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  オリビエロ・トスカーニによるベネトンの広告


 1980年代末からのベネトンのポスターやカタログには、基本的に商品は登場せず、差別・紛争・難民・死刑制度といった問題をとりあげ、一枚の写真によって訴えているのが特徴です。人権問題をテーマにしたものが多いため、国連と共同でキャンペーンを展開しているのも多くあります。こうした広告スタイルは、ディレクターのオリビエロ・トスカーニの「広告はまやかしの幸福を描くのではなく、企業の社会的姿勢を示すものであるべきだ」という持論を具現化したものといえます。また、社長のルチアーノ・ベネトンもトスカーニの広告手法を全面的に支持し、一連のキャンペーン広告が展開されました。ベネトンでは、商品を知ってもらうには実際に店頭で手に取ってもらうのが一番で、雑誌広告やポスターであえて商品を紹介する必要性はないと考えているようです。ファッションブランドとしては後発のベネトンは、こうしたラディカルな広告表現によって注目されるようになり、1990年代に独自のブランドイメージを確立していきました。
 ベネトンの広告は、その広告手法と映像のインパクトの強さによって、キャンペーンの度に賛否が議論されてきました。そのため、大量の広告がメディアに出まわっている印象がありますが、意外なことに広告の掲載量自体はあまり多くありません。大量の広告を発信することで見る者の感覚を麻痺させるのではなく、練り上げて制作した広告を少数のメディアに発表し、見る者に考えてもらおうという方針のようです。トスカーニは2000年にベネトンを去りましたが、ベネトンではその後もこうした広告スタイルを継続しています。




AIDS - David Kirby 1992
エイズの末期患者を写したポスター。モノクロ写真に後から着色することで、宗教画のような雰囲気を出している。当時、エイズはまだ不治の病で、欧米では、同性愛者特有の奇病とみなす風潮が残っていた。HIVについての誤った理解がひろまる中で、キリスト教原理主義団体をはじめとした保守派からは、死に瀕しているエイズ患者へ「神の教えに背いた罰」「自業自得」といった言葉がしばしばあびせられ、エイズ患者の差別をあおっていた。このポスターでは、エイズの末期患者をイエスに見たて、患者とその家族の様子を荘厳に描くことで、エイズ患者をけがれた存在と見なす社会状況に対して真正面から異論をとなえている。当然ながら、各キリスト教団体からは、不謹慎だとして批判された。

Condoms 1991
コンドームをならべ、エイズが予防できる病気であることをアピールしたポスター。コンドームを安全なセックスのシンボルと位置づけ、ベネトンはこのキャンペーンからコンドームを商品ラインナップに加えた。

HIV Positive - Arm 1993


HIV Positive - Back 1993
エイズ患者への差別に反対するキャンペーンのポスターひとつ。「HIV Positive」のスタンプは、エイズ患者と見なされることが社会的抹殺を意味する状況を比喩したもの。ただし、このスタンプがアウシュビッツなどナチスによる強制収容所で行われた収容者番号の入れ墨を連想させるとして、ヨーロッパ各国では、当時を体験した人々やユダヤ人団体から抗議の声が上がった。

World AIDS Day Pl. de la Concorde Paris 1993


AIDS Faces 1994
エイズで死亡した患者たちの顔写真をコラージュして制作されたポスター。「AIDS」の文字が浮き出てくるように構成されている。エイズ患者差別へ抗議するキャンペーンの集大成的作品。

Priest and Nun 1991
愛にタブーはないというメッセージの込められたポスター。カトリック教会から不謹慎だとして批判され、イタリアやフランスなどでは、広告の掲載拒否やポスターの撤去となった。

Leaves 1991


Newborn Baby 1991
「リアリティ」をテーマに制作されたポスター。へその緒がついたままの血まみれの新生児の映像はあまりにも生々しく、「小さな天使」「かわいい赤ちゃん」という耳になじんだ解釈を拒絶する。ポスターの中の新生児は、その生々しく壮絶な姿によって、ひとりの人間がこの世界に生まれてくるというのはどういうことなのか、この子が生まれてきたこの世界はどういう世界なのかという根源的な問いを見る者へ投げかける。また同時に、その生々しい姿はこれまで広告が描いてきたうわべだけの美しさや生身であることを感じさせない記号化された人間の存在に対して強烈な異議をとなえる。それはトスカーニが様々な場で発言してきた「人間の血は赤く、尿は黄色い、青い液体など使うべきではないし、もっと現実に目を向けるべきだ」という彼の広告制作の基本姿勢をストレートに表現するものでもある。この作品は美術的には高く評価され、オランダの美術館などで展示されることになった。また、トスカーニ自身もこれを重要な作品と考えているようで、自らの主宰する雑誌「Colors」創刊号の表紙にも使用している。その一方で、映像のあまりの生々しさから、公共の場への展示はふさわしくないと判断され、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国で、町中の看板が撤去される事態となった。撮影はもちろん母親と病院の許可を得て行われている。


Cemetery 1991


Bosnian Soldier 1994
ボスニア紛争で戦死した若い兵士が着ていたシャツとズボンを撮影したもの。ユーゴスラビアの内戦の激しかった時期に、UNHCRと共同で反戦と難民の救済を呼びかけ、そのキャンペーンポスターとして使用された。日々のテレビニュースで報道される戦死者は数字でしかなく、そこでの戦争は国際政治というマスの視点から解釈される。このポスターでは、血染めのシャツとズボンという若い兵士の遺品を大写しにすることで、記号化された「死」や「戦争」を排除し、ひとりの若者の死というパーソナルな文脈へ見る者をみちびいていく。この若者はどんな音楽が好きだったのか、どんな話し方をしたのか、ガールフレンドはいたのか、軍に入隊するとき母親は彼に何と言ったのか、そうしたきわめてパーソナルな事柄を血まみれの遺品は見る者へ投げかけてくる。その点で、広島や長崎の原爆資料館に展示されている被爆者の遺品とよく似ている。このポスターもまた映像の衝撃の大きさから、ヨーロッパ各国でメディアへの掲載が拒否されたが、その一方で、日本やアメリカでは高く評価され、日米で広告賞を受賞した。日本では、1994年に一度だけ朝日新聞の30段広告として掲載された。新生児のポスターとともにトスカーニの代表作として知られている。

Benetton for Kosovo 1999


Boat People 1992


Human Rights - Women 1998


Human Rights - Men 1998
国連の世界人権宣言から50年周年を記念して、国連と共同で行われたキャンペーン。人権宣言の条文が若者たちの顔に囲まれて紹介されている。様々な人種の若者やこどもたちを登場させるスタイルは、ベネトンの広告の基本路線であり、数多くのポスターでこのモチーフがくり返しもちいられている。人種的平等を訴えるとともに、白人モデルばかりを多用するファッション業界の美的基準に対するアンチテーゼでもある。
 → Human Rights Press Release

Tongues 1991
やはり反人種差別と美意識の多様性のメッセージが込められたポスターのひとつ。「肌の色は様々でも舌の色はみんな同じ」と呼びかけている。ただし、イスラム諸国では、舌を見せる行為には性的なニュアンスをともなうため、裸のこどもたちが舌を出しているこの写真はチャイルドポルノと誤解されかねないという判断から、メディアに掲載されることはなかった。

Children on Potties 1990


Angel and Devil 1991
ヨーロッパ系のこどもをエンジェル、アフリカ系のこどもをデビルと見立て、金髪で青い目のエンジェルのステレオタイプなイメージを皮肉っている。それと同時に、肌の色に関係なくこどもたちはかわいいというカメラマン・トスカーニのまなざしも伝わってくる。1970年代にアメリカで展開された「ブラック・イズ・ビューティ」のメッセージを連想させる。

Black and White Hand 1990


Piano Duet 1991


Breastfeeding 1989
黒人の乳母が白人の赤ん坊へ乳をあげているこのポスターでは、アフリカの豊かさを欧米企業や南アの白人政権が「搾取」している様子が象徴的に表現されている。人種間の融和を表現した他の作品と異なり、人種差別をもたらす社会状況に対して、より直接的な批判のメッセージを発信している。当時、アパルトヘイトがまだ続いていた南アフリカでも、ベネトンはこのキャンペーンを展開したことから、反アパルトヘイトを呼びかけるポスターとして広く知られるようになった。一方、アメリカでは、「黒人の乳母」というモチーフが奴隷制度を連想させるとして黒人団体から抗議の声が上がった。このことは、映像によるメッセージが強いインパクトを持つ一方で、多義的に解釈されるひとつの例といえる。日本では、女性の乳首が写っていることがメディアコードにふれるため、新聞・雑誌に掲載されることはなかった。

Embraced in Blanket 1990


Kiss 1991


Handcuffs 1989
肌の色の異なるふたりの人物が手錠でつながれている。左右対称の画面構成でふたりとも同じ服を着ているにもかかわらず、多くの人はこの写真から「白人の警察官と黒人の犯罪者」を連想するのではないだろうか。天使と悪魔のポスターと同様に、肌の色によっていだく先入観を象徴的に表現している。

Hearts 1996
人種によって肌の色は様々でも、ハートはみな同じというメッセージの込められたポスター。こどもたちが舌を出しているポスターと同じモチーフだが、人間の心臓を使った映像はよりインパクトが強い。
 → Hearts Press Release

Horses 1996
白い馬と黒い馬の交尾を「自然な行為」として描写し、人間を肌の色で差別・隔離する社会のあり方の不自然さを表現している。トスカーニの所有する牧場の馬が撮影に使われた。

Pinocchio 1990
様々な色のピノキオ人形をならべたポスター。人種の多様性をテーマにしたシリーズのバリエーション。

Barbed Wire 1995
「Isolation and Communications」をテーマにした1995年のキャンペーンの中のひとつ。南アのアパルトヘイト政策をはじめとして、人種・国境・経済格差・政治思想など、人間を隔てるものの象徴として有刺鉄線が表現されている。

Electric Chair 1992
電気椅子を写したポスターで、アンディ・ウォーホールのリトグラフを連想させる。死刑廃止を呼びかけるキャンペーンとして制作されたもので、このモチーフが2000年の死刑囚広告に発展する。

Kokeshi Dolls 1999


Kokeshi Dolls 1999
原宿表参道にあつまる奇抜なファッションの若者たちをテーマにした1999年のキャンペーン。トスカーニは5日間で約200人の若者たちを取材・撮影し、キャンペーンカタログでは、その中から約80人ぶんの写真が使用され、吉本ばななのエッセイとともに構成されている。原宿の若者たちの奇抜な服装は、ファッション雑誌に言われるままお仕着せの流行を追いかけるのではなく、彼ら自身が新たな美意識をつくりだす。その奇抜なストリートファッションは、1990年代に様々な海外メディアで紹介され、新たなスタイルの発信として世界的に注目されるようになった。親日家のトスカーニも、原宿の若者たちに新たな創造性や可能性を見いだし、キャンペーン広告として取りあげた。しかしその一方で、取材した200人のうち、誰ひとりとして政治や社会について語ろうとせず、自分を着飾ることにしか興味を示さない様子について、「日本の現実を無意識に拒絶する彼らは、実は悲劇の天使なのではないか」「貧困や暴力にも増して、我々が今後直面する悲劇の前触れなのではないだろうか?」ともトスカーニは述べている。
 → Kokeshi Dolls Press Release

朝日新聞 1998.10.3 夕刊
 ベネトンの広告はいつも世界を驚かす。その広告ディレクターはオリビエーロ・トスカーニ。そのベネトンの次期広告写真の対象が日本の若者だということで波紋を呼んでいる。
 ベネトンの広告は商品を一切みせず、戦争や人種差別、エイズや環境破壊などのテーマを、一枚の写真で訴える。そんな手法は「広告はまやかしの幸福を押しつけるのではなく、社会やもの作りへの企業の姿勢をみせるべきだ」とのトスカーニの持論からだ。
 そのトスカーニの次の広告写真の対象が日本の若者となったその理由とは……
「世界の若者の多くが貧困と戦禍にあえいでいる。いまだに世界の覇者だと信じている欧米でも、若者は階級差別や失業に悩まされている。そうした問題にさらされずに生活している世界で唯一の存在が日本の若者だからだ」
 五日間に約200人を撮影した。原宿の若者たちは世界一おしゃれで清潔、暴力とも無縁で、まるで天使のようにみえた。一人一人にインタビューしたが、だれも政治や社会について語らなかった。
「日本の現実を無意識に拒絶する彼らは、実は悲劇の天使なのではないか」と思えてきた。欧州の高級ブランドと古着をさりげなく着こなした少女は「未来よりも大昔の方がいい。サルになって、この世の生まれた時まで戻りたい」と語った。
 世界で最も経済的に成功した企業戦士の子供たちは、現実感と目的を失って想像の世界に遊ぶ、こぎれいな天使だった。
「貧困や暴力にも増して、我々が今後直面する悲劇の前触れなのではないだろうか?」
……原宿の天使たちのポスターは500万部刷られ、来春、世界百二十ヶ所に配られる。


Enemies 1998


Enemies 1998
パレスチナの人々を写した1998年のキャンペーン。パレスチナ問題をめぐって自爆テロとその報復攻撃のニュースばかりが伝えられるが、パレスチナに暮らす人々の中には、互いに親交を持つパレスチナ人とユダヤ人も少なくない。ここではそうしたパレスチナ人とユダヤ人との交流が描写されている。
 → Enemies Press Release

The Sunflowers 1998


The Sunflowers 1998
「ひまわり」と題された1998年のキャンペーン。ドイツの障害児施設で撮影されたもので、ダイアン・アーバスの写真を連想させる。他のキャンペーンポスターと同様に根底には、スーパーモデルをヒエラルキーの頂点とする一元的な美意識へのアンチテーゼがある。プレスリリースには、次のようなトスカーニの言葉が紹介されている。「愚かな人々は、美しいものの中にしか美を見いだすことができない。」「表面的な美よりももっと深い何かを探し求める必要があるのです。私がこのこどもたち、若者たち、家族たちを選んだのは、彼らが本当の意味で美しいからです。」日だまりの中でダウン症のこどもが立っている2枚目の写真は、力感ある表現が特徴的なトスカーニの作品にはめずらしく、柔らかく光が回っていて、パステル画のように繊細に人物が描写されている。一方、ベネトンジャパン広報部によると、このキャンペーンに対しては、金儲けのために恵まれないこどもたちを利用しているという批判もあったという。
 → The Sunflowers Press Release
死刑囚を起用した死刑廃止キャンペーン(Death Row 2000)より、ビデオ映像・ポスター・カタログ・看板

死刑制度の廃止を呼びかけた2000年のキャンペーン。ストレートなポートレート写真によって、死刑囚たちのひとりの人間としての姿をとらえようとしている。死刑囚の姿を大きく写し出すことで、死刑囚もまたひとりの生身の人間であることを訴えている。その死刑廃止のメッセージは、論理的でも客観的でもないが、パーソナルな視点にこだわった手法は見るものに強いインパクトを与える。撮影はアメリカの刑務所で行われた。96ページにわたるカタログには、ベネトンの商品写真は一切なく、すべて死刑囚の写真と彼らへのインタビューで構成されている。内容のショッキングさから、日本や多くのヨーロッパ各国ではキャンペーンは実施されず、おもにアメリカで展開された。しかし、事件被害者の遺族や保守派から、「凶悪犯をヒーローに仕立てている」「被害者遺族を侮辱する内容」といった批判が噴出し、全米でベネトン製品の不買運動にまで発展した。また、「撮影は許可したが、広告への使用は許可していない」と刑務所からクレームがついたため、その後、ポスターやカタログの公開が差し止められた。現在、Death Rowの画像はベネトンのWebサイトには掲載されていないが、トスカーニのスタジオのWebサイトで見ることができる。

●大きな画像はこちらへ
 → ベネトン本社のオフィシャルサイト「Image Gallery」
 → ベネトンジャパンのオフィシャルサイト「広告キャンペーン」
 → STUDIOTOSCANI

● 以下TBS「CBSドキュメント」死刑囚広告の波紋 2002年12月放送より












 → ベネトンの広告について、解説と論点はこちら

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