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IVYカルチャー 

「青山学院の歴史をたどる」  開催のご報告
 



 2015年7月11日(土)青山学院大学名誉教授 氣賀健生先生(旧青盾会会長)による講演会が催されました。氣賀先生は長い間「青山学報」に「青山学院を支えた人々」を掲載されている青山学院の歴史研究の第一人者です。

1時半から行なわれた資料センター展示ホールの見学の後、2時半からの高等部大会議室での講演会は、当日資料センターを見学されていた大学の鳥越けい子教授(総合文化政策学部)のゼミの学生の方々10人も加わり、参加者は65人となりました。

当日は高等部同窓生だけではなく、元氣賀アドグルの校友の方々たちもたくさん参加され先生との再会に喜びの声があちこちに上がっていました。高等部元教諭の松本通孝先生も参加くださり元生徒たちにとっては嬉しい時間を持つことができました。






【資料センター 展示ホールの見学】

青山学院史関係資料を一般公開している展示ホールでは、資料センター職員の傳農さんの説明を伺いながら見学しました。

様々な展示物の中には、大変に貴重なものかもしれないという「胸の部分にイエス様の像が隠れている鉄の鎧」や、学徒出陣の学生へのはなむけに用意された「日章旗」もありました。その署名には氣賀先生もご存知の先生方のお名前や配属将校の名前がありと、遠い歴史のように思われている戦争もついこの間という認識を改めて持ちました。

キリスト教禁止令が書かれている高札からは、江戸時代が終わり、明治政府になって直ぐにスクーンメーカー先生によって始められた青山学院が創立された時代を身近に感じることができました。

 



 
玉音放送
【講演会】

 
氣賀先生の旧制中学時代(5年制)は昭和15年の入学、20年の卒業と、戦争と重なっています。どのような中学時代であったかは『殴られることが日常茶飯事であった』と、先生はつぶやくように言われました。

一方、厳しい配属将校の監視下でも、自由に物事を考え、周囲を取り巻く環境に流されずに物事の本質を考えるようにと、何人もの先生の言葉と、聖書のことばがあったことを大切に紹介してくださいました。

他の学校に転任される前に「この戦争に正義はない」と言われた先生。技術者として南方に徴用後、青山学院に戻られてから、箴言14章34節の「義は国を高くし、罪は民を恥ずかしむ」と生徒たちに伝えた先生。

歴史の表には出ない教育者による日常の教育が青山学院の140年の歴史を支えてきたことを、参加者にユーモアも交えて伝えられました。戦後、旧制第二高等学校(仙台)へ進学され、如何に青山学院の中は神様と共に自由な日々であったかを痛感されたそうです。

明治39年8月に発令された文部省訓令十二号(注:いわゆる宗教教育禁止令)により宗教教育、活動が禁止され、青山学院も礼拝および聖書の授業を一切できなくなりました。それでも、本多庸一先生(日本人初・二代学院長)が明治学院の矢野先生とともに文部省と連日交渉し、1年半後には礼拝および聖書の授業を復活させました。

本多先生の武士道を体得している明治人としての生き方により、青山学院の根底であるキリスト教教育が守られた事を熱く語られました。

青山学院は院長や理事長、教職員だけで守られたのではなく、様々な校友の支えがあったことを思い、まだまだこれから書き繋いでいかなければと思っているとのお言葉で講演を締めくくられました。


 




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