6 藤沢宿から平塚宿へ  歩行地図
 藤沢橋−白旗交差点−辻堂−四ッ谷−小和田−茅ヶ崎−今宿−相模川−平塚駅 14.6km 

広重の藤沢宿6 藤沢宿
 藤沢は鎌倉時代から、遊行寺の門前町として栄え、藤沢宿の成立で更に大きな 発展を遂げた。門前町としてはもちろん江ノ島が約1里とそばにあったため、弁財天参拝で、また大山参りの分かれ道もあったので参詣時期にはより一層賑わった。

本陣1軒、脇本陣1件、旅籠45軒、

遊行寺2遊行寺1■遊行寺
   遊行寺は時宗の総本山、正式には藤沢山無量光院清浄光寺で、宗祖一遍上人は踊り念仏で往生安楽の境地へ至れると説いて諸国を遊行したので遊行上人、寺を遊行寺と俗称された。その上人4代目の呑海が1325年に建てた。山門からでなく坂の方から入るとすぐ右に長生院への塔が立つ。奥へ行くと長生院裏に小栗判官、照子姫の墓がある。小栗判官、照子姫の伝説は数年前熊野
の湯の峰温泉に行ったとき散々目にしたことであるが、地獄からよみがえる話は面白い話で好きな話の一つ。ただ伝説は父の満重とこの助重とごちゃごちゃになり、ここにある墓は満重以下部下の墓照子姫の墓照子姫が建てた地蔵などあるが伝承の域を出ない。寺の墓地には変わったところでは国定忠治の子分、板割の淺太郎の墓もあるというが確認できず。

遊行寺惣門遊行寺橋■遊行寺本堂
    関東大震災で倒壊後、昭和10年に落成。木造では東海道随一と言われている
■惣門
勇壮な冠木(かぶき)門。本堂につづくなだらかな石段は四十八段あり、「いろは坂」と呼ばれている
■遊行寺橋
   惣門前の赤塗りの印象的な橋である。流れる川は境川。武蔵と相模国との境目の川なので境川という。

藤沢宿本陣藤沢橋■藤沢橋三叉路 
   境川に架かる橋で遊行寺坂から直進方向が江ノ島へ左手が鎌倉街道、鎌倉大仏への道。右方向が東海道である。この道を進む。
■本陣跡
   旧道に入ってすぐの蒔田家本陣跡の碑

永勝寺義経首洗い井戸■永勝寺の飯盛り女の墓
    白旗交差点付近の永勝寺境内に飯盛り女の墓がある。旅籠の小松屋の主人が立てた墓。
■義経首洗い井戸
  交差点信用金庫裏の公園にある井戸で、平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実験の後に片瀬の浜に捨てられたといわれます。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたという。義経の首を洗い白幡神社にまつられた

<義経公鎮霊碑白旗神社■白旗神社
   交差点右奥。義経の首は白幡神社にまつられた。元々源氏ゆかりの神社で、社名は源氏の旗である白旗に因むものである。
■義経公鎮霊碑
   元々首洗い井戸の脇に首塚の碑があるが、八百十年祭(1999)で建立された義経公鎮霊の碑

化粧地蔵四ッ屋不動■化粧地蔵
  さらに街道を進む。道路左側に小さな祠があった。顔が白い。案内板には 「女性の願い事なら何でもかなえて下さり満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」と伝えられており、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名付けられたとされる。 と書いてあった。めずらしい地蔵であるが実際は道祖神である。しばらくすると1号線と合流する。その角右側に祠に入って道標と不動尊がある。四つ屋不動という。道標には右大山みちとある。合流点を右に行くと大山、街道は左折する。

庚申塔松並木■庚申塔
 平塚まで距離があるのでどんどん進む。松並木がまた歩道にはみだして作られている。風情があると言えばあるかも。途中の一つ家付近の庚申塔。

茅ヶ崎一里塚■茅ヶ崎一里塚
 道は茅ヶ崎に入る。元町に入ると左手に茅ヶ崎の一里塚が残っている。さらに進むと右手にあるのが六天社
■六天社
 祭神は古事記の最初の天地創造編の、於母陀流(おもだる)神、神代第6代の神なのでで六天社ということ。於母陀流の名前が出てくるとはめずらしいことで、地方のこんな所で信仰されているとは思わなかった。

相模川旧相模川橋脚鶴峯神社の鳥居鳥井戸橋を渡る。橋を越すと右手に鶴峯神社の鳥居が見える。車が盛んに通る参道で地図を見るとえらく長いので参拝は遠慮する。
■史跡旧相模川橋脚
関東大震災で旧い橋脚が地上に出たもので、高い案内塔が立っていた。鎌倉時代の橋らしい。見ようと思って近づくと残念ながら平成20年3月予定で保存工事中であった。木製橋脚をコンクリートで保存するらしい。相模川(馬入川)を越し平塚市に入る。本日はここで終わり駅から帰宅した。4時23分終了。25.6km

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