AYUCA・金井優子の現地報告日記4

 現地で活動している当会・金井優子の報告です('99年2月12日〜2月19日)。


2月12日(金)

 私用でサンペ(サン・ペドロ・スーラ)にいて、この日の午後から雨が降り始める。再びフレンテ・フリオ(寒冷前線)が来たようだ。


2月14日(日)

 サンペからにトルヒーヨにバスで戻る。連日の雨で川が増水し、ラセイバの手前の橋3つが車では通れない状態。土砂降りの雨の中、この3つの橋を歩いて渡る。2つ目の橋は、橋自体なんともなさそうだったが、川が増水し、橋の上を水が流れている状態だった。何とかトルヒーヨに今日中に着きたかったから、少し恐怖を感じたけど、水につかった橋を渡った。恐怖で渡れなかった人も多かった。この橋からトルヒーヨまでずっと靴、ズボンがびしょぬれの状態だった。でもなんとかトルヒーヨに着けたからよかった。


2月15日(月)

 今日、午前中と夜、まだ雨が降り続く。トコアまでの道がなくなったと聞く。明日ブエルタ・グランデに行く予定だけどいったいどこまでいけることやら。pm9時頃、電波ニュースの人二人がトルヒーヨに到着! 日本のおかしをもってきてくれた。うれしかった。夜、ラセイバまでの道もなくなる。


2月16日(火)

 朝少し雨が降ってたが、それ以降は快晴。久々の太陽を見る。AM9:00頃ブエルタ・グランデに出発! ランチャの道が再びなくなって車を置いて、カヌーに乗る。思っていたより水は増えていなかったけど、やっぱり以前に比べると多い。
 ブエルタ・グランデでは少しずつだけどみんな家を建て始めている。家を建てるための木材を調達するのに、木を切り倒しているため、以前より木が減って、見晴らしが良くなっていた。自然破壊にならないといいんだけど。でも、その木材の材料も近場では調達できなくなっていて、遠いところから運ばないといけないらしく、時間がかかるといっている。でも、なんとか調達しているようなので、時間はかかるけど、ちゃんと家を作ってくれると思われる。完全にできあがった家を見ると、とてもうれしい。この数日の雨で再び川辺までの道が、ドロ状態。みんなもう雨にはうんざりしている感じ。イルダが川向こうのすぐの所にある先生の家にラミナ(トタン板)を提供して欲しいと訴えてきた。何とかしてあげたいけど無理に思われる。どうしよう・・・。


2月17日(水)

 今日、ミラモンテで集会を持つ(土屋さんは先週の土曜日にビクトルとすでにここで集会を持った)。多くの人が集まってた。60人弱。ミラモンテ以外の人もいたようだった。一軒一軒の家を見てまわる。ここは本当に忘れられた地域だと実感した。ちゃんとしたコミュニティもなく、多くの家が通りからは見えないところにあるので現地の人でさえ、ここに人が住んでいるとは知らなかったようだ。でもちゃんと調査すると思っていたよりも家があったので一度にすべてのラミナを提供するのは難しい。予算的に。
 また以前はここに住んでいないけどラミナをもらえるのならここに住むという人も少なくない。なんとかすべての人にラミナを届けられるよう考えるつもりだけど、どうしたものか…。ラミナを届けた後もみんなが今のように積極的に活動してくれるかどうかは疑わしいけど何とか必死になって今、ラミナをもらおうとしている姿を見ると、やっぱりみんながどれほど困っているのかがわかる。本当にもう少し資金があれば…。


2月18日(木)

 今日ブエルタ・グランデにピーマン(パプリカ)、ラディッシュ、トマトの種を届ける。基礎栄養をつけてもらうという目的で、家庭菜園を作ってもらうためのもの。
 集まりはまあまあというところ。全員が来た訳じゃないけど、約30家族分を配る。種の量は少ないかなと思っていたけど意外とみんなの反応がいいのにほっとした。私が7月に戻る頃いっぱい実がなっていたらとてもうれしい。
 以前と比べると本当に多くの人が私のことを信頼してくれているように感じて、とても嬉しかった。だから日本に帰り、次にここに戻ってきたとき、みんなが今のように私のことを信頼してくれるかどうかが少し心配。
 でもなおさら、もっと彼らを援助するために資金づくりをしなくちゃって感じる。そのためにも日本に戻らないと。
 夜、ジャネットがタパドを作ってくれた。
 お父さんとお母さんと一緒にそれを食べる。
 本当にいい家族と出会えてよかった。


2月19日(金)

 今日ブエルタ・グランデで1軒リストから漏れていた家にラミナを届ける。ちょっと着くのが遅くなった。
 彼も少し、もう私たちが来ないんじゃないかと思って心配していたみたいだった。本当にかわいそうなことをした。
 でもちゃんと届けることができてよかった。それからミラモンテへ。一応みんなに今日来ることを言っていたはずなんだけど、みんな忘れてたみたいで、ほとんど誰も来てなかった。
 時間もすごく遅かったから、土屋さんとは別れて別々に作業をすることになった。私はプレジデンテ(代表)のオスカルを探して彼と村のことについて話す作業。でもなかなかオスカルを探せなくて少し手まどう。やっと会えたけれど、少し酔っててまともになかなか話せなくて、少しいらいらした。でもなんとか100%じゃないけど70%くらい話さなくちゃいけないことを話せた。でも、どこまでちゃんと覚えてて、私のして欲しいことをしてくれるのか少し不安!
 まあこんな感じで、ひとまず私のホンジュラスでの作業は終わった。本当に長かったような、短かったホンジュラスでの活動。まだまだ始まったばかり。これから本当に大変になりそう…。
 土屋さん、ひとまずあと、よろしく。


【お知らせ】
 '99年2月末、金井は一時帰国し、7月に再度、現地入りしました。
 2月〜3月の現地の活動状況は、土屋敦の日記を参照してください。


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