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3 神奈川宿 神奈川宿は神奈川新町から台町の終わりまでかなり長い。海に臨み景勝もよく、観光で訪れる客も多く、最盛期には、近隣の宿の二倍の人口 を抱えたといわれていた。安政五年(1858年)の日米修好通商条約締結後も、開港場としても賑わった。現在でも横浜開港に伴う遺跡が多い。 本陣:2 旅籠:58 |
![]() 京急神奈川新町駅前に東公園があり、長延寺の跡で神奈川宿の江戸見附跡でもあった。ここから神奈川宿が始る。15号線に沿い神奈川宿歴史の道として整備されていた。ここを歩いた方がよい。長延寺はオランダ領事館となっていた所である。由緒がありそうな寺や神社が並び、神奈川小学校の塀には東海道分間延絵図がタイルで描かれていた。成仏寺はヘボンの宿舎。慶雲寺はフランス領事館であった。又この当りは浦島町となっていていわゆる浦島伝説と関係あるのか気になるので調べてみた。 ・・・浦島伝説・・・ |
![]() ![]() 15号線に出て、宮前商店街から坂になる。京急東神奈川駅を過ぎると、国道1号線と交錯し橋の右手の上が本覚寺(アメリカ領事館跡、)大綱金比羅神社と一里塚碑がある、ここら辺を台町といい、広重の絵はこのあたり。眺めがすばらしいと言われていたが今はマンションばかりで眺望はない。。途中の料亭田中家あたりはマンションがないと眺望がよいのではないかと惜しまれる。坂の頂上に関門跡の碑がある。坂を下ると神奈川宿が終る。 |
![]() ![]() 坂を下って首都高速三ツ沢線をくぐると、軽井沢という地名になる。軽井沢という名前は有名なそれと間違えるが「細見」にもあるので、古い地名であろう。広い通りにぶつかり進めない、向側の左斜めを見ると細い道が続いており、そこが浅間下であった。浅間神社があるが、ちょうどお祭で人通りがすごく写真を撮るさわぎでないが1枚だけ撮る。場違いのようなので看板を読むだけで通過する。(昔は富士山の穴に通じる、富士の人穴があったと伝えられていたが戦後の発掘で横穴古墳であることが判明したそうだ)しばらく行くと活気のある商店街に出た。松原商店街という。大層な人出でした。 |
16号線を渡った跡に保土ヶ谷宿江戸方見付の看板があり、ここから保土ヶ谷宿が始る。 ・・・・・保土ヶ谷宿へ続く |
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