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2011年4月1日〜2日

東日本大震災物資輸送と
内丸教会、宮古教会、
日本キリスト教団奥羽教区センター訪問


(4月5日 向山 功 記す)
 
 3月11日の震災後、青山学院高等部同窓会は被災者支援活動を立ち上げ3月17日より募金活動を開始した。

 被災地の多くの地域を含む日本基督教団奥羽教区(青森県、秋田県、岩手県)は、4月より高等部宗教主任に着任の相良昌彦牧師
(24期)が所属していた教区。また、向山の友人、中原牧師が盛岡内丸教会におり、とりあえずの救援物資について問い合わせたところ、主に消耗品が緊急に必要との要請を受けた。
 前田同窓会会長と相談し、3月23日、物資の提供をHP、各期の代表幹事、常任幹事を通じて行った。また、物資の集積、仕分け場所を嶋田順好学院宗教部長にお願いし、ウエスレーホール1階を4月1日まで提供いただいた。
 お知らせをした3月25日から1週間で、下着類、歯ブラシ、おむつ等の消耗品類など段ボールに詰めて180箱と、追加で要請のあった自転車33台、ガスコンロ数台、燃料が集まった。靴下2足を少しですがと届けて下さった方、段ボール何箱も宅急便で送ってくださった方、薬屋、コンビニをまわっておむつを買い求めて来て下った方々、また、高等部の西川部長、先生方、学院の職員の方々が何度も物資を運んで下さった。また、職員の方々の有志は歯ブラシ1800本を購入してご寄付くださった。勤め先で物資を集めて届けて下さった方もあった。新車の自転車を買って下さった方々、ご自宅から自家用自転車を乗って運んで下さった方々、2期の女性はなんと三鷹から自転車に乗って届けて下さった。また、24期の方が全自転車を整備してくださった。
 その物資の仕分け梱包に、各期のたくさんの同窓生が毎日集まってくれた。毎日いらして梱包してくださった方、小さな子どもを同窓生のご主人に休暇を取ってもらって預けてお手伝いに来て下さった方、同窓生ではないご友人を誘ってきて下さった方、若い50期代の卒業生たちも仕事の休みの日に参加、4月から高等部生になる息子を連れて来て下さった方等、本当に皆さんが心をこめて支援をしてくださいました。


     


     


なお、支援金は現在、2百万円以上が寄せられている。

 4月1日午後4時より、2台の2トントラックに、高等部の教諭2名(藤井徹也先生、池田敏先生)と事務局員、同窓生また、大学フェンシング部の部員たちにより積み込みが開始された。まず、自転車をどのように積むか試行錯誤し、段ボールでの養生をし、先生お二人の陣頭指揮により、自転車を積み重ね、物資を自転車の隙間にパズルの様に積み込み、移動中の崩れのないように工夫した。先生方のすばらしいご活躍に感謝。
 3時間かけての積み込みを終え、午後7時半、前田会長の挨拶、相良牧師の祈祷をもって出発式とし、自転車33台と段ボール箱約100個の積みこまれたトラックに4人の卒業生(19期丸山尚人、向山功、24期鈴木孝至、相良昌彦)が2名ずつ乗り込み、7時45分一路、盛岡に向かって出発した。


     


 途中、燃料の補給に不安があるので早目に、小まめに給油を行った。東北道は、茨城県に入ると一部盛り上がりや応急修理の箇所もありでこぼこで大きな振動を体に受けながらの走行もあった。荷物や自転車が破損するかと心配したが良い積み方で問題なし。
 8時間余りをかけて早朝未明の4時に盛岡内丸教会に到着、気温−2度、天気は曇り。中原牧師に迎えられ暖かい部屋で7時まで仮眠した。祈祷、朝食後、支援のための灯油とガソリンをタンクに入れるため伊藤副会長の友人のスタンドに立ち寄り、燃料等の補給をした。そのスタンドの網野社長からガスボンベの提供をいただいた。
 午前9時に宮古市に向かい11時に宮古教会着。1時間ほどで自転車、物資の荷降ろし。盛岡YMCAのボランティアと共にここで必要とされる食糧品、下着類、生理用品等の段ボールを教会堂に運び入れた。自転車、燃料及びコンロは全部、宮古に提供し物資全体の約7割を搬入した。宮古教会森分和基牧師にはノートパソコン、文具等これからの仕事に必要な物資をお渡しした。


     
         
             (宮古教会)

 その後、会堂にて、宮古教会で支援のリーダーをしている佐久間眞人YMCA主事より現状を聞いた。教会は海から800mのところにあるが約2mの津波を被り1階部分は水が入り泥だらけになった。会堂の周りには水の痕が残り、塀など破損。電気は4日前に復旧したが2階以上のみ点灯。テレビ報道で伝えられている津波によって堤防から魚船が押し上げられ道路の高架橋にはまり込んだのは、宮古の海岸道路とのこと。この教会の辺りは、家が建っているが一区画海側は半壊、全壊である。そちらの現場も確認して見て皆様にお伝えくださいと話された。
 物資について、市では、避難所に分配、ボランティアが高校生等400人の登録で清掃等の手伝いをするが、事業所は後回しとされたり、登録や検査が必要手続きとされ迅速かつタイムリーな支援ができづらいとのこと。一方、YMCAがリーダシップを摂りこの教会堂をボランテイアセンターとして寝泊まりし、山の会のボランテイアと共に十数人での支援活動は、自宅にいる被災者に徒歩で尋ね歩いて必要な物資を届けているとのこと。今、届いた自転車で機動力としてより遠くの罹災者に物品を届け、会いに行くことができると感謝された。
 教会の外では、向いが自宅の大森さん(教会役員)の奥様が片付けをされておられ、お話しを伺えた。「家の中に水が入りあっという間に1階部分が海水で満たされ、斜めになった介護用ベッドの一部に足を掛けて第一波の津波をしのいだ後、何とか2階に逃げて溺れずに助かった」とのこと、これから使えないものをたくさん捨てるので空の段ボールが欲しいとのことで数十枚を渡した。ご主人が青山学院大(S30年頃)なのでとても親近感をもってお礼を言われた。

 12時20分祈りを共にして宮古教会に別れを告げた。
 その後、土埃と異様な臭いの風を感じながら、海沿いをトラックで中心部から南へ2km程を見て回った。リアス式の美しく長い入り江と青い海とは対照的に無残にひっくり返り道路まで打ち上げられておなかを見せている漁船、立派なコンクリの防波堤のこちら側に大きな船のあるのを見ると不思議な感覚に捉われる。1階部分がすっぽりと抜き取られたような建物、潰れて瓦礫だけの広い一帯、「遺体が瓦礫のその下にあるのかもしれませんから、歩く時は心して」と佐久間さんに言われていたのを思い出す。丘の上の小学校の校庭でUターン(暫く避難場所とされていたが、管理上、避難場所を統合しているとのこと)し盛岡へと戻った。
 14時30分頃、盛岡の日本基督教団奥羽教区センターに伺い挨拶、事務長にお会いしお話しを伺った。ボランティア、物資を受容れているが、教会自体が被災しており多くの困難を抱えているとのこと、先ず牧師とその家族の健康と生活を守り、地域に貢献できるよう力づけが必要と感じた。
 センターより5分ほどのところにある内丸教会へ残りの物資30個ほどを届け、礼拝堂の2階の部屋に搬入。遅い昼食を摂り暫し、休憩。中原牧師のあたたかい配慮に感謝。帰りの無事をお祈りいただき復路。
 朝に寄ったガソリンスタンド(網野社長)にガスボンベのお礼と報告に立ち寄り給油して17時東京に向けて出発。

途中、給油しながら23時、四谷四丁目帰着、解散。

 今回、支援をいただいた皆様の優しい思いをどこまで届けられたかわからないが祈り続けていこうと決めた。

 今回、トラックに積み切れなかった、約70個の段ボールの物資は4月2日に別途、ゆうパックにて内丸教会に送付した。


「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。  イザヤ書54:10
  

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