5 戸塚宿から藤沢宿へ  歩行地図
  戸塚駅−大坂−吹上−原宿−影取−遊行寺坂−藤沢橋   8.5km

広重の戸塚宿5 戸塚宿
 日本橋を7つ(朝四時ごろ)に江戸を出発して、夕暮れには宿に入る。約十里(40km)が1日の旅程 として一般的とされていた昔の旅、戸塚宿は、江戸からちょうど十里の距離に位置 する。保土ヶ谷宿〜藤沢宿間が比較的長いこと、江戸よりの「権太坂」と 京よりの「大坂」の二つの難所に挟まれていることから大きな賑わいを見せました。 また、戸塚宿は大山道、鎌倉往還との分岐点でもあり、大山参拝客や鎌倉の古寺を 訪れる人々にも高い人気を誇っていました
本陣2 脇本陣3 旅籠75

八坂神社戸塚本陣跡2006.10.9 東海道3回目
■本陣跡
 戸塚駅から出発する。東海道線の踏切へ行く。踏切から南へ進むと本陣跡の碑
■八坂神
  次に右手にあるのが八坂神社で、女装した男性10人程が踊り、うちわでお札(厄除けと五穀豊穣)を飛ばして町内をまわるという踊りについての説明の立て札が立って いる

富塚八幡上方見附■富塚八幡
   戸塚の地名の起源となった神社で、昔、ある武士が十人の盗賊を退治し、ここに十人を埋めた塚があり十塚→戸塚となった説と、境内の前方後円墳は富属彦命(とつきひこのみこと)の古墳でこの名をとって富塚→戸塚となった説がある。
■上方見附
宿の京都よりの境界地点

松原並木大坂の庚申塔■大坂の庚申塔
   右手に庚申塔が点在する大坂を登り切ると国道1号と合流する。坂の右手上はマンションばっかりである。合流点から中央分離帯には松並木があるが昔と同じものかどうかわからない。
道幅からすると両側にあった並木の片側分かもしれない。

かんぺい道行きの碑浅間神社■お軽勘平道行きの碑
  松並木の続く先の左手にお軽勘平の碑がある。仮名手本忠臣蔵」の有名な場面で、戸塚山中のお軽勘平道行きの場面がここら辺という由縁からであろうか。史跡と関係なくあんまり感心しない。
■浅間神社
相変わらず松並木が続くが途中で普通の道になる。その右手浅間神社がちょっとした参道の奥に鎮座している。祭神は木花咲耶姫であり、本宮は富士山裾野の浅間神社。

原宿の松並木2原宿の松並木    ここを過ぎると原宿という所になる。原宿あたりの松並木
原宿を過ぎると、影取という地名になる。影取という地名は「昔この所に池があり、大蛇が住んでいてたびびとの影を呑むという伝説からきているという。左手に諏訪神社がある。ここでバイパスと旧道がクロスしている。旧道はまた松並木が続く。

 松並木が続いて気持ちの良いものであるけれども、歩道に突き出すように植えてあり、凸凹して歩きにくいし見通しも良くない。障害者にはやさしくないと思う。もっとも街道の両側ではなく片側は普通の歩道であった。そっちを通れと言うのかな。途中並木の説明板があった。

遊行寺坂■遊行寺坂
   藤沢に近くなり遊行寺へさしかかる。途中の歩道も相変わらず凸凹している。遊行寺の前は坂になっている。右手が遊行寺です。

諏訪神社諏訪神社2諏訪神社3■諏訪神社
    遊行寺の反対側にあるのが諏訪神社。(この神社は呑海が信濃でお札配りの道中に現れた諏訪明神を勧請したもので、以来藤沢山の守護神として、元旦には遊行上人が神社に参拝し参詣者にお札を配っている) 中に祠が4つあり右側がなぜか太子堂。後のは祖霊神、道祖神、大黒天社。

諏訪神社の対面の入り口から遊行寺へ入る。藤沢宿の始まりになる

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