青春の木漏れ日
ある生徒さんが高校を卒業し、新生活へとスタートしたときに、お母様がこうおっしゃっていました。
「この数年というもの、自分がもう一度青春を過ごしているかのような、不思議な気持ちでした。」
なんとも幸せそうな言葉ですね。お母様のこれまでの苦労も報われたことでしょう。お子さんが、お母様の『青春の忘れ物』を持ってきてくれたのでしょうか。お母様のこれまでの苦労が報われるような言葉です。
当時を少し振り返ってみましょう。下の2つの画像は、その生徒が高校2年の発表会のときに撮られたもので、その頃の様子は、発表会のプログラムに次のように書かれています。
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彼女らはバレエ以外のところでも仲が良く、共に遊びに行ったり、教室に集まって勉強したりと、青春の日々を過ごしているようです。彼女らを見ていると、この舞台はおそらく彼女らの思い出に残る舞台になるのだろうなと思えて来ます。
それは自らの演じる役の華やかさなどによるものではなく、自分を過大評価せず、互いを信頼しその信頼に応えようとする、むしろ華やかさからは遙かに遠いところにある人間関係に根ざして舞台に向き合っているからです。このような思い出は、その後の人生にとっても貴重なものとなっていくでしょう。
キラキラと輝く木漏れ日のような青春を感じ取っていただけるでしょうか。
この発表会のあとは、トウシューズを「月刊大学への数学」に持ち換えて当教室に通い続け、大学へと進学していきました。受験勉強にあけくれる日々さえもが、生き生きとした日々として、お母様の目には映っていたのでしょう。
今これをお読みのお母様にとっては、もっとずっと先のことのように思われるかもしれません。このお母様にしても、バレエを始めたときには、この日のことを想像することもできなかったでしょう。でも、その日は訪れた。そして、ここをお読みのお母様にも、いつか、何らかの形でその日は訪れる。
もちろん、待っていればある日突然訪れてくるような日々ではありません。幼い頃からのひとつひとつの『初めて』との出会いを母と娘で積み上げてゆくことで、こういった気持ちになれたのだと思います。そのために必要なのは、『初めて』と出会うための小さな勇気と、出会いを楽しむ心、そして、ほんのちょっとの幸運でしょうか。
良い想い出は、必ずと言っていいほど、大きな成果ではなく小さな出来事で語られるものです。小さい頃から歩んできた日々の全て、淡々とレッスンが続く毎日と、ときおり訪れる発表会などの華やかな日。あるいは、もっと何気ない全て、無邪気な語らいや、仲間たちと笑い転げる日々。無駄に悩んだ日々や、いつか通らなければならない、ひとり勉強に打ち込む日々。そんな小さな物語こそがよい思い出として人の心に残ります。それらの全てが込められたのが、あの笑顔であり、あのひとことなのでしょう。
感動には、華々しい何かが必要なわけではありません。どの子にも、自ら伸びる、伸びていける方向というものがあります。お子さんの伸びようとする方向と、周囲の環境が一致したとき、その子はキラキラと輝きます。その輝きが、周りの人の心を動かすのです。
私たちと一緒に、お子さんのキラキラを探してみませんか? 私たちが全力でお手伝いさせていただきます。