この年の冬山登山 ( 仲間たちの記録 ) |
11月に荷揚げをかねた偵察山行に参加したものの、正月に帰郷しなければならない事情が出来て、本番の冬山には参加できなくなった。この年の冬山登山の概要を、A隊のリーダーM君の手記から抜粋してみました。 A隊3名は白馬岳主稜を、B隊4名は杓子岳杓子尾根を、白馬大雪渓を挟んで、トランシーバーで交信しながら登る予定になっていた。 大晦日の素晴らしい好天で入山は順調にはかどり、A隊は白馬尻に、B隊は杓子尾根下部にテントを張った。眠い目をこすりながら、22時の気象通報で書いた天気図は、大きな二つ玉低気圧が接近し、元日の夕刻までは天気は持ちそうになく、その後数日間は大荒れになることを示していた。 教科書通りの天気図から、A隊は元日の予定を変更し、空をにらみながら主稜を登り、昼頃から引き返すこととして、軽装で白馬尻のキャンプを出発した。一方、B隊も天気図は書いたものの、低気圧の位置を一つ聞き違えて書いたため予測を誤り、元日の朝の好天に喜び勇んで杓子尾根を登り始めた。 天候を気にしていたA隊は、やがて大雪渓を挟んで登るB隊を遠望できたが、定時交信の時間になって呼びかけても一向に返事がない。双眼鏡で覗くと大きなザックを背負ったままどんどん登っていく。休憩する気配も交信する気配もない。いくらわめいても届くはずはなく、黙々と登っていくのを眺めるだけだった。そして予測通り昼過ぎから天候は急激に悪化し、A隊が天幕に帰り着いた時は視界10mの吹雪だった。そしてその後2日間は猛吹雪が続き天幕に閉じ込められることとなった。 一方、B隊は元日の午前中あまりにも天気がよく、皆快調だったため、つい定時交信の時刻に気づかず行動を続けてしまったという。吹雪きだしてからは天幕を張る場所も見つからず、やむなく猛吹雪の中で雪洞を堀り、もぐりこむこととなった。 冬山で最大の苦痛は吹雪の中での用足しである。特に大の方は尻を丸出しにするだけに中々実行できない。我慢しきれなくなっても、天幕や雪洞から顔を出した途端に引っ込んでしまう。それだけに雪洞の中での用足しは快適である。そのかわり猛烈臭い。 2日間吹雪かれたあと、晴れた空が広がったものだから、出発間際に全員で用を足して出発したそうである。ところが空は晴れてはいたが、猛烈な地吹雪にさえぎられて、やむなくすごすごと元の穴に戻る羽目になってしまったという。後始末が大変だったそうである。 2日間を天幕の雪かきで過ごしたA隊は、青空の広がるのを見てB隊を出迎えるべく3人で交替しながら胸までのラッセルを16時頃まで続けたが出会えなかった。戻った時、天幕は地吹雪の雪ですっかり埋められて、屋根がわずかに見えるだけだった。 そして翌日ようやく下山してきたB隊と合流し、全員の無事を喜び合った。 我々の仲間は全員無事帰還したが、この年の正月は、大荒れの天気で山の遭難事故が続発した。 主稜下部にテントを張り、A隊の前を登っていた2パーティーがあったそうだが、この中の1パーティーの遭難死を含めて白馬山系でも数パーティーが遭難したと記憶している。 |