左上葉っぱ メニューページへ

IVYカルチャー 

今さら聞けないキリスト教のイロハ 開催報告
 

                          2013年 2月16日 開催

 北風の冷たい土曜の午後、真新しい高等部西校舎・大会議室において、講演会を行いました。講師は、24期卒業生で、2年前に高等部宗教主任に就かれた相良昌彦先生にお願いしました。参加者は、高等部同窓生と、そのご家族、大学同窓生を含め、50名でした。

クリックするとポスターが拡大します



 先生の大きな声は部屋の隅々まで響きわたり、分かりやすい言葉で、それぞれの記憶の中にある授業風景を引き出してくれました。
キリスト教を考えることは、人の生き方やあり方を、今一度考え直すことでもありました。聖書の言葉と讃美歌の旋律、平穏で優しい時間を感じることが出来ました。
以下、先生のお話を要約いたします。
          


*高等部

 現在の高等部は、昔と比べかなり生徒たちを取り巻く環境も変わり、もはや私たちが知っている高等部(約40年前)ではありませんが、変わっていないことはキリスト教教育をしている点です。
 現代は、子供が子供らしく過ごせる環境にあるでしょうか。子供時代にすべきことを終わらせず、大人になってからしているようで、子供として自由に環境を選べません。
 本校のある数学教師の言葉で「神様はこの宇宙を創造される時、多くの美しい数式を散りばめられた…数学を学ぶことは究極の美を追い求める行為であり、ひいては神様の創造の御業に思いを馳せる尊い行為ではないか」 そういうことを生徒に伝えられる学校は良いです。信じるところを語りかける、それが許される学校であるのが魅力です。
 多くの生徒は、聖書の文章は分かるが受け入れられずに卒業していきますが、聖書の教えが、いつか、人生にとって大切な時が訪れるはずです。クロノス(時計で刻まれる時間)とカイロス(神と人間とが共に分かち合う「時」)という言い方をすれば、青山学院での毎日は、一人ひとりにかけがいのない時・カイロスで満たされています。

*キリスト教の特徴

 神がイエスキリストをこの世に遣わし、キリストは私たちのために十字架につけられました。主の愛と慈しみにより生かされている私たちです。
 旧約聖書のホセア書には下げ降り(おもりを用いて垂直を決める道具)を降ろして立つ主なる神の姿を通して人の在り方を示しています。正義と裁きの象徴である下げ降りですが、罰するのではなく見捨てることもなく慈しみをもって私たちを大切に見守る神の姿です。
 御言葉に触れるとき、それでも気をつけなくてはいけないことは、自分たちの都合の良いように解釈し(例えばナチスドイツ)、政策や選択の言い訳にするということです。痛みや分裂の正当化ではなく、私たちが主の御前に隣人として共に生きることを教えています。

*礼拝・教会

 卒業生の多くは、高等部生活を振り返るとき、礼拝が大事だったと感じています。時間割の中で、そこに座っていなければいけない生徒たちにとって、それでも意味があるのではないでしょうか。しかし毎日の礼拝、聖書の授業ゆえに、自分から求めながら教会に行く機会に気づくことがかえって難しいことがあるかもしれません。生徒たちは、聖書の知識や理解を教えられることで満足し、神の声を聞き逃しているのでは、あるいは神の招きから離してしまっているのでは、と考えることがあります。
 青山学院でも守る教会暦には、3つの大切な礼拝、ペンテコステ・イースター・クリスマスがあります。たとえばクリスマスは神が、主イエス・キリストを遣わすことによってその民を救うという新しい概念であって、このクリスマス(キリストの礼拝)という言葉が生まれました。この幸いが高等部の生活の中にも満ちています。
 質問にあった十分の一献金とはその通りで、旧約聖書の民が礼拝を守るために生活の中で捧げ始めたことから、教会でも献金によって教会が、礼拝が維持されています。時に貧しい時ほど可能で、収入が多い時ほど難しくなるものであるかもしれません。近年、ドイツでは国家の教会税がなくなり、教会が財政難に陥り倒れていくことも経験されています。

*青山学院・ミッションスクールとは?

 キリスト教、言い換えれば主イエス・キリストに従って歩む生き方が学校の土台となっています。メソジスト(青山学院)の4つの柱は、御言葉・伝統・理性・経験と言われています。宣教師たちは、イエス・キリストの御言葉を生きる生活を通して、日本の若者たちに、英語の学びと共に聖書を教えました。(英語の青山ともいわれる所以) 
 また経済的な財源が教会にあるものミッションスクールといわれるところです。主なる神のご用、主イエス・キリストに遣わされる生き方(使命:mission)を青山学院も負っています。キリスト教信者が少なく、教会の存在があまり受け入れられていない日本という国にあって市民権が与えられ、認められているキリスト教学校、ミッションスクールとは大変不思議な存在であり、諸外国の方には理解しにくいものです。日本社会にとってどういう意味があるかは、永遠の命題です。
 しかし、ミッションスクールを通して、キリスト教が文化として広まってきています。(例えば母の日やクリスマス) 現在の学院(青山キャンパス)に礼拝だけのために建てられた場所として、初等部・短大・本部ベリーホールの3つの礼拝堂があります。青山学院の心がある場所です。このような青山学院を通して「文化」から「生き方」、「信仰」へと招かれれば幸いです。

 青山学院での生活と、教会生活は、それほど違わないもので、キリスト教についての疑問は、決して私たちを教会から遠ざける要因とはならないでしょう。日本の環境はキリスト教的ではありませんが、葬儀やお墓のことなど、混乱をもたらさないように誠実に対応していけば良いのではと考えます。






メニュー同窓会プロフィール事務局からのお知らせ住所変更
同期会・クラス会覚えていますか?礼拝堂お楽しみリンク集