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  ベネトンの広告


 この回の授業では、イタリアの服飾メーカー・ベネトンの広告を通じて広告表現のあり方を考えました。1980年代末から2000年にかけて、ベネトンの広告は刺激的な表現で注目を集めてきました。そこで取り上げられているのは、エイズの末期患者、コンドーム、生まれたばかりのへその緒をつけたままの赤ん坊、キスする神父とシスター、人種の問題、ユーゴスラビア内戦で射殺された若い兵士が来ていた血染めのシャツ、難民船に群がる人々、アメリカの刑務所で処刑を待つ死刑囚たちといったものです。ポスターにベネトンの商品は登場せず、それらの社会問題が鮮烈な写真によって表現されています。
 ベネトンの一連の広告は、イタリア人の写真家・広告ディレクターのオリビエロ・トスカーニ氏によって制作されました。「広告界の反逆児」と呼ばれる彼の持論は、広告は現実を直視するべきだというものです。つまり、企業は社会的存在で社会的な責任を負っており、広告も社会問題に対して企業の姿勢を示すものであるべきだというわけです。
 彼はしばしば広告が描き出す理想化された生活や人間のありかたをきびしく批判しています。非現実的なほど完璧な体型の美男美女が登場するファッションメーカーの広告、有名モデルがにっこり笑うクルマのCM、塵ひとつなく明るくこざっぱりとした部屋で繰り広げられる家族団らんを描く家庭用品のCM、そうした現実の社会問題や個人の悩みとは無縁の広告が氾濫する状況について、「視聴者を欺いている」「見る者を現実から逃避させ愚かにする」「かなわない欲望をかきたてているだけ」といった発言を様々な場でくり返しています。
 たしかに彼の指摘はジャーナリズムや芸術表現としては正論ですが、はたして、広告表現の手法として成立するものなのでしょうか。いくらそこに社会的メッセージが織り込まれているといえ、町中の看板や新聞広告に、射殺された兵士の血染めのシャツやヘソの緒のついた新生児の生々しい姿や殺人犯である死刑囚が登場することが受け入れられるのでしょうか。(実際、ヨーロッパ諸国では、不特定多数の目にふれるメディアについては非常に規制が厳しく、ベネトンのこうした広告の多くは展示が認められませんでした。)広告という商品を売るための媒体で、また、不特定多数の人々が自分の意志にかかわりなく目に飛び込んでくるものに、企業側からの強いメッセージを込めることやショッキングな映像が用いられることは許容されるものなのでしょうか。この回の授業では、この点に焦点を当てて、広告のあり方を考えることにしました。


 生命誕生の瞬間を撮影した新生児のビジュアルは、写真がもたらすそのあまりのリアリティーにより、ヨーロッパ各国ではビルボードを撤去する騒ぎが起きたが、美術館などからは、「すべての人間が経験する最初の瞬間は、人間はすべて裸であり、衣服を必要としていることを知るべきだ。これはその瞬間を端的に象徴している」と、むしろ歓迎されたという。(「広告批評」1999年9月号より)


【課題】
 次の資料はユーゴスラビアの和平を呼びかけるポスターです。ユーゴスラビア内戦の激しかった1994年に、イタリアのアパレルメーカのベネトン社によって制作されました。


Bosnian Soldier 1994

 当時のユーゴスラビアでは、共産主義体制崩壊後の混乱の中で、極端なナショナリズムをとなえる政治指導者によって民族間の憎しみがあおられ、やがてその対立は、武器を手にした市民同士による市街戦へとエスカレートしていきました。この内戦では、兵士の多くはにわかづくりの民兵たちで、互いに顔見知りの隣人同士が民族や宗教のちがいをめぐって銃口を向け合い、各地で民間人に対する大量虐殺が行われるという凄惨な事態をまねきました。この内戦によって、ユーゴスラビアは解体され、各共和国はそれぞれ独立することになりましたが、内戦から10年以上たったいまも、隣人同士で殺し合った記憶は、バルカン半島の人々に暗い影を投げかけています。
 また、ユーゴスラビアの内戦は、多くのヨーロッパの人々にとって非常にショッキングな出来事でした。ヨーロッパの社会は、18世紀以降、ナショナリズムのぶつかり合いによる戦争を幾度となくくり返してきましたが、第二次世界大戦を最後にそうしたナショナリズムの問題を克服してきたと多くの人は考えていたからです。例えば、フランスとドイツは近代の歴史の中で何度も戦争をしてきましたが、21世紀のいま、フランスとドイツの間に戦争が勃発するのはもはや考えられない状況です。ところが、ユーゴスラビアの内戦では、民族対立による殺戮が21世紀を目前にして再びくり返されてしまったわけです。
 このポスターはそういう中でユーゴスラビアの和平と難民の救済を呼びかけるキャンペーンとして制作されたものです。ポスターの制作者であるオリビエーロ・トスカーニ氏は、「広告は現実の問題をもっと取りあげるべきだし、そうした問題に企業が取り組む姿勢を示すことこそが最大の広告になる」という主張を様々な場で展開しています。つまり、企業には社会的責任があり、その社会的責任についての企業の考え方や取り組みを広告を通じてアピールし、それに賛同する人たちが商品を買うというのは、企業と消費者の関係として最良のコミュニケーションだというわけです。

 あなたはこのユーゴスラビアの反戦を呼びかけるポスターをどのように評価しますか。次のAとBの会話を読み、あなたの考えを書いてほしい。


A「このポスターは戦死した若い兵士の遺品を大きく映し出すことで、もうこの世界にはいないひとりの若者のことを見る側に想像させているよね。血まみれになって死んでいったこの17歳の若者はいったいどんな若者だったのか。彼はどんな音楽が好きだったのか、うれしいときにはどんな顔で笑ったのか、恋人はいたのか、軍に入隊するとき彼の親はなんと言ったのか。そういう私的なことを見る側へ想像させることで、このポスターはユーゴスラビアの和平を訴えている。戦死者のことを「ただの数字」や「どこかの誰かの死」としか思っていなければ、和平の呼びかけに共感することなんてないからね。そういう意味で、手法としては、広島や長崎の原爆資料館に展示されている被爆者の遺品によく似ていると思う」

B「たしかにインパクトのあるポスターだね。原爆資料館に展示されている黒こげになった服や弁当箱が被爆者たちになにがおきたのかを雄弁に語っているように、このポスターも言葉でユーゴ紛争について解説されるよりもずっと印象に残る。ユーゴ紛争で、兵士の多くがこの17歳の若者のように、にわかづくりの民兵だったこともポスターから伝わってくる。だから一枚のポスターとしては優れていると思うし、これが日米で広告賞を受賞したのも納得できるよ。ただ、この血で真っ赤に染まったTシャツの映像は、あまりにも強烈で暴力的だよ。いくら現実に起きていることとはいえ、このポスターを公共の場へ展示して、不特定多数の人へ見せようっていうのは、無茶じゃないかな。想像してみなよ、電車の釣り広告にこのポスターが使われているところさ」

A「うーん、たんに映像がショッキングというだけなら、ホラー映画のポスターなんかはもっとどぎついものがたくさんあるよ。血まみれのゾンビがチェーンソーを持ってせまってくるポスターとか。ベネトンのポスターがショッキングなのは、映像としてのどぎつさではなく、そこに映し出されているものが「事実」であることだよね。でも、こういう大事なことを訴えているポスターこそ、公共の場に展示して、多くの人に見てもらうことに意義があると思うよ。ほら、ユニセフが紛争地のこどもの救済を呼びかける広告で、よくアフリカの飢えたこどもたちの映像を使っているよね。難民キャンプで撮影されたがりがりにやせた姿のこどもが出てくるコマーシャル。あのユニセフの広告だって、こんな悲惨な映像をテレビで流すなって怒る人もいる。たしかにあれを見て愉快に感じる人はいないだろうけど、だからといって、不愉快だから放送するなって言うのは、自分の都合のことしか考えていないように思うよ」

B「でも、このポスターの場合、ユニセフのような国連機関と違って、ベネトンっていうファッションブランドが制作したものだよね。もうけを目的に活動する私企業がこういうポスターをつくって、反戦や人道支援を呼びかけるのは偽善的な感じがするよ。ベネトン側は商品の売り上げをのばすためにこういうポスターをつくっているわけではないって主張してるけど、本音はどうかわからないわけだし」

A「まあ、企業にも社会的な責任はあるわけだし、利益とは関係なく、企業がこういうポスターをつくることに意義はあると思うよ。それにベネトンの場合は、ポスターをつくってるだけじゃなくて、CSRとして国連の人権機関や難民救済機関にも協力しているわけだよね。たとえ、もしそれが売名目的の宣伝活動だったとしても、良いことをして企業評価を上げてるわけだから、批判されるようなことではないと思うよ」

B「そうかなあ。もし、セーターの売り上げを伸ばすためにこういう広告やCSRをやってるんだとしたら、他人の不幸を自分たちのもうけに利用することになるわけでしょ。その点で釈然としないよ」

A「でも、それだと人気タレントやモデルがにっこり笑って商品をアピールするようなうわべばかりの広告が氾濫することになってしまうよ。実際には大勢の社員をリストラしていたり、中国や東南アジアの工場で劣悪な労働条件を現地の人々に押しつけていたり、汚染物質をたれ流していたりするのに、広告の中では、そんなこと一切ないかのように人気タレントがにっこり笑っている。実際、そういう企業はたくさんあるけど、そちらのほうがずっと偽善的なんじゃないかな」

B「たしかに発展途上国の人々に劣悪な労働条件を押しつけて製造したものだったら、それがどんなに安くても、あるいは機能やデザインが優れていても、買うのは気がとがめるね。だから、企業にも社会的責任があるという考え方には賛成だよ。でも、そういう社会問題の追及は報道機関の役割であって、わざわざ広告でやる必要はないんじゃないかな。なので、企業広告は人気タレントがにっこりでかまわないと思うよ」

A「でも、企業がこういうポスターをつくることは、社会問題に目を向けるひとつのきっかけになるよ。例えば、ベネトンが1989年に制作した、白人の赤ちゃんが黒人女性の乳を吸っているポスターは、アフリカの豊かさを白人が搾取している社会状況を象徴的に描いたものだけど、これは当時、南アのアパルトヘイトに抗議する国際世論を喚起したとして評価されている。一枚のポスターにはそういうふうに社会を動かす力もあるはずだよ」


Breastfeeding 1989

B「それは国連やNGOがやるぶんにはいいと思うんだけど、企業がブランドイメージの確立をねらって、こういう社会正義を訴えるようなポスターを制作するのは、やっぱりあざとい感じがするよ」

A「現在では、ステルス・マーケティングやタイアップ広告のような、広告と気づかせずに商品をすり込んでいく手法がネットやマスメディアに氾濫しているよね。それに対して、ベネトンの一連の広告は、「自分たちはこう考える」というのをアピールして、それに賛同してくれる人たちが自分たちに興味を持ってくれたらいいなというやり方をしている。そういう意味では、ものすごく直球勝負の広告じゃないのかな。オリビエーロ・トスカーニも言っているように、企業が広告の中で自分たちの考え方や社会的取り組みをアピールして、それに賛同する人たちが商品を買うというのは、企業と消費者の関係として理想的なものだと思うよ」

B「でも、反戦や反アパルトヘイトならまだしも、2000年の死刑廃止キャンペーンみたいに、賛否の分かれる問題を企業が一方の立場から、広告として発信するのは傲慢だと思うよ。実際に事件の被害者遺族の中からはベネトンの死刑囚広告は許せないって声もあったし、こうしたデリケートな社会問題について、センセーショナルな広告キャンペーンを行うのはちょっと無神経じゃないかな」


Death Row 2000

A「欧米の企業の場合、スターバックスが同性婚を支持したり、ナビスコがゲイパレードの記念クッキーをつくったり、賛否の分かれる社会問題に企業としての立場を表明するのはよくあることだよ。むしろ、日本の企業のほうがこうした人権問題に鈍感すぎるんじゃないかな。それにベネトンもスターバックスもナビスコも、たくさんある私企業のひとつにすぎないわけだから、死刑廃止や同性婚支持の意見表明に納得できなければ、消費者は商品ボイコットをすることでいくらでも対抗できるよね。今後いっさい、ベネトンの服を着なくても、スターバックスのコーヒーを飲まなくても、あるいはナビスコのオレオ・クッキーを食べなくても、生活に困ることはないはずだよ。意見広告で問題なのは、電力会社が一方的に原発推進のメッセージを流したり、政府が政策推進のメッセージを流したりするケースで、こちらは独占状態にあるわけだから、人々には対抗手段がない。原発に反対でも地域の電力会社を使わざるを得ないし、政策に反対でも税金を払わないわけにはいかない。それに対して、ベネトンの死刑廃止キャンペーンの場合は、商品ボイコットも覚悟の上でやっていたわけだから、フェアだと思うよ」

B「うーん、ベネトンのような巨大な多国籍企業の場合、広告の影響力も大きいから、気に入らなければ商品ボイコットをすればいいではすまない問題だと思うよ。納得できない人たちに同じだけの反論の場を提供して、アクセス権を保障しないかぎり、フェアとはいえないと思うんだ」

A「マスメディアへのアクセス権は、権力への対抗手段という考え方が根底にあるわけだから、それが保障されるべきなのは、むしろ政府広報や電力会社の原発推進広告のようなケースじゃないかな。世論誘導としてはこっちのほうがはるかに深刻な問題なんだから」

B「そうかなあ、ベネトンの一連の広告の場合、ベネトンへの注目を集めるために、わざとショッキングな映像をつかったり、戦争や人種差別や死刑といったショッキングなテーマを取りあげたりしているように見えて、釈然としないんだけど……」

A「でも、ベネトンの一連のポスターは、おもしろ半分にショッキングな映像を使ってるわけじゃなくて、現実に起きている社会問題に目を向けてもらおうとして、あえてやっているわけだよね。もしも、ユーゴ和平を呼びかけるこのポスターが、「人々に不快感を与えないため」という理由から、紙おむつや生理用品の広告のように血を青い色に加工してあったら、そのほうがずっと不誠実だと思うよ。それこそポスターの中の17歳の若者の死を冒涜する行為ではないかな」

B「そうは言っても、実際、このポスターはほとんどのヨーロッパ諸国で公共の場への展示が認められなかったわけだよね。ヨーロッパ諸国の場合、不特定多数の人が目にする街中の看板やテレビの地上波については、日本よりもずっと規制が厳しいからね。そういう意味で、この血で真っ赤に染まったポスターはあまりにもショッキングだし、不特定多数の人の目に触れる場に展示するには、もっと配慮が必要だと思うよ。広告っていうのは、本人が能動的に見るものではなく、向こうから一方的に飛び込んでくるものだからね」



CSR  企業の社会的責任のこと。「Corporate Social Responsibility」の頭文字。フィランソロピーやメセナのような、慈善事業にお金だけ寄付してさようならというものとは異なり、企業が社会へ与える影響に責任をもち、社会からの様々な要求に対して適切な意思決定をすることを意味している。

アパルトヘイト  南アフリカ共和国で1994年までつづけられた人種隔離政策のこと。人口で15%の白人が多数派の有色人種を支配する手段として人種間の隔離がおこなわれ、黒人たちは電気も水道もないスラム街へ押し込められていた。

ステルス・マーケティング  消費者に広告と気づかせずに商品をすり込む手法のこと。日本では、もっぱらクチコミを装ったバイラル・マーケティングのことを意味し、「ステマ」の略称で呼ばれている。例えば、学校で人気のある若者に企業が新製品を貸与し、宣伝であることをふせて「うん、これけっこう良いよ」と彼らに言わせ、それとなく周囲にすする。あるいは宣伝担当者がユーザーになりすまして、ネット上で「ついに買っちゃいました、めっちゃいいです」等の発言をくり返すといった行為である。こうしたバイラル・マーケティングは2000年代半ばのアメリカではじまり、社会問題化したため、現在、欧米の多くの国では、消費者を欺く行為として法的に規制されている。日本では規制がないため、とくに匿名性の高いネット上ではこの種のやらせが氾濫していると言われている。

タイアップ広告  映画やテレビ番組や雑誌記事と連動した広告手法のこと。たとえば映画では、企業がスポンサーとなって資金提供をする見返りとして、映画の中にその企業の商品を登場させる。近年のハリウッド映画では、数分に一回くらいの割合で画面の中にタイアップ企業の商品が登場する。とくに主人公が愛用している腕時計やスポーツカーといった重要なアイテムは、ほぼまちがいなくタイアップ商品であり、登場回数や見せ方まで広告契約で規定されている。また、雑誌やテレビドラマの中でモデルや俳優が使用している服やバッグもタイアップ広告であり、とくにファッション雑誌は一冊丸ごとタイアップ広告というのが実態である。こうしたタイアップ広告も、ステルス・マーケティングと同様に、消費者に広告と意識させずに商品をすり込む手法のひとつである。

アクセス権  新聞記事やテレビ番組や広告などによって批判された人や団体がマスメディアへアクセスし、反論する機会を得る権利のこと。日本では、産経新聞が自民党による共産党批判の意見広告を掲載したことをめぐって、共産党が同じだけの反論の場を提供するよう新聞社に要求したケースがアクセス権の例として知られている。





【補足】
 ベネトンを離れた後、しばらく話題を聞くことがなかったオリビエーロ・トスカーニですが、2007年、イタリアのファッションブランド「Nolita」と組んで、反拒食症を呼びかけるキャンペーン広告を展開しています。イタリア保健省も参加したかなり大がかりなキャンペーンのようで、イタリア国内だけでなく、ヨーロッパ各国で話題になっています。手法はベネトン時代と同様に、インパクトのあるショッキングな写真を用いて「この事実から目をそむけるな」と呼びかけるというスタイルです。今回もまた、彼のキャンペーン広告はヨーロッパのファッション業界や広告業界で論争をまきおこしています。









やせ過ぎに「No」! イタリアで大御所写真家が広告キャンペーン
AFP BBNews 2007年 09月 25日 14:23:58
【9月25日 AFP】伊アパレル大手ベネトン(Benetton)の広告キャンペーンで知られる写真家オリビエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)が24日、センセーショナルなビジュアル広告の「やせ過ぎ防止」キャンペーンを展開した。

■「やせ過ぎに“No”」
 やせ細った女性の裸体の上に「やせ過ぎに“No”」というスローガンが描かれたこの広告は、伊アパレル「NOLITA」がスポンサーとなり、24日付けの全国紙レプブリカ(La Repubblica)に掲載された。イタリア保健省の支援も受けており、全国の広告看板にも掲示される予定だという。
 トスカーニは「長い間、拒食症に関心を持っていた。誰の責任なのか?メディアか?テレビか?ファッション業界か?だからこそファッションブランドがこの問題の重大さを理解・認識し、この広告のスポンサーになることは、非常に重要なことだ」とANSA通信に語った。

■地中海的な美を求めて
 06年末、イタリア政府と国内のファッション業界は、反やせ過ぎキャンペーンを展開し、「健康的で快活で寛大な地中海のような美しさ」への回帰をうたった。
 トスカーニは、ベネトンが制作する、人種主義などの難しい問題を取り上げた強烈な広告宣伝の考案者として知られている。(c)AFP


「やせ過ぎ警鐘」広告、政府・ファッション界から様々な反応
AFP BBNews 2007年 09月 26日 13:12:48
【9月26日 AFP】伊アパレル大手ベネトン(Benetton)の広告キャンペーンで知られる写真家オリビエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)が24日に開始した、センセーショナルなビジュアル広告による「やせすぎへの警鐘」キャンペーンに対し、同国政府およびファッション業界から賛否両論の声が巻き起こっている。
 やせ細った若い女性の裸体の上に「やせすぎに“No”」というスローガンが描かれたこの広告は、伊アパレル「NOLITA」がスポンサーとなり、08年春夏ミラノ・コレクションの最中である24日、全国紙レプブリカ(La Repubblica)に見開きページで掲載された。このほか、イタリア全国の広告看板にも掲示されている。

■国内から賛否の声
「トスカーニの手腕は見事。実に効果的なキャンペーンだ」と語るのは、イタリアのエンマ・ボニーノ(Emma Bonino)欧州政策相兼貿易相。リビア・トゥルコ(Livia Turco)保健相も同広告に称賛を贈り、支持する意向を示している。
 一方、ローマにある摂食障害センターのエミリア・コスタ(Emilia Costa)所長は、このキャンペーンが悪意ある人々に悪用される可能性があることを指摘。内分泌学者のFabrizio Jacoangeli 氏は、「この広告キャンペーンの効果がどれほどか判断しがたい」としながらも、拒食症患者の間でこの写真のような女性になろうとする「競争」が生じる危険性を懸念している。

■ファッション界の反応は?
 ミラノのファッション業界は、この広告キャンペーンを肯定的に捉えている。だが、デザイナーのドメニコ・ドルチェ(Domenico Dolce)とステファノ・ガッバーナ(Stefano Gabbana)は、「ついに真実が語られただけのこと。拒食症のまん延はファッション業界の責任ではなく、精神的な問題だ」と手厳しいコメントを寄せた。一方、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)は、ファッション・ショーの最後に「強烈なビジュアル広告を使ったこのキャンペーンは、絶妙のタイミングで開始された」と述べている。

■写真モデルが語る「やせ過ぎ」の実態
 この広告写真のモデルになったのはパリ在住の仏女優イザベル・カーロ(Isabelle Caro)さん(27)。13歳の頃から拒食症に苦しんでいるカーロさんは「やせすぎは全然美しくないし、死ぬ危険さえある」と話す。写真のモデルになった理由は、若い女性たちにやせ過ぎることの危険性を分かってもらいたかったからだという。「若い女性たちが、ファッション誌に出てくるきれいな服やヘアスタイルの背後に、何が隠されているのかを考えるきっかけになってほしい」
 カーロさんは15年以上にわたり、拒食症による体重減少が危険域に達するたびに入院を繰り返している。現在、身長165センチに対し、体重はわずか32キロ。だが、この5年間で5キロ増え、写真の撮影当時からも2キロ増えているそうだ。(c)AFP


トスカーニ氏、「やせ過ぎ警鐘」広告への批判に反論
AFP BBNews 2007年09月27日 18:17 発信地:ローマ/イタリア
【9月27日 AFP】伊アパレル「NOLITA」が全国で展開した「やせ過ぎへの警鐘」キャンペーンに対し、「拒食症の少女たちが広告のモデルとなったフランス人女優イザベル・カーロ(Isabelle Caro)さんをお手本にする危険性がある」という批判が出ている。これに対して26日、写真家オリビエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)氏が反論した。

■「現実を反映したもの」
 「過激な手段に訴えると、反対する者が必ず出てくる」とトスカーニ氏。さらに、これは人に無意味な衝撃を与えるものではなく、現実を反映したもの」とつけ加えた。
 やせ細った女性の裸体の上に「やせ過ぎに“No”」というスローガンが描かれたこの広告は、「NOLITA」がスポンサーとなり08年春夏ミラノ・コレクション期間中の24日に、全国紙レプブリカ(La Repubblica)に掲載された。
 「私の写真を使った広告を拒食症の少女が見たら、『無理なダイエットをやめなければ』と考えるのが普通だ。写真が彼女らに危害を加えることなどあり得ない」

■カメラマン=時代の証言者
 トスカーニ氏が、拒食症問題に関心を持ったのはファッション界で働くようになってからだという。
 「ファッション界の独特の環境が、少女たちに『やせよう、ダイエットしよう』という気持ちを起こさせる。2006年にロカルノ映画祭(Locarno film festival)で上映された、拒食症にかかった16歳の少女の短編映画を撮っている間に、この問題を研究した」
 トスカーニ氏は冷静な姿勢で拒食症問題に臨んでいるという。「拒食症に衝撃を受けたり、強い影響を受けたことはない。カメラマンは時代の証言者であるべき。宣教師のように説教をして回るのではなく、ジャーナリストして自分の仕事を通じてこの問題を訴えていく」と語った。(c)AFP


仏ファッション界、「やせ過ぎ警鐘」広告への意見分かれる
AFP BBNews 2007年 09月 28日 18:08:59
【9月28日 AFP】イタリアで展開されている「やせ過ぎ」に警鐘を鳴らす広告に対して、フランスのファッション業界が二分する事態となっている。高級志向のオートクチュール業界はこの広告を「スキャンダラスだと見ている一方、プレタポルテ業界では、やせ過ぎのモデルをファッション業界からなくすための動きとして歓迎している。
 29日から08年春夏パリ・コレクションがスタートするフランスでは、これまで「やせ過ぎ」モデルのショー出場、雑誌、広告ポスターへの登場を規制する動きは起きていない。

■広告モデル「病気を通じメッセージを送りたい」
 写真家オリビエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)氏は、身長165センチ、体重わずか32キロの仏人女性イザベル・カーロ(Isabelle Caro)さんをモデルに起用。伊アパレル「NOLITA」がスポンサーについたこの広告には、「やせ過ぎに“No”」というスローガンが描かれ、24日から全国の広告看板や雑誌に登場している。
 モデルとなったカーロさんは、「この機会に、私の病気を通してメッセージを送ることができればと思った。『やせていること』が表すイメージと、それが引き起こす死の危険性を伝えたい」と語った。

■オートクチュール協会「品位を落とす」
 パリオートクチュール協会(The French Couture Federation)のディディエ・グランバック(Didier Grumbach)会長は、「この広告が、フランスでなくて良かった。これは、本当にスキャンダルなもの。人々の病気を使って、名声を得るのは悲しいこと。我々が目にしているのは、非常に深刻な社会問題に打撃を与える、ブランド側の扇動です」
「この女性はモデルではありません。これは低俗な行いであり、品位を落とすものです」

■プレタポルテ協会「見せる必要がある」
 しかし、仏婦人プレタポルテ協会(The French Federation of Women’s Ready-to-Wear)のJean-Pierre Mocho会長は、「人々に(拒食症を)見せなければ夕食の際の会話程度で終わってしまっていただろう。みんなに悲劇を見せる必要がある」と反対の姿勢を見せる。
 Mocho会長は、やせたモデルを起用することと拒食症との関係性に関して世界の関心が高まっているのに合わせ、フランスでも同様の関心を起こすような断固とした手段を求めているとし、「企業の規模に関わらず、手段は講じられるべき」と語った。
 さらに会長は、「指針は示すが法的条件を含まない」文書作成に向けフランスが動いていることに懸念を示している。

■国際モデル事務所組合「拒食症とモデルをまとめるべきでない」
 06年に起きた南米出身のモデル2人の死亡をきっかけに「やせ過ぎ」問題への関心が高まる中、仏オートクチュール業界とプレタポルテ業界の指導者らは、保健・連帯省が1月に発足させたワーキンググループに加入した。しかし、同省関係者によれば、5月に作成された「身体イメージに関する文書」の微調整を行うための協議は延期され、10月まで開催される予定はないという。
 フランスのモデルエージェンシーは、政府の認定を受けねばならず、16歳以下のモデルを起用する場合は、定期的な検診を受けさせ、政府から特別許可を取得しなければならない。
 国際モデル事務所組合(National Union of Model Agencies、UNAM)のIsabelle Saint-Felix会長は、この広告を知らないが「拒食症とやせたモデルをひとまとめにすべきではない」と語った。
「フランスではモデル事務所に関する特別な法令がある。ほかの何よりも、こういった法令を推進するために、我々は行動すべきです」(c)AFP


「やせ過ぎ警鐘」ポスター、ミラノ市営看板から撤去
AFP BBNews 2007年 10月 03日 13:17:54
【ミラノ 3日 AFP】ミラノ(Milan)市長が、イタリア各地に掲載された、「やせ過ぎの警鐘」キャンペーンのポスターを、市が管理する看板から撤去するよう命じたことが2日、明らかになった。
 ミラノは、イタリア国内で2番目に、拒食症モデルの裸体の上に「やせ過ぎに“No”」というスローガンを描いた広告を掲載していた。
 広報担当者は、「市長は、市が管理する看板からこのキャンペーン広告を下ろすよう命じた」とコメント。私有の看板では、これまで通りポスターの掲載が可能。
 拒食症問題を提起する「やせ過ぎ警鐘」キャンペーンを撮影した、写真家オリビエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)氏は、今回の決定に対し、「ミラノは恥ずべき市長」を持ったと激しく反発している。トスカーニ氏は、これまでもアパレル大手のベネトン(Benetton)の広告等で、人々に衝撃を与える写真作品を発表してきた。
 前月24日に発表された同キャンペーンは、今もなおイタリア全土で賛否両論の激しい論争を巻き起こしている。フランスでは、広告の自主規制団体BVPが看板の所有主に対しポスターを掲載しないよう呼びかけている。(c)AFP

 → Nolita
 → フランス通信社 AFP BBNews 2007年09月27日「トスカーニ氏、「やせ過ぎ警鐘」広告への批判に反論」
 → ドイツ語新聞記事「オリビエーロ・トスカーニの、拒食症に反対するショック療法込みキャンペーン」



 また、2009年には、イタリア・トスカーナ州の伝統的な革加工技術を紹介する展示会が東京・青山で開催され、写真撮影と展示会のキュレーターを担当したトスカーニ氏も来日しています。
オリビエーロ・トスカーニの写真展、職人技、立体的に
朝日新聞 2009年6月22日11時1分
 イタリア・トスカーナ州の伝統的な革加工技術を世界に伝えようと、ユニークな展覧会「ハンドメード・イン・イタリー」展が先月、東京・青山で開かれた。展示されたのは様々な革製品を写した巨大な写真パネル約40点とオブジェ。写真を撮り、自らキュレーターを務めたのはイタリアを代表する写真家オリビエーロ・トスカーニだ。
 「ルネサンス以来続く職人技の美しさに打たれた。未来に残したいと思ったんだ」
 同州のイタリア植物タンニンなめし革協会加盟の工房で、植物の抽出液だけでなめされた革を使った靴やバッグ、いすなどをトスカーニが1点ずつ撮影した。2メートル四方の写真から、何百年も受け継がれてきた手仕事が生む、革の深い色合いと上品なつやが立体的に浮かび上がる。
 「そもそもこの世界的な経済危機は、職人たちが自分の跡を継がせるべき息子らを大学に通わせたりしたのが原因だ。結果、何の役にも立たない金融マンや弁護士があふれたってわけさ」と肩をすくめる。
 エイズや人種問題をテーマにしたベネトンの広告で知られ、最近ではやせ細ったモデルを写した拒食症のポスターでファッション界に衝撃を与えた。
 「エイズも拒食症も現実の告発に過ぎない。私が嫌いな社会の断面を切って見せただけ。だが、職人の仕事には、私の好きな、信じ続けたい世界がある」
 イタリアでも日本でもいま、一番大切なのはもの作りの精神だと、身を乗り出して言った。「ひとつひとつ、自分の手で作る。その姿勢が、私たちの未来を救うのだ」(菅野俊秀)
 → asahi.com 「オリビエーロ・トスカーニの写真展、職人技、立体的に」 2009年6月22日11時1分
 → 忘れ物王見聞録 「2009年6月2日 オリビエーロ・トスカーニ」(この展示会を見に行ったかたのブログ)



 一方、トスカーニ氏の去ったベネトンですが、その後も積極的に社会問題を取りあげる広告を展開しており、2011年の「UNHATE」キャンペーンは、各国首脳や宗教指導者をキスさせるというインパクトのあるポスターによって日本でもずいぶん話題になりました。タイトルのとおり「憎みあうのはやめようよ」と呼びかけている現代版ラブ&ピースのメッセージ・キャンペーンですが、日本のメディアでは、ポスターの滑稽さばかりが強調されていたのは少々残念なところでした。Youtubeに掲載されている動画を見ると、キャンペーンの文脈が見えてくると思います。













大物同士の合成キス写真に物議
朝日新聞 2011年11月17日
 イタリア衣料大手ベネトンが16日から始めた世界規模の広告キャンペーンが、物議を醸している。「アンヘイト(憎しみ反対)」と題して、対立関係にあるとされる指導者がキスする合成写真を使っているためだ。ローマ法王庁(バチカン)の抗議で一部は取り消されたが、キャンペーンは続いている。
 キスの合成写真は、オバマ米大統領と中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記と韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領、ローマ法王ベネディクト16世とイスラム教スンニ派の最高権威アズハルのタイイブ総長といった組み合わせだ。
 AP通信などによると、バチカンの広報官は「法王の写真を改ざんし、商業目的で使うのは絶対に受け入れられない。尊敬の念がなく、信徒の感情も侮辱している」と抗議した。ベネトン側は謝罪し、間もなくこの写真は取り消された。

ベネトン「UNHATE」がカンヌライオン・プレスグランプリ受賞
apparel-web.com 2012/06/29
 伊カジュアルウェアブランド「ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン」が2011年11月に発表したグローバル広告キャンペーン「UNHATE」が、6月17―23日に開催されたカンヌ国際クリエイティブフェスティバル2012で、プレス部門のグランプリを受賞した。
 ベネトングループの会長アレッサンドロ・ベネトンはこのニュースについて、「UNHATEキャンペーンで、私たちは、コミュニケーションと相互理解を通じて、憎しみ合う文化を乗り越える必要性について世界にメッセージを送りたかった。これを伝えるために私たちはオンラインインタラクションを通してもっとも民主的で現代的なメディアをつかうことにした。」と述べた。
 友愛をテーマにしたキャンペーン「UNHATE(=反・憎悪)」は、敵対している世界各国の首脳や指導者がキスを交わすというもので、2011年11月の発表時には、TwitterやGoogleでたちまちトレンドとなるなど、その衝撃的な内容が世界で話題を呼んだ。作品は、米LAとオランダのアムステルダムに拠点を置くデザイン・広告会社72andSunnyと共同制作によるもの。




 オリビエロ・トスカーニのポスターが優れている点は、たんに映像が刺激的だからではなく、社会的な記号を排除し、ひとりの人間の存在という生々しさにこだわっているところにあると思います。ボスニアの内戦で射殺された若い兵士の血染めのシャツのポスターでは、遺品であるシャツとズボンのみを大きく映しだすことで、すでにこの世界からいなくなってしまったひとりの若者に焦点が当てられます。ボスニア内戦を伝えるニュースでは、数字でしかなかったはずのひとりの兵士の死が、一枚のポスターによって17歳の若者としての生身の姿がそこに現れてきます。彼はどんな音楽が好きだったのか、どんな話し方をしたのか、ガールフレンドはいたのか、軍に入隊することになったとき母親は何と言ったのか、ポスターの中の遺品はそうしたきわめてパーソナルなことがらを訴えてきます。へその緒のついたままの血まみれの新生児の写真では、その圧倒的な映像の生々しさによって、それまで抱いていた「小さな天使」「かわいい赤ちゃん」といったステレオタイプの解釈が拒否されます。それによって、ひとりの人間がこの世界へ生まれることの壮絶さとその子がこれから生きていくことになるこの世界について、目を向けざるを得なくなります。死刑囚のポスターでは、ストレートなポートレート写真によって、まもなくこの世界から去っていく人間がそこにいるということが提示されます。同情を求めるわけでもなく、罪を告発するわけでもなく、ただ、彼らがそこにいることを提示することで、まもなくこの世界からいなくなる人間がそこにいるというのはどういうことなのか、そういう人間がいるこの世界とはどういう世界なのか、そんな根源的な問いを投げかけてきます。死刑囚広告については、彼らが犯した犯罪にいっさい触れていないのはフェアーではないと批判されましたが、その問いかけに焦点をしぼるため、トスカーニはあえて触れなかったのではないかと思います。彼の作品のパーソナルな視点へのこだわりは、ダウン症のこどもの写真でも原宿の若者の写真でもパレスチナの人々の写真でも一貫しています。逆にいうとだからこそ、そのポスターは生々しく、ショッキングに見えるのだと思います。ただ、そうしたひとりの人間がそこに「いる」あるいは「いた」ことの生々しさを表現することが、広告としてふさわしいのかどうかはわかりません。そこに「UNITED COLORS OF BENETTON」というロゴが入り、商業的なポスターとしてその映像が多くの人の目にふれるというのは、ひどく乱暴なことをやっているようにも思います。

 映像によるメッセージは、言葉で語られたものと異なり、自分が影響を受けていることを自覚しにくいものです。しかし、感覚に直接訴えてくるため、好悪や美醜といった価値観にもたらす影響力はむしろ言葉によるメッセージよりも強いのではないかと思います。言葉で語られたものには批判的で用心深い人でも、映像が語りかけてくるものについては無意識のうちに影響されていることが多いのではないかと思います。広告の映像は効果を計算してつくられているので、そのぶん、注意深く見ていけば、作り手がそこにどういうメッセージを込め、どういう効果を狙っているのか読みとることができます。ただ一方的にメディアに振りまわされないよう、ときには注意深く見て、作り手の意図を読みとっていくことが必要ではないでしょうか。私たちの行動は言語的な論理以上に、好みや感覚といったものに大きく左右されているのではないかと思います。(2004-2012)


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