257.コードロン"シムーン" 旅行・スポーツ機[フランス]
CAUDRON "SIMOUN" UTILITY PLANE [FRANCE]


(C630)全幅:10.4m、全長:8.7m、翼面積:16.0u、総重量:1,230kg、
最大速度:300km/h、巡航速度:270km/h、発動機:ルノー・ペンガリ空冷倒立直列6気筒160〜220馬力、
乗員・乗客:4名、初飛行:1936年12月

Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 コードロン社は、1935年前後、排気量8,000cc以下という小型エンジンで速度を競う、ドゥーチェ・ド・ラ・ムールト杯速度競技の覇者だった。

 小さなエンジンで実用戦闘機を上回る速度記録を次々と樹立していた。そのコードロンの技術と飛行クラブ活動が盛んなフランスの国情が結びついて生まれたのが、このコードロン"シムーン"である。シムーンという名ははサハラ砂漠に吹く熱風のことで、低翼単葉・密閉キャビンという高級単発自家用機の原点となる先進的なスタイルに、速い巡航速度が組み合わされていたから、飛行クラブの小旅行機として、高い評価を受けていた。

 「星の王子さま」の作者で飛行家のアントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリが1935年にパリ-サイゴン間の記録(懸賞飛行)に挑戦した飛行機も彼の愛機シムーンであり、途中リビアの砂漠に不時着したものの九死に一生を得た。この遭難の顛末を彼は「人間の土地」に詳しく書いているが、この経験が「星の王子さま」の元になったというのはよく知られた話である。

 
 だが、わが国の戦前派の飛行機マニアにとって、"シムーン"の名を忘れられないものにしたのは、何と言っても、パリ〜東京間を100時間以内に結ぶラリー(懸賞飛行)だった。そして挑戦者マルセル・ドレーとアンドレー・ジャピーの選んだのが、いずれも、このコードロン"シムーン"だった。まずベテランのドレーが飛んだが、べトナム・モンケイで不時着して失敗した。

 そして新進のジャピーが1番乗りを目指して1936年(昭和11年)12月19日、香港から一気に東京に向かった。香港を発って勇躍東京を目指したが、真紅の機体の行く手を悪天候と日没が阻み、燃料の尽きるのを察した彼は、途中福岡県の博多湾に面した水陸両用の雁ノ巣飛行場への着陸を決した。しかし霧の中で突然現れた背振山を避けきれず山腹に衝突してしまった。

 パリから香港までの所要時間は55時間24分、これに香港から不時着に至る間を加えた通算経過時間は75時間45分だった。ジャピーは重傷を負って九州大学病院に入院していたが、同様に神風号で東京〜欧州飛行を計画していた朝日新聞社の飯沼正明飛行士たちに貴重な飛行経路の情報を与え、彼らの成功に貢献したと言われている。イラストは副操縦席も後席も燃料タンクに置き換えたキャビンで一人東シナ海上を北東に飛ぶジャピー機である。 

 一方、再挙を図ったドレーは、翌年5月26日、上海から東京を目指したが、やはり悪天候と暗夜の中をさまよい、高知県戸原海岸に不時着。転覆大破してしまった。この時点で既に100時間を超えていた。 

 朝日新聞社の「神風号」が東京〜ロンドン連格飛行94時間14分余に成功したのは、その少し前の1937年4月9日である。  (2000年カレンダー掲載)



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