2 川崎宿から神奈川宿  歩行地図
 川崎駅−八丁畷−鶴見駅−生麦−子安−神奈川新町 8.4km

広重の川崎宿2川崎宿
 六郷橋を渡ると川崎宿。元和9年(1623)品川から神奈川両宿の伝馬負担を軽減するため開設された。茶店でもっとも有名だったのが万年屋「東海道膝栗毛」にも出てくる。川崎大師への分かれ道にも当たっていたため、多くの参詣者が宿場を利用し発展した。

本陣:2軒 旅籠:72軒

八丁畷慰霊塔芭蕉句碑 ■八丁畷 芭蕉句碑   2006.6.4
 9時11分川崎砂子交差点より出発。八丁縄手方面へ途中、仲見世通などは飲み屋街である。縄手駅途中右手 松尾芭蕉の句碑がある。郷里の伊賀への帰途、川崎の茶店で門弟達と別れを惜しみ「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句を残した。 踏み切りを渡ると道端に慰霊塔があり(江戸時代の記録から川崎宿ではでは震災や火事、洪水、飢饉、疫病などの災害にたびたび襲われ多くの人が亡くなられた。人々の霊を供養するために、慰霊塔が建てられた)。八丁縄手とはあぜ道が8丁(870m)まっすぐ延びていたという意味です。 

市場一里塚鶴見関門■市場村一里塚碑
  市場銀座商店街を真っ直ぐ進む。市場村一里塚碑がある  日本橋から5つ目
■鶴見関門跡
 鶴見橋を渡ると鶴見関門跡海港の時期、外国人への襲撃を防ぐため横浜の出入りを取り締まった。

■国道駅
 鶴見橋を渡り、JR鶴見駅のガードを斜めにくぐる。駅の周辺はわかりにくいが、GPSにあらかじめ行程が入力してあり、迷うことはない。国道を15号線を渡るとまたガードがあり、ガードの下がトンネル状になっている。 JR鶴見線国道駅である。駅の中は暗く、終戦直後の遺物みたいな感じ。中に飲み屋などがある。

生麦事件古写真生麦事件碑 ■生麦事件碑
ガードをくぐると生麦魚河岸通。魚やが多い。 キリンビール横浜工場正門を進む。工場見学すると無料でビールが飲める。さらに進むと 生麦事件の記念碑がある。(1862年8月21日島津久光の行列の前を横切った英国人リチャードソンほか3名を、薩摩藩士が殺傷した事件で先頭の商人リチャードソンは死亡、イギリス商人3名が斬られた。幕府に対する賠償問題と翌年薩英戦争へと発展した。・・実際の事件現場は品川寄りに離れているが、リチャードソンがこの第3現場で死亡した)。

神奈川小学校壁画オランダ領事館跡 ■神奈川宿
 国道15号に出て、子安方面へ歩く。浦島町という交差点の裏に「神奈川通東公園」というのがあり、ここが起点で神奈川宿歴史の道というのが始まる。この公園はオランダ領事館となった、長命寺があったところ。市立神奈川小あたりから宿が始まるようである。学校の校庭の壁に神奈川宿のタイル絵があった。このあたりは開港時の記念物が多い成仏寺はローマ字のヘボンが住んだところ   

街道は15号線から右手へ入り、宮前通から坂を上がってゆく。

・・・・・神奈川宿へ続く 

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