航研機、記録飛行パイロット 1938年(昭和13年)

藤田雄蔵少佐の手記

 太田市にある中島記念図書館で藤田パイロットの当時の発表記事を見つけました。少佐という肩書きに似合わず、温厚で繊細な人であったと木村教授も書いておられました。 文章は旧かなづかいで、一応修正しましたが、基本的に極力原文のままとしました。パイオニアでありながら、奢りが無く何か遠慮深いところを感じます。

航研機FAI世界記録:周回距離 11,651.011Km、 10,000Km速度 186.192Km/h

1938年5月13日午前4時55分〜15日午後7時20分

1.記録飛行の定義とその特長

 新聞を見ると、飛行機が飛ぶとよく世界記録という言葉が澤山使ってある。記録飛行とはどういうことか、初めに記録飛行という言葉の定義に就いて述べて見よう。

 国際航空連盟で認める記録飛行に国際記録と世界記録というのがある。この国際記録はAクラス、Bクラス、Cクラス……という風に分類されて、例えばAが気球とか、Bが飛行船とか、Cが陸上機、水上機・水陸両用機グライダー或はヘリコプターとかいう風になっている。

 その外、最近には女子の記録、或は都市連絡飛行、例えば神風が東京からロンドンヘ行った記録などを一般に国際記録と云う。

 国際航空連盟で世界記録というのは、この国際記録の中で一番長く飛んだもの、一番高く昇ったもの、それから一番早い速度で飛んだもの、この三種目を指すのである。その中で一番長く飛ぶのには、航空研究所の飛行機がやったようなグルグル廻る周回の記録と、直線で一点から一点までの距離を取るもの、この二つがある。だから、結局国際航空連盟で云う世界記録とは四つある訳である。要するに人間が航空機で以て一番高く昇った記録、一番早く飛んだ記録、一番長く飛んだ記録、これを世界記録と云うのである。

 現在の世界記録は、高度の方は飛行機でなくて気球が保持している。アメリカの自由気球でストラトスタット号にオービルその他が搭乗し、1932年に22,066mの成層圏を飛行した。これが人類が一番高く空に昇った記録になっている。

 速度の記録は、1934年にイタリーのアゼロという人がマッキー72型水上機で一時間当たり792.09km/hという速力を3キロ基線で取っている。3キロ基線というのはポールからポールまでが3キロあり、その3キロの、ずっと向うの方から飛来して、これを通過する、それから又今度はバックして飛行し、その平均値を取って、それを記録にする。速度の記録は3キロ基線とか100キロ基線とか、その基線の長さで段々違ってくる。航空研究所の飛行機は10,000キロの基線の速度記録を作った。これは10,000キロの基線を飛んだ中では今までで一番早かったという訳である。周回の記録はこの航空研究所の飛行機が行った11,651.11kmである。直線距離の方は1938年11月に英空軍のR.ケレット編隊長以下9名がウエルズリー爆撃機3機でエジプトから豪州まで飛び11,523.6粁を翔破した。これが直線距離の記録になっている。即ち世界記録は日、英、米、伊の四国が各一つづヽ有している。

 世界記録というのはこのように、色々難かしい飛行を飛びのけるということではなく、高く飛ぶもの、長く飛ぶもの、早く飛ぶものの記録を示すのである。世界記録を樹立するためには、この3点を狙う飛行機を作るということが主眼点になつている。こういう飛行機を作ってそれを飛ばせ、そしてそれが前のレコードより進んでいるか、進んでいないかに就て研究する。即ちそういう特殊の目的の飛行機を作るということが第一要素になっている。

 だから一般の他の国際記録の中には、例えば都市連絡飛行で去る昭和12年(1937年)に行った神風が既に出来ている飛行機を使ったように、現在出来ている飛行機を使って、上手に飛び、あるレコードを作るというようなこともあるが、この世界記録になると、上手に飛ぶといふことよりも特殊の飛行機を作るということが重要問題になる。その理由は人間の工夫は進めば進むほど各国共通になってしまって、何処でも殆ど同じ位のレベルに達し、日本で15,000キロの飛行機を作ろうとすると、それと同じ時代に外国でも殆ど同じ位のものが出来るものである。故にレコードを取るために製作しようとするには、相当に画期的な新機軸の設計が必要になるからである。

 画期的とか新機軸とかいうのは思い付き的のものでなくて、相当に基礎実験をやって、非常に精密な、長年月の研究を根底にし、実験の成果を集めて作ったものでなければなかなか新記録を作る飛行機とはならない。

 世界記録を作るというのは先づこうした飛行機を作ることであるから、従ってそういう記録飛行機の或る部分を利用すれば現在の実用の飛行機も進歩して行く。この意味で、世界記録そのものは直接航空界の進歩に貢献することには大して意義がないようであるが、結局は航空界に刺激を与え、研究を促し、実用の航空界に貢献することが出来る。ただこういうことをやるには、多くの学究や技術者を、短時間でなくて相当の長い期間勉強させてそうして実験をしつつ作って行かなくてはならない。従って、貧弱な施設や予算ではなかなか容易ではない。それでそういうことに手を掛ける国は今の所あまり無いようである。

航研機の前の藤田少佐

続き▼  航研機のページ  ホーム

以下5ページあります。