桜姫変化抄は、三話から構成されていました。いずれも一話完結です。



               

     乱 舞      慟 哭      第三話 散 華




            1


 隣街との境を流れる川の堤防沿いに植えられた桜並木を終業式を終えたばか
りの女子高生が二人、楽しそうに喋りながら歩いていた。
 今日もらったばかりの成績表をどうやって親に見せたらいいのか、明日から
始まる春休みの予定をどうするのか、そして、気になるあの少年と来学期こそ
は同じクラスになれるだろうか?
 決してつきることのない話題に二人は花を咲かせていた。
「そういえば知ってる? あの桜の木、今度切られてしまうんだって!」
 道の右端を歩いていた少女の歩みが突然止まり、並木が切れる――橋のたも
とに根をはる一本の大木を指さした。
「ふうん」
「まぁ、仕方がないよね。去年も花をつけなかったんだもん。こんなに桜の木
があるのに一つだけ花をつけないなんて滑稽すぎるし、あの木のためにも切っ
た方がいいかもね」
 クスクスとおかしそうに笑いながら少女は自分の隣でその桜の古木を見つめ
ている親友に話しかけた。
「なに考え込んでるのよ? 美沙ちゃん」
「!!」
 さっきからずっと黙り込んだままの美沙の顔を少女がおどけ顔でのぞき込む。
 急に現れた親友の顔に大きく目を見開いた美沙だったが、クスッと笑い返す
と、
「おばあちゃんに教えてもらったお伽噺を思い出していたのよ。瑞穂」
 と答えたのだった。
「お伽噺?」
 首を軽く傾げて尋ね返す瑞穂の目の前で美沙は、くるくると軽やかにステッ
プを踏みながら蕾をつけなくなった桜の古木に近づくと、その幹にもたれかかっ
て独り言のように話し出したのだった。
「この桜の木はね、人の血を得て花を咲かせていたの」
「ああ、国語の先生が言ってたやつね、『桜の木の下には死体が埋まってる』っ
て……。『そうでなければ、あんなに綺麗な花を咲かすことはできない』って。
誰の文句だったっけ?」
 つい最近授業で教えてもらった話を思い出しながら瑞穂が美沙に答える。
「……そんな優雅な話じゃないんだけどね」
 瑞穂には決して聞こえない声で美沙は呟くと、曖昧な笑みを口元に浮かべ瑞
穂に向き合った。
 瑞穂のほうも大きく枝をはる桜の古木を仰ぎ見ながらホーッと深いため息を
もらす。
「でも、残念だなぁ。ホント言うと、私、この桜の木、結構好きだったんだ。
この並木の中じゃ、一番大きくて花も綺麗だったし……」
「そうだね。私も好きだよ、この桜の木」
 瑞穂に優しくほほ笑みながら美沙は瑞穂の横に並んで立つと、同じように年
老いた桜の古木を仰ぎ見た。
「寂しいね。なんだか……」
「うん」
 感慨深げな瑞穂の台詞に美沙が相槌を打つ。それから何げなさを装って美沙
は腕時計に目をやったのだった。
 そしてすこし芝居じみた声で瑞穂に言う。
「瑞穂、時間いいの? 今日のお昼から予備校の春期講習じゃなかった?」
「エッ?」
 もうそんな時間? そう口の中で呟きながら慌てて自分の腕時計で時間を確
かめる。
「ホントだ! もうこんな時間。ごめん、美沙。悪いけど先に帰らせてもらう
わ。また今晩、電話するね」
 早口にまくしたてると、瑞穂は美沙の返事を待たずに駆け出していってしまっ
た。
 よっぽど時間の余裕がなかったのだろう。 もし、時間があれば……。そう、
時間があれば、美沙の少し冷めた――大人びた笑みをみれたかもしれないのに
……。

            2


「そう。貴女、もうすぐ消えてしまうんだ」
 瑞穂を見送った後、一人残った美沙は桜の古木に向き直ると、まるでそこに
誰かがいるかのように桜の古木にむかって話しかけたのだった。
「結局、私は貴女に会えなかったのね」
 そっと桜の幹に手をあてながら美沙は小さい頃祖母に教えてもらった語りを
思い出していた。
「いいかい!? 美沙。桜に魅入っちゃぁダメだよ。特にあの街外れにある桜
の古木にはね。あの桜の木には『桜姫』が宿っているんだよ」
「『桜姫』? 桜のお姫様なの?」
 何も考えず、ただ『桜姫』と言う響きに魅せられて口にした美沙を祖母は夜
叉のような形相で見据え、
「とんでもない! あいつらは桜の花を綺麗に咲かせることしか考えない『あ
やかし』さ。綺麗な花を咲かすためだったら、人の血さえ欲する鬼なんだよ。
ただ皆が皆、若くて美しい女の姿をしているもんだから男どもがそう名付けた
んだけどね……。あいつらは『姫』何かじゃない。桜の大木に棲みついた『化
け物』さ! いいかい!? 美沙。ここでおばあちゃんに約束しておくれ。こ
れからさき、何が起こっても絶対にあの桜の大木には近づかないと。決して、
あの桜に酔ったりしないと……」
「……うん。約束する! あの桜の木には近づいたりしない!」
(おばあちゃんが話した語りより、その話をしたおばあちゃんの迫力が怖くて
私は無意識に約束を交わしたんだっけ)
「けど、その約束ももうすぐ反古になるんだ。貴女が消えてしまうんだから…
…」
 淋しげに呟きながら美沙は右のポケットに手を突っ込むと、ずっと――そう、
あの雨の日から今日こそは、今日こそは使わなければと忍ばせていたモノを探
し始めた。
「!!」
 そして、それを見つけると、美沙はゴクリと息をのみながら自分の目の前に
持ってきて、改めてその重さを確かめるように握り直した。
 美沙の手の平の上で春の穏やかな陽射しに反射したのは、どこにでもあるご
くありふれた小型のナイフだった。
 パチンと音をたてて刀を出すと、それを無表情のまま左の手首にあて、スーッ
と静かに手前に引く。
「痛っ」
 美沙の声とともに手首から真紅の血が流れ落ち、まるでそこに見えない道が
あるかのごとく、桜の古木へと吸い込まれていった。それを自嘲気味な笑みを
浮かべながら眺めていた美沙だったが、数瞬もしないうちに美沙の顔は涙顔に
変わり嗚咽を含みだしたのだった。
「けれど、ごめんね。私はそんなに強い女じゃないから……。こうして手首を
切っても致命傷にすることすらできない弱い女だから。でも、せめて。せめて
すこしだけれど、好きな男の後すら追うことのできないダメな女の血を最後に
吸って頂戴。……私ね、おばあちゃんにはあんな約束したけれど、心の何処か
で思っていたの。『桜姫になら自分の血をあげてもいいな』って。だって、本
当に貴女って綺麗なんだもん。自分の血で貴女がより一層綺麗になるんだった
ら、それもいいかなと思ってた。でも、ダメね。好きな男の後も追えなければ、
こうやって自分の血総てを貴女に捧げることもできない。私って、本当に弱い
女なんだ! こんな女は貴女の分までしぶとく生きなきゃいけないのかな?」
 涙を拭ったハンカチで手首を止血すると、美沙は最後に『桜姫』に向かって
ニコッと笑い返した。
「ありがとう」
 そう、『桜姫』が呟いたようにフッと風がないのにザワめきたった桜の古木
をもう一度感慨深げに仰ぎみると、美沙は幸せそうな笑みを浮かべながら、帰
途についたのだった。

                                〈了〉


          乱 舞           慟 哭

        



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