい何がおきているの」という問いかけは、そんな彼らの困惑を象徴しています。ホワッツ・ゴーイング・オン。

 1960年代のアメリカで、「エスカレート」といったら「核武装の拡大」を一般的に指しました。それだけ冷戦と核兵器の驚異が人々の頭に大きくのしかかっていたわけですね。なんせ、東西両陣営が数万発の核ミサイルを向けあって、一触即発の状態にあったわけですから。その様子はティム・オブライエンの小説『ニュークリア・エイジ』に詳しくあります。当時の時代状況も村上春樹の訳と詳しい注で解説されているのでおすすめです。よかったらどうぞ。


資料 ●映像の世紀Hベトナム戦争とアメリカの60年代 1995.12.16 NHK放送より

 
●Janis Joplin  Move over (1971)
●Janis Joplin  Cry baby (1971)
 
歌詞
Cry, baby-
Cry, baby-
Cry, baby-

Honey, welcome back home.
I know she told you, honey,
That she love you,
much more than I did.
But all know is that she left you,
And you swear you just don't know why.
But you know that I'll always,
I'll always be around.
If you ever want me,

Come on and cry,
Cry, baby-
Cry, baby-
Cry, baby-
 
訳詞
泣きなさい。
泣きなさい。
泣きなさい。

お帰りなさい、あなた。
私、知ってるわ、彼女があなたに
愛してるって言ったのを。
私よりもずっと愛してるって言ったことを。
でも、彼女があなたを捨てたこと、すべて知ってるわ。
そして、なぜふられたか、あなたはわかっていない。
でも、あなたは知ってるわ、私がいつも、
いつもそばにいるってことを。
もし、あなたが私を必要なら、いつでも、

いらっしゃい、そして、泣きなさい。
泣きなさい。
泣きなさい。
泣きなさい。
 
 ジャニス・ジョプリンは、60年代末のヒッピー文化の象徴的存在。
 当時、ジョン・レノンが若者の精神的リーダーとして、一段高いところから世界的規模でラブ・アンド・ピースのメッセージを投げかけていたという印象があるのに対し、彼女は自分自身がヒッピーの中心地カリフォルニアに身をおき、ヒッピー生活の中から時代のメッセージを発信したという感じの人。実際、彼女の場合、生きている間はそれほどのスター歌手というわけではなかった。歌手として活動していた期間も短く、1966年にデビューし、1970にはヘロインの大量摂取のために死んでしまう。27歳の若さだった。出したアルバムもわずかに3枚。むしろ、死んでからのほうが広く知られるようになり、彼女の情熱的で破滅的で短い人生は60年代という時代の象徴になっていった。なお、彼女の短い人生は『ローズ』というタイトルで映画化もされています。たしか、主演はベット・ミドラー。
 歌詞の内容も、後期のビートルズがやけに抽象的なのに対し、彼女の歌はどれもすごく情熱的なラブソング。歌い方もパワフルで、ロックというよりソウルみたい。今聴くと意外に新鮮な感じがする。 
 今回紹介した2曲は死後発表され、大ヒットしたアルバム『パール』からのもの。
 
 
 ロックが時代を動かす音楽となり、ラブ・アンド・ピースのメッセージが社会を変えると思われていた状況は、60年代の終わりとともに終わる。
 理由は単純で、ピッピーたちがドラッグをやりながら花をくばってロックを歌ったところで、時代は何も変わらなかったからだ。彼らの運動は同じ幻想を共有していない者にはまったく説得力がなく、身勝手で独りよがりなものにすぎなかった。公民権運動のような具体的な政治目標のある活動と違って、ラブ・アンド・ピースのメッセージには実体がなく、ネズミ講のように期待感ばかりをふくらませていっただけだった。当然、それは同じ幻想を共有しない者たちに対して、何ら働きかける力がないという事実に直面した時、ふくらんだ期待感ははじけた。

 同じことが日本の学生運動にもいえます。1960年代末から70年代はじめの学生運動を全共闘運動っていうんだけど、その主張は経済・産業の発展を最優先させる日本社会への批判、そういう社会に歩調を合わせて詰め込み教育をする学校への批判、アメリカべったりでベトナム戦争にも荷担する日本の政治に対する批判というものでした。どれもその主張自体は正しいよね。でも、じゃあそのために何をやったのかって言うと、「大学解体!」って叫びながら学校を壊したり、バリケードつくって学校に立てこもったり、教授たちを「権威主義者」って吊し上げたり、少し考え方の違うグループと鉄パイプで殴り合ったり、活動に加わらない学生を馬鹿にしたりって感じで、その活動から生産的なことは生まれなかったんだ。社会のしくみを壊そうとするばっかりでね。運動がそういう雰囲気になると、より過激なことをやっている方がえらいという空気ができていきます。社民主義を主張するよりも共産党を支持した方がえらいし、選挙で共産党に投票するよりも暴力革命をおこしたほうがよりえらいというようにエスカレートしていく。はっきりとした目標がないために、大げさで過激なことを主張した者の方がより真剣に運動に取り組んでいるかのように錯覚してしまう。ちょうど阪神ファンにとって、テレビで応援するファンよりもスタジアムで応援する方がえらいし、ただスタジアムで応援するよりもアタマを虎刈りにしたり道頓堀に飛び込んだりする方がよりえらいというようなもんです。同じように、当時の学生運動もより過激な主張をしているものの方がえらいという雰囲気ができていきます。また、社会の何もかも変えようとして風呂敷を広げてしまったために、明確な目標が生まれず、多くの学生たちはただのお祭り騒ぎのムードに乗っていただけになってしまいました。やがて運動はより過激な活動へエスカレートし、大衆の支持を失い、内部分裂していく。多くの学生運動参加者にとって、お祭りの後に残ったものは、挫折感だけでした。その点ではいまの市民運動の方がよっぽど着実な成果を上げています。ヨーロッパではその後、学生運動は自然保護と社会保障制度の充実という方向を定めて、オランダやドイツで国会の議席を獲得するほどに社会の中に根づいていったけど、企業の影響力の大きい日本やアメリカでは何も後に残す成果はあげられませんでした。

 60年代末の学生運動は、アメリカ・フランスを中心に全世界でもりあがったんだけど、共通して言えることはその手法が幼稚で異なる考えを持つ者に働きかける力がないこと、社会の何もかも変えようと大風呂敷を広げて期待感ばかり膨らませた割には何も変えられなかったってことです。あと若者特有の自意識過剰な雰囲気というのかな、きどりと独善とかたくなさが入り混じって、運動はしだいに排他的で過激な方向に向かい、市民の支持を失っていきました。うちの母親は1941年生まれのプレスリーファンだけど、ビートルズやボブ・ディランにはまったく興味を示しません。世代的に少し上というのもあるけど、母親がいうには、ああいうのは当時大学に通っていたような連中が聴く音楽だとのことで、そんな言葉からも当時の学生運動についての世代間と社会的立場の断絶を感じます。ついでにいうと、うちの母親は桃井かおりがほおづえをついたり奥田瑛二が4畳半でフォークソングを歌ったりするATGの映画も好みではないようです。たしかにあの70年代の自分に酔っているような青春群像というのはいま見ると、な〜にいい気になってんだよという感じでやたらと気恥ずかしいものがあります。あの自分にシリアスになることを全肯定している雰囲気というのは、80年代にティーンエイジャーだった私には正視できないものがあります。ただ、あのへんの映画は当時の社会風俗や若者の雰囲気を知るのにちょうどいい資料でもあるんで、興味のある人はどうぞ。

 話をロックにもどします。そういう運動の挫折に追い打ちをかけるように、ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンといった60年代を象徴するミュージシャンたちが70年代に入り次々と死んでいきます。そのほとんどがドラッグによる中毒死でした。祭りのあとに残ったのは、何か新しい時代が来るという期待感を捨てられないまま、身動きをとれず何もできない若者たちでした。やがて彼らのうち、ある者は奇妙な宗教に走り(アメリカのカルト教団のほとんどがこの時期につくられた)、ある者は犯罪者になり、ある者はずるずるとヒッピー生活を続け、ある者は地道な市民運動で社会を変えていく道を選び、残りのほとんどの若者たちは元の社会生活に戻っていきました。

 あ、『フィールド・オブ・ドリームス』っていう映画があったけど、あの主人公は、ちょうど60年代から70年代にかけてティーンエイジャーだった世代のその後という感じでした。結婚して子供もいて地道に社会生活もしているけど、家の玄関のところにはジョン・レノンの肖像画が掛かっていて、子供のPTAの集会では学校の権威主義的なやり方に批判の声をあげるっていう夫婦。学生時代に公民権運動や学生運動を経験してきたんだろうなと思わせるライフスタイルでした。ちょうどみんなの親の世代じゃないかな?学生時代の理想主義とその後の社会経験とがうまくあわさって、リベラルでいい感じのキャラクターでした。あの世代のアメリカ人にはけっこうああいう人がいるのかもしれません。

 さて、その一方で、ロックは巨額のお金が動く巨大な市場にふくらんでいきます。60年代の理想主義のほうは行き詰まったけど、ロックは若者のライフスタイルに浸透して、それまででは考えられなかったような巨額のお金が音楽市場で動くようになります。いまでは当たり前になったけど、スタジアムでの巨大コンサートなんていうのもこのころからはじまりました。

 そんな70年代に入って、その市場に登場したのは2種類の音楽だった。ひとつはあたりさわりなく広く好まれるような甘口のロック。これは熱心なロックファンからは商業主義ロックとバカにされたが、広く浅く浸透し、確実にヒットチャートに入っていった。現在のポップスはほとんどがこの甘口ロックの子孫だ。そして、もうひとつはハードでシリアスなロックだった。それは一部のファンには熱狂的に迎えられたが、ロックを大げさで深刻ぶったものに変えてしまったという批判も多い。
 ただ、このふたつの路線とも共通して、70年代の行きづまった若者文化の状況を反映して、暗い感じがする。ロックが60年代後半に時代の音楽になったときのような、脳天気さや勢いはそこには感じられない。
 
 まずは、シリアスな方から……。
 
●The Doors  People are strange (1967)
 
歌詞
People are strange when you're a stranger
Faces look ugly when you're alone
Women seem wicked when you're unwanted
Streets are uneven when you're down

When you're strange
Faces come out of the rain
When you're strange
No one remembers your name
When you're strange
When you're strange
When you're strange
 
訳詞
あんたがよそ者だと、人はみんな奇妙にみえる。
あんたが孤独だと、顔はみんな醜くみえる。
あんたが女をほしくなければ、女はみんな邪悪にみえる。あんたが落ち込んでいれば、道はでこぼこにみえる。

あんたがよそ者なら、
雨の中から顔がのぞく。
あんたがよそ者なら、
誰もあんたの名前をおぼえていない。
あんたがよそ者なら、
あんたがよそ者なら、
あんたがよそ者なら……。
 
 ドアーズは70年代と言うより、60年代の終わりから70年代はじめにかけてのバンド。やはり、活動期間はすごく短い。1967年に活動を開始して、1971年には解散してしまう。ボーカルのジム・モリソンが1971年にドラッグで死んでしまったからだ。ジム・モリソンの死は、ジャニス・ジョプリンと同じように、人々に強い印象を与え、やがてドアーズは神格化され、生きているとき以上に評価を高めていった。ただ、ジャニス・ジョプリンとの違いは、彼女の存在が60年代という時代の象徴になったのに対し、ドアーズは70年代を通して同時代のミュージシャンや聴衆に影響を与え続けたということだ。
 ドアーズの深刻で破滅型のスタイルは、その後に続く70年代のロックの原型をつくったと言っていい。
 ドアーズはロックに演劇的手法を取り入れ、歌の世界にわかりやすく感情移入できるようにしたといわれる。しかしその一方で、深刻な顔をして情念の世界を歌う彼らには批判も多い。ドアーズについては、柴田元幸のおもしろいエッセイがあったので、以下はその引用。
 
 そのドアーズについて、サム・シェパードがあるインタビューで悪口を言っている。ドアーズによってロックはユーモアを失った、というのだ。チャック・ベリーのころはもっとユーモアがあったぜ、とサム・シェパードはいう。たしかにチャック・ベリーの歌は、あーあ学校なんかかったるくてやってらんないよ程度のことしか言っていないのだが−−というかその程度しか言っていないからこそ−−早口言葉みたいにぽんぽん威勢よく飛び出す言葉に独特の軽やかなユーモアがある。
 これに較べると、「あんたがよそ者だと/人はみんな奇妙にみえる/あんたが孤独だと/顔はみんな醜くみえる」と歌うドアーズは、はるかに「文学的」であり「芸術的」である。世紀末でもないのに世紀末的だし、憂愁的で、耽美的。チャック・ベリーより、ずっと自分をシリアスに考えている感じである。
 サム・シェパードはこの自分をシリアスに考える姿勢を嫌った。ロックンロールはビートルズやストーンズによって「ロック」となり、ロックはドアーズによって「文学」となった。でもそれはサム・シェパードに言わせれば、ロックがユーモアをなくしただけの話だった。たかが音楽じゃねーか、何そんなに深刻ぶってんだ、ざけんじゃねーよ。
 これには一理ある。自分をシリアスに考えるというのは、基本的にみっともないことだからだ。ボブ・ディランはたぶんそのへんを心得ていて、彼の音楽に文学的だの芸術だのを見いだそうとする批評家たちに、「ヘイ、そんなにシリアスに考えるなって。俺はただのソング・アンド・ダンスマンだよ」と言った。
 ドアーズの詩人ジム・モリソンは、批評家が彼の死に文学だとか芸術だのを見いだそうとする前に死んでしまったから、もし生き続けたとしても「ヘイ、俺だってただのソング・アンド・ダンスマンだよ」と言ったかどうかは判らない。たぶん言わなかっただろう。僕の勝手な想像では、文学だの芸術だのを見いだそうとする姿勢をますます煽るような、訳の判らない、いかにも文学的で芸術的な科白を吐いたんじゃないかと思う。
 というのも、いまあらためてドアーズを聞いてみると、その凄さというのは、実は、自分をシリアスに考えることのみっともなさを徹底的に忘れてしまうことにあるんじゃないか、という気がしてくるからだ。「ひょっとしたら俺はみっともないんじゃないか」なんて思いはじめたら、「音楽が終わったら」でえんえん続くあの独白なんか絶対やってられない。それを臆面もなく、とことんやってしまうところが凄いのだ。
『佐藤君と柴田君』白水社 より
 
●Led Zeppelin  Communication breakdown
 
 ジミー・ペイジの煽るようなギター、ロバート・プラントのかん高い金属質な声、このふたつがレッド・ツェッペリンの二枚看板。聴いているとなんだかヒロイックで勇ましい気分になってしまうところが苦手。
 日本人にとって、「ロック」というと、必ずこのレッド・ツェッペリンとディープ・パープルが出てくる。なぜか、日本のロックファンにとって、ロックはプレスリーでもチャック・ベリーでもなく、ツェッペリンとディープ・パープルだ。不思議でしょうがないが、40がらみのロックおじさんやおばさんにとって、彼らは永遠のアイドルである。(彼らが酔っぱらって、「天国への階段」を歌い出したら、それはかなり危険な状況です。)
 そして、この世代のロックファンには、やけに生真面目で暗めの人が多い。ロックを聴いて、歌ったり踊ったりするのではなく、ロック論を熱く語ったりするタイプ。(典型的なのが直訳ロックの「王様」ね。王様って、ちょっと暗いよね。)たぶん、彼らにとってロックはただの娯楽ではなく、語らずにはいられないような愛の対象みたいなものなんだと思う。この授業をするにあたって、近所のレコード屋でドアーズのCDを買ったのですが、その店員のお兄さんもドアーズを見るなり「いいですよねー、ドアーズ」とすごーくうれしそうでした。チャック・ベリーを買ったときはむっつりしてたくせによー。話はそれるけど、この授業、けっこう元手がかかってます。君らには関係ないことだけどさ。


 そう、日本の洋楽ファンには、自分の音楽知識を人と競い合うようなマニアックなタイプが多いみたいです。レコードセールスにラジオよりも雑誌のような紙の媒体のほうが影響力を持っているというのもそのためだと思います。なんかね、そういう他人と知識を競い合うようなオタク的な聴きかたってどうも苦手でして、音楽なんて好きな曲聴いて自分なりに楽しんでればいいじゃないって思うんですが。そういう人たちにうかつに「マドンナが好き」なんて言うと昆虫でも見るような目で見られたりします。洋楽マニアにとっては聴く音楽が自分のステータスになっているみたいで、どんな音楽を聴いているかでセンスの良さを競い合っていたりして、そういうところも嫌らしいなぁって思います。だから音楽雑誌の思い入れ過剰なのめり込んだ文章もちょっと苦手です。前に誰だったか忘れましたが、ミュージシャンが僕の音楽はレコードのコレクションをしてたり音楽性を論じるようなタイプの人ではなく、聴いて踊り狂ってくれるような人にこそ聴いて欲しいって言っていまして、なるほどなって思ったことがあります。音楽って一種の身体表現だし、何も言葉に置きかえて「解釈」する必要のないものですからね。雑誌で論じている人よりもクラブで踊り狂っている人のほうがずっと音楽を感じているんじゃないかと、そう思います。えーっと話がそれました。

 個人的には、ドアーズはまだしも、イギリス系の70年代ハードロックは大の苦手です。何が嫌いって、あのヒロイックで自己陶酔した演出、その演出にのせられてそこにヒーロー像を見ようとするファンたち、なんだかアントニオ猪木のプロレスを見てしまった時のようないやーな気分になります。どうして、猪木は必ず自分が勝つ筋書きがありながら、これ見よがしにヒーローぶった振る舞いが出きるんだ?自分でいやらしいとは思わないのか? そういえば、プロレスラーの入場曲って、このへんのハードロックが多いよね。それにあの大げさで深刻ぶった曲調も苦手。えんえんと続くギターソロ、絞り出すような歌い方、ハリセンで一発いい加減いしなさいとやりたくなる。とくに、ギターのキュイーンという「鳴き」がやたらと入った曲は生理的に受け付けない。あのしめった調子は演歌だ。情念やら怨念やらが渦巻く演歌の世界だ。逆に、だからこそ、日本のロックファンはあの音を熱狂的に支持したのかも知れない。
 別に演歌が悪いとは言いませんが、ロックって、もっと乾いていて、勢いがあって、簡潔で、シニカルなものだとは思いませんか?少なくとも、情念の世界を眉間にしわ寄せて歌いあげるたぐいのものではないとは思いませんか?
 
 ただ、70年代という行きづまった文化状況が、こうしたシリアスなタイプのロックスターを生み出したという気もする。ファンは彼らをヒロイックな存在に祭り上げることで、彼らが時代の閉塞感を破ってくれることを期待していたのではないだろうか。そう考えるとつじつまが合う。70年代のロックスターには自殺やドラッグによる中毒死が多いのもそのためで、彼らが若者にとっての殉教者的な役割を負わされていたという気がする。つまり、ファンにとって彼らはたんにいい音楽を演奏するミュージシャンなどではなく、生き方そのものが耽美的で英雄的で破滅的でなければならなかった。そして、暴走のあげく、破滅的な死をとげることで、伝説的な存在にまで祭り上げられていった。
 
 次は、70年代、アメリカ西海岸を中心とした甘口ロックの代表……。
 
●Eagles  Hotel California (1977)
 
歌詞
On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas rising up throgh the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway
I hear the mission bell
And I was tinking to myself
"This could be Heaven or could be Hell"
Then she lit up a candle and she showed me the way
I thought I heard them say

Welcome to the Hotle California
Such a lovely place, such a lovely face
Plenty of my room at the Hotel California
Any time of year, you can find it here

Her mind is Tiffany-twisted,
  she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys,
  that she calls friends
How they dance in the courtyard,
  sweet summer sweat
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain
"Please bring my wine"
He said, "We haven't had that spirit here
Since nineteen sixty nine"
And still those voices are calling from far away
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say

Welcome to the Hotle California
Such a lovely place, such a lovely face
They livin' it up at the Hotle California
What a nice surprise, bring your alibis

Mirrore on the ceiling,
The pink champagne on ice
And she said "We are all just prisoners here
Of our own dvice"
And in the master's chambers
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives
But they just can't kill the beast

Last thing I remember
I was running for the door
I had to find the passage back
To the place I was before
"Relax", said the night man
"We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you can never leave"
 
訳詞
夜の砂漠のハイウェイ、涼しい風が髪をゆらす
コリタス草の甘い香りがあたりにただよう
遠くにかすかな明かりが見える
僕は頭が重くなり、目がかすむ
車を止めなければならない

戸口に彼女は立っていた
呼び鈴の音が聞こえる
そして僕は自分自身に問いかける、
「ここは天国なのか、地獄なのか」
すると、彼女はろうそくに明かりをともし、僕を案内した
そこでこんな声がしたように思えた

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここは良い所、いい人たちばかり
ホテル・カリフォルニアではたくさんの部屋を用意して、
いつでもあなたをお待ちしています

彼女の心は縮れた薄い布のよう
メルセデスの曲線を持っている
彼女は大勢の少年たちを囲っていて、
彼女は彼らを友達と呼んでいる
中庭では、甘い夏の汗を流して、
人々が踊っている
ある者は思い出すために、ある者は忘れるために

僕は部屋係を呼んで、
「ワインを持ってきてくれないか」ときいた
すると彼は「私どもでは、1969年以来、
アルコール類と精神は扱っておりません」と答えた
そして、依然として彼方から声がしている
真夜中にも目が覚めて、
あの声が聞こえた

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはいいところ、いい人たちばかり
みんなここで暮らしている
アリバイをつくって、なんて楽しいのか

天井には鏡を張りつめ、
氷の入ったピンク色のシャンペン、
そして彼女は言った「私たちはみんな囚われの身、
自分自身の企ての」
やがて大広間では、
饗宴に人々が集まってきた
彼らは鋭いナイフで獣を突き刺すが、
誰も獣を殺すことができない

僕が最後におぼえていることは、
ドアに向かって走っていたこと
出口を見つけねばならない
元の場所にもどるために
「おちつきなさい」夜警が言った
「私たちはこの状況を受け入れるように決められていたんです。あなたはいつでも好きなときにチェックアウトできます。でも、決してここから立ち去れない」
 
 イーグルスは70年代を代表する西海岸ロック。同時に、売れ線をねらった甘口ロックの代表格。この系譜にはシカゴ、TOTO、ジャーニー、ボン・ジョヴィなどがある。前にも書いたようにシリアスなファンからは「商業ロック」とか「産業ロック」と呼ばれてバカにされていた。
 イーグルスにとって一番のヒット曲の「ホテル・カリフォルニア」は日本でもやたらと売れました。今でもテレビドラマの主題歌に使われたりしているから、知ってる人も多いんじゃないかな。ただ、この曲、日本ではラブソングと勘違いした人が多かったようです。ホテル・カリフォルニアを舞台にした甘い甘いラブソング。たしかに、あの「キヨヨヨン」というギターの音と鼻にかかった高い声をきくと、悲しい結末のあるラブソングのような気がしてくる。でも、歌の内容は、甘いメロディとアレンジに似合わず、かなり怖い歌詞だ。
 一度入ったら二度と出られないホテル・カリフォルニア、そこには奇妙な人々が吹き溜まり、出口を求めてあがく。歌の中の「ここには1969年以来、spirit(酒・精神)はおいていません」というセリフは、60年代のラブ・アンド・ピースの幻想が69年に崩れて以来、その中心地だったカリフォルニアに集まってきた若者たちの行きづまった文化状況をあらわしていると読みとれる。出口のみえない混沌とした70年代を象徴する曲。




Note 3  1970's-80's パンク!

 70年代なかば、ロックミュージックはますます大げさで大がかりで複雑なものになっていった。1曲が20分や30分かかるのも当たり前だった。その一方で、商業主義にのった甘口のロックは、的確に市場の動向をつかみ、手慣れた調子でヒット曲を生産していった。(最近の小室哲哉みたいなものね。)
 
 このころのロックは大がかりで複雑な曲を高度な演奏技術できかせるというものだった。実際、このころのミュージシャンたちには、テクニック的に「うまい」人たちが多い。しかし、その一方で、はじめのころのロックが持っていたシンプルでストレートな魅力は失われていった。こうした曲は、一部の熱心なロックファンやギター少年たちには支持されたが、ポップソングとして広く大衆に訴えかけることはできなくなっていた。
 
 そうした中、「ロックって、もっとシンプルに言いたいことをストレートに言える自由なものじゃないか」という若いミュージシャンたちが登場する。
 彼らの主張はとても単純だ。
 「ギターや歌なんかへただっていいじゃないか。演奏がうまいかどうかなんて大した問題じゃない。そんなことより、いいたいことをやりたいようにできるのがロックの良さじゃないか」
 そうして、彼らは荒削りな演奏と思い思い自由なスタイルで活動をはじめた。
 彼らの音楽は、当時のマンネリ化していた音楽状況の中で、新鮮に映り、若者を中心に大きな支持を集めていく。彼らの音楽はパンクと呼ばれた。
 
資料 ●1996.8.21 NHK放送 「Dancing in the Street Gパンク」より
 
●Patti Smith group  Frederick (1979)
 
Hi, hello wake from nice sleep
God has given you soul to keep
All of the power that burns in the flame
It waits delayed in a single name

Frederick
The name of care
Fast asleep in the room somewhere
Guiding angels lay you there
Shining lights on my sleepy head

High on a threshld yearning to sing
Down with the dancers having one last fling
Fused to the moment when you said hello
Come on my spirit are you ready let's go

Hi, hi, hey, hey
Melt the hour collects on me
And I'll go out tonight
On the wings of a dove
Up above to the land of love

Now or lately time to sleep
Pray the Lord my soul to keep
Kiss to kiss
Breath to breath
My soul surrenders astonished to death

Night of wonder promise to keep
Set our sails channel it deep
Come to rapture two hearts meet
Tonight we'll try in a single beat

Frederick
You're the one
As you journey from sun to sun
How the dreams erase your love
Well blind tonight cause love's the love

Hi, hi, hey, hey
Maybe he will come back some day
And I'll go out tonight
On the wings of a dove
Up above to the land of love
Right away
Name of care
High above the sky in clear
All the things
I've been deaming of
All dispersed in the same of cloud
 
【ちょっとだけ、解説】
 フレデリックというのは、彼女の夫のフレッド・スミスのこと。MC5というパンクバンドのギターリストです。
「フレデリック、それは気がかりな名前。部屋のどこかで深い眠りに落ちている。天使があなたのそばに横たわる。日射しが私の寝ぼけた頭にきらめく」という感じで、パティ・スミスにしてはめずらしい優しいラブソング。この後、実際に二人は結婚しているから、彼女からの愛の告白といった感じの曲です。
 結婚後、パティ・スミスは音楽活動から遠ざかり、二人の子供の母親になりました。(子供の歳は、ちょうど君らくらい。)しかし、94年に夫、フレッドは急死してしまいます。それに続けて、彼女の音楽仲間たち、ニルヴァーナのカート・コバーンやパティ・スミス・グループのリチャード・ソウルといった人々も死んでいく。そういうまっ暗な状況から、彼女は再び歌い始めます。昨年、96年に、新しいアルバムがでました。

 このフレデリックという曲は今でも時々ラジオでかかります。美しいラブソングだと思います。






























 
●Patti Smith group  Dancing barefoot (1979)
(1番だけ)
She is benediction
She is addicted to thee
She is the Root Connection
She is connection with me
 
Here I go and
I don't know why
I smoke so ceaselessly
Could it be he's
Taken hold of me
 
I'm dancing barefoot
Heading for a spin
Sub-stage music drives me in
Makes me come on
Like some heroin
 
 パティ・スミスは70年頃からニューヨークの小さなホールで、自作の詩を朗読するパフォーマンスをはじめる。このパフォーマンスはやがて、ロックバンドをバックに詩を語るという形に発展していく。75年にはレコードデビュー。以後、着実に支持を集め、「ニューヨーク・パンクの女王」と呼ばれています。(声だけだとわかりにくいけど、パティ・スミスは女の人ね。)
 デビューアルバムは、自作の前衛的な詩をガガガガガという堅いギターにのせて「語る」というもの。歌うというより、「語る」あるいは「さけぶ」という感じ。今回紹介したのは、79年の4枚目のアルバムからで、少しポップになって、ききやすくなっているけど、やはり、語っています。
 歌詞はめんどうなので訳さなかったけれど、あきらかにドアーズのジム・モリソンの影響を受けている感じの、シリアスで抽象的なものです。
 
 パンクはアメリカでは大きな流行にはならなかったけど、そのぶんワクにはまらず、ニューヨークでは、有名、無名の芸術家たちを巻き込んで、定着していった。
 ニューヨークって、意外と小さな街で、たいていの場所へ歩いていけるらしい。そういう所に、70年代から80年代にかけて、大勢の芸術家たちがかたまって住んでいたわけで、当然、芸術家同士のつながりもある。ニューヨークのパンクは、そういう芸術家仲間の活動として、絵画や写真、文学、演劇なんかといっしょになって発信していたようです。(ちょっと、かっこいいよね。)
 だから、パティ・スミスやトーキングヘッズなどのニューヨークのパンクは、音楽そのものよりも、詩、小説、写真、絵画、映画、演劇といった他の分野に与えた影響が大きい。とくに、最近のアメリカ文学は大きな影響を受けているようにみえます。



Note 4  1970's, 80's- パンクとその後

 アメリカ東海岸ではじまったパンクロックは、77年に、イギリス・ロンドンに飛び火し、そこで大きな動きになっていきます。今回は70年代後半に大流行したロンドンパンクとその後の80年代の動きについてみていきたいと思います。
 
●Sex pistols  Anarchy in the U.K. (1976)

Right now !
I am an anti-Christ
I am an anarchist
Don't know what I want but I know how to get it
I wanna destroy, the possibly 'cause
I wanna be an anarchy, doubt funny

Anarchy for the U.K.
It's coming sometime and maybe
I get here on time stop the traffic line
Your future dream is a shopping scheme 'cos

I, I wanna be an anarchy
In the city

Many ways to get what you want
A is the best, A is the rest
A is enemy, A is anarchy
'Cause I wanna be an anarchy
It's the only way to be anarchy......or dead

Is this the M.P.L.A or is this the U.D.A.
Or is this the I.R.A., I thought it was the U.K.
Or just another country
Another council tenancy
I wanna be an anarchist and I wanna be an anarchist
Oh, what a name
And I wanna be an anarchist
I get, pissed, destroy......
 

【ちょっとだけ解説】
 アナーキー(anarchy)というのは、「無政府状態」という意味の政治学用語。アナーキスト(anarchist)は「無政府主義者」の意味で、やっぱり政治学の用語。
 なんだけれど、この場合は、「イギリスの政府なんていらねえよ」くらいの意味。歌詞の印象をより強めるために、「アナーキー」というかたい言葉をあえて使っているわけ。
「俺はアンチ・キリストだ。俺はアナーキストだ。俺が何を欲しがろうが大きなお世話だ、だけど、俺は欲しいものを手に入れる方法を知ってるぜ。できるだけ、ぶっこわしてやるぜ。だって、俺はアナーキーでありたいからな。冗談じゃねえぜ」
 とまあいう調子で、チンピラバンドの不満爆発ソングというところ。バンドのメンバーたちは本物のワルで、バンドやってなければ、本当にチンピラになっていたろうという連中。この連中の「不満わめきちらし」は、70年代の気取った、長ったらしいロックにうんざりしていた若者たちに大受けする。それに、彼らのルックスが良くて、ファッショナブルな所もヒットにつながった。
 また、60年代、70年代とイギリスは長い不況で、労働者階級の若者たちは大勢が失業していた。彼らの歌はそういう不満にのってヒットしたともいえる。ライブなんかも荒っぽくて、あちこちでけんかが始まるような調子で、ちょうどサッカーのフーリガンみたいだったらしい。
 なお、歌詞に出てくるMPLA、UDA、IRAというのは、イギリスに対して武装闘争をしている組織で、今でも爆弾テロをくり返しています。
 あ、念のためにいうと、UKは「ユナイテッド・キングダム」の略で、イギリスのことね。
 
 でました、セックス・ピストルズ。
 なんだか「アウアウアウ」とほえているようなジョニー・ロットンのヴォーカル、「プーガーピー」と壊れたラジオみたいな音のギター、いつ聴いてもヘタクソで下品だけど、なぜか、すごくポップだ。このポップであることというのは、意外と難しい。

 あの巻き舌の歌い方とギターのPAがが出す「プーガーピー」というひずんだ音は、最近だと椎名林檎が多用しています。彼女もピストルズの影響を受けたひとりみたいです。まだ若いのに。

 「アナーキー・イン・ザ・UK」の歌詞は、「アナーキー」や「IRA」といったそれらしい政治用語がならんでいるけど、ファッションでいってるだけで、シリアスなメッセージはありません。日本の不良はやくざとのつながりですぐ右翼になるけど、イギリスの不良の場合、左翼を気取って、王室の悪口を言うのが基本的ファッションのようです。もちろんポーズだけで、大した意味はありません。ようするに「気にいらねえぜ、むかつくぜ、ぶっこわしてやるぜ」ってことをそれらしい言葉で言っているだけの歌です。むずかしく考えずに、いっしょにでかい声でさけぶのが正しいきき方です。
 セックス・ピストルズは、デビューがセンセーショナルだった割には、78年のアメリカ・ツアーでメンバーは分裂、あっけなく解散してしまいました。結局、アルバムは77年に出した1枚だけです。ところが、なんと今年、再結成し、来日までしました。よっぽどカネにこまってるのでしょうか。
 
 ロンドンパンクというと、セックス・ピストルズとクラッシュの印象が強いため、暴力的で破壊的な印象が強いけど、そういうバンドばかりではない。50年代のロックンロールをベースに簡潔でノリのいいポップソングを演奏するミュージシャンたちも数多く登場した。彼らにはポップソングやエンターテイメントについて一家言持っているタイプが多く、パンクブームが去った後も知的で実験的な活動を続けている。
 
●The Jam  In the city
 
In the city there's a thousand things
I want to say to you
But whenever I approach you
You make me look a fool
I want to say
I want to tell you
About the young ideas
But you turn them into fears
 
In the city there's a thousand faces
All shining bright
And those golden faces are under 25
They want to say
They gonna tell you
About the young idea
You better listen now you've said your bit
 
I don't know what you're thinking
You still think I'm crap
But you'd better listen man
Because the kids know where it's at
 
In the city there's a thousand men
In uniforms
And Ive heard they now have the right
To kill a man
We want to say
We gonna tell you
About the young ideas
And if it don't work at least we tried
 
In the city
 
●The Jam  Town called malice
 
Better stop dreaming of quiet life cos it's the one we'll never know
And quit running for that runaway bus cos those rosy days are few
And-stop apologising for the things you've never done,
Cos time is short and life is cruel but it's up to us to change
This town called malice.
 
Rows and rows of disused milk floats stand dying in the dairy yard
And a hundred lonely housewives clutch empty milk bottles to their hearts
Hanging out their old love letters on the line to dry
It's enough to make you stop believing when tears come fast and furious
In a town called malice
 
Struggle after struggle year after year
The atmosphere's fine blend of ice I'm almost stone cold dead
In a town called malice
 
A whole street's belief in Sunday's roast beef gets dashed against the Co-op
The either cut down on beer or the kids new gear
It's a big decision in a town called malice
 
The ghost of a steam train echoes down my track
It's at the moment bound for nowhere just going round and round
Playground kids and creaking swings lost laughter in the breeze
I could go on for hours and I probably will but I'd sooner put some joy back
In this town called malice.
 
 ジャムのリーダー、ポール・ウェラーは左翼の活動家としても知られる。(彼の場合は本物。)80年代はサッチャーの保守党をずっと批判し続けていた。労働者階級出身で、イギリスの階級社会と王室を批判し、有名になってからも、福祉政策の充実を言い続けている。つくづく、まじめな人だと思う。ジャムの音楽も、そういう彼の性格を反映して、ストレートなロックのリズムに社会や生活への疑問や怒りを歌うものが多い。そういう意味では、セックス・ピストルズより、よっぽどシリアスだし、政治的だ。
 
●Elvis Costello  I can't stand up for falling down (1980)
●Elvis Costello  Welcome to the working week (1977)
 
 エルビス・コステロほどクロウト受けするミュージシャンもめずらしい。ヒットチャートに入るシングルはめったにないのに、ポール・マッカートニーからミスチルまで、多くのミュージシャンから支持されている。(そういえば、一昨年、ミスターチルドレンがエルビス・コステロそっくのの歌い方とアレンジで、曲を作ったよね。あんまりそっくりなんで、僕の友達の間ではけっこう話題になりました。)
 80年代半ばくらいから、カントリー・ウェスタンにこっていたようだけど、最近は弦楽四重奏と組んだり、シェークスピアを朗読したりと、すっかり趣味の人になっている。たまには、ポップソングも歌って欲しいところです。
 
 パンクの登場は、ロックを巨大なコンサート会場で神格化されたスターが演じるエンターテイメントから、身近なポップソングに引き戻した。それと同時に、パフォーマンスの原点を示した。
 つまり、演奏が下手でも、発想がユニークで聴衆に訴えかけようとする気持ちがあれば、十分パフォーマンスとして通用するということだ。
 
 今回、授業をするにあたって、古いパンクを聞き直しながら、思い出したことがあります。
 それは、4、5年前、国分寺の駅前で、アマチュアのパンクバンドが演奏していたときのことです。
 バンドといっても、ヴォーカルとギターの二人だけ。ギターはぼろっちいアンプを適当に置いて、ガガガガッという堅い音を出している。そのギターに合わせて、ヴォーカルはハンドマイクを片手に大声でどなっている。マイクといっても、よく体育の授業で使う音の悪いあれね。
 彼はどなる。「これは宗教の勧誘じゃない!」ガガガガガッガガ「これは立候補のお願いでもない!」ガガガ「募金の呼びかけでもない!」ガガガガ「パチンコ屋の新装開店でもねえぞ!」ガガガガガ。
 なかなかおもしろい。通りがかりの僕はつい、彼らに見入ってしまった。いそがしく通り過ぎていく人の中にも、くすっと笑っていく人もいる。やがて彼は大声でどなりはじめる。「あんた!そこのあんた!人前ででかい声だしたいと思ったことないか!」ガガガ「大勢の人間に向かって、自分の言葉を投げつけたいと思ったことないか!」ガガ「声がいいとか、歌がうまいとか、そんなこと関係ねえんだ!」ガガガ「どこかにいる誰かがあんたの声をききたがってるかも知れねえぜ!」ガガ「なあ、そこのあんた、俺たちといっしょに何かやらないか!あんた、あんたは音楽が苦手か!」ガガ「だったら、絵を描いてくれよ、俺たちの音に合わせて!」ガガガ「あんた、あんたは文章書くのは好きか!」ガガ「だったら文章を書いてくれ!あんたの言葉で!あんたのリズムで!」「よう!そこのあんた!あんたもいっしょにでかい声ださねえか!」
 
 時々、なんで、あの時、彼らといっしょに何かをはじめなかったんだろうと後悔することがあります。
 
 音楽に限らず、ダンスも演劇も、すべてのパフォーマンスの原点はそこにあると思う。なにかせずにはいられない。どこかの誰かに自分の姿を見せたい。自分の言葉やイメージを投げつけたい。
 以前、バレエをやっている人からこんな話を聞いたことがある。
「テクニックなんか二の次よ。なによりも大事なのは、「私を見て」って気持ちよね。そういう気合いの入っていないダンスなんて、どんなにテクニックがあってもクズよ。日本で子供にバレエ習わせようって親はさ、バレエをお嬢様のたしなみかなんかと違いしてる人が多いから、バレエやってる子たちもテクニックはそれなりにあるけどなんかお人形がかたかた踊ってるみたいで見るに耐えないのよね。醜悪よ。親はあれで満足なんだろうけどさ、表現するってそういうことじゃないでしょ。ゲイバーのダンスショーの方がよっぽど志が高いわよ」
 たしかに、テクニックがあることは表現手段に幅ができる。でも、テクニックは表現の手段にすぎない。表現したいという欲求がないまま、テクニックだけを積み重ねても、それはいびつな様式を生み出すだけだ。
 
 パンクロックの流行は長続きしなかった。ロンドン・パンクの、若者たちの不満をただストレートにぶちまけるやり方はすぐにあきられていったからだ。また、音楽的にも、シンプルで荒削りなスタイルは、はじめは新鮮だったが、やはりすぐに壁に突き当たってしまった。こうした曲は、ラジオでかかる10曲中、2曲くらいなら新鮮で気持ちのいいものだが、5曲も6曲もこの調子でやられると、イライラしてくる。77年のロンドンはそういう状況だった。このことがパンクの寿命を縮めたといえる。
 とりわけ、最悪だったのは、パンクが大流行したために、パンクがひとつのスタイルとみなされ、みんながまねしはじめたことだ。本当は歌もギターも上手なミュージシャンたちが、わざとへたに演奏して、「パンク調」の曲を出すようになる。(こういうのって、たまらなくいやらしいよね。)あるいは、逆に、レコード会社が、パンクの流行にのるため、テクニックのあるミュージシャンたちに上手に演奏するのを禁止するような状況にまでなっていく。こうしたゆがんだ状況がパンクの行き詰まりに拍車をかけていった。
 
 こうして、はじめは、やりたいことを自由でストレートに表現するものだったはずのパンクは、大流行したために、逆に、音楽的にはしだいにワンパターンのワクにはまったものになっていってしまった。
 その結果、流行が去ったあとに残ったものは、「革ジャン」「安全ピン」「穴あきジーンズ」といった型にはまったスタイルだけだった。
 
 パンクの流行も去り、時代は80年代にはいる。
 80年代はリアルタイムで体験してきたので、もう少し踏み込んで話せます。
 
 80年代にはいると、音楽や文化の傾向も70年代とは違ったものになっていく。
 70年代の傾向が、シリアスで、自分の内面をさらけ出すものが多かったのに対し、80年代にはいると、そうしたものは嫌われ、陽気で軽いもの、知的で気取ったものが好まれるようになる。それは、内面をさらけ出し、自分も他人も傷つけるやり方に対して、うんざりしてきたからではないかと思う。情念の世界を歌い、互いを傷つけあい、袋小路におちいってしまった70年代へ決別したかったのだ。もうそんなに傷つきたくなかったし、人とはもっと距離をおいて付き合いたいし、出口の見えない深みでもがくよりももっと軽やかに振る舞いたかったのだ。そういう意味では、80年代は行きづまって暗い感じのする70年代より、ポップで活気があったように思える。
 ただ、80年代の軽さや陽気さは、50年代のプレスリーのような心の底からの陽気さとは違う。心の深い部分ではイライラしていたり、悩んでいたりしているのに、そういう過剰な自意識はかくすことが要求された。つまり、自意識をかくす仮面として「軽く」「陽気に」ふるまうことが要求されていたのではないか、そんなふうに思う。だから、このころから「クール」という言葉がしきりに使われるようになっていく。「誰だって、イライラしてんだよ、深刻になったってしょーがねーだろ、うっとおしいなあ。なに悩んでいようが、うわべは明るく・軽く・クールにふるまうのが礼儀ってもんだ」という感じです。だから、この時代、ミュージシャンたちも急にしゃれた服を着込むようになっていく。ファッショナブルな装いは生のパーソナリティを隠す仮面であるのと同時に、自分をさらけ出さなくても他人との違いを際立たせてくれる便利な装置だ。こうして、70年代ふうのきたないジーンズやぼさぼさの長髪は少数派になり、高そうなスーツやデザイナーもののだぼだぼジャケットに駆逐されていく。
 だから、80年代のポップソングは軽いけれども、一方で、無機的で気取った感じがする。
 
 典型的なのが、80年代前半に流行ったテクノ。あれは、今きくと、気取りすぎでハズカシイ。どのミュージシャンたちもポーズをつけながらキーボードをたたいたりして、うおー、もうたまんねーぜ、体中がかゆいぜ、どーにかしてくれー、あの自分にうっとりとしているみたいなツラ、見ちゃいられねーぜ、身体じゅうかきむしっちまうぜえー、誰か後ろから一発ハリセンかましてやれよーって感じです。
 
 というわけで、そんな80年代のテクノポップから一曲……。
 
●Kraft werk  Pocket calculator (1981)
 
 クラフト・ワークはドイツのテクノグループ。ごく初期のテクノで、シンセサイザーの音もピコピコと原始的。コンピュータの発達で、最近では5000円くらいのシンセでももっと自然で色々な音が出せます。ただ、今思うと、このいかにも電子音という感じが刺激的で良かったのかも知れない。ちょうどゲームセンターで『スペースインベーダー』がはやりはじめた時期です。
 曲はジョージ・オーエルの有名な小説『1984年』をもとに、コンピューターに管理される未来を描いたストーリー・アルバムの一部。「ワタシ、電卓ソウサスル……コノ、スペシャル・キー、オス。ミジカイ、オンガク、ナラセル……」というふうに、機械とコンピュータを徹底的に無機的で生活感のないものとして描いているため、逆に古めかしい感じがする。変な言い方だけど、「昔なつかしい未来像」という感じ。
 
(話はそれるけど、SF小説に登場するロボットやコンピューターの描写は、時代が新しくなるにつれて人間との距離が縮まっていく。『1984年』やI・アシモフなどの1950年代以前のSFでは、ロボットやコンピューターは人間の対極に位置するものとして描かれ、人間性や生活感というものは全くない。冷たい金属の固まりで、人間とは相容れない異質な存在。その象徴として彼らの言葉は「ワタシ……」とカタカナで語られる。たとえ彼らが不気味な存在だとしても、それは彼らが絶対的な他者であるからにすぎない。
 しかし、1960年代半ばをすぎた頃からその様子は少し変わっていく。日常の生活に電気製品が入り込むのにともなって、機械と人間との距離が近づいていく。また、人間の生活自体も細かいスケジュールが組まれ、様々な制度が整うのにあわせて無機的になり、機械はより人間的に、人間はより機械的になっていく。このころからSFに登場するロボット・コンピューターは人間にとって全くの他者というわけにはいかなくなっていく。しばしば意識を持った機械が登場し、人間に反乱を起こしたり、自分がこの世界に存在していることに悩んだりするようになる。また、P・K・ディックの小説のように、主人公が自分が機械ではないかと悩んだり、機械が意識を持つのを見て自分の意識も作り物ではないかという恐怖にかられたりという世界がリアルなものとして受け止められるようになっていく。明らかにこのことは人間という特権的な地位がゆらぎはじめたことを意味している。ディックの小説にくり返し登場する「私は偽物ではないのか」「私が見ているこの世界は偽物ではないか」というモチーフの不気味さは、50年代以前のロボットものの不気味さとは全く異なるものだ。つまり、機械と人間との距離が縮まったことで、互いに影響しあい、時には立場が逆転することを意味している。人間が機械によって客体化され、意識が解体し、絶対であるはずの「今・ここに私が存在する」ことがゆらいでいく。
 そして、1980年代半ばに流行したサイバーパンクに至っては、機械と人間との距離は限りなくゼロに近づく。登場人物たちは脳にコンピューター・チップや接続用端子を埋め込み、意識とコンピューター・プログラムの世界とを境目なく体験する。それは「電脳空間」という言葉で表現され、SF以外の世界でも定着しつつある。そこでは人間の特権的立場や尊厳などすでに失われており、17世紀のデカルト以来信じられていた「意識」や「理性」や「私」といったものの絶対性も存在しない。その証拠に、登場人物たちは何のためらいもなく脳にチップを埋め込み、自分の意識をつくりかえ、時には巨大な電脳空間に「私」を溶け込ませ、「私」であることをやめようとする。当然、こうした物語に登場する機械たちはきわめて日常的な風景の一部、生活の延長として描かれる。街の路地裏に置かれた落書きだらけの公衆端末。シールがべたべたと貼られ、幼稚なイラストで飾られた携帯型コンピューター。
 こうしたSF小説に登場する世界はいずれもその時代の機械と人間との関係を反映しているといえる。)
 
 テクノはわかりやすいメロディーと演出のために、中高生を中心に大流行しました。とくに日本では、YMOの登場で、テクノ一色という感じでした。逆に、60年代、70年代のロックを体験してきた大人たちには、あのわざとらしさが嫌われ、敬遠されていたようです。あと、アメリカでもテクノはあまり受けませんでした。アメリカでテクノが広く知られるようになるのは、90年代に入って、ラップのDJがサンプリングの素材に使うようになってからのことです。
 
 テクノの流行は広い意味でのポップソング全体に影響を与える。そのため、アイドルバンドが歌っているようなポップソングまでが、シンセを使ったチャカポコというアレンジになり、ジャケットの写真も無表情でポーズをつけている。80年代前半には、そういうテクノもどきのアイドルバンドが、イギリスから雨後の竹の子のように出てきました。
 
 もう一つ、80年代の特徴は政治や文化の保守化傾向だ。
 アメリカでもイギリスでも日本でも、政治は保守の安定政権になり、60年代の文化状況を否定する動きが強まっていった。レーガンやサッチャーといった強力なリーダーシップを持った保守派の政治家が長期政権をにぎり、「強いアメリカを再び」「古き良き時代にもどろう」と呼びかけた。そのメッセージは、60年代、70年代と大きく揺れ動いてきた文化状況の中で疲れていた人々の心をとらえ、少しずつ、社会を保守化していった。
 
 そんな時代状況を皮肉った曲をエルビス・コステロが歌っている。
 ポニー・ストリートという通りに住んでいる母と娘の歌だ。母親は60年代に青春をすごしたロック世代。今でも、豹がらのタイツをはいて夜遊びをしている。娘はそんな不良ママをあきれた目で見ている。一方、娘はずっと保守的だ。母親みたいにロックに夢を描いたりなんかしない。夜遊びもしないし、ボーイフレンドたちも礼儀正しい。休みの日はもっぱら、通販のカタログを見てすごしている。母親はそんな娘がもどかしくてしょうがない。なんで、娘はちっともはめを外さないのか、夜遊びをして自分をこまらせないのか、もどかしくてたまらない。「お前、レースの靴下なんかはいて、通販のカタログ見てる場合じゃないだろ……」。
 なんだか、岡崎京子の漫画みたいだけど、こういう母と娘って実際にいそうだよね。これ最近気に入ってる曲です。
 
●Elvis Costello  Pony.ST (1994)
 
She live on Pony Street
And they should scatter at feet
But when they come calling, I think it's appalling
They're sober and they're polite
They're deeply respectful when I would expect them to keep her out all night
 
So you want someone to blame
Now you find that you're so tame
If you need instruction in mindless destruction I'll show you a thing or two
You used to adore me and now my life flashes before me for you to view.....
 
Oh Mother, Oh Mother some times you are so mortifying
From the hole in your leopard-skin tights I can tell you've been spying
But your generation confesses before it transgresses
Like those Super-Eight movies of Daddy in your disco dresses.
 
If you're going out tonight
I wan't wait up
Reading "Das Kapital"
Watching "Home Shopping Club"
 
While you're flogging a dead horse
All the way down Pony Street
Where you live after a fashion
All the way down Pony Street
The life and the soul of every indiscretion
That live on, that live on, that live on Pony Street
 
Oh Daughter, Oh Daughter you know I will love you forever
But spare me the white ankle socks with lace and the leather
For you and your cartoon threatdo no good to resist me
For I am the genuine thing but for you it's just history
 
If you're going out tonight
How can you be sure?
Where you lay your pretty head
Mother may have been befor
So you're flogging a dead horse all the way down Pony Street


 そういえば、このロック講座も肝心の君たちよりも、職員室の「元若者」の方々に好評でした。エルビス・コステロのいうように、もはやロックに以前のような影響力はないのかも知れません。(話がちょっとそれるけど、日本で一番CDを買う世代っていうまでもなく10代の若い子たちだけど、アメリカだと40代のロック世代のおじさんやおばさんなんだって。だから日本とアメリカとじゃ、ヒットチャートの傾向が明らかに違うよね。)

 考えてみれば、80年代以降、ポップスといえばイコール、ロックというふうになっています。ロックはもう、空気みたいな存在で、別に毒にも薬にもならず、ただ消費されていくだけのものなのかも知れません。『少年ジャンプ』みたいにね。

 若者文化が「カウンターカルチャー」とよばれていたのは60年代の昔のことで、現在では対抗する主流文化自体が様々なものを取り込んであいまいなものになっています。日本では80年代にパルコや丸井をはじめとする商業文化が若者文化を取り込んでいき、一気にその枠を拡大しました。アメリカでも同様で、80年代に登場した「ヤッピー」は拡大する消費社会のシンボルとなりました。また、おじさんたちの愛読書は『リーダースダイジェスト』でも岩波の『世界』でもなく、『ジャンプ』や『マガジン』なのはご存じの通りです。そもそも60年代の若者たちはとっくに中年になっているわけで、そういう彼らが社会の規範となる世代になっているわけだから、もはや主流文化もその対抗文化も関係ないっていう状況です。ストーンズなんてみんな50代だわ。そういう現在、「カウンターカルチャー」や「アングラ」という言葉はもはや死語で、そこにあるのは子供から老人までを覆う巨大な消費文化がどこまでも広がっている状況です。主流文化も対抗文化もなく、千差万別の好みや世代ごとの区分けがあるだけです。「若者文化」や「ポップカルチャー」と呼ばれるものはそういう消費文化の最も活発な一部分を指しているにすぎません。現代において、「若者文化」ときくと商業主義を連想するのはそのためです。

 そういう中で、ロックをはじめとするポップソングは商業主義の王道ど真ん中というところでしょう。もしあなたが鼻にピアスをあけて、ウォークマンでハードロックを聴いていたとしても、それはちっとも反抗的な行為でもとんがった行為でもありません。(学校ではいまだに禁止しているみたいだけど。)むしろそれは主流派ど真ん中で、保守的ですらあります。小唄でも口ずさみながら岩波文庫のゲーテでも読んでいる方がよっぽど反主流派だし、とんがっているように見えます。キース・リチャーズやジョー・ジャクソンが「今どきロックなんて格好悪いね」というのもそこにあります。(先ほど名前をあげた岡崎京子の漫画はそういう風俗に敏感で、90年代にはいって彼女の漫画にはブランドものの服を着込んだ都会のティーンエージャーたちが小唄やエンヤトット節を歌っている場面がしばしば登場するようになりました。)
 先にあげたエルビス・コステロの歌も時代の保守化というよりも、ロックのアナクロ性と若い子たちの新しい風俗と解釈した方が的確な気もします。


 そんなポップで消費社会の虚無感にあふれた80年代の曲を。
 これは大学時代に教わったアメリカ現代文学の柴田元幸の受け売りです。

 トーキングヘッズの「Road to nowhere」。

 私たちはどこへ行こうとしているのか?
 「私たちは無に向かっている。私たちはどこにもない場所へ向かう道の途中にいる」
 深刻な歌詞なのに、曲はやたらとポップだ。この空虚な陽気さが80年代という感じがする。
 トーキングヘッズのデビッド・バーンは、ニワトリのような抑揚のない声で歌う。
 「未来は約束されてるのさ」

 よく聞くとおそろしい歌です。

 「そこはパラダイスかも知れないよ」
 そして、操り人形のようにぎくしゃくと踊る。
 「さあ、行こうぜ」

 未来はどこへ向かっているんだ?


●Talking heads  Road to nowhere (1985)

Well we know where we're goin'
But we don't know we've been
And we know what we're knowin'
But we can't say what we've seen
And we're not little children
And we know what we want
And the future is certain
Give us time to work it out

We're on a road to nowhere
Come on inside
Takin' that ride to nowhere
We'll take that ride

I'm feelin' okey this mornin'
And you know,
We're on the road to paradise
Here we go, here we go

We're on a road to nowhere
Come on inside
Takin' that ride to nowhere
We'll take that ride

Maybe, you wonder where you are
I don't care
Here is where time is on our side
Take you there...take you there

We're on a road to nowhere
We're on a road to nowhere
We're on a road to nowhere

There's a city in my mind
Come along and take that ride
  and it's all right, baby, it's all right

And it's very far away
But it's growing day by day
And it's all right, baby, it's all right

Would you like to come along
You can help me sing this song
  and it's all right, baby, it's all right

They can tell you what to do
But they'll make a fool of you
And it's all right, baby, it's all right
 


 さて、90年代に入って、何がかわったかといえば、80年代の気取りや軽さが批判され、笑いの対象になったことだ。気取ったポーズや言葉、過剰な自意識が80年代の象徴だとしたら、90年代は間違いなく「身体」だ。発熱し動き回り存在感のある身体だ。「考えるな、体を動かせ」ってわけだ。これはそれだけ人々が言葉を信用しなくなっているということかも知れない。

 ミュージックシーンも大きくかわった。
 今までのロックの流れは廃れて、より身体性を強調するヒップホップが主流になった。
 より踊れる曲、より体のうごかせる曲が求められ、ヒップホップ系のダンスナンバーとラップがポップミュージックの主役の座についた。黒人ダンサーやラッパーたちの引き締まった身体はその象徴といえる。

 このことは上滑りする言葉への反動を意味しているのか、それとも言葉そのものへの不信なのか。ともかく人々の関心は身体へ向かった。物体としての私。形があり、動き、感覚を持つ物体。

 身体への指向はミュージックシーンにとどまらず、社会全体の傾向といえる。フラメンコから社交ダンスまであらゆるダンスがブームで、フィットネスもウェイトトレーニングもエステも美容整形もマッサージもおばさんたちのウォーキングも長い流行がつづいている。うちの母も「健康のためなら死んでもいい」とよく冗談を言っている。
 ともかく身体を動かし、改造することは何でも繁盛している。
 ファッションも80年代の顔がデザイナーだとしたら、90年代の顔はモデルだ。そして90年代のファッションモデルたちは間違いなくフィットネスで鍛え上げられた筋肉質の身体をしている。

 いったい人々は体を動かすことで何を求めているんだろう。
 それともたんに見ばえのいい人工的に加工された身体になりたがっているだけなんだろうか。だとしたら自意識の仮面が言葉から身体に置き換わったにすぎない。


 私たちはどこへ向かおうとしているんだろう?
 私たちは何者なんだろう?
 私たちは何を求め、何になりたがっているんだろう?



 4回にわたったロック講座は以上で終わりです。機会があったら、続編としてラップとヒップホップの特集をやりましょう。でも俺にラップの解説なんかできないから、誰かくわしい奴いない?ヒップホップ系好きな奴。まあ、CD持ち寄って聞いてみるだけでもいいんじゃない。ついでに流行のおどりでも知ってたらやってくれ。みんなでおどってみてもいいね。関係ないけど日本語のラップって何であんなに不様なんだろ。
 あ、感想文はできるだけ具体的に書いてきてね。面白かったとか、つまらなかったとかだけじゃあ、読まされるこっちもつまらないからな。では解散。


→ ロックとその時代・生徒の感想

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