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![]() 六郷橋を渡ると川崎宿。元和9年(1623)品川から神奈川両宿の伝馬負担を軽減するため開設された。茶店でもっとも有名だったのが万年屋「東海道膝栗毛」にも出てくる。川崎大師への分かれ道にも当たっていたため、多くの参詣者が宿場を利用し発展した。 本陣:2軒 旅籠:72軒 |
![]() ![]() 9時11分川崎砂子交差点より出発。八丁縄手方面へ途中、仲見世通などは飲み屋街である。縄手駅途中右手 松尾芭蕉の句碑がある。郷里の伊賀への帰途、川崎の茶店で門弟達と別れを惜しみ「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句を残した。 踏み切りを渡ると道端に慰霊塔があり(江戸時代の記録から川崎宿ではでは震災や火事、洪水、飢饉、疫病などの災害にたびたび襲われ多くの人が亡くなられた。人々の霊を供養するために、慰霊塔が建てられた)。八丁縄手とはあぜ道が8丁(870m)まっすぐ延びていたという意味です。 |
![]() ![]() 市場銀座商店街を真っ直ぐ進む。市場村一里塚碑がある 日本橋から5つ目 ■鶴見関門跡 鶴見橋を渡ると鶴見関門跡海港の時期、外国人への襲撃を防ぐため横浜の出入りを取り締まった。 |
![]() ![]() 鶴見橋を渡り、JR鶴見駅のガードを斜めにくぐる。駅の周辺はわかりにくいが、GPSにあらかじめ行程が入力してあり、迷うことはない。国道を15号線を渡るとまたガードがあり、ガードの下がトンネル状になっている。 JR鶴見線国道駅である。駅の中は暗く、終戦直後の遺物みたいな感じ。中に飲み屋などがある。 |
![]() ![]() ガードをくぐると生麦魚河岸通。魚やが多い。 キリンビール横浜工場正門を進む。工場見学すると無料でビールが飲める。さらに進むと 生麦事件の記念碑がある。(1862年8月21日島津久光の行列の前を横切った英国人リチャードソンほか3名を、薩摩藩士が殺傷した事件で先頭の商人リチャードソンは死亡、イギリス商人3名が斬られた。幕府に対する賠償問題と翌年薩英戦争へと発展した。・・実際の事件現場は品川寄りに離れているが、リチャードソンがこの第3現場で死亡した)。 |
![]() ![]() 国道15号に出て、子安方面へ歩く。浦島町という交差点の裏に「神奈川通東公園」というのがあり、ここが起点で神奈川宿歴史の道というのが始まる。この公園はオランダ領事館となった、長命寺があったところ。市立神奈川小あたりから宿が始まるようである。学校の校庭の壁に神奈川宿のタイル絵があった。このあたりは開港時の記念物が多い成仏寺はローマ字のヘボンが住んだところ |
街道は15号線から右手へ入り、宮前通から坂を上がってゆく。 ・・・・・神奈川宿へ続く |
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